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2014年06月29日
プロフェッショナルなワークショップ
お昼すぎて、「まちのえんがわ」に赴く。縁側に座って、文庫本棚にある、司馬遼太郎の「街道をゆく 沖縄・先島への道」の続きを読んでいると、隣の加工場からは、ノミで木を刻む心地良い音が鳴り響いてきて、それが、とってもエエ天気で、なんとなく夏がやって来そうな気配もあって、暑くなりそうなのに、遙か遠くの大阪湾からで吹いてきた西風と相まって、心身がとっても心地良く感じて、半袖半パンの服装とともに、ちょうどエエ気候。そうそう昨日の深夜に、かなりの雨が降っていたが、それでも梅雨なのに以外と雨が少ない今年の大阪。
日曜日なのだけれど、昼から、ササキ大工とタバタ大工が、「まちのえんがわ」のすぐ隣にある加工場で、小屋組の仮組をしていて、「墨付け」と「手加工」が間違いないのかをチェックしていた。ササキ大工の弟子のタバタ大工が初めての墨付けをし、それが間違っていないかどうかを棟梁のササキ大工がチェックしながらダメ出しをするという構図で、それは、誰に強制されたわけでもなく、平日にチェックだけすると、効率が悪くて一日分の手間がもったいない感じがし、それに日曜日の昼は、ダラダラ寝ているだけなので、これ、「趣味」みたいなものですわ。とササキ大工が言う。
羨ましい!「私」は趣味で、本やアウトドアーを楽しんだりするわけで、もちろん、建築好きなので、司馬遼太郎の竹富島の章にある、「床の間」に関する話題には、興味津々で読むわけで、確かに、若い頃は、日曜日だけは建築の事を絶対的に考えたくない日々があって、そんな訳で、アウトドアーを楽しんでいたりしたが、この年頃になって、日曜日の建築もアウトドアーも本も音楽もワークショップも仕事も分け隔てなくおなじ感覚で楽しめるようになってきた。ところが、まだ30代のササキ大工もタバタ大工もこんな日曜日の検討会のような大工仕事を「趣味」だと公言できるほど、「大工」を愛していて、それがとっても羨ましいし、カッコエエとおもう。
「まちのえんがわ」で、趣味で本を読む「私」の耳と心に、趣味で手加工の調整作業をしているという二人の大工の、とっても心地良いコンコンという木の音が響いきて、「まちのえんがわ」で、月1回の日曜日のお昼からの、ものづくりのワークショップは、「私」の趣味だと公言しているものの、この二人の大工が、日曜日の同じ時間帯に繰り広げる、こんな趣味的な、ものづくりの検討会こそが、ほんらいの、プロフェッショナルとしての「ほんまもんのワークショップ」なのだなぁ・・・と考えながら、作業を終えた二人の大工と一緒にアイスコーヒーを飲みながら談笑するのだった。
2014年06月22日
雨折々
便器に座った前に、24節季72候のカレンダーが貼ってあり、その6月3日に「雨折々思ふことなき早苗かな」という芭蕉の句が書いてあって、なんでも「雨がよく降って、これなら早苗の水の心配は要らないだろう。雨が降れば降ったで百姓は喜んでいるはずだとして、晴天でなければ面白くない「影待」の行事を主催した岱水への心配り。」という解釈らしいが、今朝は、まさしくそんな、しとしとと雨が降る日曜日で、知り合いが、いろいろなイベントを催している日でもあるが、それはそれでエエ感じの雨の日曜日なのだ。
そんなしっとりした雨が降る朝、特別養護老人ホームに入所した、母親の見舞いに行く。認知症になった母親の話題をこんなところで大っぴらに語りたい訳ではないが、「建築」に携わるもののブログとして気付くことを書き留めたい気持ちにさせる、そんな雨折々。で、病院や介護付き老人ホームを転々としながら、特養に入所したが、病院のあの建築空間が醸し出す雰囲気では、患者という感覚から逸脱できないムードがあり、介護付き老人ホームは空間的にも対応も含めてビジネス色が強かった。今度のグループホーム型の特養は、中央にオープンキッチンといくつかのダイニングテーブルとリビングとしてのソファーとテレビがあって、それを取り囲むように9つの個室があり、介護用の事務所が隣接していなければ、テレビに出てくるような9人の若者向けシエアーハウスのようで、そんな空間構成が、現代社会における衣食住とコミュニケーションの問題を表象しているのだろうが、これならひょっとして症状が少しましになるのでは・・・と、淡い期待を抱かせるのも確か。
