2017年03月05日
クリエイティブディレクター
徐々に、春がやってきそうな気配。うちの庭の、椿の一種、ピンク色の侘助(ワビスケ)は、2月に開花し、もう散りだしている.....。代わって、サンシュウの蕾みがついてきて、黄色いカワイイ花の季節も間近で、そうこうしているうちに、あの満開の桜の季節がやってくるわけで、桜が待ち遠しい感覚になった今日の3月初旬の陽気。1月は行く、2月は逃げる。確かにね。今年の3月も、諺通り、去るのだろうね.....。
3月に入って、うちの会社では、個人面談を開始し、まだ、始まったばかりだが、「現場監督」の悩みというか、苦悩の深刻さ、それは恐らく全国共通なのだろうが、それにしても、なんとかならないのだろうかと、一緒に悩んでしまうわけで、「現場監督=クリエイティブディレクター」と置き換えると、カッコエエ職業のイメージになり、テレビドラマで、キムタクが、医者を演じるのではなく、現場監督を演じて欲しいとおもうほど、現場監督自身が、自分の職業に、誇りを持てるような、世の中の雰囲気では、ないのだろう。
実際の建築は、「現場監督」なしでは、進行しないのだけれど、現場監督が、ただただ、現場の職人のスケジュールを段取りして、その出来映えをチェックするだけに終始すると、段取屋さんとしての現場監督なのだが、クリエイティブディレクターとしての現場監督は、設計者と職人の間に入って、その2者の共通言語を駆使し、ものづくりのディレクターとしての役目を担うわけで、設計者のハートも職人のハートも理解出来るハートの持ち主が、クリエイティブディレクターとしての現場監督なのだろう。
施主とコミュニケーションをするのも、現場監督の大切なシゴトで、それは、設計や職人のシゴトとコトバを判りやすく施主に通訳する役目であり、それに、そういうシゴトの追加変更に伴う、お金の問題を解決する役目も担うわけで、そういう意味では、施主のためを想いながらも、職人の手間や経費や利益のコトを考える気遣いや、そのうえ、工務店という会社組織の経費や利益のコトを考える能力も必要とされて、それ故に、クリエイティブディレクターとしての大切な立ち位置があるのだろう。
「まち」で、ものづくりをする建築というシゴトは、近隣問題に気遣うコトが、大切のシゴトのひとつで、いまや、それだけではなく、地球環境問題にまで関心を持って、そのコトに気遣うことも要求される時代で、そういう意味では、常に、近隣や地球環境に対して、ご迷惑をお掛けしているコトに、頭を下げられる腰の低さが必要なのだろう。
職人や設計や施主や町や会社に、常に気遣いをしながらシゴトをする現場監督は、気苦労の多い職業でもあるわけで、だからこそ、世間的な評価が高くても良いはずなのだが、世間からのポジティブな評価を受ける前に、職人や設計や施主や町や会社からの現場監督に対する、ちょっと面倒くさい要求事項とネガティブなコトバのボディーブローが、徐々に徐々に効いてきて、いつしか「自己」を徐々に喪失し、礼儀や挨拶や言葉遣いや段取りにまで支障をきたして、世間的な評価を失っていき、多くの現場監督が、自分は現場監督に向いていない、とおもうようになっていくのが、あるあるなのだろう。
生野区のものづくり百景の、ものづくりの職人さんに会うと、大した能力があるわけでもないけど、ただ続けてきただけや!とよく言われる、もちろん、いろいろな物事に気付いて、悩んで、工夫しながら、続けてきたのだろうが、「現場監督=職人」という観点に立ってば、確かに、「続ける」ということを通じてしか、到達できない、現場監督的職人技があるのだろう。
そんなこんなで、日本全国の現場監督が、「続ける」というコトに、苦悩しているのだろうが、現場監督の皆さんも、現場監督でない皆さんも、職人として、クリエイティブディレクターとして、苦悩する現場監督に、満開の桜のような、ハートフルな何かを、送れたらエエのにね.....。
投稿者 木村貴一 : 2017年03月05日 23:23 « 住吉さんと珈琲ワークショップ | メイン | 菜の花と盗難と行灯 »