雨降りだから美術館

雨降る日曜日。ゴールデンウィークに突入する前の週なのだが、ぐずついた天気の一週間になるらしい。木造住宅の上棟予定があったものの、棟梁が、構造材を雨ざらしにするのがイヤなので、ゴールデンウィーク明けに上棟をズラしたいと申し出た。それで施主に了解を得て上棟をずらすことになった。

昔は、ゴールデンウィークの休日でも仕事をしたい大工さんが多かったが、最近は会社の休みに合わせて休日を取る大工が増えてきたし、土曜日も休む大工が増えた。その分、工期は延びるのだが、時代の変化とともに職人さんへの敬意を含めて、施主の了解も得られるようになってきた。木村工務店では4月29日から5月5日まで会社はお休みを頂戴しますが、一部の現場は暦通り稼働予定です。

天気予報の進化によって今日の日曜日の朝から雨が降る予報だったので、前日の土曜日からアウトドアーに出る予定に諦めがついていたが、いざ日曜日の朝に目覚めると、やっぱり雨かぁ…..と再認識し、さて、どうしようかとおもいながらテレビを付けると、ウクライナ情勢の報道が流れ、憤りを通り越した諦めのようなムードになっているワタシがいて、その感情を跳ね除けるようにベットから跳ね起きて、久しぶりに朝風呂朝サウナに行くことにした。スーパー銭湯も値上げするらしい。1年前に比べ建築費もかなり上昇しているし、もはやインフレの世の中なのか?

雨の日の朝風呂が格別に好きだ。あと「雨降りだから」本でも読もう。とか。音楽でも聴こう。とか。大好きだったが、いつの間にかそんな感覚からどんどん遠ざかってしまったワタシを、いま、ちょっとずつたぐり寄せようとしているところ。なのに、庭を隔てて繋がるマゴ達が、雨だから退屈だぁ退屈だぁと朝から押し寄せてきて、本も音楽も吹っ飛んでしまい、一緒に新しくできた「中之島美術館」に行くコトになった。

現物を見るとフツウに良い美術館なのだとおもう。黒の外壁のテクスチャーが単調なのは「コストを調整したのか」「意図なのか」そこは知りたいとおもった。奥方と長男奥方のお目当てはその美術館内にオープンしたデンマークのインテリアショップ「HAY」を見るコト。コペンハーゲンの百貨店で見た記憶が残っているが、想像以上に日本での価格が高かった。そうそう、それとデンマークで訪れたルイジアナ美術館が最も印象深い体験で、食べたり寛いだりもできて一日過ごせる美術館だった。中之島一帯で、そんなふうになっていこうとしているのだろうか。散策できて寛げる文化的な良い街になれば嬉しい。

「モディリアーニ展」が開催中で、偶然マゴとモディリアーニのTVドキュメンタリーを一緒に見たので親近感が湧く。最近この手の展覧会に行くと必ずイヤホンを付けて解説を聞くようにしている。美術史のコトにまったく精通していないので、モディリアーニを中心としながらその当時のパリの美術界の解説が分かり易く、マゴ達もイヤホンを付けるとおとなしく聞いていたので妙な一体感がうまれた。

雨降りで、美術館という共有体験を持てたのが、心地良く感じる日曜日になった。

「摘み菜」

とっても気候の良い4月の休日。「まちのえんがわ」ワークショップを開催した日曜日。昨年は5回ワークショップを開いたが最後は昨年11月。コロナの影響で久しぶりの開催となった。

「摘み菜」というコトバは馴染みのありそうで、初めて聞くコトバだった。平谷(ヒラヤ)けいこさんは摘み菜料理研究家で今回のワークショップを開催した妙齢の女性で、近くにある居酒屋あそび菜さんのご紹介で縁を持つ事になった。ちなみにあそび菜さんは何度か「まちのえんがわ」ワークショップを開催してくれている。雑草とか野草と呼ばれている「草」を摘み取り食す。そんな雑草が食べられるとは思っていなかったので、ワタシにとっては新たな気づきになるワークショップだった。ちなみに「摘み菜」というコトバはヒラヤさんが考えたという。

