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2015年01月25日
お餅つきというゆるやかなコミュニティー
日曜日の午後3時過ぎに、「まちのえんがわ」に座っていると、木工作家のヤグラさんが、ふらりとお見えになって、昨日の「お餅つきワークショップ」は楽しかったですわ。昔の事いろいろ想い出しましたわ。と話し始めた。ヤグラさんは定年退職をした後、好きだった木工を製作しながら生野区で暮らしておられて、「まちのえんがわ」の棚にも作品が置いてあり、今年も夏休みの木工製作のワークショップをやる予定なのだけれど、学生の頃は、毎年31日の朝5時に起こされて、お餅つきの準備を始めて、昼頃までにお餅をついて、その臼と杵は近所のひとに貸して、その家族もお餅をついて、懐かしいわ。よく突けたお餅は鏡餅にして、あれ、粉つけすぎたらアカンのよ。そうそう、のし餅とかにもして、お正月二日に親父が着物姿にたすき掛けで、そののし餅を切ってくれたりすんのよ…て。そんなお餅つきの想い出話で盛り上がる。
お餅つきを復活したのが7年前で、社員の家族と一緒にうちの庭で再開して、その時の記念写真を見ると、参加した子供達は7つの年月(としつき)を重ねて子供から少年少女や青年になってきたわけで、お餅つきそのものも次の年から加工場ですることにして、ま、いわゆる「年寄り」からやり方を学んで、いまでは、「若いもん」だけでお餅の準備からお餅つきまでできるようになって、それに伴って、今まで家を建てた施主の方々もお呼びするようにし、徐々に徐々に参加者が増えてきて、昨年からは「まちのえんがわ」で縁をもったひともお呼びするようにして、今年は110名ほどの参加者で、うちの社員とその家族をいれると150名ほど、そういえば近くのくるみ保育園の園児さん達20名ほどが、オトナのお餅つきを見学にこられて、そんなこんなで、にぎやかなお餅つきワークショップになって、ワークショップと云ってるのは、「お餅つき」というのは協同作業による「ものづくり」なのだと、私たちも遊びから学でいたりする。
共同作業をするとか、人と人が集まって何気ないコミュニケーションをするとか、親から子へ年寄りから若者へ文化を伝えるとか、準備をするとか、後片付けをするとか・・・そんな面倒くさい作業や面倒くさい関わり方を通じて、脳内の何かが活性化されて、ちょっとした「喜び」のようなものが湧いて来たりするのだと、歳を重ねるに従ってそんなふうに感じるようになってくるわけで、「お餅つき」という作業の中には、そんな要素がいっぱい詰まっていたりする。
火のエネルギーや水蒸気のエネルギーに力づけられながら、お餅をつく活力とその音の響き、見たり見守られたり、お餅をまるめる作業をするときの前や横にいる人の立ち居振る舞いと息づかいとコミュニケーション、つきたてのお餅を食べて美味しいとおもう時の笑顔、テーブルや椅子やカウンターや囲炉裏のような建築的設えにも助けられながら飲んだり食べたりして、あれやこれやの四方山話をする喜び、そんなお餅つきという一時的なゆるやかなコミュニティーに、そこそこの人数のひとと一緒に居るコトが居心地良かったりするのだろうし、生活と結びついた共同作業とか遊びのなかに日本の文化っていうものが宿っているんだろうね・・・。
2015年01月18日
ライフスタイルをどのように楽しむのか…
そういえば、お正月の1月4日の朝に体を動かしたくなって、自転車に乗ろうかと思ったが、何となく寒いなぁ・・とおもって、それでランニングをしてみた。家から大阪城まで走って、帰りは東成の商店街から布施の商店街を抜けて、10.5Kmを約1年ぶりに走ると、心肺能力は自転車のお陰で、そんなに息も切れず大丈夫だったが、まったくスピードはでず、ゆっくりとしたペースでしか走れなかったうえに、次の日もその次の日も足腰がぎくしゃくして、それに比べると自転車の方が、圧倒的に足腰への負担が少ないので、良さそうにおもえるのだけれど、日曜日の朝に走るにあたって、自転車で落車したり、先日の峠の途中で左ふくらはぎが痙ったりした苦い経験がなんとなく蘇る土曜日の夜があって・・・
