「音質」

  

ワビスケがピンクの花びらをつけて、サンシュウの蕾がでて、チューリップが土からにょっこり出てきて、春が始まりましたよっと告げているようで嬉しい。うちに梅の木がないのが残念。日差しも、風も、冬の感じから春の感じに変化しているのに、コロナ問題やロシアウクライナ問題がその春がやってくるワクワク感の袂を引っ張る風評のような感じで、微妙な空気感が漂う春前。

先週「領土問題」を書いて、その後を振り返ってみた。
ダイニングテーブルの隅っこにiMacが置かれてからそこが夜の居場所になって、テレビを見ながらモニターみたりしているうちに、初期のAppleTVがあるのを思いだして息子の住む家から連れ戻し設置すると、あらためてミラーリングが面白いことに気が付いた。なのでAppleTVを会社の打ち合わせ室に持ち込んで、社員やお客さんのiphoneやipadを大きなモニター画面で共有すると、コミュニケーションの質が向上し、シェーアしあうというオープンハートな雰囲気になるのがちょっと嬉しい。

で、AppleTV4Kの第一世代の中古が8000円台で売られていたので、手に入れてリビングのテレビに設置した。今まで、SpotifyはiphoneからそのSONYのTVに飛ばしていた。そのTVには、中音域を豊かにするため真空管アンプと小型スピーカーを繋ぎ、元々TVについているスピーカーで高音と低音を補って、同時に鳴らすセッティングにしていた。オーディオマニアのオーディオルームの音響からすると足元にも及ばないが、リビングで気軽にフツウに音楽が聴けて我慢出来るレベルの音質で、ま、これで良しとするか、みたいな感覚だった。

AirPlayなど使ったことなかったが、iPhoneやimacからそのシステムが付いたAppleTV4KにAirPlayしてみると、あれっ、Apple Musicのほうが「音質」が良さそうに感じた。そうか「ロスレス」というのは、圧縮して配信された音楽をCD音質の音に復元する技術なのか。CD音質に対してロスレスなのね。それに空間オーディオ、Dolby Atmosで聴くとより違いを感じ、音が空間認知されてとっても心地良い。

マイルスの「カインド・オブ・ブルー」の「So What」をSpotifyのそれと、Apple Musicのロスレスのそれと、空間オーディオのそれとをイヤホンとこのTVオーディオシステムで聴き比べてみた。Spotifyはなんかパッションがある感じでエエ雰囲気だが、Apple Musicのロスレスで聴くとディテールが伝わり繊細な感じで低音の輪郭がよりハッキリして聴きやすい。空間オーディオになるとそのうえ音に囲まれているような心地良さすら感じる。

って、書いてみたものの、ブラインドテストすると自信ないかも。と気弱になるぐらい、微妙でもあるが、イヤホンの品質やオーディオ装置によっては、より違いを感じるとおもう。今までSpotifyの音ってなんかフィルターがかかってごまかされていたような、そんなちょっと批判的なコメントが心のうちから発露して、それでネットで調べてみると、最近ニールヤングがSpotifyから撤退したという記事に遭遇した。音質が悪いのも理由のひとつらしい。確かにワタシのSpotifyのMyLibraryを調べると、ニールヤングのアルバムが消えていた。

このニールヤングの勢いに便乗して、SpotifyやめてApple Musicに変わるかも。とその場にいた奥方と長男妻に伝えると、一斉にイヤでーす。ダメでーす。と猛反発を食らう。家族会員として皆の分をワタシが払っていた。確かにSpotifyのMyLibraryとか便利で、ワタシもCD買うのを止めてSpotifyに支払って、充分我慢出来るレベルだとおもっていたが、「ロスレス」に遭遇するとディテールがあって疲れない音質の感じがするのだ。気のせいなのか。


最近 HomePodmini を2個手に入れて、4スピーカーにしてみた。こんな小さいのに素材感も音質も上質。でも個人的にはメインスピーカーにする気にはなれないが、AppleTVにある「大陸横断バイクの旅」をこの4スピーカーのシステムで視聴すると旅に出たくなった。「ドライブマイウェイ」もひとりで視聴した。音を楽しみたかったが皮肉にもラストシーンの手話で無音になる時間帯が心地良かった。Netflixも音的に楽しんでみるためにAppleTVから「浅草キッド」を視聴してみた。劇場感が丁度良かったか。あっそれとマゴ達がHey Siriと叫んで音楽掛けたり世界一高い山は?と質問するようになって、ワタシがHey Siri音楽掛けてというと、ポケモンの音楽が掛かるようになった。いまワタシはSiriにポケモン好きのシニア世代のオトコだとおもわれているのだ。