うちの家の近くに通称「長細公園」というのがあって、かつては運河だったらしいが、そこが埋め立てられ、長細い公園として遊具が置かれていた。そこはこの周辺の子供にとっては刺激的な遊び場だった。「ブランコ」や「うんてい」や「鉄棒」の技術を習得したのも家から歩いて1分のところに長細公園があったからだ。数年前のこと「もしその長細公園の遊具で事故が起こればその責任は町会長が取らなければならないらしい」という責任問題が浮上し、すべての遊具が撤去されることになった。致し方ないが、いかにも現代的な理由だ。ただ遊具がなくなると、ただの土道になって、この道を通る人がほとんどいなくなり雑草が育つ通路と化した。

普段は邪魔者扱いする雑草が「摘み菜」の宝庫だとヒラヤさんが語る。その長細公園を散策しながら、雑草を観察し、食べる雑草をヒラヤさんから教授してもらう。参加者の女性が土道に座り込んで、雑草を観察し採取する姿は、異様な姿でもあるが、あるいみ美しい光景でもあった。長男嫁とその子供達が参加し、楽しそうに雑草を引き抜いては、ヒラヤさんに名前を尋ねる姿が微笑ましかった。採取した雑草を持ち帰り、加工場でそれぞれがスクラップブックにする作業のあとに、木村家の庭で、摘み菜によるお茶会を催した。

ヒラヤさんは洒落た女性で「ななな」三発講座というキャッチーなフレーズのもと、【「な」の発見 ~摘み菜の観察~」】・【「なかま」とナイスな発創 ~摘み菜ノート作り~」】・【 ティータイム ~加菜っ平(カナッペ)&摘み菜茶~「なごみ」の発信 ~各自のお気に入りを話し合う~】というワークショップ構成で、最後にうちの庭で摘み菜によるお茶とゼリーを頂き、ビスケットに摘み菜と自家製ソースのトッピングで食したが、おもわず「香りが良い!」「美味しい!」というコトバが出てしまうほど、オーガニックで身体に良さそうなお茶と食物だった。

ここ数ヶ月、月一回「まちの工務店ネット」で、建築家の秋山さんとランドスケープデザイナーの田瀬さんによるレクチャーがあって、建築家の方々と接する機会は幾度もあったが、ランドスケープの方との接触はほとんどなく、ゆえに田瀬さんから発せられるランドスケープに対するコトバ使いと考え方に刺激を受けている。その刺激と同じような刺激を平谷さんからも感じる。「土」と「植物」というのは身近にありながら、深く考える機会がなかった。人の名前と植物の名称を記憶するのが苦手だと再認識するのだが、それにしても街角にある「摘んだ草がたちまちごちそうになる」という発想と探求に敬意を表したいとおもった。

変化の春かな。

夏日の春。桜も散り始めて青葉がでてきた。住宅相談会がある日曜日だったが、気候が良いので、早朝から自転車に乗ることにした。今年初めてなのだ。4ヶ月近くこんなに自転車に乗らなかったのは自転車に乗り出してから初めて。というよりこんなに雪のある冬が久しぶりだったので、日帰りひとりスキーに5回行った。これも初めて。なので自転車がスキーに取って代わった冬のシーズンだった。

十三峠を往復するだけの1時間40分。足がまったく回らなくゆっくり登る。無事到着できて良かった。下り、定点観測的に桜を見ていた場所に駐め、山を眺める。サンシュウの群落の黄色は色あせていたが、ゴジラというか恐竜のような顔に見える山桜はかろうじて残っていた。ぎりぎりの春に間に合った感じ。

金曜日の夜、大学時代のフリスビー同好会のメンバーに誘われて大阪城で食事会。ワタシ、フリスビーのメンバーではないのだが、皆に親しくしてもらって、時折お誘いをうける。大阪城内にあるルーフトップテラスに赴くと、仕事帰りのサラリーマンでいっぱいだった。屋外のこんなスペースの4人席ならコロナ対策的にも安心感がある。大阪城がドーカンと見えて、気持ちの良い夜になった。

木曜日の朝は、庭を隔て同居するマゴの小学校入学式の日だった。6年があっという間に感じる。生まれてから6年間の子供が成長する姿をみていると、「人間」という哺乳類の成長過程の凄さを垣間見る。この6年間、ワタシといえば、日増しに物忘れの退化がはじまり、人の名前なんて、あのぉ…..、そのぉ…..、なんて言いながら皆の助けをかりてしまう状況なのに、子供の脳と感情と体力の進化はめまぐるしいものがある。もう一度ワタシもその6年間をやり直せないものか。とおもう。

日曜日。暖かく気持ちの良い気候での住宅相談会。ひと組目の若いご夫妻は、マンションリフォームのご相談でお見えになったが、ご主人が建築の設計者として勤めておられるという。そういう設計に携わって会社勤めの方のマンションリフォームの案件がそこそこある。先日も一件着工したばかり。うちの設計担当者がフォローしながら見積担当者や現場監督や大工にバトンタッチしていくスタイル。帰りがけ「まちのえんがわ」でお話しを聞くと、矢部さん設計で施工した「ササハウス」の奥さんのインスタフォロワーだそうだ。5万人近くフォロワーがいるとか。凄いね!

