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2017年03月26日

食にまつわる話。

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北海道の札幌で、スープカレーを30分ほど並んで食べた。並んでまで、食事することなど、めったにないが、飛行機の出発時間まで、たっぷりと時間があったので、お土産噺にもなるだろうし、札幌駅前にある奥芝商店というお店で、同行の三人で仲良く並びながら待った。確かに、「一度食べてみる価値はある」っていうタイプのスープカレーだったが、ま、味のコトより、スープカレーの食べ方の話。

昨年の北海道旅行では、札幌のサッカー場のレストランで、昼食に、スープカレーを食べて、その時、最初は、ご飯をスプーンによそって、スープカレーの中にひたし、口元に運ぶ作業をしていたが、途中から、カレースープの中に、ご飯をドバドバっと入れて、良く言えば、おじやのように、悪く言えば、猫飯のような状態で、食べると、主催の北海道の建材店キムラの営業のサトウさんが、ついにやりましたねぇ!って云いながら、これ、ちょっとはしたないコトですよ!みたいな口調で、笑っていた。

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一昨日、シェラトン都の中華料理の四川で、食事をする機会があった。50年ほど続いた、ある大手企業の、協力業者の会が、解散することになり、そのお別れ会に向けたミーティングと食事会。コース料理の最後は、麻婆豆腐と白ご飯だったが、スプーンで麻婆豆腐をよそって口に運び、それからご飯を食べる。あ~美味い!っていう感じだが、確かに、ご飯の中に麻婆豆腐をドバッとかけて、お茶碗に口を付けて、かき込むように食べるのは、ホテルのレストランでは、ちょっと恥ずかしいような食べ方に違いなく、札幌のスープカレーもそういう感覚なのね。うちの家では、たまに、スープカレーを食べるけど、奥方も、すぐに、猫飯的食べ方にして、カレーおじやのようで、お互い、その食べ方が、好きだけどね.....。

すすきののスナックで、札幌生まれ札幌育ちの女の子に、スープカレーの食べ方の話題を振ってみると、外では、必ず別々にたべるけれど、家では、よく、ご飯を、カレースープの中に入れて食べますよ。と笑っていた。札幌って、標準語的で、あんまり方言ないですよね。ところが、奥芝商店のスープカレーは具材がたっぷりで、スープは具材に隠れるように入っていて、最後まで、具材が残る感じで、ご飯をスープの中に入れて食べる、おじや的食べ方が、あんまり出来ない状況で、具材で満腹になって、食べて良かったなぁ.....っていう印象。

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今朝のモーニング。早朝のモーニングライドは、幼稚園小中の同級生Nくんと二人で、葡萄坂を上がり、のどか村で休憩し、朝護孫子寺にお参りして、三郷の方に下る。龍田大社にも参拝し、その近くのカフェ、ファンチャーナで、クロックマダムというモーニングを食べた。1、2ヶ月に一度、そのコースでモーニングを食べに行くのだけれど、丁度、食べている時に、Nくんのお母さんからNくんに電話があり、電話越しに挨拶を交わすと、Nくんが、小さい頃、タカイチのお母さん、ものすごく印象深かったわ。っと云う。そんな母に、元気に生きている時に、感謝のコトバをかけるコトが出来なかったよな。っと、ほんの一瞬、悔悟の念が、目にくる。

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堺の鰻や竹うちの鰻重。3月20日にリニューアルオープンし、というか、Reborn工事でもあり、1階の厨房と客室を改装し、カウンター席を新設した。鰻丼が、高級料理になってしまった昨今、家族四人で食べると、一万円を超えてしまうわけで、いまや、1人や2人で食べる時代になってきて、そんな流れに合わせて、カウンター席を作り、葦簀を使った内装の木村工務店の設計と施工で、リニューアルオープンした。

