台風24号の日曜日

台風24号の接近で、今日の日曜日の「まちのえんがわ」タイルワークショップは、土曜日の午前中に中止の情報を流すことになって、確かに、あの台風21号以上の台風が、大阪を通過するという台風予想が延々と流れ、不要不急の外出を控えて下さいというアナウンスがあると、致し方ないわけで、何よりも、百貨店なども休業を宣言し、交通機関も早々に運休を決めるなど、災害対応に対する世の中の流れが、一気に安全側にシフトされて、そこまでしなくても…..。と思う気持ちと、これで良いのだ…..。とおもう気持ちが微妙に交錯するわたしの内面だが、あの台風21号の被害状況を常に想定すると、その都度の台風の現実的な「いま」の状況に応じて、対応するのは、不特定多数のリスクが伴いすぎて、ムツカシイから致し方ないのだろうな…..。

そんなこんなで、家で、一日中、台風情報を見ながら待機して過ごす日曜日。といいたいところだったが、建築家の今津さんから、自邸のオープンハウスのお誘いを頂いていたが、ワークショップと重なっていたために、断念の旨を伝えていたところ、うちのワークショップが中止となり、それに、午前中の天気は、曇ってはいるものの、風も強くなく、穏やかだったので、夫婦でお伺いする事にした。そうそう、丁度、2週間ほど前に、照明のナガトミさんと、家具のシラサカさんと、設計のイマズさんと、息子のタカノリとで、リフォームをしたうちの家で、食事をする機会があって、その席で、オープンハウスのお誘いと、建築家の青木淳さんの講演会のお誘いがあり、それで、3日程前に、その講演会をご一緒し、公演後、ニューミューヘンで、建築談義をして楽しい夜を過ごしたこともあったので、なおのことだった。

オープンハウスは、沢山の建築関係者がいっぱいだったので驚いた。道路にも溢れ出るほどの人で、台風接近の影響で、午前中にお邪魔しようと、皆が、そう考えていたからだろうが、それにしても多くの人が集まっていた。これからの家のスタンダードだとおもえる、嫌みの無い素敵で居心地の良い木の家だったので、誰もが、立ち去りがたく、滞在していたからだろう。うちの長男タカノリも家族で参加していたので、そこで顔を合わせ、そのあと、台風の接近を気にしながら、現地近くのイタリアンで、ランチをした。孫と食べるランチは、ガサガサして落ち着かないのに、なんだかとっても楽しい。

お昼からは、台風情報と過ごす一日となった。夕方が大阪に台風接近する本番らしく、その開演を心配しながら待つような心境で、テレビで台風状況を確認しながらゴロゴロしていると、孫イッケイがやってきて、レゴやなんだかんだ、床の上に広げて、遊ぼうと誘ってくるので、マイルスの音楽を、アルバムのラウンドアバウトミッドナイトから一曲だけ選曲して聴きはじめ、それから年代を追って順番にアルバムから一曲ずつチョイスして聞きながら、台風情報を気にしつつ、一緒に遊んだ。ちなみに、18アルバム18曲、ビッチャズブリューで、力尽きた。そうそう、先日の食事会の時に、照明のナガトミさんが、ブルージャイアンツというジャズを題材にした漫画があり、それが面白いので、読んでみてっ!と勧められて、初めて、kindle を使って、その漫画を10冊ほど読んだところだったので、そんなのが、潜在意識として潜んでいたからだろう…..。

台風21号被害の問い合わせが200軒ほどあり、そのために3週間ほど、現場監督と設計担当が、緊急な作業に手を取られて、現在進捗中の工事にも影響を及ぼし苦慮する状況で、そのうえ、この台風24号の被害が重なると、あらゆる工程が、深刻な状況に陥るので、夕方からは、ほんとうに心配しながら、NHKの台風情報を見続けた。幸い、直撃は免れ、風雨もたいしたことがなく、ほっと胸をなでおろす夜となって、どこかに、拍子抜けのような感情もあり、ワークショップ開催できたかも…..なんておもう気持ちも沸々してくるが、いや、でも、これからは、こういう、不要不急の外出を控える、災害避難待機休日が増えてくるのだろうな…..。

巡る。

連休が、2週連続で続く9月。土曜日に打ち合わせが多く3連休とはならないが、たまたま、自転車に乗る連休となって、奥方とウィリエールのキタムラくんと3人で安曇野に行く。昨年に引き続き2度目だが、今年は、安曇野から松本までライドした。奥方が参加すると、40キロちょっとの距離を食べて飲んでブラブラするのが、丁度良く、集落と集落の間にある、稲穂が金色になびく田んぼや蕎麦の畑の間を通り抜け、町に入って、黒い松本城を見ると、ヒューマンなスケール感に、カワイらしさを感じる。それに比べれば、大阪城や姫路城は巨大なスケール感の良さなのだろうな。

途中から鰻を食べようということになって、自転車で走りながらも、口は鰻の口になっていたが、12時過ぎに、松本城下の、「うなぎのまつ嘉」さんに到着すると、既に売り切れだった。10時30分頃から入店待ちで並んでいるらしく、それに、鰻の仕入れが良くないときは店を開けないらしい。凄い商売だな…..。それで、まちをブラブラすると、閑散としているのかとおもいきや、インバウンドの観光客が多いのに、凄いねぇ…..と感心し、アジア系よりウェスタン系が目立ったような気がしたが、それに、シニアな日本人カップルが多かったなぁ。そうそう、伊東豊雄の松本文化会館も外観だけみたが、周辺環境を知ると、なぜあの外壁なのかと考えてみた。

