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2016年10月30日

ガラスの茶室の縁。

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なぜかガラスの茶室を自転車で見に行こうとおもった。大阪から60kmほどあり、往復すれば120kmほどで、それなりに走りごたえがありそうだった。その茶室のある将軍塚へは200mほどのちょっとしたヒルクライムもあり、何よりも京都へ自転車で行ったコトがなかったし、ただの京都見物や、ただの建築探訪では、面白味と抑揚に欠けて、行動する動機付けになりにくい歳になってきていたのも大きかった。それに、とっても天気が良さそうだった。

朝6時頃に目が覚めて空を見上げると朝日が綺麗な空模様で、そういえば、前日の夜は、朝に運動だけして、あれやこれやと、用事をしようとおもっていたが、空を見て、一気に京都まで行くテンションになった。自転車に乗る服に着替えはじめたが、こんな服で、お寺を見学するには、ちょっと気が引けるが、この手の服を着て一度自転車に乗ってしまうと、その快適性にはかなわないし、それに、そこそこの年齢なので、格好を気にする歳でもあるまいし....、などという心模様を眺めながら服を着替えて、歯を磨き、ボトルに水を入れ、タイヤに空気を入れて、生野区小路から駆けだした。

事前にGPSのガーミンにコースを登録していたので、第二京阪の側道沿いにある自転車道で木津川にある流れ橋まで走ることにした。ガーミンの520Jにはナビ機能があるものの地図が付属していないので、自己責任で、OpenStreetMap をコピーして登録すると、ナビとして充分に機能する事をインターネットで知って、そんなふうに使っているのだけれど、このOpenStreetMapに地図を登録するマッピングパーティーを主催している方が「まちのえんがわ」に何度も遊びに来てくれていて、グーグルの地図は著作権があって制約が大きく、このオープンストリートマップは誰もが自由に使える地図として、生野区空き家マップなんていうのが出来る可能性もある。

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中途半端なスピードと段差で、決して走りやすいとはいえない第二京阪側道沿いの自IMG_1881転車道を走るが、ロードバイクが普及してきた昨今、歩道の横に自転車道があるタイプより、自動車道路の横に自転車道があるタイプの方がエエようにおもう....なんてコトを考えたりしながら、木津川の流れ橋に到着した。道中、このあたりで引き返そうかという、気弱な気分も湧いてきたが、川と橋と山の織りなす景色と好天が気分を盛り上げてくれて、そのまま走り続けることにした。

ところで、この日、自転車に乗った4人の人と会話を交わした。

沈下橋から伏見に行く道中の巨椋(オグラ)あたりの広々とした田んぼの中で出会った方に、道を尋ねると、先を走って、道案内をしてくれた。これから嵐山に行くとのこと。私は伏見の方から将軍塚に向かってぐるっと回って嵐山に行きますわ。と告げると、なかなかのコースですね。じゃぁ、ここから右の側道を上がって橋を越えて右に行くと伏見ですからっと、親切に教えてくれた。礼を告げて、それぞれ左の方角と右の方角に別れてペダルを回した。そうそう、戦国時代に伏見城を攻めたひとたちは、この広々とした見通しの良い田んぼのあたりを馬で進撃したのだろうか。などと考えながら漕いだ。

松本酒造や寺田屋の横を通り抜け、伏見桃山の商店街を突き抜けて、伏見城下の道を北上し、伏見稲荷の横を通過する。流石に、ガイジンさんがいっぱいで、記念撮影花盛り。伏見稲荷が、ガイジン人気ナンバーワンらしい。そのまま北上して、東福寺の中に寄り道する。この土塀で囲われた道の折れ曲がった雰囲気が、この界隈の良さのひとつなんだろう。そのまま北上して、三十三間堂の横を通過する。好きな建物のひとつ。三十三間堂の横の道で、信号待ちをすると、正面に京都国立博物館の谷口吉生設計の端正なゲートが見えて、IMG_1902思わずIphoneを取り出して、自転車に乗ったままスナップ写真を撮った。ここから東の山側に向かって東山ドライブウェーを登る。しんどくなってきたころに総軍塚に到着した。京都を一望できる大きな舞台を作ったコトが、控えめで大胆な創造性なんだろう。ガラスの茶室が、大舞台にアートな空間性を加味して、エエ感じだった。

