「オープンハウス」と「地車」

秋だな…..。

建築家の矢部さん設計で、木村工務店で施工した「フルハウス」という住宅のオープンハウスがあった日曜日。大阪の生野区から現地まで、自転車でトロトロ走りながら向かう。9km35分也。昨日まで、昼間は暑く、長袖を脱いで、Tシャツで過ごせたのに、今日は、走り始めると、Tシャツでは肌寒く感じて、そそくさとバックから長袖を取り出して、上着を羽織って走る。昨日との気温差が7度もあったそうだ。ゴチャゴチャした街並のなかに、時折出現する商店街が好きだな。ガラガラの商店街をゆっくり自転車で通り抜ける時の感覚が好きだな。目が、映画カメラになったように感じるのだな。到着したら、秋晴れの青空のもとで、連続するサッシュ窓から、矢部さんが出現した。で、挨拶を交わす。

コンクリート打ち放しの壁と天井が、構造体として、内装材として、その存在感がしっかりあって、それを包むように、断熱材がしっかり充填された、木造軸組構造の柔らな外壁がある。コンクリートの構造体に取り付く木造の外壁というハイブリット的な構造。3mの天井高。空中に浮いているような、どーんとしたコンクリートの梁が、空間性を分ける。中心のある家的な、コンクリート壁で囲まれた安心感のある2階部分のダイニングスペースには、コンクリート梁の開口部の外にある、縁側のようなペリメーターゾーンから、南の太陽光、北の柔らかな光、東の朝日、西の夕日が、時間軸を伴って差し込んで、時空間としての独特の居心地良さがうまれていた。縁側のようなペリメーターゾーンにある、北向きの窓際の、マレンコの椅子に座って、コンクリートの壁に取り付いた、わりと至近距離にあるテレビを視聴すると、ひとりでシネマを独占しているようで、写真以上に快適だった。施主の住みこなす力も凄いね。とおもった。

生野祭りがある日曜でもあって、生野区の地車が巽公園に集合するのだけれど、その公園の中の数メートル区間を、大友の地車に車上しませんか!というお誘いがあったので、「オープンハウス」の帰りに巽公園まで自転車で走る。7.8Km32分也。12台の地車が集合する勇壮な雰囲気と、複数の鐘と太鼓の音色が混じり響きわたる空間には、ワクワク感があって、多くの観客と一緒に一体感を感じながら楽しめたのは、先週のブログに書いた、複数の地車の鐘と太鼓のリズムからうまれるビートの繰り返しと、リズムの複雑な混じり具合によって、脳が快感を得て、報酬を得る。それは皆で協力することによってうまれ、「集団の絆」のようなものを育む。なんていうのを頭の中でもう一度リフレインしてみた。

「ヒトはなぜ歌うのか」

ようやく、窓を開け放ち、心地良く過ごせる季節になって嬉しい。もう日本は、夏と冬だけになって、春と秋はなくなってしまうのか…..と心配していたが、秋の気配を感じる穏やかな日曜日。

先日の「生野区ヒートアッププロジェクト」で「お寺deジャズライブ」というのを聞く機会があって、無料のコンサートだったこともあるのだろうが、「大阪のおばちゃん」がいっぱいで、驚いたが、とってもリラックスした楽しいコンサートだった。なんだけど、なんで、こんなに「ヒトは音楽を聴くのだろう…..」というのがあって、ワタシも60歳を超えて、不思議に思春期に聴いた音楽が懐かしく感じられ、脳がそういう刺激を求めているようにも感じて、たまにそういう音楽がかかるミュージックバーに通ったりする。なんでなんだろう…..。そうそう、NHKのフロンティアのシリーズに、5月頃に放映された「ヒトはなぜ歌うのか」というのがあって、見逃していたので、この機会に視聴してみた。

音楽を聴くと、脳は「聴覚野」と快感物質をだす「報酬系」と「記憶」の領域をつなぐネットワークがうまれるらしい。よーわからん話だが、とにかく音楽を聴くと、その時間軸上に、リズムが存在し、その「ビート」が繰り返されると、脳の「予想機能」が働いて「ビート」を予想することで脳が快感を得て「報酬」を得るという。たまに予想のはずれたビートがあると「予想の複雑さ」を喜んで、より大きな「報酬」を感じるという。確かに、そういわれると、とくにJazzには「予想の複雑さ」を求めて、喜んでいるようにもおもう。

で、「記憶のこぶ」という興味深い脳の現象があるらしく、思春期に聞いた音楽がその人にとって特別な曲として記憶に焼き付くという現象で、脳の「報酬系」が最も活動するのが思春期だからだと考えられているらしい。認知症の人達が、そういう思春期の音楽を聞くことによって、「内側前頭前野」というヒトの脳で特に発達した部分が活性化されて、認知症の回復にもつながるという…..。なるほど。そういうコトで、そういう音楽を聴きたくなるのだな。少しずつ忍び寄る自分自身の認知症的な部分を音楽を聴くことで、脳を刺激しようとしているのかもしれない。

「ヒトはなぜ歌うのか」というのが、メインのお題で、アフリカに狩猟民族のバカ族という、いつも歌っている50人ほどの集団があって、皆で集まって歌うことを「ベ」というらしい。「ベ」するって、なんとなくカッコエエコトバだな。女性を中心に何人かで歌う様子をマルチ録音し、楽譜化すると、それが「完全4度のポリリズム」だったそうで、快感を得る音階と複雑なビートで「グルーヴ」感がうまれて、ビートの予想が複雑になり、脳が喜び、報酬系が活性化し、大量の報酬物質が体を動かす「運動野」まで働きかけるという。

ちなみに「完全4度のポリリズム」をChatGPTで調べると…..

