「特別な夏」の始まり

夏期休暇が始まった。っといっても木村工務店では、春のコロナ自粛に応じ、5月連休を急遽4月29日から5月6日まで8連休にしたので、出勤予定だった3日間を8月のお盆休暇に割り振ることにした。

当初、例年通り今日の8月9日から8月16日までの7日間の夏休み休暇の予定だったが、それを8月9日と10日を暦通りの2連休とし、11日12日13日を出勤日にして、14日15日16日の3連休にする予定だった。というのも、工務店にとっては、職人さんが働く日数を確保すること、それは現場を稼働することが、最も大切な仕事のひとつなので、職人さんが働けなくなった5月の3日間分を8月に充当することにした。

ところが、梅雨が明けると、とっても高温な夏になり、そのうえコロナ第二波がやってきて不安感が漂う夏。確かに今年は「特別な夏」だといえる。職人さん達も、8月13日は、仕事より休みたいというのが全員の意見だった。なので、8月9日10日の2連休に、11日12日の出勤日、13日14日15日16日の4連休にすることになった。なかには、11日12日も休暇を取る社員や職人さんもいて、木村工務店にとっても、創業以来、お盆休暇としては、それぞれがバラバラな休暇状況での夏休みとなり、こんな意味でも今年は「特別な夏」になりそうだ。

その「特別な夏」の連休初日がやってきた。曇り空。とっても蒸し暑い。この特別な夏休みの過ごし方に悩む。っというか、家でクーラーかけて、ゴロゴロするのが安全で快適なのかもしれない。誰もがそうなら、家庭での夏の電気消費量が過去最大の夏になるのかどうか。結果を知りたいものだな…..。朝からスーパー銭湯に行くが、多くの人が銭湯に行くのにも勇気がいるのだろう。夏休みにしてはとっても空いている。あとは、家でゴロゴロ。夕方に、お墓参りに行くことにした。

木村工務店では、昔から、8月のお盆休暇は、5日間の連続休暇をとる習慣があって、ワタシも、働きだしてから、夏のお盆休暇が最も楽しみな休暇だった。子供が小さい頃は、ハイエースのキャンピングカーで、道東道北・東北・佐渡・能登・信州・飛騨・四万十川・阿蘇・屋久島・ 沖縄などなど、旅館に泊まるのがもったいなく、宿に到着する時間や朝食時間など、時間的に縛られるより、自由度をもとめて、キャンピングカー旅行を20年ほど続けた。このブログにもその記録が2004年頃から残っている。

子供達が成人してから、キャンピングカーは売り払い、キャンプ休暇をやめ、1週間の海外建築旅行をしたり、国内の有名なホテルや旅館にも宿泊するようになった。家をリフォームしてからのここ2年は、夏休みを家で過ごしている。温熱環境が改善され、輻射冷房で居心地が良くなったことが最大の原因なのだろう。それにワタシの父母が共に亡くなったことで、ようやくお盆にお墓参りをするようになった。それまで、ワタシたちが家を留守にするお盆休暇を両親たちがお盆を勤めてくれたのだな。なんて、最近理解出来るようになった。

で、今日は、夕方、谷町筋六万体にあるお墓に参る。かつて、大坂夏の陣で、真田幸村に追われて命からがら逃げ込んできた徳川家康を、この寺の住職が助けたとか…..。そんな伝説をお墓参りの度に想い出す。歴史感覚がちょっと麻痺する感覚が好きだ。まだまだ蒸し暑い。お墓を掃除して拝んだあと、奥方が暑いのでカレーでも食べたいという…..。カレーといえば、インデアンカレーが二人の共通認識で、それも法善寺横町近くの本店に、二十歳頃の付き合い始めたころから、たまに食べに行く。

ところが、そのインディアンカレーのあるミナミ周辺はコロナ規制なのだ。お互いにそこに行くコトに躊躇するこの感覚が「特別な夏」なんだろう。長堀通りの地下街にあるインデアンカレー店で、玉子入りを頼んで食べたのが想い出になりそうなのが摩訶不思議な夏で、「コロナとお墓参りとインデアンカレー」が「特別な夏」の始まりになった。

コロナな夏をどう過ごすのか。

青空。とにかく暑い!ようやく夏がやって来た。セミも絶叫している。今年は楠木の大量落葉がないのかとおもっていたら、ここ2、3日もの凄い落葉。それにコロナ感染者も大量発症で、不安感が増す日々。

久しぶりに日曜日が天気になった印象。なので、朝のうちだけ自転車に乗ってみる。フウフウいいながら汗だくで十三峠に着くと、自転車で到着したひとが、おもいおもいのスタイルで休憩していた。それぞれがこのコロナ下のストレスを解消しているのだろう…..。

十三峠から奈良側のフラワーロードを通って、とっても久しぶりに信貴山の朝護孫子寺に参拝してみた。手洗いの柄杓(ひしゃく)が取り払われていた。確かに柄杓を通じての感染がありそうだ。ふと手水の作法を想い出してみると、柄杓を口に付けない。最後に柄を洗う。というのがよくできた作法だなとおもう。昔から感染予防になっているような感じ。皆がこの作法を守れば、手水も大丈夫なのかもしれないが…..。下の写真は伊勢神宮の手水作法。