安曇野の二日目は、木崎湖から白馬まで往復50Km弱をやっぱり食べたり飲んだりしながらライドする。宿泊した「宿なごみの」の料理は美味しく満足感があったが、前日に鰻を食べれられなかった口惜しさが、なんとなく口に残っていて、白馬では、蕎麦を絶対食べるぞ!みたいな口に、3人がなっていたわけで、ま、ちょっと卑しいといえば卑しいわけで、そんなのが人間の持つメンタリティーなのだろうが、食べログから「林檎舎」をチョイスして行くと、蕎麦って、あの、いつものつゆで食べるものとおもっていたが、くるみだれ蕎麦が美味しく、3人とも蕎麦の追加を頼んで、昨日の口惜しさから解放された3人だった。

冬は、何度も八方でスキーをしたが、夏の八方は初めてだった。八方は、日本で一番良いゲレンデスキー場だとおもうが、夏は閑散としていた。みそらの地区の「サウンドライク」で珈琲とケーキを並んで待って食べたが、それでも、夏の白馬のまちに軽井沢のような活気はなかった。橋から眺める夏の八方も独特にエエ感じだし、意外に、オリンピックジャンプ場が良かったが、八方が、軽井沢になりえないのは、なぜなんだろうかね…..。まちと建築のありようが、なんとなく、いまいちな気がしたが、何を変えれば良いのだろうか…..。夏向きな建築じゃないのだろうし、住民の意識にも、何かの違いがあるのだろう…..。なんて、そんなことを考えながら、白馬のまちを自転車で巡った。

ここ数日、雨が続き、台風被害の養生作業が何軒か残っていて、養生作業中に落下した職人さんがいた。というよその職人さんの情報もあって、うちの職人さんたちに聞くと、足に力がメチャメチャ入ってますわ!と云っていて、養生を焦らず無理せず気を付けよう!と申し合わせたりした。そんななかの、連休日曜日の今日の早朝は、久しぶりに天気が良く、先週に自転車は乗ったが、奥方と一緒だったので、距離は走れず、それに、食べて飲んでで、消費カロリーより取得カロリーのほうが圧倒的に多く、運動になった気がせず、それで、朝から自転車に乗る。

十三峠を越えて奈良に行ってみる。薬師寺の横を通り抜け、東に走る。しばらく走って、北向きに進路を変えて、奈良町を通り抜け、猿沢池をくるっと回って、奈良公園の中を突き抜けて、東大寺南大門の前にでる。9時過ぎ、ひとが多い。インバウンドでいっぱい。凄い。転害門を通り抜け、途中、植村牧場で休憩をすると、自転車乗りの地元の年配のおじさんが、何度も東大寺に行くけど、インバウンドが増えてから、朝の早い時間から観光客が多いわ。という。日本人の旅館の習慣やったら、朝、お風呂に入ったり、朝食ゆっくり食べて、ゆっくり宿を出るひとが多いけど、習慣が違うからやろね。と。なるほど。

奈良少年刑務所跡の奥まったところから、東大寺の屋根が綺麗に見えるよ!と案内してくれて、そのオジサンと別れた。それにしても東大寺の屋根は美しい。そのまま木津川を走り、流れ橋のところで、お昼前で、淀川を通って帰ろうかともおもったが、天気もよく、先週の影響か、もう少し距離を走りたい気持ちもあって、そのまま、流れ橋をわたり、伏見の寺田屋の前を通過し、伏見稲荷から三十三間堂を通り抜け、東山ドライブウェーを超えて、南禅寺の前に至る。カイジンがいっぱい。いろいろな民族のひとが、日本を訪れて、いろいろなガイジンと出会えるのは、エエなぁ…..と私はおもう。そうそう、流れ橋から広大な田んぼの中を抜けると安土桃山城を眺めながら走る場所があって、こんなところを通り抜けたであろう戦国時代の武将の気分に一瞬タイムスリップした。

銀閣寺横、金閣寺横、龍安寺横、仁和寺横を通り抜け、ようやく嵐山に辿り着いた。凄いひと! 河原のベンチで休憩するひとの、四分の一ぐらいが、外国の観光客なのが、国際的で、エエとおもう。それにしても、流石に疲れ、ゆっくり休憩した後、淀川河川の自転車道40kmほどをひたすら走り抜け、毛馬のこうもんから、大阪城の横を通り抜けて、家に辿り着いたのは午後6時すぎで、170kmも走ったのは初めて。少々、お疲れですわ。

編集と融合と発酵

台風21号の余波で、その対応に追われる一週間で、雨が降り続いていたために、おもうように養生作業が進まず、現場監督も設計担当も手伝い職の職人さんたちも、通常作業が滞り、なんというか、地に足がつかない状況だったが、それも今週で、ほとんど収束する様相で、といっても、これからが本番で、保険対応の見積作業に追われるのだろう。

そういえば、保険対応の見積は現状復旧が基本だそうで、この際、仕様を変えて…..なんていう気持ちが沸き起こるのが人情で、ま、そんなのが、見積作業を複雑化させるのだろうし、いや、それにしても、現状でも職人さん不足なのに、地震や台風がよりその状況を複雑にし、この先、うまく対応出来るのだろうかと不安になっているのが、いまの工務店に関わる人達のメンタリティーで。そんな意味では、この連休が、ひと息付けて、エエ休みとなって、エエ間合いとしてリフレッシュできればと願う。

そうそう、なんだかんだと打ち合わせがあった土曜日だったが、夕方に「ほうば」という韓国料理のお店に食事に行った。予約が取れないお店らしく、予約していた方と一緒に行く予定のひとが都合が悪くなり、それで、うちの奥方と私にお誘いがあって、棚からぼた餅的状況だったが、私は、な~んとなくついて行くぐらいの軽いのりで参加した。

そういえば、偶然のことながら、予約していた方の屋根が、この台風21号で被害に遭い、この食事会の前に、その養生作業が出来たのが、食事の気分を少々盛り上げてくれたのだろうし、そうそう、お店に入る前に、1階のベーカリー店の前で、リフォーム工事をしたお施主さんとすれ違って、お互いにすれ違ってから、ひと呼吸置いて、想いだしたように、振り返って、あっあっ木村さん、あっあつご無沙汰です!なんていう出合いが、食事前のテンションを上げてくれたのだとおもう。それにしても、どれもが新鮮で斬新で美味しい料理で、辛みに心構えをしながらテーブルに座ったが、最初に出てきた15種類のナムルの味から、甘みのような旨味があり、日本的イタリア的韓国料理とでもいうのだろうか、そんな料理が最後まで続いた。

