森と木と木材

あれぇっ?と思うような進路で台風が接近し、なんだか今年は不順な天候が多い。休日の外出は、ひとりでスポーツする三密を避ける遊びが中心になって、家族や友人と一緒に集まって遊ぶ約束事やイベントが気軽にできなくなり、とっても単調な休日になりだした。土日ゴルフに行く機会が増えたと協力会社の社長さんたちの多くが語る。平日の夜の外出も全く無くなって、テレビを視聴する機会が増えた。ドラマあまり視聴しないし、バラエティーも飽きてくるし、気がついたらドキュメンタリーに依存してしまっているワタシ。あとユーチューブやネットフリックス。

NHKのドキュメンタリーで、「みやこびと極上の遊び」を何気なく観る。キョウトの世界ってこんな感じなんや。と伝統的な凄みを感じたが、ま、好き嫌いは別として。終盤に、祇園祭の山鉾を住民で建てるシーンがあって、その頂上に建つエエ「杉の木」をチョイスし、ロープで引っ張って木を建てる映像があった。今まで、ほとんど意識したことなかったけど、そういえば、山鉾の上に「杉の木」がニョキっと天まで届く雰囲気で直立している。

前回ブログの藤森さん設計のラムネ温泉館の屋根の天辺にもよくよく見ると杉がニョキっと建っていた。そういえばちょっと前の「ブラタモリ」が諏訪編で、御柱祭のシーンがあって、十年ちょっと前のゴールデンウィークの旅でその御柱祭に遭遇した時の感動を思い出した。


「山出し」というらしいが、山から急坂を滑り落とした「巨木」を「里引き」といって掛け声と共にダンジリのように道路を皆で引っ張っていく。その時撮影した写真で、今見てもあの時の木槍の歌と掛け声のワクワクするような音色が蘇ってくる。諏訪大社で「巨木を曳き建てる」場面には出会えなかったが、偶然そのための準備をしている鳶職のような職人さんから説明を聞いた。

この巨木を里引きする道路沿いに、藤森さん設計の神長官の建物とその奥にツリーハウスがあって、このタイミングで見学すると諏訪の木の精神文化のようなものを受け継いでいるのだなとしみじみ思った。で、天辺に杉の木を建てる京都の山鉾だって、ラムネ館だって、同じ共通する何かがあるのだろう。それをどう解釈するのか。と長年気になっていたら、最近読んだ中沢新一さんのアースダイバー神社編に、このように説明されていた。

「御柱祭は、二つの異質な「柱祭」の結合としてつくられている。第一のタイプの柱祭は、太くて長大な樹木を山から切り出し、それを地面に垂直に立てることによって、宇宙論的な意味を表現しようとするものである。このタイプの柱祭の「起源」はきわめて古い。」

「これを「垂直型柱祭」と呼ぶことができる。樹木によって天と地をつなぐという、古い思想を背景にした祭りであり、諏訪の御柱の基層に、このような思想が潜在していることは、大いに考えられる。」

「この基層的な垂直型柱祭の上に、別の新しいタイプの柱祭の原理が覆いかぶさって、諏訪の御柱祭ができあがっている。ここでは天と地の分離ではなく、人間の住む「里」と野生の「森」との水平的な分離が、問題になる。」

「開発が進んで里と森の間には、大きな心理的な距離が発生するようになった。その距離を無化するために、山から切り出された巨木に森の霊力を詰め込んで、森と里の間の里山世界を引きずり回し、霊力を大地に撒き散らしたうえで、神社に運び込むのである。これは「水平型柱祭」と言える。」

「このタイプの柱祭は、農業技術が向上し、耕地の開発が進んで、各地に豊かな「惣村」が形成されだした、室町期以後でなければ、発達しえない祭りである。それ以前には、里と森はまだ未分化で、里の世界が自然からすっかり分離されてしまった、という感覚はそれほど強くなかった。しかし農業の発達とともに、自然との距離が増大した。水平型柱祭は、そのような疎外感覚を乗り越えるために、民衆の間で発達した。」