「衣食住」を喜びと共に日常的にひとりでやり続けられるのが幸せな出来事であり、そのためにも、日常的に繰り返す人や自然とのコミュニケーションが、自分自身に対する気付きを促す大切な機会なのかもしれないと、しとしとと降る雨によって考えさせられて、それはそれとして、それでは、さてさて、これからの高齢化社会に突入しているそれぞれのマイホームは、どんなプランになり、どんなコミュニケーションが求められるのかと、母の姿を見ながら、これまでの母とのコミュニケーションに於ける自分の至らなさに、否応なしに直面させられてしまうのだった・・・・。
本日は住宅相談会があって、うちの畳屋さんの紹介で、若いご夫妻でお見えになったAさんは、産業廃棄物処理の家業を継ぎながら、こんなに沢山捨てられる、それも使えそうな廃材を使って、自室をリフォームした経験があって、今度は、譲り受けた住宅を廃材を使って新築かリフォームしたいという相談だった。産業廃棄物処理屋さんに隣接するオシャレな廃材セレクトショップを想像してみた・・・・・。
小さなお子さんとご夫妻の3人でお見えになったBさんは、奈良で中古住宅が付いた土地を購入し、現在の建物を取り壊して、大手ハウスメーカーに新築プランを頼んだが、予算も含めてオーバーしていて、それにどこかの工務店にも依頼したいとおもっていて、ご夫妻のセンスと合いそうなのが、うちだったそうだ。うちの新築住宅がハウスメーカーより格安で提供できるわけでない事と概算見積までの日数が掛かることをお伝えして、新築のプランと共に、予算も踏まえて、新築とまたひとあじ違う中古住宅を全面的にリフォームする提案もしようかとおもう。
こんな、エエ雨折々の日曜日・・・。
2014年06月15日
スタイル
泥団子を作る「まちのえんがわ」ワークショップが午後1時30分からで、その準備のために午前9時すぎに木村工務店の加工場に行き、掃除やなんだかんだしているうちに10時になり、そうそう、ワールドカップサッカーの日本代表の試合が始まるのだ。それで、無料のインターネットTVを検索して、表示されるまでに15分ほどかかってしまい、英語のアナウンスサーが発するホンダという英語的発音を聞きながら画面を見ると、既に日本が1点を先制していた。
泥団子ワークショップ講師の山本左官の職人さんのフジムラくんが私の背後で、ワークショップの準備をしながら、実は私、グランパスの一次試験に合格していて、ずっと、サッカーやってたんですけど、やっぱりサッカーのプロは目指さなくて、左官職人になりました。と云う。名古屋出身らしい。サッカーでも、レベルが上がれば上がるほど、要求項目がどんどん違ってくるのですよね。と世間話のように会話をしながら、プロフェッショナルの世界はどんな職業でも一緒やね。左官も大工もレベルが上がれば上がるだけ、要求されるレベルもどんどん上がってくるもんね。なんて、井戸端会議のおばちゃんのようなコミュニケーションをしながらの準備作業が続くいたが、後半に入っても、日本らしい「スタイル」がないまま、コートジボアールに1点取られて、直ぐにまた、2点取られて、あ~ぁ、と一緒にため息ついて、その後、世間話のような会話は弾まなくなり、ワークショップの準備に専念することにした。
