2010年03月28日
LED
息子と二人でスキーに行って、それなりの渋滞を運転し、家に帰りつく。荷物を降ろして、車を車庫に入れ、我慢していたので、便所に直行する。ほっと一息つこうとすると、ドカドカと奥方が、便所にやってきて、照明器具を交換してぇ。という。確かに、便所の電球が切れていた。白熱球で、ダウンライトなのだけれど、25年前の硝子のカバーが付いている、取り外しが、少々、複雑なやつ。確かに交換しにくい。
便座の上に上がって、ゴチャゴチャ、やりにくいカバーを取り外して、交換する。・・・・と、突然、何だか、急に、腹が立ってきた。岐阜から、250キロほどを、休憩もせず、一気に走って帰ってきて、それなりの渋滞もあり、それに、50を越えて、中学生の息子に付き合うと、体力的にも、きついものがあって、日頃の運動不足と、筋肉の退化をひしひしてと、節々に感じながら運転をしている訳であって。
まずは、お帰り。ビールでも。息子のためにご苦労さん。なんてやさしい言葉の第一声でもエエわけで、それが、その第一声が、「便所の電気交換してぇ!」というのは如何なもの。と、憤っている「私」がそこに居て、いやいや、大人げない、ここは、男らしく、黙って、スキーと運転の疲れなどみじんもみせず、電球など、ハイハイと、いとも簡単に交換する「私」でしょぉ。なんていう、微妙な「私」のシーソーゲームが、脳裏で葛藤し、それが、ちょっとした自己想起のなさで、腹立たしさに傾てしまったのは、便座から立ち上がる時に、筋肉が悲鳴をあげていたせいなのだ。と言い訳しておきたい。
それよりも、何よりも、便所の電球は絶対、超長寿命のLEDにするのだ。と誓う。もう二度と交換しないのだ。それにしても、今度、そのLED電球を交換する時、「私」はどうなっているのだろうか。おそらく、きっと、スキーはしていないだろう・・・。私は此の世に存在しているのだろうか・・・。奥方は・・・・。息子達はどうしているのだろう・・・。なんて事を考えると、LEDの光が、もの悲しい、不死身の光に想えてくるねぇ・・・。やっぱり、ほんのり暖かい、生と死の存在を感じさせる光。そんな光を放つ白熱球にして、便座に上って交換する役割は「私」という事にして頂いた方が、省エネ以上の価値かあるのかも。しれへん。
投稿者 木村貴一 : 2010年03月28日 19:41 « お花見 | メイン | 春一番 »