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2007年03月25日
ケアンズ
最近、巷で、よく言われるように、いまひとつ、あなた方親子も、父と子のコミュニケーションが巧くとれていないので、明日の休日は、 一日、父と子の親子二人で、仲良く過ごしてね。と奥方からのお達しがあった。よくよく話を聞いてみると、お昼から同窓会があるので、 子供の面倒をみてよね。いやぁ、見るべきよ。という事らしい。確かに、「華麗なる一族」の最終回の結末のようになるのは辛いよなぁ・・・・ と、脳裏をよぎった。
ゲームで一日、子供と一緒に過ごすのも流石に辛い・・・・。インターネットを見ていると、季節はずれの寒波が到来して、 「春なのに最高のコンディション」とスキー場のホームページに歌われていた。そういう短い文言に心は動かれやすい・・・・。そうだ、 いっそのこと、親子二人だけで、スキーに行ってみることにしよう。
4時前には家を出て、車で岐阜の鷲ヶ岳スキー場に行った。確かに雪がたっぷり。 四方の山の頂きにも白い雪が覆われていて、 ドピーカンの天気と相まって、美しい。 圧雪車でギュウギュウに押し固めてあったジャリジャリの雪も気温の上昇とともに適度に溶けて、どんどんコンディションが良くなる。 春スキーって、何十年ぶりかな。
二人っきりでリフトに乗って、子供と会話し、ふと、リフトの支柱に目をやると、 垂れ幕に文言が書いてある。何気 なく読むと、「サムイ台詞でスベるより、アツい恋におぼれよう。」と書いてあった。え、 何のこと、スキーと何の関係・・・。うん、でも、なかなか、面白いなぁ・・・・。リフトに揺られながら、 リフトの横に子供が座っているのを感じ、奥方が横にいないことも感じ取って、自分が恋におぼれてる姿などを想像してみた・・・・。 いやぁ、まったくの中年男性じゃないかぁ。と、いま、気付く。
よく見ると、HISという旅行会社のオーストラリア、ケアンズ旅行への宣伝文句だった。十枚近く支柱に貼ってあった。隣の子供に、 何気なく、ゲーム感覚で、「ここに書いてある、文句、全部、暗唱できたら、ゲーム買う。ってどぉ?」っと、軽く、聞く。「そんな、 アホなことせえへんワー」という答えがくると思ったら、「え、それ、ほんと、約束なぁ」と、意外な答えが返ってきた。あわてて、 「帰りの車で言えなアカンでぇ」と、意地悪な父と化していたのだ。
合計8枚の宣伝文句があり、それを覚えるまで、何回もリフトに乗り、そして、滑走を繰り返した。 普段は残りの支柱の台数を13/23などど、心の中で呟くことを思えば、それなりに、楽しかった。1時頃、リフトに乗りながら、 暗記できた事を確認すると、早く、車に戻って、暗唱できるかどうかやってみて、そして、帰ろう! と言い出した。まぁ、そんな訳で、 夕方の5時頃には大阪のおもちゃ売り場に到着していたのだった。
ケアンズは
お笑いコンビではない。
ジェットスキーをしたことがない?
それでもスキーヤーか!