「このタイプの柱祭を、海人的伝統を色濃く残す地帯で、いまも盛んにおこなわれている「ダンジリ」型の祭りと、比較してみると面白い。ダンジリでは、船形をした屋台を人々が猛烈なスピードで、引っ張り回す。そうやって海の野生を、街中に引っ張り込んで、浄化し活気づけようというのが、祭りの魂胆である。  ダンジリにおける「海の野生」を、「山の野生」に変換すると、御柱祭の構造があらわれてくる。」

なるほど。と思った。床柱なんて天と地をつなぐ垂直型の思想なのだろ。水平型という考え方が面白かった。今は都市と里山が分離されているのだろうが、都市に「木」とか「緑」が求められ、都市木造といわれるようなビルもできて、ある商店街の中のビルを木造で建てSDGsにも貢献したいという施主の要望によるプロジェクトに遭遇したりして。

木が光合成をしCO2を吸収する缶詰のような役割をしているので、人工林が多くしめる日本の森を間伐し、その木を使い、また植林する事が、CO2の削減を通じた地球温暖化防止になって、ひいては森や川や海の自然環境を守る循環型社会に繋がる。なんて教えられた考え方とも結びついて、いま、都市と里や山が分離されない自然環境と共存する社会。地球環境を大切にしようとする社会。が求められているのだろう。

木村工務店が数多く関わる木造住宅の木材は、「森」で採れた「木」が「木材」になって建築材料として使っている。そういう木を使った循環型社会に貢献する木造住宅として、あらためてもう一度見つめ直してみたいとおもった。

朝風呂朝サウナ夜炭酸泉

よーやく「涼しさ」を感じる心地良い季節になってきた。今日の日曜日の天気は曇りで雨が降らないというのが土曜日の天気予報。朝早く、目が覚めて、空を見上げると、いまにも雨が降りそうな曇り空で、しばらくしたら雨が降り出した。なのでアウトドアーを諦めて、朝風呂朝サウナにする。

小さな頃、よく祖父と祖母に連れられて3人で旅館に宿泊し、それはたいていは白浜のいまはなき川久だったが、朝風呂に連れられたりした。30代や40代は、そんなのどーでもエエ体験の記憶として、食べることも寝ることもお風呂も、ただ食べられて寝られて体洗えれば良く、仕事とその余暇にめーいっぱいだったが、60代を過ぎてくると、そういう小さい頃によくしてくれたエエ想い出や青春の頃のめーいっぱい楽しんだ体験が、第二の人生を生きるちょっとしたエネルギー源になっているような気がする。不思議だ。

サウナブームらしいが、その作法にもいろいろなスタイルがあるのだろう。水風呂のエエ水に浸かりたいという欲望を満たすためには、地方のサウナに行かなければならないような気がするすし、やっぱりフィンランドの湖に浸かるなんてとっても憧れる。自転車旅行で訪れた富山市内のお風呂屋さんのサウナの水風呂の水の気持ち良さが体の記憶として残る。そんなこんなで、最近、湧水がある日本の名水の場所に憧れたりする。ま、とにかく日曜日の心のリラックスはまずは体のリラックスから…みたいなところがあって、ワタシ的には、自転車に乗ったりランニングしたり登山したりするのは、「意識的」に体に負荷を与えた後にやってくる心の気持ち良さリラックスを味わいたいからだろう。体に負荷をかけない日は朝風呂朝サウナが好きだなぁ。

そうそう、自転車で若草山に登った日。家に帰ると、庭隔てて同居する長男家族が友人誘って、庭でテントサウナし、ちょっと大きめのプールでは孫たちが楽しんでいた。帰り道は西日に向かっての走行で熱中症になりそうだったので、ビブショーツ履いたままそのプールに飛び込んだ。水。あーえー気持ち。

 

緊急事態宣言で不要不急なんていうコトバの問題もあるので、「まちのえんがわ」ワークショップは中止にしている。お客さんが気を使って緊張しながら楽しむのでは講師を含めて誰もが楽しめないしね。今月末に予定していた「包丁研ぎワークショップ」も中止になった。それはそれとして、お盆休暇は、春に予約し奥方が楽しみにしていた温泉旅行は決行することになった。どの旅館も感染症対策バッチリで他のお客さんと全く会わない食事で、フロントと中居さん以外接触がなく、車なので道の駅とサービスエリアで人に会うだけだった。

