モノほしさ

冬の青空。なのに、朝からダラダラしている日曜日の朝。昨年の12月から今年の2月の今日まで、自転車に乗ったのは、先々週の一度だけで、定期的に体を動かさないと、気が付いたら体重は2キロほど増えていた。自転車に乗るテンションが落ちている理由が3つほどあって。乗れる日が、中途半端な天候ばかりが続いて、それをはね除けて服を着替えソトに飛び出すために、心のブツクサに同調しないのがエエのだかれど、なんだか寒いとか雨降りそうとか面倒くさいとか自転車整備せなアカンなとか、あれやこれやの気分を考慮してしまうものだから、まったく、ソトに飛び出せなかった。

 

昨年の秋頃から1年間だけ、奥方とともに、スーパー銭湯のスポーツジムに入会して、室内バイクや室内ランニングをし、そのあとの、温泉、サウナ、水風呂、がとっても気持ち良く、こんなことに3時間ほど費やして、日曜日の午前中を過ごすスタイルが、ここんところのパターンで、なので、寒い冬に、自転車でソトに飛び出さなくても…..なんていう気分がはたらく。体調管理を室内バイクと室内ランニングで補うつもりでいたが、週一程度の室内トレーニングでは、体重管理の成果に結びつかないコトが、ようやく理解できて、それでも、バーチャル的スポーツ快感&サウナでトトノウと、実走的スポーツ快感&モーニングとの狭間で心揺れる日曜日の朝で、室内バイク&サウナに心動かされる日曜日の午前中だった。

そんなコトより、もっと大きな理由があるコトに、気付いてきて、それは、まったくアスリート的でないので、「道具」で気分を盛り上げないと、サステイナブルにならないのが、趣味的な世界なのだとおもうわけで。というか、「モノ」の楽しみがないと、持続可能なスポーツとして、ワタシの傍らをすり抜けていく感じがするのだ。それは、今、乗っているカーボンバイクという道具に、それなりの満足をしながら乗っているのだけれど、ただ「モノ」としての自転車を、アスリート的にタイムアップを狙たりし、細部を軽量化やチューンナップする楽しみ方は、どうも、ワタシには似合わず。

 

そうそう、昨年の秋に、ウィリエールのキタムラくんと、富山ツアーをし、そこで新作のフロントフォークがカーボンのクロモリバイクに乗させてもらうと、とってもエエ感じだった。福井の自転車ショップのオーナーで元競輪選手の方も、その新作バイクのフィレット溶接バージョンを乗っていて、どぉ、乗ってみる!と勧められて、乗ると、やっぱりエエ感じなのだ。その感覚が残っていて、欲しいなぁという「モノほしさ」が募ってきて、それが、背後霊のように取り憑いているコトに、最近ようやく気付いて。いまの自転車に乗らない気分を探しているような気がするのだ。

モノを買う事に躊躇する理由はイロイロあって、マネー量の問題が一番大きいが、手に届きそうな欲しいモノを買うマネーが全くないわけではないのだろうが、予測不能な先行きが、その消費に歯止めをかけているのが昨今で。ワタシの場合も、「快適な室内空間で過ごす」ために、リフォームに老後のお金を費やしたものだから、なんとなく、こういう趣味的なモノに消費するのに、躊躇する気持ちが芽生えるのは、現実的なマネー量の問題があるにしても、それ以上に、いまの世の中の予測不能な経済的気分が、そういう躊躇を助長しているのだともおもう。住宅取得に悩む若い世代の気分も同じなんだろう。

モノを買うのに、瞑想して心落ち着けて、ようやくそのモノを傍らに置ける勇気がでてくるような時代かもしれず、それにしても「モノつながり」で、生活が生き生きとし、愛情にも溢れたりするわけで、「家と空間」に投資するのは確かに勇気がいる時代ですが、素敵なライフスタイルをうみだすために、モノに投資し、快適な室内空間を一緒に創造してみるのは如何でしょうか。なんていうお誘い。

初勧進帳鑑賞

テレビで観る、なんとなくちょっとチャラい感じ。いや、生で、間近に観ると、存在感があり、おっっ、カッコエエ…と呟いてしまいそうな圧倒的な雰囲気がある。「芸事」って凄いよな。っておもわす何かがあって、ワタシもプロとして精進しよぉ。っとそんな気分にさせてくれる。オトコという立ち位置がそうさせるのか。女性はどんな感性で観ているのだろうか。