信貴山から柏原堅上の方へ下る。竜田古道の里山公園手前の葡萄畑の丘で腰を下ろす。葡萄の季節がやって来た感じ。ここからの奈良の景色は、「大和は国のまほろば ただなづく青垣 山ごもれる 大和うるわし」なんて心境になれる。そうそう自転車をカーボンからクロモリに変えた。フロントホークだけカーボンだが、こちらのほうが、ワタシにはしっくりくる。ギアーもフロント48-32Tでリアー11-32Tのカンパニョーロコーラスの12速にした。完全なオジサン仕様だが、これで充分。フロント50でリア11を踏むことなどまったくないしね。ちなみに50ー11の時、ケイデンス90で51.4km/h 。ケイデンス80で46km/h の時速らしい。ワタシにはムリ。

とにかく暑いので、距離を走ることやランチすることを諦め、午前10時には家に着いていた。再びコロナが背後霊のように迫っている気分。汗かいてると飲食する場所にも気を使う最近のコロナ情勢。家庭内感染も増えているとか。岩手から関東でキャンプし感染したとか。今年の夏は、どう過ごせば良いのだろうか…..。

「数値」の世界。

降り続く雨。うだるような蒸し暑い夏もイヤだが、それでも、もうそろそろ梅雨が終わって欲しい気分。オリンピック連休が、コロナで、唐突なGOTO連休になってしまい。なのに、ここ最近、感染者数が急増し、ソトに行くかウチに居てるか、葛藤のようなものをしいられていたが、幸いこの梅雨の長雨で、家に居て過ごすコトに、納得感のような気分をもたらしてくれて、この連休は、感染拡大を制御してくれそうな梅雨に感謝したい気分。

 

最近のテレビやネットで、こんな「数値」を知ると、70%が感染せず。感染した30%のうちの98%が、無症状か、ほぼ無症状か風邪症状だという。感染した30%のうちの2%ほどが軽症入院で、死亡が0.01%以下なのだという。案外大したことないかも。っとおもってしまうが、そうおもうことが慢心で、コロナの潜む危険性なのだ。注意しなくてはいけない。いつ陽性感染者30%のうちの2%の入院感染者になるか予断を許さないのだ。と諭されているような感じがする。「数値」というのが「恐怖」と結びつくと「厄介」だなとつくづくおもう。確かにコワイ。

2019年の交通事故の死亡者は3215人らしい。2020年の1月から5月までは、1155人が交通事故で死亡しているという。現在のコロナ死亡者数は996人。数値だけみると、日本では、自動車に乗る方が危険だとおもわれる。全世界のコロナ死亡者数64.5万人だから、やっぱりその巨大な数値に恐怖心が湧くが、ちなみに全世界の年間の交通事故死亡者数を調べると約135万人もあって驚く。交通事故とコロナを比較するのがナンセンスなのかもしれない。おそらく「未知なるもの」や「コントロールしにくいもの」に対する「死」の「価値」が違うのだ。withコロナはwith恐怖心なのだな。

建築でも、「数値」というのが、時としてオモシロイ。耐震性能はこれからは「2」ではなく「3」なのだ。とか。断熱性能のQ値は1.5以下であるとか。そのQ値がUA値になって、0.87以下であり、断熱等級4なのだ。とか。HEAT20 G3ではUA値は0.26以下なのだ。とか。気密性能をあらわすC値は1.0以下は当たり前なのだ。大阪は夏も考慮して屋根の断熱スペックを上げたい。なんて。「ちょうどエエ数値」というのが、ムツカシくてオモシロイ。

ちなみに、上の数値が、ワタシの家の居間での年間の月別平均気温で、約21℃から27℃ぐらいで推移している。下が大阪市の月別気温。ブルーが最低気温、オレンジが平均気温、レッドが最高気温。ちなみにワタシの家は、「PS」という輻射熱冷暖房装置で冬の暖房と夏の冷房をまかなっている。電気使用量を調べると、12月1月2月3月と暖房で。7月8月9月が冷房。5月6月10月がまったく冷暖房を使用せず、4月と11月は半分以下の暖房使用だった。


上が、大阪への旅行の時の服装の目安で、5月と11月の長手のシャツや薄手のカーディガンの時期の平均気温をみると18度℃ぐらいなので、冬の家の温度設定は18℃を目安にするのが、省エネな住まい方として良いというコトらしいが、実際に生活してみると、冬は22℃ぐらいになっているほうが気持ちが良い。エネルギー的には贅沢なんだが、気分として居心地が良い温度がある。ちなみに北海道の断熱気密の優れた家では、冬の外気温0℃以下で、室温25℃近くにして、半袖でアイスクリーム食べるのがカッコエエのだとか(知らんけど)

5月6月10月は風通しの良い家として、窓を開け放って生活しているつもりだったが、6月26℃と10月24℃が、大阪の平均気温6月24℃と10月20℃と比べると、外気温より高温になっていて、無冷暖房月だが、断熱気密住宅になっているので、オーバーヒート気味なのだろう。今以上に窓をもっと開けて風を通す方が良いようだ。

