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2006年02月26日
菜の花
リフォームの現地調査はめんどくさい作業だなぁ・・・と、作業の前は、いつもいつもそんなふうに思ってしまう。やりはじめると、 それなりに面白くもなり、メジャーをあてて寸法をあたりながら、へぇー、なるほど、こういう寸法が、こんな風な印象をにさせるのだなぁ・・・ と感心することも多々あるのだが、私にとっては、めんどくささとの内面的な戦いとも言える作業だ。とにもかくにも、建築を設計する作業とは 「数字」というものに置き換える作業だなぁ・・・・と、現地調査をする度に思うのだった。いずれにしても、 現地調査は人間で言う健康診断と同じだなぁ・・・大切な作業だなぁ・・・でも、めんどくさい作業だなぁ・・・・といいながらも、私は、 現地調査にわりとよく行く。大概は、私と設計担当者と見積担当者の3人の組み合わせが多い。6つの目で調査し、情報を集めるのだった。
会社から車で10分ほどのところにある東大阪市の小阪という町で、現地調査があった。大きな家だったので、4人で調査をした。 お昼の2時前から4時頃まで2時間ほどかかったろうか、作業が終わって、会社への帰り道、なぜか、突然、「司馬遼太郎記念館」に行こう!と思った。 司馬遼太郎の家の前は何度も通ったことがあった。車で通ったり、子供と自転車で通ったりと・・・・。ただ、 安藤忠雄氏が設計したという記念館は、近いからいつでも見にいけるは・・・と思いながら、ついつい見に行く機会を逃していたのだった。
圧巻は2万冊の大書架だ。 惚れ惚れするような美しい空間だった。見学出来るものは少ないのに、何時間も滞在できそうな、そんな空間だった。それにしても、 これでも蔵書の半分とか3分の1だとボランティアの係員が言っていた。一緒に見た、うちの会社のK君が言った。今までも、 そしてこれから一生かかっても読む本はこれぐらいの量かなぁっと、書架の前で手を広げて示してみせて、係員共々、皆で笑い合った。 手を広げた量ぐらいが普通の人の本棚の量だったが、ここには、圧倒的な量が存在した。そして、そのバックボーンがあって、 ようやくあれだけの本がかけるのだなぁ・・・・・と感心した。
「21世紀に生きる君たちへ」という一文が目にとまった。なんでも、小学生の教科書にも載っているらしい。私は、今まで、 知らなかった。その中に、こんなことが書かれてあった。「自然への素直な態度こそ、21世紀への希望であり、君達への期待でもある。 そういう素直さを君達が持ち、その気分を広めてほしいのである。そうなれば、21世紀の人間は、より一層自然を尊敬することになるだろう。 そして、自然の一部である人間同士についても、前世紀にも増して、尊敬し合うようになるに違いない。そのようになることが、 君達への私の期待でもある。」 う~ん・・・・。私たちも取り組んでいる、自然素材を活かした家造りというものも、「自然への素直な態度」 を基盤としなくてはいけないのだなぁ・・・・って、あらためて、考えさせられた。
「自己を確立せねばならない。自分には厳しく、相手には優しく、という自己を。」なんていう事も書いてあった。う~ん、なるほど・・・ ・。っと頷くのは容易いが、実行するとなると・・・・ね。・・・・・。そして、「川の水を正しく流すように、君達のしっかりした自己が、 科学と技術を支配し、良い方向に持っていってほしいのである。」と続く。今、建築界で巻き起こる姉歯問題を顧みても、 しっかりした自己が科学と技術を支配し、建築を良い方向に持っていくのだなぁ・・・と。ところで、 あなたにはしっかりとした自己がありますか・・・と問われれば・・・、深く考え込んで、沈黙してしまう。
「自己と言っても、自己中心に陥ってはならない。人間は、助け合って生きているのである。 ---中略--- このため、
助け合うということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや、行動の元の元は、いたわり、という感情である。他人の痛みを感じること、と言ってもいい。優しさ、
と言い換えてもいい。いたわり、他人の痛みを感じること、優しさ、みな似たような言葉である。この3つの言葉は、もともと1つの「根」
から出ているのである。根と言っても、本能ではない。だから、私達は、訓練をしてそれを身につけねばならないのである。」 そうか、・・
