2010年10月24日

ポートレイト・イン・ジャズ

我が家に、自分で買ったわけではない、それでいて、かなりセレクトされた本が並んでいるのは、とっても、心地良い経験で、流行りの旅館やホテルにある図書室が、家の中に突然出現したようなもので、そういえば、お盆に宿泊した、小布施の桝一客殿にも、感じのいい図書室があって、そこで、暫し寛いだ、あの時間感覚を思い出した。

DSC00496 grafの椅子に座り、オットマンに足を伸ばすと、その足の先に、村上春樹と和田誠による「ポートレイトインジャズ」という本が面陳されてあり、それを手に取る。土曜日の木村家本舗が終わり、静かな時間がやってきて、その静けさが、grafの椅子に向かわせたのだとおもう。

おそらく、家で、もっとも回数多く聴いているのは、ビルエバンストリオで、特にベースのスコットラファエロと演奏している一連のアルバムは、バックミュージックとして流しても心地良いが、腰を落ち着けて聴くと、その3人の、特に、エバンスとラファエロの間の静けさと激しさが同居したやりとりには、いつも感動させられ、ニヤニヤしながら聴く。その姿を異様だと、奥方は感じているようだけれど、触れないで、そっとしてくれている。

「ポートレイト・イン・ジャズ」を読みだす。こんな事を、書くのは、おこがましいが、流石に、文章が上手いな。とあらためて、感心する。絵と文章が一体化しているのが、独特の雰囲気を醸し出している本で、何でも、和田誠が描いたジャズミュージシャンを見て、村上春樹が文章を書いたとある。個人的には、村上春樹=風の歌を聴け で、それは、単に、学生時代に、初版を買って読み、エエね。と思えた、その同時代性が残っているからだろう。それに、建築に携わり、風を取り込みたいと考えている昨今は、時として、このタイトルを思い出すのだった。

聴いたことがないミュージシャンも何人かいて、あっそうなのぉ。なんて言う、個人的にノリの悪い章もあるが、ミンガスやエバンスやキャノンボールやマイルスやドルフィーの章では、そうそう、そうなんやなぁ・・・。なんて言うノリ。特に、キャノンボールとドルフィーに感じていた感覚は、ほとんど同じだったので、ニヤニヤする。それに、あとがきにあった、「コルトレーンとロリンズが入っていないのが、この本のかっこいいところだと思って下さい。」なんていう終わり方に、同じような事を感じているジャズファンの心理をついた、うまい終わり方だな。と、へんに感心した。

その横には、平岡正明の「ウィ・ウォント・マイルス」や「ジャズ的」や「ジャズ・フィーリング」があって、本屋さんで立ち読みをしたことはあったが、いわゆる、座って読んだことはないので、この際、この特権を行使して、パラパラとめくりながら、読みだす。が、意外に、難解。まぁ、エエ。、ざーっと目を通す事にした。

中山康樹の「マイルスを聴け!!」もすぐ横に並んでいる。端から端まで、目でなぞりながら、「カインドオブブルーとインアサイレントウェイは、他の流れに属さない完結したスタイルを持っているのだ。」という言葉に目が止まり、全く同じ感覚を持っていたので、頷いたりする・・・・・。

北中正和の「サッド・カフェでコーヒーを」が数冊横に並んでいて、ロック地図とサブタイトルがあり、確かに、ジャズよりもこの当時のロックの方が、私の二十歳前後の事を思い起こさせて、より同時代的でもあり、当時の心の地図まで、蘇る。その他、ローリングストーン誌の名盤ディスクガイド500とかを読む・・・・・。

音楽本をこれだけ買って読むなんていう状況は、いまの「私」のライフスタイルからは想像出来にくい。おそらく、こんな私的な図書室のような状況と、コトバノイエのカトウさんのセレクトと、考え抜かれた設置場所があって、はじめて、これらの音楽本を手に取って読むことが出来たのだろう。ささやかな贅沢を感じたね・・・・・。thanks

投稿者 木村貴一 : 2010年10月24日 23:20 « 集う・繫がる・広がる | メイン | 新たなコミュニケーションとくつろぎ »


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