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2016年01月31日
あるある
少し暖かい冬の日曜日。先週はあれだけ寒かったのに。
1月最後の週は、なぜか4回の宴会が折り重なってあり、まず火曜日の夜は、生野区の防火協力会の新年会が上本町シェラトンホテルであって、消防署を中心とした協力会なのだけれど、勿論、親父から受け継いだわけで、おそらく参加者の平均年齢は70歳近いのではないかとおもわれ、私は若い年齢の5本の指に入るのだろう。
祖父が、戦後まもなく協力会が発足した当時から役員をしていたらしく、私が大学生になって、車の免許を取得すると、消防署での役員会に参加するために、運転手のアルバイトとして、「おい、おまえ、今日、時間あるんやったら、運転手せぇや!」と言われて、何度か消防署の駐車場で1時間以上待った記憶があり、きっとそんなのが、潜在意識のどこかに定着してあったのだろう、役員のあとを引き継いでもらえませんか?と頼まれると、拒否する気が起こらなく、恩とか借りを返すぐらいの印象になっている私がいて、「潜在意識」とか「縁」とかは、不思議なもんだなぁ....とおもう。
宴席では、いろいろな方々から、親父の話が出てきて、大概が、「お父さんは大酒飲みで、いつも、かなりのお酒を飲んで、いろいろとご指導ご鞭撻受けて楽しかったですわ」っていう話で、その度に、「最近、親父に似てきたといわれるコトがよくあるのですが、わたしは、酒は省エネで、親父の5分の1ぐらいで、酒飲みのDNAを全然引き継いでませんわ!」と答えるのが、よく「あるある」だった。
水曜日の夜は、うちの家の木村家リフォーム工事のキックオフミィーテイングと称した打ち合わせ会を開いて、いつかのブログに少し書いたが、お客様の現場を中心に廻っている職人さんが、空いてきた時に、木村家のリフォームにやってくるので、工事がまったく進まず、「まるでスペインのサクラダファミリアのように何時竣工するのか解りませんね!」とコメントしたのが木製建具製作のカワバタさんで、そんなコトもあって、関係業者や大工さんなど20人ほどが集まって、リフォームの趣旨と工程を説明する会で、うちの奥方も参加しながら、「あんまり同居が長すぎて、せっかく嫁と姑の仲が良いのに、もし悪くなったら、皆さんが、早く仕事してくれなかったせいですから(笑)!」なんていう、はっぱをかけたシーンもあり、業者紹介と家族の経緯の紹介を兼ねたようなミーティングだった。
打ち合わせの後、加工BARで、とんちゃんと奥方の手作りお総菜による社員を含めた懇親会を開いて、これが、メインのようなものなんだけれど、いやそれが、聞くところによると、稲盛さんの京セラには、本社の12階に100畳の座敷があって、そこでコンパという名の宴会を開くそうで、確かに一緒に食べて飲むことは、なによりもの人と人の潤滑油になって、コミュニケーションをスムーズにさせるとおもうのだけれど、特に、今回のようにリフォーム工事というような、ひとつのテーマがある時の方が、コミュニケーションが盛り上がったりするのだろう。うちの会社の中に、京セラさんのように大きな畳の間は造れないので、加工場を活用しながら立ち飲み加工barとして時々利用していて、居酒屋ではなく、会社の中でする宴会は、独特のリラックス感と気取りのなさがあって、コミュニケーションの質も変化するのだろう。
それで、いまの寝室から別の場所をリフォームして寝室にする予定で、必然的にクローゼットも移動するわけで、それに伴い、収納アドバイザーでもあり、「まちのえんがわ」ワークショップの講師をして頂いている金城貞美さんに、アドバイスしてもらうコトを奥方が私に提案して、そんなわけで、昨年、うちの家に来てワードローブを見てもらうと、高校生の時のシャツとかもまだあり、「シヤチョウ!全然アキマセンわ!もっと捨てなアキマセン!ビシビシやりますから!」といわれる始末で、新しい収納が出来る時に、どうなってしまうのか、一抹の不安があって、そんな話を、加工barのカウンターで、材木屋さんの岡房商店のシンチャンと、大工のノブヤマくんと、3人でしていると、カウンター越しには奥方が立っていて、その二人が二人とも、「シャチョウわかりますわ!俺も普段はいつも決まった服を2,3着だけしか着ぃひんのに、ごくたまに、あの古い服を着たいわ!という時があって、それが大概、どこにあるか、わからんようになっていて、奥さんに聞くと、知らんわ!とか自分でちゃんと管理しいや!とか言われて、大喧嘩になるんですわ!」と3人同時に、それ「あるある」やね。と言いながら、おっさん3人は大笑いして、自分だけでなかったコトに安心するのだけれど、その話を聞いているカウンターの向こうにbarのママにように立つ奥方は、3人に呆れかえっているという構図だった。
