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2009年08月30日
流れ
投票用紙の前に並んだ名前を見て、突然、おもう。「ひと」を選ぶのか「政党」を選ぶのかと。久しぶりに投票所へ行ったと書くと、問題点をいろいろ指摘されそうなので、少々、流行後れだけれど、その事は、右から左へと軽く受け流してもらうとして、兎に角、久しぶりに投票用紙の前に立って、おもった。
「政党」としては、指示しないにしても、あの人やこの人が、国会の「顔」として居て、その意見や見解をたまには聞いてみたいものだなぁ・・・・・と、おもう、何人かの「顔」が、脳裏をかすめて行った。あの「政党」に入れたいけれど、その「政党」のこの「ひと」だけには絶対に投票したくない場合だってあるのかもしれない・・・。国民審査投票のように、この「ひと」だけは、絶対に国会に居て欲しくない「顔」もあるのかもしれない・・・・と、おもった。
「顔」見知りの「ひと」が何人も、小学校の投票所の椅子に座っていて、会場の雰囲気もあって、少々よそよそしい会釈を何度か交えながら、投票をする。蒸し暑かった・・・・・。家へ帰る途中に、「私」はこんな事、突然、思ったでー。と、お互い、自転車にまたがりながら、奥方に「告白」する。と、
「いやぁー、偶然!、私も、そう、思ってん、それで、こんな風に投票したわ」と云う。お互いの意見が一致する事など、それはそれなりに、珍しいことなので、「そぉ!、ほんまぁ!偶然一緒やなぁ!」と、少々のジョークも含めて、自転車に乗りながら握手をした。
その姿を、近所の、クリーニング屋のおっちゃんとおばちゃんが、軽自動車の中から見ていた。運転席の窓硝子が、すーぅーっと降りて、「何を、いちゃいちゃしてんのやぁ!、暑いのに暑いとこ見せられたわー」と、言いながら、車が走り去った・・・・・。
自転車にまたがりながら、何だか、気恥ずかしいふたり。言い訳の仕方を話し合う・・・。
ミストサウナを体験しろ!と云うのだった。それは、イヤなのだぁ。そんなの、別に、家に、欲しくないのだぁ。近くのスーパー銭湯のサウナにでも入るのだぁ!と、こんな時は、天才バカボンの境地になるのだけれど、それが、なんだか、雑多な事情が折り重なって、万博にある、大阪ガスのデリパというショールームで、体験する「はめ」になった。
朝から裸になって、ひとり、ユニットバスルームで、「ミスト体験」をする。ちょっと、空しい感じ・・・・・。でも、意外と心地良い。肌水分測定というのをさせらて、体験前の23.3%という数値が33.9%という数値に上がり、それが、如何ほどの効果のあるものかは、いまいちハッキリしないが、温泉の入った後のように、肌がすべすべになったのは確か。その後も、ぽかぽかしたまま、エネファームとエコウィルの現物説明を聞く。ミストサウナのランニングコストが30分間で28円から48円というのが、高いのか安いのか。それより、エコエコといわれている今の時代に必要なのかどうか。と、奥方に話をすると、肌がすべすべになるのなら、今度リフォームする時は付けて欲しいぃ。と。それが、一部の女性の心理なのかな。ともおもう。それにしても、久しぶりに、太陽の塔と、正面から対峙出来たのが、何よりも良かった・・・・・。
つい、先日、御菓子の缶などを製造している方と、お話しをしていると、紙よりも、缶の方がエコだという。缶は、捨てられて、ゴミ置き場の中にあっても磁石でくっついて、分別出来るらしい。そして、再生可能。御菓子も湿気ないし・・・・。
地球の環境破壊の事を考えると、co2の排出量を減らす努力がエコになって、エエらしい。電力会社やガス会社に支払う金額を極力減らすのが、エコになって、原子力や石油や天然ガスや水力発電による環境破壊などなどを間接的に食い止める事に繫がるらしい。そのための商品をつくる産業にお金を投資することで、新たな経済活動がうまれて、豊かになるらしい。もちろん、その産業が、お金や、電力も大量に使うのだ・・・・。
そして、政治的な思惑も絡まりついて・・・・・。
などと、なんだか、よく、りかい、できていない、こと、が、いっぱい、あるのだけれど、それでも、やっぱり、ここは、ながれに、みを、まかせてみようかとおもう。
2009年08月23日
椅子によって「育ち」が違ってくるのだろうか。
