2010年01月10日
始動
何を受け継ぎ、何を受け継がないのかという「選択」は、繊細で、微妙な問題だな。と、今の政治経済を見ていると、つくづく思うし、「文化」を受け継ぐこともそうだし、「工務店」というものを受け継ぐのもそうだなと思う。
「長~く続いているものが「文化」とも言えるのとちゃう」と、語ったのはうちの長男で、お正月に、家族で、「静かな」会話をしている最中の言霊だった。「全ての動きが静止したかのような、お正月の空気」というものが、好きだ。あの、何となく慌ただしい師走から一転して訪れるお正月の静寂。お正月の「静寂」と「笑い」の組合せの中に、日本文化の奥深い何かを感じる。
そういう空気が、少しずつ薄らいでいくのが少々、寂しい。お正月の静寂が薄らいでいるところから発せられる、テレビの「お笑い」にも食傷気味。世の中の様子は、政治経済文化のすべてがリセットされようとする時期なのか・・。リセットと放棄と選択と集中と新設との間に揺れ動いている問題が、あちらこちらに。「リ」セットの仕方とか、「り」ホームの仕方とか、そういう物事に対する、「考え方」と、その「過程」が問われているのだろう。
1月6日が初出で、地元の清見原神社へ皆で、参拝して、お祓いを受けるのは、木村工務店で、長く続いている行事であって、それはひとつの企業文化といえるのかもしれない。そうそう、今年は、1月1日の朝にも、家族4人で、リニューアルされた神社の拝殿で、お祓いを受けた。幣殿の檜の床に、格子からの朝日が、美しい絵模様となって神秘的に入り込み、神殿に向かって拝む宮司さんの後姿が、朝日を浴びて美しかった。その静寂と共に、「日本」を感じた。
それを受け継ぐのが今の時代に相応しいのかどうか、良くわからないが、1月6日の参拝の後、お昼から、職人さんや業者の方々70名ほどが集まって、新年交礼会を催す。「畳」に座って膝をつき合わせるのが、やはり「気分」だ。それにこだわる。もちろん、私は、皆の前で、新年の挨拶をするわけで、この挨拶は、「私」にとっての、新年の楽しみと苦しみの混在した、「気」の入る行事でもある。兎にも角にも、お祓いと笑顔があって、ようやく、木村工務店のエンジンが軽快に動き出すのだった。
そうそうそう言えば、上の写真はiPhoneで撮影していて、年末の大掃除の日に、社員の携帯を全て、iPhoneに替えたのが、昨年の最後の大きな出来事かもしれない。「ソフトバンクの罠にまんまとはまったな・・・・・」と、足下のスリッパが呟いている・・・・・。
夜明け前の静かで美しい時間が通過した。営繕工事をさせて頂いている企業さんへの年始の挨拶廻り。引き渡し前の社内検査。初めての方との顔合わせ。社内定例会議。地鎮祭。お施主さんとの設計打ち合わせ。・・・・・・・と、意識的な「選択」を肝にして、「始動」です。
投稿者 木村貴一 : 2010年01月10日 17:58 « 組合せ | メイン | 家で過ごすのが楽しい。 »