2014年05月18日

結婚指輪

結婚指輪というのを左手薬指にはめていて、それが1985年の5月に結婚し、それ以来ずっとはめているのだけれど、その指輪を外して下さいと看護婦さんに言われたのが今週の火曜日夜の事。それで、外そうと試みるが、第二関節にひっかかって外れない。そうそう、昨年の冬に、奥方に促されて、衣類の収納の片付けをした時に、スチール製の網かごを別の場所に移そうとして、その時にスチールの網の間に左手薬指が挟まって、抜けず、指をこじて、第二関節を脱臼した。それをその場で、右手で左手薬指をつかんでグィッと元に戻したが、数時間後に猛烈に腫れ上がって、それから指輪が全く抜けなくなった。

鎖骨を骨折したのが、丁度1年前の5月で、結婚記念日と日曜日が重なった日の朝で、それが、私たちは今まで一度も結婚記念日に祝い事をしたことがない夫婦で、なのに、なぜかその年だけ、奥方が、フェスティバルホールのキースジャレットのコンサートに行くと言い出して、普段、全くキースなど聴かないのに、「私」に気を使ってくれたのか、祝い事をしようと言い出さない「私」に怒っていたのか、それは定かでないが、とにかく、そんな予約を数ヶ月前にした。で、このブログでも書いたとおもうけれど、その当日の朝に、自転車のアクシデントで、鎖骨を骨折したが、その骨折したまま、結婚記念日のその日の夜のフェスティバルホールのコンサートに行ったのが、おそらく一生の想い出となる、妙なコンサートだった。

そういえば、今年のフェスティバルホールのキースジャレットのコンサートで、観客の繰り返しの咳払いに対して、キースが演奏を途中で止めてタオルを投げ捨てて、舞台から立ち去ったそうで、プロとして大人げないという批判もあり、それはまったくそのとおりだが、観客の側にも、え、そこで、そんな手拍子をするのぉ…とか、え、そんな声援をそのタイミングで送るのぉ。とおもうような人たちもいて、一年前のコンサートでもそれが度々あって、それは単に私好みでないだけの事で、その上、ドォーンとした肩の痛みもあり、新しいホールの素晴らしい音響にも関わらず、私の内面だけは、しらけたムードになっていた。ライブコンサートというのは、観客と演奏者が一緒に作り上げる音楽のような部分もあって、特に昨今の、音の余韻や静寂のようなものを楽しむキースのピアノでは、観客の聴く姿勢と耳も問われているような気がするのだが・・・・。

骨折した鎖骨がチタンで補強されて一年が経過し、レントゲンで見ると骨はくっついているので、そのチタンを取る手術をする事になったのが、この水曜日の事。全身麻酔をするために、それに先だって指輪を外して下さいというのが火曜日の夜の事だった。自分で石けんを付けて試みたが無理で、そのうち、指輪を外すのは、案外、大事な事なのですよ。と言いながら、リーダー格の看護婦さんが、ローションのようなものを持ってきて、何とか指輪を外そうと、力強く、数回試みてくれたが、無理やわ。と大阪弁で苦笑しながら病室から出て行った。結婚指輪が、こんな大騒ぎになるのかと、妙に可笑しかった。

そうそう、結婚して半年ぐらい以降には、奥方が結婚指輪をはめている姿を見たことないので、指輪は切断してもらっても、ぜんぜんいいですよ!と看護婦さんたちに言い放っていて、奥方も心底その事には、笑いながらOKサインを出していて、この際、これを記念に、新しい指輪を買って!買って!と、ほんとうに喜んだ様子で、看護婦さんは、女性は、だいたいそんなもんですよね。と笑っていた。

手術当日の朝には、主治医がきて、指輪は糸かなにかで簡単に抜く方法がありますので、麻酔の時にやっておきますわ。と言って病室を去っていった。お昼過ぎに手術室に入って、右手の点滴に全身麻酔の液が注入され、麻酔の先生の、液でヒンヤリとするかもしれません。と言う声を聴きながら、自分が「落ちていく様子」をなんとなく眺めているうちに気を失っていて、おそらく2時間ほど後なのだろう、はい終わりましたという声とともに目が覚めた。前回の手術の時のように、とっても幸せな夢は見なかったが、「落ちていく様子」を眺めていた「私」のその時の状態に再び戻って、目が覚めていく様子を眺める「私」こなっていたのが、とってもオモロイ体験だった。「手術は上手くいきましたが、指輪は外れませんでした」と、微妙な意識の状態で言われて、予想外の一連の指輪騒動の結末に、嬉しいような、嬉しくないような、妙な気分が去来しながら、手術のスタッフの方々にお礼のコトバを発した。

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こんなチタンのプレートとチタンのビスが、鎖骨に、このような形で入っていたらしい。確かに、ずっと微妙な違和感があって、こんな量の金属が、永遠に肩に残るのもイヤだなと撤去手術後の今にしておもう。それにしても、木造住宅の耐震補強工事で、柱や梁を金属プレートで補強するのと全く同じではないか!と、本日の「まちのえんがわ」版築プランター製作ワークショップの講師であるイエタニさんと語らっていると、骨は成長するからエエけど、木造の骨組みは、そのままやから、金属プレートを撤去する事でけへんな。っと言われて、なるほどなるほど。

ま、それはそれとして、最後に残された金属問題は、結婚指輪は永遠に左手薬指にはまったままなのか?それとも何時しか切断撤去されるのか?それが大問題なのだ。

投稿者 木村貴一 : 2014年05月18日 23:25 « 「日本」という考え方 | メイン | 巡礼のような。 »


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