2011年03月27日
電気エネルギー
「発電施設が電気に困っているのだ。」こんな姿を見ていると、複雑な心境に陥る。原子力発電所への外部電源は、火力発電所から送られてくるのだろうか、それとも水力発電所からなのだろうか・・・。「灯台下暗し」という諺がよぎる。こんな皮肉な出来事は、自分自身の身の回りにもありそうで、「人のふり見て我がふり直せ」という啓示ではあるまいかとさえおもう。
丹沢にある「堀山の家」という山小屋に25年ほど通っている。その小屋には、送電線からの電気はなく、水もない。それで、水はポリタンクを背負って近くの沢まで汲みに行く。いろいろな人がボランティアでボッカして、水を運んで汲み置きする。そのボッカというのは、ウィキペディアによると・・・・
歩荷(ぼっか、ボッカとも)は、運送形態の1種で、背中に荷物を背負って人間が目的地まで直接徒歩で運搬すること。また、運搬者そのものを指す。また、歩荷を職業とする人のことは強力(ごうりき)とも呼ぶ。
一般に背中に梯子のような形をした荷台(背負子)をつけ、それに箱詰めした荷物を何段にも重ねて乗せて運搬する。1回の運搬量は数十キログラムになることもしばしばである[1]。現在の日本においてはほとんどの歩荷は男だが、かつては女の歩荷も特に珍しくはなかった。
運送の形態としては原始的で、かつては日本ではどの地方でも見られたが、自動車などの交通具の普及や道路・鉄道の発達、人件費の高騰などから徐々に減少した。20世紀後半には山小屋など、直接自動車道路がない場所に物資を運搬するときのみに使用されている。しかし、山小屋でもヘリコプターによる輸送が可能になり、現在、恒常的に歩荷を専門の職業とする人を見ることができるのは、尾瀬の尾瀬ヶ原地区と白馬岳の夏山期のみとされている。
送電線からの電気がないので、夜の照明はランタンを使う。それで、登山口から灯油をボッカして小屋まで上げる。もちろん、テレビはない。ラジオは乾電池。夏の暑い時に登山者のために冷えたジュースやビールを販売するために、冷蔵庫が必要になって、その電源を確保するために、ガソリンの発電機を回す。エネルギーはガソリンなので、ガソリンを登山口からボッカして小屋まで持ち上げる。それに、カセットガスを利用する冷蔵庫もあって、そのためのカセットガスもボッカする。
小面積のソーラーパネルもあり、バッテリ-などに蓄えながら使用するが、安定的に冷蔵庫に使うほどにはならないし、ラジオやカセットデッキ程度だが、それだけでも確かに有り難い。それにしても、裕福な小屋ではないので、大きな面積のソーラーパネルを設置する資金も乏しい。別の小屋で、ソーラーパネルを設置した小屋の人の意見を聞くと、投資した金額の割には、天候の影響もあって、安定した電気を確保出来なくて、もっと電気を創り出すためのエエエネルギーはないのかね。と悩む。
ちなみに、調理のためのエネルギーは、薪かガスで、鉄の容器に入ったガスボンベを誰かがボッカする。暖房は、薪ストーブ。冷房は、自然の冷気。そういえば、薪を確保するための労力もたいへん。それに、ストーブが、数年に一度の割合で、新調しなくてはいけないので、それを、登山口から小屋までボッカするのも一大イベントなのだ。
そうそう、数十年前に、小屋の主人が、お風呂を造った。その水は、雨水を樋で集めて、それを濾過し、その水をドラム缶に入れて薪で沸かして浴槽に注ぐ。完成した時に、一度だけ、入ったが、水も綺麗と言い難く、お湯もすぐに冷めてしまい、エエ湯加減とは言い難かった・・・。それに1人が入るためのお湯を沸かすエネルギー、所謂、給湯エネルギーの確保とその効率の悪さも手伝って、数回使用しただけで、ほとんど使われることもなく、今は撤去されて物置と化している。
小屋の基本は、雨風がしのげて、ゆっくりと寝られる事だと思うのは、被災者の姿を見ていても、あらためて、そうおもうのだけれど、生活エネルギーという観点に立つと、そんな小屋遊びの体験から、生活するためのエネルギー確保の大変さを実感し、特に送電線から送られてくる電気エネルギーの有り難さには、感謝のおもいすらあるものの、はたして、福島原発事故のような危険を冒してまで、送電線から送られる電気エネルギーを贅沢に消費する生活が必要なのかどうか。じゃぁ、どのような節電や家づくりがバランスのとれた生活エネルギーになるのだろうか。それに、日本という国では、エネルギーをどのように創造するのがエエのだろうか。と考させられる。
ツイッターに「発電施設が電気に困っているのだ。」と書くと、「逆永久機関」というリツィートが反ってきた。それを読んでいると、熱力学第二法則というコトバを思いだして、「熱力学第二法則、エントロピー増大を防ぐのは、「愛」か。」と、リツィートした。インターネットで調べると 熱力学第二法則 (Japanese) - ChristianAnswers.Netには・・・
熱力学の第二法則は、日常生活でなじみのある基本原理を描写しています。それは部分的には、普遍的な崩壊の法則です。それは、全てのものが最終的には時間と共にバラバラになり、崩壊してしまう究極の原因です。物質的なものは不変ではないのです。全てのものは最終的には変化してしまい、無秩序が増加します。どんな物でも買った日と同じように新しいままの物はありません。服は色あせ、すり切れ、最終的にちりに戻ります。2 全ての物は古くなり、すり切れます。死もこの法則の現れの一つです。熱力学の第二法則の影響は至る所に現れ、宇宙の全ての物に及びます。
毎年、この法則の無情な影響に対抗するために莫大な金額が費やされています(維持管理、塗装、医療費など)。結局、自然界の全てはこの法則に従っているのです。
熱力学の第二法則: 物理学者ケルビン卿が専門的に次のように述べました。「熱源を冷やし、外部に仕事を行うだけという自然の過程は存在しない。」 もっとわかりやすく言うと、この法則は、宇宙の利用可能なエネルギーはだんだん少なくなっていく、という事実を述べたものであるということです。最終的には、利用可能なエネルギーは無くなってしまうでしょう。この事実から、どの自然のシステムにおいても、最も可能性が高いのは無秩序な状態であるということがわかります。放っておけばどの自然のシステムも崩壊します。3
エントロピーが増大するのを必死で食い止めようとする作業員。それは、日本の国と国民に対する「愛」なのだろうか。「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」が日本の国の在り方や日本人のライフスタイルを変える、きっかけなのだろうか・・・。
まずは、早期の収束を願いたい。
投稿者 木村貴一 : 2011年03月27日 23:06 « 影響 | メイン | シーベルト »