家に帰ると、イームズの赤いロッキングチエアーが、デッキの上に、チョコンと置いてあって、聞くと、インターネットで、1万4千円で買ったという。8千円ほどの品物もあって、ライセンス製品は6万円ほどするらしい。
どうやら、クロームメッキの足の造りに違いがあって、安いものより、この買った品物の方が、よりオリジナルの足のディテールに近かったのだと・・・・・。
そんな訳で、今日は、この椅子に座って、こんなスタイルで、ブログを書いてみようかとおもう。と言っても、その事で、文体が変われるわけもなく・・・・。お尻に感じる、ポリプロピレンの質感に少し違和感を感じ、クッションなども敷いてみた・・・・・。暫くして、膝を組んで、膝の上に、ノートパソコンを置いて、ゆらゆらと揺れながら、書きだしてみる・・・・・・・・・。あぁ、このスタイルで書くことで、スイングした文体になるのかも・・・・・・・。と想う。
そうそう、今週、リフォームの現地調査にお伺いした家に、黄色い小さな椅子が置いてあって、聞くと、アメリカの小学校の椅子だという・・・・。とってもカワイらしいデザイン。それでもって、黄色。もう一つは、青だったかな。
それを見た時、脳の中では、日本は「木」の文化だなぁ・・・・と、唐突な反応を示した。確か、小学校の時は、木の椅子と木の机だった。今は、どうなっているのだろうか・・・、それが、当たり前の事としてそうだった。
座る姿勢。座る椅子の材質。その事によって、「育ち」も違ってくるのだろうか・・・・。と、木でない椅子に揺られながら想う・・・・。
目神山に行く所用があって、うちで、施工した家の前を通過する。そのついでに、ちょっと写真を撮ってみる。緑がいっぱいで・・。竣工直後や工事中の写真を引っ張り出してきて、見比べてみると、その変化と月日を重ねる事の風合いの良さというものを想う・・・。
目神山の某有名建築に、所用でお伺いする。これが、屋根の上の出来事だというのが、何よりも、新鮮な出来事だ。もうとっくに30年以上も経過するのだそうだ・・・・・・・。
何というのか、家が育っているような感じ・・・・・。周辺のいわゆる、ふつうの住宅に対しても、大いなる環境を提供している・・・・。家の「内」の事は住まう人に任せるとしても、建築に携わるものは、「外」の事を、「全体」の事から、もっと、住まいを考えなさい。それは、形の事ではなくて・・・・・と、言われているかのよう・・・・・。
・・・・・・・
突然、新築をさせて頂いた、近所の人から電話がかかってきて、ネコが、家と塀の間に挟まって、死んでいて・・・、取れそうもなく・・・、何とかして・・・・。
たまたま、私も会社にいて、弊社のおくりびとKくんも会社にいて、先日、車の運転手を務めたT本くんもいて、それで、3人で、早速、お伺いする。
暫しの格闘を繰り返して、何とか、無事に、ネコをおくる・・・。
それにしても、近隣とのいろいろな事情が重なって、ネコも捕獲しにくい、このような塀と家との関係になってしまったのは、「全体」の事を考えていたのか・・・と、問われれば、それは・・・、つまり・・・、世の中というものは、なかなか、そのぉ、何というのか、思い通りにいかない・・・、そのぉ・・・、と、言い訳がましくなっている、「私」。
そんな訳で、このブログを書いている間に、場所を何度か移動し、赤い揺れる椅子から、屋外に置いている木のYチエアーに移り、そして、今、座っている椅子は、食卓にある、木でクッションンのある椅子で、それに、ちょっとクーラーもかけてみて・・・・・・。と、やっぱり、椅子によって、「育ち」が違ってくるのだろうかね・・・・。
昼間の家の中で、クーラーをかけた途端、今週打ち合わせにお伺いした時に駐めた、駐車場の光と影の景色を突然、思いだした。何とも言えない感覚が、三半規管にまで、刺激を与えるような気がして、気持ちエエともいえるし・・・、気持ち悪いとも言えるし・・・・。
クーラーの風が涼しいといえるかどうか、心地エエとも、心地悪いとも、多少蒸し暑くても、生暖かい風でも自然の心地エエ風が抜て・・。そうそう、最近、上棟をすると、天気予報が当たるようで当たらず、突然の雨に、合板類を濡らしたくないので、ブルーシートで養生する。それで、上棟式の時、木組みのスケスケの状態で、夕刻の心地良い風が抜ける予定が、ブルーシートに阻まれて、汗を拭き拭き・・。でも、感謝の上棟式だった。
やっぱり、座る椅子とその環境によって、想い出す事が違うような気がする・・・・。
2009年08月16日
ついている?