・、「訓練」をして身につけていかなければいけないのか・・・。なるほどなぁ・・・。そうだなぁ・・・と。
司馬遼太郎記念館に行った次の日の夜の事だった。 当社の協力業者でつくる精親会という会がある、以前にも何度か紹介したが、精親会の精は初代社長の精一の精だ。 自然素材というものを積極的に扱った家造りをすると、やはり、信頼のおける職人がいる専門工事業者との、しっかりとした、信頼関係がより、 必要になってくる。そこで、その夜。その役員さん、数名と会合を開いた。 その会の会長を務めるのは岡房商店という40年来の付き合いのある材木屋さんの社長さんだ。もう80歳を超えるのに、ゴルフも現役で、 若々しい。その席で、その会長曰く、「今の職人さんは、「思いやり」に欠ける傾向がある・・・・・。」と。
どこかで、聴いたような言葉だった。そうそう、司馬遼太郎の「いたわり」という言葉だ。その「思いやり」という言葉とが、 先日のオリンピックのペアーのアイススケートのようにシンクロして、クルクルと回った。そうそう、 訓練して身につけていかなければいけないのだなぁ・・・・・・。今も生きて、そこで、 執筆活動をしているような雰囲気を残す司馬遼太郎の書斎の前と記念館のアプローチに生け花としておいてあった、「菜の花」が印象的だった。 菜の花を見て、遠足で行った、山辺の道を思い出した。そして、その「黄色」に不思議な魅力を感じさせられた。
2006年02月19日
声
バレンタインデーの日、昼食を食べ、休憩したあと、仕事をはじめると、暫くして、急に、声が出なくなった。突然の出来事だった。 喋ろうとするのだが、声がかすれて音声にならない・・・・・。例えて言うなら、しゃがれた声のスター、うーん、誰がいいのだろう、 jazzのマイルスの声、っといっても、知らないかなぁ。トムウエイツという歌手のしゃがれ声、やっぱり、あまり知られてないなぁ・・・。 森進一、・・・。これも古いかぁ・・・。だれだか良い名前が思い浮かばないけれど、とにかく、声がかすれた歌手やスターのように、 しゃがれ声の格好良さ、なーんていうものとは、とーぜん違って、全く、音声にならないのだった。あまりの私の音声に、喋ろうとするたびに、 まわりの社員からは失笑が巻き起こる始末だった・・・・・。
どうやら、そーいう風邪が流行っているらしい。熱は全くない、けだるくもない、インフルエンザでもないらしい、ただただ、喉がかれ、 音声にならないのだった。いやいやぁ、そうじゃない、声がかれる前に、社員の○○○君に怒ったから、その怨念が喉に取り憑いて、 喋れなくなったのだぁ・・・・。っというのが社内のもっぱらの噂だった・・・・・。
ところが、この週には、初めてお会いする人が3組も重なって、なおかつ、数年ぶりにお宅に訪問させていただいて、お会いする方が、 数名もいて・・・と、伝えたい思いは一杯あるのに、その三分の一も伝えられず、もどかしくて、もどかしくて、仕方なかった。「声」 にならないという事が、なんとストレスとなる出来事なのかと、その種の障害を持った人って、やっぱり、大変だなぁと、 思わずにはいられなかった。
このブログのタイトルは、木村工務店の思いを、「声」として発し、その発せられた声を言葉に置き換えて、皆さんに届けよう・・・ という意味でタイトルを付けた。まぁ、木村工務店からの声といよりは、木村貴一の声となってる部分が多くて、私物化してしまった状態で、 ほんとうに木村工務店の声を反映しているのぉ!っていう意見もないわけではない。そこんところは、私自身へのいましめや、 自助努力となるようにと、こんなタイトルを付けたのだということで、好意的に解釈してよね。
とにかく、その「声」がでないのだった。喉飴や喉ヌールを再三、試みるものの、全く効果はなく、あまぁ~~い、 バレンタインデーのチョコレートを喉に絡めながら、食べてはみたのだが、確かに、ハートにはその効果を発揮したのだろうけれど、喉には、 全くの効き目がなかった。残念・・・・・・・。この週にお会いして、私の、わりと、不愉快な、しゃがれ声をご静聴下さった皆さん、 ゴメンナサイ。次回お会いするときは、張りのある声でお会いできるように、まぁ、今日は、静養することにします。
2006年02月12日
キャンドルサービス