最後、幕が降り、海老蔵ひとりが花道に残り、静けさの中で、拍子木の音とともに所作をする瞬間、ワタシの背筋も、すうっと伸びた。飛び六歩とともに、花道から袖に引けていくかっこ良さが残像のように残り、観客全員を、あっっっ良かった!っていう気分にさせて、公演が終わる。江戸時代からの名作を、江戸の人、明治の人、大正の人、昭和の人、平成の人、令和の人、それぞれが、同じように感動しているというのが、伝統芸のなかの代表作としての凄さなんだろう。

それはそれとして、生演奏がとっても良い感じなのだ。こんなに音楽として素晴らしいとは全く知らなかった。緊張感のある最上のコンサートのような雰囲気で、そのアンサンブルをバックミュージックとしながら、語りがあり、舞があり、音楽が演技と一体になりながら、絶妙の間の手として、音が演技の中に入り込んで、気分を盛り上げてくれる。そういや、海老蔵と右團次のコトバによる掛け合いは、今風に言えば、ラップの掛け合いのようであり、いやジャズのトランペットとサックスの掛け合いのようでもあって、そこにドラムやピアノやベースが絡まるように、三味線や鼓や長唄や笛が絡んできて、それが絶妙。舞のカッコ良さはなんとなく映像で見ていたので、なるほど。こんな感じなのか。みたいな印象で、その所作の優雅さと力強さに感心するのだが、舞以上に、生音の、音楽面の豊かさに驚いた。それに、演奏するひとたちの、楽器を扱う所作が、とってもカッコエエのだな…..。

舞台に向かって右側の袖の席に、舞妓さんたちが沢山座って鑑賞している雰囲気が、いかにも京都らしく、休憩時間には、最前列にいた黒い着物姿の女性に、全員が挨拶にきて、その様子が伝統と格式を感じさせ、舞妓さんと歌舞伎と京都南座といベストマッチな雰囲気を見ていると、ワタシは外国人、みたいな気分で眺めていた。そうそう、演目の前に、舞台挨拶があって、フツウの着物姿で、海老蔵や右團次や合計5人が挨拶をし、質問コーナーなどもあって、笑いと和やかなムードの現代的なフツウの人間としてのトーク番組的演出のあとの、あの緊張感のある古典の勧進帳で、そういう「今」と「古典」を違和感なくタイムトラベルさせられてしまうところに、歌舞伎の現代性を垣間見たおもい。

海老蔵と右團次の挨拶でのトークで、昨晩は遅くまで飲んで、今日は朝からサウナに入ってスッキリして、そこでトキオのマツオカくんにも会って….なんていう会話があって、そーだな、ワタシも朝からサウナに行ってから「初勧進帳鑑賞」をしたら、もっとシンクロ的共感を持てて良かったかも….なんて。また観たい気分。

「ものつながり」と「感謝状」

冬らしい寒さが続く。ようやく今日は寒いねっていうコトバを発する日々。「初午祭」という木村工務店のルーティンがあって、今年の初午は、今日の2月9日日曜日らしいが、だいたいその前後の土曜日の夜に、協力会社の集まりの精親会の職人さん達が集まって、祈願をし、会社の現状や課題をお伝えし、懇親会を催す。1957年に初代木村精一が今里新地の料亭で始めたということで、63年間続くものの、何回か開催しない年もあったらしいが、ここ数年は、木村工務店の加工場で催し、昨日2月8日土曜日がその初午祭だった。

豊作を祈る初午の風習にあやかって、安全祈願と商売繁盛を祈るわけだが、プロジェクターとパワーポイントという現代的な道具のおかげで、ビジュアル的になったので、職人さんたちに、それなりに伝えやすくなったが、「可視化」なんていうコトバがあるように、職人さんと設計者と現場監督が、さまざまな建築的な課題を可視化し、施主と共有するのは、もっとも大事なテーマでありムツカシイコトのひとつで、図面とか工程表とか見積書なんていう昔からある可視化し共有する仕組みがあるものの、現場でのディテールとか素材感とか雰囲気とか価格感などなど、表現しにくいものを、施主の共感を得るために、どのように可視化し、親切丁寧なコミュニケーションとものづくりを続けていくのかが、共通の課題のひとつで、懇親会の話題だった。

