2014年07月13日
そして蝶々になるのかも
7月頃になると毎年のようにアオスジアゲハがダイニングにやってきて、なんで、家の中にまで蝶々が入ってくるのか、ほんと不思議で、毎年のように続くと、こちらも、「やぁ!久しぶり」なんて挨拶したりして、蝶々は生まれ変わりだと云うらしいが、確かに毎年続くと、そんな気がしてくるから不思議。
そうそう、今週の10日の木曜日の午後4時すぎ、神奈川県の平塚駅からJRに乗って横浜駅に向かう電車の中で、私の左には、うちの長男、その左に堺の鰻やタケウチくん、右隣には、丹沢の堀山の家の親父の妹さんが、ゆりの花束を持って座っていて、その電車の中の私たちの席の廻りに、蝶々がヒラヒラ飛んできて旋回し、窓ガラスや網棚に留まって、そのまま私たちのまわりで、羽根をとじてじっとしたままの蝶々。そのチョウに見守られ、皆と一緒に語り合いながら電車で移動するという、ちょっと不思議な体験をした。
5月11日のブログ「巡礼のような」に登場した丹沢の堀山の家の親父が、7月6日日曜日の夕刻に、その小屋で心筋梗塞で急死したという訃報の電話がかかってきたのが、その日のブログを書いている深夜の出来事だった。その葬儀が平塚であって、それに参列し、その帰りの電車で、茅ヶ崎や辻堂とい湘南海岸沿いの陽気なイメージに聞こえる駅名アナウンスを聴きつつ、つい先日、「まちのえんがわ」で語り合い、大阪の下町を一緒に歩いたばかりなのに・・・と、とっても寂しい気持ちになりながら、電車の中の蝶々を眺めていると、確かに死んで蝶々になって、一緒に付いてきているのだと、思えてしまうのだった・・・。
そういえば、いまこのブログを書きながらも、食卓の上にある天窓の壁にアオスジアゲハが、未だ夜になっても留まっていて、堀山の親父がこの天窓の下の椅子に腰掛けて、夜中まで一緒に語り合ったのが、2ヶ月前の出来事で、ほんまに人は蝶々になってやってくるのかい・・・。
とっても親しいオトコの人が、この3ヶ月間に、二人も亡くなると、「オトコの死に方」みたいなものを考えさせられてしまうわけで、「私」も50歳になるまでは、死というものは、どちらかと云えば、観念的なもので、身に迫る実感のようなものに乏しかったが、50歳を過ぎた頃から、自分自信が何時か死を迎えるという現実を少しずつ実感できるようになってきて、ならば「どんな死の迎え方」をするのだろうかと、なんとなく考えたりするようになってきた。
父は、82歳をすぎて、癌で余命少ないのに、意地でも高齢者の車の免許更新を受けると言い張って受けて、その事で体力を猛烈に消耗して、それはまるで子供が一生懸命運動して疲れたような死に方だった。祖父は84歳のある日、大好きな食材を黒門市場に自ら買いにいって、それを調理して食べた後、夜になって腹痛を訴えて、次の日、生まれて初めて病院に入院し、そのまま静かに息を引き取った。丹沢の山小屋の堀山の家の親父は、小屋に泊まったり、立ち寄ったりしたお客さん全員を小屋から送り出した後、奥さんと二人だけの小屋になり、突然の心筋梗塞かなにかに襲われて、奥さんに看取られながら心肺停止になったという・・・。
きっと、エエ死を迎えるためには、いま、目の前に起こっている、自分自信の人生の楽しみを、一生懸命生ききるコト、なのかもしれない・・・。そして蝶々になるのかも。
投稿者 木村貴一 : 2014年07月13日 23:36 « 捜しもの | メイン | 軽やかさという立ち位置 »