時代の変化を実感した夜

雨降る日曜日。桜は散って、緑の葉っぱが芽吹いて、ほんと新緑の季節だなぁ。しっとりした雨で、内省的な気分になって、時としてそれはそれなりにエエなぁとおもう。

木曜日。精親会の101回ゴルフコンペがあって、ゴルフするのは、年に2回のこのコンペだけ。で、毎回成績はそれなり。なので、ラウンド終了後の会食では、練習しよっ。って気分になるが、翌朝になると、まったくそんな気分も吹っ飛んで、毎回ゴルフの前日に庭で素振りして、いざ本番。たまにエエショットでグリーンとらえたり、エエパターが入ってガッツポーズするのが、唯一の救いだけど。やっぱりある程度のスコアがでないと、気分盛りあがらず、へこむよね。そんなことより、この精親会のゴルフコンペが、協力会社やゴルフ好き社員とのコミュニケーションの土壌として、101回も継続されているのが嬉しいし、成績よりそんなことに重きをおきたい!と自分を慰めるワタシ。

そのゴルフ終了後に、京都のマクセル株式会社 – Maxellの「クセがあるスタジオ」の竣工パーティーがあって、ゴルフ場から駆けつける。企業が持つ縁側のような存在だとおもう。木造建築だということもあって、建築家の水上さんと計画段階から一緒にコミュニケーションをしながら、ものづくりを進め、こうやって無事竣工できたのが嬉しいし、なによりも現場監督の山元くんが、その喜びをかみしめている姿に、こちらも喜びを感じた夜だった。

「ものづくりセッション」があった土曜日。社内での開催スケジュールの共有を忘れ、懇親会の準備が出来ず、バタバタ。そのうえ数日前にプロジェクターとパソコンを繋ぐケーブルの断線が発覚し、前日からHDMIケーブルに入れ替える作業などでバタバタ。当日昼過ぎに、なんとか開催できる状況を整えられてホットした。長年やってると、いろいろアクシデントありますね。

ちなみに写真の左端に、屋台の骨組み。その横の朱色の木材は、清見原神社のなかにある稲荷社の回りを取り囲む玉垣で、この加工場で、大工で加工し、塗装屋さんに朱色を吹き付けてもらった。正面左奥には、神社マルシェのための屋台の梱包があって、前日の夕方に急遽多くの社員に手伝ってもらって屋台の材料を梱包し、玉垣も端っこに積み上げて片付けた。スケジュールを共有するって、シンプルな事だけど、忘れるとタイヘンだよね。と内省していたワタシ。

懇親会は小路駅前のたこ焼きジャンボで開催した。その日の印象的だったシーンがあって、たまたま囲んだ10人ほどのテーブルで、なんだかんだ、その日の3人のプレゼンテーターの話題で盛り上がったが、ひょんなことから、このなかで離婚経験のある方、手をあげてっ!と誰かが発すると、7人ほどの手が勢いよくあがった。それぞれの驚きの表情。それぞれの身軽さというメンタリティーへの共感と笑顔。うぉーという歓声。一瞬時間が止まったシーンだった。LGBTQのプレゼン。シェアキッチンのプレゼン。人的資本経営のプレゼン。「時代の変化」を実感する「ものづくりセッション」の夜だった。

花見。地鎮。陽気。

社員と職人さんとで、お花見をした今週4月10日水曜日。木村工務店史上一番遅い開催日のお花見だった。当初の開催予定日より一週間ズラした、その開催日二日前の月曜日。それなりの雨が激しく降って、翌朝の地面は、桜吹雪が舞い散る美しい光景だった。昼からの暖かい気候によって一気に緑の葉っぱが芽生え、満開の桜と緑の葉っぱと桜吹雪とチューリップが混在する珍しい光景の下で、焼肉を食べた。

社員全員が楽しみに集まってくれるのが嬉しいが、それだけでなく、大工さんや手伝いさんたちも、現場仕事が終わってから、わざわざ木村工務店前にあるこの庭までやって来て、わいわいガヤガヤ飲んで食べてくれるのが嬉しい。木村工務店的感覚としては、正月明けの1月6日の初出に、打ち上げられたロケットが、2月の初午祭で、1段目のロケットを切り離なし、3月終わりか4月初めのこのお花見で、2段目のロケットを切り離して、ようやく衛星本体だけの飛行となって、宇宙に飛び立ち周回軌道に乗っかろう!さぁ今年も勢い付けて頑張ろう!そんな気分になる、毎年のお花見だとおもう。

新築の地鎮祭があった土曜日と古民家の着工お祓い式の日曜日が連続した珍しい土曜日日曜日。

地鎮祭の準備のなかで、四周の角に立つ、竹を用意する必要があって、昔からそういう竹屋さんがあり、地鎮祭の前日に間に合うように、瑞々しい竹を切り、会社まで配達してくれた。そのおっちゃんが廃業するという。高齢が原因なのか、いや新築の着工数が減ったことが原因なのか、それとも竹が少なくなったことが原因なのか、聞きそびれてしまったが、世の中の移り変わりゆく様を象徴している出来事のひとつであるようにおもう。