金曜日の夜は、大阪に、なぐりという栗材の専門店の橘商店があって、そのタチバナくんの知り合いを中心とした、工務店と建築家7人ほどで、飲んだり食べたりしながら、あれやこれやと建築談義をする会があり、本町のべにくらげというタチバナくんが納材した栗材のカウンターのお店で、美味しい料理と日本酒を飲みながらのこぢんまりした会だったが、今回は断熱気密の話で盛り上がり、気密の必要性の議論があって、その隙間風の問題点の体感的な例として、私が、「サウナに入った後の水風呂に入った時に、長らく浸かっていると、自分の体まわりに接する水だけが、なんとなく暖かくなってきて、それが気持ち良かったりして、なのに大概、誰かが、その水風呂に入ってきて、水の流れが起こって、冷たい水が、体に押し寄せてきて、折角の体まわりの、暖まった水が、どこかに流されて、わっ!冷たっ!、静かに入れよ!っておもうコトない?! 」と語ると、それ「あるある」やわ!という何人かの共有体験があったりし、たしかに、最近の家造りのテーマのひとつに、家の微妙な隙間風をどう少なくするかがテーマだったりする。
土曜日の夜は町会の役員の懇親会で、そういえば、これも親父から引き継いだのだが、地元のお寿司屋さんの寿司武さんで催された宴会で、あっ、なんか、何個かの「あるある」があったのに思い出せない...。なんていう、思い出せないコトというのが、とってもよく「あるある」なんだけれど、ま、いずれにしても、お互いに「共感しあう」というコトが、コミュニケーションや暮らしにとっても、大切なコトなんだろう....。
2016年01月24日
tradition
寒い!とにかく寒い日曜日。そんな寒波の晴れ間のなかで、お宮参りがあり、いやぁ、こんなこと、このブログに書くなんて、考えたこともなかったが、きっと、長男家族と同居しているコトが原因なはずで、そのマゴが同居家族の主役の座を射止めることになり、「それ」中心に家族が動き出すなんて、想定外で、いや、もちろん、厭な訳ではないが、ただただ、さまざまな「tradition」の流れに身を任すばかりで、私の息子のお宮参りの写真を取り出してきて、母や父や祖母がどんなコトをしていたのかを想い返し、感謝のおもいとともに、日本的な「しきたり」を子供たちに伝える順番が巡ってきた。
お宮参りのような、父親の母が着物を着て羽織を稚児に着せて祖母が孫を抱いて神社にお参りに行くという日本的風習は、全国共通だとおもっていたが、東北福島県出身の長男の奥さんのご両親から、私たちの地域では、お宮参りは簡単に神社に行くだけで、50日祝いといって親族が集まって大宴会を催すのが「tradition」だと知り、会津喜多方地方の風習に従った、祝いの人形が送られてきたりして、初めて「tradition」の違いに目覚めるコトになったわけで、大晦日におせちを食べる風習といい、こうなれば、関西と東北が融合した「tradition」ができないものかとおもうものの、大晦日の忙しい時に、まだおせち作ってるし、ゆっくりおせち食べてる余裕なんかあれへんわ!みたいな商人気質のようなものが、大阪にはありそうだし、きっと50日目に親族に集合かけて祝いをするでぇ!と言っても、なんで集まるのぉ!みたいな気持ちが何人かに芽生えて、小宴になりそうで、そんなのが、代々受け継いで慣行されている「しきたり」の持つ重みのようなものなんだろう。
そういえば、うちの奥方は母親から受け継いだ着物を着ることを楽しみにしていて、参拝が終了し、記念写真を撮るカメラマンに、まず初めに、子供さんを抱いた二人だけの写真を撮影しますからぁ!と言われて、かなりの寒波のなかで、薄ピンクの着物姿で羽織を着た稚児を抱く写真を撮ってもらって、きっと舞い上がったのだろうが、あれぇ、私が主役なの?とのたまう始末で、いや、主役は着物姿のあ・な・たではなく、抱きかかえている「マゴ」ですからぁ!とツッコミを入れなければならなかった。