「ものづくり」と「ものつながり」なんていうコトバもテーマのひとつで、うちの初代も、建築というものづくりを通じて、お互いに繋がりをもつコトを大切にしたかったのだろう、精親会という「ものつながり」を意識する儀式のようなものが、木村工務店の社員と大工と手伝いと協力会社の職人さん達が集まる初午祭なんだろう。

木村工務店の加工場で催すようになってから、職人さん達も気軽に出席してもらえるようになり、90名ほどの参加者で推移しているが、ここ数年、社員が、職人さんたちを「おもてなし」しようということになって、おでんや焼き鳥やあれやこれやと学園祭的なノリで、ま、キムフェスとでも言うのか、カウンターの中に社員がいて接客するスタイルで懇親している。今年は、食事の「おもてなし」だけでなく、職人さんに「感謝状」をお渡しする場にしようと思い立ち、63年間にわたり木村工務店の精親会に尽力して頂いている材木屋さんの岡房商店の岡本伸一さんと、鉄骨屋さんの横井金物の横井健次さんに、感謝状をお渡しすることになった。

紙の、いわゆる、あのタイプの、感謝状を贈呈し、額のなかに入って飾ってあるのに、ちょっとした違和感があったので、そのデザインをどうするのか、いろいろ考えながら、インターネットをみているうちに、アクリル板に文字を削って書く方法を知って、それで、そのアクリル板をはめ込む台座をどうしようかと思案していたら、そうそう精親会会員で、木製建具を製作してくれている川端建具さんに、建具の吉野檜材と木取りし易い材料寸法で依頼する事を思いついて、こんなデザインの感謝状になった。

これからも精親会初午祭を継続しながら、デザインをバージョンアップしつつ「感謝状」を贈呈し、「ものつながり」を、あーだこーだと意識してみたいとおもう。

現場監督と職人さんとクラフトマンシップ

  

もう2月。1月は行く。ふと庭を眺めると、侘助(わびすけ)のピンクの花が開花し、ヤマドリも花目当てにやってきて楽しげなのに、数日のうちに土の上に落下しているピンクの花の姿が、いかにも侘しい。うちの家にとっては、それが、冬から春に移ろうとする兆しのようなもので、そろそろ白い梅が咲いて、3月にサンシュウの黄色い花が咲いて、さぁ桜はまだかいな。みたいな、花の季節感がはじまる。

 

 

「お餅つき」と「建築人」

冬の穏やかな天候のもと、恒例のお餅つきワークショップを開催したのが土曜日のコトだった。もともと、社員の家族と木村家の庭で始めたのがきっかけで、いやそれが、ワタシが小さい頃は、木村工務店で、年末の28日にお餅つきをやっていた記憶が薄ら残っているのだが…..、それで、道具類はそこそこあって、丁度、お餅つきを復活しようとした2008年が、清見原神社社殿増改築工事の木材加工を、うちの加工場で一年かけてやっていたま最中だったので、神社木工事施工担当の沖大棟梁が、蒸籠(せいろ)の蓋を手加工で製作してくれて、そこに蒸気を抜く5分穴を開けるのに、延々とその穴の大きさについての講釈を語りながら、加工してくれた時のことを、今でも懐かしく想い出す。


↑その時の社員家族の記念写真。写真右端が、次男タカヒロで、その横でマゴと肩を組んでいるのが、2代目社長木村正一。長男タカノリは、東京で大学生だった。

 

時は流れる。左の写真は、前掛けをしている長男タカノリが、4年前に木村工務店に入社し、今年もお餅をつき、木村工務店の前掛けをマントにしたマゴ二人が、うろちょろしている。ワタシもマゴ二人と記念写真を撮ってみた。ちなみに、次男タカヒロは大学の建築学科に進学した。2008年の記念写真2代目社長の左隣のお子さんは、うちのトミマス工事部長の長男さんで、大学の建築学科に入学したらしい。こんなふうに2008年から2020年に至るお餅つきを振り返ってみると、唐突に、芭蕉の句を想い出した。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又『建築人』也」(月日というのは、永遠に建築の旅を続ける建築人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように建築人である。)みたいな心境。芭蕉のように旅人として生涯をおくる人生は、かなわぬ夢だが、家族や知人で「建築人」として一緒に生きるのも、まんざらでもないような気がしてきた…..。