大阪市生野区にあるこの敷地は、前面道路が東西方向に走っていて、西を望むと、阿倍野ハルカスが真っ正面に見える。写真の左奥に薄っすらと写っているが、阿倍野ハルカスは空や雲と同じようなガラス色で、遠くからとっても際立つシンボリックな存在には、ならないように、ちょっと控え目にしたのかもしれない。先日の東京旅行で見た東京タワーは日本国旗の赤白で目立つし、スカイツリーはスカイツリーホワイトといわれる目立つ白だし。そういえばフランスでエッフェル塔を見て一番感じた事はお洒落な渋い色だな…..際立ち方が違うなぁ…..だった。ニューヨークで見た槇文彦さん設計の4WTCは周辺に溶け込み存在が消えるガラス色に、このビルが建設される経緯を汲み取ると、どこか日本的奥ゆかしいカッコ良さを感じた。高いビルや塔の配色って、ムツカシイな。とおもう。

今日は春らしい晴天で暑いぐらいの日曜日。昭和初期に建てられた古民家の改装工事は、おうちソムリエ設計事務所の松元さんが、設計当初から木村工務店と一緒にやろう!ということで、お施主さんを交えた三人四脚で、設計と見積が進められて来て、コロナ禍を経ての4年越しの着工となった。で、古民家の着工前のお祓いの義を執り行うことになった。今まで、そういう件数は、意外と少ないが、やってみると案外エエ感じだとおもう。地鎮祭のように祝詞奏上など一連の儀式は同じだが、鍬入れ等の儀式がなく、その代わりにお祓いが行われるのが一般的。

室内外の全ての扉を開け放ち、神主さんとお施主さんが、敷地の隅々、部屋の隅々を回ってお祓いをする。その間、参列者の私達は椅子に腰掛けてその様子、というかその気配を感じて待っている。春の陽気。とっても心地良い青空。古ぼけてしまった古民家。開け放たれている窓。神主さんがお祓をする気配が辺りを覆い尽くす。その光景を見ながらワタシ、千と千尋の神隠しの一場面で、ハクが白い竜になって千尋を乗せて飛び立つシーンが想い浮かんだ。窓から過去の空気のようなものが解き放たれ青空に飛行機雲のような白い線を引きながら飛んで行ったように感じた。きっと陽気な天候のせいだな。

ま、そんなこんなの、花見。地鎮。陽気。の一週間だった。

神社マルシェと屋台製作ワークショップ

「神社マルシェ」という、5月12日日曜日に、地元の清見原神社の境内で催す予定のマルシェがあって、その屋台を製作するワークショップを開催した日曜日。そうそう、今年のうちの枝垂れ桜の開花はとっても遅く、今日の日曜日で、ようやく8分咲きの状態だった。なのに一部葉桜になって緑の葉っぱがチラホラ。それはうちの家だけの現象だとおもっていたら、清見原神社前の桜も満開と緑の葉っぱの葉桜が共存している状態だった。今年はちょっと特異な桜の季節だな。で、朝9時からワークショップの準備をする予定だったので、朝食として、庭のデッキに出て、ドリップ珈琲に食パン専用の網焼きでパンを焼こうとしたら、火力強すぎて、焦げ焦げになった。桜と焦げた食パンのモーニング。

古くから木村工務店で増改築を施工している清見原神社の境内で、マルシェをする機会がある時には、木工家の賀来さんがデザインし国産杉材を使用した屋台を使って、「空間構成」をしたいと考えていた。というより、木村工務店内でワタシがデザインした国産杉材による屋台があって、それはそれなりの屋台になっているのだけれど、製作のし易さや組み立てのし易さなどを考慮すると、賀来さんデザインの屋台の方が、コストバランスも含めて、とっても良く出来ていた。で、賀来さんにデザインと講師をお願いし、20台の屋台を製作する、ちょっとハードなワークショップの日曜日になった。

なによりもこのワークショップは、マルシェに出店する人たちが集まって、自分たちが使う屋台を製作する共有体験を通じて、チームワークのようなものが醸造できればエエよねぇ…..という目的意識もあったが、皆で製作した屋台を神社に奉納するコトで、神社マルシェを通じた地域貢献をしたいという願いが、一番のコトだったように思う。あっ、それと、なによりもワタシが心配だったことは、20台の屋台が、清見原神社の境内に設置できるのかどうか、バックヤードが確保できるのかどうか、その検証も兼ねていた。

木村工務店の加工場で製作された屋台のうち7台を清見原神社境内に搬入し、皆であーだこーだと話し合いながら設置のシミュレーションをする。境内から西側の遙か向こうにある大阪湾の方角を眺めると、もう既に鳥居の間から夕日が沈む時間帯になっていた。空を見上げると青空。飛行機が、鳥居の真上を通過して、東側の生駒山の方角に、白い一直線の飛行機雲を引いた。「ワークショップでのハードワーク、皆さん、ご苦労さまでした」と労ってくれたような気がした。