そうそう、稚児の額の第三の眼あたりに男子なら「大」女子なら「小」と朱印で書くのが日本的な「tradition」だと思っていたら、それは畿内だけの風習なのだと知ったのが、お宮参りをした清見原神社宮司さんの丁寧な説明によるもので、その冊子には、「………… 初宮詣を以て社会の一員として承認を受けるおひろめの意味があるのです。また朱で書くのは、生後一ヶ月ぐらいより、聴覚が発達し音に敏感になるため、額に朱をつけることによって音からの恐怖感を鎮める役割を果たすといわれてます。初宮詣での折、神前で鈴を振って頂くのも、神さまの恩頼(神のお力)を頂き聴覚の発達をより情緒的に生育することを願ったものです。………」陰陽道の風習が息づいているらしい。
一年に三ヶ月ほど建築学科の大学生と接する機会があり、それがここ6年ほど続いていて、日本の木造建築の「tradition」のようなものを3ヶ月間でサラリと学ぶ授業を通じて、「ものづくり」の感覚にも触れるのだけれど、建築というものが「ものづくり」のひとつで、現場でリアルなモノとしての建築を造るためのアイデアであり図面でもあるのだという意識を持ってもらうことが工務店に身を置く私の役目のようなもので、今週の火曜日に建築学科の大学生のプレゼンを見ていた時に、どれもがそれなりにビジュアル的に良く出来た美しいプレゼン図面で、感心するものの、なんだか現実にその場所にこんな建築を造ってみたいのだぁ!という「ものづくり」感が希薄で、勿論それは、社会に出てから学ぶ一番のコトかもしれないが、それでも「モノを造るというリアルな感覚を知るための授業」というのが、小学生ぐらいからもっとあっても良さそうにおもえたりしたのが、今週の「出来事」でもあった。
ま、「しきたり」とか「歴史」から学ぶべきものが、まだまだ沢山ありそうだと、あらめておもえた週だったけれど、それにしても「tradition」に縛られすぎるのもイヤだね。なんて、「寒波」がこんな気分にさせた日曜日の夜だった……。
2016年01月16日
嬉しかったコト。
ダック電子堂という小さなスピーカーメーカーが東大阪の西堤にあって、30年前の結婚を機にリフォームをした時に、そこのスピーカーを買った。勿論、JBLに憧れていて、JBL4312から4344へという王道なども思い描いたりしていたし、ミナミのバンビにあった、パラゴンやオリンパスのデザインにも憧れていたので、安藤忠雄さんの六甲の集合住宅の最上階にあるアールの擁壁を見たときには真っ先にパラゴンのデザインを思い浮かべたりしたものだった。それにアルテックA7など置けるスペースも鳴らす自信もなく、タンノイのクラシカルなデザインもエエが、JAZZやロックからすればちょっと違うし、そうそう価格の問題が大きくあって、ダックのマリーサCの20万円台でこの音ならまぁ充分楽しめそうで、なによりも工務店という立ち位置を考慮すると、超有名ハウスメーカー的なJBLを楽しむより、手作り感満載の工務店的小さなスピーカーメーカーに共感するのも良さそうに思えた。
ところが、リフォームの設計段階でスピーカーの位置を考慮する事もなく、ろくにスピーカーのセッティングもせず、アンプもCDもレコードプレーヤも持ち合わせのものを使っていたので、そこそこに音が鳴る程度で、これが良かったのか悪かったのか中途半端な音で何となく楽しんでいる状態が続いた。それから15年後に再びリフォームをする機会が巡ってきて、今度こそは、スピーカーの設置する位置と、その音響も考慮して、床の無垢の栂フローリングとその下の断熱材。壁の板張りと珪藻土の組み合わせ、天井の布張りと断熱材など、住宅としての機能やデザイン性だけでなく、音響としての役割も担ってもらおうと意図して、素材感による居心地の良さと音響の心地良さの共存を図ろうと試みた。