3代続く堺の老舗で、今のタケウチ社長とは、大学の同級生でもあり、親父さんである先代の社長には、遊びに行く度に、いつも、鰻を食べさせて頂いた。うちの祖父や、両親、奥方の両親と一緒に食べた、良き想い出もある。店は新しく、味は昔からの味として、恩返し出来たのかどうか。国産鰻の備長炭炭火焼きの関西風で、よろしければ、皆さんも是非。

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2017年03月19日

シメパフェ。

ここ5年ほど、北海道の地元の工務店が建てた、断熱気密された住宅を体感するために、Peachに乗って、1泊2日で、札幌に行くのが、恒例になっていて、北海道の建材会社の(株)キムラが主催する、札幌での2日間の展示会の日程に合わせた、見学ツアーでもある。

断熱気密された住宅の、冬の家の暖かさを体感すると、断熱材をたっぷりと入れる必要性と、隙間風が、極力少ない住宅を作る必要性を実感し、断熱気密の性能向上に伴う、室内換気の必要性も体感するのだけれど、なによりも、そういう施工に伴う、心地良い暖かさの家。という、「暖かさの心地良さのレベル」が存在するコトを知ったのが、何よりもの成果なのだろう。

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それは、北海道のコトで、関西では違う。という「セリフ」に、素直に従うなら、関西では、夏のうだるような暑さへの対策と、じめじめした湿気など、夏型結露を含めた問題解決が、より重要で、大切だ。というコトになるだろうが、それにしても、基本は、床壁天井の断熱材をそれなりの密度で入れること、あるレベルで家の隙間風を少なくして、室内空気を、通風と機械換気で、コントロールできる施工レベルにするコト、その基本的な施工の上に、遮熱やパッシブが成立していくのだ。と、関西のコトを思い描きながら、北海道の住宅を5年間見学して、得た、感覚だった。

1日目は、朝5時30分に会社に集合し、自家用車で3人乗り合わせ、関西空港第二ターミナルの駐車場に停泊して、朝一のpeach北海道行きに搭乗した。30分遅れで千歳に到着したあと、真駒内滝野霊園にある、安藤さんの頭大仏を見学すると、真白な雪の中に、コンクリート打ち放しに囲われた、やや下向き加減の柔和な大仏の顔があり、うす暗いコンクリートの洞窟を歩いたあとに、その大仏に出会うと、おもわず、3人同時に、あっはは!と笑ってしまったほど、ユニークな光景だった。

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そのあと、イサムノグチのモエレ沼公園を見学したが、真っ白な雪に覆われていて、それはそれなりの魅力だが、ここは、雪でない、緑の季節のほうが、より良いのかも知れない。安藤さんのランドスケープのあとに、イサムノグチのランドスケープを見ると、札幌ランドスケープ対決のように思えてくるわけで、北海道の札幌の風土が、こんな、ランドスケープな建築の面白さを成立させているのだろう.....

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味噌ラーメンを食べたあと、北海道キムラの大展示会を見学する。たまには、いろいろな新しい金物を見学するのは、面白い。それで、夜になると、恒例の、すすきので、何軒かの工務店と一緒に懇親会をするわけで、懇親会が終わると、スナックで飲み、深夜に、しめのジンギスカンを、だるまで食べるというのも、もはや、ルーティーンのようなもので、今年は、そのあとに、札幌シメパフェなるものを、深夜の3時に食したという、すすきのの夜だった。

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北海道断熱気密体験旅行の最初の年は、ひとりで、見学に出かけたが、2回目からは、社員のひとりかふたりを同伴して行くことになって、第五回目ともなると、それなりに恒例行事になってきて、社員の期待度も上がっているのだろうが、きっと、それは、「すすきの」の夜が、楽しみなのかもしれない.....。