なによりも驚いたのが、その予約をしてくれた方が、食事が終わり帰る前に、次の予約をお願いすると、来年の3月だと告げられたことで、それでも、その3月にどんな気分になっているか、食べたい気分なのかどうか、わからへんけど…..、なんて云いながら予約して、別のテーブルのひとも帰り際に予約をしていて、そういえば、先日のモダンスパニッシュの「FUJIYA1938」も隣のテーブルのひとは、食事終了後、次の予約を取っていたが、そんなのが、流行っているお店のひとつのステータスなんだろう。そうそう、ほうばさんは、午後5時から予約の食事が始まるのが新鮮に感じたなぁ…..。

イタリアンなのかフレンチなのかスパニッシュなのか。日本なのかイタリアなのか韓国なのか。そんなのが上手く編集され融合し発酵までした料理に、新鮮さを感じて、沢山のお客さんが生まれ、商売繁盛する姿を垣間見たりするわけで、住宅建築も、そんなさまざまなスタイルを編集し、融合を通じて、少しの時間の経過とともに、発酵という現象まで起こった家造りが、求められているのだろうか。と考えてみたくなる食事だった。工務店としての在り様にも新鮮さが求められているのだろな…..。

台風21号

台風21号が接近するという火曜日の朝。百貨店が早々に休業を決めて、電車も午前中で運休するらしく、かといって、工務店という立ち位置の私たちが、平日の明るい時間帯に休むというのは、不自然で、会社か現場で待機するのがフツウなコトだろうし、それで、現場養生を済ませた現場監督は、午前中に会社まで戻って待機しながら、パソコンに向かってデスクワークをしていた。

午前中は、テレビを付けて、台風情報を聞きながら、そうそう、ほとんどの現場監督と設計担当者が会社に居たので、お客さんの打ち合わせ室として利用している応接間のプロジェクターを55インチの液晶モニターに交換する作業を数人で決行し、わりとのんびりとしたムードが漂う会社の雰囲気で、明るい昼間の時間帯のプロジェクターの映像が視にくく、それが液晶モニターに変わって、見やすくなり、台風のお陰で良かったわ…..ぐらいのムードだった。

台風接近にも関わらず、ほとんどの大工さん達は、それぞれの現場で作業をしていたが、お昼のテレビでは、四国に上陸した台風が、神戸方面に上陸するらしく、芦屋で新築工事中のベッショ大工チームに電話を入れると、意外と、のんびりとした雰囲気だったので、NHKテレビの情報を教えて、すぐに会社に戻るように伝えた。他の大工さん達は、大阪市内、吹田、茨城、東大阪だったので、台風が通り過ぎるまで、現場で待機しながら作業をするということだった。

お昼過ぎ、南の空が少し明るくなってくると、社員の数人が、台風の目とちゃいますかぁ!と言いながら、わりと余裕の笑顔をみせていたが、午後2時頃になると、徐々に風雨が強くなりだし、会社の窓越しに、解体予定の長屋のブルーシートの屋根養生が見えていて、この勢いでは、そのブルーシートが飛びそうだったので、何人かで監視を続けていた。その数分後、猛烈な勢いの突風が吹き荒れ始め、あっっ!という瞬間に、そのブルーシートが空に舞い上がった。それを見るやいなや、本能的に、数人の現場監督と私が、会社から飛び出して、そのブルーシートを確保するために道路に出た。

体が飛ばされそうな嵐の中、電線に引っかかった、そのシートを確保しようとしていたら、突風が吹き荒れ、瓦やトタンやポリカや木材が、空から降ってきて、屋根に登ってその作業をしていたタカノリのすぐ横をかすめっていった。ヒヤッとした瞬間だった。なんとか無事に数人でシートを回収し、数メートル先の会社に戻ると、シャッターがレールから外れ、道に瓦やトタンや木材が散乱し、飛来物が命中したのだろうか、会社隣の住宅の木製建具の硝子と、会社前の戦前の長屋の木製建具のオールドな窓硝子が割れて、道路に散乱していた。幸いにも、現場から戻って、加工場で作業をしていたベッショ大工とヒラボシ大工とモリ大工が、突風のなか、バラ板とベニヤで、その2件の窓を塞いでくれた。

3階の窓から周囲を監視していたタナカくんが、4階屋上の保育園のフェンスが倒れて落ちそうになっているという情報を届けてくれたが、何人かと道路に出てみるものの、吹き飛ばれそうで、道を歩くこともままならず、暫く待機するしかなかった。窓から外を見ると、時折、トタンや木材や断熱材が空に舞い上がり飛んでいた。午後3時半頃になると嵐が収まってきて、それで、社員皆で、保育園の屋上に行って、一気にフェンスを回収する作業をした。屋上庭園にあった遊具が風で飛ばされて、隣の屋根の上に落下し、建物と建物の間に挟まっていた。近くの内環状線から消防車や救急車のサイレンが鳴り響いて幹線道路も異常な事態になっている雰囲気が漂い、誰しもが、フツウでないコトが起こっていると、ハッキリと認識するようになった。

午後4時半頃になると、風雨が収まり、社員皆で、会社周囲の道路の散乱物の片付けと掃除を始め出すと、近所の人達も道路に出てきて、道や路地に散乱した物を一緒に片付けた。会社裏の道路には、鉄骨造3階建て建て売り住宅の屋上パラペットが、飛来物に当たったのか、5mほどの長さのパラペットごと道路に落下していて、それを数人で担ぎあげて、軽トラックに積み込んだ。そんなこんなで、軽トラック3台分ほどの散乱物を片付けたが、環境局に電話をすると、あまりにも件数が多く、いつ引き取れるのか、判らないそうで、駐車場の一部が散乱物置き場と化した。