そうそう、この前掛けは、数年前に神戸でリフォーム工事をさせて頂いたお施主さんが、アパレル関係のお仕事をされているそうで、完成のお礼にと、木村工務店のマーク入りの前掛けを数枚製作しプレゼントして頂いた。毎年お餅つきで活躍をしている写真を眺めると、あらためて、この場をかりて、感謝申し上げたい。そういえば、リフォーム工事をさせて頂いた、奥さんと小学生のお子さんが、お餅つきに参加頂いて、その時の会話のなかで、その息子さんが、建築をやりたいと言っているので、どうしたら良いか、アドバイスして欲しいと言われた。そのお子さんを目の前にして、なんだかそれらしいコトを語ったが、いま、おもえば、「建築人として生きる道」なんていうのが、いろいろあるのだな…..。

 


 

かつてない多数の参加者で、ワタシたちが驚いて、慌ただしく急遽座席とテーブルを増やす、てんやわんやな状況だったが、老若男女のエネルギーに取り囲まれながら、お餅をつく、ペッタンペッタンという音と、あの威勢の良い掛け声との響きが、皆さんに活力のようなものを与えていたのかもしれない。カマドの火が燃え続ける活気が、ドラムの音のように、皆さんにエネルギーをたきつけていたのかもしれない。が、そんなコト以上に、多くの参加頂いた皆さまのお陰で、共に、エネルギーを分かち合えたことに、深く感謝申し上げたい。ありがとうございました。

ペットボトルのデザイン・ケイエイのデザイン・マチのデザイン

暖冬な日々。今日は、ちょっと寒いね。みたいなコトバをたまに言い放つぐらいで、メチャメチャ寒いわ。というコトバは、まだ発してないような気がする。なので、風邪ひきになりにくい冬なのか。っておもっていたら、二日ほど前から鼻がグズグスしてきて、ひょっとして花粉症。まだ、はやいよね。予報では、今年の花粉は少ないらしい。それでも、なんとなく花粉症のような気がする。とにかく中途半端な気候なのだ。昨年に比べ、暖房のための電力消費量は、20~30%少ない気がする。

 

そうそう、風邪対策のひとつで、湿度が40%以上の方が、インフルエンザウィルスの生存率が低いらしい。いや、相対湿度など関係ないよという論文もあって、よーわからんが、とにかく、乾燥していない方が、喉にも唇にも快適なので、昨年末に、サンワサプライのUSB接続で、ペットボトルを利用した卓上のパーソナル加湿器を買ってみた。ウイルス菌の対策としての身体的効果は、いまだに、よーわからん状況だが、それより、ペットボトルのデザインがいろいろあるコトにあらためて気付かされた。

炭酸飲料のペットボトルは底には花びらのようなくぼみがあって、炭酸を入れたとき、底が膨張して、不安定で立てられないので、こんな形にして膨張を防いでいるらしい。逆さまに設置すると、これはこれで、カッコエエし、コーラの胴のくぼみもセクシーでエエのだが…..。

胴の部分に凹凸があるペットボトルは、耐熱用のペットボトルで、高温で殺菌してから中身を充填するらしい。逆さま向けて、ラベルを取ると、構造的な意味合いは理解出来たが、いま、手元にあるペットボトルの構造的デザインは、どうも好みでない。ま、様々なペットボトルを購入して、ラベルを剥がし、丸裸にし、逆さまにして、そのスタイルを眺めてみる…..なんていう、ちょっとヘンな趣味的楽しみを発見したのだけれど、冬になると、ペットボトル飲料をめったに買わないので、そのコレクションが進展していないのがとっても残念。

それより、会社の自販機に、「evian」のペットボトルがあって、これをわざわざ購入して、ラベルを剥がし、逆さまに設置すると、シンプルでとってもカッコエエのだ。口元のほんのちょっとのデザイン的くびれだけで、胴にくびれがないということは、殺菌もしないということで、それで安全なのかどうかペットボトルの記事を読んでいると心配になるが。それより、驚いたのが、口のサイズが、純日本製のペットボトルより、ひとまわり小さいのだ。フツウのペットボトルは、付属のアダプターを取り付けて設置する設計になっているのに、「evian」はアダプターなしで設置できて、接続部分もシンプルで、オシャレ。調べてみると、ポール・スミスやジャンポール・ゴルチェ、イッセイ・ミヤケ、エリー・サーブといった世界的に著名なデザイナーとコラボし、限定ボトルを製作しているらしい。それって、手に入るのかね。と調べてみたら、な~んだ、ラベルのデザインなのね。ま、とりあえず、冬の間、ペットボトルの裸の構造的デザインを眺めながらシゴトしてみようとおもう。