それはそれとして、何よりもハードなシゴトをしてくれたのが木工家賀来さんで、朝の9時前から二人で、20台分の材料を切り分けるための「木取り」をする。最大長さは、杉角材の30mm×40mm長さ1720mmで、スキーケースかスノボケースに一台分の全ての材料を入れ込んで、持ち運べる「木取り」に気遣った。木材からの「木取り」を考えすぎると「気取りすぎ」になるし、「木使い」にいつも「気遣う」のが、工務店だなとおもう。二人で神経質になりながら80本の30mm×40mmの杉角材で、20台分の屋台の材料が、キッチリ取れた時は、二人で、ニタニタしあった。

工務店では、大工さんをサポートする仕事の事を大工さんの「手元」をするって言う。magoがふらっと私達の様子を見に来て、賀来さんの手元をかってでた。その姿を眺めながら、前日の夜は、現場から帰ってきた平星大工に残業をお願いして、杉板材の木取りをしてもらったし、今日は賀来さんに朝から杉角材の木取りをしてもらって、ワタシはその手元をして、大工さんのサポートを数十年ぶりに体験した。そういや、高校生の頃、父から手元のアルバイトを命じられて、5000円もらったけど、あれ、きっと父のポケットマネーだったのだな…..。なんて、とってもハードだったけど、エエ日曜日だった。

東京の夜

寒い日が続いた先週。ようやく暖かくなったこの土曜日。そしてようやく庭の桜が蕾になった。春休みが始まっても家に閉じこもっていたmagosが、この陽気に誘われ庭に出て、何をするのかと見守っていたら、あちらこちらの棚から道具を取りだして、キャンプをするのだという。子供というのは何気にさまざまな出来事を観察しているのだな。ドリップコーヒーを煎れるまねごとをしたり。なかなかお見事なキャンプサイトだった。

そして久しぶりに本を読んだ土曜日だった。「東京都同情塔」そういえばここ数年芥川受賞作を読んだことがない。あの国立競技場で中止になったザハ案が、あの場所に建築された。という想定にとっても惹かれた。大阪人の私からすると東京のメンタリティーに理解が及ばないところがそれなりにあって、あの神宮の杜とその木々の高さとの調和を守るコト。の大切さを聞くと、なるほどな。とおもえたが、怖い物見たさという衝動があって、あのザハ案が建築された東京の光景を見たいがために東京に行ってみたい。とおもう大阪人の私もいた。先週、久しぶりに東京に行ったが、どうしても隈研吾の国立競技場を見たいとまでは思えなかった。いやもちろん、機会があればいつか訪問したい。そうそう、私は伊東豊雄の国立競技場案がタイプだったけれど、決定にはさまざまな大人の事情が絡んだのだろう…..。

先週のブログに書いた東京での結婚式は、お昼のフルコースだったので、午後3時過ぎにお開きになった。長男は多くの友人たちとの2次会を楽しみにしていたし、奥方と長男奥方とmagosは4人でゆっくり東京の夜を過ごすという。そんなこんなで、次男と二人で、東京の夜を過ごすことになった。

まずはサウナに行って心身をほぐそうということになって、次男チョイスで、赤坂の「サウナ東京」に行く。流石に土曜日の午後4時頃は満員だったが、携帯に送られてくる順番待ちのシステムにあやかって、赤坂のまちをブラブラ散策しているうちに、順番が来た。若い人たちでいっぱい。おっさんは私と2、3人だけだった。そうだ、これ、商店建築のサウナ特集で見たサウナだと思いだした。外気浴がないサウナの休憩室をいぶかしく感じていたが、適正な温度調節の効いた広々とした休憩室は案外快適だった。生中飲んで唐揚げ分け合って午後7時。

20歳代頃に東京に行く機会があると、新宿にあるDIGとかDUGとか木馬とかさまざまなJAZZ喫茶によく行った。音楽目当てでもあるが、オーディオシステムとインテリアデザインに興味があった。で、以前ブルータスに掲載されていたミュージックバー「BAR MARTHA」の記憶が焼き付いていた。音楽とオーディオとインテリアデザイン。次男の合意を得たかどうか、私チョイスで次男をタクシーに押し込んで恵比寿に向かう。入り口で、写真撮影とSNSに投稿をしないで欲しい。小さな声で喋って欲しい。とレクチャーがあって、カウンター席に案内された。

https://i.scdn.co/image/ab67616d0000b27369a1a0e635f435fc53baebc3  ネッド・ドヒニー・ファースト

カウンターと背面スピーカーまでの距離がたっぷりあって、カウンターで聴く音質と音量が丁度良い。いわゆるカウンター内の作業スペースがたっぷりとってあって、背面の、お酒のボトルデザインを眺め、マッキン275の真空管アンプの台形フォルムのカッコ良さを眺め、タンノイのオートグラフの巨大で上品なスピーカーデザインを眺め、何時間も聴けそうな優しい音を聴く。音楽を聴く、ちいさな声で会話をする、他の会話が聞き取りにくい、その音量バランスが絶妙なのだろう。スタッフの方々のお酒を作る所作を眺め、シルバーヘヤーの女性DJのレコードを掛ける所作を眺める。その日は、私の持つレコードの中で、この2つのアルバムの順番がお気に入りだった。そうそうバーのマーサという名前はトムウェイツのクロージングタイムのなかの曲名だったのだな。いまでもたまに聴くし、そういえば、六角精児の飲み鉄本線にもトムウェイツはよく掛かるよね。