リフォームに際して「温熱環境的に居心地の良い住宅」を目指すことにし、窓と断熱気密と冷暖房機器の計画を設計の時から一緒に考え、数値として、月別平均気温を18℃から26℃ぐらいを目安に考えた。断熱気密の性能値。窓の性能値。冷暖房の能力。住まい方。肌感覚。気分。そんなのを総合して、結果としては21℃から27℃で推移している。奥方は、今回のリフォームでの微妙な不満点はそれなりにあるものの、この温熱環境が快適になったことが、居心地が良いと感じる大事な要素で、一番良かったコトなのだそうだ。

「数値」の世界が「恐怖」や「居心地の良さ」とも結びついているのだなぁ…..。

降り続く雨の日々。久しぶりの青空。なので、あーでもなくこーでもなく。とりとめのない話が、頭をかけめぐった。

日曜日の早朝からセミの鳴き声を聴く。夏近し。

うちの楠木にセミが住み着いて、毎年、泣き叫ぶがごとき大きな声を発するので、うるさいが、暑さを助長するようで、暑さを蹴散らすようで、ま、都会のセミは微妙な存在で、それでも、毎年その発声を聴かなければ、なんだか寂しい。そういえば、昨年は楠木の落葉が異常だった。常緑樹の楠木は、梅雨前後に落葉するが、落葉すると云うより、新しい葉っぱと新旧交代するような感じだが、昨年は異常な量の楠木の葉が落葉した。今年は、フツウなレベル。ひょっとすれば、コロナ異変をお知らせしてくれていたのか…..。なんて、いろんなコトにこじつけてみたくなる、まだまだ予断が許さない昨今のコロナ状況。

今日は19日なので、生野の日ということで、恒例の「空き家カフェ」を開催した。日曜日なので、加工場で、ソーシャルディスタンスを保って、給気と換気に気を使い、扇風機をガンガンまわして、開催したが、近畿大学の社会学部で環境・まちづくり系専攻の田中ゼミの学生さんたちが多数お越し頂いた。日曜日で学校が休みだったからだろう。

先日テレビで「令和版 彼氏にしたい職業ランキング2020」とやらを観たら、「1位メガ系企業デベロッパー(土地や街などを開発する不動産業)」にとっても驚いたが、今回参加した7名の男子学生さんたちも、自分の出身地の「まち」に何らかの形で貢献していきたい。というようなことを真面目に語ってくれて、建築系の学生でないので、ハードウエアとしての「ハコ」ものに興味があるのではなく、ソフトウエアというかアイデアを生み出し実行することで、「まち」に貢献することを目指しているようだった。

「開発」なんていうコトバに、壊して、一掃して、新しいものを新築する。っていうイメージが強いが、いまある、それぞれのまちの歴史やまちの特徴を活かしながら、ちょっとずつプラスしていって、それはリノベーションや新築も含めて、時間軸を積み重ねていく面白さっていうスタイルがあるわけで、特に生野区というまちは、「再開発」っていうコトバがもっとも似合わないまちでもあって、そんなイメージを、空き家カフェに参加されたフツウの方々と、素直に共感しあいながら、意見交換できるのが、案外楽しい!

最近のネット上の連載記事の日経Xトレンドに掲載中の星野リゾートの星野代表が語るマーケティング革命というのが、オモシロイ。「コロナ禍のマーケ思考」や、「デザイン戦略でのクリエータとやり合う日々」「西洋文化にこびないで」「最新こそ最良であるべきだ」などなど、建築家とランドスケープデザイナーと施主である星野さんが、どんなチームとしてケンチクというものづくりとリゾート運営をしているのか、その関係性と考え方に興味がわく。

そうそう、日経新聞の「私の履歴書」に最近掲載されている、現代美術作家の杉本博さんの連載がとってもオモシロイ。ここ最近、毎日掲載されるのが楽しみ。会社のワタシの座席の後には、八百万の神々のお札とともに、コトバノイエのカトウさんから頂戴した、杉本博の「Seascapes 海景」のポストカードが5枚貼られていて、毎日眺めているので、そんな影響が大いにある。その時々の生き方を時間軸で積み重ねていく過程のなかで、その主要な作品が「ハップン」する雰囲気に、ちょっと魅了される。

コロナの影響なのか、マゴたちの幼稚園が、今日の日曜日から夏休みに突入した。嬉しいのか、早朝の6時から寝室に乱入してきた。布団に潜り込んで寝たふりする奥方。朝風呂に入って、ラジオ体操で応対するワタシ。そうだ、きっと前日の夜に、枝豆を一緒に食べながら、その食べかすで造った枝豆ジェンカが楽しかったのだな。長男の奥方の福島県の実家から送られてきた枝豆なのだ。毎年楽しみ。この場をかりてお礼を言っておきたい。