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2017年03月12日

住吉さんと珈琲ワークショップ

ちょっと寒いけど、抜けるような青空の日曜日の朝。同居する長男家族と一緒に、住吉大社に腹帯を授かりに行く。大阪では、なんとなく、宝塚の中山寺に行くのが、よくあるあるで、うちの子供たちもそうだったが、福島県出身の長男の奥さんが、そんな、なんとなくの風習にこだわりがなく、住吉さんをチョイスし、久しぶりに、あの、赤の太鼓橋を渡って、アプローチすると、やっぱりエエなぁとおもうわけで、オモッタより沢山のひとが、腹帯を授かりに来ていることに少々驚き、お祓いを受けた後の、鳥居の前の石を拾って腹帯に入れる、オモロイ風習にも、驚いたりしながら、住吉造の神社を参拝すると、抜けるような青空とともに、清清しく軽やかな気分を授かった。

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帰りがけに、帝塚山のポワールで、皆で一緒にモーニングを食べる。この近くの住吉高校に通っていたので、高校時代のことが、蘇ってきて、懐かしいが、ちょうど、高校在学中に、そのポワール近くに、安藤さんの初期のコンクリート打ち放しの店舗ができた新鮮な記憶や、蔵をリノベーションしたポイントという喫茶店で、いろいろな友人と一緒に飲んだ珈琲と会話。サーファーが沢山集まっていた帝塚山nobという喫茶店で聴いた輸入盤のレコードと黄色っぽい洞窟のような内装の想い出。それに、高校を卒業したあとの数年間は、大晦日の午後11時頃に、そのnobに男女数人の友達が集合し、歩いて、住吉大社に初詣して、押し合いへし合いしながら渡った赤い太鼓橋。そのあと、ミナミで夜を明かした数々の想い出など、目の前を通り過ぎるチンチン電車のゆったりとしたスピードとシンクロしながら、想い出が通過していった。

お昼前に、家と会社に帰りついて、今日の「まちのえんがわ」珈琲ワークショップの準備をはじめてみると、なんとなく、ゆったりした気分で作業をしていて、それは、長男の奥さんが、私を住吉さんに誘ってくれたお陰だな、と感謝しつつ、その、珈琲ワークショップは、天王寺の小橋にある老舗の珈琲店ルプラさんの、2代目になるニシミネさんが、まちのえんがわワークショップに何度か参加してくれた縁で、自宅のリフォーム工事を設計施工させて頂くという結びつきになり、その設計打ち合わせをする時に、ドリップ珈琲の入れ方を実演とともに教えて頂いたりして、そんなこんなが、珈琲ワークショップ開催に広がっていくという、「集い、繋がり、広がる」というような、展開だった。

手回しの焙煎機で、豆の焙煎の実演とその説明から始まった珈琲ワークショップは、ルプラのニシミネさんが、参加者それぞれの好みの味を聞いて、豆の種類をチョイスし、ミルで挽き具合を調節しながら、ペパードリッパーに、その挽き立てを入れ、お湯を注いで珈琲を抽出するオーソドックスな手法ながら、豆のグラム数と、抽出手法と、抽出タイムを、それぞれひとりずつにアドバイスしながら、それぞれが大まじめに、珈琲を煎れるコトで、ワインのテイスティングのように、味見すると、そのひとが入れた珈琲が、そのひとの個性の違いがにじみ出る、味の違いに、興味津々となって、ハンドドリップの面白さに、「はまる」ワークショップだった。

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まるで、化学実験をしているような面白さがある珈琲ワークショップを、是非、皆さんに体験してほしいとおもうわけで、ニシミネさん自ら作ったデザートと珈琲のマッチングや、道具の違いによっても味が代わる面白さを体験し、特に、男子は、道具好きで、道具に拘ってみたい気分にもなり、いや、そんなことよりも、最後に、参加者全員が、同じ豆を、同じ挽き具合の、同じグラム数で、抽出して、皆でそれぞれの珈琲をティスティングし、それぞれの珈琲が、微妙に味が違うことを体験してしまうと、妙な感動まで味わえる、爽やかな日曜日の珈琲ワークショップだった。