音楽聴きながら次男とさまざまな話をした、東京の夜。大阪に帰って、あの新郎新婦からお礼の電話が有り、東京での夜の話をすると、偶然にもそのバーで、新郎新婦はデートをし、結婚を決めたらしい…..しらんけど。

東京にて結婚式

東京六本木で結婚式があった土曜日。長男友人なのにどういう因果か、木村家家族全員が招待された。magosも一緒なのと婚礼用の服や靴など荷物が多いので、車で行くことにしたが、久しぶりに大阪と東京間を運転すると新東名高速道路がとっても快適だった。宴会場近くの六本木のホテルに宿泊する。9割がインバウンドのお客さんだな。

最上階に大浴場とサウナがあって、湯船の中に入って浴槽の縁にタオル置きその上にIPADを置いて中国語で相手男性と会話をするアジアンがいた。サウナの休憩室などで、若い子たちのたわいもない会話を延々と聞かされるつらさもあるが、浴槽のなかで延々と続く電話の会話もなかなかの強者だな。中国語が理解できないのが唯一の救いで、うわっすごっと心のなかで呟いていたが、注意するようなことでもなく、文化の違いなんだなっ。

先日の上棟式の祝宴で、大工仕事からでたコトバが話題になった。「いの一番」が、大工の棟梁の墨付けの最初を「い通りの1番」から始めるコトから来ている…なんていう話から、「気遣い」と「木使い」のコトバになり、「ろくでなし」というコトバは、大工さんは水平のことを「ろく」と呼んでいて、その水平がちゃんととれていないヤツを「ろくでなし」と呼ぶらしい……しらんけど。なんて続いた。国によって文化の成り立ちが、とっても違うのだとおもう。

長男友人の結婚式は、既に入籍をすませ、昨年暮に産まれたばかりの赤ちゃんも一緒で、結婚式独特の緊張感が全くない、気軽なパーティー感覚の現代的結婚式だった。最近多く見られる人前式で、司祭の役割は、2人の仲人がコスプレ姿で登壇した。終始、笑いがありヤジが飛ぶ会場で、私は、吉本新喜劇の舞台で演じる結婚式に、ある役割を担う演者として参加しているような感覚に陥った。新郎の私学中高の同級生たち、同期に入省した財務省の同期生たち、などなど50人以上の新郎の友人が参加する結婚式は珍しい。超真面目に、日本のため社会のためを願いながら働く若者たちだからこそ「結婚式」という「儀式」を茶化したかったのだろう。そんな全てを理解し受け止めることができる新婦と最近出会えたのが「縁」という奇跡だとおもう。

新郎のまるで親族のような立ち位置で参加した木村家家族全員だが、その縁が強く育まれたイベント事があった。彼らが、中学3年だったか高校1年だったか、とっても多感な学生だったその夏休みに、小さなハイエースのキャンピングカーに6人乗って、まず大阪から四万十川の源流地点に到着し、その水に触れ、そこから四万十川沿いにキャンプをしながら川を下った。焚き火をし、カヌーに乗り、ウナギを食べ、川で泳ぎ、温泉に入り、最終地点の土佐の海に辿り着いて、皆で海で泳いだ。その1週間ほどの旅がそれぞれの想い出に強く焼きついたのだろう。

旅のストーリーは、源流地点に触れ、上流部の急流にもまれ、中流部の早い流れを乗り切り、下流部の穏やかな川の流れに従いながら、大海原の海にそそぐ。そんな人生のような感覚をこの四万十川ツアーで一緒に体験し共有したかったのだとおもう。同乗者のひとりシンくんは、東京で有名受験塾の学園長になり、この祝宴の円卓の私の右横に座っていた。

その時の同乗者たちは、人生という川下りをしながら、ようやく海まで辿り着いた状況なのかもしれない。今、大海原で、もまれている状態なのだろう。漂う時もあれば、もがく時もあり、嵐もあれは、ドピーカンもある。目指す島を発見し、目標の島まで着いて、のんびりする時もある。島を目指したり、目指さなかったり。漂い続けるいま。きっと新郎は、多くの友人とのつながりに助けられ、海まで辿り着き、いま大海原で、もまれ、もがいている自分自身の姿を、素直なコトバで表現するのが照れ臭く「いちびり」の大阪人の結婚式として、徹頭徹尾、喜劇のオブラートで包み込んだ、感謝の表現にしたかったのだろう。