「完全4度のポリリズムは、リズムやメロディにおいて、音程関係が完全4度(5つの音の間隔)で構成されている音の組み合わせを基に、異なる拍子を同時に伝える技法です

「ポリリズム」とは、複数の異なる拍子が同時に演奏される状況を許します。例えば、3拍子と4拍子が同時に演奏される場合があります。これに「完全4度」が絡むと、音楽的には特定の音の間完全に四度の関係を眺めながら、リズム的に異なる拍子が重なります。

具体例として、ド(C)とファ(F)という完全四度の関係にある音をベースに、3拍子でファのリズムを、4拍子でドのリズムをような複合的なリズムと音程構造を持ったものが考えられます。

現代音楽やジャズ、プログレッシブロックなどでこのような高度な音楽技法が使われることがありますが、完全4度のポリリズムは独特の響きと複雑なリズム感を繰り返します。

その歌うリーダーのアフリカ人女性へのインタビューが面白く、「一番大切なのは周りの歌をよく聞くことだ」という。テレビの解説では、「きっと彼女らは初めて習得するときから全体の中の一人として参加していて、他の人と違う歌を歌い続ける、ずらしたリズムは、むしろ他の人がやっていないことを自分がやるということで、より緻密で満たされるというあり方が、社会との生き方と繋がるものがある…..」とあった。

報酬系は食欲など生存に不可欠な物で活性化するそうで、報酬系が音楽と関わっているのなら、音楽はヒトの生存に不可欠だということになり、ヒトが音楽を手にしたのは進化上の「適応」だったと思います。とあって、動物はグルーミングで「集団の絆」を確認しますが、ヒトはその代わりに「音楽」が生まれたのではないかという。集団が協力し合うためにとっても役立つ発明だったはずだとも。私たちは人とつながるために音楽を手にした。それは誰かとつながっていたいという潜在的なシグナルなのでは。ヒトはなぜ歌うのか「集団の絆」がその答えだとおもう…..と。なるほど。

開け放たれた窓の向こうから、そよ風とともに、清見原神社の秋祭りの地車の鐘と太鼓のリズムが聞こえてくる。「集団の絆」であり「潜在的に誰かと繋がっていたいというシグナル」のような、そんな地車の音色に感じてしまう日曜日の昼下がりだった。

「生野区銭湯いまむかし」

生野区のヒートアッププロジェクトの一環として、「生野区銭湯いまむかし」が、加工場で開催された日曜日。銭湯経営の方々から、生野区は大阪で一番銭湯が多く、ほとんどが、石川県の加賀地方や能登地方から移住してきた人によって銭湯が経営された。と知って、へぇーっと驚くとともに、豆腐屋さんも石川県出身者によって経営されて、豆腐に辛子を入れる文化は石川県から伝わった。と知って、また、へぇーっと驚くのだった。

大正時代や昭和初期に、大阪市生野区の田んぼや畑を持つ地主さんから土地を借りて、そこに長屋を建てた、船場を中心として財をなした商人さんたちがいて、ま、そのことはおいといて、その長屋に住もうとする地方からやってきた、新たな移住者や起業をしようとする人達がいて、その長屋にはお風呂がないのが普通で、その長屋に子供や祖父母もふくめて、4人や6人など大家族で住んでいると、必然的に、遠いお風呂さんに行くより、近くに銭湯が欲しいという需要が高まって、長屋が沢山建ち並ぶ生野区に、銭湯が増えていくのは必然だったようにおもう。

尚かつ、その長屋で起業し、ものづくりをする人達がいて、その最たるビジネスモデルが、松下幸之助さんなのだけれど、そこで働く職人さん達が、汚れ作業のあとに銭湯に入ってから家に帰るという文化もあって、銭湯というものが、なくてはならない存在だった。ところが、お風呂がある鉄筋コンクリートマンションが出現すると、銭湯文化は徐々に衰退し、そのうえ、ホクサンバスのようなユニットバスの出現によって、お風呂のない長屋の裏庭に、家風呂を設置しようとするブームもあって、どんどん銭湯文化の衰退が加速していくという。

生野区の長屋の大家族の人達は、成人になると、生野区を離れ、さまざまな場所で住まう事になり、生野区の長屋の四分の一が空き家になったり、高齢者世帯が、二人や一人しか生活していない状況で、ますます銭湯を使うひとたちが減少してくる状況下に、追い打ちを掛けるように、数年前の大阪を襲った関空台風によって、煙突などに大ダメージを受けた銭湯も多く、生野区の銭湯は、半減を通り越し、どんどん廃業していくのが、現状だという。