ディテールのある家が「家質」に関わるように、AppleとAmazonとSpotifyによる「音質」のせめぎ合いが面白い。

「領土問題」

3月になると一気に春らしくなって、桜が近づいてくる感覚がちょっと嬉しい。

そうそう!家庭内にも「領土問題」がある。
うちの家ではリフォームした時にリビンルームから半島のように突き出た1畳半ほどのワークルームを造った。古い呼び方では書斎。そのスペースの右手の窓は南面し東西に走る道に接しながら街の動きが感じられ、外の世界と境界線上に接する領土のような感じ。左手の窓は中庭に面して、奥方が生ける鉢植えの植栽と空が切り取られて見え、ちょっと内省的な感覚なのかな。で、そこはワタシのスペースとして設計当初に奥方の合意と快諾を得て、それまで持っていたレコードとかCDとかオーディオ機器とかアマチュア無線機とかWi-Fi機器とかそんなのの保管場所にもなって、ワタシにとっては湖に面するリゾート地的でワタシ寄りの文化圏であった。

そんな経緯があったので、リフォームが完成した当初からその場所を優先的に専用し、途中にモニターを買って、会社に持ち込むノートパソコンと接続するスタイルで、このブログはそこで書いていたし、机の周りのステーショナリーとか置き方はワタシ好みになっていた。時々奥方とシェアーしたりもしたが、古い家の2階に、そこもリフォームをしたのだけれど、奥方は自分専用の場所を持って机があり写真や絵などを飾って奥方好みの文化圏としてそこを完全専用し、奥方的山岳リゾートのような感じだった。ちょっと付け加えると、奥方は祖父から受け継いだ保険業務をやっていて、保険のおばさんでもある。

とはいうものの、ワタシのその半島のような場所の使用率は日曜日を中心とするだけで平日の夜にごくごくたまに使う程度の別荘地感覚だった。そんな平和な日々に、あのパンデミックが発生した。突然、在宅勤務にオンラインという流行が押し寄せてきて、その半島のような場所の使用率は格段に増えだした。それとともに、その快適そうにワークしている場所に密かに目を付けていた(ような気がする)奥方は、このパンデミックによるオンライン会議とやらのブームに乗っかって、ワタシの場所に進出してきた。ワタシもそれは全然「イヤ」でなくむしろ歓迎し協働でシェアーする喜びを感じていた。

その半島でのオンライン会議を中心とした奥方の使用率が増加するにつれて、奥方の赤い色のノートパソコンが常設的に置かれるようになり、紙の書類やボールペンなどのステーショナリーがどんどん増え、ファイリングされた保管書類が置かれだすと、その半島の文化が様変わりした。建築をやっているひとあるあるだとおもうが、自分好みのシャープペンとかステーショナリーにコダワリがあったりして、なんか机の上の感じが好みと違うなぁ…..なんて。

ワタシが使用する時は、まず机の上を自分好みに片付けることから始まり、そのことでおもわずグチのような叫びが発生してしまうと、奥方との間で小競り合いが勃発しだした。40年近くの共同生活の経験値から大事に至らないような和解方法をお互いに駆使しながらも、気が付けばほとんど奥方の場所にワタシが間借りしているような状況になってきた。もちろん奥方も気を使ってレコードとかCDとかの街並はそのまま保存してくれて、ワタシの文化と奥方の文化が融合されたような雰囲気は演出してくれていた。

この感覚があっているかどうか。オトコのワタシの武器は大陸間弾道ミサイル程度のものだが、オンナの奥方の武器は原子力爆弾クラスだとおもう。一度発射されると全てを破壊し後遺症も残り世界が終わる。熟年になるとたまにそんな核保有国であることをチラつかせるし、いつでも発射する用意があるのよぉ!みたいなニュアンスの言動が抜群のタイミングで発動される。それに反発し対抗して、我が領土を守るためにワタシの正義を盾に武力行使にでて、この場所を奪還し元の場所に奥方を追い返すというやり方もあるのだろう。

国譲りをすることに決断したのが昨年の12月初めだった。古代日本の方法論に学び、その半島のようで快適な場所は奥方に譲ることにした。その替わりに、ダイニングの大テーブルの端に常設のパソコンを置きワタシの居場所として保護地区になるよう交渉と協議に入った。数ヶ月前に出たアップルの「iMac」の背面が、デザインされていてその場所に置いても違和感なくオシャレに感じる雰囲気があり、奥方好みの色もあって、アップルのサイトにあるバチャールで設置した雰囲気を検討し合いながら、黄色のiMacなら奥方が出資してくれることになって決着した。

いま、奥方はその半島のCDやレコードの街並は活かしたまま自分好みに独占している。その日以来覗き込むことがあってもその場所に座ったことは一度もないが、奥方の使用率が高く快適で楽しそうな雰囲気が嬉しい。ワタシは新天地での使い方を工夫して新しい文化を生み出さそうと模索する日々を楽しんでいる。昨年末から今年に入って、このブログはこの地からアップロードされている。