風雨が落ち着いてから、多くの電話が掛かりだした。屋根瓦が飛んで、養生して欲しい…..という電話を中心に、翌日水曜日の朝からは、電話が鳴り止まず、150件を超える依頼があって、手伝い職の松本組も2班に分かれ、現場監督と設計担当者も自ら養生に奔走した。本来なら、瓦屋さんや、板金屋さんが、養生するのだが、大阪の瓦屋さんは、先頃の地震による、高槻方面等の復旧がままならず、それに、この台風で、ほとんどパニック状態のようで、電話応対だけで、まともに作業することが出来ない状況らしい。ちなみに、「まちのえんがわ」で、10月に予定していた瓦コースターワークショップは、こんな状況下で、ワークショップをする時間と心の余裕がないとのことで、中止となった。

なかには、古い知り合いの方から電話があり、壁が崩落し、隣地に飛散しているので、何とかして欲しいということで、自転車で行くと、昔、あんたのおじいちゃんに建ててもらった家やで、お金無い時に頼んで、ちょっとずつお金を払ってくれたらエエで、というて、建ててもらったんやぁ。という50年ほど前の祖父の仕事に出会ったりした。

行政でブルーシートを配布することになって、とっても有り難い対応だが、案外、ブルーシートによる養生は、プロでも、なかなかムツカシく、土嚢袋に砂や瓦を詰めて重しにするにしても簡単にはできない。うちでも現場監督を中心に、タイベックといわれる透湿防水シートと気密防水テープを使った養生方法を使っていて、その方法があちらこちらで「流行」の気配で、とくにホームセンターでも購入出来る気密防水テープで、割れた瓦に貼り付けるなど、簡易な方法なので、利用し易い。

生憎、ここ2,3日雨が降り続き、養生作業が全く進まず、また仮に養生作業が完了出来ても、その後の、特に、瓦屋さんの対応は、全く日程が定まらず、やきもきする状況で、それでも台風被害状況をデータベース化し、なるべく協力会社の職人さんにスムーズに対応してもらえるように、バックヤードの作業は進捗中ですが、台風被害によるお困りの多くの皆さんには、建築業界全般の、現場監督と職人不足への、何卒のご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

フラッシュバック

それが、ぎっくり腰なのか、腰痛なのか、定かでないが、日々徐々にな~んとなく回復に向かっていて、右腰の奥のあるカ所に、依然として違和感があることと、ラジオ体操をやってみると、前屈が、通常の半分ほどしか出来ないことが判明し、右斜め前に曲げることがうまく出来ないことにも気付いた。靴下をはくことは、上手に出来るようになってきたが、あと一歩。ぎっくり腰で、マッサージに行くのはダメよ!っとアドバイスをもらったりして、えっあっそうなんですかっ!確かに…..と返信した。一昨日、近くの現場に行くために電動ママチャリを乗ってみたら、段差の振動があるときに、腰をかばっている私を発見し、流石にまだロードバイクに乗るような状況ではなさそうだったが、さりとて、なんらかのリハビリ的運動は、必須なのだろう。

こんな身体的状況の日曜日の朝。奥方と二人で、お盆休暇に入った、和歌山の花山温泉に、リハビリ的入浴として行くことにした。あの27度ほどの炭酸源泉掛け流しの浴槽の心地良さが、身体的記憶として残っていたからだろうが、朝8時30分に到着すると、そこそこいっぱいの人で驚いた。当然、年配の地元のひとが多く、和歌山弁の抑揚で繰り広げられる世間話を小耳に挟みつつ入浴を繰り返していると、隣接する女子風呂からも会話の響きだけが延々と聞こえていて、こういうお風呂場の声の響きというのが好きだなぁ…..。

青森の三内丸山遺跡を見学に行った時に、開場まで時間があり、すぐ近くの三内丸山温泉の朝風呂に入り、その時に、お風呂場に反響し延々と響いていた青森弁が、外国語のように聞こえて妙に心地良く、ガラスブロックの天窓から降り注ぐ朝日の心地良さと、超熱い温泉の火照る体の身体的記憶と共に、強い印象として残っていて、その時の光景がフラッシュバックし、こういう地方温泉のシチュエーションが魅力的なのだろうが、ま、延々と会話が続くと、もうちょっと、静かにしてほしいわ…..みたいな気分も含めて、地方温泉のオモロさなのだろう。

27度ほどの炭酸源泉の掛け流しの浴槽が一番人気で、鉄分で湯船がま茶色なので足腰が見えず、なので、顔だけがお湯からニョキッと出ていて、年配者が多く、タオルを頭に置く人もいて、わりと密集状態なので、その光景が、ちょっとグロテスクでオモロイ光景だが、私もその一員となっているので、笑うに笑えず、そんなことより、妙にリラックスする温度と泉質なので、誰もが、しかめっ面でなく、リラックスしている顔が、茶色の湯に浮いているのが、エエのだな…..。

サウナに入ったり、熱いお湯に入ったり、いろいろ繰り返しながら低温の源泉に入っていると、このまま、足を伸ばして、浮いていたら気持ちエエやろなぁ…..と思えてきて、ところが、ひとがいっぱいで、足は曲げるしかなく、そんな、ほんの微妙なフラストレーションが、ある光景をフラッシュバックさせた。大学生の頃だから1980年の始めだとおもうが、アルタードステーツという映画があり、そこにアイソレーションタンクというのがあって、ひとりだけが入れるタンクにプカプカ浮くというタンクなのだけれど、それが、浜松にあるので、夏休みの旅のひとつの小さなイベントとして、皆で一緒に入りに行こうと誘われて、数人で旅をしたコトがあって、その時のタンクの中で浮いた青春時代的な記憶が蘇って、そんなこんなで、腰のリハビリも兼ねて、リラックスする時間を過ごした。