1970年代に、銭湯にサウナを併設したのが生野区発祥らしく、それ以降、サウナを併設する銭湯も増えて、それは付加価値としての銭湯経営であったのが、最近のサウナブームで、サウナがあるお陰で、銭湯のサウナに入りにくる若い世代が増えてきてるという。それに、子供達が独立して、高齢者世帯になってくると、家風呂に入ってお風呂を掃除したりするより、銭湯に行くほうが、楽やわ!という人達もそれなりに存在し、銭湯に通う人達は一定数存在するものの、経営的には、もっと入浴者数が必要らしい。

そんな状況のなかで、今回の「生野区銭湯いまむかし」のトークイベントでは「銭湯」が「サードプレース」のような存在として「地域デザイン」というか「地域コミュニティー」の役割を担っていく可能性があるのではないか…..銭湯が多く存在するまちが、まちの魅力のひとつになるのでは…というのが、テーマの中心になりながら、銭湯で「0次回」「衣食湯」をテーマに掲げている銭湯経営者の方もいて、銭湯に入ってから、食事会をするのが一次会で、その後の二次会があるにしても、まず「0次回」を楽しもうよ「湯=遊」でもあるという、提案があり、それは、温泉地の文化でもあるわけだけれど、それを都会でも日常的に楽しめる遊び方があるよ。銭湯行って地元の居酒屋で飲むのも面白いよ!というコトだった。

また、銭湯の掃除をするボランテイアを募集すると、銭湯経営者は懐疑的だったのにも関わらす、それなりの社会貢献をしたいという人達が集まってきて、銭湯の掃除をした後に一番風呂を楽しんだというし、お風呂場でヨガをして、そのあとの一番風呂に入ると、発汗作用も含めて最高だったという。そうそう、それぞれの個性的なアメニティをいれたお風呂セットを見せ合い、新たなデザインを考えよう…とか、厚い今治タオルより薄い泉州タオルのほうが銭湯向きでは…など、銭湯に車で行って洗車してもらっている間に体も洗う仕組みとか、銭湯がシェアーバイクの基地になる仕組み、などなど…..。

都市中心のストレス社会になって、そのストレスをどんな方法で解放していくかは、これからの社会的テーマのひとつで、その一端を担う存在としての「銭湯」で、心地良くなる、その楽しみ方をいろいろ提供し、銭湯に通う「きっかけ」を作っていこうよ!というのが、今回の生野区ヒートアッププロジェクト「生野区銭湯いまむかし」だった。

「まちごと体験」

秋分の日の振替休日になった月曜日。前日の雨の日曜日から、うって変わって、とっても心地良い青空! それに自転車で走るのがようやく快適な気候になって、お昼過ぎ、チャリンコで、大坂城に向かう。大坂城の石垣や城を背景にした笑顔の欧米人が、大阪のまちに混在するこの光景も徐々に見慣れてきたが、日本文化を評価されてる感があって、ちょっとうれしい。今日の目的地は、新しくできた大阪駅北ヤードの公園で、大阪のまちなかをウロチョロしながら向かう。中之島公園で、休憩して、喉を潤し、ビルの谷間を自転車で走り抜けながら、到着したら、ビルとビルで囲まれた都会のど真ん中の広大なオープンスペースの芝生広場に、沢山の人が、ただただ座り、水辺で沢山の子供達がはしゃぐ光景に出会って、とってもエエなぁ…..とおもう。

そのオープンスペースに響く子供達の歓声と、芝生で寛ぐひとの騒めきと、ステージ上の音楽が混ざり合って、聞こえる音色が、とっても平和な音だな…..なんておもった。きっと数日前にヒズボラのポケベルが爆発されたレバノンの市場での爆発音と悲鳴の映像を視聴したからだとおもう。大地の延長線のような3D曲線の大屋根も、ソトとウチの繋がりも含めて、エエ雰囲気だし、なによりもあらためて、梅田スカイビルがカッコ良く見える広場だなとおもう。そうそう、イタリアのシエナのカンポ広場の地面に座った日のコトを想い出した。コーナンのGreenの新店舗覗いて、お初天神の「裏参道」で食事して、夜の御堂筋を自転車で走り抜け、家路に向かう。

9月15日(日曜日)から10月20日(日曜日)まで、生野区で開催している「EXPOいくのヒートアッププロジェクト」というのがあって、その「マンスリーヒートアッププロジェクト100」は下の画像をクリックすると詳しくあるのだけれど。そのなかで、まちのえんがわ木村工務店として9月19日「空き家カフェ」と9月28日区役所6階大会議室での「ものづくり体験ブース」に参加した。

  

ものづくり体験ブースの木村工務店では、板金の施工を担当してもらっている松倉商店さんに、「銅板で作る折り鶴」のワークショップをお願いし、参加してもらった。こういう時は、想定以上に沢山の参加者で、バタバタするのが、案外楽しいのだとおもう。で、このプロジェクト全体のコピーライトには…..

