「ものづくりセッション」

「ものづくりセッション」を催した土曜日。生野区のものづくり企業の若手世代が中心で、デザイナーの方々や大阪市立デザイン研究所の面々も主なメンバー。行政のタケダさんが、個人的趣味として呼びかけて催す「セッション」で、ものづくりの立ち位置のそれぞれが、「まぁ俺の話を聞いてくれ」と、自分の想いをパワポでシェアーすることがキッカケになって、それにレスポンスし、それぞれが、あーだこーだと共感したり違和感を表現したりする「セッション」のような会合なのだ。

場所の提供とファシリテーターの役目を私が少々担うものの、ちょっとユニークな行政マンのタケダさんが扇の要になって、その人間力によって人が集まっている。それに同じ住吉高校の同窓生で、楽しく歩く人をふやす!というキャッチフレーズのリゲッタのタカモトくんと同じ同窓生のアパレル業界では陰で有名なジパングのマエヅカくんが、コメンテーターとして協力してくれるお陰でもある。

今回のプレゼンテーターのひとり、キムチの高麗食品のファンさんのプレゼンに、今後の目標というのがあって、①会社を永続させていくためにブランドを確立させたい。②従業員が安心して働ける会社にしたい。③子供が継ぎたくなるような会社にしたい。という。同じ中小企業の経営者で、まだ40歳台なのに、すごく素直で、まっとうな見解だな…って感心した。若い世代の参加者との交流を通じて、初心にかえってあらためて勉強させてもらっている。みたいな感覚だな…。

久しぶりの開催だったこともあるが、3時間近く誰も帰ることなく、ダレることもなく、終わってからも1時間近く立ち話と交流が続いたのが、嬉しい出来事でもあった。そうそう、その後、コロナ禍から久しぶりにオープンした生野区のバーソケットへ行くと、施主でもあるハセバさんが偶然カウンターに座っていて驚いた。一緒に飲んで音楽を聴く。再オープン1ヶ月ほど前に、スピーカーの置き場所とセッティングのサポートにお伺いしたが、ミュージックバーとしてリニューアルオープンしてからは初めて。「音」を楽しめる居場所があるのは有り難い。気がついたら次の日になっていた。

「ものづくり」にとっても近い位置で建築を完成させるのが工務店であって、その苦しみや喜びを内包しつつ、お客さまに喜んでもらえる建築を完成させ、持続可能な会社としてブランド力もあり、社員の喜ぶ姿があり、後継者になりたいとおもわせるような会社でもある。なんて、現実はコトバほど簡単ではないよね…。「ものづくり」にとっても近い位置で存続していこうと努力している会社の集まりが「ものづくりセッション」に参加している人たちなんだろう…。

ものづくりの集落

朝から雨がパラパラ降る衆議院議員総選挙の日曜日。たまたま次男24歳が東京から大阪に帰省していたので一緒に選挙に行く。初めての投票だという。地元の小学校に訪れたのも久しぶりらしい。Z世代といわれているこういう若い世代のほとんどが投票すると政治はどのように変化していくのだろうか。とにかく一度皆で試してみようよ!とおもった。

先日、ある縁で福井で自転車に乗ることになった。昨年も、武生で、この建築の裏の道を通過し峠をヒルクライムした時、この建物の後ろ姿を眺めながらなんとなく気になっていた。家に帰ってガーミンで記録された地図を眺めながら、それが「ナイフヴィレッジ」だと知って調べてみると、左の円形の建築は毛綱毅曠(もづなきこう)という建築家だと知った。

ワタシ、20代後半の頃、家族と友人達と北海道のキャンプ旅を数度した時、屈斜路湖畔の弟子屈アイヌ民族資料館の前の芝生広場で2泊ほどキャンプし、湖畔のコタン温泉露天風呂に何度も入浴した楽しい想い出があって、そのテントの目の前でずっと眺めていたアイヌ民族資料館の建築家が毛綱毅曠だった。そんな懐かしさが動機付けのようになって、今年は、朝から、まず、この建物を見てから自転車に乗ろうよっということになった。勿論ナイフにも興味があるあるだった。