昼から住宅相談会にお客さんがお見えになることもあって、2時間ほど温泉で過ごし、すぐに帰ることにして、温泉とインターチェンジに近い、丸花というお店で、ちょっとだけ並んで、ラーメンを食べたが、運転中、そのコッテリ感が口に残っていて、それで、高速のサービスエリアで、口直しに、ソフトクリームでも食べようと立ち寄ると、超偶然にも、うちのワダ大工とそのご家族にバッタリと出会す。釣りの帰りらしいが、先週の長しソーメンで奥さんと子供さんにお会いしたばかりで、和歌山に行くと、なぜか、仕事関係の身近なひとと、よく出合う不思議。

今日の住宅相談会は、生野区で、現在お住まいの鉄骨造3階建ての家を、リフォームしようとお考えのミドルエージのご夫妻がお見えになって、終の棲家に伴うリフォームの要望も最近のあるあるで、お話をお伺いしながら、設計の田中くんと一緒に、即興的にプランを作成し、ご要望に叶いそうなプランになったが、いつの時代も当たり前の事ながら、予算というのが、問題なのだろう。それにしても、こんな即興的なプラン作成が、4人で繰り広げるセッションのようで、楽しく、ご要望とタイミングが会えば、是非、「セッション的相談会」にお越し下さい。

ぎっくり腰

24時間テレビに、さほど興味があるわけでもないのに、テレビを付けると、なんとなく見てしまうわけで、障害をもったお子さんたちが、頑張る姿をみると、素直にジーンときて、それに最後の、スイムもバイクも走ってからの100kmランの姿をみると、凄いなぁ…ガンバレ!と心のどこかで声援を送っている私もいて、そういえば、ここ数十年全く見たこともない甲子園の高校野球も、金農フィーバーのお陰で、決勝戦最後の7回8回9回だけはテレビで見て、ボロ負けしている金農に声援を送る国民感情的な気持ちを共有している私も居たわけで、もちろん、どうせ勝つなら、ぼろ勝ちした方がエエのに…とおもっていた桐蔭に、あっぱれな感情もあって、意外と予期せぬ感情とテレビで遭遇した週だった。

そうそう、月曜日の夕刻午後7時過ぎに、会社の椅子から立ち上がろうとしたその時、腰に、猛烈な痛みが発生し、うまく歩けない状態になり、ちょうど、会社の前の自宅の道路を挟んだ真向かいにある整骨院に駆け込んで、マッサージをしてもらって、幾分落ち着いたが、翌日の火曜日の朝は、もっと状況は酷くなっていて、昼からの打ち合わせが終わった後は、自宅に戻って、ソファーの上に寝転がって、腰を休めざるおえない状況で、ちょうどその時に、高校野球甲子園決勝戦の終盤と重なり、もう既に金農のエースピッチャーは交代している場面で、ぎっくり腰で痛々しくしている私と、甲子園の痛々しさが、妙な具合でシンクロしているシチュエーションだった。

水曜日の朝、腰の局所に集中的にマッサージを受けたが、状況は改善するどころか、ますます悪化した。2.3日目がピークなんだろう。木曜日、台風の接近に伴って、唐突に、昼からの予定が2件キャンセルになった。それで、見るに見かねた奥方が、知り合いの関目にある整骨院に電話を掛けると、前日までは休暇中だったが、今日から営業が始まり、台風もあって、午後2時なら空いていると云われて、急遽、治療してもらうコトになった。人生って、何が、幸いするのか、不思議なものだ。

狭い入り口の鉄骨階段を上がった2階にパーマ屋さんの扉があり、その扉を開けると、左側に鏡と理容機器が並んでいて、その椅子の右側にカーテンのブースがあり、そこから息子さんとお父さんが出てきて、笑顔で迎えてくれた。お母さんがパーマをし、その横で、お父さんと息子さんがマッサージをするという、映画にでも出てきそうな、不思議な光景だったが、右腰の局部は、ほどほどにしか触れず、それ以外の左半身や右半身や肩を全体的にバランス良く揉みほぐしながら、1時間たっぷりのマッサージが終わった。

金曜日の朝から、地鎮祭があった。前日までは、腰を曲げられなく、礼すら出来ない状況だったが、この日の朝には、それらしく歩くことと、何度も椅子から立ち上がっても腰が悲鳴を上げない状況と、それらしく2礼2拍手1礼が出来る腰にまで回復してくれて、それはそれでとっても有り難かったが、流石に、毎回勤める鍬入れの儀式では、へっぴり腰で、不格好な鍬入れになってしまい、その姿が、社員の間の笑い話になる状況で、それでも笑いになる腰の状態にまで回復した。

土曜日になると、腰に違和感がある、という程度の状況まで回復した。それが、水曜日の朝の出来事だったが、腰のリハビリ的運動として、庭の掃除をしていた時に、孫イッケイが、じぃー!コシ、ワルイネェ!っと、どこで聴いていたのか、泣けるようなコトバを掛けてきて、アリガトウ!なんて返事をした感情が、体のどこかに滞納したのだろう。土曜日のお昼、昼食のため、会社向かいの家に戻ると、孫イッケイがやってきて、組み立て式のおもちゃ箱をテーブルの下に、がばっと広げて、遊びだした。

じぃーね、これねぇー、あのねぇーっと、こちらをチラチラ見ながら、誘い混むような仕草に、滞納していたあの時の感情が、当然の成り行きとして弾けて、クレーン車の木組みのおもちゃを作り始める私の姿があった。昼休み中に出来るはずもなく、作りはじめてみると、だんだんその気になってくるわけで、2時間ほど経過すると、孫イッケイは、プール遊びをし、私は、腰を労りながら、ひとりきりで、製作を続けているという、ま、なんとも滑稽なシチュエーションの昼下がりを過ごし、3時間ほど掛かって、ほぼ完成の時に、打ち合わせ予定のお客さんがお見えになりました!との連絡を受けて会社に戻った。そんなこんなで、模型を作れる程度まで腰が回復した土曜日だった。