「まちのえんがわ」ワークショップでは、「職人さんに触れる」「材料とのコミュニケーションを体験する」「ものづくりの心に気付く」なんていうのをテーマにしていて、プロフェッショナルのように、如何に道具を上手く使いこなして、美しく早く作るかに焦点をあてるのではなく、材料との触れあいによってものづくりの楽しい時間を共有するのが最大の目的で、そこには、プロフェッショナルとして、クライアントの要求項目に対する日々の葛藤を圧倒的に経験するが故に、シンプルにものづくりを楽しむ参加者の「スタイル」に癒されるのだとおもう。上の写真は43人が自分の「スタイル」を素直に表現しようとしたその成果なのだろう・・・。
そうそう、今朝、長男が東京から帰省していて、同級生のオオムラくんも一緒にリビングのマレンコのソファーで熟睡している姿があり、どちらともプロとしての建築士を目指しているのだけれど、都合良く泥団子ワークショップにも末席でちょこっと製作しながら、プロフェッショナルとして如何に生きるべきか自分の「スタイル」を模索しているようだった。
ワークショップ終了後の夜、昨年の木村家本舗でほたる食堂としてお総菜を提供してくれたホタルちゃんが彼氏と共に突然の来訪で、キッチンのカウンターテーブルでホタルカップルと私がコミュニケーションをし、デッキで寛ぐ長男とその友人と奥方が、わいわいがやがやと会話を繰り広げていて、それぞれが、左下の写真のような妙な位置関係をとりながら、様々な会話が錯綜し、コミュニケーションが続いた。リアルな店舗としてのほたる食堂を作りたいという打ち合わせが、設計のヤベさんのお宅であったのが、木曜日の夜の事で(右下)、その延長戦のような打ち合わせが今宵で、つまるところ、ほたる食堂の「スタイル」を皆で模索し、葛藤しているのだろう・・・。
「日本代表」とは、「たらこスパゲッティ」である
ザッケローニは、日本代表監督就任時に、こういったという。「私は、『バランス』のとれた日本代表チームを創る」と。就任以来、彼はまさに終始一貫して『バランス』を大切にしているのだが、その本当の意味を例えた言葉こそが実は、「たらこスパゲッティ」なのである。
たらこスパゲッティ。この未知の料理にイタリア人のザックが遭遇したとき、彼はびっくりしたという。おそるおそる食べてみると、「和」と「イタリアン」がミックスしたその完成度の高さに、再度驚愕したという。
ザックは「同じ選手はいないのだから、他のチームを決して真似るな」と言う。つまり、日本にはブラジルのネイマールもアルゼンチンのメッシもいない。ではどうするか。それが、たらことスパゲッティなのだ。たらこ・のりといった日本の食材の良さを最大限活かしながら、イタリアのスパゲッティと混ぜ合わせ、新しい価値を創る。
プレイヤーは一人一人違う。ないものねだりをしても仕方がない。大事なのは過去の成功というイタリア料理に固執するのではなく、今ある和の素材をミックスしながら、現実に合うように新しく創造していくことだ。
ザッケローには、そんなのを目指しているらしい・・・。日本らしい「スタイル」を模索し、悩んで、葛藤しているのは、スポーツでも、政治でも、ものづくりでも、共通だなぁ・・・・。
2014年06月08日
火山のふもとで。しまなみ海道のもとで。
日曜日の今朝、パッと目が覚めて、時計を見ると、まだ午前3時30分を廻った時刻で、そういえば、昨晩は午前12時前に寝たのだけれど、ある理由で木曜日と金曜日と二日間を病院のベットで過ごす事になって、それが夜9時に寝て午前3時に目が覚めて、それから、痛みと共にうとうとと寝たり起きたりする二日間で、土曜日の午前中に退院したが、おそらくそんなのが「くせ」になっていたのだろう。再び寝ようと目をつぶってみたが、以外とシャキッとしていたので、ぎこちなく起き出して、リビングキッチンに行って、本を読むことにした。
水曜日の夜、病院のベットの前に奥方が立っていて、偶然、いま、奥方の同級生のカオルちゃんからメールがあって、こんな出来事があって緊急に入院したのぉ。っとメールすると、それやったら、入院中に、「松家仁之」の「火山のふもと」がとっても面白かって、建築家の物語で、タカイチくんフランクロイドライト好きやろ、この本読んで、わたし、アスプルンドの建築見に行きたくなったわ。と、そう伝えておいて。という・・・・。
