2006年07月23日

フジパワー

数年前に家を建てさせていただいたご主人が登山中に滑落して亡くなられた。その葬儀が今日、神戸であった。三人の方の悼辞も、 最後の奥様の挨拶も涙を誘う、心のこもった話だった。帰り道、阪神高速道路神戸線を走りながら、「人生」って一体何だろう・・・・。 「生命力」って一体何だろう・・・。と何度も頭の中をよぎった。ご冥福をお祈りしたい。

調度、その事故があった先週の海の日の連休に、小学生の息子を連れて、風雨の中、富士登山をしたものだから、 よけいに身につまされる思いがした。その日、富士山に登ることになったのは、3つほどの事情が重なったからだった・・・・。

もう7年ほど前、会社の旅行で、富士登山をした。その時も雨風にたたられた。30人近くの人数で登ったものだから、 思ったより時間が掛かってしまい、9合目から頂上までの登山者の渋滞と、帰りのバスの時間と、風雨のせめぎ合いで、結局、9合目で断念して、 下りるjとを決断した。若い社員はまだまだ力が有り余っていたのだが、まぁ、団体行動だから仕方ない。今でも、それはそれで、社内では、 思い出話として話題になるくらい、皆にとっても、私にとっても印象的な社内旅行だった。それで、なんだか、やり残したようで、 気になっていた。会社を代表して、何時かは登っておきたいと思っていた。

海の日を祝日にする実行委員会の事務局をしている人と、たまたま知り合いだった。それで、10数年前、 祝日にするための署名活動に社員の人も一緒に協力してもらって、署名をした。

その海の日の事務局の人は、何と山好きの山男だった。毎年、海の日に100名山のひとつに登って、その頂上に海の日の旗を立てるのを 「生き甲斐」にしていた・・・・。ところが、この4月に病で亡くなってしまったのだ。 海の日が制定された第一回目の登山が富士山だったらしい。以降、毎年どこかの山に出没し、頂上で、海の日の旗をバックに記念撮影をしていた。 そして今年はその11回目にあたり、追悼登山として20人ほどで、富士山に行く事になった。

最後の事情は、小学生の男の子を持つ父親だからかなぁ・・・。独りだけで行くには、いまいち、モチベーションが不足なのだ。 息子と富士山の頂上に立つぞぉ。というぐらいの負荷がないと、仕事の合間をかいくぐってまで、行く気になれなかったりする。 息子にとってはエエ迷惑な話かもしれないなぁ・・・。それでも、「登るかぁ?」と聞くと、すぐに「登りたい」と返事が返ってきたので、結構、 安堵した。

そんな訳で3つの歯車が何となくかみ合た。それに、たまたま仕事の休みも取れたので、16日の早朝、 息子と二人で車で出発することにした。ちなみに、奥方は「10万円もらっても行かへん」とはっきり言い切った。 東名高速の御殿場インターで降りて、須走口という富士山五合目の駐車場に着いたのは9時頃だった。到着してまもなく、 猛烈な勢いで雨が降り出した。車の中で、息子が「登りたくない・・・」と言い出した。私も同じように思ったが、まぁ、兎に角、 眠たかったので、寝ることにした。

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1時間以上も寝て、起きると、雨は止んでいた。駐車場から富士山の頂上が見えた。 その富士山を見て、息子が「な~んや、富士山て、 近くで見たら、普通の山やな」と・・・・。確かにそうやなぁ・・・と頷 きながら、一緒に頂上を見上げた。 反対側の下界の町並みは雲の下に見え隠れしていた。

DSC0178511時過ぎに20人ほどの仲間が集まって、ぼちぼとと登ることになった。 吉田口の方とは少し違って、森林があるのが、良かった。高山植物もあるようだ。天気はよくなかったが、雨は降っていなかった。 途中の祠で登山の無事を祈願して、登りだした。