土曜日は、「ものづくりセッション」が、加工場であり、いろいろなものづくりをしている若いひとたちと、一緒にあーだこーだというのが、楽しい。プレゼンターの船舶照明を製造している100年企業の大阪電気工業株式会社のプレゼンでは、まずは商売を続けて、「新しい商品×今までのお客さん、今の商品×新しいお客さん」を模索する。っという話で、ほんまもんの無骨な船舶デザインを少しだけ編集することで、今まで繋がっていなかった一般のお客さんと新たに繋がる可能性ってあるよな。なんて、みんなと一緒に考えながら、それぞれが自分達の会社のそれぞれのデザイン経営を考察していたのだとおもう。

日曜日は、「空き家カフェ拡大版」が、加工場で開催されて、生野区長の参加もあり、今回は、行政の方々の主導のもと、都市整備局の空き家に対する補助金の話や、建築家のヨシナガくんの講演や、近大の田中先生の講演のあと、シンポジウムがあって、ワタシもパネリストとして参加しながら、会場のお客さんとも意見交換をし、空き家を題材にして、魅力的なマチの在り様を、その仕組みも含めて、どうデザインするかを模索するのが、空き家カフェなんだと、あらためておもった。

とっても天気の良い土曜日と日曜日だったので、アウトドアーで、冬の日差しを浴びたい気分も少々あったが、二日連続で加工場で過ごし、ケイエイとマチとコネクトする、有意義な週末となった。参加頂いた皆さん、ありがとうございました。

繋がり始め

1月6日より令和二年の営業が始まって、挨拶回りと4つの新年会で、あっという間に一週間が過ぎていった。木村工務店年始の新年会は、地元の清見原神社で参拝したあと、70名ほどの社員と職人と協力会社の方々が集まって、北巽の木曽路でしゃぶしゃぶを食べるのが、ここ数年の恒例で、この時に、15分ほど、年頭所感のようなものを語るのが、ワタシの役目で、年末年始のお正月休みの間に、そのネタのようなものを探して、考えるのが、少々のプレッシャーなわけで、年末に送られてくる雑誌の新建ハウジングがそのネタ元になったりし、ここ数年の年末読書の一冊だったりする。

CX(顧客体験)視点で考える工務店の再構築。なんていうタイトルだったが、その中に、2018年に経産省と特許庁が提言する「デザイン経営」なる項目があって、デザインが経営に直結すると考える。経営としてもデザインに取り組みましょう。というコトのようで、経営チームにデザイン責任者がいること。事業戦略の最上流からデザインが関与すること。がデザイン経営の必要条件らしい。そういわれれば、なんとなく、頑張って、住宅デザインをやってきた感じだが、単に、オシャレな住宅デザインを造る。というコトでなく、経営思想とデザインが一致する、工務店のデザイン経営を目指しましょう。ということのようだった。

そうそう、年末の忘年会とブログで、Reborn「再誕生」したい気分。と宣ったが、経営思想と一致するデザインコードを持っていることが、デザイン経営であるのだろうが、そんな感じにRebornしたい気分だと、年頭所感を語り、しゃぶしゃぶを食べて、ものづくりの仲間たちと、お酒を酌み交わし、加工BARでささやかな2次会をし、新たな気分で、気を引き締めて、「シゴトの繋がり」が始動した。

二つ目の新年会は、生野区新年交礼会で、父が亡くなってから、引き継ぐような形で参加して4回目になるが、生野区の各地域連合町会の方々を中心とした集まりで、生野区長を初め行政の方々と、生野区選出の市会議員や府会議員、各種団体の方々が出席される、大人数の立食の新年会として、ホテルアウィーナ大阪で開催された。「まちのえんがわ」で「空き家カフェ」など継続してきたからだろうが、町会の方々、行政の方々、議員の方々と親しく挨拶を交わせる関係性が芽生えて、そんなお陰で、この会で、新年の挨拶をすることで、新たな年の、「マチとの繋がり」が始まる、そんな新年の気分を盛り上げるワタシの行事のひとつになってきた。