そんなこんなで、穏やかな春でありますように。

THE DAY

「THE DAY」というコトバがあって、スキーでは、快晴の天気でパウダースノーの日を言うらしい。最近はそんな日に滑れることに憧れる。ここ30年近く年間で滑る日数は7日未満で滑らなかった年もあるからそんな日に遭遇する可能性はほとんどない。星野リゾートの星野さんは年間60日滑るらしい。北海道に泊まって夜の間に雪降って次の日の朝にそんな日が1、2度あったが、当時の板はカービングのファットでもなかったので、そんなに楽しく滑れなかった。十年ほど前に会社でマイクロバスを仕立て、皆で岐阜に行った日は、雪が降ってパウダーで、カービングのちょっとファットだったので、雪が背後に煙のように立ち上がる気持ち良さを味わい未だに記憶に残るが、快晴ではなかった。

23日の祭日は、前々日から雪が降って「THE DAY」の可能性もあって、雪の滋賀のスキー場をやめて曇りの岐阜のスキー場にした。この歳になると雪降る日より晴れの方が断然エエ。結果、とってもグッドコンディションの日で太陽もみえたが、パウダーではなくTHE DAYとは呼べなかった。選択したスキー場がまずかったかも。激しく追い求める気性でもないので流れに身を任せTHE DAYに遭遇できる日を楽しみにしようとおもう。

24日は全く嬉しくない「THE DAY」になった。アメリカの報道でなんとなくその日を予感していたが、ロシアがほんとうにウクライナに侵攻するとは。そこまでウクライナを追い込みたかったのか。そこまでロシアは追い込まれていたのか。メリットあるのか。経済どうなるのか。やっぱりオリンピックの後なのか。みたいな感覚で正直微妙にピンとこないワタシだった。

26日土曜日は3回目のワクチン接種の「THE DAY」だった。先週の中頃に接種券が届くと、大規模接種会場の予約はいっぱいで、近くの医院に電話で予約すると3月の前半になるとおもいますが、私ひとりで予約管理してますので確定しましたら電話をしますので暫く待って下さい。といわれた。タイヘンだな。ま、暫く待ってみるかとおもったが、月曜日になっても電話がなく。火曜日になんとなく大規模接種会場の予約サイトを調べるとまだ余裕があった。なぁんだ。とおもい土曜日夕方に予約して、医院の方には丁重にお断りした。夕方Ocatでスムーズなオペレーションのモデルナを接種した。

27日今日の日曜日の朝は、左腕が微妙に重かった。それに微妙に酔いそうになる前の気分にも感じたので、布団に入ったままテレビを付けると、安部元首相と橋下元大阪府知事の対談だった。なるほど。次に関口宏の番組で寺島実朗氏の話を聴いた。なるほど。布団のままワイドナショーを視聴する。松本人志はコロナ陽性になったのか。筑波大学中村逸郎氏の話を聴く。なるほど。ようやく起きて、風呂入って食事して音楽聴いたりで、体は腕の違和感以外は大丈夫そう。昼から、「そこまで言って委員会」を視聴する。録画でたまに視聴するがリアルタイムの放送は久しぶり。コメンテーターの人選が良くて、いつもながら面白い。大阪だからこその番組なんだろう。そのコメンテーターの意見を聴いているうちに、少しずつだが、ロシアとウクライナとEUとNATOと国連とアメリカと中国と日本の関係性がみえてきた。なるほど。

全世界の人々が、日々是好日(にちにちこれこうにち)と日々を過ごせるのは、ムツカシイコトだなとあらためておもう。

 

寅年寅月寅日

寒い日々が続く。この凜とした冬の感じも好きだが、あっというまに2月後半になって3月もすぐそこ。小さな梅の花がちょこっと咲いたりして、春が少しずつ近づいてるような気がする。3月の一週間過ぎれば大阪の「まん防」は解除されるのだろうか。3回目のワクチン接種の封書が来たが、どうも予約がスムーズにいかない。このスムーズにコトが運ばない感じが、いまの空気感そのもののような気がする。

「五黄の寅年」というのがあるらしい。寅の年の寅の月の寅の日というのがこの2月18日で次は36年後だとか。で、うちの奥方は、寅のお寺として有名な奈良の朝護孫子寺に友人と一緒に出向いて金運招福「銭亀御守」とやらを手に入れ、神棚に飾って、笑顔だった。自分の財布を持ってそのお寺の一角にある銭亀堂にかざすと金運が上昇するらしい。なので財布をかざしたという。一枚の千円札がそこにかざされ持ち帰り私の財布の中にそっとしのばされた。それを使わずに入れたままにしといてやっ!そうすると金運上昇するからねぇ!とお達しがあったが、ワタシの財布のなかにもともとあった千円札と交換させられて、早速の銭亀御守の御威光か、そういうところはキッチリしてはりました。半信半疑で戸惑いながらも既に金運が上昇したような気分になって喜んでいるワタシもそこにいて、それにしても銭亀とはちょっとグロテクスな呼び名だな。

