雨の初出と新年会と日曜日の関係性
今年は、多くの会社が、1月6日月曜日が、初出だったようにおもう。木村工務店では私が入社する以前から、初出は1月6日と決まっていたが、入社して40年以上経過するものの、1月6日の朝に雨だった記憶がない。清見原神社の境内で誰かがこのお正月の初出に傘差した記憶がないなぁ…..って呟いてる声が聞こえた。確かに、傘をさして、清見原神社に参拝した記憶がないのだ。それで、ChatGPTに「1980年以降の1月6日の大阪市の天気を教えてください」と聞いてみると、「エラー」が返ってきた。こういうコトは答えられないのだな。不思議に感じて、グーグルで検索すると、気象庁のサイトだけが表示され、「ある場所の1月6日をピンポイントとして天気を知り、それを年ごとにお天気データとして表示させる」なんていう具体的な方法でないと天気を知れないのだと知る。
気象庁のサイトにはいると、場所と年月日付を選択すれば、1月6日の1時間ごとの値が表示されるが、それでも1990年以降にしか降水量と日照時間と天気のデータは表示されない。また、2009年以降は表示データがより詳細になり、天気としての表示記号がなくなり、詳細な降水量で天気を判断する形式になって、感覚的な天気記号の部分が排除されていた。きっと、いまでいう、DX化が進んだのだな。
ちなみに大阪市1990年1月6日午前9時は、降水量0.0mmで日射量ー データなしで、天気は●で雨だった。データから解釈すれば、傘をさすほどではない雨がほんのちょっとパラパラ降る時間だったと予想される。ちなみにちなみに、1990年と1992年と2007年は、1月6日午前10時頃に、降水量が1mm以下の数量データがあり、ほんのちょっと雨が降った。と解釈されるが、少量の雨なら、よりピンポイントの大阪市生野区小路東の木村工務店と清見原神社では、雨が降ってない可能性もあり、そこまでピンポイントの場所での降水量はわからない。
ま、人間の記憶とは、曖昧なものだとおもうが、1月6日は雨が降らないのだ。という感覚的雰囲気としては的を得てるようにもおもう。DX化が進みデータが優先される時代になって、建築も全くその通りで、数値データというものを元に考える時代になっているとおもうが、その「データと人間の感覚との調整」というのが、なかなかムツカシく大切な時代のようにもおもう。
「猛暑の年は豪雪になる説」なんていうのも、その感覚をデータとして分析し、今年の青森の豪雪との関連性がテレビでやっていたし、ロサンゼルスの住宅街での大規模な火災に関して、トランプ次期大統領 が「知事がスメルトという小魚の保護に水を使ったために、ロスでは消火用の水がないなんて、ひどい話だ」なんていうのも、温暖化の問題、生態系の問題、人間の住む町の安心安全の問題、予算配分、それらに対するデータと人間の感覚との調整をどのように考えるか…というふうな問いとして、捉えてみたくおもえた、日曜日の夜だった。
そうそう、1月6日月曜日は、新年の抱負を社員と共有し、協力会社も交えて清見原神社で参拝し、加工場で賀詞交換と2025年の年頭所感を語り、その後は、2025年始動のアイドリングとして、加工BARでお正月休暇を共有したりしながら数人で楽しく過ごした。木曜日は生野区の新年会があり、若い参加者が少なく、っといっても、ワタシもそれなりの歳なんですが、たまたま2次会を一緒に行ける人がいなく、会場近くの地下鉄の地下階段から地上に上がる階段途中にある、SUBでJAZZライブを聴いてから帰った。毎回、日本人よりインバウンド比率のほうが高い。10日金曜日は、布施の戎っさんで、商売繁盛を祈願した。夜は生野産業会の新年会があり、この日は若いメンバーと楽しく2次会3次会と続き、完全にタクシーで帰るしかない時間になっていた。
土曜日は、お昼から心斎橋商店街で建てた木造建築のメンバーとお施主さんとによる新年会で、こんな機会に恵まれるのは感謝しかない。心斎橋商店街は65%を占めるインバウンドの方々の到来によって、とってもとっても盛況だそうだ。ひょっとして、ここ5年か10年ほどは、インバウンドの到来によって商売繁盛した方々が、経済をひっぱり建築にも恩恵をもたらしてくれるのかもしれない。とっても美味しいお寿司とマリアージュされた日本酒とを楽しみ、その後は建築メンバーだけで、2次会3次会4次会と続き、最終の地下鉄でなんとか家に帰り着いたが、日曜日は、この3日間の連続した新年会によって「まったく使い物にならないおっさん」状態だった。