それで、今度こそは新しくJBLを購入しようかと思ったが、まず手持ちのこのスピーカーをきっちりと鳴るようにするのが、コストパワーマンスを考慮しても良さそうで、リフォーム的な感覚としても、ダック電子堂の真空管アンプを買って組み合わせることにした。そうすると部屋の音響とも相まって、劇的に音が良くなって、今まで聴こえていなかった音が聴けるようになり、ビルエバンスのワルツフォーデビーでは、こんな音が入っていたんや...などと、「音楽」だけでなく「音」も楽しめるようになった。それで、スピーカーを縦に置いたり横向きに置いたり、中央に置いたり、壁際に置いたり、いろいろ試しているうちに、横向きにスピーカーを置いて、台座を無垢の梁材にして、スピーカとの間に新聞紙を敷いて、少しだけ上向きにし、中央に寄せるより壁際の方が良かたりと、スピーカー設置の基本とは全く違うセッティングになったが、自分にとって心地よく聴こえる位置を見いだしたりするのが、楽しい作業と遊びで、ま、そんなのが、リフォーム的感覚なんだろう。
ところが、部屋が反響を押さえた設計だったので、高音が響かず、それにもともとマリーサCはそういう中音域が豊かなスピーカーで高音が出にくいスピーカーだったのだろう、ドラムのトニーウィリアムスやエルビンジョーンズのシンバルでどこの位置をどれぐらいの力で叩いているかを聴きたいわけで、ブラシがドラムをどんな感じで回転しているのか、その様子も想像できて欲しいしのに、そんなのがいまいちで、マイルスのインザスカイから始まったインアサイレントウエイ以降の電子楽器が多用されるCDになると高音は全然ダメで、それにベースがロンカーターからデイブホランドに変わったそのエレクトリックベースの良さもエエ音として響かなかった。
ある日、奥方が、ケーブルテレビのJcomを導入するといい出して、きっと韓流ドラマを見たかったのが本心なんだろうが、そういや最近判明したことだけれど、韓流ドラマ専用チャンネルにお金を払っているらしい(笑)。ところが、その機器がパナソニック製のDVD付きで、それと真空管アンプをつなげて、何気なくCDを挿入すると、テレビのスピーカーと真空管を通したマリーサCのスピーカーの両方から音がなって、中音域をダックのスピーカーが担い、高音域をソニーの液晶テレビのスピーカーが補ってくれて、劇的に「音」がカイゼンされて、シンバルもベースも響くようになり、ロックも鳴るようになった。勿論、上には上があり、輪郭のはっきりしない高音と低音なのだけれど、それでも充分に楽しんで聴ける「音」になった。こういうのが、いわゆる「邪道」という部類に属する手法なのだろうが、それでも建築なら堂々とその良さを語るかもしれないが、音響に関しては、中途半端なマニアなので、こんな場で語るすべもなく、一緒に聴くひとにそれとなく語る程度だった。CDを聴くためには、いちいちテレビを付けて、真空管アンプを付けてと、ちょっと面倒くさいダブルスタンダードなのだけれど、「音」の良さには抗しがたく、それにしても奥方と韓流ドラマとケーブルテレビがこんな「発見」を促してくれた....。
さて、長男夫婦との同居がはじまって、もう少しだけ離れてお互いのリビングダイニングスペースをそれぞれ確保しながら暮らせるようなリフォームを計画中で、やっぱり、夫婦二人のリビングダイニングの「音」をどうするかを検討する切迫感のようなものが押し寄せてきて、それで、昼から、久しぶりに東大阪のダック電子堂まで自転車で出かけて相談することにした。30年前にスピーカーを買ったときは親父さんから買って、代が変わって、15年前にその息子さんから真空管アンプを買い、その時以来で、こんなのが、個人商店の設計施工のスピーカー屋さんの良さなのだろが、2時間以上も一緒に「音楽」と「音」を聴きながらあれこれと話がはずんだ。
何よりも、マリーサCの高音をカイゼンしたノラボンバーという製品を発売したのが昨年の5月のコトらしく、やっぱり高音を何とかしたいと試行錯誤していたのを知って、その音が、テレビと真空管アンプとスピーカーで鳴らす「邪道的」な音を、「王道」的な技術とユニットで音質を向上した製品になっていたのが嬉しかったコトで、いま手持ちのマリーサCの箱をそのまま使って中身を新しいユニットに入れ替える「リメーク」をしてくれるらしく、それはいわば、今の建物の外観はそのままにリフォームして、耐震性能と気密断熱性能を向上させて、快適さを向上させるリフォームに等しい発想だった。