そうそう、日曜日の朝に、中年の運動不足太りやストレス解消と、意識して負荷をかけた後のちょっとした喜びのようなものを味わいたいがために、ランニングを始めたのが51歳の時で、それが「まちのえんがわ」のワークショップの縁で、自転車の面白さを教えてもらって、ランニングから自転車に変えてみて、4年が過ぎ、合計でランニングで993km、自転車で3092kmほど走っているらしく、おそらくフツウの数字なのだろうが、それでも、日本の国土の長さが約3000kmらしいので、塵も積もれば山となる。なんていう諺をこの歳になってこんなライフスタイルを通じて実感したりする・・・
こんなのって努力とかではなく、まったくの遊びとして継続してたりするなかで、ちょっとした喜びのようなものが湧いてきて、そんなのがなんとなく麻薬的になって、走らなかった日曜日の朝には微妙な喪失感のようなものまで湧いてきたりし、人間の心理ってオモロイなぁとおもう訳で、最近のテレビに、それは脳科学の世界の「ドーパミン」とかの現象として解説してたりするのを見て、なるほど!っとおもいながら、それで、もはや昨年になってしまった12月28日日曜の朝に、走らなかったストレスのようなものが、12月30日の朝に自転車に乗る衝動をかき立てたりするわけで、たまたまお正月休暇だったので、平日だったが、久宝寺緑地で日の出を見て、葡萄坂を上がって、お正月前の信貴山に参拝し、フラワーロードから十三峠を下って家に帰りつくと、微妙な達成感のようなものに喜ぶわけ。
それが、1月に入って、11日の日曜日は寒さと新年会連続疲れを言い訳にしつつ、冒頭で書いたような、自転車での苦い経験を土曜日の夜に蘇らせようとする不思議な心理が働いて、早朝から起きる気力のない「私」が出現する始末で、じゃぁ気を取り直して12日の祝日の朝から走りたい気分の脳内物質が活性化しそうだったが、前日の新年会が夜中の2時まで及ぶと流石に早朝から起きるはずもなく、それなら昼から走ってもエエではないかとおもうのに、融通が利かない「私」も出現し、そして今日の18日の早朝の「私」は、前日の土曜日の夜から少し風邪気味の微妙な体調と寒い早朝を想像する脳と自転車での苦い経験値とめんどくさい気持ちと朝10時から住宅相談会がある日曜日だという心理が、脳内物質をぐるぐるとかき回して、走ったあとの「ご褒美」のようなものすら想像出来ないほど、一瞬の「あーだこーだ」状態に巻き込まれ、それで走らないことにすると、微妙な罪悪感のようなものが発生して、そんなのがランニング中毒のような因子になるのだろうが、ま、年齢がいくに従っておもうのだけれど、バカボンのパパのように、こんな「あーでもないこーでもないようなコト」にいちいち「考慮」せずに無為に事を為すのが良さそうなのだ・・・と、いまここでフィードバックしながら書いていて、そうおもう。
さて、本日の相談会の10時からのAさんご夫妻は、それぞれが趣味でものづくりを楽しんでいるご夫妻で、65歳を過ぎた定年後の戸建てリフォームのご相談であって、ここ数年、私の両親の介護の経験からすると、やはり1階に快適な寝室と収納と便所と洗面とお風呂がバリアフリーで隣接しているコトと、老後に起こりやすいヒートショックの問題を解決するための適切な断熱と気密による温度ムラの少ない室内環境も大切で、耐震もベーシックな問題として解決しながら、日々の暮らしを楽しむことが出来るライフスタイルを建築的にどのようにサポートできるかが、問われているのだろう・・・・。
昼からのBさんは、まだ20代のご夫婦で、うちの長男の同級生の、よく一緒に家族どうしでキャンプに行った娘さんが、ほんとに小さな女の子だったのに、一緒にデートできそうなほどの女子になっていて、会社の同僚の男子が、オシャレな家を造りたいと考えていて、それなら知っている工務店があるので紹介してあげるわ・・・と、一緒に連れだって相談会に来てくれた。