ヒト・モノ・コトがオモロいマチ IKUNO。
まちを歩けば、異文化と出会い、人に触れれば面白さに出会う。
ものづくりに触れれば、人は感動し、すべてがオモロいまち。
そんなまちをまちごと体験し、もちかえろう!

とあって、確かに飲食や買い物の商業施設だけに頼ることなく「まちで遊ぶ」遊び場や遊び方を住民自らが提案し、参加して、楽しいコトをシェアする時代になってきたようにおもう。今日は、同じヒートアッププロジェクトの一環で、木村工務店でちょっとしたメンテナンスを担当させて頂いている、生野区の「安泉寺」さんで、「お寺deジャズライブ」というのがあって、参加した。お寺の本堂で、観客の大多数が大阪のおばちゃんの、ジャズライブ体験は初めて。まちのお寺のエエ環境と、気取らないエエ雰囲気の観客と一緒なら、緊張感ビシバシのジャズではなく、リラックスしたジャズでも、とっても楽しめた。こういうのが「まちごと体験」なんだろう。


「まちごと体験」を、あれやこれやと模索してみたいとおもえた、そんな一週間だった。


追伸

10月6日日曜日午前11時から木村工務店加工場で「生野区の銭湯いまむかし」というイベントを開催します。仕掛け人は、銭湯マニアのアルヒトなのですが、これを切っ掛けにして、これから生野区の銭湯で一緒に遊ぼう!生野区を「まちごと体験」しよう!という呼びかけでもあるようです。

よろしければ…..。

松竹新喜劇的

雨降る連休の日曜日。この時期、毎年のように、しまなみ海道に自転車を乗りに行ってたが、なんだかんだで、今年は行けなかった。で、大谷くんの50−50の偉業のNHKテレビ放映を録画したやつを視聴する。その50−50達成当日の23時すぎに、NHKが緊急でその試合の録画放映をするっていうのは、国営放送ならではの視聴料を払っている国民への気の利いたサービスなのか….とおもいながら視聴するうちに寝落ちしてしまった。で、雨降る昼すぎ、ドジャースの攻撃だけを頭出しして視聴する。まったりと過ごす雨の日曜日に視聴するには、とっても気分が良くなるTVだった。というか、ひとつのドラマだな。

そうそう、NETFILXの「エミリー、パリに行く」のシリーズ4、5が連続的に始まって、一気に視聴した。コロナ禍で、長い間シリーズが止まって、寂しかったなぁ…..。YouTube上にある、「エミリー パリへ行く」 の撮影セットに潜入!を視聴すると、インテリアのコダワリを知れて、なるほど….とおもうし、あんなパリのオフィスを、どこかで造る機会があれば…ともおもう。それと、あのパリのアパートメントの階段をセットとしてあらためて造ったと知って、ドラマのセットを造る職人さん達って凄いなとおもった。コミュニケーションが発生する、あんな集住の階段って、日本では、たぶん、存在しないよね。

エミリーやシルヴィのファッションも楽しみだし、フランス人とアメリカ人との関係性やそのメンタリティーを知るのも面白いし、近作ではイタリア人のメンタルも絡んで、より楽しめる。数パーセントの真実を、誇張とフェイクとコメディのオブラートで包んだドラマとして、というか喜劇として楽しむのが、吉本新喜劇を楽しむ楽しみ方と似ているし、いや藤山寛美の松竹新喜劇の人情喜劇の感覚で、全てを軽やかにニタニタ泣き笑い飛ばす感じで視聴するのが楽しい。

最近では、「地面師たち」がとっても面白かった。建築業界に所属する工務店のワタシとしても、不動産業界とのメンタリティーの違いは大きいが、その不動産的ワナのような仕掛けに、徐々にはまり込んでいく建築的メンタリティーは、とってもよく理解できるし、その怖さを肌で感じとれるだけに、軽やかに笑い飛ばせないのが、アカンよね。というか、そういう空気感を作り出すことこそ、このドラマの本質なんだろう。

地面師、オモロかったわ。という話が、奥方から奥方友人に伝わって、それなら、「新聞記者」を是非見てっ!と云われて視聴した。森友問題ってこんなコトだったのだな。そうそう何気に「深夜食堂」も視聴したりするが、一気に見るコトもなく、まだまだシリーズが残っている。そんな意味では、「居酒屋新幹線」は一気に視聴した。次回シリーズを楽しみに待っている。「忍びの家」も次回シリーズが楽しみだな。「VIVANT」はTVで見て、もう一度Netflixで視聴した。「BLUEGIANTS」は映画を見逃したので視聴したら、magosたちにGeGeは泣いたかどうかと聞かれた。「将軍」も見てみたいが、デイズニープラスに3ヶ月ほど、magosのために入っていたが、まったくそのコンテンツに興味を示さず退会した。YouTubeのヒカキンのほうがオモロイらしい。