東山ドライブウェーを南禅寺の方に下って、哲学の道をゆっくり走り、銀閣寺から西に向かう。珈琲を飲みたい気分だったが、まだ先が長かったので、我慢して走ることにした。鴨川を少し北上してから、西に向かって、大徳寺、金閣寺、龍安寺を通過しながら、仁和寺の前で自転車を駐めて写真を撮っていると、私より年配の自転車に乗った男性が声を掛けてきた。エエ自転車乗ってはりますね。どこからですか。大阪からですわ。朝何時に出はったん。6時30分頃です。へぇ!。私は、先週、大阪から自転車で京都まで来て、故障したので、置いて帰って、今日、この自転車取りに来て、これから念仏寺に行きますねん。知ってはりますか....なんていう会話が楽しかったりし、そんなのが、このまま続けて走る気力になったりするのが、面白い。

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広沢池を通過し、大覚寺前から西に進んで、南に向かう嵐山のメインストリートを進むに連れて人が溢れてきた。若いローディーが軽やかに私を抜いていって、信号待ちで止まった時に、こんにちわ!と挨拶を交わすと、もの凄い人ですねぇ!と返ってきた。ほんと凄いですわ。どこからですか。大阪の松原です。奈良を回って来ました。凄いですねぇ。と会話しながら、渡月橋を気持ち良く一緒に走る。川沿いの茶店があるところで、自転車を降りて、歩きながら、紅葉ライドの下見に来たんです。行きますわ。と別れた。

丁度お昼だった。別れたすぐ直後に、木に自転車を立てかけて、さて、どこで食事をしようかと、あたりを見渡すと、すぐ隣に、自転車に最新の自転車バックを取り付けて、リュックを背負い、横浜という名前が入ったシャツを着たひとが、同じように自転車を立てかけて、スマホを見ていたので、横浜から来はったんですか!と声を掛けると、いや、山口の実家から伊丹まできて、そこから自転車で、ここ嵐山まで来たところなんです。有名なおそば屋さんに行くと50分待ちと言われて、どうしようかと。この目の前にある蕎麦屋さんは、あまり人が入っていないので、折角ここまで来たので美味しいものでも食べたいですし。大阪からですか。私は今日は、京都に泊まるのです。ここから横浜まで自走で返ります。そうですか。私は、テキトウに食事する処を探しながらこれから大阪に帰りますわ。といって別れた。

渡月橋の写真を撮ったり、公衆便所に行ったりしながら食べるところを探していたら、その横浜のひとに再び出会った。食べ放題のところか、もうすぐしたら蕎麦屋さんの待ち時間も来そうなので、一緒に食べませんか?と誘ってくれた。午後3時すぎに「まちのえんがわ」に来客があるという連絡がアオキさんからあり、それに、生野区の持続可能なまちづくりのメンバーが、芋煮会をやっていて、午後4時までにはなんとかそこに到着したいという、二つの思惑が、ほんの一瞬、絡めるように纏わり付いたが、スパッと振り切って、この「縁」に流れていくことにした。

食べログ3.5の嵐山よしむらさんに行くと、丁度、入れる時間だった。一人だけの予約だったが、二人でも大丈夫ですかと聞いてくれて、渡月橋と桂川を眺める2階窓際のカップル席に案内された。自転車の服を着た40代と50代のおじさん二人が、しかも、先ほど初めて出会ったばっかりなのに、窓の景色を眺めながら一緒に蕎麦を食べることになり、あれやこれやと、話をして、フェースブックのアドレスを交換したりした。川沿いで、一緒に、自転車と共に記念写真を撮って、お互いに握手を交わして、無事を祈って別れた。とっても奇妙で、印象的で、想い出に残る嵐山の昼食となった。

