2010年09月26日

山ガールと「木村家本舗」のお知らせ

山ガール」というのが、流行っているらしい。

「私」は山が趣味だと公言するのは、全く以て恥ずかしい、山好き。正確に言えば、頂上には、さほど興味がない。走破するのにも興味がない。というと、かなりツッパテイルような感じなので、まま、興味あり。「沢」も好きだが、先導がいないと、ちょっと怖くて行かない。汗をかきながら、あ、しんど。なんで、山登り。もう登れヘン。などと、自問しながらも、山に登った、あの爽快感は、確かに魅力的。

大阪に住んでいるものの、縁あって、神奈川県の丹沢にある山小屋に通うようになって、20年以上経つ。流石に、大阪から日帰りは出来ないので、ほとんど、一泊で行く。年に1回か、多い時で3回ほど。そうそう、2泊、3泊した事もあって、幼稚園の頃から連れだった長男などは、二十歳もとっくに過ぎた今となっては、「田舎」のような、懐かしい感覚らしい。

いまの山小屋の主人と友人で、数年前に亡くなった、先代の小屋の主人とは、「小草平」「勘七」「水無川」などの沢を、わらじを使ったり、渓流シューズを使ったりしながら、後にくっついて登った。勘七のF1やF5など、思い出深い・・・。

そんな訳で、ルーティンワークのような、今年初めての丹沢が、19日と20日の連休だった。ちなみに、20日の帰宅途中の夕方にかけての東名高速道路の大渋滞に巻き込まれた。ここ最近、静岡、浜松、豊田とそのあたりで、猛烈に混み合うのは、そのあたりの経済が発展しているからなのだろうか・・・・。

20年間、登山道を見ていると、全く、間伐もされず薄暗かった下の方の山が、間伐され、明るい山になったのは、最近の事で、「木」の文化の復活をなんだか感じる。それと、小屋から眺める登山者の年齢と雰囲気の変化。昔は、「山屋さん」ばかりで、通称、表尾根は、いつもガラガラで、登山者はパラパラだった。

ところが、数年前から、「おばさん」が登山するようになって、「賑やか」な感じになってきた。そのうち、団塊の世代の元、山屋さんや、健康志向の「おじさん」がやって来て、それに、おじいさんやおばあさんという年代の人々も、どんどん登ってきた。それが、サッササッサと歩く。とにかく凄い。勿論、それにともない中高年の事故も増えたのだろう。

それよりも、なによりも、エポックメーキングは、昨年頃から、「山ガール」がやって来たこと。スパッツにスカートをはいたファッショナブルな女の子がやって来て、山が「華やか」になってきた。その山ガールに男の子がくっついてくるような感じ。

山小屋の主人の「山ガール」エピソードがオモロイ。「山小屋で、ジュースか何かを買うのに、スイカのカードをサッと出して、これ使えますかぁ・・・」と聞かれたという。「VISAなら使えます」などと、勿論言わなかったらしいが、電気は通っていないし、水だって、水場まで汲みに行く。全ての食材や資材は何人ものボランティアの「ボッカ」で支えられている。そんな小屋だが、それが山小屋だと、勝手に思っているのは、こちら側の人たちだけだったのだ。

950mほどの標高にある登山道の途中の山小屋で、「この先にコンビニありますよね」と、確信的な聞き方で、山ガールに尋ねられたという。山にコンビニが出来る時代を予感させるものの、セブンイレブンのマークを付けたお兄さんが、大きな荷物を背負いながら、山を2時間ほどかけて、ボッカしている姿を想像してみた・・・・、それも悪くないかも。いや、そんなハズはない、ヘリコプターで、バタバタバタとやって来るのだろうか、う~ん、それはそれで、経費倒れになりそうだな。

気付いた事は、山ガールは、山の「しくみ」を知らないだけで、この20年間、山を歩く「私」の心情と、「山ガール」のその心情には、さほどの差がない事。頂上に行かなくて、ワイワイガヤガヤと小屋泊まりし、そのまま下山したことも何回かあって、それぐらいの「のり」なのだ。爽快感とパワースポット的な「のり」と+α。 もちろん、「私」は、あんなにファッショナブルではないし、年もかなりとっていってるけどね。