降り続く雨の日々。久しぶりの青空。なので、あーでもなくこーでもなく。とりとめのない話が、頭をかけめぐった。

谷口智則ワークショップwithコロナ

久しぶりに谷口智則ワークショップを開催した日曜日。このコロナ下。クラスターが心配。なので、主催者のワタシとしては、開催を「躊躇」する気分も大いにあったが、多くのひとたちの参加申し込みがあったので、その皆さんの気持ちに後押しされて、開催するコトにした。

今回は、「劇団往来」の方々が、谷口さんのピノキオの絵本をもとに、人形劇をすることになって、うちの加工場に舞台を設置し、「生」の人形劇を開催して、その後、ワークショップで、それぞれが、ピノキオの操り人形を作り、その人形を持って、その舞台で記念撮影をする。っていうワークショップだった。

3密のなかで、主催者としても、人数制限や、座席配置など距離の確保も含めて、それなりの注意を払うものの、密集と密接は、最終的にはそれそれの判断に委ねるしかなかったが、「換気」は、建築的にできることでもあって、窓を開けた給気と、換気扇による排気と、何台もの扇風機による空気の流れをうみだすコトで、可能な限りの配慮をおこなった。経済活動の維持も含めて、それぞれがどうすれば良いのか模索する日々だとおもう。

なんだか、このコロナ下、YouTubeやテレビ画像の世界で、それなりの満足感をあじわっていたが、「生」というのか「ライブ」っていうのか、目の前に、「リアルな人間」がいて、そのパフォーマーから放出されるエネルギーのようなものを直接浴びる喜び。そんなのをあらためて実感した。

谷口さんというアーティストから放出されるエネルギー。劇団往来の演者とスタッフが放出するエネルギー。そんなのを「いまここ」で多くのひとたちと共有する喜び。ライブの世界は、映像の世界より、とっても贅沢な「出来事」なんだとおもえてきた。きっと、ライブでは、そういうパフォーマーたちのエネルギーが、より強く五感に「転写」される感じ。バーチャルとリアルを使い分ける21世紀なのだろうか。「体感」する喜びを忘れがちだったなぁ…..。

観る喜び。聴く喜び。造る喜び。共有する喜び。分かち合う喜び。そんなのが今回の谷口智則ワークショップだったのだろう。いままでのように、自ら絵を描くことで、絵を描く喜びを分かちあうのではなく、こういう喜びをプロデュースすることで、子供達に何かを伝えたかったのだとおもう。

 

コロナ下の歓迎会と居心地のよさ

雨が降りそうで降らない。パラパラと雨が降ったり。日差しが差し込んだり。気まぐれな梅雨空の日曜日。相談会の日曜日だったが、なんだか、平日にばらけて、参加者がいなかった。コロナ後の微妙な空気感。再びコロナがぶり返すような感じも漂うが、もはや、経済活動を止めるわけにはいかないだろう。

家を建てるコトもリフォームするコトも「躊躇」してしまう感じなのだろうか。そんななかでも、フツウに家の室内環境のコトを考えて、というより、コロナ後に、もっと家のコトを大切に考えて、家造りにエネルギーを注ぐひとたちも、それなりの数がいてるコトを知って欲しいとおもう。それぞれにとって「居心地の良い家」を考えるのに相応しい空気感が、コロナ後のいまのこの時期なんだとおもう。

さて、4月入社の現場監督の新人、ヒダカくんがこんなコロナな時期に入社したものだから、社員や職人さんや協力業者のひとたちと交わるコトが出来なかった。今までの木村工務店のルーティンでは、4月2日のお花見で、社員と大工さんと手伝いさんと対面し、お互いの関係性の一歩を踏み出す。6月の最初の日曜日と月曜日に、協力業者との一泊旅行があって、そこで、協力会社の社長さんと対面し、現場監督にとっては最も大切な協力会社とのコミュニケーションが始まるのだが、コロナで全てが中止になった。なので、今週の火曜日、勉強会とヒダカくん歓迎会を兼ねた社内イベントを実施した。

withコロナを考慮し、ソーシャルディスタンスを保つ勉強会と飲食をあれやこれやと工夫してみた。食事は近くのあそび菜さん、やすらぎさん、寿し武さんから、それぞれテイクアウトし、それぞれの皿に盛り付けた。缶ビールでの乾杯を基本にし、いわゆる盃を交わすのは止めて、あるひとりが一方的に日本酒を注ぐコトにした。建築にとって大切なテーブルセッティングは、4×8のランバーコアーのテーブル2枚続きを基本にし、5人と4人掛けの互い違いで座るコトにして、3セット用意した。3枚しかなかった4×8の合板が、幸い、昨年のメルクリンのイベントで3枚買い足したので、こんな時に役に立った。このwithコロナの状況下で、どんな飲み会が、どんな歓迎会が出来るのか、皆で試してみたかったのだ。

そうそう、昨年に鹿児島のシンケンさんを訪問し、迫社長さんと秋山東一さんの案内で、そのクオリティーに感心したが、ワタシたち木村工務店はモデルハウスを持ちたくないのだ。では、どうして、そのクオリティーを保つのか、なんだかんだ考えて、木村工務店の「設計スケール」と「設計コード」というものを明確にし、それをお客さんに表現できることを目指そう!というコトになった。半年ほど経過し、そのたたき台が出来たので、それを発表するのが、この社内勉強会でもあって、タカノリを中心に意見交換をおこなった。