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嵐山から桂川沿いの自転車道路をひたすら南に下り、淀川に入ってからは、ひたすら西に向かって、ゆっくり漕ぎ続けて、休憩することもなく、鶴橋でやっている芋煮会場に、なんとか午後4時頃に到着した。最後は、芋煮が体に染み渡って、疲れを吹き飛ばしてくれた、140kmの「縁」だった。

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2016年10月23日

モノのインターネットの時代。

日曜日の早朝に目覚めて、布団の中でぐずぐずしながらNHKのラジオを聴いていた。そういえば、毎朝、目覚まし代わりにNHKのラジオが鳴り、ニュースやら、天気やら、経済の話やら、健康の話やら、社会の出来事やら。布団の中で寝ながらの時もあり、洗面をしながら聴く時もあり、朝一番にパソコンを起動してメールやスケジュールを確認している時もあり、朝食をとりながらの時もある。何かをしながら耳で情報を得る感覚が、ラジオ的情報感覚なんだろう。

携帯電話やパソコンは、目で文字や写真や動画の情報を得るのが主流で、最近は音声もしっかりと流れて、テレビ的になってきた。テレビは、音と映像による目と耳の両方からの情報なんだろうし、ラジオは耳だけの情報ということになり、最近、皆さんは、ラジオをどんな状況で聞くのでしょうかね。車?。いや、なんで、こんなことを考えたのかというと、今日のお昼から、枚方に出来たTSUTAYAのTサイトに行って、本を見ているうちに、最近の私の購買マインドとリアルなモノとの関係性にインターネット的情報感覚が強く入り込んできているコトに気付かされたのだ。

最近は、インターネット上のAmazon で、本を買うことが多くなってきて、手軽にポチッとしてしまうわけで、先日、行政の方と一緒に講演を聞いた、村松秀一さんの本を講演終了後にインターネットで確認すると、発売前の予約で、『ひらかれる建築: 「民主化」の作法¥842円 』となっていて、何となく、安いし、手頃な価格。とおもい、「中身も見ていないのに」、気軽に、ワンクリックで購入してしまった。それで、当然のように、後日、配送されて、奥方が、テーブルの上に、置いてくれていて、先々週の雨の日曜日のお昼から開封して読んだ。

枚方のTサイトは、エエ建築だし、本だけでなく、地下の食品売り場や雑貨や食事スペースもそれなりにエエ感じで、遅い昼食を8階のイタリアンで食べ、奥方は、マゴちゃんのための服や雑貨や本を物色したり、帰りには食品売り場で、なんだかんだ買って、気付いたら私の財布からそのお金が流失していたりした。そうそう、知らなかったが、偶然、金子眼鏡店が入っていて、グランフロント店で買った眼鏡を掛けたまま寝てしまって、寝返りかなんかで、眼鏡を踏んづけたまま寝ていたらしく、耳掛けが、かなり曲がっていた。梅田まで、それだけのために直しに行くのを躊躇していたところ、偶然の出会いで、枚方のこの場で丁寧に修理してもらった。

ところが、本をいろいろ見て、買いたい本が、何冊もあったが、な~んとなく、本の値段が高いと感じてしまうのだ。リアルな本というモノをその場で見て、中身を見て、購買意欲が増幅されているのだろうが、700円ほどの雑誌でも躊躇し、1000円代の雑誌は、尚更躊躇し、文庫本売り場には力が注がれていないようなので、見る気もせず、2000円を超えることが多い単行本は、これとあれとそれ、まとめ買いしたい気分になるのだが、実際、手に本をとって、中身を見ても、それをカウンターまで持って行く勇気を持てず、建築関係の写真集なんて、3000円を超えるに決まっているので、見るだけで、その場で買う気すら起こらない始末だった。

それぞれの「情報源」が持つ固有の「情報感覚」というのがあるのだろが、テレビ的情報感覚とかラジオ的情報感覚とか。インターネット的情報感覚なら、1000円とか2000円とか3000円は安いと感じて、迷いながらも気軽にポチッとするのに、リアルなモノをその場で見て、現金とかカード払いとする時の方が、躊躇して、買わない選択をする場合が、最近多い気がする「私」。本の場合は特にそうで、いや、「私」は本好きで、かつては、それなりに本を買っていたが、最近はめっきり減って、特に本屋さんで買った雑誌が、家に山積みされている状況は、全くなくなった。