上を見てみろよ。この空、
ケアンズまで続いているんだぜ。
ゲレンデでは、スキーしろ。
ケアンズではスキにしろ。
ここは飛び降り禁止。
ケアンズなら飛び込み放題。
スキーウェアでかわいいなら、
脱いでもきっとかわいいぞ。
サムイ台詞でスベるより、
アツい恋におぼれよう。
そこには甲子園はないが、
アツい夏がある。
と、私のお気に入りは、「スキーウエアーでかわいいなら・・・・」と「サムイ台詞で・・・・」だ。やっぱり、まるきりの中年男だな。 子供のお気に入りは「ゲレンデではスキーしろ・・・・」と、やっぱ、子供は潜在的に、好き勝手にしてみたいのだろうなぁ・・・・・。
それにしても、スキー場にこんな宣伝をしようとした企画と、それをやってみた勇気って、なかなか面白いよナァ。それによって、 どんな宣伝効果がうまれて、どんな収益があがったのだろうか・・・と、想像してみるのが、今の私の立場ってとこかなぁ・・・・。そうそう、 そんな事より、こんなことで、父と子のコミュニケーションは良かったのだろうか・・・・・。確かに、その方法論に、 我ながら疑問が残るものの、思い出に残る一日だったという事で、「良し」してもらうか。
追伸
家に帰って、奥方の前で子供が「さむい台詞で・・・・」と暗唱すると、奥方のあきれた視線が、私に注がれ、それぐらい、
学校の勉強も真剣にしてくれたらなぁ・・・・。それにしても、もうちょっと、ましな文句を教えること、でけへんのぉ・・・・と。
なんともいえないな視線が・・・・・。確かに。う~ん、それじゃぁ、これからは、「古池や蛙飛び込む水の音」とでも書いて、
貼ってもらうように、スキー場にお願いしてみるか。
2007年03月18日
ギャオ
GyaOから送られてくるメールを何気なく見ると、 「レゲエの神様ボブマーリーが甦る」というタイトルだった。何気なくメールをクリックをして、GyaOのホームページから、やっぱり、 何気なくその映像を見だした。何気なく、脳と人差し指が連携して、何気ない無意識に支配され、 何気ない行動のよに自分自身をよそおいながらも、実は、その奥底には、19歳の時に見たボブマリーのライブコンサートの思い出が、 そのように振る舞わせていたのだと思う。
確か、大阪のフェスティバルホールで、二人の女の子と3人で見た。女の子という言葉を発しながら、いまの年齢を考えると、けっこうな、 おばちゃんになっているんやろうなぁ・・・・と、自分の姿を顧みず、ちょっと想像してみて、ぷっと吹き出しながら、 当時の事を思い出してみた。その当時の「私たち」にとっては、ものすごく感動をするコンサートだったのだろう。2、 3日後にあった大阪厚生年金会館でのコンサートにも、3人で、当日券を買って、行ったのだ。今となっては、 そのボブマリーのコンサートでの会場の雰囲気そのものと、3人でコンサートへ行ったというその体験そのものが、 なんとも私のハートを暖かくさせてくれる・・・・・・。
その映像の中で、レコードの制作者側からの視点が語られていたのが、興味深かった。ひとつのスターを産み出すための編集作業。 そのプロデューサー曰く、ボブマレーにとってのプロデューサーというより翻訳者だ。というような事を語っていた。そんな感覚がええなぁ・・・ ・とおもった。
そうそう、うちの工務店の設計は、どちらかといえば、創造性豊かな設計というよりは、編集作業に近いとおもう。 お客様の思いを翻訳するという作業に近いかもしれない。様々な要素を最適に組み合わせたり、今回の家造りにはふさわしくないから省いたりと・ ・・・。様々なトラックに録音された音を最適に組み合わせたり、新たな要素を付加することによって、ロックにアレンジしたりと・・・・。 そんなスタジオでミキシングをしている姿に似ているのかもしれない・・・・。お客様の潜在的なイメージを編集しアレンジし、世の中に、 家として産み出す作業。そんな設計だとおもう。
そう言えば、当時、所有していたボブマレーのレコードは、息子に渡り、今は、東京のアパートで、 壁のインテリアとして飾られているらしい・・・・・・。
2007年03月11日
1200の夢
