其の八 「近鉄布施駅」


●撮影時期は不明であるが、服装等から昭和10年から20年頃だと思われる。
[写真提供 東大阪市Fリージョンセンター]


●旧布施駅西踏切付近より、昭和47年頃の撮影。正面にはエキスポ'70(世界万国博覧会)で一世を風靡した回転寿司「元禄」が見える、写真右隣には「派出所」現在は「だんじり小屋」。撮影者の演出か、手前のおっちゃん、路面電車と競争するのか、さぁ今、自転車にまたがろうとする寸前、降りる寸前、中々おもしろいスナップショットである。
[写真提供 東大阪市Fリージョンセンター]


●旧布施駅南口、バスターミナル付近。ここに街頭テレビがあった。プロレス中継が始まると、駅前は群衆と化した。 [写真提供 東大阪市Fリージョンセンター]


近鉄「布施駅」の歴史
大阪〜奈良間に鉄道敷設の願いが出されたのは、明治39年である。当初は、奈良電気鉄道の名称で許可を得たが、まもなく社名を奈良軌道と改めた。更に、明治43年大阪電気軌道(大軌)と改称された。これが現近鉄の始まりである。

明治44年鉄道敷設工事が、大阪上六〜奈良三条町間の全線で始まった。そして、大正3年4月から上六〜奈良間に電車が走るようになった。所要時間は50分、運賃は全線で30銭であったという。当時、農家の多くはまだランプを使っていた頃で、村々の間を縫って走る電車に、人々は、不思議な思いをいだいたことであろう。

開通当時(大正3年4月30日)布施の駅名は「深江停留所」と呼び、位置は現在の所より西に100メートル寄った場所にあった。ホームの大きさは小型車両が1両停車できる程度であった。大正11年3月「足代停留所」と変更された。同13年10月には、八木支線(大阪線)の一部、布施〜八尾間の開通に伴い、現在の場所に大規模な足代停留所ができた。大正14年に布施村が布施町と変更されたことや八木支線の延長等、駅周辺の発展に応じて同年9月30日、足代停留所から「布施停留所」と改められた。 更に、昭和6年の駅制の実施とともに「布施駅」と呼ぶようになった。昭和31年には構内改造工事が行われ、構内6線となった。昭和42年布施市は東大阪市となり、乗客の増大によりホームの拡張工事が進められた。そして昭和52年6月22日高架に切り換えられた。(参考資料 近鉄資料及び大阪市史)
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