長湯温泉のラムネ温泉館に入浴する。日本一の炭酸泉らしい。35度のぬる湯で体に気泡がついて気持ちよく何時間でも入れそうな感じ。炭酸泉ぬる湯に入って、熱い炭酸泉に入って、を繰り返すとサウナ的に、いやそれを上回るほど気持ち良かった…というのもあるが、あの藤森さんの建築。心地よい低さと心地良い高さが共存する独特のスケール感の建築で、この独特の炭酸泉を際立たせる、独特に良いパッケージデザインのようだった。

さて、そろそろ、コロナと共存するための政府方針を決定して欲しいものだなぁ…

 

夏の終わり。

夏の終わりを惜しみつつ見送るため孫たちと線香花火をする。前回のタイトル花火こそ、この写真が相応しいのかもしれないが、その花火のブログを読んだ奥方が、今年、花火をしていないことに気づいて、夏の送り火のように、ポタンポタンと火の粉が落ちる線香花火で、孫たちと静かな夜を楽しんだ。インスタに投稿したら、大先輩から懐かしい光景だな。とコメントがあった。縁側と土の庭が線香花火に懐かしさを付加しているのだろうか。おもわずワタシも子供の頃はこんな感じだったのかと振り返ってみた。こういう情景を受け継いでいこうと行動するのが、案外、女性だったりする。

そうそう先週日曜日。自転車で若草山に登ってみた。木陰のベンチで鹿たちと一緒に休憩すると、木の葉越しに観る青空も白い雲も山も街も夏の終わりを告げているようだった。

若草山から峠の茶屋を目指す。ダート道ばかりで、この自転車だとちょっとしんどい。山道を駆けるランナーが多いのに驚いた。今から何十年も前の30歳代の頃に、ハイキングで2度ほど車でも2度ほど立ち寄って、わらび餅を食べたが、もちろん自転車では初めて。それに建築的に眺めたのも初めて。こんなにシンプルなエエ木造建築だったのか。たまたま客が誰もいず、ご主人と世間話をする。180年ここに住んでいるのだそうだ。実際に今もこの2階に住んでいるらしい。ベランダのような縁側は今流の防水をしているはずもなく毎日雨戸を開け閉めするという。はたして次の世代は受け継ぐのだろうか…

菅政権も終わりを迎えようとしている。オリパラもいま閉会式が行われている。WeThe15というコトバを知った。15%の人たちと共生する社会。日曜日の夕方、奥方と買い物がてら外出すると、ライフやコーナンやドンキホーテの前は人でいっぱいだった。もはやコロナと共生するステージが始まっているのだろう。夏の終わりと秋の始まり。今日は秋の気配の涼しい風を感じたなぁ…

 

花火。

BSの土曜日夜の番組で、「長岡の花火」のドキュメンタリーを放送していた。大阪人にとっての花火はかつては富田林で打ち上げられるPLの花火だった。野球のいろいろな不祥事があって、どんどんショボくなってきたが、大阪市内に住むワタシにとって、小中高生の頃は、空が真っ赤に染まるのが、大阪市内からも体験できて凄いなぁっとおもっていた。あるPL花火大会の日、親父が、会社の屋上に上がってみ。と言われて屋上に上がると、トランシットが据てあった。もちろん、その時が初めてトランシットというコトバと道具に遭遇した日で、トランシットで見たPLの花火が、ワタシのトランシット初体験となった。

奥方と付き合い結婚するようになると、実家が富田林だったこともあり、8月1日のPL花火大会は、一大イベントになった。その日はお祭り騒ぎで、奥方の実家で皆で食事をするのが恒例になっていた。ちなみにワタシが住む小路の清見原神社のお祭りは、7月31日と8月1日で、それまでは「だんじり」のカネと太鼓の躍動的なリズム感に心躍らされていたが、子供たちが大きくなる暫くまでの8月1日はPL花火のドカーンと響く低音に心躍らされることになった。

大阪から長岡は遠い。未知なる場所といってもいい。確か天皇が即位するゴールデンウィークの年だったようにおもう。新潟長岡にある馬高三十稲場遺跡にある縄文土器を見て、長岡の街に泊まろうということになった。奥方のお父さんの系譜を辿ると長岡出身になるらしい。そのお父さんが亡くなった次の年でもあり、奥方もその系譜に触れたそうだった。それに、義父は、亡くなる前に、孫たちそれぞれににコトバを贈っていた。その中に長岡出身の山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて……」と続くあの名言がはいっていた。