カオルちゃんは二十歳からの友人で、奥方の同級生であり、奥方を知る前まらの友人で、前にも書いたけれど、当時、まばらにしか店がなかったアメリカ村の三角公園の前から周防町に向けて、その当時あった黒塗りの天牛書店の前を東に向かって南側の歩道をひとりで歩いていて、いまアップルの店舗がある前から北側の道を西に向けて歩いている女性グループがあって、その中にカオルちゃんがいて、その姿を見つけて、道越しに、カオルちゃーんと声を出して手を振ると、いやぁ~タカイチく~んと応えてくれて、二言三言道路越しにコトバを交わしながら別れた。そのグループの中に今の奥方がいて、そのカオルちゃんは、いま東京で、有名な雑誌の編集者をしていて、と、ま、そんな関係で、それよりあのカオルちゃんから「アスプルンド」なんてコトバが突然出てきて、驚いて、病院のベットの上で、たしか、北欧の、図書館とお墓の建築家やったけ。とおもいながら、寝た。
テーブルの上に奥方が気を利かして、アマゾンから取り寄せてくれた本が置いてあって、その心遣いに感謝しながら、読み始めた。外は真っ暗で、シーンとしていた。「夏の家」という書き出しで始まって、どうも、吉村順三をモデルにしているような人物が出てきて、レーモンドとかライトとかタリアセンとか、軽井沢が舞台になり、昨年の夏休みに見た軽井沢タリアセンにあったレーモンドの夏の家を思い出すし、この登場人物は、ひょっとして、中村好文のコトなのか・・・とか。
そうそう、ちょうど、先週の日曜日と月曜日の精親会旅行で、松山にある中村好文設計による伊丹十三記念館を見学し、そいうえば、偶然、先週に、この外壁の杉板を納材した伊予にある共栄木材の社長が弊社まで営業に立ち寄ってくれて、エピソードのようなものを教えてくれたのもタイムリーだった。ちなみに、この建物を見学する前は淡路島で安藤忠雄の本福寺・水御堂を見学していた。月曜日は皆で、30kmと40kmの2チームに別れて、しまなみ海道をサイクリングして、全員完走した。といいたいが、「私」ひとりが40kmゴール手前1kmのところで、信じられないような、それは神のイタズラだとしか言いようのないアクシデントに見舞われて、完走できない状況になり、それでも旅行そのものは楽しい旅行として、行程通りつつがなく終了した。その「私」だけが、心と体に少々の傷を負う身となって、それが原因で、大阪に帰ってから三日間ほど入院することになった。その出来事はまた、つぎの機会に譲ろうとおもう・・・・。
真っ暗な夜が、白々と明けだしてきて、雀がチュンチュウと鳴き始めた。こんな光景を聴きながら本を読んだのは何年ぶりのコトだろうか。ひょっとして学生時代以来かもしれない、これもカオルちゃんからの贈りものとお見舞いなのだろう。本の中で、「施主と呼ぶのかクライアントと呼ぶのか」みたいな会話があって、工務店に在籍する身としては、社会人になってからは、施主というコトバに、違和感はまったくなく、ただこの本では、終始クライアントというコトバが使用されていて、ま、それはそれで、それも違和感はないのだ。
午前6時をすぎ、庭に出て、本を読む事にする。両親と共有していた庭は両親ともが不在になり、必然的に、「私」が掃除する役目な訳で、三日間ほど庭木たちに会わないと、久しぶり!みたいな気持ちで木々たちに挨拶しながら、箒を持って、芝生の上の落ち葉を集めるが、手術の影響で、いまいち動作がぎこちなく、それでも粘り強く、やっているうちになんとかなるものだった・・・。掃除して、庭で本読んで、午前8時頃、朝食のパンを食べたとたんに、眠くなって、いびきをかきながら寝入ったらしい・・・・。