右の建物が商品展示と販売になっていて、左の建物が資料館でその奥に工場があって、ほんとうに職人さんが刃物を製作していた。土曜日の朝一番だったが、刃物を打つ音と研ぐ音が工場内に響き心地良いものづくりの波動を発散させていた。ちょっと見学して帰るつもりだったのに1時間以上滞在し、この工場で製作されるナイフの魅力と誘惑に負けて、私はステーキナイフを。同行のキタムラくんは折りたたみのカッコエエナイフを買うことになってしまった。

 

武生のこのナイフビレッジがある刃物の里の近くには、漆の里があり、和紙の里があり、眼鏡の里があって、田畑を隔て、それぞれが集落として点在していた。不思議で魅力的な里山だとおもう。眼鏡ミュージアムには立ち寄れなかったが、もともと農閑期の仕事として大阪から眼鏡フレームの技術を学んだ。と書かれてあって、生野区のうちの会社の裏にあるメガネの3Dの型を製作する山岡製作所のお爺さんがその技術を伝えたひとりだと聞かされていた。ちょっと驚いたのは、その眼鏡フレームの技術を取り入れようとした眼鏡の元祖の人の集落が、生野町というらしい。これは偶然なのか?!

 

地元の白崎サイクルのシラサキさんの予約で「山路」という越前そば屋さんで蕎麦を食べる。今まで食べた蕎麦で一番美味しいのではないかとおもわせる香りと味だった。それを穀物の香りというのだろうか。粘っこい腰があるのに歯応え良く切れる蕎麦という感覚だった。店主は和紙職人で、土曜日と日曜日だけ限定売り切れ御免で蕎麦を打っているという。食事中にマスクを入れるその職人さん手作りの和紙袋が付属していたのがカッコよかった。和紙職人と蕎麦職人という二刀流も今風だな。

漆の里からちょっとしたヒルクライムで峠を越えて一乗谷へ行く。朝倉氏の一乗谷遺跡に憧れを持ったのはNHK BSの「その時歴史は動いた」を視聴したからだろう。集住の場所を、どんな周辺環境下で、どんな規模で、どんなデザインの街並みとして造ったのかを体感してみたかった。原寸大復元模型の町並みを歩きながら、ものづくりの集落との関係性をボランティアの案内の方に聞くと、この一乗谷はたかだか500年前に造られた町で、ものづくりの里は1000年以上前から存在してますよ。ということだった。最盛期は1万人ぐらいだったらしいが、なんとなくコミューン的集落のようなムードが漂っていた。

都道府県幸福度ランキングでは福井県が一位で「教育」と「仕事」が一位を守り続けているらしい。自転車で集落を走っていても建物が豊かな感じがする。両親との同居世帯も多いらしい。都市だけに目を向ける時代じゃないよね。なんていう気分になった自転車旅だった。

「ドローン」

秋を通り越してもはや冬の始まりだな。ドローンワークショップを催した日曜日。そもそも工務店で、なんでドローンなのかっていうのもあるが、最近、竣工写真を撮ると、ドローンでも撮影しますよっと言ったのは、写真家の多田ゆうこさんで、写真ワークショップを一緒に開催し、木村工務店のホームページに掲載されている写真を撮ってくれいる女性カメラマン。住宅風呂巡礼という企画を一緒に遊んでくれた女性写真家でもある。そうそうそれに屋根の点検なんてますますドローンが必要な時代になってきたとおもう。

ドローンワークショップを一緒に開催した土林くんは、前々回の「まちのえんがわ」グリーン化計画ワークショップに参加してくれた縁で繋がって、その彼がドローンのプロフェッショナルだと知って興味が湧いて、一度遊びに来てほしいと頼むと、気軽にまちのえんがわにドローンを持って来てくれた。そうすると、ただドローンを操縦するプロフェッショナルだけでなく、自作でドローンを制作し、何よりも彼が持っているドローンの道具箱が格好良かった。なんというかものづくりの空気感があったので、まちのえんがわドローンワークショップを開催しようよっ!ということになった。

で、ドローンに興味を示すのはマニアックな若い男の子だとおもっていたら、参加者の多くがオトナの女性で、それも女のお子さんを連れ立っての参加者が多かった。ワタシここ10年ほど関西大学の木造設計製図をサポートしているのだけれど、近年ますます女性の建築を目指す学生が増えてきて、微妙な感覚で申し訳ないが、男の子より好奇心が旺盛なような気がするのだった。