今日の日曜日は、恒例の「流しそうめん」があり、とっても暑い中、想定以上に、沢山の参加者にお越し頂き、感謝です。タイミング良く、リフォームした家を、ついでに見て頂いた方々もいらして、前日の土曜日に製作したばかりのクレーン車の模型が、多くのお子さん達に、触ってもらって、妙なところで、誇らしく自慢げにしている大人げない私も居て、それほどに、腰のことを、忘れる状況が増えてきて、あともう一歩ですが、ぎくり腰って、怖いですねぇ….。

夜の食事

東京で学生をしている次男が、つい5時間ほど前に、大阪に帰ってきて、久しぶりに長男と次男の二人の息子が揃って、何よりも嬉しそうな笑顔を魅せるのは、奥方で、「母」とは、いつまでたってもそういう心境なのだろうな。「父」の喜びとは、ひと味もふた味も違う、奥底から湧き出るような喜び感を、そこわかとなく発散させていて、「私が産んだ」という体験からくる喜びなのだろうか。

長男4人家族と次男も一緒に、木村工務店で施工させて頂いた、鶴橋の一龍に、焼き肉を食べに行く。ステーキも美味しいが、なによりも私はここ以外で冷麺を食べる事はなく、その焼き肉と冷麺を美味しそうに食べる息子二人の姿を、とっても嬉しそうに眺めながらワインを飲む奥方と、その酔っ払っている奥方をチラチラ眺めている「私」。

長男の次男、すなわち二人目の孫の一歳の誕生日が、お盆休暇中で、長男家族は旅行中だったので、お祝いも出来ず、なので、一龍で、数日遅れの誕生日のお祝いをする。ちょうど、一年前、長男と次男と私の3人でベルリンとコペンハーゲンを旅し、その日、ベルリンのラーメン屋さんで、行列に並んで待ち、その時に、ツワリが始まったと長男の携帯にメッセージが来て、数十分待って、店内に入り、ラーメンを注文して、ようやくテーブルにラーメンが出てきたその時に、男の子が誕生した姿が携帯電話の写真に送られてきて、驚きと共に、皆で、祝福したベルリンのラーメン屋さんは、一生涯の想い出となったが、そのコトを書いたブログを覚えていてくれた、一龍のマスターが、お会いするなり、一年前ベルリンのラーメン屋さんで誕生したお子さんね!と笑顔のメッセージをもらった。ベルリンのラーメンより早く出てきた超安産な長男の奥さん。そんな話題で盛りあがった夜の食事だった。

そういえば、お盆休暇中の夜の食事は、必ず外食すると決めていて、初日は、ダイビルにある「クイントカント」でイタリアンを食べ、シェフをはじめスタッフ全員が20代だそうで、味も器も凝っていた。二日目は日本橋にある「まさる」でお寿司を食べた。明日からお盆休暇だということで、私たち夫婦が、最後の客になった。三日目は谷六の「大衆食堂そのだ」に行く。午後5時すぎに、並ばずにお店に入ったが、午後6時すぎにお店を出ると、女性客ばかりが行列していた。こういうお店が、若い女性客の心をつかむのだな。

4日目は、小旅行をして、早朝から車で、温泉ソムリエグッチお勧めの十津川の湯泉地温泉の滝の湯で朝風呂。さらっとしたエエお湯。それからクネクネカーブを曲がり続け、玉置神社で参拝する。それにしても十津川近辺の道がとっても良くなったことに驚いた。帰路は、空海さんに会うために、高野山回りで帰る。木村工務店で施工したゲストハウスkokuuに寄って、改修の計画も含めて、あれこれとお話をしていると、驚いた事に、先日、「まちのえんがわ」を訪問してくれた、デザイン教育研究所のシオザキさんが、目の前を通過した。お互いに驚きの声を発し合う。

奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍などを歩き回っていると、弊社担当だった大阪ガスの営業の方が娘さんと二人で歩いている姿に出会す。やっぱりお互いに驚きの声を発し合った。恐るべし空海さん。帰りは和歌山回りで、温泉ソムリエグッチお勧めで、和歌山インターすぐ近くの、花山温泉薬師の湯に行く。素晴らしい温泉で、近くにこんなエエ温泉があったとは驚き。また行きたい。で、4日目の夜の食事は、その近くの和歌山ラーメンを探すが、夜も遅くなり、お盆でもあり、たまたま空いていた「まるしげ」へ。コッテリでした。

5日目は、上六の「菜都」で中華を食べる。コストパフォーマンス抜群。その帰り、生野区のBARソケットで真空管のイベントがあり、マスターのお誘いもあって参加する。深夜になり隣に座ったひとが、大今里の「大阪まんぷく堂」のマスターだったので、そのまま予約して、6日目の夜は、和食となった。クイントカントと同じように味も器も凝っていた。その後、巽の同級生が営む鉄板焼き「MUDDY」で、同級生の還暦お祝い。で、7日目は、「FUJIYA1935」でモダンスパニッシュとやらを食べる。もはや、何がイタリアンでフレンチでスパニッシュか、全く判らないが、味も器もひと味もふた味も凝っていた。

このお盆休暇中の夜の食事は、工務店としてのありようを考えさせられた、食事だった。どのお店も、自分たちのスタイルを追求していて、心洗われるおもいだったが、そうそう、何よりも、「オバタ」のおじさんの映像に、心洗われた週だったなぁ…。こんな生き方もあるのだな。スーパーボランティアというコトバを知った週でもあった。

自宅宿泊お盆休暇

11日の祝日からお盆休暇が始まり、毎年のように、大阪を脱出し、どこか旅に出るのが、習慣のようになっていたが、それが、振り返ってみると、木村工務店に入社して以来、お盆に、大阪の自宅に居た記憶がなく、35年間、どこかに出掛けていたことになり、生まれてこの方、ここ大阪生野区の小路から離れたのは、21歳の時に最長で1ヶ月半ほど旅をした時で、それぐらいここに居着いてしまっているわけで、ま、そんな至極小さな反動が、毎年、お盆にやってきて、申し訳程度の禁断症状が発症し、大阪生野区小路を脱出する。なので、芭蕉の奥の細道の出だしの文章に憧れたりするわけで、

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂白の思ひやまず、…..