先日の八ヶ岳で宿泊した永田晶民さん設計の別荘で、ワタシになにかが転写され、最近出版された、永田晶民さんの「居心地のよさを追い求めて」という本の影響もあって。建築として「居心地のよさ」というものを追求するコトは、人間愛のようなものを追求することに等しく、なんだか、そのコトをないがしろにした、スケールやコードを考えてもダメだなぁ…..なんて。その勉強会の時に脳裏をよぎったコトだった。

日曜日の午後3時を過ぎて、晴れ間も覗いた。先週に続いて、自転車で大阪城を散策する。スタバがいっぱいだったので、向かいのベーカリーに入ったら、生ビールがあった。屋外のソファーに座って、ぐぃっといっぱい。あまりにも快適なので、LINEで奥方を呼んだら電動ママチャリにマゴ二人を乗せてやってきた。ビールをぐぃっと口にして、あぁ幸せ!って奥方が呟いたら、マゴイッケイが、なんで幸せなん?!って聞き返す。ビールと、あんたらマゴと、自転車でここまで走ってきて、この公園のソファーで居心地良いから!と応えた。

マゴたちを公園で遊ばせて、自転車を押しながらゆっくり帰宅。確かに、マゴとの1時間だけは、良いよなぁ…..。

 

withコロナ

フツウの日曜日が戻ってきたような感じ。大阪は、朝からしとしと雨が降る日曜日の朝。なので、朝からスーパー銭湯に行くと、男湯はそこそこいっぱいだった。サウナに入るひとが最近増えたようにおもう。そのあと、コメダ珈琲でモーニング食べたら、案外若いひとが多かった。ひとが、まちに出て、徐々にお店に行くひとが多くなってきたかな。その帰り、コーナンで雑なモノ買ったら、ソーシャルディスタンスを保つためレジで並ぶマスク姿が、とってもコロナ後な感じ、ヒトも多かった。その後、先週の土日と自転車に乗ったので、家でちょと自転車の整備をした。まめな整備を怠ったためカーボンに損傷がいった苦い反省があって、やっぱりモノは丁寧に扱わないと、モノとヒトとの良い関係性が持続しないと、あらためておもった。

「親切丁寧」というコトバを残したのは木村工務店の2代目社長木村正一だが…..

正しい事の原理、原則をみきわめ
何事もキチンとすること。

何事も誠意をこめ、魂をいれて
コトに当たろうとすれば、

親切丁寧に帰着する。

物作り、人付き合いの原点でもある。

               二代目 木村正一

 

書体も含めて、こんな印刷物が一枚だけ残っている。一度も社員の前で、このコトについて語らなかったが、亡くなってから、社員皆で、このコトバを改めてみつめ直し、社風になれるよう、精進しはじめたところだ。モノ作りとヒト付き合いの良き関係性を築くには「親切丁寧」に帰着するというのだ。withコロナの世界だからこそ、必要なのかもしれない。

そうそう、木村工務店ヒストリーも、木村正一が残した、わりと好評なヒストリーで、先日、八ヶ岳で建築家秋山東一さんとご一緒したが、あのヒストリーの続きはないのぉ…..と問われた。ある日、先代社長に、続きを書いて欲しいと依頼したが、そのままになっていた。亡くなった後、どこかに残っていないかと探してみたが、見つからなかったが、さきほど、一太郎というワープロのソフトを愛用していたことを想い出して、前社長のフォルダーの中を見てみると、それらしきファイルを発見した…..

「木造賃貸アパート・マンション」
         戦後も10年にならんとしている。日常の衣食については、何とか目途が付いてきたが、住まいを手に入れるのははまだまだ大変な事であった。数度にわたる空襲で大阪の町も廃墟と化した。そこに復員軍人、海外や田舎の疎開先からの引き揚げ者、職を求めて来阪する労働者、大阪の住人はバラックと呼ばれた仮住居や狭小な住まい、商店も店舗もお粗末その物であった。そんな空地に木造2階建てのアパートと称する4畳半や6畳一間で共同炊事場、共同便所の貸間の新築建物が目立つようになってきた。一ヶ月の家賃がほんの数千円で、完成する前に満室となることが多かった。4畳半は都会に就職した独身者であり、6畳あれば新婚さんのスイートホームでもあった。
         当社はこのアパートをグレードアップして更に幅半間のミニキッチンを付け上六ハウスと称して、今の天王寺区東高津町に土地を求めて新築した。勿論便所は浄化槽を設置して水洗便所(当時の便所は現今のように簡単に水で下水に流せなかったので、所謂くみ取り便所でした)にしたからさあ大変。棟上げがすぎたら(家賃も高く設定したのに)もう満室。浴室がないが、現代のワンルームマンションの元祖であると自舞している。このシリーズは松崎町、細工谷、十三等。昭和33年には鶴橋でRC3階建で浴室もつけた現在の1ルームマンションの原型そのもので、姿、形は随分くたびれたが今も現役で家賃を稼いでくれているし、木賃アパートと称呼も変わりご老体をさらけ出しながら、時には邪魔者扱いをされても独居老人なぞに低家賃で提供して、今もそれなりにお役に立っているが、その大半は解体されて駐車場や建て売り住宅に変身している場所も多くなってきた。
「本格的な木造住宅復活」
 「軽量鉄骨建築」