新築が良いのか中古住宅を買ってリフォームする方が良いのかは、家づくりの総予算と、希望の地域の土地価格と、どんなライフスタイルを実現したいかのバランスによるわけで、満足と我慢のバランスのなかで、さまざまな建築的解決法があり、それにインターネットを通じていろいろな家づくりの知識を情報として取得できる時代でもあって、「若くして家を造って定年時にリフォームする」時代なのだろうし、さまざまなライフスタイルで「家を楽しむ」時代でもあるとおもうわけで、そんなのを象徴するような住宅相談会だった。
2015年01月11日
「新鮮な潤滑油」としての新年会
木村工務店の新年の初出は1月6日で、それは昔からそうなっていて、この日だけはスーツとネクタイというドレスコードが決まっていて、勿論、大工さんを含めて職人さん全員がそんな出で立ちで清見原神社にて参拝をするのが習わしで、協力会社の人たちも一緒に参拝するのも昔からのしきたりのようなもので、それだけ、さまざまな業種と共に仕事と責任を分担しながら、ものづくりのチームとして家を建てるのが「工務店」という組織なのだ。と、こんな、あらたまった儀式を通じて、何かを伝えようとしているのかもしれない。
いま、という時代が、どんな時代なのかテレビやネットで様々に伝えられているが、なんとなくイメージでは、20代30代40代の比較的若い人たちが、それも社員でない人たちも一緒に、初出の参拝に集う姿を想像出来る時代ではないような気がするのだけれど、それが不思議に、10年前より一緒に参拝する人数は増えていて、60名ぐらいが拝殿に座りきれず立ち見でお祓いを受けるという、ひとつの現象があって、ドラッカー先生が云う、「企業の目的は顧客の創造である」とするのなら、企業という組織が、社員を越えたひとつの組織=チームとして、これまでのお客さんに感謝し、また新にお客さんが出来る事を皆で一緒に願うという、「チーム」として、ひとつの祈りを「共有」する機会なのだろう。
うちにとって有難いことのひとつは、清見原神社の増改築工事に長年携わっている事で、いわゆる木村工務店にとっては「施主」でもあるわけで、自分たちが造った神社だという意識のようなものが、社員や職人や協力会社が、「ここ」に集う事に、より深い意義を見いだすのだろうし、それが建築に対する心構に引き締まった気分をもたらしてくれているのかもしれない。その参拝の後に新年会をするというのも、私が入社した時は既にそうで、この一連の流れから75名ほどで新年会をするコトで、お互いに挨拶を交わし飲んで食べて笑ってお正月気分を一気に払拭して、明日からはフルスロットルで仕事をするのが、伝統を受け継ぐ「木村工務店スタイル」としての新年の幕開けでもある。
昨年までの「私」の新年は、自社の新年会が終われば、改修工事をしている企業さんに新年の挨拶回りに行くのが通例だったが、弊社会長が不在となり、生野区の役所関係の新年会や生野区産業会の新年会に出席することが新たなシゴトとして加わった「未年」で、そんなこんなで、4日連続に中一日於いての5つの新年会が続く事になり、その後の2次会のようなものも、それぞれ違ったスタイルで発生したりするわけで、大工と激論を交わす2次会があり、議員さんと激論を交わす2次会もあり、JAZZライブを聴く2次会があったりして、それに今日は夕方5時から夜中の2時まで延々と続いた小中学校の新年会があって、そうそうちなみに、公立の小学校中学校だったのに、4クラスの生徒だけが9年間そのまま一緒だったので、ファミリーみたいなもので、小学校の時の友達どうしの関係性をそのまま維持しながら延々と話が続くのが不思議でもある。
万歳三唱で終わる宴会が連続すると、なんとなく、まぶたが腫れぼったくなっている鏡の自分を見て、笑えてきたりするわけで、ま、それにしても、考えてみれば、人と人との潤滑油としての新年会であり、企業と企業の潤滑油としての大切な役目もあるわけで、それに「マチ」と繋がる潤滑油のような役目も担ってくれるのだと新に学びながら、何よりもイロイロなコトをリセットして「新鮮」という気持ちに、なんとなくさせてくれるのが、新年会のちょっとした喜びのようなもんだろうね・・・。
2015年01月04日
お正月気分