きっと、「漂い」たかったのだろう。長男が生まれハイハイすらできない時に、当時飼っていたミニチュアシュナウザーも連れだって、レンタカーを借りて北海道を漂ったのが始まりで、数年後には、ハイエースのキャンピングカーを手に入れて、お盆はどこかに漂うコトが、ライフスタイルの一部になっていた。次男が大学生になると、そのキャンピングカーを手放し、ようやく海外に目を向けて、海外の建築を見る楽しさを知るようになったが、そうそう、イタリアの街並や広場や山岳都市など、若い間に見ておけば良かった…っと、少々後悔してみたりしたが、そんなこんなで、とにかくお盆はどこかで、漂っていた。

で、今年のお盆。どこにも出掛けず、というか、どこかに出掛けるだろうが、お盆休暇中、大阪生野区小路の自宅に「宿泊」するコトになった。ほぼ2ヶ月ほど前に、木村家がリフォームされた事もあり、なんというか、木村家仏壇が移設されて迎える初盆のようなもので、今年のお盆は自宅泊を楽しんでみようということになったが、いちばん心配したのは、奥方で、きっと、「私」が、旅の禁断症状が発症し、だんだん不機嫌になっていくのに違いない…と一ヶ月ほど前から、ほんとうに大丈夫、ほんとうに大丈夫と、ことあるごとに念を押されていた。

還暦近くなると、自分を楽しませる旅的コツのようなものも身についてくるわけで、まず「体」をちょっとしんどくおもえる程度に動かすことから始めるのが良さそうで、旅の場合は、「移動」というのが、その役目を担ったりし、知らず知らずに溜まったストレスが、身体のどこかにくっついていたりするわけで、それが、移動という運動とともに解放されたりし、そういう流儀に従うなら、最近の私のライフスタイルからすれば、自転車に乗ることが、良さそうで、11日初日は、なにがなんでも早朝から起きて、猛暑のなか、ひとりで十三峠から信貴山に向かい、のどか村から大和川をぐるっと回った。

もうひとつの旅的は、食事で、とくに、旅の楽しみは夜の食事であったりし、それが、うまくいかず、ストレスになることも、あるあるな出来事で、それで、自宅宿泊旅的には、普段なかなか行けない大阪のレストランやお寿司屋さんなど、数件を奥方が予約してくれて、家で料理を作らない休暇というのが、奥方のストレスを解放するのだろうし、こうなったら旅的に、毎晩、どこかで、食事をしようかとおもう。

あと、日本人の旅的満足のひとつは温泉なのだろう。ま、それに従うのなら、できるだけ近場の温泉や銭湯を利用するのが良さそうで、知り合いの温泉ソムリエぐっちが勧める「関西近郊のおすすめ温泉」にでも行こうかとおもう。そうそう、夏の旅のもうひとつは、宿やキャンプ場などの、涼しい宿、冷房がよく効いた宿、涼しい木陰のキャンプ場など、温熱環境で、そういう意味では、今回の木村家のリフォーム工事では、断熱気密など、それなりのレベルで仕事をし、除湿型放射冷暖房PSを導入したこともあり、24時間作動をさせながら、光熱費も含めて、どんな感じなものか、試してみようかとおもう。

そんなこんなで、木村工務店では、18日より通常営業です。皆さん、素敵なお盆休暇を!

鏡割り

日曜日の大安。猛暑の午前中。地鎮祭があり、じっとしているだけで、じわじわと汗が噴き出てくる、スーパーホットな日曜日だった。だれもが額にしたたる汗をハンカチで拭きながら、神主さんの祝詞を聞いていた。皆で、一緒に、土地の神様にお声がけし、工事の安全無事竣工を祈るコトが、儀式化されているのが、日本文化の特徴のひとつなのだろう。施主と設計と現場が、工事を始めるに際し、少し親密になる、きっかけの儀式でもある。

施主の方が、初めての地鎮祭なので、勝手が分からず…..。というコトバを聞きながら、いままで、数多くの地鎮祭に参列し、鍬入れの儀式を執り行う役割も担ってきたが、自分自身の家はリフォームの連続なので、自分自身の家の地鎮祭を経験したことはなく、地鎮祭を経験する人というのは、ごく限られた、土地の神様の幸運に恵まれた人なのだろう…..と、日陰に身を寄せあいながら会話をした。

地元の清見原神社の夏祭りは、7月31日と8月1日で、住吉さんとともに、大阪最後の夏祭りを締めくくる。ここ数年は氏子総代会のひとりとして、数名の男女の総代の方々と共に、地域の安全無事を祈願して、神社で参拝をする役割を担うようになったが、ドレスコードがあるわけでもないが、なんとなく、背広を着るのが慣わしで、連続する猛暑日のなか、背広の下のカッターシャツは汗びっしょりになっていた。

 

清見原神社の地区では、4台の地車がまちを練り歩く。総代会が終わり、会社に戻った仕事中に、地車の鐘と太鼓の音が近づいてきた。子供の頃から慣れ親しんでいるこのリズムを聴くと不思議に心躍る。ご祝儀袋を携えて、2階の事務所の玄関から、路面に降りると、大友の地車で、地車にのる顔見知りの責任者の方と目が合い、お互いに会釈をかわすと、皆で一緒に打ちましょぉ!と、地車を会社の前に駐めて、引き手も含めた、たくさんの方々と一緒に、さぁ、打ーちましょ!の掛け声とともに、大阪締めで祝いあった。

