2005年12月25日

教会で過ごすクリスマス

教会でクリスマスを過ごすことになった。賛美歌112番が 「もーろ人よこーぞーりてぇー迎えまつれぇー・・・・」であるという事を初めて知った。礼拝が始まり、最初に歌われた賛美歌がそれだった。 前後左右から聞こえてくる肉声がもの凄く心地よかった。一瞬、体に電気が走って、 足下から頭の天頂にエネルギーが抜けていくような感じすらした・・・・・。いやぁー、まぁ、ちょっと、誇張しすぎかぁ・・・・。 音痴を自認する私も口ずさめる歌だった。小学生ぐらいの時、両親に連れられて参加した家族会と称するクリスマスパーティーの記憶。 そこでその賛美歌を歌った記憶が一瞬、蘇った。なぜ教会に行く事になったのかは、ちょっとした仕事がらみではあったのだが、「しごと」 とは関係なしにして、教会で過ごすクリスマスにはそれなりの興味もあった。

所謂、「ちゃらちゃらした」クリスマスしか過ごした事がなかった。家族会といわれるようなクリスマスパーティー。 地域の子供会でのクリスマスパーティー。学生時代のサークルと称される集まりでのクリスマスパーティー。スキー場で過ごしたクリスマス。 彼女と過ごすクリスマス。・・・・etc・・・・。結婚して、生まれた子供の誕生日が12月25日だった。 それからはクリスマスと誕生日が同居するようになり、何だかよく判らないクリスマスが続く・・・・・・・。

教会での「神聖」なクリスマスは思いのほか、家族的な雰囲気があり、感動的だった。この教会がヴォーリズの設計による木造の教会であり、 ヒューマンなスケールで可愛らしく、どこか住宅の延長線上にあるかのような空間であったからなのかもしれない。 かつて訪れたことのあるコンクリート打ち放なしの教会から受ける空間の厳粛で静謐な雰囲気とは全く違っていた。 それはこの教会の信者の方々の意向のように感じられる家族的な雰囲気という色合いが建築空間の中にヒューマンなスケールとして、 強く反映されていたからなのだろうか。神々しいスケール感の感動的な教会とはまたひと味違う空間的な良さがあるように思えた。

クリスマス礼拝の後に長がーいクリスマス祝会があり、劇や演奏やコーラスなどが披露され、皆と一緒にカレーライスを食べた。そして、 その最後の最後に賛美歌109番が歌われた。 それは馴染みのある「きーよし、こーのよーる、ほーしはー、ひーかりー・・・・・」であった。最初と最後が何とか歌える歌だった。 今までの歌よりは少し大きな声で皆と一緒に歌い、それなりの感動が体に刻み込まれた。キリストの生誕を祝うという意味で、 この歌を歌ったことは今まで一度もなかった。しかし、今日はそんなふうに思って歌っている「私」がそこに居た。 教会にそんな雰囲気が充満していたからなのだろう。それにしても、ひとりの人間の生誕を祝うひと時を通じて、自分自身の生誕に感謝し、家族、 それに両親、それに私と関わりのある人々、ひいては命あるもの全て・・・・・の生誕を祝い感謝する気持ちにまで昇華させられるあたり 「教会で過ごすクリスマス」というのも時にはいいもんだなぁと感じた。

 

投稿者 木村貴一 : 2005年12月25日 21:17 « 伝統的文化と過ごすお正月 | メイン | 良心 »


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