10時頃に目が覚めて、お風呂に入って、今度は居間の独りがけの椅子で本を読んで、お昼にスパゲッティーを食べるとまた眠たくなって1時間ほど寝てしまう。目が覚めて、「まちのえんがわ」に出向いて、本を読んでいると、ステンドグラス講師の田中共子ちゃんがやってきて、入れ替わりに、今度はトンちゃんもやってきて、本は読み進まないが、会話が嬉しくて、そうこうしているうちに、「街屋集団 初夏の交流会2014 @KATACHI」というイベントに参加することになっていて、うちで、リフォーム工事をした都島にある「KATACHI」というお店で開催される。その野江内代駅までの地下鉄で単行本の続きを読む。地下鉄で単行本を読んだのも久しぶりだった。帰りの地下鉄でも読んで、午後8時に帰宅して、テレビで黒田勘兵衛を見て、360ページの180ページが「いま」。
ランニングや自転車や登山などアウトドアーのスポーツが、集団や自然の中で、「ひとり」になれる「スペース」をつくりだしてくれるのだけれど、読書も「ひとり」になれる、「スペース」を作り出せる、そんな読書のやり方があったコトを、ここ暫く、すっかり忘れてた・・・。
2014年06月01日
慰安旅行問題
第58回目になる「精親会」旅行というのが、本日の日曜日と明日の月曜日に、1泊2日で、58名の参加者と共に、建築を探訪し、道後温泉に泊まって宴会をし、今年は50名ほどで、しまなみ海道をサイクリングする予定で、木村工務店会長が先日亡くなって、自粛というのも当然考えることだが、初代、先代と58回も続けてきたわけで、もちろん、どんな旅程にするかの旅行会社とのち打ち合わせに、この1年間、亡くなった会長も毎回参加していて、あれやこれやと意見を述べていたわけで、「中止せんと、やれやぁ!」という声がはっきりと聞こえてくるので、迷うこともなく、あたりまえのように開催をすることにした。
精親会というのは協力会社のメンバーで構成される会で、58回のすべてに参加している会社もあれば、初参加の会社もあって、別にものすごい結束と、しきたりの厳しい会則があるわけでもなく、ようするに、「チームワーク」で建築を造ろうと考える、「象徴」としての会で、その会のいわゆる慰安旅行な訳で、ま、昨今は、「慰安」なんていうコトバが物議を醸すわけで、それで、「研修旅行」と呼ぶようにしているものの、うちの社員には、誰ひとり、研修旅行というコトバを使うものはいなくて、ハッキリと、慰安旅行に行ってきます。と、お施主さんにも宣言していて、シャチョウとしては、カッコヨク厳しく学ぶ研修旅行に行ってきます。と云って欲しいところだが、きっとうちの社員は正直なのだ。それはともかく、それでも58回も継続すると、木村工務店にとっては、かなり重要な行事だといえる。
こんな協力業者と共に大工さんと手伝いさんと社員が参加し、バブル崩壊後の世の中の情勢で、2回だけ中止をしたが、「世間など気にするコトなく、やっぱりやろか!」という亡くなった会長の意見で、再会した。ちなみに上の表は、会長が、こまめに記録している表を拝借して、その58回目が空欄になっているのを見ると、ちょっと寂しさもこみ上げてくるのだけれど、それはともかく、「私」が社長を譲り受けてからは、「建築探訪」と「アウトドアー体験」をテーマにし、40ページほどの「旅のしおり」を作成することを自らのシゴトにして数えて8回目になる。
そうそう、最新号の住宅特集という建築雑誌にアルファヴィル設計で弊社施工の都島・I邸新築工事が掲載されて・・・・・。
その雑誌の巻末の施工業者を紹介するページにこんなコメントを設計者の竹口さんと山本さんが書いてくれた・・・・・
木村工務店の雰囲気をうまく表現してくれている有難いお言葉で、建築は様々な業種の職人さんとの協力関係によって完成するわけで、そんな建築というものづくりの歴史を積み重ねていく協力業者とのチームワークのお陰で「精親会旅行」や「まちのえんがわ」ワークショップが成立しているのだな・・・と、「慰安」を前にしながらも、住宅特集に掲載されたこの文章を読んで、少々襟を正しながら、懇親を深めてこようとおもう・・・・。
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