意外だったのが、キッチリとレクチャーを受けてから登山する山ガールも多いという、山小屋の主人の話。確かに、山をなめると、怖い。それにしてもだ、これから「山ガール」が山の雰囲気をどう変えていくのか、丹沢通いの楽しみが増えた・・・・・。

 

そうそう、お知らせです。

yoko

木村家本舗 = open house +古本 =コトバノイエgraf木村工務店
という催しを企画中で、10月の10・11・16・17・23・24・30・31 と10月の週末にかけて、木村工務店のすぐ近くで住んでいる、「私」の家にて、コトバノイエのカトウさんによる古本屋さん、grafのハットリさんによる家具と食器と雑貨、それに、木村工務店のキムラさんの住まいの相談、+something elseというイベントです。

木村工務店のキムラさんである「私」の家は、40年前の住宅や戦前の長屋を25年間、リフォームを繰り返しながら住み続けている家です。その家の中に、コトバノイエのカトウさんによる古本屋さんが期間限定でオープンします。

もともとは、矢部達也さん設計によるカトウ邸新築工事の通称が、コトバノイエです。本好きのカトウさんの趣味が、発端で、本棚が家の構造体となってしまったという、ソトとウチの繋がりが、とっても心地良い家です。その施工を木村工務店が担当しました。

そのコトバノイエ、カトウ邸をお引き渡しし、その新しい家で、カトウさんの生活が始まりました。ところが、住んで、暫くして、家の中、全部を古本屋さんとして、解放したのです。生活スペースのリビングダイニングキッチン、寝室、子供部屋、洗面所など、全てが、古本屋さんな訳です。これが、「コトバノイエ」という古本屋さんの誕生です。そのハプニングに、「私」は、とっても、不思議な刺激を受けました。

そのコトバノイエという古本屋さんが、「出張古本屋」さんとして、近藤英夫建築研究所さんと、矢部達哉建築事務所さんで、2回のイベントが開催されました。その2回のイベントに参加し、コンドウさんとヤベさんのお二人の行動力と、その「界隈」に向けての貢献と刺激に、「私」が刺激されたのでした。それで、第3回目のイベントとして、「私」が名乗りをあげる事にしました。木村家本舗 = open house+古本屋 の誕生です。ただしくは、これから誕生予定ですが・・・・・。

コトバノイエのカトウさんの本職は、吉見自動車という、ボルボの中古車ディーラーです。建築家やデザイナーにボルボ好きな方が多くいて、そのお客さんに、ヤベさんやコンドウさんがいらっしゃったのです。grafのハットリさんもそのひとりです。ちょうど、10年ほど前にハットリさんが、突然、木村工務店に尋ねて来られたという、奇遇も重なっています。それで、カトウさんが、ハットリさんにもお声掛けし、ほんの数日前に、カトウさんとハットリさんとキムラさんが、「私」の家に集まって、とっても、いい時間を共有しました。

「今日、キックオフという事で・・・・」という、ハットリさんの言葉と勢いがなければ、このイベントは、動き出さなかったかもしれません。そうそう、ただしくは、只今、企画中で、grafさんがどのような形態になるのか、いまのところ、全くもって、未定なのですが。

そんな訳で、このブログの読者の皆さん、詳細は、ホームページやブログで、告知致します。よろしければ、お越し下さい。

PS
木村工務店で施工をさせて頂いた、OBのお客様、都合がつくようでしたら、久しぶりに、是非、遊びにお越し下さい。メンテの依頼もお気軽にお申し付け下さい。只今、施工中や打合せ中のお客様も、お気軽にお越し下さい。木村工務店に来ることを躊躇っているお客様、この機会に、木村工務店の様子を見がてら、ちょっと立ち寄ってみては如何でしょうか、大歓迎です。その他、木村工務店と関わりのある皆さん、私と関わりのある皆さん、お待ちしております。

投稿者 木村貴一 : 2010年09月26日 21:34 « 歯痛と木村家本舗の本棚 | メイン | イヤホンとモノと縄文土器 »


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