運動会特集として、ちょっと昔の思い出を当時、(昭和43年〜52年)東小路小学校教諭・体育主任をされておられ、布村先生にインタビューしました。
昭和40年頃の運動会は、ゴザや敷物を持っての場所取りから始まり、早朝から開門を待ちきれず、塀を乗越え場所取りに来られる保護者もいたほどだった。運動場は狭く、児童数も1000人を越え、新校舎改築工事など、高度成長期当時の時代背景があった。そのような中、少しでも広い場所での運動会、そして、家族そろっての昼食など、困難なことが生じてきた。
そこで、解決策として、平日で給食のある日に運動会をすることになりそれは昭和45年から50年までの6年間続いた。 |
その後も運動場が広くなることは無く、新生野中学校のグランドを借りる事になったが、グランドが広く、走るトラックも大きくなり、直線で転んでしまう子供がいた。これは、それまで小学校の短い直線とカーブで、走っていたので、慣れなかったようである。
また、中学校の運動場を借りられない年があり、その年には大阪城のラクビー場を借りる事になった。前日から施設内の会館に泊り込み準備万端ととのえていたにもかかわらず、残念ながら当日は雨になり、やむなく順延。後日、中学校のグランドでの開催となった。
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