その時の旅のもうひとつの楽しみは、長岡から信濃川を遡上しながら十日町などの縄文文化に立ち寄り長野県を目指すことだった。その長岡駅前のホテルにチェックインすると、奥方がひそひそと私に耳打ちする。あの横でチェックインしている綺麗な女性、モデルのにしやままきさんやでという。ワタシはキョトンとしていたが、その女性が、この長岡花火のドキュメンタリーの解説者のひとりとして出演していた。長岡を訪れるまで、PLの花火が日本一だと聞かされていたが、現地で長岡花火大会の素晴らしさを吹聴されて半信半疑で調べるうちに興味が湧いてきていつか体験したいとおもっていた。

なによりも、丘で打ち上げられる花火よりも川で眺める花火の方がきらめき感があるし、その川があの独特の縄文文化を産んだ信濃川なのだから羨ましい。ということより、今回改めて認識したのは、鎮魂のための花火大会だったということ。空襲。地震。そういう花火大会は、造る方も観る方も思い入れが深くなるのだろう。来年はコロナ禍が鎮魂として加わるのかもしれない。あの縄文土器や土偶だって、鎮魂や祈りの要素を感じてしまう。淀川や大和川とは違う信濃川の雰囲気が独自の文化を生み出しているような気がするなぁ…なんて感じながらテレビを見た。

日本一を目指して浮き足立っているのも悪くはないが、地に足がついている雰囲気はもっとエエよね。花火をフツウに鑑賞できる来年になるのだろうか。

静寂。

先週に引き続き雨が降り続く今週。お盆休暇は雨ばかりで、温泉入って、食べて、飲んで、最高で体重が3kgほど増えた。アカンアカンと意識して2kgまで落ちたが、それから落ちない。もう自転車に乗る以外は体重を落とす方法がないよな。とおもっていたものの雨続きで乗れなかったが、今日の日曜日は久しぶりに晴れそうだった。午前中だけ自転車に乗る。流石に坂はしんどい。十三峠では何度か嗚咽しそうになった。朝護孫子寺に参拝して46km走ったらもう充分だった。そそくさと家路を辿る。

家に帰って、体重計に乗ると2kg体重が落ちていた。この夜に食べて、また1kgは戻りそうだが、久しぶりにそれなりに体を動かした満足感があって、思わずビールをぐっぐっと飲んでしまい、布団の上でゴロゴロっとしながら、余韻を楽しんでいたら、こんな時に限って、突然の孫2人の襲撃に遭う。暇やから遊ぼっ!という。布団に寝っころがりながら、たわいもない話をしても満足するはずもなく、何して遊ぼかなぁ何して遊ぼかなぁと言いながらどこからか風船を持ち込んできて、布団の上の激しい風船バトルで、「ワタシの余韻」は木っ端微塵に砕かれるのだった。

そうそう、今日の日曜日に自転車に乗って感じるのは、街の不思議な静けさ。長雨とコロナデルタ株の影響なのだろうか。帰り道に立ち寄った八尾空港のオープンスペースは、小型飛行機の離発着がほとんどなく自衛隊のヘリコプターの爆音もなく、静けさに包まれていた。どんよりした雲。虫の鳴き音。静寂。芭蕉的気分になったなぁ。繁華街は人で溢れていたらしい…。

そうそう、お盆休暇の旅館での宿泊で、気になったことがひとつ。スイッチプレートの高さが床から700㎜ほどだった。普通は1200㎜ほどで手をあげてスイッチを操作する所作なのだが、テーブルぐらいの高さなので、手を下げてスイッチの所作をする。子供でも高齢者でも使いやすいのかもしれない。なんだか新鮮だった。

そうそう、今週、大阪の谷町にあるお寺を訪問すると、本堂の外部の垂木と柱と斗栱(ときょう)が、こぶりのコンクリートでできていた。彫刻的な感じで雰囲気良く、内部のその半分は木造でできていて、コンクリートと木造の柱と斗栱がミラー反転されたハイブリット的で不思議なエエ感じのお寺だった。

いま「静寂」を感じるひと時が必要だなぁ……

 