阪神高速道路を走っていると、運転をしていた、T本くんが、「アクセルが・・・」と言って突然、車のスピードが出なくなり、まもなくして、停止した。丁度、法円坂の降り口だったので、路肩に車をなんとか止める事ができた。もう一人の同乗者のT中くんが、阪神高速道路公団に電話をして、事情を説明する。私は、うちの会社の自動車修理工場に、電話をする。
というのは、前々日にも、おかしな兆候があって、昨日の朝には、車を点検してもらっていた。どうも、ダイナモが不調のようだが、「もう少し様子をみておきましょう」という事になった。お医者さんでも、家のメンテでも、たまに聞くセリフだなぁ・・・・・・・。
その日、高速道路上で、ダイナモ不良のランプが点灯し、残りのバッテリーを食い尽くし、停止したのが、降り口の坂の頂上だった。たまに、高速道路上の故障車を白い目で見ながら、走りがちだけれど、その見られる立場になった。社員二人と私の3人で、夏の太陽と車の熱気とアスファルトの熱気で汗を流しながら待つ。他の車の交通の妨げにならなかったのが、せめての救いだったかもしれない。
黄色い道路公団の車が来て、素早く、後続車の安全処置をしたあと、ひとりの人が、車に駆け寄って、一緒に押して、この坂を下って、車を一般道に出しましょうと言う。それで、T中くんと私と、道路公団のひとで、車を押す。下まで無事、車を降ろすと、さらに、交差点を渡って、安全なあそこまで、車を押しましょう!!と、言うので、法円坂の交差点を手で押しながら渡った・・・・。
法円坂の交差点を、まるで、祭りの「だんじり」を押すが如く、T中くんとふたりで、押した。運転は会社で一番若い社員のT本くん。今、思えば、私の立場からしても、私が車に乗って、操作をし、若い社員に押してもらうのが、普通だったのかもしれない・・・・・。なんだか、ちょっと、滑稽な光景だったかも・・・・・。
直ぐに、自動車屋さんが、車両運搬車に乗って迎えに来くれた。車と人間が一台のトラックに同乗して、何とか無事に、会社まで辿り着く・・・・・・。これからは、「もう少し、様子をみておきましょう」という言葉に対して「もう少し、深く考えみましょう」かとおもう。
・・・・・・・・
お盆初日の早朝、高速道路の右車線を運転していると、突然、右後ろのタイヤがバーストする。唐突に、ガタンという音がして、車のバランスが崩れる。「あっ」と思ったが、そのまま成り行きに任せ、暫く走ると、もっと、大きくバランスが崩れて、車が左に曲がる。それで、ハンドルを少しだけ右に切ると、車のお尻が左へ降られ、大きく車が右に寄って、ガードレールが目前に迫る・・・・・・。
後で寝ていた奥方が、「ぎゃぁー」「ぎゃぁー」と、今まで聞いたことのないような声で叫び、そして、「ぶつかるぅー、ぎゃぁー」・・・・・・・・。その声を聞きながら、ハンドルを左に少しだけ切る。ほんの目の前にさし迫ったガードレールが、視界から消えて、車のお尻が右に大きく振られ、左の方に車が方向転換する。ガードレールにさし迫った瞬間は、確かに、一瞬ダメかとおもう。
車が進行方向に向き、視界が開けたが、今度は大きく左に振られたので、車を立て直すために、右にハンドルを切ると、お尻が大きく左に振られる。それで、ハンドルを左に少し切ると、車のお尻が右に大きく振られてスピンをしだしたので、大きく右にハンドルを切ってカウンターをあてると、車が高速道路の反対方向を向いて、しばらく逆走して車線の中央で停まった。
ブレーキを踏んだかどうか、記憶がハッキリしない。少しだけ踏んだのか・・・、踏んでいなかったのか・・・・、強く踏んだ記憶がないのは確かなのだけれど・・・・・。
ほんとうに幸いにも、後続車がなかった。ハザードランプをつけて、ほっと一息つくと、暫くして後続車が一台、左車線から通過して行った。それで、車を降りて、後を確認すると、右後のタイヤがバーストしているだけだった。急いで、もう一度、車に乗って、車を動かす。何とか、動くので、反対方向を向いたままで、車を左車線の路肩まで寄せる。