103歳と花

家の前の道路を生駒山が見える東の方角に300mぐらい進むと東大阪市になって、私達が住む大阪市と東大阪市の境目あたりに、一軒の花屋さんがある。花屋さんというか苗屋さんみたいな感じ。40年ほど前からあって、たいそう繁盛していたが、夫婦の高齢化に伴い数十年前に閉店された。それが、コロナ頃から、再び店がオープンし、高齢のおっちゃんひとりで、細々と楽しげに店を開いている。

奥方が、うちの庭に黄色のパンジーをほんのちょっと植えようと、その花屋さんに行って、「この黄色のパンジーを頂戴…..」とおっちゃんに言う。おっちゃんが袋に花を詰める所作をしている様子を眺めながら、「ところで、お幾つになりはったのですか…..」と尋ねると、「103歳!」という。「えっ…..!」と大阪のおばちゃんとして、驚きを2倍ほど誇張して表現すると、「わし、まだまだ元気やねん、おかあちゃんは93歳で亡くなったけど…..」という。「ご飯も洗濯もひとりでやってはるのぉ」と聞くと、「花屋の前はうどん屋とお好み焼き屋やってたから自分でご飯作ってるでぇ!」「そうそう、おねえちゃん、今日作ったお好み焼き持って帰り!」という。それで。お好み焼きを入れ物にいれて手渡してくれたわ! と感激が二乗ぐらいになった高揚した満面の笑みで、私に語った。

この出来事を自分の中だけで留めておけないぐらい凄いエピソードだったので、すぐさま長男奥方に伝えて、お裾分けすると、「こんな有り難い縁起もの大切に食べなダメですね。」と云ったそうだ。その話を聞いて、ワタシ、丁寧に丁寧に咀嚼することにした。フツウに美味しいお好み焼きだが、お金で買えない価値ある食べ物だな。とおもうし、食べたあと、「生きる」という凄さまでが、味覚に加わっていた感じがした。「103歳でもお釣りをちゃんと計算して渡してくれはったわ!」と奥方が云う。

今日の日曜日の早朝、3ヶ月ぶりに自転車に乗ることにした。家から東に走り、あの花屋さんの前を、ありがとっ!と呟いて通過し、生駒山の山並み沿いにある十三峠に向かう。途中、司馬遼太郎記念館の前を通過すると菜の花の鉢植えが咲いていた。これを見て春の訪れを感じたいがために自転車に乗ったような気もする。心拍数が過剰に上がらないケイデンスでゆっくり漕いで十三峠の坂道を登る。それでも駐車場についたら、はぁはぁと呼吸して酸素を取り入れた。しんどかったら、そのまま帰るつもりだったが、案外元気が残っていた。お好み焼きのお陰なのか。で、フラワーロードから朝護孫子寺まで走って、久しぶりの参拝をする。本堂横の陳列の生け花にはピンクの桜が生けられてその壺が黄色だった。財布を置いて「なむぜにがめぜんじん」と唱えると、お金が貯まるという銭亀堂には、3人のマダムが財布を置いてお参りしていた。

信貴山ライドでの建築的楽しみがひとつあって、開運橋のトラス構造の赤橋を下から見ることで、それも片持ちのゲルバー橋になっているところが、いつみてもカッコエエと惚れ惚れする。のどか村から葡萄坂を下って帰宅した。43km走行也。あちらこちらで、桜が咲く前の黄色の花の季節になっていた。「春〜よ来い」だな。

上棟式の祝宴が2週続いた今週。大工の棟梁や材木屋さんを中心に、あれやこれやと古いピソードがいっぱいでて、盛りあがって、式が終わり、会社に戻ると、社員の多くが、3階の食事テーブルに集まって、社内メンバーによる上棟式だ!といって祝宴をしていた。現場上棟式組が持ち帰った御神酒も加わると、さらにボルテージがぐんぐん上がっていった。家のためお施主さんのため職人さんのために祝う上棟式の祝宴のエネルギーが、その家に宿ればエエなぁとおもう。そうそう、簡易に作る上棟式のテーブルに、ひとつ花が置かれた。殺風景な現場の光景に、「花を添える」とは、こういうコトを云うのだな。

道路にドラマ

サンシュウの黄色のカワイイ花が咲いて、春が近づく気配。そうそう会社前にある長屋のピンクの梅も咲いて、桜が待ち遠しくなってきた。イエローとピンクの季節がやってきたね。

この梅を見て、自転車を停める人もチラホラいてはる。長屋前の梅が咲く、会社前にあるこの道路は、古くから南北に一直線に通っていて、この道路から一本西にある南北に走る内環状線が、放出方面から新深江までで止まっていた頃は、この会社前の道路が南北を繋ぐ唯一の道路だった。なので、それなりの数の車が通っていたし、自転車で行き交う人が多かった。ポツポツと商店も多かったし、今でもこの道路の南の端には、あのノーベル製菓の本社が残っている。

木村工務店に就職した社員の多くは、朝、出勤してくると、この南北の道を自転車で行き交う人の多さに驚き、中国みたい…..と呟く。今でも巽の方面から万代百貨店がある布施方面に向けて自転車で走る人が多い。近くに私学があり高校生も行き交う。電動ママチャリに、幼児を前と後ろに載っけた、逞しい主婦や主夫も、数多く行き交う。ちなみに、うちの会社からその道路を5筋ほど北に行った交差点を西に行くと東野圭吾さんの実家跡がある。