三つ目の新年会は、永和信用金庫の新年賀詞交換会で、2年ほど前まで、会社から歩いて2分ほどのところに、生野小路支店があったので、先代からのお付き合いがあり、こちらも、父が亡くなってから、出席するようになって、まだ数年ほどだが、シェラトン都のお昼の立食パーティー形式で、気軽に参加出来るのが有り難い。何度か参加しているうちに、何人かの経営者の方々と、挨拶出来る関係性になってきて、その経営と金融のオーラを浴びているうちに、新年のワタシの気分が「キンユウと繋がる」そんな心構えを整える新年会として機能しているのだろう。

四つ目は、生野産業会の新年会で、毎年1時間ほどの新春講演会のあと、新年互礼会が、ホテルニューオータニ大阪であり、多くの生野区の企業の方々、行政の方々、議員の方々が参加されるので、コンパニオンもいて、円卓テーブルを取り囲む、華やかな新年会だが、こちらも父からの引き継ぎで参加して5年目になり、最初は父との思い出話などが、コミュニケーションのきっかけになっていたが、徐々に、ワタシとの関係性も芽生えてきて、さまざまな職種の経営者のオーラを浴びるのがなんとなく楽しい。そういえば、講演会の最後のコトバが、『100年に一度の大変革の時代に「第2創業」「第3創業」を。ちょっとの勇気と凶器を』だった。Rebornな気分と一致するので勇気づけられたが、まだ少々引きずっていた正月気分が「ケイエイと繋がる」そんなきっかけになる新年会だった。

お正月気分で、少しの間、ソトと断絶していた、ワタシのココロのウチの回路が、シゴト・マチ・キンユウ・ケイエイの回路と、再コネクトした一週間だった。

謹賀新年2020

新年あけましておめでとうございます。

木村工務店では、明日1月6日が初出で、お正月休暇が、あっっという間に終わってしまった、その寂しさと、明日から始まる仕事に対する少々の憂鬱な気分が押し寄せて、複雑な心模様になる、初出前日の夜なのだが、不思議に歳を重ねるにつれ、その憂鬱度合いが薄らいできているような気がするわけで、こういうのって、何なのだろうかね。仕事がしたくて待ち遠しい!という心情にはほど遠く、ま、時の流れに身を任す。っていうような感覚が、徐々に心身に染みついて、寂しさや憂鬱さが、ワタシの心に纏わり付かなくなり、さらっと流れていくような、そんな感覚なんだろうかな….。

ここ数年の年末年始は、30日に黒門市場に行き、その帰りにお墓参りをし、その夜は、東京から帰省した次男とともに、工事をさせて頂いた、鶴橋の一龍で、焼き肉を食べ、31日は、テレビの紅白と行く年来る年で、新年を迎える、オーソドックスな年末で、元旦の朝は、家族全員が集合して、座敷でお屠蘇をし、おせちを食べ、お年玉を渡したあと、施工に携わっている清見原神社の拝殿の中で、家族一緒にお祓いをうけて、初詣をするのが、年始のルーティンで、ちょっとお気に入りの一連の作法が、心をリフレッシュさせてくれるのだろう。

そうそう、年末の黒門市場は、ますますガイジンの観光客でいっぱいで、もはや、新鮮な海の幸を買う場所ではなくなってきたが、それでも、あの活気の中で、市場の中を、多くのカイジンと肩を擦れ合いながら歩くのが楽しい。中沢新一の「大阪アースダイバー」の「カマドと市場」に「カマドは敵が味方に変わるところ」とあり…..

カマドはかつて家の中心におかれて、そこで食材も人生も転換をおこしていた。(中略)「都市のカマド」といえば、それは古代から市場ときまっていた。市場はカマドと同じように、さまざまなものの転換がおこる場所である。大地と海がもたらした恵み(贈与物)は、市場でお金に換算されて交換されるが、家庭の台所で調理されて、みんなの健康をささえる恵みに姿を変える。都市を大きな家に例えれば、たしかに市場はそこのカマドにあたる。(中略)黒門市場のようなほんまものの市場が生きている大阪は、やっぱり庶民の町だな、とアースダイバーはうれしくなる。いくら巨大な都市に成長をとげても、人間と自然がいろいろな場所でひとつながりになっている大阪はあいかわらず庶民の町なのだ。そしてそのことは、人間の世界の質がどんどん貧しくなっていこうとしている現代、ますます輝きをもちはじめている。(中略)古いことばでは、市場のことはよく「敵が味方に変わるところ」と呼ばれていた。いままで外の世界のよそ者と見られて、警戒されていた潜在敵が、いったん市場のなかに入ると、身内に変わる。…..