ひょんな事から大阪アウトドアーフェスティバルの招待券をもらったので、初めての体験だけれど、行ってみる事にした。 インテックス大阪に着くと、結構な人にびっくりした。入場料がいくらかと確かめてみると、1200円もするのだが、それにもかかわらず、 かなりの賑わいだった。
キャンピングカーのブースに行くと、やはり、いっぱいの人だかりで、人気の高さに驚きながら、何十台も見て回った。小さな狭い室内に、 キッチンやベットやソファーを巧く作り込んでいるものだなぁ・・・、子供部屋とか、おじいちゃんおばあちゃんの部屋なら充分使えそうだな・・ ・・とおもいながら、建築空間とはまた違う魅力は一体なんだろう・・・・と感じた。
2メートルほどの幅に5メートル~6メートルほどの奥行き。そして1800にも満たない天井高。その中に、 ソファーやキッチンやベット、それに便所が、ちょっとしたギミックと共に濃密に押し込まれているのが、 空間的な面白さにつながっているのだろうか・・・・。茶室のように、小さくて低い空間のほうが、人間の意識に何かが働きかけ、 意識の広がりを感じさせたりするのに、似ているのだろうか・・・・。狭い空間のほうが妙に落ち着いたりするのは不思議だなぁ・・・・。
そんな中にあって、車の中を見るのに行列が出来ている所があった。エアーストリームというトレーラーで、
丸みを持った銀色のアルミボディーがひときわ美しくて、目立っていた。1200万円という金額に腰が引けたが、
行列が少なくなった時を見計らって、並ぶことにした。それでも、5分は待っただろうなぁ・・・・。
2.4メートル×7.8メートルほどの空間にいわゆる1LDK+シャワー室+トイレがスッポリと収まっていた。 アルミで張り巡らされた天井や壁が独特の光沢を放って、なんともいえない雰囲気があって、ええなぁ・・・・・。 窓の形やそのとり方も美しくて・・・・。R形状のアルミの天井の高さが適度に低くて、心地よかった・・・・。 アメリカの上質のデザインだなぁ・・・・。
次は、庭にこれを置いて、生活したらぁどぉ・・・と、奥方が言い出す始末だった。それを聞いて、このトレーラーハウスと庭と塀、 それに小さな家が組み合わせた新築住宅を想像してみた・・・・・。
2時間ほど巡った後、出口を出ると、向かいの館内で、輸入車の展示をしていた。こちらは、無料だったので、 チラッと覗いてみることにした。ベンツ、BMW、ワーゲン、ボルボ、フェラーリ、ポルシェ・・・と、まぁ、有名な車が、いっぱい、 展示されてあった。ダークなスーツを着込んだ、パリッとした、ちょっと強面の販売員の人たちがズラりといて、 先ほどのキャンピングカーのラフで、気さくな雰囲気の販売員とは対照的で、そのギャップが、なんとも、面白かった。 女の子の雰囲気も全然違うよなぁ・・・・。
その中で、特に目立っていたのが、内装を真っ赤に特装した、ハマーだった。ラップがガンガン流れ、 内外部のイルミネーションが怪しい光を放っていた。下品と言えば下品なのだが、ここまですれば、やっぱり、カッコエエなぁ・・・・と、 思わず呟いてしまう。狭い車内も、内装によって、これほど変わるのだなぁ・・・・と、窓越しに内装を見ていると、 後ろの窓から覗いているカップルの女の子が、これ、キムタクが乗っているのと同じヤツとちがぅ・・・・と呟いた。へぇー、それ、ほんと・・? 、まさか、赤の内装とはちゃうよね・・・と、心の中で問答をしてみた・・・・。
この車の価格は1200万円と表示されていた。腰が引けきってしまう価格だ。偶然にも、 先ほどのエアーストリームと同じ価格ではないか。さて、1200万円あって、プレゼントしてもらえるのやったら、 どっちにしてもらおうかなぁ・・・と、奥方が言い出した。えー、トレーラーハウスは自走せえへんしなぁ・・・。ハマーでは、 生活でけへんしなぁ・・・・。どっちも、ちょっと、派手やしなぁ・・・。どちらにしても、私たちが住む小路の町中では、目立ちすぎて・・・。 それに、道が狭いから、車入ってこられへんしなぁ・・・。やっぱり現金にしとくわー ・・・と。
2007年03月04日
インターネットの旅で、
B29という大型の爆撃機があって、日本の本土を空襲して、その襲来した一機が撃墜され、東大阪の高井田というところに墜落した。 というのをインターネットで知った。そのページには、