若い頃読んだ本の一節に、食物には、口から入れる食べ物。鼻から入れる呼吸と空気。目と五感から入れる印象。というのがあって、食物を摂取しないと1週間後に死に、呼吸をしないと3分後に死に、印象を持たないと数秒後に死ぬ。みたいな表記があって、微妙にそのコトバの表現は違うのだけれど、ま、そんな意味では、常に好奇心を持ち続けることは、新鮮な印象を食べ続けて、生き生きと生きるために大切なコトで、今回のドローンワークショップの参加者は、そんな好奇心に従って素直に体験してみようとした方々だったのかもしれない。

意外だった事は、小学生以下の子供達が、最も操作しやすい簡単なドローンであれば、それぞれが操作できて楽しめるっという事だった。想定以上に、子供達が楽しんで、本当は、オトナ達がこっそりと楽しむはずだったのに、子供達が楽しそうにしている様子に、じっとオトナ達がドローン操作を我慢している姿が印象的だった。なので、参加者のほとんどが女のお子さんのために、そして自分のためにも、最も安くてプリミティブなドローンを買って帰った。

ちなみにワタシも孫達の喜ぶ姿とその家族が喜ぶ姿にほだされて、小さなドローンを買ってしまうことになったが、小さなおもちゃ的なドローンが浮遊する姿は小さな虫のようで、とってもカワイイのだった。昔の子供達はミニ四駆で遊ぶ時代だったが、これからはドローンで遊ぶ時代になっていくのだろうか。木造のトラスで組まれた加工場が、通り抜ける隙間がいろいろあって、ドローンサーキットとして最適であることを知って、いつか加工場が、ドローンの朝練会場になっているのかもしれない。

家に帰ってからも居間で2台のドローンが浮遊する1日だったが、その「浮遊感」に心地良さを感じストレスも一緒に空間に散逸していくような気分になるドローンワークショップだった。

 

「クレーン」

久しぶりに、鉄骨ALC造の小規模な工場の引き渡しがあった。木村工務店では、40年以上前は沢山の鉄骨ALCの工場を施工していた。生野区や東成区で長屋の中で創業していたものづくりの工場が、商売繁盛と共に手狭になり、大きな工場を建てるために東大阪市や八尾市の田んぼを買い求めて、工場を建てるパターンが多かったという。当時はALCの販売施工部門が木村工務店の内部にあったので、ALCの工場や事務所や住宅を数多く手掛けてきた。もちろん木造の大工も社内に在籍していたので、ALC部門が社内に残っていれば、木造と鉄骨のハイブリットで二刀流の職人集団になっていたのかもしれない。

その引き渡し時に岡本電気の岡本くんが、住宅もエエですけど工場の配線好きなんですよ!配管を工夫する楽しさがあるのですっ!という。確かに住宅の住みやすさを追求するように、作業のしやすさを追求する工場を考えるのも楽しい。ま、それはそれとして、そこにオレンジ色に着色されたガータークレーンが設置してあって、ちょっとだけ操作させてもらう。それだけでもちょっとワクワクする。気恥ずかしさもあって、嬉しそうなそぶりを周囲にみせなかったが、心の中では、端から端まで運転して、なんでもエエので何かを吊り上げたいとおもっていた。

「クレーン」というのに、なぜか興味がそそられる。なんでなんだろう。それは「男の子」だけのことなのか。そういえばゲーム機のクレーンゲームというかUFOキャッチャーがいまだに存在しているではないか。心の奥に潜むこの隠された魅力とはなんなのだろうか。クレーン部が上下して吊り上げたり下げたりする所作の魅力なのか。それだけではなく単純なメカニカルな姿がなんだかカワイイのだとおもう。そうおもってググってみると新宿歌舞伎町のセガがリニューアルし1階2階全てが、クレーンゲームコーナーとして生まれ変わったという。いま、なぜなんだ?