二組目の若いご夫妻は、土地探しからの新築のご相談に起こしになった。SUUMOによる土地の探し方やその土地をグーグルの地図で丹念に見つける方法をレクチャーし、中古住宅を購入してリノベーションという方法もレクチャーしながら、インターネット上で一緒に土地を探す。そういう「方法を共有」しているうちに、お客さんの好みに対しても徐々に理解が深まってくる。できるだけ広い土地を手に入れたいという。家は大きくなくても、庭があってバーベキューとか出来たらコロナ禍なので嬉しいと。コロナの影響による嗜好の変化が顕著になってきたとおもう。

社会情勢も住宅情勢も人間の心のありようが変化している兆しなんだろう。

会社として新たな一歩

4月2日は会社の創立記念日で、1949年昭和24年が法人として創立した日だという。いまおもえば、なぜその日が4月1日でなかったのか、祖父や親父から聞いておけば良かったと思う。敢えてちょっと「外す」というところが木村工務店の伝統的な体質のなかにあって、それがこの4月2日というチョイスに表現されているような気がしてきた。工務店としての創業は1937年昭和12年8月で今年で86年。

で、この4月2日前後に社員とともに職人さんを交えて、前社長の親父が植えた枝垂れ桜の下で、焼肉花見の宴をするのが伝統的な行事だが、今年もコロナ禍の規制に従って焼肉宴は中止した。ただ庭にテーブルとベンチを設置して社員がそれぞれの昼食を桜と共にし、夜は食事は止めて軽くビールを飲んで早々に解散することになった。派手でこぼれ落ちるような桜が4月1日的だとすると、うちの枝垂れ桜は4月2日的なしっとりとした2番手的桜だが、これで良しとして皆で愛しんでいる。

多くの社員が早々に解散したものの、酒好きの数名が残ってアウトドアー薪ストーブを囲んみながら、あーだこーだと話題がつきなかった。こういう素直に終わらない宴も、木村工務店を退職した歴代の社員の皆から引き継いでしまった伝統のようなものだが、感染者数のリバウンドが始まりつつあるなか、換気がある場所でのマスク会食なら良しとされるのかどうかと気遣いながらだった。もはや宴会は時代遅れのイベントになってきたが、オンラインだけでは生まれないちょっと深いつながりが発生するような気がするのだが、それもこれも幻想なのかもしれないと疑って確かめてみる時代でもある。

そうそう先週のブログに登場した東京の神田川沿いの桜を見るコトになったのは、宿泊したホテルの近くに丹下健三さんの東京カテドラル聖マリア大聖堂があって、朝の散歩がてらひとりでその建築を見学した時に通過したのが神田川だった。HPシェル構造を実際に目にするのは初体験。見慣れてきた安藤さんの仕上げの美しいコンクリート打ち放しとは違う、荒々しいコンクリート打ち放しがシェル構造としての独特の曲線美を持つ壁となり、その表情のある壁に天窓から柔らかな光りが降り注ぎ、静謐な気分にさせられた。唯一無二の建築のひとつだなと体験してあらためておもう。

それより意外だったのがアプローチ。広場から直接入る西洋的な教会でなく、まず教会の横のシルエットを視覚してから、その建物に沿って歩き、オベリスクのような鐘塔を通過して、奥にルルドが視覚化され、それを拝んでからぐるっと反転して教会の正面と対峙し、階段を登りながらその正面入り口から入る感じは、日本的のようだし、コルビジェのロンシャンの教会も階段こそないがそんな感じのアプローチだったし、ランドスケープ全体が良く出来ているのだと気付かされた。

唯一無二というのは大げさな表現だが、社員、職人、協力会社による、ものづくりのチームで、エエ建築が造れる小さな工務店として存在できるように、新たな一歩を踏み出したいとおもう。

