2016年10月16日
トークという戦場
十三にあるシアーターセブンで、シアターセブン・プレミアムトーク「東西南北縦横斜め」というイベントがあって、それに出演するコトになってしまたのが、この金曜日の出来事で、この企画をしているジャーナリストの今井一さんが、木村工務店の会社倉庫の裏に住んでおられて、時々、「まちのえんがわ」にも遊びに来て、なんだかんだと話をするのだけれど、ほとんど、行きがかりと交通事故のような状況で、出演する羽目になった。
肩書きに「建築家」とあり、私は、「工務店」という肩書きを主張したが、それ、何のコトか判れへんし。といわれて、仕方なく受け入れた。昔、木村工務店の取締役で、工事部長をしてくれていたフクモトさんは、私が生まれた時から面倒を見てくれたひとで、工務店としての誇りや、現場監督の仕事とは何であるかを身をもって教えてくれた、いわば父親みたいなひとなんだけれど、そのフクモトさんが、有名な建築家の仕事をいろいろとしていたある日、無理難題な仕事をなんとか納めた後に、ケンチクカ、ケンチクカとエラソーにするヤツもおるけど、わしらも建築家ちゃうか!と語ったその時の光景が目に焼き付いて残っていて、とっても印象深い出来事だった。
それで、フクモトさんへのオマージュとして、一度だけは、その肩書きを受け入れるコトにしたが、考えて見れば、建築家というコトバの最後はイエ(家)で、工務店の最後のコトバはミセ(店)で、書道家とか武道家とかの肩書きに習うと、「家」というコトバが付けば良さそうで、なら、コウムカ(工務家)とかコウムテンカ(工務店家)なんて、どうも、よけいにややこしいそうで、それならきっぱり、「工務店」という、「店」バージョンの様々な呼称が肩書きとして成立して欲しいわけで、フクモトさんもきっと喜んでくれそうなので、これからは、あらためて、木村貴一(工務店)として、肩書きが必要な時は「工務店」にしようと、イベント終了後に、そんなコトをおもった。
このトークイベントは、事前に何を話すのか、お題があるわけでもなく、今井さんが司会をしながら、話を振ってくれた事柄に、真摯にトークをするだけで、それに対して今井さんがツッコミを入れてくれたり、時には私が今井さんにツッコんだりしながら、あっという間に2時間が過ぎてしまった。お客さんといっても14人ほどで、3分の2が身内状態なので、それなりにリラックスして、ざっくばらんなトークに終始した。
ところで、イベントが始まる前に、控えの幕内に潜んでいると、会場で、ドタンバタン!と大きな音がして、誰かが椅子から転げ落ちて、会場に笑いと騒然が渦巻いた。その中を今井さんが舞台に出て、司会として前振りをしながら私を紹介してくれたので、マイクを持って舞台に立つと、なんと、椅子から転んでいたのは、うちの奥方で、これには驚き以上に、笑いが込み上げてきた。きっと、私の代わりに、最初の「つかみ」として、わざと転んで、笑いをとってくれたんだろう....。
そういえば、2ヶ月ほど前のお盆に、一緒に町をサイクリングしていて、自転車に乗っていた奥方に、子供が乗る自転車が突っ込んできて、それを避けようとして、転倒し、骨折をした。その手術が、大阪の警察病院であり、その手術当日の朝に病室に行くことになっていた。丁度その日の午前中が、あのトークイベント用の写真の締め切り日で、テキトウに良い写真がなく、その写真がないコトで出演をキャンセルしようかなと、良くない考えが浮かんでいたところだったが、手術前の6階の南向きの病室に入ると、阿倍野ハルカスの姿が真っ正面に見えて、光が綺麗に病室に差し込んで、とっても気分の良い眺めだった。それで、手術前の奥方に、私のiPhoneを渡して、ハルカスを見ている「私」を撮影してもらったのが、あの写真で、手術前の私に何をさすのぉ! 腕、痛いのに!と呆れかえりながら撮影をしてくれた。眼鏡にハルカスが映っていたりするのだ。
あの会場で、椅子からこけて、打ったところが、手術をしたばかりの肘で、イベント終了後に、「大丈夫なん?」と尋ねると、「判れへん、けど、たぶん大丈夫とおもうわ。私とタカイチくんは、お互いに破壊星どうしやから、仕方ないねん。」「えっ!、30年以上も一緒やのに、いまさら、そんなこと言うのぉ!。なんで、星占いがここで急に出てくるのんな!」と返すと、「でも安心して!、私が破壊されるほうの星やから!」と奥方が宣うのだった。
ま、そんなこんなの奇妙な縁があり、また、家庭という「トークの戦場」で鍛えられているのが、トークイベントで役だっていたのかもしれない。
投稿者 木村貴一 : 2016年10月16日 22:37 « モノのインターネットの時代。 | メイン | 木村家本舗と家と加工場 »