旅をした時、特に自転車旅をした時の写真を振り返ってみると、「タワークレーン」を撮影しているワタシに気付く。タワークレーンが林立する姿に不思議な魅力を感じるのだ。鉄骨ラチス梁のメカニカルな姿がなんだかカワイイのだとおもう。しまなみ海道の生口島にあるLINK輪空に宿泊し、大島の亀老山にヒルクライムして、今治までライドしたその帰り道。自転車で往復するのも良いが、芸予汽船に乗って島伝いに岩城島までフェリーで渡って生口島まで戻るコースが船旅気分とともに海から集落を眺められるその光景が楽しい。何よりも造船工場を海から眺めてタワークレーンが林立する姿に不思議な魅力を感じるのだった。

↓ 伯方島の造船所はセガのクレーンゲームコーナーのようにもおもえる…

↓ 岩城島で橋を施行している丁度良いタイミングに出会った。タワークレーンをこんな感じで建てて吊橋を施工するのだと知って、ちょっと施工者の気分になった。

↓ 岩城島のフェリーからみた林立する造船所のタワークレーン。

↓ そういえば、建築家秋山東一さんとメルクリン&メカノというイベントを催した時、あらためて、メカノのクレーンが、モノとして面白いことを認識したイベントでもあった。秋山さんのメカノのホームページ。


 
↑ そのメルクリン&メカノのイベント時のメカノを使った陸橋

 

そうそう、うちの加工場にもオレンジ色のクレーンがあって、大工が手加工をする時に、木材を移動するために使用する。とってもプリミティブなクレーンだけれど、これはこれで楽しい。

とにかく「クレーン」の姿がなんとなく「カワイイ」のだ。

半農。

秋晴れ! 早朝から庭を隔てて同居する長男家族の孫達のウキウキしている声が聞こえてきて、どうやら家族でアウトドアーに行くらしい。よーやく、子供達が、外遊びができるムードが漂ってきて、じょじょにじょじょに、世の中の活気が戻ってきそうな気もする。

ワタシも久しぶりに自転車に乗って金剛ロープウエィまで往復すると、5月に自転車に乗った時は田植えの季節だったのに、10月は稲刈りの季節になっていた。歳のせいもあるのだろうが、なんだか季節の移り変わりが早いように感じる。

↑ 今日10月の稲が刈られた雰囲気。

↓ 5月の田植えの雰囲気。

近くにある古墳の上から田園を眺めるとパースペクティブに農家住宅を眺められるのが新鮮だった。先日、参画している町の工務店ネットで、都会からそれほど遠くない町の農村で、新しくやってくる若いひと向けの「半農ライフ」という課題と取り組みがあった。そういえば、ワタシ、NHKの梅沢富美男と東野幸治の「まんぷく農家メシ」を好きでよく見る。レシピも美味しそうだが、調理をする場所が、農業用倉庫であったり、農家住宅の玄関前の土の道路だったり、そんなシーンが好きだ。あの倉庫をもう少しモダンに、あの家をもうすこしだけモダンに。とおもったりもするが、そのモダンが問題で、その画面に映っている住宅のモダンさとはちょっと違うよね。なんておもう若いひとが住む住宅があったりして。建築ってどのようにあるのがエエのかと考えさせられる時がある。

八尾でリフォーム工事をさせていただいた家は、広い前庭を畑にして楽しんでいる様子が、時折フェースブックにアップされて楽しそうだったりするし、知り合いも生野区で、長屋2軒分を壊して、庭にするのではなく、畑にして、楽しそうに生活している。趣味的で遊び的な半農ライフというのも現代的だし、この上の写真と反対側の方角には、プロの農業をしている人と、家庭菜園的に、都会から通っている人がいて、その光景を自転車から眺めるのが楽しみだったりする。

働き出した24歳ぐらいから、毎朝NHKのラジオを聴いている。今朝もサンデーエッセイで半農半何もの?という若い人が、半農ライフをお誘いするメッセージを発していた。ズームの打ち合わせが、「フツウ」になってきて、半農ライフと在宅勤務が共存できる世の中になって、農地に、そういう小規模の住宅地ができてくる世の中になるのかもしれないよね。

 

緊急事態宣言が解除された秋晴れの週末。

雲ひとつない秋晴れ。最高の気候。土曜日日曜日とも、仕事の都合で、アウトドアーで遊ぶタイミングを逃す。知り合いの多くが、この気候を楽しんだフェースブック投稿されて、羨ましい気持ちもあるが、それはそれなりに嬉しい気分。それに、ようやくコロナ緊急事態宣言が解除された週末で、町に活気が戻りそうな気配があり、世の中の空気感に、じわっとした喜び感があるようにおもう。