「木造賃貸アパート・マンション」が付け加えられ、その後、「本格的な木造住宅復活」と「軽量鉄骨」というヒストーリーを書くつもりだったのだろうが、絶筆だった。できることなら、もう一度話を聞いて、筆記したいものだ…..。

午後からのある予定をうっかり忘れてしまった。歳だなぁ。夕方、晴れてきたので、自転車で大阪城まで散策してみた。ヒトが多い。皆、ソトで深呼吸しているような感じ。ぐるっと一周して、噴水前のスタバで抹茶フラッペでも飲みながらiPhoneのKindleを読んで小一時間ほど過ごしていると、突然、散歩中のトイプードルが飼い主から離れて、ワタシの膝の上に飛び込んできた。膝の上にチョコンと座る子犬。顎を撫で撫でよしよしするワタシ。慌ててサングラスをかけた女性の飼い主とその娘さんがやって来て、大丈夫ですか、服汚れてないですかって。こういうなんでもないライフスタイルとハプニングが戻ってきたのが嬉しい。

土曜日。木造住宅の仏式での上棟式があった。お経を唱えるお坊さんを大工の棟梁をはじめ職人皆で、用意した椅子に腰掛けて拝聴することで儀式が終了した。確か高野山ゲストハウスkokuuを建てた時も仏式だった。それ以来か。御神酒による乾杯の儀式だけは執り行って、木村工務店の関係者と職人皆で、高らかな声で祝福しあった。流石に宴席はwithコロナを考えると中止するのが当然のコトなのだろうが、それぞれに折を用意頂いて、それを持ち帰るコトで上棟式を終えたが、施主の奥さまが、上棟式で皆さんに振る舞うことが夢だったと仰る。

宴席で祝福のエネルギーをこの木造住宅に転写することができなかったのが残念だが、それでも少しウルッとしている感じの施主の奥さまの姿が、とっても心に残った。

さまざまな出来事が重なる日。

政府が、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために自粛を求めてきた、都道府県境をまたぐ移動が、6月19日から全面解除されて、この20日と21日の土日に、小学校の同級生5人と、しまなみ海道の生口島の輪空で宿泊し、自転車で島巡りをしてきた。

今年はじめ、まだ、コロナが騒がれていない頃、ゴールデンウィークに、宿泊予定を申し込んだが、生憎の満室だった。なので、3月中頃、皆と、あーだこーだと折り合い付けて、この梅雨真っ只中の6月20土曜日を宿泊日に設定した。偶然にも、宿泊前日にコロナ移動が解除され、GWであれば、もちろん移動も宿泊もできない状況だったので、なんとなく、ラッキーが転がり込んだ感じなうえ、けっこう激しい雨が降り続いた一週間だったのに、この土日だけは梅雨の晴れ間になって、日頃の行いがエエからだぁ。というお決まりのコトバの掛け合いで鼓舞しあいながら、ちょっとした幸運を喜び合った。

そうそう、このブログにも書いたが、1ヶ月前、自転車がダメージを受け、乗れない状況になってしまったので、古い自転車を持ち出し、参加する予定にしていたところ、ベックオンという自転車屋さんと、ウィリエールのキタムラくんが、自転車の納期と部品選定までサポートしてくれて、20日出発前の19日の午後8時にニューバイクが完成するという、とってもギリギリな状況で、これをラッキー続きと呼ぶのかどうか。そもそも、自転車が損傷しないように丁寧に取り扱い、以前の自転車がそのまま乗れているのが本筋であるものの、世の中の流れとワタシの流れが、19日に同じ転換点を迎えたのが、超個人的なオモロイ現象だった。

宿も、ワタシたちがコロナ自粛後、最初のお客さんで、宿の主人も女将もともに、じわじわとした喜ろこびを、お互いに分かち合いながら、なんでもないフツウの歓談と海の幸が、心に沁みる夜になった。

その偶然性の連続は、もうひとつあって、最近、しまなみ海道の大三島に移住した写真家のノモトヒロヒトさんが、フェースブック上に、その様子を投稿していた。木村家本舗というイベントでお付き合いが始まったので、この機会に訪問できればとも考えていたが、仲間がどこを走るかチョイスする都合もあるので、特別に、お伺いする準備も連絡もしていなかった。ところが、同級生のマツバラくんがチョイスしたコースが、生口島の宿から、大三島を経由して、伯方島の開き山をヒルクライムし、島をぐるっとまわって、美味しいもんでも食べて帰ろうというコースだった。