後部座席の奥方と息子は静まりかえっていた。目の前を見ると、数100メートル先に、南国インター降り口のゼブラゾーンが見えたので、ハザードランプを点灯しながら路肩をゆっくりと車を動かして、ゼブラゾーンに車を駐めた。それで、携帯電話からJAFに連絡をし、事情を説明すると、40分ほどかかりそうです・・・・・。
話し終えるやいなや、偶然にも、道路公団の黄色い車が通りかかって、停車する。係員が2名降りてきて、事情を説明する。昨日から、黄色い車の人に、事情を説明してばかり・・・・。この場所で、車に乗ったままいると、ぶつかってくる車もいるので、路肩のガードレールの向こうへ、避難して下さい。と諭される。黄色い服の人の指示で、ある日は車を押し、ある日は避難する。
道路公団の人は手際よく、親切だった。とにかく、蒸し暑く、カメラのレンズも蒸れて、曇るぐらいだった。それで、係員の人が、自分たち用の青いクーラーボックスを持ってきて、水を飲んでくださいと、差し出してくれた・・・・。感謝。
JAFを待つ間、息子は、母親のその叫び声の大きさにビックリした・・・と語った。その間、どうしてたのかと奥方が息子に聞くと、お母さんをしっかり押さえて、支えていたでぇ・・・・・・という。え、そうなのぉ、と奥方は、首をひねりながら、そんな大きな声で叫んだ記憶はないけれど、とにもかくにも、無事が何より良かった・・・・・・・と語る。
JAFの人は、ほんとうに手際よかった。敏速な行動で、すぐに、タイヤを交換してくれる。年に数回しか乗らない車なので、スタッドレスを履いたままだった。夏にスタッドレスで高速を走り、高温になり、なおかつ、重量の重い、こんなタイプの車だと、バーストしやすいですから・・・・、また、スタッドレスは、雨の日に滑りやすいですから・・・・、ほとんどのワンボックスカーの横転事故はタイヤのバーストですから・・・・と、諭された。
このまま、長距離を走るのは危険ですからと、係員自ら、近くのオートバックスをナビに登録してくれたので、高速を降りて、高知市内で、タイヤ屋さんを探す事にした。何だか、とっても、とっても、不思議な感覚。
オートバックスが開店するまで1時間近くもあって、その信号を5つほど行った所に、偶然にも、開店しているタイヤ専門店があった。そこで、事情を説明する。この二日間、車の事で、いろいろな人に、何度も繰り返し、事情を説明している、不思議な状況の「私」。
親切なタイヤ専門店のご夫婦だった。5万7千円という金額で4本のタイヤをその場で直ぐに、交換してもらう。奥方曰く、その金額やったら、エエホテルに泊まれたかも・・・・・、お金を使わない旅行の予定だったのに・・・・、それよりも、何よりも、命が大事やし・・・、他の人に、迷惑をかけずに済んだのが何よりだったのかも・・・・、と語った。それにしても、道路公団の人とJAFの人には感謝です。
そんな訳で、旅を続けることにした・・・・・。
2件の連続する車の出来事と、7年ぶりに訪れた四万十川での時間と環境。その他の訪れた様々な場所。それらが、私の脳内のメモリーに一時的に貯めていた、不要なキャッシュや有用なキャッシュも含めて、一時的にクリアーさせてくれたのかもしれない・・。
2009年08月09日
ブログ上で、様々な事柄が絡み合う。
夏なのに、それに日曜日だというのに、梅雨のような雨。昨日は、汗を流しながらの地鎮祭があって、夏の気分だったのに・・・・・・・。やっぱり、夏は、夏らしく「暑い、暑い」と、言い合っている方が、良いようにおもう・・・・。
そうそう、先週、住宅設備メーカーのTさんの社員の方、3名が、東京と神奈川から、うちの会社にお見えになって、云うのには、お風呂と洗面所と便所が一体になったお便所に、抵抗感を持った人がまだまだ多く、なかなか普及しないのです・・・・・。