相談会があった土曜日と日曜日の週末。「まちのえんがわ」の「green」に共感して頂いた女性の方が2名いらっしゃって、ひとりの方は、「まちのえんがわ」と同じように3階建ての1階が車庫だった場所に置いてある車を別の場所に預けて、そこの一部に少しの「green」を置いて、身体をケアーする仕事場として拡充したいそうだ。町を歩く人が、ちょっと足を止めて休憩できる場所になって、ちょっとした些細なコミュニケーションができる場所になり、小さな街角を作れたら嬉しいという。建築関係や街づくり関係でもない、いわばフツウの女性から、大真面目に発せられたそんなコトバが新鮮だし、なんだか嬉しい。

実家の横に建てられていた、ものづくりの工場を受け継いで、女性ひとり住まいの工房兼自分の居場所に改修したいが、その時に、かつて増築された部分を解体撤去して庭にしたいという。里山的な自然の庭があるスペースを作り出したいし、コロナ禍で経験した在宅勤務がこれからも続くので、どこか環境のいいところに移住して在宅勤務でも…ともおもったが、折角受け継いだこの場所とこの建物があるので、ごちゃごやしたこの街でも、居心地の良いリノベーションをし、時にどこかに出かけるスタイルが良さそうに思えてきたと仰る。

生野区のものづくり百景というプロジェクトに少し関わっていると、いろいろな事を教わる。あのロート製薬の本社は生野区にあって、昭和30年代にこの場所に、働く社員のユートピアをつくろうという想いで、池にボートを浮かべることができる工場と研究所を造ったそうだ、グーグルで眺めると、学校の校庭のような場所に池があり桜の木が植っていたという、今はオープンスペースとしての駐車場のようになっているが、そういう明治時代生まれの企業家の方々の先見性というか想いのようなものが、生誕100年ぐらいを経て、現代的になってきたような気がする。

うちの祖父も明治生まれだったが、わざわざ長屋2軒分を解体撤去し、庭を作って、半分は植木だが、残りはオープンスペースとしておけ!このごじゃごじゃした町に何もない場所があるのがエエんや!と言い残していた。知り合いの建築家矢部達也さんはグーグルでうちの家と庭を見て小路のセントラルパークと面白おかしく揶揄していたが、それを聞いて、オープンスペースの大切さや有難さをおもうようになった。ロートさんだってオープンスペースがある社屋が人の創造力を生み出すのに必要だとおもっていたような気がする…。建築家の吉村順三さんも明治生まれの建築家で、ようやく私たち工務店がリスペクトする時代になってきて、そういう建築を造れる工務店でありたという気風も高まりつつあるようにおもう。

いや、明治生まれの人を強調したかったわけでもなく、文章の流れ的にそうなっただけだが、街の中で、家のちょっとした場所に、それぞれの規模にとってのほんの小さな場所を、オープンスペースとして造るコトが、心のオープンスペースにも繋がる。なんてコロナ禍で、それぞれが感じはじめているような気がする。そんな秋の陽気な日曜日だった。

 

ピアノ

BSの「駅ピアノ」とか「空港ピアノ」とかをたまに視聴する。うちの奥方は、いつかあそこに出演したいというが、いまだに家でピアノを練習する姿を見た事がない。それぞれの国や都市によって微妙な特徴と違いがあって面白いが、最近では「弘前」の駅ピアノが案外良かった。弘前って文化都市だなっておもった。そういえば、「世界TAXI」も面白い。映画「タクシードライバー」の名場面を連想させるようなドラマがあって楽しい。その中では、ローマのタクシードライバーになってみたいとおもった。

YouTube上でも駅ピアノ的なやつがあって、「ラ・カンパネラ」なんて演奏する映像があり凄いなっておもっていたら、以前視聴した関連で、あの盲目のピアニスト辻井伸之の「ラ・カンパネラ」のリンクが出て来た。圧倒的にレベルが違う。関連する辻井伸之のさまざま動画を見る。ニューヨークのセントラルパークの野外音楽堂で演奏された映像など、ちょっと感動的で、アンコールが終わって観客のインタビューで、男性が、ロックンロールだ。と語ったコトバなど印象的だった。その場に居て一緒にその音を共有したかった。日豪友好の演奏で、おもわず小学生が合唱するシーンなど、グッとくる。