最近はベトナム人らしき人が多く自転車で通りすぎるし、個性的な大阪のおっちゃん大阪のおばちゃんもチラホラ。昨日の土曜日の朝は、会社からその道路を横切ろうとすると、歌声が聞こえてきた。「悲〜しみに〜出会う度〜あ〜の人を〜想い出す〜そんな時〜側に居て〜肩〜を抱〜いて、ほ〜し〜い〜と〜」と中村雅俊の歌を、なぜか、おっちゃんが、感情をたっぷり込めて歌いながら歩いていた。そういう気分の出来事があったのだろうか。路上でブルースを口ずさむ黒人のようで、思わず立ち止まって、拍手を送りたい気分だった。

ちなみに、その道路の西側にある、うちの庭の南側には4階建てのマンションが建って、そのベランダが道路に面して、そこからうちの庭を覗かれ、丸見え状態になったのは40年ほど前の出来事だった。当時、祖父母が健在だったので、祖父母の寝室は南向きの縁側付きで、その縁側の向こうに南向きの庭があり、とっても快適そうだったが、ある日、その庭前の道路に面した2階建ての工場が移転し、その跡地に、くだんの4階建てマンションが建って、祖父母の寝室は丸見え状態になった。

それで、自分達の庭に、自分達で、目隠しを兼ねた、杉を植えることになった。その杉が徐々に成長し、目隠しとして効果を発揮するのに10年ほど掛かったとおもう。今では、かなりの目隠しになり、そのお陰で、木々に囲まれた庭になってきたし、さらにその目隠し効果を補足するために、常緑である竹を植えたのが、20年前のコト。そんな目隠し効果抜群の杉だが、最近は花粉が舞い散り、花粉症を引き起こす杉になって、うちのmagosもその花粉症で悩んでいる。世の中の因果関係というのは摩訶不思議複雑怪奇だなとおもう。

和泉市で新築した店舗付き住宅の上棟の宴があった水曜日。コロナ禍があってから、上棟の儀式はするが、宴は催さないことがほとんどになってきたが、今回は大工棟梁を主役にした宴を設けて頂いた。もう既に外壁下地のモイスを貼った空間なので、構造材だけが森のように林立する、昔ながらの上棟式の光景ではないが、それでも、木造住宅を施工している工務店としては、最も心躍るひと時でもある。

それはそれとして、その宴で、施主のご家族全員が、乗馬をするのだという話で盛りあがった。ある日、イベントとして、上棟式を催しているこの家の前の道路を、娘さんたちが乗馬したのだという。ご両親は車で後を追い、馬の糞の始末をして回ったのだそうだ…..。私、頭の中で、この壁のシートの向こうにある道路で起こった、そのドラマのような光景を想像したし、そういえば、私が小学生の頃は、うちの会社前のあの道路にも、一年に何度か、ロバのパン屋さんが、通過する日があって、「ロバのパン屋はチンコロリン、チンコロリンとやって来て、アンパンジャムパン…..」という歌が聞こえてくると、ワクワクしたし、屋台を引くそのロバの糞が落ちる光景に、あ然とした想い出が蘇った。

道路にドラマが宿っているな…..とおもう週だった。

追伸
今日の日曜日。YouTubeを視聴していると、お勧めに「マイルス・デイビス・カムバック・ジャパン・ツアー’81」が流れてきて、何気に視聴すると、「若いミュージシャンのエネルギーが、俺の想像力を駆り立ててくれる。彼らに自由を与えてやり、即興で作曲していく、音楽とはフィーリングとリズムで自由に描いていくドラマだ。」なんていうクレジットが出てきて、その「ドラマ」というコトバに影響されたブログだな。とおもう。

さまざまなシチュエーションで食事を共にした週。

住宅相談会とサヤカリーを開催した青空の日曜日。

新築の相談にお見えになった家族代表のご主人Aさんは、おひとりでお見えになるのかとおもっていたら、親戚の引退された元設計士の男性と元工務店の女性の同伴でお越しになった。プロの方々からそれなりに期待されながら家づくりをするのは、身の引き締まるおもいもあるが、それはそれとして有り難いコトでもある。

ここ数年、大手ゼネコンの設計部の方の自邸を設計施工したり、その方の知り合いの家を設計施工したりする例が、一定数有って、設計といっても、プロの設計の方のプランを元に、一緒にコミュニケーションしながら実施設計を進めていくわけで、工務店の設計部の特徴は、設計士と同じ部屋に見積のプロが存在しているコトで、コストバランスを常に検討しながら設計が出来るところに工務店の設計者の強みがあるのだ。と、あるコンサルの方とお話しをしている時に、指摘され、あらためて気付かされる出来事あって、そんなコトバを想起しながら打ち合わせに参加した。