調べてみると昨年は自転車で十三峠や葡萄坂をヒルクライムした時にその朝護孫子寺に8回訪問したようで、その銭亀堂の前も何度か通過しているが、まるで改札機にSuicaをかざすようなそんな風習があるとは全く知らず、今年からは毎回財布をかざして通過儀礼として楽しもうとおもう。そうそう今年になってまだ一度も自転車に乗っておらず、今日など乗れそうな日和だったが、大阪は土曜日の夕方から雨がそこそこ降って朝起きると道がまだ濡れていたし、寒いし、自転車に乗るのは躊躇してスーパー銭湯の朝風呂で体を温め、家で「音楽を聴く」日曜日だった。

最近、レコードをかけることがあってもCDを聴くことがほとんどなくなった。iphoneのSpotifyで真空管アンプが接続されているディバイスの小型スピーカーにWi-Fi接続して聴くのがメインで、どうせ大きな音はだせないし、そこそこの音質でしかないので、それならイヤホンで聴くほうが良い時があって。「e イヤホン」が大阪日本橋に出来た当初はよく通ったが、まさかこれだけイヤホンが進化し伸びる業界になるとは。紅白歌合戦では、まず歌手の耳に興味がいって、どんなデザインのイヤホンをしているかをみたりする。その当時はUltimate EarsのTripleFi 10イヤホンを買って今も愛用しているが、完全ワイヤレスになってからはSONYにしたものの、空間オーディオなるものを聴こうとするとAppleMusicとAirPodsProの組み合わせになるのだろうし…..なんてイヤホンの購入を悩む。大きな音でアナログなステレオ音を聴きたくなったら大熊さんがやっている生野区のBarソケットにレコード持参で通うことにしている。ま、家風呂に入るのとスーパー銭湯に通うような感覚の違いなのか。

そうそう「音楽を聴く」はネットで大丈夫だが「本を読む」ことの方が最近問題で、本屋さんへ気軽に通えなくなって、やっぱりネットを通じたKindleだけだと、どーも本を読む継続感が途絶え、選択する本が単調で、ますます貧弱な脳になっていく感じがする。やっぱり本屋さんで本に出会いたいなぁ…..とおもうこのコロナ禍。

トラトラトラの運気にあずかりながら、そろそろフツウに出歩き出会える社会に戻って欲しいとおもう。

白い気分。

冬期オリンピックの白ぽい週。さまざまなドラマが展開されてやっぱり面白い。オリンピックのスポンサー的権力の強い開催が必要かどうかの議論も理解出来るし、もはやど派手で趣向を凝らした開会式より厳粛で儀式的な小さな開会式で良さそうにおもうし、施設に費やすお金が都市にとってムダなお金の使い方だという意見もそうだな。とおもうものの、「人類史上最高難度のルティーン」というコトバを聞くと、身体の極限の可能性を追求するスポーツの特別な祭典として、やっぱりワクワクしてしまう。

日本人のメダルを取った人も取れなかった人も、ギラギラした闘争心むき出しや悔しさが噴出する態度でなく、なんだかやさしい言葉遣いと心のありように、エエなぁとおもうし、死力を尽くした敗者の美しさも感じたりした。ドレッドヘヤーに穏やかな語り口の組み合わせが現代的な感じがし、あの夏の東京オリンピックで「真夏の大冒険」も印象的なコトバだったが、それぞれがそれぞれなりに真冬の大冒険に挑戦している姿に感動しているような気がした。

そういえば、確か小学生の頃に開催された札幌オリンピックの「日の丸飛行隊」というコトバに象徴されるスキージャンプ競技で、日本人がメダルを独占する姿を見たあと、同級生達と一緒に、かつて祖父母が寝ていた座敷の畳に布団を敷いて、その布団の上に向かってあのジャンプ姿勢をしながらスキージャンプごっこで飛行隊気分になって遊んだのを想い出した。祖父母も両親も亡くなり、その座敷は私たちの寝室とクローゼットにリフォームしたが、何かの瞬間に、この場所で、スキージャンプごっこやプロレスごっこをした姿がふっとよぎる時がある。オリンピックは子供心に何かしらのインパクトを残すのものだな。

木村工務店内は、相変わらずオミクロン株の家庭内からの陽性者や濃厚接触者発生で、社内的には混沌としている状況があって、この週末は3連休とする社員がほとんどだった。ワタシも土曜日は、ひとりスキーに行く。今年3回目。そういえば、長男家族がこの三連休を利用してキャンプに行くと、回りのほとんどが、ひとりキャンプのオトコたちばかりで、子供の走り回る声が響いて、気を使ったわ!といっていた。ワタシは、コロナ禍の影響で、昨年から、ひとりスキーにいくようになった。それまで家族とか友達とか社員協力会社の仲間達とか、とにかく数人でしかスキーに行ったことがなかったが、高速道路の発達と、車に搭載されているレベル1か2程度の自動運転機能のお陰で高速道路での緊張感と疲労感が半分以下に減少した。4駆スタッドレスの安心感もある。