耳をそうじをしてあげるのが趣味だなぁ・・・というと、どう思われるのだろうか、ちょっと不安だなぁ。思わず、 よだれがたれそうになりながら耳そうじをしてもらうのも、ほんと、気持ち良いのだが、どちらかと言えば、「とる」ほうが好きなのだ。大きな 「それ」が取れた時には、とってる方にも快感があるのだなぁ・・・。子供が勝手に耳をそうじすると、なんで、 無断でそうじするのかぁと怒ったりして・・・。心の「あか」まで取れて、スッキリとしたような気がするのだがぁ・・・・。
先日、オーストラリアに住む奥方の友人が帰国した。その時、 お土産にアメリカインディアンが使うというおかしな耳そうじの道具を貰った。それには、Ear Candles と名付けれらてあった。 兎に角、一度体験してみろといわれて、横になる。そして、耳におかしな筒をあてがわれた。勿論、自分では、見えないのだ。 「これから火を付けるので・・・」 「えー、火、どういうこと」と戸惑ったが、とにかく言われるままに従った。耳元で、 マッチを擦る音と筒に火が付いた様子が感じられた。何度も言うように、私にはどんな格好か見えない。「へん」な様子であることは確かだ。 横になりながら、耳に筒をたて、その筒を自分の手で支えている。そしてその筒からキャンドルのように火が燃えている。 その様子を想像してみるのだが、滑稽だなぁとは思うものの、まるで、想像できないでいた。気持ちよいことも、気持ち悪いことも、 なぁーんともなかった。ただ、おかしな格好をさせられている事だけは確かだった。キャンドルの火が、根本まで近づくと、流石に、耳元にまで、 火が迫ってきているように感じられて、ちょっと不安にもなった。「まだかいなぁ・・・」と呟くと、「はい、もう、終わり」と言って、 キャンドルの火が消された。むくりと起きあがって、燃え残った筒を開けるのを眺めた。うわー、もの凄い量の耳あかが・・・。というより、 耳くそがぁ・・・・。なんで、こんな方法で取れるのか不思議だった。静かな時間が流れたことと、何となくこころまで掃除をさせられたように、 思わされるところが、アメリカインディアンのフォースなんだろうか。
無理矢理、子供にやらせて、その様子を眺めてみることにした。何とも不思議な格好だった。へんだ。 俺もこんな格好をしていたのかぁ・・・と、漂う香りを感じながら眺めた。とっても、不思議な時間が流れた。 同じように沢山の耳あかが取れた。はっきりいって耳くそという表現のほうがふさわしかった。画像にすると、あげそう・ ・なので、 小さな画像で、 雰囲気だけでも・・・、 え、そんなん、見たくもないって。・・・・。
いったい、どうやって、こんな事を発見したのだろう・・・・耳に筒をあてて火を点し耳あかをとるなんてこと・・・。インディアンの 「知恵」って面白いよなぁ・・・・・。インターネットで調べてみると、外耳傷害を起こす例もあるらしい。 、えー、もう、使ってしまったではないか・・・・。、「頭の中の老廃物まで排出する効果がある」とも書いてあった。ひょっとして、 今度お会いしたときは、スッキリとした顔になっているかも・・・。
2006年02月05日
鍋
ちょっとした新年会のようなものが二つほどあって、学生時代にフリスビーが好きな連中が集まったサークルがあった。え、フリスビー。 そんなのまじめにするのぉー。っというような感じなのだが、 飛んでくるフリスビーを回転しながら皿回しのように指先で受け取ったりするフリースタイルとか、 アメリカンフットボールのようなアルテミッドとかガッツとかディスクゴルフとか呼ばれる種目があって、まぁ、兎に角、 そんな連中と付き合いがあり、前にも紹介した、ジャズとフリスビー好きの主人が経営する堺の鰻や竹うちに集まって、鰻鍋を食べた。 いまだに休みの日はフリスビーをしているというちょっと珍しい主人でもある。鰻の鍋っていうのも珍しいけれど、これが、 かなり美味しかった。
もう一つは社員とその家族がうちの家に集まって皆でふぐ鍋を囲んだ。以前にもブログに書いたけれど
、この2年ほどの間に1歳前後の子供が4人にもなっていた。木村工務店では、ちょっと した ベビーブームだったの だなぁ・・・
・。工事をさせていただいたお客様で、これをお読みの皆様。顔なじみの担当者の奥さんと子供達が混じっているのだけれど、
な~んとなくそれらしい雰囲気という程度の写真に留めておくことにしようかな。お会いする機会や電話の時には、「突っ込み」
いれてあげてよね。出席できなかった人や写真に写っていない人もいるので悪しからず。
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