春の訪れを気配させる晴天の日曜日だったので、想定以上に沢山の方々が、サヤカリーを食べに来られ、完売して、お断りする状況だった。工務店なので、飲食に精通しているわけでもなく、2月の寒い日曜日は、ほんとにお客さんが少なく、カリーも余るぐらいだったのに…..。天候と陽気というのは、人の食欲を活性化させるのだな。あらためてその日の気象条件が飲食に影響するのだと教えられた。そうそう寒さや暑さ対策として透明カーテンを設置して、快適性がアップしたのか、皆さん長居してくださった。プチリニューアルで、「カリー&コミュニティー」としての「まちのえんがわ」になった。

生野区のものづくり企業の夫婦4組で、フレンチの食事会をした土曜日の夜。うちの家で、数えて6回ほど30代の上地くんというフレンチのシェフに来てもらって食事会を催したが、今回は同世代の経営者の夫婦の集まりなので、仕事のコト、将来のコト、子供のコト、悩みや喜びは同じような感覚。シニア世代になると、何よりも、美味しい食事を囲んで歓談することが、若い時以上に、良いひと時に感じるのが、共通認識。自分達の子供のような若いシェフが、この集まったメンバーに喜んでもらおうと、一生懸命メニューを考え、一生懸命食事を提供しようとする姿に共感しながら、アーダコーダオモロイ話で食事を共にするのが、こういうアットホームな食事会の良さであるとおもう。気が付いたら深夜2時だった。

高校時代の同級生の家のリフォームをさせて頂き、引き渡して1週間後の食事会が、近くの居酒屋で開かれた水曜日の夜。設計担当のツジムラさんと現場監督のシノダくんとプロデュースの専務タカノリが一緒で、電気工事はその息子さんが担当し、隣の敷地に、その息子さん家族の新築の上棟式が、明日の予定だという、とっても珍しいシチュエーションで、若夫婦とその3人の孫さんを含めたアットホームな食事会となった。息子さんのために新たに取得した隣の土地を提供する父親っていうのは、凄い甲斐性だな。とあらためておもう。上の写真は食事会が終わり、そのリフォームした家に、一緒に戻ったら、父親は、あれぇどこにいったのぉっと姿が見えず、どうやら無言で寝室に飛び込んで倒れるように寝て、明け方目が覚めて「なんで俺ここで寝てるのぉ」状態だったそうだ。楽しく飲んで勝手に寝てしまうドラマのような典型的父親像の、そんな同級生に敬意を表しておきたいと思う。

オーダーキッチン、クッチーナのモーリーショップの大阪支店長のフナモトさんに誘われて、スキーに行った雨降る先週の日曜日。雪になるのを期待したが、みぞれ交じりでビショビショ。インストラクターをやっていたと言うだけあってとっても上手。それでも午前中だけ休みなし途中停車なしで滑り続けるシニアスキースタイルに共感してくれた。帰りはスキー場で食事せず、近くの有名らしい蕎麦屋で、行列待ちして食べても、家には午後3時に帰り着いていた。蕎麦美味かったなぁ…..。そうそう、彼が20年以上前に営業担当者だった頃、二人で一緒にいろいろなキッチンを設計した。その同士のような繋がりがどこかに根付いているのだとおもう。

さまざまなシチュエーションで食事を共にする週だった。

昭和の呪縛からの解放

2月22日は猫の日だそうだ。なるほど。ニヤンニャンニャンなのか….それより、日経平均株価が1989年の大納会でつけた史上最高値の3万8915円を更新し、日経平均史上最高値になったのが、2月22日なのだ。と記憶される日にもなった。庶民の実感とはほど遠い感覚のように感じるが、日経新聞を読むと、ようやく株価は「昭和の呪縛」から解き放たれた。「今の株高は日本企業の実力に見合っている」とあり、昨年来の「海外主導の株高」にはこうした日本の変革への期待も入っている。と書かれてあって、その「日本の変革」というのは、金利がある世界になれば、ゼロ金利で生き延びてきた企業は存続が難しくなる。「人手不足は企業に効率化」を迫り、「産業の新陳代謝」が進む。「成長分野への人材移動」など経済全体の「資源配分を見直す好機」になる。ということらしい。

4ヶ月ぶりに「ものづくりセッション」が開催された土曜日。上の写真は開催者の行政マンの武田さんから拝借したが、ちょっと煙っぽい感じがするのは、懇親会のために、桃谷にお店があるカサディエッロの塚本さんが、加工場にあるピザ窯を使って、持参したピザ生地を焼いて、とっても美味しいピザを提供して頂いた。その薪の煙が充満しているスモーキーなセッションだった。

二人のプレゼンターの興味深いお話しを聞けたセッションで、生野区の中川で金属加工の工場を持つ、中村製作所の中村さんは、サヤカリーを食べに来てくれたり、ヨットを乗っている話や、週5日銭湯に通う話など、以前から何気に会話をして、面白可笑しくお話しを聞いていたが、あらためて、会社の沿革を聞き、どんな運と努力で商売が始まり、継続してきたかを聞くと、ドラマのようで楽しいし、先人達の「昭和の苦労」をあらためて知る機会でもあった。

