秋分の日と私
ようやく涼しくなって、嬉しい。というか、この猛暑によって体に負担がかかっていたのだなっ。とあらためて気付く。あるひとと建築の話をしていたら、冬のお風呂で倒れるひとは、ヒートショックというより、冷たい体で熱い湯に急に入って熱中症になっているからだっ。という見解を聞いた。なるほどっ。熱中症になる感覚を皆で共有できる猛暑の夏だったようにおもう。

そうそう通路の陳列のなかに生け花が飾ってあって、歩いて通り過ぎながら、眺めて「秋の気配」を感じた秋分の日の朝。写真撮って、家に帰ってから見たら、ガラスの反射越しに「私の気配」もあった。あれっ、漢字の「秋」と「私」はあらためて似ているねっ…..
「秋」という漢字のへん(左側)は「火」で、その右側が「のぎへん(禾)」に「火」を加えてできた漢字です。秋に穀物を天日干しして乾燥させる様子を表しているため、穀物を示す「禾(のぎ)」と「火」が組み合わさっています。 と書いてあり。
「私」という漢字のへんの部分は「禾(のぎ)」です。この漢字は、禾と音符の「厶(シ)」で構成されており、穀物を囲い、自分のものとした穀物の意味から転じて「わたくし」を意味するようになりました。と書いてあった。そうなのかっ。私という感覚は穀物を自分のものにする感覚なのか…..。

その秋分の日の午後。関西大学の木造設計製図の授業があり、後期の前半だけなので3ヶ月ほどだが、そのお手伝いするようになって10年以上が経過する。ここ数年は、木構造担当の下山さんが授業の最初の日に「木構造設計の基本」という、木造の構造の考え方のレクチャーがあって、それがとっても良く出来ていて、楽しいし私も学べる。学生や工務店や設計者に向けて全国行脚したらどおっ…て、授業後の飲み会で伝えてみた。
授業は意匠担当の米谷さんと構造担当の下山さんと工務店の私の3人チームで担当する。私の役目は「ものづくり」としての建築を伝えるコトで、うちの会社でもそうだが、設計をやっていると、建築が、ものづくりとして、大工さんや職人さんの人の手作業によって造られていくことを忘れがちになってしまう。特に木造は手作業に頼る部分が多い。森林から取れた4mや6mの長さの木材を使ったリアリティーのあるオーソドックスな木造の設計と製図を学ぶ授業でもある…..。
そういえば、私が、木村工務店に入社した当初。今は亡き父、木村正一が木村工務店の専務で、私と二人で住宅の設計のプランを担当していた。その時に、父は、石井修さんと同じ吉野工業の建築学科で学んで、木造の授業が素晴らしかったけれど、お前は、全然、木造のコト学んでないし、解ってないなっ。大学では木造を全く教えへんのやなっ。と何度か言われたものだ。先日亡くなった木村工務店の工事部長だった福本さんの圧倒的な枚数の手書きの「木造の施工図」から木造の設計と木造の現場を学び、その図面を現場で見た、大工さんの立ち居振る舞いと叱咤激励の言葉から木造のリアリティーを理解してきたようにおもう。
「秋と私」そんなメンタリティーな、いまとここ。