リアルなモノが商品として展示している、商品棚が持つ、実物的情報感覚というのが、きっとあるのだろう。そういうモノたちが、『モノのインターネットといわれる「IoT」』が進んでくると、本屋さんの棚にある本に貼られたICチップによって、自分が手に取って、中身をパラパラ見ていた本が、自分のスマートホンにその場で記録されて、それを本屋さんのソファーに座って、珈琲でも飲みながら、買うかどうかを迷いつつ、購入ボタンをポチッとすると、その本が、クレジット決済と共に家に配送されてくるとか。その場で手渡しを選択出来るとか。いや、それよりも、家に帰ってから、手に取った本の履歴をパソコンで見ながら、買うかどうかの迷いを楽しみつつ、意を決して、まとめ買いをポチッとするとか。そんな、「IoT」な時代の、本や雑貨や服の売り場を想像してみた、枚方TSUTAYAの午後だった。

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2016年10月16日

トークという戦場

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十三にあるシアーターセブンで、シアターセブン・プレミアムトーク「東西南北縦横斜め」というイベントがあって、それに出演するコトになってしまたのが、この金曜日の出来事で、この企画をしているジャーナリストの今井一さんが、木村工務店の会社倉庫の裏に住んでおられて、時々、「まちのえんがわ」にも遊びに来て、なんだかんだと話をするのだけれど、ほとんど、行きがかりと交通事故のような状況で、出演する羽目になった。

肩書きに「建築家」とあり、私は、「工務店」という肩書きを主張したが、それ、何のコトか判れへんし。といわれて、仕方なく受け入れた。昔、木村工務店の取締役で、工事部長をしてくれていたフクモトさんは、私が生まれた時から面倒を見てくれたひとで、工務店としての誇りや、現場監督の仕事とは何であるかを身をもって教えてくれた、いわば父親みたいなひとなんだけれど、そのフクモトさんが、有名な建築家の仕事をいろいろとしていたある日、無理難題な仕事をなんとか納めた後に、ケンチクカ、ケンチクカとエラソーにするヤツもおるけど、わしらも建築家ちゃうか!と語ったその時の光景が目に焼き付いて残っていて、とっても印象深い出来事だった。

それで、フクモトさんへのオマージュとして、一度だけは、その肩書きを受け入れるコトにしたが、考えて見れば、建築家というコトバの最後はイエ(家)で、工務店の最後のコトバはミセ(店)で、書道家とか武道家とかの肩書きに習うと、「家」というコトバが付けば良さそうで、なら、コウムカ(工務家)とかコウムテンカ(工務店家)なんて、どうも、よけいにややこしいそうで、それならきっぱり、「工務店」という、「店」バージョンの様々な呼称が肩書きとして成立して欲しいわけで、フクモトさんもきっと喜んでくれそうなので、これからは、あらためて、木村貴一(工務店)として、肩書きが必要な時は「工務店」にしようと、イベント終了後に、そんなコトをおもった。

このトークイベントは、事前に何を話すのか、お題があるわけでもなく、今井さんが司会をしながら、話を振ってくれた事柄に、真摯にトークをするだけで、それに対して今井さんがツッコミを入れてくれたり、時には私が今井さんにツッコんだりしながら、あっという間に2時間が過ぎてしまった。お客さんといっても14人ほどで、3分の2が身内状態なので、それなりにリラックスして、ざっくばらんなトークに終始した。

IMG_1811ところで、イベントが始まる前に、控えの幕内に潜んでいると、会場で、ドタンバタン!と大きな音がして、誰かが椅子から転げ落ちて、会場に笑いと騒然が渦巻いた。その中を今井さんが舞台に出て、司会として前振りをしながら私を紹介してくれたので、マイクを持って舞台に立つと、なんと、椅子から転んでいたのは、うちの奥方で、これには驚き以上に、笑いが込み上げてきた。きっと、私の代わりに、最初の「つかみ」として、わざと転んで、笑いをとってくれたんだろう....。