世界的なピアニスト9人による「ラ・カンパネラ」の比較動画も関連付けられて視聴すると、同じ曲でも、プロによってこんなに演奏が違うものかと驚く。辻井さんは最後の動画出演者で、他のひとと音楽的に何が大きく違うのだろうか…と考えさせるほどの印象深さがある。右手の小指の音色と響きがコントロールされて美しいからなのだろうか…とか。日本的な間が存在するからなのだろうか…とか。「音色」や「響き」や「リズム」や「和音」を楽しんでいる雰囲気があるからだろうか…などなど。神社の巫女さんが神さまに奉納する舞「神楽」の際に手に持って鳴らしていた神楽鈴(かぐらすず)を本坪鈴(ほんつぼすず)というらしいが、神社で神主さんからその鈴でお祓いを受けているような、その音色にすら聞こえてきた。

建築家の秋山東一さんは、常日頃、工務店の新築住宅は、ひとつの「型」を持つべきだ。と私たち工務店に説いている。確かにワタシもそうおもうようになってきた。骨格の良いバランスのとれた構造と開口部と階高と屋根勾配の住宅建築の肉体美的型をひとつの身体にして、その身体にさまざまなファッションを身にまとうように、その骨格の上にそれぞれの住まい手に合わせて微妙に個性的な装いがある建築。なんていう建築的イメージと共通するような9人による演奏の比較動画だった。

数十年前に長屋をリフォームして居間兼オーディオルームを造った。かつてワタシ達が住んでいたその家は、いま、長男夫婦が住んでいて、その居間のオーディオ装置類を長男がバージョンアップした。数年ぶりにその部屋で音楽を聴かせてもらう。「音楽」というより「音」を楽しむための部屋にしたかったが、ワタシが中途半端な状態で引き渡したその音響がバージョンアップされていた。


数日前からの流れに従ってピアノを中心に音を楽しむ。あの9人のラ・カンパネラもこの装置で聴くとより違いが鮮明になる。ジャズ系ばかりになるが、ビルエバンスの繊細な音色。ハービーハンコックのタッチ。マッコイタイナーの左手のギョワンギョワンとする音。セロニアスモンクの独特の間。キースジャレットの静けさ。久しぶりに心地良い「音」と共に過ごす時間は、やっぱりエエよね…。

森と木と木材

あれぇっ?と思うような進路で台風が接近し、なんだか今年は不順な天候が多い。休日の外出は、ひとりでスポーツする三密を避ける遊びが中心になって、家族や友人と一緒に集まって遊ぶ約束事やイベントが気軽にできなくなり、とっても単調な休日になりだした。土日ゴルフに行く機会が増えたと協力会社の社長さんたちの多くが語る。平日の夜の外出も全く無くなって、テレビを視聴する機会が増えた。ドラマあまり視聴しないし、バラエティーも飽きてくるし、気がついたらドキュメンタリーに依存してしまっているワタシ。あとユーチューブやネットフリックス。

NHKのドキュメンタリーで、「みやこびと極上の遊び」を何気なく観る。キョウトの世界ってこんな感じなんや。と伝統的な凄みを感じたが、ま、好き嫌いは別として。終盤に、祇園祭の山鉾を住民で建てるシーンがあって、その頂上に建つエエ「杉の木」をチョイスし、ロープで引っ張って木を建てる映像があった。今まで、ほとんど意識したことなかったけど、そういえば、山鉾の上に「杉の木」がニョキっと天まで届く雰囲気で直立している。

前回ブログの藤森さん設計のラムネ温泉館の屋根の天辺にもよくよく見ると杉がニョキっと建っていた。そういえばちょっと前の「ブラタモリ」が諏訪編で、御柱祭のシーンがあって、十年ちょっと前のゴールデンウィークの旅でその御柱祭に遭遇した時の感動を思い出した。


「山出し」というらしいが、山から急坂を滑り落とした「巨木」を「里引き」といって掛け声と共にダンジリのように道路を皆で引っ張っていく。その時撮影した写真で、今見てもあの時の木槍の歌と掛け声のワクワクするような音色が蘇ってくる。諏訪大社で「巨木を曳き建てる」場面には出会えなかったが、偶然そのための準備をしている鳶職のような職人さんから説明を聞いた。

この巨木を里引きする道路沿いに、藤森さん設計の神長官の建物とその奥にツリーハウスがあって、このタイミングで見学すると諏訪の木の精神文化のようなものを受け継いでいるのだなとしみじみ思った。で、天辺に杉の木を建てる京都の山鉾だって、ラムネ館だって、同じ共通する何かがあるのだろう。それをどう解釈するのか。と長年気になっていたら、最近読んだ中沢新一さんのアースダイバー神社編に、このように説明されていた。

