2015年07月19日
幾久しく
結納という儀式が今という時代に必要なのかどうか、家と家が結ばれるという考え方が必要なのかどうか、そういう習わしのようなものを、素直にやってみる事に、あまり違和感を感じなくなってきたのは、木村工務店の三代目として、さまざまなものを受け継ぐ立場になって、いろいろな伝統行事のようなものを少々の葛藤を繰り返しながら経験してみると、意外とエエではないか!とおもえるようなものが多々あって、そんな個人的な感覚が、「私」のどこかに存在しながら、長男の結納を納める儀式を体験することになった。
縁というのは摩訶不思議なもので、午前11時頃、福島県会津若松の隣の喜多方の駅前に佇む奥方と私と長男の姿があって、そこに到着するまでには、丁度、台風11号が関西方面に接近し、伊丹空港から福島空港まで飛行機が飛ぶどうか、前々日ぐらいからやきもきし、前日には夜中まで眠れなかった奥方の姿があり、それは、昨年の夏のNY旅行の日に、関空から成田まで台風で飛行機が飛ばず新幹線でぎりぎり間に合った「私」の姿を想い出させて、故に、それはやっぱり「私」が招いた出来事と縁なのだという小さな噂が社内で広まっていた。
結納は日本全国どこでも同じようなものだと、なんの疑いもなく思っていて、大阪の男子と会津の女子が婚約をする事になり、大阪の木村家が受け継いできた結納のしきたりに従って、品々を揃えて、喜多方のT家にお伺いし、近くの料亭で、教わったとおりの位置関係で品々を並べると、そこの女将さんが、会津では、木村家の屠蘇(とそ)とT家の屠蘇をひとつの盃に混ぜて注ぎ、3枚に積み重ねた杯を小さい盃から男性と女性で盃を酌み交わし、中の大きさの盃で父親どうしが盃を酌み交わし、大きな盃で母親同士が盃を酌み交わすのが習わしで、どうしますか?やりますか?と聞かれて、勿論、その土地の習わしに従うのが礼儀であり、夫婦揃って、快く受け入れて、体験することにした。
結納の品々を前にして、両家が分かれて、男性側の「私」が口上を述べる訳で、何よりも「幾久しく」というコトバを使うのは初体験であり、そのコトバの音感がとっても新鮮で、発してみると神聖な気分にすらなるわけで、幾久しくよろしくお願い致します。とお互いの父親どおしが、口上を述べあって、関西風の儀式が終了し、その後、会津のしきたりに従って盃を酌み交わしたのだけれど、それがおもいのほか心地良く、両家の中に心構えのようなものが芽生えたのは確かで、夜噺の茶事での千鳥の杯をちらちらと想い出しながら、二人の婚約を祝った。
そうそう、こんな品々を並べることは会津にはないらしく、地方によって全く違うことを初めて知るのだけれど、そういや、私だって、奥方とは大阪人どうしなので、ホテルで結納を交わし、儀式としてはあまり鮮明な記憶として残らない都会的な婚約式だったが、藁葺き屋根風民家のような大きな料亭の神棚の前に並んだ結納の品々のその前の窓の外には、青々とした田んぼと雲に覆われた磐梯山が真っ正面に見えて、なんだか日本を感じたなぁ…。
投稿者 木村貴一 : 2015年07月19日 00:01 « 虹とキールアーチ | メイン | 山小屋の魅力 »