お天道様

雨が降り続いたお盆休暇。木村工務店では16日月曜日から通常営業です。

この一週間、太陽を見ることがなかったような気がする。なので、お天道様なんていうコトバが過った。暑くて暑くてどうしようもない蒸し暑い夏でなく、雨が降る涼しい夏を最初は歓迎していたが、3日も4日も5日も雨が降り続くと、太陽が輝り続ける灼熱の夏が恋しくなって、なによりも「太陽」をありがたくおもう気持ちさえ芽生えてきた。天照大神とか大日如来とか。太陽を信仰する気持ちが理解できるような気がする。「太陽」ってエエよな。なんて。

最近参加している町の工務店ネットで、建築家秋山東一さんが主導する設計道場というのがあって、主に工務店の設計者が参加する設計を学ぶ場なんだけれど、最近そこで、図面の上を北にするのでなく南を上にして図面を描こうという取り組みがあって、それは秋山さんの師匠である建築家の吉村順三さんに端を発するものだそうだ。ちなみにワタシ、24歳で木村工務店に入社して、住宅の設計をさせてもらった時に、図面を南を上にして描いた。それは太陽が上から注ぐので、図面の上が南である方が太陽の光を感覚的に捉えやすく、太陽の運行が東から西に流れていく感覚と図面上で太陽が左から右に流れていく感覚がフイットしていたからだとおもう。そしたら当時専務だった親父に、図面は北を上にして描くもんや!と訂正されたが、気学とかでは南を上に描いているけどな。みたいなコトバが発せられたのが懐かしい記憶として残る。

家と「太陽」の関係性は、日射取得とか日射遮蔽とか太陽光発電や太陽光ソーラーなど科学的要素だけでなく、メンタリティーにも大きな影響を及ぼすと、この雨が降り続くお盆休暇を体感するとそうおもう。家の中で体感する太陽の光と影が案外心地良いものなのだ。それを感じられない連続する雨の日々は少々寂しい。そうそううちの家の仏壇は東に向いている。仏壇は南に向くのが良く東に向いても良いらしい。なんていう建築的敷きたりみたいなものもあるが、曹洞宗であるうちのお寺のお坊さんは、東西南北どちらでも気にすることは全くないと言っていた。家と太陽の素直な関係性をあらためて考えてみたい。

今日15日はお盆なので、雨が止んだ昼前を選んで、お墓参りをしてきた。数年前までお盆は夏休み休暇で遊ぶ時だとおもっていたが、祖父母両親を亡くすと流石にそんな不義理もできず、魂が帰ってきているのかどうか実感はないものの、お参りをするようになった。そういえば、数十年前にまだ整備もされていない頃の秋田の大湯環状列石を訪れると、その立石は夏至の日没の方角を指していた。縄文時代、夏至の日にお墓でもあるそのストーンサークルで帰ってきた死霊とともに踊ったのではないかという。それが盆踊りの起源ではないかという。太陽の運行と日中の長短の極端が、見えない世界と現実世界を結ぶ橋わたしの役割をはたしているのが面白い。そうそう、うちの家のある大阪では地蔵盆というのが、この夏休みの終わりごろにあって、各町会のお地蔵さんで盆踊りをしお菓子が配られる。それが終わると夏休みが終わる気分になって独特の寂しさがやってくるのだった。

コロナがあり、オリンピックがあり、長雨の夏休みがあり、ちょっと特異な夏だった。まだその余韻が続きそうでもあるが、ま、とにかく、これからは太陽の力をより意識しながら家づくりをしていきたいとおもう、お盆休暇だった。

閉会式

8月8日日曜日の朝。木村工務店の夏休み休暇初日である。前々日に次男が東京から帰ってきて、帰る日に2回目のコロナ接種をしたらしい。土曜日の朝は39.9度の熱で本人も驚いていた。夜は飲んだり食べたりしながら、オリンピックのサッカー決勝を見て、あーだこーだと話をし、日曜日の朝はぐっすり寝てしまい、目が覚めたら朝8時前だった。

