2017年01月01日
酉年2017年1月1日日曜日。
新年明けましておめでとうございます。
12月28日に、会社の大掃除を、社員と大工さんと手伝いさん皆で一緒にやりきったあと、打ち上げの乾杯の音頭をとり、大きく長いテーブルを一緒に囲いながら寿司を食べ酒を酌み交わし和むうちに、徐々に年末の気分になってくるわけで、最後の一本締めの音頭をとって、よ~ぉ、パン、と一緒に響く柏手の音で、今年一年を閉めると、ようやく開放感のようなものが訪れて、そんな、つかの間の開放感が年末の魅力なんだろう。
12月29日は、家庭の大掃除で、会社ほど一生懸命掃除をする気になれない、居直り型ダメ夫の立ち位置を望みつつ、なんとなく奥方のご機嫌のお伺いを立て、それなりの掃除をすると、もぉエエわ!、これぐらいで勘弁しといたるわ!的お許しを得て、ようやくプライベートな休み感が一挙に押し寄せて、開放感に浸りながら音楽を聴き本を読み出すと、主婦は31日の夜遅くまで、ず~と、一年中シゴトですからね。みたいな呟きが、音楽と同時に聞こえてきて、こうなったら、感謝以外に残された道はなく、ゴクロウサマ、アリガトウ!を年末大売り出しのごとく連呼する29日。
12月30日は、休み気分満々で、早朝から自転車に乗って、葡萄坂あがって、朝護孫子寺にお参りして、堅上から大和川をぐるっと回って家に帰りついてからお風呂に入ってすぐに、奥方と一緒に黑門市場へ向かう。朝から何も食べずに走っていたので、お腹がぺこぺこで、真っ先に、喫茶「おいで」の玉子サンドを食べに入った。同じような年代のカップルの女性が、玉子サンドを食べて、幸せやわ!幸せやわ!といって店にお礼を言いながら帰って行くお客さんの姿をみて、こんな感謝される商売をせなアカンよなっ。と年末最後の刺激をもらった。
何十年も年末の黑門に通い続けているが、ここ最近は身動き出来ないくらいの人混みになってきて、威勢の良い掛け声と共に聞こえるのは韓国語か中国語の会話で、きっと半分以上が外国人なんだろう。店舗も様変わりしてきて、店の奥で、食事ができるように改装している店がどんどん増えてきて、なので、もはや、いつもの店で鯛とか、まぐろの刺身とかを少し買うぐらいで、ほとんど買い物する気などなく、人混みに揉まれながらお店とお客さんの変化を見に行くのが楽しみの黑門。なぜか、この日だけは、人混みに揉まれるのが嬉しい「私」。
12月31日は、朝からゆっくり過ごして、同居するマゴが身近にいるので、戯れたりするだけで、楽しい気分になるのは、大晦日の気分との相乗効果なのだろう。お昼からは、小中学校の同級生が新深江で営む「げんこつ」という、有名人もお忍びでやってくる居酒屋があって、お正月の食材を段取りしてくれるというので、おすすめに従って注文した河豚と牛肉とイベリコ豚を取りに寄る。抜群の食材を取り寄せてくれるお陰で、今年からは、黑門や鶴橋は、年末の気分を味わいにいくだけの、ちょっとした余裕がうまれた。
30日から長男の友達家族が沢山やってきて、加工場がクラブ化し、飲んだり食べたりしている状況で、この31日もそのまま二日間居着いてる友人達もいて、若い人たちが、楽しむ姿を嬉しく思える年齢になってきたので、間接的だが、そんな「場」を提供できたコトが喜びになった大晦日だった。録画した真田丸の総集編を見て、紅白を見て、行く年来る年を見て、新年がやってくるという。いたってオーソドックスな年末年始だった。
2017年1月1日日曜日。未だにリフォーム工事中で、いつ完成するのかめどがつかない母屋の減築リノベーションだが、ほぼそのままの姿で残す数寄屋の和室だけは健在で、壁は補修中だが、例年通り、その座敷を使って、家族で、お屠蘇をした。木村家のひとびとの移り変わりを見守り続けている、その和室とお正月のお屠蘇は、いわば、メンバーが入れ替わり、今年からは若い出場メンバーが中心になった、ちょっとぎこちない紅白のようで、そんな日本の歌を見守り続けているNHKホールでの紅白歌合戦のようなものなんだろう。
元旦は、うちで施工をした地元の清見原神社にお参りに行くのが、なんとなくの習わしで、ここ3年ほどは、家族一緒に拝殿の中で、ご祈祷してもらい、玉串を奉納するコトが、ちょっとした気分で、冒頭はそのワンシーン。宮司さんの祝詞を奏上する、しゃきっとした背中が、気分を引き締めてくれる元日の朝で、先祖や家族や社員職人への感謝という気持ちとともに「私」も背中で語れるように精進したいと願った元旦だった。
皆さま、本年も木村工務店に変わらぬご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い致します。
投稿者 木村貴一 : 2017年01月01日 23:59 « 新年のファンファーレ | メイン | Happy Holidays! »