2008年09月28日
道
今日は、午前午後と子供の運動会があって、夕方に土地探しの相談があって、 夜にお通夜があって・・・・・・・と。不思議な一日だった。
もう20年以上もの間、私が工務店に就職してから、ずっと、その大きなお宅のメンテナンスや、
お持ちの借家などの改修工事をさせていただいていた。そのご主人がお亡くなりになった。私の現場監督としての一部分は、そのお客様によって、
育てて頂いたのだとおもう。
89才で亡くなる4ヶ月前まで、ゴルフをし、囲碁をし、そして、癌の治療をせず、自然な形で、死を迎えたのだという。自宅の寝室で、 孫さんを含む多くの家族に見守られて、息をひきとった・・・・・と。
ほんの3ヶ月ほど前に、長年使っていた効率の悪いセントラルヒーティングを個別のクーラーに変更し、 庭にあった巨大なクーリングタワーと巨大な室外機を撤去し、その後に芝生を敷き詰めた。それがここ数年の懸案事項でもあった。
通夜は自宅で、しめやかに行われた。その広い庭の芝生の上にテントが建てられ、参列者の待合いとなった。 数寄屋ふうの二間続きの座敷が祭壇になった。庭からその祭壇を拝んだ。ご主人と意見を交わしながら、その座敷の雰囲気を保つために、 クーラーの取り付け方を工夫したのは、確か6月の頃ではなかったのか・・・・。
と、巨大な室外機を撤去した事で、その跡に建てることが出来たテントの中に座りながら、そして、いつもその庭を守っている、 まっ白なハスキー犬が、いつものようにその庭にすわって、時折、寂しそうに吠えている声が庭に響いている声を聴きつつ、 さまざまな因果関係をおもうとともに、「死に方」という、言葉が、脳裏を去来し続けた。そして、今まで歩んできた「道」。
昼間にあった運動会を見ていると、自分の子供時代はどうだったのかと、時として振り返る。今までの、そしてこれからの「生き方」 という言葉が、一瞬だけ、脳裏をかすめた。
いま、その運動会を思いかえしてみると、何となく、爆発的な元気が感じならない、いまの子供達の姿は、 今の大人社会の写しでもあるのか・・・・・。子供達とともに、これからどんな「道」を歩めばよいのだろうか・・・・。と、 考えてみるのだった。
でも、まぁ、やっぱり、運動会のその場では、単に、子供の姿とその写真を撮ることに夢中だったな。
夕方に訪問があった土地探しのご相談は、今、うちで関わっている多くの方々と同じく、新しい土地を取得して、新しい家を建てる。 中古住宅を購入して、新築を超えるリフォームをする。今住んでいる家を劇的にリフォームする。
というさまざまな選択は、今という時代にあっては、日本経済の行方。スクラップアンドビルドという環境問題。コストパフォーマンス。
自分の感覚にあった心地良い家。車をどうするのか。家族。「縁」という物件との出会い。などなど、微妙に、そして、複雑に絡み合い、
行く先がはっきりと見えるような「道」ではないよなぁ・・・・と、「道」という言葉が脳裏に閃く。
そうか、きっと、「道」という言葉が潜在していたのは、先日、山道を歩きながら撮った「道」の写真が、どことなく、「人生の道」 として、ひっかかっていたからだなぁ・・・。
でも、どの道も、それなりに意識して歩めば、素敵な道となるようにおもうのだが・・・・・。
投稿者 木村貴一 : 2008年09月28日 23:21 « 光と影 | メイン | 雨だ。 »