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追伸:珈琲飲みすぎて、寝付けない夜ですわ。

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2017年03月05日

クリエイティブディレクター

IMG_3767-1徐々に、春がやってきそうな気配。うちの庭の、椿の一種、ピンク色の侘助(ワビスケ)は、2月に開花し、もう散りだしている.....。代わって、サンシュウの蕾みがついてきて、黄色いカワイイ花の季節も間近で、そうこうしているうちに、あの満開の桜の季節がやってくるわけで、桜が待ち遠しい感覚になった今日の3月初旬の陽気。1月は行く、2月は逃げる。確かにね。今年の3月も、諺通り、去るのだろうね.....。

3月に入って、うちの会社では、個人面談を開始し、まだ、始まったばかりだが、「現場監督」の悩みというか、苦悩の深刻さ、それは恐らく全国共通なのだろうが、それにしても、なんとかならないのだろうかと、一緒に悩んでしまうわけで、「現場監督=クリエイティブディレクター」と置き換えると、カッコエエ職業のイメージになり、テレビドラマで、キムタクが、医者を演じるのではなく、現場監督を演じて欲しいとおもうほど、現場監督自身が、自分の職業に、誇りを持てるような、世の中の雰囲気では、ないのだろう。

実際の建築は、「現場監督」なしでは、進行しないのだけれど、現場監督が、ただただ、現場の職人のスケジュールを段取りして、その出来映えをチェックするだけに終始すると、段取屋さんとしての現場監督なのだが、クリエイティブディレクターとしての現場監督は、設計者と職人の間に入って、その2者の共通言語を駆使し、ものづくりのディレクターとしての役目を担うわけで、設計者のハートも職人のハートも理解出来るハートの持ち主が、クリエイティブディレクターとしての現場監督なのだろう。

施主とコミュニケーションをするのも、現場監督の大切なシゴトで、それは、設計や職人のシゴトとコトバを判りやすく施主に通訳する役目であり、それに、そういうシゴトの追加変更に伴う、お金の問題を解決する役目も担うわけで、そういう意味では、施主のためを想いながらも、職人の手間や経費や利益のコトを考える気遣いや、そのうえ、工務店という会社組織の経費や利益のコトを考える能力も必要とされて、それ故に、クリエイティブディレクターとしての大切な立ち位置があるのだろう。

「まち」で、ものづくりをする建築というシゴトは、近隣問題に気遣うコトが、大切のシゴトのひとつで、いまや、それだけではなく、地球環境問題にまで関心を持って、そのコトに気遣うことも要求される時代で、そういう意味では、常に、近隣や地球環境に対して、ご迷惑をお掛けしているコトに、頭を下げられる腰の低さが必要なのだろう。

職人や設計や施主や町や会社に、常に気遣いをしながらシゴトをする現場監督は、気苦労の多い職業でもあるわけで、だからこそ、世間的な評価が高くても良いはずなのだが、世間からのポジティブな評価を受ける前に、職人や設計や施主や町や会社からの現場監督に対する、ちょっと面倒くさい要求事項とネガティブなコトバのボディーブローが、徐々に徐々に効いてきて、いつしか「自己」を徐々に喪失し、礼儀や挨拶や言葉遣いや段取りにまで支障をきたして、世間的な評価を失っていき、多くの現場監督が、自分は現場監督に向いていない、とおもうようになっていくのが、あるあるなのだろう。

生野区のものづくり百景の、ものづくりの職人さんに会うと、大した能力があるわけでもないけど、ただ続けてきただけや!とよく言われる、もちろん、いろいろな物事に気付いて、悩んで、工夫しながら、続けてきたのだろうが、「現場監督=職人」という観点に立ってば、確かに、「続ける」ということを通じてしか、到達できない、現場監督的職人技があるのだろう。

そんなこんなで、日本全国の現場監督が、「続ける」というコトに、苦悩しているのだろうが、現場監督の皆さんも、現場監督でない皆さんも、職人として、クリエイティブディレクターとして、苦悩する現場監督に、満開の桜のような、ハートフルな何かを、送れたらエエのにね.....。

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