「御柱祭は、二つの異質な「柱祭」の結合としてつくられている。第一のタイプの柱祭は、太くて長大な樹木を山から切り出し、それを地面に垂直に立てることによって、宇宙論的な意味を表現しようとするものである。このタイプの柱祭の「起源」はきわめて古い。」

「これを「垂直型柱祭」と呼ぶことができる。樹木によって天と地をつなぐという、古い思想を背景にした祭りであり、諏訪の御柱の基層に、このような思想が潜在していることは、大いに考えられる。」

「この基層的な垂直型柱祭の上に、別の新しいタイプの柱祭の原理が覆いかぶさって、諏訪の御柱祭ができあがっている。ここでは天と地の分離ではなく、人間の住む「里」と野生の「森」との水平的な分離が、問題になる。」

「開発が進んで里と森の間には、大きな心理的な距離が発生するようになった。その距離を無化するために、山から切り出された巨木に森の霊力を詰め込んで、森と里の間の里山世界を引きずり回し、霊力を大地に撒き散らしたうえで、神社に運び込むのである。これは「水平型柱祭」と言える。」

「このタイプの柱祭は、農業技術が向上し、耕地の開発が進んで、各地に豊かな「惣村」が形成されだした、室町期以後でなければ、発達しえない祭りである。それ以前には、里と森はまだ未分化で、里の世界が自然からすっかり分離されてしまった、という感覚はそれほど強くなかった。しかし農業の発達とともに、自然との距離が増大した。水平型柱祭は、そのような疎外感覚を乗り越えるために、民衆の間で発達した。」

「このタイプの柱祭を、海人的伝統を色濃く残す地帯で、いまも盛んにおこなわれている「ダンジリ」型の祭りと、比較してみると面白い。ダンジリでは、船形をした屋台を人々が猛烈なスピードで、引っ張り回す。そうやって海の野生を、街中に引っ張り込んで、浄化し活気づけようというのが、祭りの魂胆である。  ダンジリにおける「海の野生」を、「山の野生」に変換すると、御柱祭の構造があらわれてくる。」

なるほど。と思った。床柱なんて天と地をつなぐ垂直型の思想なのだろ。水平型という考え方が面白かった。今は都市と里山が分離されているのだろうが、都市に「木」とか「緑」が求められ、都市木造といわれるようなビルもできて、ある商店街の中のビルを木造で建てSDGsにも貢献したいという施主の要望によるプロジェクトに遭遇したりして。

木が光合成をしCO2を吸収する缶詰のような役割をしているので、人工林が多くしめる日本の森を間伐し、その木を使い、また植林する事が、CO2の削減を通じた地球温暖化防止になって、ひいては森や川や海の自然環境を守る循環型社会に繋がる。なんて教えられた考え方とも結びついて、いま、都市と里や山が分離されない自然環境と共存する社会。地球環境を大切にしようとする社会。が求められているのだろう。

木村工務店が数多く関わる木造住宅の木材は、「森」で採れた「木」が「木材」になって建築材料として使っている。そういう木を使った循環型社会に貢献する木造住宅として、あらためてもう一度見つめ直してみたいとおもった。

朝風呂朝サウナ夜炭酸泉

よーやく「涼しさ」を感じる心地良い季節になってきた。今日の日曜日の天気は曇りで雨が降らないというのが土曜日の天気予報。朝早く、目が覚めて、空を見上げると、いまにも雨が降りそうな曇り空で、しばらくしたら雨が降り出した。なのでアウトドアーを諦めて、朝風呂朝サウナにする。

小さな頃、よく祖父と祖母に連れられて3人で旅館に宿泊し、それはたいていは白浜のいまはなき川久だったが、朝風呂に連れられたりした。30代や40代は、そんなのどーでもエエ体験の記憶として、食べることも寝ることもお風呂も、ただ食べられて寝られて体洗えれば良く、仕事とその余暇にめーいっぱいだったが、60代を過ぎてくると、そういう小さい頃によくしてくれたエエ想い出や青春の頃のめーいっぱい楽しんだ体験が、第二の人生を生きるちょっとしたエネルギー源になっているような気がする。不思議だ。