早朝起きて車を運転し、朝8時過ぎからぶっ続けで4時間ちょっと滑り続けて、午後1時頃には滑るのを止めて着替え、おにぎりやパンを軽く食べながら車で帰宅すると夕方5時前には到着し、家でゆっっくり風呂入って、ゆったり食事をするっていう、どうみてもシニアなパターンだな。スキー場のあのザワザワした食堂でお昼の休憩がてらビールを飲んでしまうと問題ありだし、落ち着かないあの雰囲気と密集も避けたい状況もあって、それに自転車に乗るようになってから、ひとりの持続的な時間感覚を楽しめるようになったのが大きいし、シニア料金がガツガツ感を和らげているようにおもう。

2月10日金曜日が今年の初午で、最も運気が上がる日だという風習に従って、会社のお稲荷さんに祭礼するのが、伝統的な木村工務店ルーティンで、協力会社の精親会メンバーと飲んだり食べたりするのが通年だったが、今年はオンライン開催とした。とにかく白い気分が漂う週だった…..。

共有したり共感したり

木村工務店内のオミクロン株感染が落ち着くのかと思っていたら、家庭内感染からの濃厚接触者や感染者が発生し、自宅待機になって、こういう状況に遭遇すると、復帰してきた感染者が、なんというか余裕がある表情で笑顔で仕事をしていて、もはや集団免疫状況ではないのかとおもえてきて、無症状の感染者に早くなるほうが緊張感無くホットした安心な気持ちで社会生活をおくれるのではないかという微妙な気分になる。

冬期北京オリンピックが開催されて、政治とオリンピックの関係性を揶揄する気持ちも理解出来るし、開会式のセレモニーがカッコエエのかどうかの必要性はもはや微妙で、あのわざとらしい小さな聖火台の演出もどうでもエエような気持ちにもなるが、それにもかかわらず、同じ人間としての肉体なのに、こんな肉体的なスピードと演技の可能性があるのかと視聴し、出来もしないのにワタシも挑戦してみたいと夢見たりするところにオリンピックの面白さを感じる。

スキーをするワタシとしては、モーグルに一番の緊張感と魅力を感じて好んで視聴する。銀メダルにおわった王者カナダのキングズベリーのスムーズに簡単に滑り降りる姿を見ると、ワタシも出来そうな錯覚にとらわれるのが好きだ。現実的にはコブの上に立つとそんな可能性が全くないワタシであるコトも重々承知。当然勝つつもりだったキングズベリーに対して金メダルのスエーデンのバルベリと銅メダルの日本の堀島の果敢で挑戦的な滑りに興奮したものの、ミスのあるなしが金と銅の勝敗を分けるのが勝負の世界としての厳しさなのだろう。

競技後の堀島選手のインタビューで、「予選1本目からつらかった。このメダルとか、最低限の結果が残らないと、競技がしてられないんじゃないかなとか、ネガティブな気持ちがあった。4年間そうやってやってきて、昨日もつらかったし、今日の朝もつらかった。最後の一本滑りきるまで、安心できなかったが、(2人を残して)1位、メダルが確定した時に、ホッとした。安心な気持ちになれた」素直に辛いという気持ちを表現する姿にグッときて共感し、奥方など心配でLiveで見るコトでけへんわ!と語っていて、今考えると無意識で何人もの日本の視聴者が彼の辛さを共有していたのだろう。選手の喜びと苦しみを共有し共感してしまうところに、オリンピックという4年に1度の特別感があるのだろうか。

そうそう、今日の日曜日は今年最初の住宅相談会があった日曜日で、オミクロン株の危険性があるなか、CO2メータで換気のタイミングを観察し、お茶珈琲を廃してペットボトルだけの打ち合わせにして、できるかぎりの感染リスクを排除した相談会になった。

ひと組めのAさんは、仕事上のお付き合いもあるご夫妻で、マンションリフォームのプランを即興的に一緒に考えながら時間を共有するのが楽しいし、今回の担当者タカノリも一緒に格闘する2時間に、ちょっとした緊張感も共有した。二組目のBさんは、20年前のビフォーアフターに出演した時のことを記憶に留めて頂いて、終の棲家のリフォームのために参加くださった。やはり即興的にプランを考えながら予算のことも含めて、これからのライフスタイルを一緒に悩める時間に共感がうまれたりする。三組目のCさんは建て替え新築工事のプランを持参されてお越しになった。概算見積をどのように進めていくのか、実施設計はどうするのか等々、新築の家づくりをどのようなスタイルで建築するのかは、誰もが悩ましいコトだとおもう。