子供の頃、土曜日の、吉本新喜劇と藤山寛美の松竹新喜劇を視聴するのが楽しみだった。笑いの質がまったく違った。たまに藤山寛美の人情喜劇を見たい気分になる時があるが、コドモからオトナになって見たことがない。そういや、コドモの頃の、土曜日の、学校帰りの、昼下がりの、藤山寛美の松竹新喜劇な気分を、Netflixで満たしているのかもしれない。

日本的夜の光輝く世界

9月の連休なのに、とっても残暑。朝夕もまだまだ暑い。というかとっても蒸し暑い日々。

ひょんなことで、夜中、自転車で、道頓堀商店街の金竜ラーメンの前を通過することになって、そうそう、これ、TVのニュースでやってた、尻尾を切られた金竜だな。と自転車停めて、iphoneでパチリ。間口の狭い新築工事をやってるのか…..?、確か、細い通路だったはずで、この狭い通路抜けて、神座のラーメン食べたことあったけ。と家に帰って、ストリートビューを眺めたら、こんな通路に、尻尾がニョキッと出てたのだな。

建築やってると、隣の敷地に越境するっていうのが、妙に気になる話で、店舗を造った時は許されていたけれど…..隣地の持ち主が変わったのか…..いや、インバウンド増えて、商機を狙って、通路から店舗に変えるのか…..なんて、あれやこれやと想像してみた。それにしても、こんなことで、ニュースになって、宣伝効果凄いな。それに、あらためて、ストリートビューという機能も、過去が残って、コワイね。とおもうし、こうやって、眺めると、看板をデザインした、ひとが、通路に尻尾が、ニョキッと出るっていう、デザインとして、面白がる気分は、とってもよく理解できるけどね。尻尾が切られたことで、それとか時々あるモダニズムの建築が壊されたりすることで、そのデザインがクローズアップされるという、そういう宿命をもっているデザインって、あるある。だな。

インバウンドの方々が来日して、日本の印象を語るYouTubeが面白いので、たまに視聴する。そのなかで、日本の都市の夜の光り輝く世界の面白さを口々にする人が案外多い。確かに、ヨーロッパの、石造りのほの暗い夜のまちと、控え目な看板のカッコ良さに触れると、日本のこと、チャラいとおもう時もあったが、それでもやっぱり、日本の夜のネオン街っていうのは、独特にわくわくするのも確かで、好きだな。ニューヨークのタイムズスクエアの夜の光にもワクワクしたが、道頓堀も負けてへんな…..なんておもったものだ。

それで、夏休み休暇に、山陰を旅した最終日に、山口県長門市まで足伸ばして、湯本温泉のライトアップを見学することにした。ちょっとだけ知り合いの長町さんが、照明デザイン優秀賞をもらったらしい。温泉街をライトアップすることで、観光客を呼び込めるのか…..みたいなことが、テーマのひとつなのだろうけれど、夜の温泉街の素敵なライトアップを楽しんでいるのは、私たち以外に、ほとんどいなかった。温泉宿で食事するスタイルの温泉街で、そぞろ歩きするのには、立ち寄って、楽しめる何かが必要な気がするし、唯一の立ち寄り温泉と、古民家を改修したバーが一軒あるだけ。素泊まりで、温泉だけ入って、あちこちのレストランや居酒屋やバーに予約する温泉街って、ほとんどないが、そういう時代になってきたようにもおもう。

なので、歩いて温泉宿に戻るだけなのも、面白くなく、なんとなく、二人でそのバーにちょこっと立ち寄ると、バーのマスターは、芦屋からここに移住したらしく、お世話になった建築家の江川さんも関大の生徒さんらと一緒に見学に来てましたよっと、話が、はずんで、長居することになった。奥方は、先に宿に帰って、温泉とサウナに入るわ!と、結果的にはライトアップが旅の想い出にちょっとだけ繋がったのも、確か。

日本的夜の光輝く世界も、インバウンドの到来によって、徐々に変化していくのだとおもう。

 

ものづくりセッションvol.30

台風サンサンが終息して、朝夕が涼しくなり、秋がやってくる気配を感じて、ちょっと嬉しい。それにしても、今年の夏の冷房に費やした電気代は、過去最高じゃぁないかなとおもう。

「ものづくりセッション」があった土曜日。

行政マンのタケダさんとワタシでやりくりしている「ものづくりセッション」なのだけれど、そもそもは生野区の行政の方々の指導のもとで始まった「空き家カフェ」という取り組みがあって、毎月19日に、ほそぼそと10年近く継続開催していて、ま、それの「ものづくり版」として、二人で始めたのが「ものづくりセッション」で、開催場所とファッシリテーターはワタシが勤め、参加者は「タケダフィルター」によって快諾を得た人が集まるプライベートコミュニティーで、2018年から2ヶ月に1度ほど開催して、今回が第30回になるという、

オープニングに際し、タケダさんの「ものづくりセッションとは」というプレゼンがあって、その資料が、これらで、メンバーオンリーのバーとかクラブみたいな感じの空間ともいえるわけで、行政という立ち位置のタケダさんだからこそ、これだけ様々な業種の方々が集い繋がるのだろうし、それを「プライベートな遊び」として、タケダさん自身が楽しんで開催している様子を垣間見るからこそ、継続できているのだとおもう。



