2006年04月02日
ナチュラルミスティック
なぜ、大安という日が存在し、その日が目出度い催し事をするのに良い日なのぉ・・・と、問われると、よくわからない。 目出度い催し事の日程を決めかねている優柔不断な「私」にとっては、時として好都合だなぁ・・・という程度にその件は留めておくとして、 先日の大安に地鎮祭があった。いつも、思うのだけれど、神主さんが正方形に切った紙切れを四方に撒く、 その紙切れがヒラヒラと舞い散る様子が美しいなぁ・・・・と思うのだ。桜の花びらが散る様にも似ている。「もののあはれ」なんてものを、 なぜか、感じる。
それにしても、都会に住んでいると、「土地」というものが、「自然」からの恵みものであるなぁ・・・と、ほんの一瞬だけれど、 思い起こさせてくれる機会があるとすれば、地鎮祭の時ぐらいかなぁ。親から譲り受けたり、不動産屋さんから難儀して、手に入れたりするので、 「大地の恵み」なんてものとは、ほど遠い感覚かもしれない。縄文時代ぐらいの昔を思い描いてみれば、土地の持ち主を「自然」と呼んだのか 「神」と呼んだのかよくわからないけれど、誰のものでもなかったのだろうなぁ・・・・・。
キャンプ場に行って、フリーサイトと呼ばれる自由にテントを張ることを許される場所でテントを張っていると、時として、混雑してきて、 私たちが眺めている海や山の前にテントを張る人が現れてくる。思わず、「俺の場所を勝手に・・・」と叫びたくなる。 「俺が先にきていたのだから・・・・」と利権も主張したくなるのだ・・・。それに、「ここまでは、俺の場所!」 と領有権も主張したくなるのだなぁ・・・・・。かといって、10m四方に区画されたテントサイトも、キャンプ場に来てまで、 土地を手に入れるのぉ・・・・と、複雑な心境に陥ることにも確かだ。そんな訳で、「自然」や「神」になかなか感謝出来る心境にならない「私」 がそこにいたりする。最近話題の近隣諸国との領有権問題も確かに複雑だなぁ・・・と、人ごとのように思っていてはいけないのだろうなぁ・・・ ・・。
世界の国々には地鎮祭と似たような儀式があるのだろうか?。まぁ、そんなふうに考えると、一度、パリやニューヨークで、地鎮祭をして、 上棟式をして、という家造りで、家を建ててみたいものだなぁと、思えてくる。世界の人々はいったい、どう感じるのだろう・・・・。そうそう、 先日、19歳になる長男の友人3人と話をした時の事、イチローの話が愛国心の話になり、天皇の話にも飛び移った。その時、ひとりが、 世の中の神秘なるものの象徴としての天皇であったら、まぁ、わかりやすいかな・・・・というような事を言っていた。なるほどなぁと思って、 聞いた。かなりミーハー的になるが、ボブマレーというレゲエの歌手は、ナチュラルミスティックがこのまわりに満ちている・・・なんて、 ピョンコピョンコと踊りながら歌っていたなぁ・・・・と19歳の頃に見に行った大阪公演を思い出した。
土地・地鎮祭・神道・天皇というのがいかなる結びつきで、いかなるものかは、よく理解できないけれど、ついつい忘れがちになる、 「自然」とか「神秘」なるものを考えたり感じたりする機会にはなっているかもしれないなぁ。と、神主さんの手のひらから放たれて、 ヒラヒラ舞い散る紙切れや、ウォーーォーーという神主さんの雄叫びや、パンパンという暖かい音色の神主さんの拍手を眺めながら、 地鎮祭とは実に不可思議な儀式だなぁ・・・・・・と思うのだった。
投稿者 木村貴一 : 2006年04月02日 12:09 « hanami2006 | メイン | シーン »