共有したり共感したり、そんなのをオリンピックでも設計でも感じた今週だった。

濃厚接触者と室内環境

木村工務店でも陽性者や濃厚接触者が発生し、オミクロンな一週間になった。陽性者が肉体的にタイヘンなのが最も憂慮されるべきことだが、濃厚接触者になると無症状でも10日間自宅待機になり、それが最近ようやく7日間になったが、エッセンシャルワーカーのように接種済みなら5日間でも良さそうな気もするが、とにかく肉体的に支障がなくても仕事ができない状況が続き、個人としても会社としても辛い状況下である。明後日からはそれぞれが復帰して通常業務になりそうだ。

そんなこんなで、打ち合わせが中止になったり、オンラインに変更になったり、日曜日の朝のワイドナショーを見ると松本人志が濃厚接触者で休んでいたり、大阪国際女子マラソンを見ると沿道の観客が少なかったり。そういえば、慣れ親しんでいる大阪だが、あらためてマラソンランナーとともに街並が流れる映像をみると、どんな街になればエエのか…..とおもう。

それで、こんな状況に遭遇すると、それぞれが濃厚接触者にならないように気を使うしかなく、濃厚接触者の定義としては、「マスクを外して15分以上の会話」が基本になるようだが、車の同乗者が濃厚接触者になる記述があって、その曖昧さ故に車の同乗者の社員1名が無症状だが濃厚接触者と判断されることになった。ところが昨日、ようやく繋がった保健所からの電話で確認すると、マスクをしての同乗者なら濃厚接触者にならないという判断らしく、建築現場には職人さんたちが車に同乗して行くことがほとんどなので、マスクして会話をしない同乗者を濃厚接触者としないという判断は有り難い。

やはり「マスクと換気」らしい。なので、マスク会話はもちろんだが、来客の打ち合わせ時に、お茶や珈琲をだすことは暫く中止することにして、マスクをとるタイミングを無くすことにした。また換気をビジュアル化するために、社内や打ち合わせ室にCO2測定器を設置した。厚生労働省の資料によると二酸化炭素濃度は通常外気では400ppmぐらいらしいが、室内で1000ppm以下なら大丈夫らしく、室内の二酸化炭素濃度を 1000ppm に維持することは、1人あたりの換気量として毎時約30m3 を確保することに相当するという。来客者との打ち合わせ室では、機械換気がある環境下で、CO2メーターで濃度をビジュアル的に確認チェックしてもらいながら打ち合わせをすることにした。それと資料にはダイソンなどで有名なHEPAフィルタ方式の空気清浄機に、空気中のウイルスを低減させる効果があることは明らかである。なんて書いてあって、機械換気と併用してHEPAフイルタの空気清浄機を設置することがウイルス対策としても効果があるような記述だったので、併用しようとおもう。

そういえばその資料によると機械換気がある部屋の室内温度は17度以上28度以下で相対湿度40%〜70%となっていたのが、いまさらながら印象的に感じたので、あらためて調べる。2020年11月頃の厚生省の資料で、確か一部を読んだ記憶があるがその時はリアリティが薄かった。2年ちかく経過し、このオミクロン株になってようやく室内環境を科学的に考える現実感がでてきたワタシ。呼吸器系と循環器系疾患は低室温との関連があり、健康影響を防止するため、一般的な商業施設等においては、室内温度を18°C以上に維持することが推奨される。とあり、相対湿度が40%以下になるとウィルスの生存率が高いらしい。ここ最近の寒い日々が続く休日あけの月曜日の朝の会社の室内温度は12度ぐらいの時があって、18度近くになるまでに2時間以上必要な時がある。室温 24.2°Cの実験室で一晩過ごした者の血圧は、室温 13.9°Cの者と比較して有意に血圧が低かった。とあり、ヒートショックのことを考えても冬の室温の大切さをあらためておもう。

室内環境に気配りをするのが、濃厚接触者のコトを含めて、お客さんや社員のために大切な事だな。住宅の室内環境を冬でも18度以上湿度40%以上に保つコトが大切だな。そのための断熱気密や窓の性能値や換気も大切だな。室内環境による居心地良さを科学的に考える時代だな。とあらためておもう今週だった。

人流抑制と人数制限

コロナ、オミクロン株の猛威の影響が、あちらこちらで出てきて、家庭内の家族が発症すると、濃厚接触者になり、まずは自宅待機になるので、出勤できなくなったり、現場の作業に行けなくなったり、そんなのが現実的に発生している。「人流抑制より人数制限」らしいが、わかるようなわからないようないまいちピンとこず。「検査せず症状のみで診断する」とかは、もはや普通の風邪とちゃうのぉ!みたいな気分になる。いつ発症してもおかしくない状況がワタシの周辺にもあることは確かだ。家庭内でもマスクするのか。