もともとスピーカーごと、リビングを長男に譲るつもりだったので、今回の母屋のリフォーム予定のリビングはスピーカー中心のセッティングをする間取りにはならず、それで、液晶テレビの下にブックシェルフ型のレリダという最近出来た小さなスピーカと真空管アンプを設置しようと考えていて、その試聴のために訪れるのが目的だった。ところが、偶然にも、うちと同じようにテレビの音とそのレリダを一緒に鳴らすセッティングになっていて、今までやってきた音のセッティングが、そんな間違ったコトでなかったんだと解ったのが、とっても「嬉しかったコト」だった・・・・。
そうそう、土曜日は恒例の「お餅つき」をして、今年は長男の奥さんの実家の東北福島から餅米を取り寄せて、それがとっても良いお米で、漫画のようにお餅が伸びる餅で、とっても美味しかったが、なによりも、沢山のOB施主の方々や、「まちのえんがわ」を通じたお客さんにお越し頂いて、そんなのがとっても「嬉しかったコト」でした。感謝です。
2016年01月10日
潤い
お正月休みの期間にスキーに行くのが何十年間かの恒例だったが、次男が大学受験を迎えた昨年から行かなくなり、今年は同居している長男の子供の誕生で、家の主役が一気にその赤ちゃんになってしまい、時にはその赤ちゃんを抱きかかえてあやす順番が回ってくることもあり、あれっ、なんか、ちょっとちゃうなぁ…と、自分の「いまここ」を不思議におもっている「私」を眺めながら、「寝て食べて赤ちゃん」という私にしては妙なお正月を過ごした。
1日の朝に家族でおとそ。その後、清見原神社に初詣。その夜に奥さんの実家で親戚が集まって鍋。2日からスキーに行って5日に帰ってきて6日に初出。のルーティンがなくなってしまったので、2日もテレビかインターネット見ながらうとうとと寝たりしているうちに、なんとなく夜がやってきて、鍋して飲んで寝る。3日も全く同じような一日。流石に夜は鍋やめてステーキでも食べたっけ。そんなこんなで、赤ちゃんが主役になって、ずっと家で食事を作って、時には赤ちゃんの面倒もみていた奥方の表情のあちらこちらに微妙な疲れの兆候があり、それに、年末年始にかけて、長男と1週間近く一日中顔を見ながら3食を共にした経験は10年以上前の高校生の事で、だんだんお互いをかさ高くむさ苦しく感じだしていて、微妙な不機嫌が勃発する寸前の兆候もあり、それで、夫婦二人で、有馬温泉に行くことにして、4日の昼すぎから出かけて温泉に浸かって一泊。5日には、三田アウトレットモールに引き連れられて、お正月の初売り初買いの一日。そういや、いままで一度も、お正月の初売りバーゲンに行ったことがなかった。
考えて見れば、お正月は、笑いのエネルギーを受けとって大笑いをして感情的エネルギーを解放させるとか、スキーでもして肉体的エネルギーを解放させるとか、バーゲンにでも出かけてお金のエネルギーを解放させるとか、お酒飲んで気持ちを解放させるとか、そんなエネルギーの解放と、初詣の祈願の組み合わせが、それぞれをオープンハートにしてくれて、そんなのが潤滑油のようになりながら、家族の人間関係とそのコミュニケーションに潤いを与えてくれているのだろう...。
6日は初出で、朝から会議室に集まって、社員それぞれが年頭所感を述べて、皆で一緒に清見原神社に参拝したあと、協力業者が集まって新年会をするのが、木村工務店新年ルーティーンで、75人ほどの「ものづくりの仲間たち」と一緒に、私が述べる年頭所感が、ひとつのテーマとなりながら、飲んで食べて大笑いをしてエネルギーを解放させることで、会社のエンジンが始動して、コミュニケーションの潤滑油としてもお互いの人間関係に潤いを与えてくれるのだろう...。その日は、昨年親父から引き継いだ生野区の新年互礼会が夜にあって、新年会ダブルヘッダーは、新年早々にしては少々ハードだったが、夜8時過ぎに会社に戻ると、会社の新年会の2次会が延々と会社の加工barで続いていて、その残党たちと共に、夜の10時まであーでもないこーでもないと何度も会話が盛り上がった初出の夜だった。それにしても潤滑油が多すぎて油がぎとぎとになっている機械の状態になるのも考えもんですなぁ....。