と書かれてあって、もはや、ほんまもんの市場感は薄らいできたが、それでも、人間と自然がつながる場所として、都市のカマドとして、黒門市場の良さをカイジンが気に入っている姿が面白いとおもうし、ワタシも、心の「転換」が起こりそうな、そんな気分を味わいに、年末の黒門市場を歩いているのだとおもう。

正月3日目になると、流石に、体を動かしたくて、うずうずしてきて、丁度、石川県の山代温泉に夫婦で一泊予定だったので、早朝から車で、岐阜の鷲ヶ岳にスキーに行く。雪がなく、人工雪なのに、人が超いっぱいで、いかにコブ斜面をうまく滑るか。なんていうノリではなく、いかに人を避けてスムーズに一気に滑りおりれるか。そんなのを楽しむスキーだった。そうそう奥方は、車と食堂で休憩していた。シニアの5時間券だと2300円なので、3時間で9本ほど滑って、もう充分。午前中でスキーを終えて、道中、永平寺に立ち寄る。うちの家も曹洞宗で、奥方は初体験。ワタシは三度目。修行僧の荘厳な勤行(こんぎょう)が鳴り響く良い巡り合わせの時間帯だった。ここ二年ほど、お正月に訪れて、伊勢神宮で感じた清々しさとはまた違う、ハラに座るような清々しさを感じた永平寺で、道元禅師からのメッセージに、こんなのが書かれてあった。

はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう
心がそろうと、はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと、世界中の人の心もそろうでしょう

こんなコトバで心静かにする永平寺だった。
本年も木村工務店をご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

年末という心

お正月休暇、初日の、29日日曜日。

木村工務店では、12月28日が仕事納めの大掃除で、ま、それは、シゴトでもあって、「全員で一緒に片付ける」というイベントを通じて、日常の整理整頓の大切さを感じたり、材料発注の間違いの在庫を目の当たりにして、心情のどこかに、後悔のようなものが付着したりし、そんなこんなを通じて、会社の埃を振り払うコトで、なんとなく一年の心の埃も振り払らっているのだろう。工務店というのは、整理整頓をしながら、適切な材料発注をする、そんなものづくりであるのだ。と、毎年、この時期になると、あらためてそうおもう。何時ものように、午後3時頃から、皆で、テーブルを囲んで、ビールで乾杯し、お寿司を食べ、一本締めで一年を締めくくった。木村工務店の、ちょっとした伝統でもあるので、新しい社員にも根付いて欲しい。

 

先月催した、秋山東一さんのメルクリン&メカノの「縁」というのが、いろいろあって、そのひとつに、鹿児島のシンケンさんにお邪魔する機会を得たのだけれど、もうひとつ、30年ぶりに会うことになった、大学時代の友人のマツザキくんが、ふらっと東京からメルクリンを見に来てくれて、それで、その当時の、共通の友人ウチダくんを交えて、3人で会おうとなった。その日が、28日の納会終了後の夕刻で、うちの家で、鍋を囲んで、それぞれの歩んできた、30年の話を語り合いながら、これからのコトを模索する、三者三様なのだが、建築家のウエノくんが、伊勢からの帰りだということで、飛び入り参加して、それはまるで、居酒屋で隣に偶然出会したオッチャンが、仲間入りしてしまった!みたいな、四者四様の混沌とした状況になり、なんだかとっても楽しい宴となった。

いま、住んでる家を、リフォームした時に、「皆で食事を共にする2700mmのテーブル」を造ったコトで、いろいろな宴が芽生えて、いや、それが、いま長男家族が住んで、かつてワタシたち家族が住んでた家も、2度ほどリフォームをし、その家の方が、ワタシにとって、建築的に居心地の良い、お気に入りの場所が、何カ所もあるのだけれど、年齢が若かったせいもあるので、微妙な表現だが、フツウの宴にはなりにくく、ちょっと尖った宴ばかりだった。なので、次は、フツウに皆が集まって、食事を共にする場を、どうしても造りたかった。というのがワタシの心模様なんだろうが、それで、昨年、次男22歳の高校の同級生のママ友6人が、うちの家で忘年会をすることになり、その時にそれぞれの息子も一緒について来るという、「6人の母と6人の息子の宴」という、とっても奇妙で不思議な宴が芽生えて、そんな居心地の悪い宴なんて!とおもっていたら、想定以上に居心地が良くLovelyだったので、また、来年も!というノリになって、それが、今日の出来事に繋がった。