最近、社長を引き継ぎ、会社の強みを再考し、曲げ金具に仕事を集中して、ホームページにもそのことを表現し、事業を再構築している姿を垣間見ると、中小のものづくり企業にも、「資源配分」を見直すなど「日本の変革」が始まっているのだな…..「昭和の呪縛」から解き放たれようとチャレンジする、若い姿のひとつだな。とおもえた。

むつみこども園の園長の杉本さんのプレゼンがあって、ものづくり企業ではないが、こんなこども園を「つくる」チャレンジをしている…..というのが趣旨だったようにおもう。なによりも凄いとおもったのが、「教室」を「まち」と名付けて、園児といっしょに、遊びを通じて、課題を見つけ、こども自ら解決策を考え、「まち」を育むのだという。大正時代から100年を超す幼稚園を、新たなこども園として「新陳代謝」し、次世代を担う「こども」を育てていきたいという、チャレンジ精神に溢れたプレゼンに、心動かされた。

昭和の呪縛からの解放が、あちらこちらで始まっていたのだな。

アサイラム

建国記念日の振替休日。コロナ禍があって、ワタシの新しいライフスタイルに加わったひとつに、ひとりスキーがある。一年に2,3回ほど行くようになって、それはそれなりに楽しい。今年は初めて。前日から雪が降って新雪を楽しみにしたが、カチカチのバーンの上に降り積もったちょっとした新雪という感じで、期待ほどでなく微妙だった。もはやカチカチのコブは滑りたくないので、雪が柔らかく、久しぶりにコブを滑ることにしたら、二日間ほど階段の上り下りで、筋肉はって、ブサイクな格好で階段を歩いていたとおもう。12時過ぎには滑り終えて、帰って、ビールでも飲みながら家でゆっくり楽しむのが、シニアスタイルのようにおもう。そうそう、今年、メガネでもいけるヘルメットを買ったが、思いのほか快適だった。

それで、家で本を読むとか音楽聴くとか映画視聴するとか、いろいろ楽しみ方があるが、最近NHK+とかNHKオンデマンドが気軽にパソコンで視聴できるようになって、ちょくちょく視聴する。「ワイルドライフ つながる小さな命たち 牧野富太郎と南方熊楠が見つめた日本の自然」なんていうのを何気に視聴した。

建築家の内藤廣さんが設計した牧野富太郎記念館はエエ建築だなとおもう。会社の研修旅行でも社員や協力会社の面々と一緒に見学した。牧野富太郎植物図鑑も原色の彩色したシリーズから知ったが、初版の白黒で解説付きを見たら、建築のスケッチをはるかに上回るカッコ良さだとおもった。牧野富太郎のフレーズで「綿密に見れば見るほど新事実」は好きなコトバで。建築を志すものにとっても、森羅万象をこういうハートで眺めたいものだなとおもうし「どうかみなさんも、植物に親しんでください。そして少しでも多くの知識を身につけてください。それが一生を通じ、どれほど人生を豊かにするかわかってもらえると思います。」なんて語られるとグッときて「親しんで少しでも多くの知識を身につける」なんていうのが、これからのシニアライフを豊かにするキーワードのようにさえ聞こえた。

シーラカンスアンドアソシエイツ設計の南方熊楠記念館には、訪問する機会を逃し続けている。「オガタマノキ、カラスノサンショウの大木、一、二丈のもの、自生のタラヨウ一丈余のものなどは、何の用もなきものゆえ、わずかに神社の森を asylum として今日まで生を聊(りょう)せしなり。」の asylum (アサイラム)というコトバにビビッと来た。アサイラムとは避難場所とか安全な場所とか聖域とかいう意味らしい。牧野富太郎と南方熊楠は同世代で5歳違いらしく、熊楠も「自然を綿密に見つめること..小さな菌糸が森とつながっていることを知る….」なんて語っていて、南方曼荼羅もカッコエエ図だなとおもう。

それはそれとして。「アサイラム」と聴いて、脳内で反応したのは、レコードレーベルのアサイラムのことだった。ジャクソンブラウン、イーグルス、JDサウザー、トムウェイツ、ネットドヒニーなどなど、20歳頃まで、それなりの数のアサイラムのレコードを買った。輸入盤でアサイラムのレコードなら間違いなさそうやから買っとこ。いまから振り返れば、そういう気分にさせられるのが「ブランド」だなとおもう。アサイラムが避難所や聖域だという意味なんて全く知らずに…..。何よりもレコード盤のラベルが、今も独特の「印象」として残っている

そうそう、後にジャズを聴くようになって、レコードレーベルとしての、ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどなど。時々、インパルス時代のコルトレーンのアルバムを聴きたいなぁ…とか。「インパルス!」のラベルもカッコ良かった。レコードレーベルで音楽を楽しむ楽しみ方も知るようになったが、「植物」には、そんな感じでは親しんでこなかった。あらためて、「植物と親んで、知識身につけて、人生が豊かになる」それっちょっと憧れるなぁ…..と、視聴した。

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