先頭を自転車で引いてくれる宿の主人イチムラさんと、走りながら、大三島に移住した友人の話をすると、伯方島からの帰りに、大三島をぐるっと周回する、ちょとしんどいコースを強引に組み込んで、そのノモトさんの移住した家まで、自転車で力強く引いてくれた。そのお陰でノモト親子3人と再会することになった。ほんとに突然な訪問に驚き喜んでくれた姿と、家の真ん前に海と島々が箱庭のようにあって、それを眺めながら、振る舞ってくれた、みかんジュースの味が、皆の心に残った。

で、終わるはずが、その数分後、ワークショップや造園でお世話になっているイエタニさんが、サーブに乗って、大阪から四国経由で、ノモト家にやってきた。お互い驚きの笑顔。移住した家と海と青空と海風とミカンジュースと自転車とサーブとノモト家族とイエタニさんと輪空のオヤジと同級生軍団とワタシが、こんな大三島の外れのこの場所に、いま集まっている、奇跡のような組み合わせが、とっても不思議だった。

今日の21日日曜日は、夏至と大安と新月で部分日食と父の日が重なるラッキーな日なのだとか。家に帰り着くまで知らなかったが、さまざまな出来事が重なる転換点のような日を、こうして振り返ると、不思議だし、出会った人々とその出来事に、感謝の気分さえ込み上げてくる。

↓ ノモトヒロヒト氏撮影

「転写」なのだ。

雨がしとしと降る日曜日。コロナで中止していた、包丁研ぎワークショップを開催することになった。とっても久しぶりの「まちのえんがわ」ワークショップになって、3密を考え、2部制で開催するコトになったが、ま、それゆえに、ゆったりとした気分のワークショップだった。生野区在住の「研ぎ屋むらかみ」という超マニアックな研ぎ師村上さんが居て、「生野ものづくり百景」を担当する行政のタケダさんの紹介で、ムラカミさんと遭遇することになったが、世の中には、いろいろなコダワリをもった職人さんがいるのだと驚いた。

「砥石」という刃物を研ぐ石があって、大工の世界では、「刃物貸しても砥石は貸すな」といわれるぐらい、砥石が大切だと教えられた。砥石には、その大工特有の癖がつくのだ。なので、木村工務店の大工職人の研場(とぎば)では、大工の砥石に触れることはない。というか、触れるときは、とっても気を使う。4時間かけて、研ぎのレクチャーから、初歩的研ぎ方まで、みっちり教わるワークショップなのだが、なによりも、このムラカミさんのワークショップで、とっても気になったフレーズがあった。

「砥石の性能が、研ぐことによって、刃物に転写され、その刃物の性能が、刃物で食材を切ることによって、食材の味に、転写されるのだ」という。カッコエエコトバだ!

ただよくあるコトバの魔術師でなく、それぞれの研いだ刃先を電子顕微鏡を使ってパソコン画面で見て、科学的な解説をしてくれる。ワタシは、建築家の秋山東一さんの影響で、オピネルNO12を持ち込んだ。オピネルはNo7あたりがエエのだろうが、研ぐことを考えると、短いより長い方が易しいので、No12を購入した。もちろん、ムラカミさん超厳選の人造砥石も購入し、研ぎ方を学んだ。刃先の「返り」や、研ぎ足らない刃先の指摘を、ムラカミさんの指先だけでなく、電子顕微鏡の画面映像で指摘されるものだから、素直に頑張るワタシなのだった。

 
  

もうひとつ、オモシロイ実験があって、ムラカミさんの個別指導の元、自分が研いだ刃物で、トマトやキュウリやニンジンやナスを切って、その以前の切れ味との違いを体感し、参加者の誰もが喜ぶのだけれど、ムラカミさんが、食材の味が、刃物によって変化するのだ!という実験をしてくれた。ハガネの和包丁を天然砥石で研いで切ったトマトとニンジン。ステンレス刃物を天然砥石で研いで切ったトマトとニンジン。ステンレス刃物を人造砥石で研いで切ったトマトとニンジン。

それぞれが、微妙に味が違うのだ。ステンレス刃物と人造砥石の組み合わせは、なぜか、味が薄まるような感じがし、天然砥石のハガネとステンレスの差は微妙だが、甘みを感じる。ま、ブラインドですると、あの一流か二流かのテレビ番組のように、エエ加減な味覚の識別になってしまうのだろうが、でも、なんとなく違うのだ。そういえば、コロナステイホームウィークで、ステンレスのダッジオーブンを使って、ローストビーフを作ったが、なんか、微妙な味で、今回の体験を踏まえ、やっぱり鉄のダッジオーブンの方がエエとおもえてきた。なんだかステンレスは味が薄まるのだな…..。

コロナ影響を考慮し、主催者側の私たちは、それなりに気を使うワークショップだったが、そんななか、さまざまな配慮をしながら開催してくれた、研ぎ師ムラカミさんの、超マニアック度に、感謝したい。

 

さてさて、今週、八ヶ岳で、木製サッシュを製造する、アイランドプロファイルの工場と別荘にお邪魔した。アイランドプロファイルの石原社長と建築家の秋山東一さんと、3日間、八ヶ岳で過ごした。きっとワタシに、アイランドプロファイルの高性能な木製サッシュが、特にその金物の素晴らしさが、「転写」されたのだ。工場の機械も凄かった。