今年は、長男とその友人でベルリン滞在をアテンドしてくれたユウトが飛び入り参加で加わり、その上、ユウトの友人もなだれ込んで来て、その場にいた男子は、ワタシとマゴイッケイ以外、同じ高校出身者だという同窓会的フレンドリーな集団で、そこにラブリーな母6人がウキウキしているという、一見、気持ち悪そうな集団なはずなのに、不思議に皆が発する波動と歓声に癒やされてしまう、そんな29日の夜になった。

木村工務店では、1月6日が初出で新年会です。1月7日より通常営業となります。
今年一年間、ご縁を持った皆さまに、感謝申し上げると共に、良いお年をお迎え下さい。

 

ノリつっこまない、せいろん。コーンフレーク、モナカ。

どんよりした日曜日の朝。寒いような寒くないような。そうそう、土曜日の夜、吉野檜の坂本林業のサカモトさんのご縁で、竹中工務店の設計部の若い数名の方々を中心とした集まりがあり、うちの家で、何度か宴を催しているのだけれど、「テクトニックカルチャー」という建築の難解な本を、章ごとに担当者を決め、読解しながら、それをネタに飲んで食べるという、建築好きの、ヘンな宴会で、それが、午後5時過ぎから、午後11時過ぎまで、食卓のテーブルを囲んで、座ったまま延々と話と宴が続くわけで、料理を造ってくれている、うちの奥方は、呆れかえった顔で、眺めていて、その呆れ顔を見るのが、毎回楽しみだったりする。

食卓のテーブルの前にテレビがあり、それにパワポや写真を映し、食べて飲みながら、あーだこーだというわけで、こういう遊びの会は、難解でまともな話の途中に、つっこみが入り、話が脱線し、あちらこちらに飛びまくりながら、共感しあえるのが、面白いのだろう。緊張と緩和、繋がりそうもない話が繋がっていく意外性もエエのだろうが、建築好きで真面目で遊べる若い方々のお陰で、こんなちょっとためになる楽しい時間を持つコトができて、皆さんに感謝なのだ。

なので、こんな土曜日の次の日の日曜日の朝は、自転車に乗って運動する気が全くなく、というより、ダラダラ朝を過ごすのが、心地良い日曜日の朝で、スーパー銭湯に行って、室内ジムで30分ほど体動かして、お風呂入って、サウナ入って、水風呂入って、サウナハイな午前中が過ぎていった。夕方、コトバノイエのカトウさん夫妻が、「まちのえんがわ」の本を一部入れ替えにやってきた。「まちのえんがわ」の本は、コトバノイエの出店のようなもので、古本として購入できるので、気にいった本があるようでしたら是非。最近PayPayでも購入出来るようになった。

カトウさん夫妻とアオキさんを交えて、うちの家で、一緒に食事を共にする。あらやこれやの四方山話をしてたら、M1選手権が始まって、漫才をテレビで見ながら一緒に過ごす、なんとなく不思議な日曜日の夜だった。

ペこぱの「ノリつっこまない、せいろん」なんていうのが意外性があってオモロイ。暴言のようなコトバや行動に、「ノリつっこみ」をし、揶揄するところを、ノリつつ、つっこまず、正論を語って、同意するエエ人になる。みたいな感じなんだろうが、普段のコミュニケーションでも、そんな場面って、意外とあるような気がする。「笑い」の世界にも、まだまだ、新しいスタイルが存在するのだな。ミルクボーイの「コーンフレークとモナカ」という、誰もが親しみながらも、なんとなく感じている、違和感のようなものを、面白可笑しく可視化し、共感を得る笑いっていうのが、清清しく、後味が良いのがエエのだな。チャンピオンになる姿に、グッとくるところがあって、笑いのイノベーションなんだろうか。

建築の世界にも、住宅の世界にも、「こんな新しさ」が、まだまだあるのだろう…..。

1 26 27 28 29 30 41