タケダさんのこの資料によると、大阪市内では、かつては事業者数が最も多いのが生野区だったらしいが、現在は平野区の次になているそうで、1999年から62%もの製造業が減少し、ここ5年で341社が廃業しているという。それにしても、金属製品を中心にさまざまな業種があり、9人以下の企業が84.9%も占めている。と数字で見ると、あらためて「ものづくり」の置かれているその環境の面白さと厳しさを再認識させられるのだった。

そんな生野区の環境下で「ものづくり」に関わる人達が、さまざまな業種の参加者にむけて、自分の会社のコトや自分自身のコトを語り、コメンテーターや参加者が、感想やコメントで反応することで、コミュニケーションが繋がっていくのだけれど、その後のコミュニケーションの拡張は懇親会に委ね、仕事への広がりは、それぞれの自主性に委ねられている。このセッションでは、プロジェクトとして、特定の企業だけの企画の場にしないというのが、タケダポリシーでもあって、確かに、そのことによって、このセッションは軽やかに継続しているのだろうし、仕事へと広がる自由度も確保されているのだろう。

今回は、鋼板商事の菅谷さんと松井製作所の松井さんの女性二人のプレゼンに聞き惚れたセッションだった。女性の経営者の方々の、地に足がついた、その内容と、その語り口で、現状認識をしっかりとし、その弱みと、痛みを受け入れ、強みをしっかりと認識して現実的に可能な経営を歩む姿に、誰もが、特に男性陣は、自分自信のことを反省しながら聞き入る状況だったようにおもう。

今回の懇親会は、会社加工場で出来ず、小路駅前のたこ焼きジャンボで催し、その席で、面白かったことがあって、ある参加者の女性が、女性は出産を経験すると、痛みを受け入れる、体の経験があるけど、男性はその痛みを側で見ているだけやからね…..なんて云われて、あっ、確かに。痛みを受け入れることができる。という素養は、出産するしないに関係なく、女性が本来的に持っているDNAのようにもおもえて、経営者として痛みを受け入れる。という大切さを再認識させられる「ものづくりセッションvoi.30」だった。

ものづくりの方々と、こうして様々に関わってくると、木村工務店として、工場や事務所や店舗の施工経験はそれなりにあるものの、住宅の新築やリフォームでの、施主との細やかなコミュニケーションによる家づくりの経験を活かして、工場の経営者の方々や従業員の方々の、建築空間に対する悩みと一緒に向き合って、細やかなコミュニケーションをしながら、快適な工場や事務所や店舗を造るコトに関われたら嬉しいな…..なんていう気持ちが徐々に育まれたりするのだった。

 

(たまご)

台風10号サンサンとなる(たまご)が発生し、熱帯低気圧から台風に成長して、日本列島に近づいてくるのに伴い、8月27日、その進路予想が発表されると、工務店の社内は、ザワザワしてきた。大阪直撃やん!現場の台風養生をどうするのか。が一番の問題なのだけれど、2018年の関空台風が、大阪を直撃した時の、あの突風のすさまじさと、通過した次の日の、異常な数の電話問い合わせが、社員の脳裏をよぎるのだとおもう。

結果的には、大阪の気象状況からすると「台風進路予想」というものに翻弄された台風10号サンサンだったように感じるが、それにしても、今まで以上に進路予想というものに興味が湧いてきた台風で、⽶軍合同台⾵警報センター(JTWC)や欧州中期予報センター(ECMWF)などの海外機関の台風予想があるのを知ったし、日経新聞には…..

「発⽣当初には、おおむね真っすぐ北上する予測をしていた気象庁やJTWCに対し、ECMWFは⼀度⻄に反れて四国の南まで進んでから、東に向きを変えて⽇本列島に上陸する可能性を⽰していた。結果的にこの予想が台⾵10号の実際のルートに近くなった。」

「各国はほぼ同様の仕組みで進路を予想するが、分析に利⽤する①気象データ②計算⼿法③スーパーコンピューターの性能が機関によって異なる。そのため、同じ現象の予想でも⼤きく結果が変わってくる」

「台⾵予想は接近すると精度が⾼まる。気象庁の情報をマメに確認するのが⼤事だ」

と書かれてあって、台風予想の難しさをあらためて知るのだけれど、テレビ報道では、その規模の大きさと全国での被害の大きいところが強調され、それゆえに心配が増幅されるので、台風準備を怠らない気持ちも増幅されて、それはそれで有り難いが、実際の大阪での空模様は、台風接近による突風や豪雨のイメージとは、全く違って、穏やかな土曜日、日曜日だった。

大阪直撃の台風予想を考慮すると、8月31日土曜日は、現場での仕事は全て中止で、会社での打ち合わせもキャンセルになり、緊急対応のための電話番以外、全休な土曜日だった。夕方、空を見上げると雨が降る気配がなく、天気予報も曇り。きっと台風で人出が少ないから、大阪駅すぐ近にできた、KITTE大阪を見て、バルチカ03で食事しょっ!ガラガラやでぇ!と出掛けた。