そういえば、2ヶ月ほど前のお盆に、一緒に町をサイクリングしていて、自転車に乗っていた奥方に、子供が乗る自転車が突っ込んできて、それを避けようとして、転倒し、骨折をした。その手術が、大阪の警察病院であり、その手術当日の朝に病室に行くことになっていた。丁度その日の午前中が、あのトークイベント用の写真の締め切り日で、テキトウに良い写真がなく、その写真がないコトで出演をキャンセルしようかなと、良くない考えが浮かんでいたところだったが、手術前の6階の南向きの病室に入ると、阿倍野ハルカスの姿が真っ正面に見えて、光が綺麗に病室に差し込んで、とっても気分の良い眺めだった。それで、手術前の奥方に、私のiPhoneを渡して、ハルカスを見ている「私」を撮影してもらったのが、あの写真で、手術前の私に何をさすのぉ! 腕、痛いのに!と呆れかえりながら撮影をしてくれた。眼鏡にハルカスが映っていたりするのだ。

あの会場で、椅子からこけて、打ったところが、手術をしたばかりの肘で、イベント終了後に、「大丈夫なん?」と尋ねると、「判れへん、けど、たぶん大丈夫とおもうわ。私とタカイチくんは、お互いに破壊星どうしやから、仕方ないねん。」「えっ!、30年以上も一緒やのに、いまさら、そんなこと言うのぉ!。なんで、星占いがここで急に出てくるのんな!」と返すと、「でも安心して!、私が破壊されるほうの星やから!」と奥方が宣うのだった。

ま、そんなこんなの奇妙な縁があり、また、家庭という「トークの戦場」で鍛えられているのが、トークイベントで役だっていたのかもしれない。

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2016年10月09日

木村家本舗と家と加工場

2010年から10月の連休は、木村家本舗というオープンホームなイベントを催す休日になっていたが、昨年と今年と2年連続で、中止する事になった。時々、かつて木村家本舗にお越しになった方々から、今年はどうなっているのぉ?やらないのぉ!残念。なんていう、有り難い励ましのようなおコトバを頂戴し、その度に、長男家族と同居中で、それで、両親が住んでいた母屋に移り住むために、その建屋を減築工事のリフォーム中で、それが、うちの大工さんの空いた時を都合付けて工事をしているので、どうも進捗状況が悪くて悪くて、まだまだ時間がかかりそうなんです・・・・と。

そもそもは、「私」たちが実際に暮らす家のライフスタイルを10月の気候の良い3日間だけシェアーするコトで、一緒に飲んだり食べたりしながらコミュニケーションをし、3日間だけのコミュニティーをつくろうというオープンホームなイベント事が木村家本舗というタイトルで、あくまで、オープン「ハウス」でなく、実際の暮らしに拘る、木村家のライフスタイルの共有としての「ホーム」が、大切なテーマだった。

木村家本舗が始まってから数年の間に、庭を隔てて住んでいた父も母も他界した。そういえば、期間中は、夜遅くまで続く人々のざわめきを暖かく見守ってくれていたものだったが、その入れ替わりのように、長男が家に戻ってきて、福島県の女性と結婚し、男の子を出産して、世代交代が始まり、木村家のライフスタイルが、大きく変化し始めた。

庭に面していた祖父や祖母が暮らしていた離れとしての1階の和室や物置、私の妹や弟が暮らしていたその2階の部屋は、空き部屋になって十年以上経過していたし、その庭を中心に囲まれていた母屋の1階にあった、リビングダイニングや座敷、応接間、表玄関は、人の出入りがなくなり、その2階にあった私の両親の寝室や物置や和室も空き部屋と化して1年以上経過していた。

その同じ庭に面して、木村家本舗としてオープンホームしていた「私」たちのハウスを長男家族に譲り、私達夫婦は母屋に移り住むという構想を有り難くも長男の奥さんが受け入れてくれたコトで、改めてこれからのライフスタイルを再考することになり、私たち夫婦の寝室と次男のための個室の二つだけに部屋数を減らし、代々受け継いでいけるような仏間がある座敷と、以前よりコンパクトでパブリックなLDKが中心の母屋として、プライベートとパブリックが共存し、ランニングコストが少なくて済む、持続可能で省エネな「ハウス」が、新たなライフスタイルを営む「ホーム」となるように、2階を減築し延床面積を大きく減らす構想で計画をして、工事を開始した。