なので、1月第三土曜日恒例の「お餅つき」は、お施っさんを含めたお客さんが大人数集まる楽しいイベントなのだが、流石に今年も開催しようとする気になれない。毎年2月初旬に実施していた、協力業者の職人さんが大人数集まって、会社の方針や現場での心構えなどを伝え、皆で飲んだり食べたりしつつ、コミュニケーションがスムーズにいく関係性をつくりながら、商売繁盛と安全祈願祭を願う「初午祭」もその「人数制限」にひっかかるイベントなので開催を中止にしようとおもう。

そういえば、1月10日前後の商売繁盛を願う「戎っさん」は、会社から歩いていける布施の戎っさんでお参りするのが毎年の事で、整然と一列に並びながらの参拝になって、鐘や太鼓のリズムに乗っかって、押し合いへし合いしながら押しくらまんじゅう的に活気をもらう楽しみは、遠い過去の出来事のような気がしてきた。そうそう、うちの奥方が「戎っさん」の鳥居、金色に塗られてたでぇ!なんか凄いわ。って言ってたので、どんな塗装になったのか楽しみにしていたら、銅板で鳥居が巻かれていた。金ちゃうで、銅やでぇ!と突っ込んでおいたが、笠木だけを銅板で巻くのはありそうだが、柱から鳥居全部を銅板で巻くのは、ちょっと下品のような気もするが、なんか大阪人的で、商売繁盛しそうな鳥居の感じもして、まっエエとしょ。みたいな感覚。

蛇足ながら、10日の日曜日の夕方は、ぎゅっと人が密集して参拝するスタイルから整然と一列に並ぶスタイルになったので、布施の商店街の中に長蛇の列があって、皆さんの根気強く整然と列をなしながら参拝する姿にため息がもれて、ちょっと躊躇して、それで商店街で人気のお寿司屋さんに並ぶことにした。翌日11日の朝のガラガラで空いている時に参拝したが、その直後、唐突に、寿司屋さんに並ぶより、戎っさんの参拝に根気強く並んでいる人に商売繁盛の神さんがやってくるのかも。なんていう気分が心のなかをすっっとかすめていった。

今週、高野山の壇上伽藍のある敷地の道路を隔てた前で、人力車の車庫件ゲストハウスを施工している、その現場を見に行くと、薄らと雪で覆われた高野山全体が、独特のビシッとした空気感のある世界だった。この時期は通常、日本人の観光客がほとんど居ず外国人の観光客がパラパラいる程度らしいが、コロナ禍の人流抑制の影響で、全く観光客が居ない感じだった。人気がない静けさと雪のピリッとした雰囲気が、ワタシの気を引き締めてくれて、このまま一日散歩したい気分になった。

人流抑制され人数制限されて、整然としてビシっとした世界を味わえるのも心地良いが、人流溢れ人数無制限で混沌とした世界が懐かしいなぁ。

木の給水塔

寒い日々が続く。各地の雪かきがタイヘンなのが伝わってくるぐらい雪が多い年だ。スキーにはちょっと嬉しいけど。寒くて自転車は乗る気にならないし。朝からお風呂屋さんで体を温めた日曜日。

コロナ禍になって夜の外出がほとんどなくなり、家で食事とともに飲むことが多くなって、そんなに酒飲みでないワタシも、オーガニックワインを買って楽しむようになった。ラベルもちょっとモダン。で、今まで、寝落ちなんてほとんどしたことがなかったのに、コロナ禍でワインなど飲むようになってから時々居間のソファーで寝落ちする。それが問題なのは中途半端に目覚めた時なのだ。

先週の夜。ワイン飲んでNHK BSを見ながら寝落ちして、夜中にテレビ画面からの観客の歓声と音楽で目が覚めた。サイモン&ガーファンクルのNYセントラルパークのコンサートだった。1981年9月らしい。その時と丁度同じ時期のワタシのことを想いだしながらグッとくる。決して、ファンでもないが、嫌いでもないし、レコードを持っていないのに、ほとんどの曲を知っているのが不思議なくらいだった。このコンサートの存在は知っていたし、大阪でもコンサートがあったはずだ。

で、音楽以上に気になったコトがあった。「ステージのセット」がカッコ良いのだ!その魅力に引き込まれて最後まで見た。そういえば、昨年末の紅白歌合戦を最後まで見たのは、開演と同時にバックで見えた綺麗な花のステージセットが目を引いたからだ。その花のセットがどんなふうに様々に展開されるのかに興味がそそられた。サイモン&ガーファンクルのNYセントラルパークのセットは「木の円筒状の給水塔」だった。

いやいや、先ほどまで、それはセットでなく、実際にセントラルパークのステージのバックに、そんな木の給水塔があるのだとおもっていて、ストリートビューで調べたが、存在しなかった。それでググってみると、NYはいまだに木の給水塔が存在しているのだと知る。ちょっとした驚きでもあった。えっ!とおもいストリートビューで探検すると、確かに、あの摩天楼のビルの上には、未だに木の円筒状のカワイらしい給水塔があるのではないか。とっても残念だなぁNYに行った時に意識して見ておけば良かった!