川西飛行機鳴尾製作所への単機レーダー偵察後、大阪桜島上空でレーダー捕束され、探照灯照射、 電探発射された恩加島高射砲陣地からの初弾命中により東大阪市高井田3丁目に墜落。 便乗した第21爆撃機集団レーダー観戦員Hamilton大尉だけがパラシュート降下できた。
中部憲兵隊に送致されたHamilton大尉は、7月20日信太山演習場において他の14人とともに戦時重罪犯として銃殺された。
レーダー能力を強化したB29Bを標準配備した第315爆撃団にとって、唯一の戦闘損失機となった。
と書かれてあり、日本人もアメリカ人も悲惨な運命にあったのだなぁ・・・・と、その情景を想像すると、イヤーな気分になった。その、 高井田という場所は会社の近くで、阪神高速道路に乗り降りする時には、高井田インターを利用する。いやぁ、別に、 そんな事に興味があったわけではなくて、インターネットを旅する途中で、そこにぶち当たり、その内容を読んで、 2時間ほどのインターネットの旅を止めたのだ。それにしても、「本土空襲墜落調査」なんてものがあり、 そんな記録まであって、インターネットを通じて誰もが見られるのだなぁ・・・・と感心した。
このインターネットの旅のきっかけは、ツインタワーにある、松下電工のショールームに行った事から始まった。 自然素材を積極的に扱うようになってからというもの、松下電工の製品を使う機会はめっきりと減り、それに、 キッチンやユニットバスもあまり使う事もなくなり、ショールームも面白くなくと・・・・・。
エクシモというキッチンを見に行った。組み合わせると600万円近い金額になり、まるで、トヨタのレクサスみたいだなぁ・・・・。 ちょっと、定価が高すぎるのとちゃう。とおもいながら、あたりを見渡すと、かなりの人が朝早から来場していて、相変わらず、人気があるのに、 少し驚いた。それにしても、オシャレなショールームに変身していて、それなりに良かったのだ。 隣接するビルにあるパナソニックのショールームも綺麗になっていて、時代の変化に適応させて、パナソニックも工夫しているのだなぁ・・・・ と、おもった。
それで、家に帰って何気なくパナソニックのホームページを見た。見ているうちに松下幸之助の生涯と書かれたコンテンツがあって、 どんどん引き込まれて、読んでしまった。その中の項目に「独立を決意 1917(大正6)年」というのがあって、見ると、 東成区猪飼野の借家に住んで3人で起業したと書いてあった。猪飼野は当社から車で5分~10分ほどのあたりだ。グーグルで 「東成区猪飼野」 と検索して、その検索結果の最初の項目をクリックして読み進むうちに 「松下幸之助起業の地」の地名の変遷なんてところにぶち当たった。へぇー、いろいろな人の努力によって、場所が特定されたのだなぁ・ ・・・とあらためて感心した。
そういえば、松下幸之助の生誕地の話をおばあちゃんから聞いた事もあったっけ。とおもい出していると、「猪飼野」という地名と 「松下幸之助起業の地」という結びつきから、私の中に様々な連想が波のように押し寄せてきた。
猪飼野といわれる地名の場所から、弊社のあるこの生野区小路、東成区、東大阪市にかけては、日本でも一番、 中小企業が密集している場所だ。特に、生野区や東成区には零細企業が多い。松下幸之助さんが起業したのと同じような形態で、 長屋の玄関の扉を開けると土間になっていて、ゴム製品やガラス製品・鋳物・金属・メッキなどの製造工場が出現する。
小学生の頃、友達の家に遊びに行くと、ある友達の家では、ミニカーをレールの上で競争させる遊びをするために、 レールの端をテーブルに固定する。そのテーブルでは、その友達のお母さんが、洋裁かなにかの家内工業をしていて、 その仕事をしている横で遊んだものだ・・・・。
ある友達の家で人生ゲームを一緒にすると、その奥の部屋では、彫金か何かをしているお父さんの姿と音が聞こえた。何時の日だったか、 何かにイニシャルを彫ってもらった記憶がある・・・・。
ある友達の家の玄関の広い土間には機械がいっぱい並べてあり、仕事の休みの日曜日に遊びに行くと、その機械の間と間に潜り込んで、 製品として出来上がってくる網のようなものをいっぱい並べて、基地を作って遊んだものだ・・・・。