工事を始めて見ると、時折、それなりのお金をかけて、家を小さくするという馬鹿さ加減に、私の「心」は、思い立ったように、阿保ちゃう!と語りかけてきて、何度か工事を中止しようかという衝動にさいなまれる始末で、そのうえ、減築という工事の工法としての大工作業の大変さを目の当たりに見せつけられると、こんな「私」でエエのかと自己嫌悪の台風が何度か発生し通過する数ヶ月が続いていたりするのだった。

木村家本舗の第2回目に木村工務店の「加工場」を使おうと言い出したのは、木村家本舗のプロデューサーを務めてくれていたコトバノイエのカトウさんで、大工が作業する神聖ともいえる加工場を「遊び」に使うのには少々の抵抗があったものの、加工場の利用の構想力とそのトライが、「まちのえんがわ」の加工場でのワークショップ開催の勇気に繋がったわけで、それに、協力会社や職人さんとで年一回催す初午祭を加工場で、手作り感覚たっぷりにもてなすコトを社員や職人さんや協力会社の人たちが面白がるきっかけになったのだとおもう。
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↑ 木村家の減築工事のために、追っ掛け大栓継ぎを神聖な加工場で作業する大工のダイちゃん

木村家本舗の開催がない10月の連休の今年の加工場。加工場でのワークショップやイベント用として置くスピーカーを、見習大工のモリくんに、実用と課題を兼ねて、合板で作る長岡鉄男さん設計によるスワン型バックロードホーンスピーカーの製作を依頼し、インターネットで図面を探し、フォステックスのスピーカーの段取りやスピーカーコードの半田付けは私が担当して、現場と現場の合間の数日間を使って、合板の寸法を正確に電鋸で切り、鉋で削り合わせながら、綺麗に製作してくれた。

↓ 加工場で作業中のモリ大工
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↑ スピーカーの中は合板が迷路のように複雑な構成になっている。

そのスピーカーが完成したのが、数日前のコトで、そのセッティングも暫定的に完了したので、中途半端でうっとうしい天気で、外出する気になれない、今日の日曜日の昼から、ひとりで珈琲と本を片手にゆっくりと試聴することにした。

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ところが、ほんの1時間ほど聴いていると、突然、長男が友達数人と共に機材を持って加工場に乱入し占拠されてしまった・・・・。



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木村家本舗の遺伝子が何となく加工場に残っていたのかもしれない。偶然にもクローズドな木村家本舗的状態となった連休初日の加工場の出来事で、若い人たちに追い出されながらも、古いライフスタイルが継承されて、新たな方向に編集されていく姿に接することは、そんなのが嬉しく感じる歳にもなってきて、若い人たちが、さまざまなライフスタイルを楽しむために、大工さんや工務店の技術と知識が役立ったり、家や加工場などのスペースが役立ったりするのなら、それはそれでエエなぁ・・・と感じた日曜日の昼下がりだった。

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2016年10月02日

ライフスタイル

雨続きの週から少し天候が回復し、秋晴れの心地良い気候を想像してみたが、なんとなく、ぐずぐずとした天気の週で、今日の日曜日の朝も雨が降りそうなうっとうしい空からパラパラと雨が落ちかけたが、そんな天候を振り切って、自転車で30kmほど十三峠を往復して1時間45分ほど、お風呂に入って、日曜日の住宅相談会に望んだ。

 

先日の健康診断の結果からも、なんらかの運動を続けないと健康を保てないらしく、先ほどiphoneのrunkeeperに記録されたデータを見ると、51歳の2010年9月5日に家から大阪城を往復して12km走ったのが最初で、あの日は、走った後に、一日中使いもにならない身体になってしまった私に苦笑いしながらぐっすり寝てしまったが、6年間、日曜日の早朝だけを中心に運動を続けてくると、それなりに心身のバランスも少しずつとれてきて、特に54歳になった2013年3月にランニングをサイクリングに切り替えてからは、体重が減りだして、運動量の増加と共に、二十歳台の体重に戻ったのが55歳の後半だった。

