2011年02月13日
ラーメン
ベランダで、職人さん達と、ドーナツと缶コーヒーを一緒に飲んだ、そのマンションリフォームの引き渡しがあった。壁は、漆喰ペンキ塗り。床材には、久しぶりに木童の土佐栂を使った。淡いピンク色で、独特の堅さと柔らかさと暖かさがあって、好きな床材のひとつだなぁ・・・・。
それが終わったあと、間口が1間半の長屋の全面リフォームの引き渡しだった。現場監督のツジモトくんが中心となって、設計のカワモトくんと大工のノブヤマくんの意向をうまくとり纏めて、補強工事から細かなディテールまでを調整してくれて、狭小だけれど、心地良いリフォームになった。こういう、現場監督と大工と設計の協働が、工務店の設計施工の良さだと思う。
そんなこんなで、10日の夜遅くに、引き渡しが終わり、会社に戻って、作業をしていると、奥方から電話がある。サトちゃんが来て、飲んで、待ってるでぇ。という。サトちゃんとは、私の妹の旦那の愛称。そのサトちゃんが、50才を越えて、スキーに「はまって」いるのだという。それで、一緒にスキーに行こうよ。というお誘いがあり、そんな訳で、明日の11日の祭日に、岐阜まで、車の日帰りスキーに行くことになっていた。ワタシにしても、「50才越え男二人スキー」のその姿は想像しにくいし、勿論そんな経験は初めて。
家に帰ると、サトちゃんは、ちょっと酔っ払いながら、スキーのビデオを見て、イメージトレーニングをしていた。その様子が、どことなく滑稽だったので、ちょっと、笑ってしまう。一緒に見ろ。というが、それは、丁重に、お断りし、雑談を交えながら、ご飯を食べ、暫くして、明日のスキーの用意をする事にした。
午後10時をまわっていた。明日は4時頃出発だと伝えると、サトチャンは、明日に備えて、寝るわ。と言って、そそくさと、寝床に向かった。普段は9時過ぎに寝るらしい。職業は整形外科医。とにかく、マイペースなのだ。そのマイペースぶりに、夫婦で苦笑しながら、スキーの用意や雑談をしているうちに、午後11時を廻っていた。それにしても、明日の事を考えると、ろそろワタシも寝よ。と、布団に入った、その瞬間に、電話が鳴った。
1年前から入院していた93才になる祖母の様態が、急変したらしい。という、父からの電話だった。急いで、服を着替えて、父と母を車に乗せて、3人で病院に向かう。看護婦さんは、酸素マスクを付けて、調整作業をしているところだった。暫くして、当直医がやってきて、事態を説明してくれた。どうも、突然、熱が出て、肺炎を起こしたらしい。このまま、最悪の事態の可能性もあるが、回復の可能性もあるのだという。一旦は、家に帰ってもらっても良ろしいですよ・・・・・と。
その雰囲気からして、スキーは中止する事にした。その事を、寝息をたてながら眠るサトちゃんを揺り起こし、iphoneのビデで撮影したその様子を見せると、ふらっと体を起こして、危ないかもしれんな・・・・と、呟き、そのまま、また、バタンと眠りこんだ。まるで、ドラマの一場面のようだった。そして、ワタシも寝りにつく。
明くる朝、起きると、大阪には珍しく雪が積もっていた。記憶に残る、2月11日の祝日の朝だった。お昼前、祖母の様態と、スキー中止の知らせを聞いた、妹の家族がやってきて、うちの家族と一緒に病院に見舞いに行く。岐阜のスキー場に一緒にいるはずだった、病院に勤務するサトちゃんが、今は、よその病院で、うちの祖母の様態を見て、首を横に振っていた。いや、ほんと、人生とは不可思議だとおもう。時間を前後して、弟の家族も見舞いに駆けつける。
なぜか、ほんとうに、なぜか、皆で、ラーメンを食べようという事になった。ここから車で数分の高井田の金久右蔵門に行く事にしたが、その途中で、日曜日と祝日が休みなことに気付いた。もはや、すぐ近くまで来ていて、別の場所に行くのには、手遅れだった。とりあえず、前を通過することにする。と、それが、偶然にも、「臨時営業」だった。店内は、いっぱいだが、客待ちはゼロ。そして、その時のツィートがこれ・・・・・
kimutaka1Feb 11, 1:26pm via Echofon
予定外が、いっぱい重なって、金久右衛門で、ラーメン。
そして、その日の夜、祖母は他界した。おいしいおいしいと言って、初めて食べた妹家族にとっての、そのラーメンは、忘れられない味となった事だろう。もちろん私たち家族にとっても。祖母の生前からの願いもあって、家族葬として、12日お通夜、13日告別式として、しめやかに執り行われた。
小学校の6年生まで、なぜか、祖母が、着物を着て、毎回、私の参観に来てくれた。そんな思い出と共に、謹んで「感謝」の意を捧げたいとおもう。
投稿者 木村貴一 : 2011年02月13日 23:13 « 施主力 | メイン | 癒し »