2017年02月19日
お陰様で60年の精親会
初午祭という豊作を祈る稲荷祭りがあり、企業で云えば、沢山のお客さんに恵まれますことを、お祈りするお祭りになるのだろう。このお祭りを協力会社の職人さんと一緒に催すことになったのが、いつ頃なのかは、定かでないが、この協力会社の精親会という集まりを組織したのが、1957年の2月で、今里新地のおそめという料亭で、開催したのが、第一回だ、という記録だけは残っていて、今年の、この2月で、丁度、60年間の歴史になる。
工務店というものづくりは、自社だけで完結することは、ほぼ不可能で、木村工務店は、設計担当や現場監督や大工さんや手伝いさんを自社で組織しているが、例えば、板金屋さんとか、電気屋さんとか、サッシュ屋さんとか、タイル屋さんとか、左官屋さんは、いわゆる外注をするわけで、そういう意味では、外注の職人さんを含めて、ものづくりのチームとして、建築を造るのが、フツウでもある。
社員でない、外注の職人さんを含めて、現場で、施主のために、エエ家づくりを努力する、そんな当たり前の共有意識を持つことは、簡単なようで、なかなかムツカシく、木村工務店の創業は1937年8月で、それから20年を経てから、そういう、ものづくりのチームを組織し、ものづくりの仲間意識を共有する必要性に、創業者の木村精一が気付いたのだろう。ちなみに、精親会の精は精一の精である。
祖父であり、創業者である、私のおじいちゃんが、84歳で亡くなる半年ほど前に、「おい、タカイチ、わしが、長年、仕事で世話になった、職人さんの親方を集めてこい、一緒に寿司食べて、感謝したいねん」といわれて、十数人に電話連絡し、ミナミのお寿司屋さんで、一席を設けた記憶は鮮明で、今にして想えば、外注の職人さんのお陰で、建築が造れているコト、職人さんを大切にするコトを、私に伝えたかったのかもしれない。
2代目の私の父、正一は、酒の席が大好きで、初午祭を、神事と組み合わせた、職人さんと一緒に、お酒を飲む、宴会の場として、発展させて、職人さんと気軽にお酒を飲んで、ウダウダいう楽しさと、コミュニケーションの必要性を、私に伝えてくれたのだとおもう。お稲荷さんが、会社に祭ってあるので、そこで、神事をし、別の宴会場に行くのではなく、会社で飲み、食事は、木村家で、おでんを大量に作る習わしになって、そういうスタイルを作り上げたのが、2代目、正一だった。
3代目の私、貴一の時代になり、そういう業者の協力会のような組織が、癒着の温床や、コストダウンできない、元凶であるという、考え方もあったが、紆余曲折を経て、継続し、神事を大切にしながら、加工場に、その時だけの、カウンターやテーブルを作って、社員が、職人さんを、おもてなしする場として進展した。もちろん、伝統のおでんを、うちの奥方が、しっかりと引き継いで、提供しながら、元社員であり、施主でもある、ミカワさんのお父さんの鶏屋さんから、大量に焼き鳥を購入したり、今年は、昨年リフォーム工事をした、ほたる食堂のほたるちゃんが、お洒落なアテを沢山作ってくれたりと、時代の変化を取り入れながら、継続している。
ITという時代になり、加工場に、プロジェクターを取り付けて、パワーポイントによる、プレゼンテーションをするのが、神事の次に、私の大切な役目になってきて、そういう意味では、飲んで食べるコミュニケーションだけではない、新しいコミュニケーションの手法が、ものづくりのチームとしての、共有意識を持つことの、助けになっている、と信じたいところだが、なによりも、沢山のお客さんに恵まれますことを、皆で、一緒に、祈る、そういうキモチが、お客さんを生む現場に繋がるのであれば、なおのこと、ウレシイ.....と願った、お陰様で60年の精親会初午祭だった。
投稿者 木村貴一 : 2017年02月19日 23:59 « 菜の花と盗難と行灯 | メイン | 祝日の天気予報。 »