木村工務店|大阪府Tさんの一戸建て-玄関、LDK、洗面室、バス、トイレ、階段、洋室、車庫、外壁の施工実例|Goodリフォーム.jp の事例にある、お風呂と洗面所と便所がコンパクトで一体になった空間が、どういう経緯で、それに、とういう提案をされたから、現実に出来上がったのか、お話しを聞かせて頂きたいと・・・・・。
設計を担当したK本くんと共に、Tさんの社員の方々と、会話を繰り返すのだが、さしたる提案をした記憶もなく、ただ、限られたスペースを有効に使うための、ひとつの選択であって、しっかりとした、成り行きとしてそうなった訳で、何よりも、施主のTさんが、便所と洗面所が一緒で、お風呂の中が見えていても、全然平気です・・・が、そう、させたのだと、おもう。
それで、そうしようと、決まると施主のTさんの「好き」を核として、コストパフォーマンスを重視しながら、出来上がった、ひとつの「バランス」が、これだった。在来工法のお風呂に、硝子張りの壁と扉では、コストがアップするので、1216のハーフユニットにタイル貼りの壁に、FIX窓。洗面所はタイル貼りの床に、ペンキ仕上げの壁、それに洗濯機を見えないように背面に隠して、部屋側に出っ張った洗濯機置き場は、タンス置き場として、壁の長さを調整する。と、一緒に対話を重ねながら、アイデアを出し合っているうちに、こんな、「部屋」に、成ってしまったのだ・・・というのが、正直なところかもしれない。
「数寄屋造り - Wikipedia」は敷居が高い話だけれど、関西で打ち合わせをしていて感じる事は、多くの人が、「自分好み」を家に反映して欲しいと、願っていて、対話を重ねながら、その「好み」を、「見える化」し、形と色と素材とコストに反映していくのは、なかなか、めんどくさくて、ゴールの見えない、難しい作業ではあるのだけれど、ある反面、楽しい作業でもあって、出来上がった時の独特の喜びもあり、建築的には、少々不格好なところがあっても、ライフスタイルを反映した、ちょっとした「好き家」で、充分かも・・・・・と、時としておもう。
そのTさんのお宅に、住宅器機メーカーのTさん3名と私と設計担当のK本くんとで、お伺いして、あれやこれや、お話しをお聴きする。「便所が部屋のようで、お風呂の戸も開けると、風がスーと、流れてきて、心地良いのです」っと。夏の暑い日に、狭い便所の中に閉じこもって、「暑い暑い」と言いながら、汗を流して、頑張っているよりは、確かに心地よさそう・・・。そんな訳で、どちらのTさんも、ありがとうございました。
「好み」を聞いている会話の中では、雑談も多く、脱線する事もしばしば・・・。施主のAさんの奥様が、以前、ウエディングコンサルタントの仕事をしていて、オーストラリアのゴールドコーストで、仕事をしていたと云う。
そうそう、私は、うちの奥方の妹さんの結婚式に、ゴールドコーストまで行って、あの教会で・・・、あのホテルで・・・、という話をすると、その時、勤めていた、その会社での挙式だった、担当は違うかったけれど、その時、ゴールドコーストに居たと云う・・・・・。その時、その会社をご利用頂き、有り難うございました。と、その時のお礼を言われると、確かに、「縁」というものの不思議を感じる。
そう言えば、昨日の地鎮祭では、施主は、設計のHさんの同級生であって、防災設備の会社を経営されていて、施主のご主人の両親がお見えになった。そのお父さんが、地鎮祭のテントに書いてある、うちの会社名を眺めながら、数十年前、何度も、一緒にお仕事をさせて頂いた、会社ですわ・・・。と言う。うちの会社が、マンションや工場を多く手がけていた頃の事だった。「縁」というものが、どこかに、巡り巡り、繫がっているのだろう・・・・。
ウエディングの話を、お聴きすると、確かに、面白い。一生に一度の挙式をコーディネートを担当する立場としてのプレッシャー。喜び。涙。新婦が新婦のお父様と一緒にバージンロードを歩く姿は、いつも、涙が出そうになると云う・・・・・。そうそう、リピーターとなって、もう一度、別の女性とゴールドコーストまで式を挙げにきた、男性もいたそうな・・・・・・・。