で、日曜日の今朝。お正月休暇中に、肉体的な負荷をまったくかけなかったからだろうが、朝の6時前に目が覚めて、自転車に乗ろうぜ!という内的な声がして、でも外はまだ暗闇で、それに暖冬とはいえ、冬は冬なので、寒いしなぁ...という内面的葛藤があり、そんなのと布団の中で戯れながらうとうとしているうちに、あるタイミングで布団をはねのける行動が唐突に湧いてきて、それで寝間着から、自転車の服に着替えながら、ちょっとずつ心の準備が整ってきた。そうそうネクタイにしろ、作業着にしろ、スポーツ着にしろ、服装って不思議だなぁ...。自転車のタイヤに空気を入れて、ヘルメット被って、外に出て、白々してきた生駒山に向かってペダルを回しているうちにようやく喜びのようなものが湧いてきて、ハァハァいいながら登った十三峠の駐車場で休憩しながら、大阪平野を眺める「いまここ」の「私」の姿が今年最初の肉体的エネルギーの解放だった。
ちなみに、自転車で帰ってきたあと、スーパー銭湯にいって、サウナに入るのが楽しみのひとで、そんなの一年に数回ぐらいしかできないが、今日はそんな日で、いつか北欧の湖の縁に建つサウナ小屋に入って、その湖で泳ぐという夢を想像しながら、サウナと水風呂で寛いだ。そんなこんなで、今日は10日戎の日曜日でもあって、布施の戎っさんで、商売繁盛を願って、さてようやく、この連休明けから本格的に仕事が始まりまっせ!っというお正月気分を完全切り替える連休なんだろう....。
2016年01月03日
流れるままに
年末年始のルーティーンというのがあって、1月30日に黒門市場で、鯛や河豚やお造りや、なんだかんだ食材を買って、1月31日にも鶴橋市場でも、あれこれ買い足して、お昼に市場でお寿司でも食べたりして、夜は年越しそばでも食べながら、紅白からの行く年来る年を見て、新年を迎え、朝から座敷でおとそをしてから、地元の清見原神社に初詣に行くのが、ここ何年間かのルーティーンなのだけれど、そのそれぞれの中に微妙な変化があって、そんなのが時代の変化と流れなのだろう。
暮れの黑門は、大阪のおばちゃんとおっちゃんが食材求めて、あわただしく歩いている市場だったが、昨年あたりからアジアからの観光客の若者や家族連れが増えてきて、ひとがいっぱいで、今年は半分以上が観光客のような感じで、それに伴い、立ち食いが出来るお店が急に増えて、wifiも繋がる休憩所もあり、食べながら歩く活気ある市場なムードに変化してきて、意外なところに観光客らしき行列が出来て、「商売」ってオモロイなぁとおもう。
お正月は、朝から、母屋の座敷で、おとそをするのが習わしなのだけれど、母屋はリフォーム中で、内部解体が終わった程度の工事現場の中に座敷だけがそのままポツンと残っていて、それでも、こんな理由で、一年にお正月の一度しか使わない座敷でのおとそを途切れさす訳にもいかず、座敷から一歩外に出れば工事現場というちょっとシュールなシチュエーションの中だけれど、座敷でおとそをすることにした。昨年は親子2世代4人だけのおとそに長男の同級生が飛び入り参加した5人だったが、今年は、長男の奥さんと生まれて15日目の赤ちゃんが加わった親子3世代6人のおとそになり、新たな家族が増えて、そんなのを座敷の床の間が見守り続けているのだろう....。
祖父や祖母と共に歩いた黑門市場も私がお金を出して歩く順番が巡ってきて、床の間の前の席も祖父から父に移り昨年からは私が座る順番になって、ましてや孫という存在が、目の前に長男の奥さんに抱きかかえられて眠る姿を見る事になるというのは、想像もしていなかった出来事で、そうそう、心斎橋の大丸が昨年暮れで閉店したそうで、祖父は大丸が好きで、大丸の吉兆でよくお昼ご飯を食べていたが、小学生になると、月に一度、大丸のおもちゃ売り場に連れていってくれて、自分でおもちゃを選ぶのを一言も口を出さず長い時間じっと待って、買ってくれた。そんななかで、モノを見る眼とか迷いとか決断とか失敗とか後悔とか満足とか飽きることとかを学んだのだと思う。で、私もその恩を孫という存在に返したいが、その「舞台」だったレトロな大丸がなくなり、おもちゃというモノの時代性も大きく変化し、ま、そんなのが時代の流れというものなんだろう。
それはそれとして、木村工務店も、過去のご不満を真摯に受け止めながら、時代の流れと共に変化しつつも、変わらぬ何かも持ち続けたいと、そんな事を願うお正月でした。皆さん、あけましておめでとうございます。本年も木村工務店ともどもこのブログもご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。
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