打ーちましょ」 パンパン「もひとつせ」 パンパン「祝うて三度」 パパン パン  地車の鐘太鼓の音と共に皆で一緒にやる大阪締めは格別に心地良い。横や後ろをみると何人かの社員も2階から下に降りて参加していた。毎年、地車とともに、会社の前で、近所の方々を含めた多くの方と一緒に、大阪締が出来たら楽しいだろうなぁ…。そうそう、昔は、「打ーちましょ」 パンパン「もひとつせ」 パンパン「よーいやさの」 パンパン それも最後は手をたたかず、鐘と太鼓のパンパンだったような気がするが、いつから、最後のリズムが変わったのだっけ? ま、進化したということで…。

そういえば、7月31日は、お祭りでもあったが、第五火曜日で、第一と第三火曜日の社員定例会議とともに、第五火曜日は、協力業者に参加頂いて、さまざまなジャンルの勉強会をし、その後、とんちゃん食堂を加工場で催す火曜日だったが、今回は、建築工事保険の勉強をしたあと、木村家のリフォーム工事を担当して頂いた、協力業者の皆さんの労をねぎらうコトとお披露目を兼ねて、「木村工務店のものづくりの仲間たち」とともに、木村家で、宴を催した。

 

「手仕事」という感覚を、家造りのなかに、刻むコトが、ひとつのテーマでもあって、職人さんたちのスケジュールが、暇になる時まで、待って、シゴトをして頂いたので、随分と時間が掛かってしまったが、うちの職人さんたちは、こういうシゴトができますよ!というショールームでもあるわけで、工事に関わった皆さんへの感謝の気持ちを分かち合う宴会ができて、少し気持ちが落ち着いてほっとした。これで家もだんだん落ち着いてくるのだろう。

そうそう、サプライズで、社員の皆さんが、樽酒を持ってきてくれて、夫婦仲良く鏡割りをした。「地鎮祭」「大阪締め」「鏡割り」と目出度いコトが重なった、珍しい週だった。thanks!

追伸
木村工務店のお盆休暇は、8月11日土曜日から8月17日金曜日の7日間です。8月18日土曜日より通常営業いたしますので、ご理解のほど、よろしくお願い致します。

台風一過

土曜日深夜。妙な進路の台風が、日本列島に、迷い込むように、大阪を通過し、朝起きると、庭の芝生の上は、楠木の落ち葉が超大量に散乱していて、寝ている間に、けっこうな嵐だったのだと気づき、いそいそと早朝からテレビを付けて、被害状況を心配しながら見た。

そうそう、きょうの日曜日は、木村工務店のホームページに掲載されている建築写真の撮影者、写真家の多田ユウコさんによる、日光写真のワークショップがあり、太陽光のない日光写真ほど虚しいものはなく、前日から、大荒れの天気予報に、ドキドキ心配したものの、昼前からは、台風一過のエエ天気になって、これ最高っ!とおもっていたら、突然大雨が降ったりし、気まぐれ台風の余韻が残る気まぐれな天気に翻弄されたが、それでもなんとか、日光写真が青焼きされた素敵なトートバックが数々出来て、それゆえに、もう少し多くのひとに、この楽しさを知って欲しいワークショップだった。

     
台風接近の土曜日は、建築家集団の、ぼっこでっこ建築隊が、減築リフォームをした木村家にやってきて、ほたる食堂のほたるちゃんによる手料理を食べながら、建築談義で盛り上がり、13時から23時という超ロングな宴会となった。

とっても「ヘン」なところは、建築家なのに、皆が、ギターなど楽器を持参しやってくるわけで、10人ほどで、ダイニングテーブルを囲って、3時間ほど、語り合っていると、誰かひとりが、唐突にリビングにいって、ギターを鳴らし、歌を歌い出すわけで、そうするとそれに応えるように、また、だれかがテーブルから離脱し、リビングにむかい、ギターに合わせて、歌をうたいだし、その盛り上がり状況を判断し、またひとりがテーブルから離脱し、ソファーに座って、弦の張っていないギターをパーカッションとして叩きだし、ついには、何人かが参加し、ぼっこでっこ音楽隊となって、音楽が、空間に満ち足りるわけで、もはや、うまいとか、へたとか、好きとか、嫌いとか、そんなことではなく、生音が響く生活空間とその時間が心地良いのだと判断するのが相応しいのだろう…。
 

ある種のコミューンな状況となって、そんな「食べる、飲む、語らう、笑う、奏でる」のセッションが何セットか繰り返され、そのうち夜も更けてきて、ひとり帰り、ふたり帰り、三人帰り…と、参加者が徐々に減ってきて、残りの客人たちとは、アウトドアーのデッキで座りながら、語りあっていると、いよいよ台風の勢いが増してきて、庇のあるデッキに雨が吹き込んでくると、流石に宴会はお開きになった。最後の客人を送り出すと、建築家台風一過。音楽を伴う余韻のエネルギーが、木村家の空間を満たしてくれていることに感謝しながら、寝入ってしまった。

の前日の金曜日の午前中は、ツキデ工務店のツキデくんが、主催している秋山設計道場の建築家、秋山東一さんを伴って、数人の工務店仲間とともに、木村家を訪問してくれて、うちの長男の奥さんが作るカレーを一緒に食べながら、長男タカノリも一緒に参加して、工務店がつくる建築のコトをあれやこれやと語り合った。その工務店台風一過。木村家の空間に、秋山東一さんの語りと身のこなしが、素敵な余韻として残存することに感謝しながら、会社のシゴトに戻った。

「建築人」というコトバが、アキヤマさんから放たれて、「建築家」でもない「建築人」というコトバが、彷徨える台風のように「私」に接近し、その意味を考えてみた金曜日の夜だった…。

 

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