そういえば、2週間ほど前に、社員のF川くんの結婚式があった。彼のお父様が、工務店を経営されているという事もあり、会社と会社という意味合いでは、複雑な部分もあったのかもしれないが、まぁ、そんな些細な事はさておいて、確かに、新婦が、お父様と一緒に手を取り合って歩く、その時の、お父様の姿と、その「顔」には、何とも言えないムードがあり、新郎に引き渡す、その時の、あの新婦の父の表情と、立居振舞には、涙がそそるものがあった・・・。
知りあいの建築家のMさんが、お見えになっていて、この式場が、建築家のT原さんが設計した事もあって、「建築談義」も交えながら、そんな話になると、「私も、娘二人やから、これは、この姿は、ちょっと、ダメやから、こういう、挙式は、よう、挙げられヘンなぁ・・・」と仰る。幸か不幸か、「私」の子供は男二人であって、確かに、あんな姿を見せられると、娘の親父の立場になると、複雑だろうなぁと、想像したり、ほっとしたり・・・・。
昨日の地鎮祭では、小さな娘さん二人が、カワイらしく玉串を奉納していた。そして、いつか、そういう日が、やってくるのかもしれない・・・と、施主のご主人の姿を想像しながら、唐突に、脳に入り乱れて、入ってくるのだった。昨日や、先々週の結婚式や、先週のTさんの事、などなどが、いま、ここのブログ上で、唐突に絡み合ったりして、・・・・・。
結婚式が終わり、暫くたって、F川くんが言うのには、結婚式の「前」は、大変で、イヤでしたけれど、式の当日だけは、もう一度やっても良いぐらい、良かったですわーと言う。いや、勿論、二度目も、同じ女性にして、下さいよ! と、思うものの、それだけ、ウェディングをコーディネートする人たちが、新郎新婦と対話を重ねながら、影で、努力をしていたのだろう。「自分好み」というものの、コーディネートの仕方を想像してみた・・・・・・。
PS
今週は、12日から16日までお盆休暇を頂戴致します。 では、良いお盆休暇を!!
2009年08月02日
無事を事とし
8月だというのに、夏が始まったような、始まってないような、セミが鳴いているようで、鳴いていないような、雨が降るようで、降らないような、暑いような、暑くないような、とっても、中途半端な初夏。
庭で、小鳥がピーピー、ピーピーと鳴いていて、親鳥が二羽、木々に留まったり、空中を旋回しながら、ピィー、ピィー、と、小鳥を探している・・・・・。何とかしてぇ・・・と、奥方が、会社に電話をしてきた。うちの会社の「おくりびとK」に云うと、「生きているものは・・・・」と、小声で呟いた。
産まれて間もないのだろうか、一羽の小鳥が土の上を、よちよちと、歩きながら、何とも言えない目で、こちらを見る。近づくと、飛べそうで、飛べそうにない羽根で、バタバタさせながら、ほんの少しだけ、空中を滑空して、逃げる。逃げているような、逃げていないような。
廻りをよく見ると、もう一羽の小鳥が、木の葉っぱの中で、羽根をばたつかせながら、ピー、ピーと鳴いていた。2羽の親鳥は、小鳥の居場所を、ハッキリと、認識しているのだろうか、知っているような、知っていないような、そんな素振りを繰り返しながら、心配そうに、木々の中を渡り歩いている。
出来そうで、出来ないことが、世の中には、いっぱい、あると、おもう。しっかりと、成り行きに任せる以外、どうしようもなかった・・・・・。
二日後の、日曜日の、いま、庭には、小鳥の姿も親鳥の姿も、その鳴き声もなく、晴れそうで晴れない、曇っているようで、曇っていない、天気の中で、セミが、「もう夏でっせ」とミィミィと鳴いているものの、あの小鳥はどうなったのだろう・・・。飛び立ったのだろうか・・・・。老子か何かに、「無事を事とし」なんて、話が、あったような、なかったような。
無事を祈るばかり・・・・・・。