紅白歌合戦がパーンという音響と共にテープが飛び散り、観客の歓声とともに終了し、しばしの「静け」さがあって、ゆく年くる年の映像だけが流れ、カメラがパンしてお寺の映像や雪や人の姿とともに周辺の心地良い音が流れてきて、暫くしてアナウンサーの声が流れ出す…。その、しばしの「静けさ」が好きで、それを味わいたいがために、紅白のとりの歌をを聞くようなもので、ま、あれやこれやの歌と共に2014年の個人的な内面に去来するブツクサを流し去り、なぜいまだに紅組と白組で勝負を争わなければならないのか良く解らないが、そのちょっとしたバカ騒ぎ的な勝敗の興奮があってこそ、その後に訪れる日本的な静けさがエエと思えるのだと妙に納得させながら、NHKテレビに映し出される、ゆく年来る年の除夜の鐘と共に、家の居間で、2015年の新年を迎えたわけで、
新年明けましておめでとうございます。
両親が住んでいた家に数寄屋の座敷があって、その座敷に見守られて、元旦の朝8時頃から「おとそ」をするのが木村家の習わしで、時として、祖祖母や祖父や祖母や父や母や妹や弟や「私」がその座敷に集った日があり、時として、祖父、祖母、父、母、妹、弟、妻、長男、「私」が集った日もあったが、ついに今年は、妻と長男と次男と「私」という「時」がやってきて、床の間の前に「私」が座る順番になった。そんな「うつろい」のようなものを見守ってくれる数寄屋造りの座敷という空間を長屋の中に造作したのが祖父で、それを新築の時に移築したのは父であって、それ故に、猛烈に寂しさを感じる元旦のおとそになるのかとおもったが、おもいのほか、新鮮な気分で、過ぎ去りし皆と一緒にお正月に集えた気がして、そんなのが「建築のもつ力」なのかもしれないとおもう。
12月30日になると「黒門」と「鶴橋」で食材を買うという木村家のスタイルを造ったのも「おじいちゃん」で、それを「オヤジ」が引き継いで、今年からは「私」がそれを引き継ぎ、お金を払う順番が回ってきて、奥方と共に、アジアからの観光客が増えて超満員のクロモン市場で、体を擦り合い人混みに揉まれながら、威勢のいいかけ声に誘われて、普段より相当気前よく食材を買う事に、独特の喜びのようなものが湧いてきて、それが「市場は都市のカマド」といわれる由縁なのだろうが、祖父と祖母も父と母も同じような気分を味わいながら、子供達や孫に「うまいもん」をご馳走してくれていたのだと知るのに、55年の歳月を費やした…。
今年は次男が受験だという事もあって、おとその後の朝9時過ぎに、地元の清見原神社で、ご祈祷をしてもらった。拝殿に座って神殿を眺めながら、東向きの窓の格子の影と朝日が映し出された、檜の床の無垢材独特の光沢が美しく、ご祈祷の後に宮司さんから、固く絞った雑巾で拭いているだけですが、5年を経過して尚一層光沢が出てき事を嬉しそうに伝えてもらうと、加工場で沖棟梁が念入りに念入りに手鉋をかけていた姿が想い出されてきて、これも「建築の力」なのだろうが、丁寧な仕事を心がけな、あかんなぁ…と身の引き締まる思いがして、それが今年最初の建築的想いであった。
12月28日から今日の1月4日まで、基本的には家の居間の暖炉の火の横で、ひたすら本を読み続け、時々1枚のJAZZのCDだけを繰り返し繰り返し聞き、夜になると歴史のDVDを8枚見て過ごすことになった、私なりの悦楽的お正月で、スキーに行かなかったのは15年ぶりかもしれない。そうそう、2日と3日に丹沢の堀山の家の友人達からお誘いがあって、独りで出掛けるつもりにしていたが、1日の大雪のために2日午前中は高速道路が通行止めになって行けなかった。いや、それでも、その気になれば、何としてでも行ったのだろうが、流石にお正月のゆったりとした気分とダラッとした気分が入り交じっていて、そのうえ暖炉の横で本を読み続けていた心地良さの誘惑から逃れがたく、そんなこんなが、「障害を乗り越える意識的なちょっとした苦しみの克服としての遊び」より「お正月気分」をチョイスした・・・。
それはそれとして、皆さま、本年も「木村工務店」と「まちのえんがわ」をご愛顧下さいますようよろしくお願い致します。
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