「卒業式」

Tokyoに行く。久しぶり。やっぱり大都会だな。

卒業式に出席するのだと奥方が申すのだが、もうとっくに大人になっている大学院生の次男の卒業式に父として出席するのはとっても照れがあって、任しておくわっ!と言い放ったところ、長男の時から一度も大学に行ってないし、このチャンスを逃したら、一生子供の通った学校を見ることないよねぇ!という。

長男も次男も偶然同じ大学に通うことになった。ちなみに長男貴徳は今、木村工務店の専務として工務店の仕事を一緒に携わっているが、この際少し経歴を紹介しておくと、高校を卒業し、私立W大学の文学部に通うことになったものの、いつ卒業するのか、大学が好きなのか、嫌いなのか、親としては学費を他の人より1.5倍ほどの期間払い続けていることに、えー加減にせぇやぁという言葉が噴出する、その直前に、大学に付属している建築の専門学校に通うわ!と言い出した。そぉか!それはエエなぁ!と、Wスクールというなんか語感がとっても良い言葉の口車に乗っかることになってしまった。なので、「入学」「卒業」というのがとっても曖昧な感覚だったので、長男が通う学校を見に行くことが一度もなかった。

次男は国立志向だったが、なんの因果か長男と同じW大学の建築学科に通うことになった。フツウに大学生活を送り、卒業し、同じ大学の都市計画系の大学院研究室に行くことになったが、その期間がコロナの期間ときっちり重なった。大学の卒業式も大学院の入学式もなくなって、やっぱり「入学」「卒業」というのが観念的で、劇場的ではなかった。で、入学から2年後のこの春もコロナの影響で親が出席できる卒業式はないかもしれないが、その日は私も奥方に連れられてTokyoに宿泊する予定になった。

案の定、コロナで親は式典に出席はできなくなったが、それでも奥方は絶対に行くっと強く言い張って、その勢いに乗っかるかたちで私も東京に宿泊することになった。卒業を喜ぶ袴姿の華やかな女子たちとスーツ姿のシュッとした男子たちが、溢れるように大隈講堂前の広場でスマホによる記念撮影をする姿が現代的でその歓喜の姿にぐぅっとくる雰囲気があった。次男が学校を案内してくれた。一緒に歩きながら奥方がボソっと、この柱一本分ぐらいの学費を長男分と次男分で払ったわっ!と大阪訛りで呟やいたのが印象的だった。その大隈講堂を背景にして、次男を挟んで私と奥方の記念写真を次男の同級生が撮影してくれて、ひとつの劇場的な卒業式として、親子の記憶に残ることになった。

卒業式当日土曜日の夜は、ブバイガワラという駅に降りたち、ハッスルという洋食屋で、建築家の秋山東一さんと木製サッシュ製造販売のアイランドプロファイルの石原社長さんと3人で飲むことになった。卒業式当日の夜は息子は友達と祝うという、ま、至極当たり前のことなので、その前日にジビエのフレンチを親子3人で食べた。なので昼からはフリーになった。奥方は、福島県に里帰りしていた長男嫁と孫たちと東京で待ち合わせをして食事をするわっと楽しそうだった。分倍河原と漢字で書くらしく濁点続きの不思議な発音の駅で待ち合わせしているっと皆に話すと、えっそんな都心から離れたレアーな駅まで行くのぉ!と不思議がられたが、建築の話やロシアウクライナの話で楽しい時間になった。帰りはグーグル地図のおかげでなんとか電車を乗り継いで、宿泊した銀座の無印ホテルにたどり着いたが、酔いで何度が寝過ごしそうになった。

今年はTokyoで満開の桜を見ることができた。学生を卒業する喜びと寂しさと社会人になる不安が入り混じった歓声がこだまする広場を体験できたのもよかったが、それは桜の雰囲気と見事にマッチすると改めて感じる週末になった。

今年の桜と花見はどうなるのだろうか。

雨上がり、庭のラッパスイセンが開花した。仙人の姿に似ているから水仙らしい。そう言われてみればそうかも。花言葉は「尊敬」だという。写真のピントズレてますけどね。

ロシアとウクライナの紛争は尊敬に値しない出来事だが、ロシアは世界の約2割の森林を有する森林大国で日本はその木材を輸入している。原木の丸太は既に輸出禁止で、合板もロシア産材はあまり使っていないらしいが、天井下地に使う35mm角の材料の多くがロシア産材らしい。ロシアとベラルーシを起源とする木材を「紛争木材」として解釈するという声明がでたそうだ。ロシアから日本への木材供給がストップすると第二次ウッドショックになる可能性もあるという。世界の国々はお互いにさまざまな「もの」でつながりながら平和な日常生活が維持されてきたのだなとあらためておもう。