テレビをつけるとマラソン男子が札幌で走っていて、大迫選手も頑張っていたが、猛暑で全ての選手が目一杯の走りをしているなかで、優勝したケニアのエリウド・キプチョゲが力強くもリラックスした軽やかなフォームで走る姿が美しかった。一度でもエエから、こんな体になって、こんなフォームで、42.195kmを走ってみたい。とおもえてきて、おもわずベットから起き上がって、テレビの前で、同じようなフォームを真似しながら走ってみたら、奥方が、全然違う!顔小さい!足長い!そんなぼってっとした体でない!そんな顎も出てない!全く似てない!という。

ワタシもフツウの肉体を持っているが、世界の国々の肉体的な個体差がこんなにあるなんて、あらためて凄いなぁとおもう。さまざまな競技をみて、同じ肉体でも、鍛えると、こんなことができる可能性があるのかとちょっと憧れる。チームで協力することで、あんな可能性もあるのだと、チーム競技の面白さに感動する。ま、組織委員会のありようとか、放映の仕方とか、時期とか、現地での観客が必要かどうかとか、コロナ禍で開催されるのが適当だったのかどうかなど、さまざまなコトを考えさせられたTOKYOオリンピックだった。

このブログを書く背後で閉会式が行われていて、マラソン選手が表彰台に立っている。あの男子の銀と銅メダルの2人はソマリア出身の難民でそれぞれオランダとベルギーに移民したらしい。なので、ゴール前で、銀の選手が手間招きで早く来い来いと銅メダルになるように誘っていたのだな。そういえば、金メダルを二つ分かちあえるなんて知ったし、新種目のサーフインとかスケボーとか雰囲気良かったし、ワタシはクライミングがわりと好きだったなぁ。ロードレースで神社の中を駆け抜けていった映像もよかったが、札幌の街より東京の街を駆け抜けスタジアムに入るマラソンランナーを見たかった気もする。あんなイカツイ顔の柔道家が礼儀正しくインタビューには知的に答えたり。などなど。あれやこれやとアスリートの印象的なシーンがあるが、兎にも角にもこの東京オリンピックの閉会とともに、全世界のコロナが収束するのが一番だな。

インスタ的

セミがうるさいぐらい鳴き続ける今年の夏の朝。昨年はなぜか静かな夏だった。それはコロナの影響だと思っていて、今年は盛大な大合唱なのでコロナが鎮まるはずなのに、また勢いを盛り返し、コロナと蝉は関係なさそうだ。それにしてもまた緊急事態宣言でなかなか収束しそうにないなぁ。そうそう庭の片隅で静かに後尾する蝉を見た。なんとも不思議な気分だ。暫くして気がついたらいつしか静かに飛び去っていた。

海の記念日は、しまなみ海道で自転車で走るのがルーティンになって7年ほど経過する。今年も。自転車で島と島を結ぶ美しい橋を渡るには坂道を登らなければならず、それが最初はタイヘンだったが、数を重ねるうちに慣れてきた。橋を自転車で通過する時、風を感じながら、海の景色を見下ろし、空を見上げると、こんな景色に遭遇した。

橋を渡る楽しさ以上に、フェリーに自転車を積んで島々を渡るワクワク感が独特に楽しい。和歌山の海は男っぽい荒々しい力強さを感じ、大海原の向こうにアメリカ大陸を想像し壮大な気分になる。瀬戸内の海は女性的で湖のような穏やかさを感じる。フェリーに乗ると海の向こうに島々があって、橋があって、造船所があって、集落があって、時折ピラミッドのような三角錐の山も見えて、箱庭の情景を見ているようで穏やかなワクワク感。

朝日を観るのはお正月ぐらいだったが、しまなみ海道に行くようになってから、さまざまな朝日を見てきた。上の写真の造船の横にある三角錐の積善山は南から北を見ている景色だが、西からその積善山を眺めると朝日とコラボレーションする。朝日が昇る前にオレンジ色に空と海が染まった。朝日の前に空と海の間で、両手をあげて腹出して穏やかに横たわる人。みたいなイメージ。