それと、秋山東一さん設計のBeハウスという木造の構造システムと、その構造を使って、永田昌民さんが設計した空間と、その設計図をもとに、もとアイランドプロファイルの社長自らがセルフビルドした、アイランドプロファイルのサッシュのショールームを兼ねた別荘住宅で、飲んだり食べたり会話をして過ごした3日間で、おそらく、ワタシに、その建築的エッセンスの何かが「転写」されたのだとおもう。この場をかりて秋山さんと石原さんにお世話になった3日間のお礼を申し上げたい。

 

研ぎ師ムラカミさん曰く。刃物は、毎週とか、少なくとも月一度とか研いだ方が、エエですよ。だって、今回、それぞれの刃物を直すのに1~2時間掛かったじゃないですか。毎週とか月一なら、ほんの数分研ぐだけで、切れ味もその食材の味も良くなるのですから!っという。なるほど。確かに。

「転写」は表面的な現象で、それが、伝統やDNAにまでなるには、永続的な繰り返しが必要なんだろう。あの八ヶ岳で「転写」された、建築的なサムシングエルスが、ワタシや木村工務店に根付くには、エエ砥石で、そこそこの短い間隔で研磨続ける。そんな鍛錬のようなワークスタイルが必要なんだろうな…..。

ニューノーマルって。

なんとなく、通常の打ち合わせが増えてきた。この2ヶ月ほど、住宅建材メーカーの営業担当のひとたちが、まったく来なくなっていたが、最近、ちらほら、営業にやってくるようになった。皆がマスクと手洗いスタイルなのが、ニューノーマルっていういうやつなのか。そのマスクが、夏が近づくに連れて、蒸れて、ちょっと不快。

毎朝7時に、うちの大工さんや手伝いさんと顔を合わせて、おはよう!と挨拶するんだけど、なにげに手洗いとマスクの励行の話をしたら、これからの時期マスクしていると熱中症になりやすいらしいで。とマッチャンがいいだして、そしたら、ドウニシさんが、ナカちゃんは高~いお金だして、夏用のマスク買ったみたいやで、ほら、それやそれぇ!っと、皆ではやし立てて微笑む朝のひとときだった。

調べてみると、夏用のマスクっていろいろあるらしい。ユニクロも参入するのだそうだ。新しいニーズをみつけて、素早く生産する、柳井さんていう商売人は凄いね。冷感素材をマスクに活用すらしい。無印良品も夏マスクを販売するみたい。そうそう夏にランニングや自転車に乗る時のマスクは辛い。マスク回りのこんな汗のかき方を経験するのって、誰もが初体験だとおもうけど、ちょっと新鮮な感覚でもある。だからこそ、新しいニーズとビジネスがうまれるのだろう。

夏用ネックウオーマー型マスクっていうのがあるっと知った。日焼け止めと熱中症対策と飛沫防止用として活用できるのだとか。これなら職人さんにも良さそう。これからの夏の職人スタイルが、空調服を来て、首と口と鼻に夏用ネックウォーマー型マスクをしている職人さんが働く建築現場が、ニューノーマルになるのか。どうかな。ちょっとアンドロイドが現場で働いている感じ。それより、こうなってくると、いまだ到着しないアベノマスクは、神棚に飾って、政府から送られてきた、コロナ避け安全祈願のお札として、その役割はしっかり担って欲しいね。

そういえば、今週土曜日、八尾で、木造2階建ての上棟式があった。午前中にお施主さんのご主人がひとりだけ参加され、外壁のモイスも、室内の断熱材や気密シートも完成している状況だが、部屋うちに、御幣というお札と洗い米とお塩と御神酒を飾って、二礼二拍手一礼で上棟の無事を祈願し、建物の4角に洗い米とお塩と御神酒を3回ずつ撒いて、無事竣工を祈った。奥さまと子供さんは、奥さんのご実家にコロナ避難しているらしい。いまの時期、当然、祝宴もないが、10分間ほどの儀式。これはこれでケジメになって良い感じ。

かつては、木造の構造材の棟を上げた直後に、棟木に棟札をくくりつけ、1階の土間で、祈願し、乾杯し、祝宴を催したものだが、最近は、上棟直後に、ブルーシートで構造材を建物ごと雨養生をするのが、ニューノーマルになってきた。お施主さんの休みも考慮すると、棟上げ直後に、上棟式を催せる機会がどんどん少なくなってきて、それでも、木村工務店では、儀式としての地鎮祭と上棟式は、簡素でも良いので、必ず実施している。

地鎮祭という儀式で、風土に宿る八百万の神々を意識してみたり、上棟式という儀式で、日本では古来「木」が神々であった。というそんな神話のような気分に浸って、神を迎え入れ、神々のお下がりのお酒を飲みほし、神を送り返す。建築を通じた祈りと感謝の日本的儀式は、コロナ後だからこそ、次の世代に残していきたい、建築的ニューノーマルとなりえるのか…..

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