予想通り電車はガラガラだったが、KITTEに着くと、それなりの人出に驚いた。だいたい、皆、同じような感覚なんだなっ。予想は外れ、どこもかしこも食事の場所は行列が出来ていて、バルチカ03のヒロカワテーラーの立ち飲みカウンターの隅っこに無理矢理入れてもらってなんとか食事にありつけた。イタリアンバール ラ・ピニャータとSAMBOA Osaka Terminalをハシゴして、環状線と地下鉄乗り継いで小路に帰り着いた、そんな台風接近の夜だった。

ある意味、印象に残る(たまご)ちゃんだったなぁ…..

 

「窓越し」

夏休み休暇、前々日に、泉佐野で、新築平屋建て住宅の写真撮影があって、ちょっと見学にいく。38度を超す猛暑日のなか、床下には、床下空調機が設置されていて、夏は床がヒンヤリし、サーキュレーターとのコンビネーションで、とっても快適だった。冬の床下暖房機設置の空間体験はあるが、夏の生活している場での床下空調機の体験は初めて。玄関土間から入ると、いきなりオープンキッチンがあることが特徴的な住宅なのだけれど、リビングダイニングと寝室で、L字型に囲われた庭があり、木製建具を使って、囲い込んだオープンスペースの、その窓越しの眺めも特徴的。

夏休み休暇の旅、隠岐の島で、夜光虫を船から見るイベントに参加した。出航して、ホテルの部屋の明かりが、黄色く光って、波の上に、その光がゆらゆらゆらいで幻想的な感じ。空には月明かりがあって、ルナティックな怪しげな光がUFOのように光って、この全体が、ひとつの照明器具のようにおもえた。それに、窓を、覗くっていうのが、なんとも如何わしい感じがするし、なんとなくエロティックな感じもして、船にゆらゆらゆられているゆらぎも加わって、独特の印象として記憶に残る夜だった。

ヒッチコックの「裏窓」という映画があって、数年に一度、視聴したくなる。というか、ヒッチコックの映画をたまに見たくなるのだけれど、その映画の候補のひとつに、裏窓がある。主人公が脚を骨折し歩けなくなって、中庭に囲われたアパートメントの一室の窓から、それぞれの窓を望遠鏡で覗き込み…..さまざまなドラマがうまれる。高校生の時に、淀川長治の日曜洋画劇場で視聴して、いや、ひょっとして記憶が違っているのかもしれないが、それ以来何度も視聴している…..。で、その船の中から、ホテルの窓を見て、裏窓のいちシーンが蘇って、私の脳裏には、その映像がゆらゆらゆらいでいた。

石見銀山にまったく興味はなかったが、島根県文化センターグラントワの建築を観てみたいという衝動が、前からあって、山陰を巡るついでに、絶対立ち寄る場所としてインプットしていた。出雲からグラントアのある益田市までの道中に、石見銀山があると知って、立ち寄ってみることにした。滞在時間を長く取れなかったので、銀山に行かず、古い街並だけを歩くことにしたら、そのなかに1軒、とってもおしゃれに改修した施設があって、服や雑貨、カリーなど、で、そこでパフェを食べる。その2階にギャラリースペースがあり、その窓から中庭をみると、オールドな窓のデザインから入る光の、石州瓦の「赤」と木々の「緑」が幻想的な感じだった。山陰を旅すると、家々の赤の石州瓦がとってもエエ雰囲気で、緑の山々とのマッチングもエエ感じ。この窓越しの光景は、山陰だけの「色合い」におもう。

石見銀山のなかの古民家を改修したパブリックスペースのなかに、水盤のある中庭があって、灼熱の太陽が照りつけるなか、井戸の水をくみ上げて、楽しんでいる、とっても涼しげの様子を、窓越しに眺める。石州瓦の赤い釉薬の瓦とブルーのタイルとの組み合わせは、島根県文化センターグラントワの赤い中庭があって、それを意識するが故に、これが存在するのだな、と想像してみた。

石見銀山という、その当時、お金があるというか、経済が発展した場所の、民家は、こんな山間なのに、とっても豊かな感じがした。それと、いまや、都会のあちこちで、インバウンドの方々に遭遇するが、島根での遭遇は、数えるほどだけだった。出雲大社も、インバウンドの方々には、そんなに知れ渡っていないのだろうし、いや、日本人にとっても、島根は、辺境の地のような気分だが、今回、「島根を旅する」っていう感覚が、とっても良かった。また、また、行きたい。

内藤廣さん設計による、益田市にある島根県文化センターグラントワの駐車場から、施設内に入っていくと、いままで体験したことのないような、艶めかしくて柔らかな「赤」の世界に引き込まれる。窓越しから、建築写真で眺めていた、石州瓦の赤い釉薬で囲まれた、水盤のある中庭を眺め、屋外空間にでて、うわっ、凄い!と感激した。灼熱の太陽のもと、汗流しながら、中庭をゆっくりと一周回って、それだけでも満足する建築空間体験だった。