瀬戸内は穏やかな海。と言ったが潮の流れが激しい。「潮待ち」なんていうコトバを知ったのも自転車に乗ってからで、潮の流れが落ち着くのを港町で待機することで栄えた町に御手洗(みたらい)という集落があって、もう何度も訪れているが、何度行っても楽しい。ほんの小さな街の中に劇場があったり歓楽施設があったり時計屋さんがあったり。面白いのは、海上交通と海と島と潮の流れと集落が潮待ちによってひとつの独特の文化を生み出したことで。もはや観光地だが立ち寄るたびに不思議な気分になる。いまはインターネットという交通手段とパソコンと携帯がホームページとSNSという滞留によって新しい文化が生み出さる時代なのだろうか。そうそう御手洗の町の中の地元の人が通う食堂があって、そこのラーメンが素朴で美味しい。個性がない普通のラーメンなのだ。昔、家で母親が作てくれた普通のラーメンの味を思い出した。

 
 

暫く、しまなみに通っていると、お洒落なお店がどんどん増えてきている。アウトドーアーにキャンピングカーで芝生とパラソルと海と島。コマーシャルに出てきそうだ。流石に自転車乗っているおじさんにとっては暑すぎてクーラーのないカフェでは休憩できませんでした。

生口島の商店街の海側からの入り口に、以前から大きなエエ古民家があるなぁっと思っていたら、それをアマン創業者がお洒落なホテルと銭湯とカフェにしたらしい。外から見ただけだが、丁寧な漆喰塗りでお金を掛けたきっちりとしたリノベーションのようだった。チープさや素朴さがリノベーションの主流になってきたが、こういうのは外国資本でないとできない時代になってきたのかね。

木村工務店では、8月8日の日曜日から8月15日の日曜日まで、夏休み休暇です。皆さん、コロナ禍ですが、それなりに素敵なインスタ的夏休みを過ごしてみるのも如何でしょうか。

 

TOKYOオリンピックとコロナとPARIS

TOKYOオリンピックが開催されて、それなりの開会式だったとおもう。呪われた。とおもわず表現してしまいたくなるオリンピックメインスタジアムだが、そもそもザハのプランが採択されて、それが中止になったあの経緯から不穏なムードが立ち込めたな。まさかコロナで一年延期になるなんて誰が想像しただろうか。

ワタクシ的に一番良かったのは、人が入らない時でも会場の座席に賑わいがあるように座席の色彩パターンに独特の変化をつけたことで。本当に人が入らないオリンピックスタジアムになって、まさか、あの「座席」が、パフォーマーの背後で賑わいを演出するなんて。「木」を使ったメインスタジアムであることなんて吹っ飛んだよね。そうそう、ピクトグラムのデザインが1964年の東京オリンピックから始まった事をアナログなパフォーマーの演出によって改めて認識する機会を得たのが良かった。

そういえば、先々週のツールドフランスの最終日パリの映像に、コルビジェのサボア邸が、上空からのヘリコプター映像で流れて、フランス人の解説者がこの建物の事を日本語で翻訳して説明すると、それを聞いた日本人の解説者が、行ってみたい気分になりますね。っと言った後、「フツウ」の建物ですよね。白金にあるような建物ですよね。っと言った。知り合いも、後日この映像を一緒に見ながら、「フツウ」の建物ですけど有名⁈っと聞き返した。

そうなんだなぁ。もはや日本人から見ればフツウの建物にみえるこの建築を、諸先輩がたの建築家が、コルビジェをリスペクトし、日本の街の中にサボア邸を真似たようなフツウの建築を数多く出現させているコトが凄いコトかも。と思えてきた。サボア邸がフツウであるというコトバを聞いて、もう一度フランスの街並みはを観ると、確かにオールドでとっても美しいが、ほとんど時間が止まったかのようなオールドな建物の中に、エッフェル塔やガラスのピラミッドがあるルーブルやポンピドーやサボア邸などなど、ちょこちょこっと、新しい時間軸を積み重ねていく建築が、うまく混在しているのがパリをモダンに感じさせるのだろうか。

今週初め、コロナの第二回接種をする。昼過ぎインテックス大阪の会場では、いたってスムーズなオペレーションで進行し今回もあっという間に注射器が左腕に刺さって接種が終了した。別になんて事ないなぁと思っていたら、夜中に左腕のだるい痛みで一瞬目が覚めた。翌日は一日中左腕がだるかった。普段より熱は3分ほど高めだったが高熱には至らなく、いまは全く違和感はない。