日曜日の早朝の運動が、自分のライフスタイルの一部になるとは、40代の「私」には想像すらできなかったし、特にロードバイクがライフスタイルの一部になるのは、不思議な感覚すらあって、運動不足の解消と共に、どんな場所を走るかとか、ヒルクライムや、どんなタイムだとか、自転車による旅や、食事や、人との出会いや、けがもあり、自転車というモノとしての興味やファッションや、家での自転車の置き方や飾り方など、そんなのがライフスタイルのひとつなんだろう。

今週、生野区の行政の方のお誘いがあって、偶然にも先日のブログに書いた、東大の松村教授の「民主化の建築、箱の産業から場の産業へ」の講義が近大であり、IMG_1688「自分らしく生きたい、という素直な気持ちから、それぞれが主体性をもってストックを利用し、暮らしをつくる時代になった。それぞれのライフスタイルの実現に向けて、既存のストックを利用するための構想力が求められている時代。」なんていう話を聴いて、「仕事か遊びかを区別する必要がなくなる。そうやって自由に働きながら、未来につながるような暮らしと仕事をまちに埋め込んでいく活動が何よりも大切で、それこそが我々のミッションと言っていい。」なんていうコトバで締めくくられた講義だった。

遊びのライフスタイルだけを云々するようなバブリーな時代背景でもなく、いまという時代は、もっと根源的な、自分の個性に応じた、仕事のスタイルや暮らし方のスタイルを考えて、既存の建築や敷地の利用方法を、それぞれが構想する時代なんだろうし、そんなライフスタイルを建築的に実現できるようにサポートするのが工務店の役目のひとつでもあるのだろう。

そんな時代の流れと共に、うちの会社でも、それぞれの社員が、自分のライフスタイルを考えて、転職が頻繁に起こる時代で、担当者の退社に伴い、それぞれが担当した家のメンテナンスの問題も発生し、迅速な対応が出来ず、ご迷惑をお掛けしているところもあり、時代背景に応じた工務店の体制づくりが求められている状況でもある。

さて、本日の住宅相談会の午前中のAさんは、成人4人のご家族が、シエアーハウスのように集まって住むというライフスタイルを選択したご家族で、その見積を提出する日だったが、コストをいかに下げるかという普遍的な問題に、基本的な構造や断熱の素材やスペックを調整して、コストダウンを目指さないのが木村工務店のスタイルで、設備機器や仕上げの素材と共に、間取りや建物の形状や大きさをライフスタイルに応じて調整することが、より大切なんだろう。

午後からのBさんは、ワークショップに何度か参加して下さったご夫妻で、経営する喫茶店の、その上階と隣にある建物をどのように利用して、職住一体型の2世帯住宅を造るかという、まさに、空き資源の利用の構想力によって、まちに暮らしと仕事の未来を埋め込むという時代背景を象徴するかのようなご相談で、コミュニケーションを繰り返しながらさまざまなアイデアを一緒に編集作業していきたいとおもった。

午後からのCさんご家族は、ご両親がそのお父さんを引き取り、娘さんご夫妻と共に2世帯住居をつくるために、何度か相談にお見えになっていたが、現在の住まいや別にお持ちの家では、2世帯住宅は、無理だと判断し、新しく手頃な価格で手に入る2世帯住宅用の敷地をお探しだった。その候補が見つかったというコトで、購入前にお越しになったが、その敷地を、グーグルのストリートビューを使って、プロジェクターに映し出して一緒に眺めながら、それぞれのライフスタイルをお聞きしつつ、プランの構想をあれやこれやとコミュニケーションした。

仕事や家族関係や心身など、調和がとれて、リズム感のあるライフスタイルを生きるコトが、まちに暮らしや仕事の未来が埋め込まれていくコトに繋がるのだと、そんなコトを考えさせられた、今週の出来事だった。

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