窓越しの世界って、建築にとって、あらためて面白い世界だな…..とおもう。

 

隠岐の島とか。築地松とか。

隠岐の島に行ってみた。

その動機がなんだったのか…..そうそう、なぜか、今年は山陰を巡ろうとおもった。じゃぁ隠岐の島でも行ってみるか…..それに「Ento」というホテルにも興味があるし…..そんな感覚だった。海と島々を眺められるホテルはいろいろあるが、目の前をフェリーが行き交い、フェリーから覗かれるホテルは珍しい。島は、島前(ドウゼン)と島後(ドウゴ)に別れていて、そのホテルはカルデラ火山の外輪山にあたり、3島からなる、島前の中ノ島にあって…..。なんていう島の成り立ちや、島までどうやって行くか、島の中をどうやって移動するか、それを事前に理解するだけで、ちょっとした時間を費やした。

島流しとか。後鳥羽天皇とか。どことなく、もの悲しい気配が漂うのがエエような…..。おもいのほか多くの神社で祈願し、ジオパークとしてのランドスケープの奇岩に美意識が発動され、岩牡蠣があり、隠岐牛があり、隠岐誉れがあって、味しい食材を楽しんだ。なによりホテルにはTVがなく、海と島とフェリーを眺めて過ごす時間を楽しみ、焚き火と夜空の星々と夜光虫を眺める夜だった。


大阪を早朝に車で出て、境港近くの七類港から隠岐の島へ出港したが、デッキから港を見返すと、そうだ、これ、高松伸の建築だな。と気付いた。すっかり忘れていたが、建築雑誌でみた記憶が蘇ってきたし、不思議な造形美だなと、おもっていたが、こうやって、国賀海岸の奇岩と見比べると、似てなくもない…..。

隠岐の島からの帰りは、境港から松江で宿泊することにして、灼熱の日差しのなか、街歩きをしながら、松江城を見学したら、城のなかが暑いのなんのぉ、Tシャツの背中から汗が流れ落ちる感覚とともに、急階段を登って、天守閣に上がると、とっても心地良い風が吹き抜けて、ほっとひと息ついた。景色を眺め、観光客の涼む笑顔に共感した。

夜、ホテルすぐ近くの松江の老舗のバーらしい山小舎に立ち寄ると、カウンターで、地元の方々との会話に話が弾んで、出雲、松江、米子のそれぞれのメンタリティーの違いのようなものを教えてもらい、出雲の土地は大社に守られている。というメンタリティーを知った。「出雲」「大国主」「大物主」「ニギハヤヒ」「物部」「三輪山」「国譲り」そんなコトバがワタシの頭をよぎるし、「大和」以前の日本を「出雲」に感じ、刀剣の大量出土した弥生文化だけでなく、縄文にも想いを馳せてみた。


前回ブログの「MOKスクール」で、香川県の菅組の菅社長のプレゼンのなかに、バーナード・ルドルフスキーの「建築家なしの建築」から引用したランドスケープの写真があって、それが、出雲平野の宍道湖付近の「散居」の写真であることに気付いた。今回の旅で、松江から出西釜を経由して出雲大社に向かう道中に、通過する予定だった場所で、あらためてネットで調べてみると、家を暴風から守る風よけの松のことを「築地松(ついじまつ)」とよぶらしい。


こういうランドスケープを自転車でウロチョロできれば楽しそうだが…..と地図を眺めていると、田んぼに、ぽつんと立つ、チョコレート屋さんがあることを発見して、車から築地松を眺めながら、そこに向かい、チョコレートを買って、チョコレートドリンクをテイクアウトする、その待ち時間に、椅子に腰掛けて、田んぼと、築地松を眺めた。「田園」「散居」「築地松」「宍道湖」「山々」独特にエエ雰囲気だな…..。


テイクアウトのチョコレートドリンクを飲みながらドライブし、荒神谷遺跡に立ち寄り、大量に刀剣を「埋める」というメンタリティーのようなものに想いを巡らせ、ロマン街道を走って、「出西釜」に着いた。これが、2回目。日本を旅すると、有田や出西釜などなど、陶器を製作する土地に立ち寄り、陶器を眺め、買いたくなるメンタリティーが、数年に一度やってくる。おもいのほか価格がすることに、ちょっと躊躇しながら、出西ブルーの皿と白の皿をゲットする奥方。ワタシは珈琲カップをゲットした。

須佐神社から日御碕神社に立ち寄ってから出雲大社に行く予定だったが、前日のバーで、稲佐の浜から海岸線が通行止めで、日御碕神社には行けないですよ。と教えてもらっていたので、大社近くで、出雲蕎を食べる口になっていたのに、教えてもらった有名店は、どこもかしこも満員か売り切れで、出雲蕎麦は食べられなかった…..。そんなこんなの、2024夏休みだった。

木村工務店は、8月19日月曜日から通常営業です。

 

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