その日の宿泊地、7合目の太陽館に到着したのは2時頃だった。太陽館のNさんがこの集まりの人たちと仲間だったこともあり、 いろいろとお世話になった。

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山小屋といってもトイレがすごく綺麗で、簡易水洗になっていたり、清潔だった。食事だって豚汁やハンバーグなんかが出て、 それなりだったなぁ・・・。ソーラー発電や風力発電、それに天水を貯めた大きな水槽があって、こんな過酷な条件で、 何十年間も建物を維持管理する知恵を、機会があったら、もう一度訪ねて、ゆっくりと教えを請いたいものだなぁ・・・・・・。そうそう、 風力発電には鳥がぶつからないように網かごのようなものをかぶせてあったのが印象的だったなぁ。 柱も梁も5寸ほどの幅の広い材料を使ってしっかりと組んであった。金物もきっちりと使ってあった。雪と風の力っておもいのほか凄いらしい・・ ・・。山の上から小屋を眺めると、なんだか、格好ええのだなぁ・・・・。

太陽館のご主人から少しだけお話を聞けた。いろいろな話の中で、「以前は壁板に檜を使っていたけれど隙間が空いて大変だったなぁ。 今度は杉板を貼った。杉の方がずっと具合がいいねぇ・・・」なんて、いう話が面白かったなぁ・・・・。夕方、下界の夜景が少し見えた。

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翌朝は4時に食事だった。須走口からの登山では、頂上に登らなくても、ご来光はどこからでも拝めるらしい。生憎、天気はよくなかった。 小雨交じりだった。時折、強い風が吹いた。5時前、下界の芦ノ湖が少しだけ照らし出された。雲の合間から日の光が少し見えた。それが、 その日のご来光だということに、とりあえずしておこう。

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天気は最悪だった。半分の人たちは頂上に行かないと言った。息子にどうするかと聞くと、「登る」と言う。そんなわけで、10人ほどで、 頂上に行くことにした。雨具をしっかり着込んでの登山となった。

普段の運動不足を嘆きながら登った。8合目の次が本8合目という表示だった。結構、それなりにしんどくて疲れているのだから、 そんな冗談、聞きたくないよね。こんなところで、どちらが本物かの争いはゴメンだなぁ・・・と、 くだらないぶつくさと付き合いながら登り続けた。そうこうしているうちに、9合目を過ぎたところで、風雨の影響もあって、「もう、登らへん」 と息子が下を向いたまま顔を上げようとしなくなった。ひょっとして、涙ぐんでいたのかもしれない。 それまでは全く快調で常に私より数十メートル先を歩いていたのだが、ついに、私の数メートル後をトボトボと俯いて付いて来だした。 視界が良くなかったこともあり、果てしなく登りが続いていきそうだった。

無理をする必要もないかなぁ・・・・。今回も9合目で断念かなぁ・・・。なんて、おもいがよぎりながら、ゆっくりと、 ほんとうにゆっくりと、でも止まらずに歩き続けた。後ろから、太陽館のNさんが追いついてきた。 「あそこに見える登りををぐるっと回ったら到着だから、もう少し頑張ってぇ」と息子を励ました。「何合目に到着ですか」と私が聞いた。次も、 本9合目かな、なんていうような不審の念が頭にずっとあったのだ。「頂上」という簡潔明瞭な答えが返ってきた時は、正直、嬉しかった。 それを聞いた息子は俄然張り切りだした。私を追い抜いて一気に頂上まで行ってしたまたのだ。先ほどの態度は一体、何だったのぉ。

DSC01818確かに、山を歩いていると、人間の心理って面白いなぁ・・・と思う。きっと、 そんな内的に起こる、ブツクサな戯言を全く考慮しなければ、意外と物事はスムーズに運ぶのだろうなぁ・・・・。

DSC01814それにしても、頂上からは全く何も見えなかった。風も強かった。 頂上にある山小屋の扉をガラガラと引くと、お賽銭箱にお社が目の前に現れた。何とそこは神社だったのだ。あとで外をよく見ると、 確かに、神社の看板があった。それほど、視界が悪かったのだ。

まぁ、そんなわけで、 頂上にて二礼二拍手一礼で感謝した富士山詣でだった。

 

 

投稿者 木村貴一 : 2006年07月23日 23:56 « セミ | メイン | 10万アクセス感謝 »


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