 

会社の前の空き家になっている長屋の梅の木が開花した。道行く人も毎年楽しみにしてくれている。昭和初期のレトロな長屋と梅の花と人気のない感じが独特の哀愁を感じさせるが、この梅の時期だけこの長屋に活気が宿る。空き家問題を考える、毎月19日の生野の日の「空き家カフェ」は、この土曜日に久しぶりのリアル開催となった。初参加のお二人を含めて「おっさん」ばかり9人の会合だったが、シニア世代がなんらかのかたちで社会貢献をしながらまちと関わっていきたいと、本気で思っているひとがそこそこいるのだと、あらためて気付かされた座談会のような会合だった。空き家カフェでの空き家を活用し活性化した成果は微々たるものだが、毎回数名の参加者のお陰で5年間コミュニケーションの場が維持されていることが唯一の成果なんだろう。

梅の次は桜。そろそろ桜の開花が始まったそうだが、大阪の「まん防」は3月22日から解除されて、◆会食を行う際は、以下の4ルールを遵守してください。特に、歓送迎会、謝恩会、宴会をともなう花見は、感染リスクが高いため、感染防止対策を徹底してください。同一テーブル4人以内・2時間程度以内での飲食・ゴールドステッカー認証店舗を推奨・マスク会食※の徹底」なんていう要請内容になっていた。4月2日は会社の創立記念日でその前後に社員と職人さんが集まって庭で花見をしていたが、2年間中止した。今年はコロナに加えてあの紛争がニュース報道される日々。多人数で花見の宴で騒ぐ雰囲気が浮いてしまいそうな感じもする。2人、3人、4人で、ひっそりと静かに楽しむ花見が2022年スタイルなのかも。さて今年の桜と花見はどうなるのだろうか。

「音質」

  

ワビスケがピンクの花びらをつけて、サンシュウの蕾がでて、チューリップが土からにょっこり出てきて、春が始まりましたよっと告げているようで嬉しい。うちに梅の木がないのが残念。日差しも、風も、冬の感じから春の感じに変化しているのに、コロナ問題やロシアウクライナ問題がその春がやってくるワクワク感の袂を引っ張る風評のような感じで、微妙な空気感が漂う春前。

先週「領土問題」を書いて、その後を振り返ってみた。
ダイニングテーブルの隅っこにiMacが置かれてからそこが夜の居場所になって、テレビを見ながらモニターみたりしているうちに、初期のAppleTVがあるのを思いだして息子の住む家から連れ戻し設置すると、あらためてミラーリングが面白いことに気が付いた。なのでAppleTVを会社の打ち合わせ室に持ち込んで、社員やお客さんのiphoneやipadを大きなモニター画面で共有すると、コミュニケーションの質が向上し、シェーアしあうというオープンハートな雰囲気になるのがちょっと嬉しい。

で、AppleTV4Kの第一世代の中古が8000円台で売られていたので、手に入れてリビングのテレビに設置した。今まで、SpotifyはiphoneからそのSONYのTVに飛ばしていた。そのTVには、中音域を豊かにするため真空管アンプと小型スピーカーを繋ぎ、元々TVについているスピーカーで高音と低音を補って、同時に鳴らすセッティングにしていた。オーディオマニアのオーディオルームの音響からすると足元にも及ばないが、リビングで気軽にフツウに音楽が聴けて我慢出来るレベルの音質で、ま、これで良しとするか、みたいな感覚だった。

AirPlayなど使ったことなかったが、iPhoneやimacからそのシステムが付いたAppleTV4KにAirPlayしてみると、あれっ、Apple Musicのほうが「音質」が良さそうに感じた。そうか「ロスレス」というのは、圧縮して配信された音楽をCD音質の音に復元する技術なのか。CD音質に対してロスレスなのね。それに空間オーディオ、Dolby Atmosで聴くとより違いを感じ、音が空間認知されてとっても心地良い。