コロナ禍のオリンピックが東京で開催され、次がパリであることが、なんだか特別な因果関係があるように思えてきて。何度も禍に遭い禍を払拭しようとしてカタルシス的に時間軸を積み重ねていくTOKYO。そのカタルシス的なオリンピックの後に、時間軸をうまく積み重ねていこうとするモダンな花の都PARISで開催されるオリンピックは、祝祭ムードのお祭り騒ぎになっているのだろうか。新しいモデルのオリンピックになっているのだろうか。

「地名」

今週水曜日の朝。庭で蝉の初鳴きを聞く。ミーンミーン、ミーンミーンとツーフレーズ鳴いて静かになった。夏がやってくる宣言のファンファーレのようだった。正午。お昼を食べるため会社向かいにある自宅で寛いでいると突然の雷。しかも光って直ぐゴロゴロドーンだった。何度も何度も繰り返し雷が響く。大粒の雨。暫くするとフツウの雨音じゃない。バチバチバチバチと音がする。よーく見ると、「ヒョウ」だ。えっとおもうほどの大粒のヒョウがバチバチ音を立てながら降り注ぐ。屋根は大丈夫なのかとおもうほどの大きさの氷の塊が空から投げつけるような強さで降り注いでいる。初めてみたなぁ。

玄関の扉を開けて外に出ると。道路が冠水していた。40cmほどの深さ。長靴がないと向かいの会社に渡れないほどの深さだ。親父が、かつて長屋だったこの家を建て替える時に、一番大事に考えていたことが、この場所は冠水するので、基壇を造って床下の高さを上げることだったらしい。そのお陰で床下浸水は免れた。

古い「地名」というのは、その場所の「土地」の形態、地形を表していることが多い。会社の住所は「小路東」という地名だが、小道(こみち)がいっぱいある場所として「小路」という名前は相応しいとおもうが。それは近年の事で、大昔からの大地があって、ある時人が住みだし、集落ができ、田畑ができ、人口が増えてくると、田畑を耕地整理して住宅地になって小道に家が立ち並び路地もいっぱいできた。そんな時代は、会社のある場所の地名は「大瀬」だった。きっと大昔、このあたりに「瀬」があったのだ。うちの家は大きな瀬の上に建っているのかもしれない。

すぐ隣町は「腹見」という地名で、天武天皇が飛鳥宮から難波宮まで興行した時に、通過地点のその辺りは、こんもりしたお腹のように盛り上がっていたという。天皇に娘さんがお腹を見せて踊り喜ばしたという逸話もあるが、まそれはそれとして、確かにうちの家から東の生駒さんの方角に100mほど向かうと微妙に土地が高くなっていく。水曜日の雨では、冠水はしていなかったようだ。近くにある地名には「深江」とか「片江」とか「中川」とか「猪飼野」とか「鶴橋」とか、その場所がどんな大地でどんな形態だったのかを次の世代のための記憶として留めておこうとするのが「地名」でもあるようにおもう。

西成の崩落したLIVE映像を見ると「崖地」に住むのは注意が必要だなとおもう。熱海の土石流の事故をLIVE映像で見ると「谷筋」に住むのは怖いな。「尾根筋」の方が良いよね。なんておもう。東京の地名を見ると「渋谷」とか「代官山」とか「下北沢」とかかつての土地の姿を想像させる地名が残っているが、数十年前に、大阪のうちの家の周辺は「腹見町」と「大瀬町」が「小路東」に町名変更になった。反対運動もあったらしい。ワタシはその場所の大昔の大地の形態が表現されている地名が好きだなぁ。

そうそう、中沢新一の「アースダイバー」という本のシリーズが面白く、大阪編も良かったが、最近読んだその神社編は圧巻だった。その巻末に「アースダイバーの試みをとおして、私は土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物とが、たがいに独立系をなしているのではなく、相互嵌入しあうことによって、複雑な統一体をつくっている様子を、あきらかにしようとしてきた。」と書かれてあった。

大瀬町だった頃のワタシの小さい時の記憶の中に、長屋だった家の玄関が冠水し、靴やスリッパがプカプカ浮いている記憶がある。一度だけでなく数度。その靴が浮いている姿を不思議そうに眺めている後ろで大人たちが騒めきあっている音の記憶が残る。おそらく親父のその時のその騒めきが建物の基礎を上げて基壇を作る設計と施工に繋がったのだな。

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