サウナブームらしいが、その作法にもいろいろなスタイルがあるのだろう。水風呂のエエ水に浸かりたいという欲望を満たすためには、地方のサウナに行かなければならないような気がするすし、やっぱりフィンランドの湖に浸かるなんてとっても憧れる。自転車旅行で訪れた富山市内のお風呂屋さんのサウナの水風呂の水の気持ち良さが体の記憶として残る。そんなこんなで、最近、湧水がある日本の名水の場所に憧れたりする。ま、とにかく日曜日の心のリラックスはまずは体のリラックスから…みたいなところがあって、ワタシ的には、自転車に乗ったりランニングしたり登山したりするのは、「意識的」に体に負荷を与えた後にやってくる心の気持ち良さリラックスを味わいたいからだろう。体に負荷をかけない日は朝風呂朝サウナが好きだなぁ。

そうそう、自転車で若草山に登った日。家に帰ると、庭隔てて同居する長男家族が友人誘って、庭でテントサウナし、ちょっと大きめのプールでは孫たちが楽しんでいた。帰り道は西日に向かっての走行で熱中症になりそうだったので、ビブショーツ履いたままそのプールに飛び込んだ。水。あーえー気持ち。

 

緊急事態宣言で不要不急なんていうコトバの問題もあるので、「まちのえんがわ」ワークショップは中止にしている。お客さんが気を使って緊張しながら楽しむのでは講師を含めて誰もが楽しめないしね。今月末に予定していた「包丁研ぎワークショップ」も中止になった。それはそれとして、お盆休暇は、春に予約し奥方が楽しみにしていた温泉旅行は決行することになった。どの旅館も感染症対策バッチリで他のお客さんと全く会わない食事で、フロントと中居さん以外接触がなく、車なので道の駅とサービスエリアで人に会うだけだった。

長湯温泉のラムネ温泉館に入浴する。日本一の炭酸泉らしい。35度のぬる湯で体に気泡がついて気持ちよく何時間でも入れそうな感じ。炭酸泉ぬる湯に入って、熱い炭酸泉に入って、を繰り返すとサウナ的に、いやそれを上回るほど気持ち良かった…というのもあるが、あの藤森さんの建築。心地よい低さと心地良い高さが共存する独特のスケール感の建築で、この独特の炭酸泉を際立たせる、独特に良いパッケージデザインのようだった。

さて、そろそろ、コロナと共存するための政府方針を決定して欲しいものだなぁ…

 

夏の終わり。

夏の終わりを惜しみつつ見送るため孫たちと線香花火をする。前回のタイトル花火こそ、この写真が相応しいのかもしれないが、その花火のブログを読んだ奥方が、今年、花火をしていないことに気づいて、夏の送り火のように、ポタンポタンと火の粉が落ちる線香花火で、孫たちと静かな夜を楽しんだ。インスタに投稿したら、大先輩から懐かしい光景だな。とコメントがあった。縁側と土の庭が線香花火に懐かしさを付加しているのだろうか。おもわずワタシも子供の頃はこんな感じだったのかと振り返ってみた。こういう情景を受け継いでいこうと行動するのが、案外、女性だったりする。

そうそう先週日曜日。自転車で若草山に登ってみた。木陰のベンチで鹿たちと一緒に休憩すると、木の葉越しに観る青空も白い雲も山も街も夏の終わりを告げているようだった。

若草山から峠の茶屋を目指す。ダート道ばかりで、この自転車だとちょっとしんどい。山道を駆けるランナーが多いのに驚いた。今から何十年も前の30歳代の頃に、ハイキングで2度ほど車でも2度ほど立ち寄って、わらび餅を食べたが、もちろん自転車では初めて。それに建築的に眺めたのも初めて。こんなにシンプルなエエ木造建築だったのか。たまたま客が誰もいず、ご主人と世間話をする。180年ここに住んでいるのだそうだ。実際に今もこの2階に住んでいるらしい。ベランダのような縁側は今流の防水をしているはずもなく毎日雨戸を開け閉めするという。はたして次の世代は受け継ぐのだろうか…

菅政権も終わりを迎えようとしている。オリパラもいま閉会式が行われている。WeThe15というコトバを知った。15%の人たちと共生する社会。日曜日の夕方、奥方と買い物がてら外出すると、ライフやコーナンやドンキホーテの前は人でいっぱいだった。もはやコロナと共生するステージが始まっているのだろう。夏の終わりと秋の始まり。今日は秋の気配の涼しい風を感じたなぁ…

 

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