鳥の側から、離れて、会社に戻ると、会社の近くに住む60代の男のひとが、突然尋ねてこられて、地元の清見原神社が、完成し、嬉しいので、お祝いに、これをお持ちしました。と、仰った。一度も面識はなかった。
先週、仮社殿にあった御霊が、弊社で増改築工事をした、新社殿に移す儀式があり、少しの工事は残すものの、ほぼ、完成という状態になった。
現役時代は、建築の本を売り歩く仕事をしていたので、この「規矩術」の本が、木村工務店の大工さんの、何かの、勉強になれば、幸いです・・・・・と。時には、夜の10時を過ぎても、木村工務店の加工場で、大工さんが、遅くまで、頑張ってはる姿を見ていたので・・・・。この生野区の小路の町の中で、材料を全て加工してくれはったのが、嬉しくて・・・・・と。
清見原神社を増改築するにあたって、宮司さんの意向もあって、「木造」であり、「千木と鰹木」があるという事。純然たる「吉野檜」で造作をするという事。それに、この大阪市の生野区の小路という小さな町の中の加工場で、材木を全て、「手加工」するという事。増改築として、既存の建物も残し、耐震改修をし、増築する社殿はオーソドックスな神社建築でありながら、現代の木構造の基準を満たす事。などなどを、こだわったような、こだわってなかっような・・・・。それは、それなりの、しっかりとした、成り行きでもあった。
それらの要件をまっとうするため、設計は、奈良の今井町で町並みの保存と監修をしている林清三郎(林木造建築研究所)さんに基本設計を依頼した。木村工務店の会長をしている、私の父の高校時代の同級生でもあった。
大工は、沖棟梁に依頼した。「木村工務店の大工」という呼び方には、誤謬があるので、「木村工務店の息のかかった大工」と呼んだ方が、正しいとおもう。「木村工務店の体質」を、「良し」として、受け入れくれ、うちも、その大工さんの仕事と人柄を気にいって、うちの仕事をしてくれている大工さんの事を、「木村工務店の息のかかった大工さん」とするのなら、沖棟梁は、一年に一棟ほどの、新築や増改築を、依頼する木村工務店の息のかかった大工さんのひとりであった。数奇屋の大工でもあり、平田雅哉の弟子でもある。あの吉兆なども手がけたという・・・・。
角材を丸柱に加工するための道具の工夫も含めて、全てを、大阪の下町の小さな加工場の中で、造りあげるのが、沖棟梁にとっての、「あたりまえ」の事柄でもあった。うちの社員大工である別處くんは2年間、棟梁のお世話になり、匠技をどれだけ受け継いだのか知るよしもないが、大工としての、「気構え」の何かは、受け継いだに違いない・・・・。
構造は、木構造研究所の田原さんに、お願いした。神社建築で壁量計算をするのが、妥当なのか、限界体力計算が相応しいのか、もっと、新しい構造基準が求められているのかどうか、様々な、議論の余地は残るものの、いまの建築基準法に合致した、木組みの建築を造るためには、様々な構造的テクニックが必要なのは事実だった。それを、基本設計者と大工さんに「納得」してもらうためのコミニュケーションも重要な事だった。
吉野の檜は「金幸」という奈良桜井にある材木屋さんから調達をした。みごとな檜材だた。都会からの多くの人々の寄付が、「木」に費やされた。それは、ひいては、間接的に、吉野の山を育てる事になり、山を育てる事が川を育て、海を育て、それが、山の幸、海の幸を豊にする事に繫がっていくのだと、おもう・・・・・。
私の役目は、背後で、応援歌を静かに歌う事だった。その前面に出て、工事部長の冨桝くんと現場監督の守田くんが、そして、定年後も会社で技術指導をしてくれている福本さんが、様々な事柄を調整した。
出来上がってから、改めて、黙って見守ってくれていた、地域の人々がいて、陰ながら支えてくれていたのだと知る。「無事完成した事」が最大の事なのだとおもう。「感謝」
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