2017年07月09日

長細公園

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長細公園(ながぼそこうえん)というのが、会社の所在地の小路にあって、もとは運河だったらしいが、それを埋め立て、公園としたのが昭和30代のことらしい。ながぼそ~い、通路のような公園に、ブランコや鉄棒やジャングルジムやうんていなど、遊具が設置されていた。家から1分のところにあり、もちろん、私も、そこで、小さな頃から、毎日のように遊んでいたので、小学校に入ると、誰よりも速く、そういう遊具を使った運動ができるようになっていた。

小学校低学年の時は、その長細公園の鉄棒で、前回りや逆上がりを何回連続回れるかを争い合ったりしていたので、ある日、転校したAくんが、わざわざ、長細公園まで、回転数の対決にやって来て、争いあったのが、良き想い出で。あれぇ、これ、いつかのブログに書いたっけ。そういえば、長男は、幼稚園の時に、長細公園のブランコから飛び降りて、こけて、目の下を切ったが、長男にとっても、良き想い出でなんだろう。「まちのえんがわ」写真ワークショップでは、長細公園が写真撮影の舞台にもなって、大人がはしゃいでブランコする姿が、カメラショットとなった。

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その遊具が、最近撤去された。

当時、小路には、長細公園だけが公園だったが、近くに、フツウの公園らしい、スクエアーで、光が差し込む明るい小路公園ができて、そこが子供達の遊び場になり、薄暗い長細公園で、子供達が、歓声を響かせて遊ぶ姿は、ほとんど見られなくなっていた。いまの時代背景からしても、長細公園の、遊具のある公園としての役目は、終わったのだろう。

それに、聞くところによると、公園の管理は町会長さんに委ねられており、もし、遊具で事故が起こった時は、町会長さんが、その責任を取る事になるらしく、そんな世の中の、大人の事情が、遊具撤去の早期決断の背景にあったのかもしれない。

小路のまちの、ユニークなアイコンとしての長細公園が、ただの通路に戻った。

あんな公園、いままで、見たことない。面白いですね。と、初めて、「まちのえんがわ」に来るために、小路の町を訪れたひとが、話題にしてくれることが、頻繁にあったが、世の中の、ぎすぎすしたムードが、こういうところにも、しわ寄せが来たのだろう。考えて見れば、まちの住人の「寛容さ」が、まちの「ユニークさ」を育んでいたのかもしれない。

こんな公園に興味を持った学生さんたちがいた。

近畿大学の建築と都市再生の宮部ゼミの学生で、「小路のまち未来探しワークショップ」というテーマとして、生野区の行政の方々の協力のもと、うちの加工場で、数回のワークショップがあり、この月曜日には、まちのひとや行政のひとを交えての最終プレゼンがおこなわれた。

もともとは、長細公園に隣接した空き長屋の再生計画が、メインテーマだったが、数回のワークショップとまちの住民への聞き取り調査を通じて、長細公園の再生計画が、まちの再生というテーマとして、重要度が増してきて、ついに、そのプレゼンに組み込まれることになった。

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エエ人が住んでいるまちや、エエ建築があるまちが、魅力的なまちになる、大きな要素だろうが、まちの「オープンスペース」が、魅力的になることが、良いまちになる、もうひとつの大切な要素だと、あらためて気付かされるわけで、長細公園という、通路のようなユニークなオープンスペースを、魅力的なオープンスペースにすることが、魅力的なまちの要素のひとつになり、魅力的なまちにひとが集まり、それが空き家の再生にも繋がるのではないかいう。ま、そんなワークショップでのコミュニケーションが、さてさて、この「現実」のなかで、どんな展開になっていくのだろうか.....と、可能性と不可能性が交錯する月曜日のプレゼンテーションとその後の懇親会だった。

投稿者 木村貴一 : 2017年07月09日 23:34 « 空調服。 | メイン | イッケイ。 »


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