数年前も東成で、外観は普通の長屋風の家で、一歩中に入ると、東大寺などに使う鋳物の蝶番を作っている店があって、驚いたものだ。 会社の近くにも、外からは普通の家だけれど、中では、アメリカ人がやってきて、最新の3D化工が出来るCADCAMを設置し、 3次元的なメガネの型をつくっているところもある。万年筆の製造をする匠もいたりもする。中には、ルイビトンなどの偽物を作って、 取り締まられた所もあったのかもしれない・・・・。その他、間口の狭い長屋風の家の奥で、 衣食住を共にしながら様々な家内工業を続ける人たちがいる。
いやぁ、沢山いたのだけれど、後継者がいなかったり、時代の変化によって、めっきりと、その数が減ったというべきだろう。 そういう家内工業的な家のリフォームは、かつての玄関土間にあった工場を駐車スペースに替えたり、 その土間をリビングダイニングにビフォーアフターするのだ。まぁ、それか、売り払って、建て売り住宅に変貌していく場合も多い。
そんな、衣食住を共にしながらの家内工業的にしか作れない「製品」と「ものづくり」もあって、いまの時代となれば、そういう 「ものづくり」も結構、ええのではないのか・・・と思えてくる。そうだなぁ・・・、ニートよばれているひとたちも、生野区や東成区で、 松下幸之助の起業精神と、この土壌の持つオーラーを受けて、衣食住を共にする家内工業的なものづくりに挑戦してみたらどうだろうか・・・・ と思い描いてみた。そうそう、その時のリフォームは木村工務店で・・・。何て言う宣伝もたまにはしてこうかな。
そんな猪飼野に関するホームページを読み進むと、「猪飼野」は「「猪甘津に橋為す。即ち其の處を號けて小橋と曰う。」これは、 書物に登場する最古の橋の記述といわれ、「日本書紀」仁徳十四年の条の一節である。」とあり、ふっと、 以前、 ブログに書いた、釧路湿原と鶴と鶴橋の事がよぎった。また、「古代において稲作文化、鉄器文化、 土木技術などの先進技術がこの地にもたらされ大阪の文化と歴史の土台が作られ・・・・、 」なんていう記述があって、 松下幸之助さんもそんな土壌の空気をたっぷりと吸い取って、発展していったのだろうか・・・・・。
そうそう、インターネットの旅の話だ。「猪飼野」をキーワードにインターネットをさまようと、「猪飼野ドッドコム」というページがあり、LINKをたどると、「猪飼野公民館」というホームページに至って、 そのコンテンツをクリックすると、 だんじりの写真に写っているのは、我が社で50年以上の最も取引の古い、コーリアタウンの入り口にある、 岡房商店という材木屋さんで働いている、番頭さんの通称「ジャイアント馬場」さんが写っているではないか・・・・と驚く。
司馬遼太郎さんも一番最初は猪飼野のあたりの印刷屋さんで働いたのか・・・。竹村健一さんも猪飼野あたりにある生野中学の出身なのか・ ・・。何て、意外な発見をする。LINKを辿るうち、猪飼野にある「居酒屋ガレージ」 なんていうホームページに至り、商売としての居酒屋だと思ったら、さにあらずで、何だか雰囲気が良さそうで、いいなぁ・・・・、なんて、 思いながらそのブログを何気なく読み進むうちに、 B29の記事にぶち当たったというわけだった。
そんな訳で、松下幸之助さんに親近感を覚え、最後にはB29を撃墜するドラマとその人間模様を想像して、戦争って辛い出来事だなぁと、 何ともいえない感覚を持つに至る・・・・・。インターネットの旅は、おもいもよらぬ出発点からおもいもよらぬ場所に到着してしまうのだ。
バーチャルな今日の心の旅とは別に、リアルな今日の日曜日は、3月とは思えない暖かさと良い天気だった。会社では、
「土地探し家造り相談会」という催しをやっていて、出勤だった。それを終えて、帰宅すると、炭火をおこして、「外メシ」
の準備が出来ているという奥方からのサプライズがあった。本年最初の外メシだ。満月を見ながら、外で焼き肉を食べた。この陽気な気候。
いったい、私たちが搭乗する宇宙船地球号はどこに飛んでいくのだろう・・・・・。まさか、撃墜されることはあるまいよなぁ・・・・・。
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