マイルスの「カインド・オブ・ブルー」の「So What」をSpotifyのそれと、Apple Musicのロスレスのそれと、空間オーディオのそれとをイヤホンとこのTVオーディオシステムで聴き比べてみた。Spotifyはなんかパッションがある感じでエエ雰囲気だが、Apple Musicのロスレスで聴くとディテールが伝わり繊細な感じで低音の輪郭がよりハッキリして聴きやすい。空間オーディオになるとそのうえ音に囲まれているような心地良さすら感じる。

って、書いてみたものの、ブラインドテストすると自信ないかも。と気弱になるぐらい、微妙でもあるが、イヤホンの品質やオーディオ装置によっては、より違いを感じるとおもう。今までSpotifyの音ってなんかフィルターがかかってごまかされていたような、そんなちょっと批判的なコメントが心のうちから発露して、それでネットで調べてみると、最近ニールヤングがSpotifyから撤退したという記事に遭遇した。音質が悪いのも理由のひとつらしい。確かにワタシのSpotifyのMyLibraryを調べると、ニールヤングのアルバムが消えていた。

このニールヤングの勢いに便乗して、SpotifyやめてApple Musicに変わるかも。とその場にいた奥方と長男妻に伝えると、一斉にイヤでーす。ダメでーす。と猛反発を食らう。家族会員として皆の分をワタシが払っていた。確かにSpotifyのMyLibraryとか便利で、ワタシもCD買うのを止めてSpotifyに支払って、充分我慢出来るレベルだとおもっていたが、「ロスレス」に遭遇するとディテールがあって疲れない音質の感じがするのだ。気のせいなのか。


最近 HomePodmini を2個手に入れて、4スピーカーにしてみた。こんな小さいのに素材感も音質も上質。でも個人的にはメインスピーカーにする気にはなれないが、AppleTVにある「大陸横断バイクの旅」をこの4スピーカーのシステムで視聴すると旅に出たくなった。「ドライブマイウェイ」もひとりで視聴した。音を楽しみたかったが皮肉にもラストシーンの手話で無音になる時間帯が心地良かった。Netflixも音的に楽しんでみるためにAppleTVから「浅草キッド」を視聴してみた。劇場感が丁度良かったか。あっそれとマゴ達がHey Siriと叫んで音楽掛けたり世界一高い山は?と質問するようになって、ワタシがHey Siri音楽掛けてというと、ポケモンの音楽が掛かるようになった。いまワタシはSiriにポケモン好きのシニア世代のオトコだとおもわれているのだ。

ディテールのある家が「家質」に関わるように、AppleとAmazonとSpotifyによる「音質」のせめぎ合いが面白い。

「領土問題」

3月になると一気に春らしくなって、桜が近づいてくる感覚がちょっと嬉しい。

そうそう!家庭内にも「領土問題」がある。
うちの家ではリフォームした時にリビンルームから半島のように突き出た1畳半ほどのワークルームを造った。古い呼び方では書斎。そのスペースの右手の窓は南面し東西に走る道に接しながら街の動きが感じられ、外の世界と境界線上に接する領土のような感じ。左手の窓は中庭に面して、奥方が生ける鉢植えの植栽と空が切り取られて見え、ちょっと内省的な感覚なのかな。で、そこはワタシのスペースとして設計当初に奥方の合意と快諾を得て、それまで持っていたレコードとかCDとかオーディオ機器とかアマチュア無線機とかWi-Fi機器とかそんなのの保管場所にもなって、ワタシにとっては湖に面するリゾート地的でワタシ寄りの文化圏であった。

そんな経緯があったので、リフォームが完成した当初からその場所を優先的に専用し、途中にモニターを買って、会社に持ち込むノートパソコンと接続するスタイルで、このブログはそこで書いていたし、机の周りのステーショナリーとか置き方はワタシ好みになっていた。時々奥方とシェアーしたりもしたが、古い家の2階に、そこもリフォームをしたのだけれど、奥方は自分専用の場所を持って机があり写真や絵などを飾って奥方好みの文化圏としてそこを完全専用し、奥方的山岳リゾートのような感じだった。ちょっと付け加えると、奥方は祖父から受け継いだ保険業務をやっていて、保険のおばさんでもある。

とはいうものの、ワタシのその半島のような場所の使用率は日曜日を中心とするだけで平日の夜にごくごくたまに使う程度の別荘地感覚だった。そんな平和な日々に、あのパンデミックが発生した。突然、在宅勤務にオンラインという流行が押し寄せてきて、その半島のような場所の使用率は格段に増えだした。それとともに、その快適そうにワークしている場所に密かに目を付けていた(ような気がする)奥方は、このパンデミックによるオンライン会議とやらのブームに乗っかって、ワタシの場所に進出してきた。ワタシもそれは全然「イヤ」でなくむしろ歓迎し協働でシェアーする喜びを感じていた。