なぜ木で造るのか不思議におもう。日本の木の樽とは違う感じだ。NYは、夏暑く冬寒いので、木だと夏は水を冷たく冬は水を凍らさずに保てるらしい。プラスチックは経年変化で壊れやすく、コンクリートはひび割れ、鉄は錆びる、木は熱を通しにくく水が傷まず美味しいし50年ほど持つらしい。なんとNYの屋上で「木」の文化を再発見した。

ググっていくうちに、このステージを担当したアートディレクターのサイトに辿り着いた。こんなNYの屋上をイメージしたステージだったのか。かっこいいなぁ…..右のシルバーの煙突の横の三角形の屋上に上がる階段の扉からサイモン&ガーファンクルが出てくる演出がとっても格好良かった。黒い壇上のステージの上にはstuffのドラマーのスティーブガットが鎮座していた。そのstuffのコンサートに行ったのは確か1981年頃のような気がする….。

50万人が無料で集まるコンサートの雰囲気に温かみがあって壮観だった。当時のワタシを想いださせてセンチメンタルにさせる雰囲気すらあった。いや、それ以上に、「木の給水塔」に心奪われたのだ。ま、とにかく、寝落ちして良かったとおもう時がある…..

年頭所感と雪の関係性

木村工務店の初出は1月6日で、毎年、施工もさせて頂いている地元の氏神さまの清見原神社に参拝するのが慣わしで、社員だけでなく職人さんや協力会社の精親会のメンバーも参加し、拝礼と御神酒を頂戴する。その後、新年会をするのが伝統のようなものだったが、流石にコロナ禍なので、昨年と今年は中止することになった。

その新年会の席で、社長が年頭所感を話すのが伝統でもあって、私も社長を引き継いでから年頭所感を話すようになったが、2年も続くこのコロナ禍を経験することで、新年会という宴会よりも、社員と職人さんと協力会社の皆が一堂に会し、新年の賀詞交換をすることに意義があり、その会場で昨年の木村工務店に対するご協力への感謝の意を伝え今年の抱負を語ることに目的意識があるのだと、再認識させられたりして、そんなこんなで、神社参拝のあとは、木村工務店の加工場に集合し、精親会会長の材木屋さんの岡房商店の岡本会長と木村工務店社長の私が年頭所感を述べて、小一時間の賀詞交換会を終えた。

その年頭所感に何の話をするのかに、案外悩むのだ。年末に送付されてくる新建ハウジングという工務店の専門誌の「住宅産業大予測」というのが、ネタ元になることが大いにあるので、12月29日、30日、31日の三日間で読むのだけれど、年末のバタバタの合間なので、脳内への定着率が極めて低い。

今回の本の中で、ワタシ的に参考になったコトバが「社会関係資本」だった。「企業の受注の3割は社会関係資本=つながりからもたらされている」と書いてあって、人と人との関係、つながり、関係性、信用、信頼などを社会関係資本というらしい。ということは「まちのえんがわ」は「縁をつなぐ場」としての「社会関係資本」にあたるのだろう。本には「地元のいろんな場に出て行ってつながりをつくり貯金をしておく」なんていうコトバが書いてあったが、それぞれの地域にある会合は、そんな感覚なのだろうが、「まちのえんがわ」は貯金されない流動的な社会関係資本としての人と人の縁をつなぐ縁側であるようにおもった。

その年頭所感を考えるにあたって、1月1日、2日は、正月行事でバタバタし、年頭所感のプレッシャーが微妙に脳裏にはあるものの考える気力もなく過ぎていくし、お正月も3日目になると体を動かしたい衝動を抑えきれなくなり、スキーに行くコトが多い。そういえばかつて1月5日のゴルフコンペは木村工務店の伝統行事であり、祖父と親父がその段取りをし、4組ほどのコンペとして、会社関係を中心に地元地域の人など、つながりのある人が参加していた。それこそある種の社会関係資本だったのだろうが、私の代になってから、これは引き継がなくなり、ひとつの社会関係資本を失ったのかもしれない。

今まで思い起こせば、年頭所感は、ほとんどスキーで宿泊するホテルでの朝に考えていたのではないかとおもう。リフト待ちやリフトに乗っている時にふっと内容がよぎり思考する時もあるのだ。きっとワタシにとっては白い雪の世界が、脳内を真っ白にすると同時に、新鮮なコトバが湧いてくる瞬間でもあるのだとおもう。

そうそう今年は長男家族と合流し孫と一緒に滑れたのが、ちょっと嬉しかったのだ。

1 13 14 15 16 17 39