その半島でのオンライン会議を中心とした奥方の使用率が増加するにつれて、奥方の赤い色のノートパソコンが常設的に置かれるようになり、紙の書類やボールペンなどのステーショナリーがどんどん増え、ファイリングされた保管書類が置かれだすと、その半島の文化が様変わりした。建築をやっているひとあるあるだとおもうが、自分好みのシャープペンとかステーショナリーにコダワリがあったりして、なんか机の上の感じが好みと違うなぁ…..なんて。

ワタシが使用する時は、まず机の上を自分好みに片付けることから始まり、そのことでおもわずグチのような叫びが発生してしまうと、奥方との間で小競り合いが勃発しだした。40年近くの共同生活の経験値から大事に至らないような和解方法をお互いに駆使しながらも、気が付けばほとんど奥方の場所にワタシが間借りしているような状況になってきた。もちろん奥方も気を使ってレコードとかCDとかの街並はそのまま保存してくれて、ワタシの文化と奥方の文化が融合されたような雰囲気は演出してくれていた。

この感覚があっているかどうか。オトコのワタシの武器は大陸間弾道ミサイル程度のものだが、オンナの奥方の武器は原子力爆弾クラスだとおもう。一度発射されると全てを破壊し後遺症も残り世界が終わる。熟年になるとたまにそんな核保有国であることをチラつかせるし、いつでも発射する用意があるのよぉ!みたいなニュアンスの言動が抜群のタイミングで発動される。それに反発し対抗して、我が領土を守るためにワタシの正義を盾に武力行使にでて、この場所を奪還し元の場所に奥方を追い返すというやり方もあるのだろう。

国譲りをすることに決断したのが昨年の12月初めだった。古代日本の方法論に学び、その半島のようで快適な場所は奥方に譲ることにした。その替わりに、ダイニングの大テーブルの端に常設のパソコンを置きワタシの居場所として保護地区になるよう交渉と協議に入った。数ヶ月前に出たアップルの「iMac」の背面が、デザインされていてその場所に置いても違和感なくオシャレに感じる雰囲気があり、奥方好みの色もあって、アップルのサイトにあるバチャールで設置した雰囲気を検討し合いながら、黄色のiMacなら奥方が出資してくれることになって決着した。

いま、奥方はその半島のCDやレコードの街並は活かしたまま自分好みに独占している。その日以来覗き込むことがあってもその場所に座ったことは一度もないが、奥方の使用率が高く快適で楽しそうな雰囲気が嬉しい。ワタシは新天地での使い方を工夫して新しい文化を生み出さそうと模索する日々を楽しんでいる。昨年末から今年に入って、このブログはこの地からアップロードされている。

そんなこんなで、穏やかな春でありますように。

THE DAY

「THE DAY」というコトバがあって、スキーでは、快晴の天気でパウダースノーの日を言うらしい。最近はそんな日に滑れることに憧れる。ここ30年近く年間で滑る日数は7日未満で滑らなかった年もあるからそんな日に遭遇する可能性はほとんどない。星野リゾートの星野さんは年間60日滑るらしい。北海道に泊まって夜の間に雪降って次の日の朝にそんな日が1、2度あったが、当時の板はカービングのファットでもなかったので、そんなに楽しく滑れなかった。十年ほど前に会社でマイクロバスを仕立て、皆で岐阜に行った日は、雪が降ってパウダーで、カービングのちょっとファットだったので、雪が背後に煙のように立ち上がる気持ち良さを味わい未だに記憶に残るが、快晴ではなかった。

23日の祭日は、前々日から雪が降って「THE DAY」の可能性もあって、雪の滋賀のスキー場をやめて曇りの岐阜のスキー場にした。この歳になると雪降る日より晴れの方が断然エエ。結果、とってもグッドコンディションの日で太陽もみえたが、パウダーではなくTHE DAYとは呼べなかった。選択したスキー場がまずかったかも。激しく追い求める気性でもないので流れに身を任せTHE DAYに遭遇できる日を楽しみにしようとおもう。

24日は全く嬉しくない「THE DAY」になった。アメリカの報道でなんとなくその日を予感していたが、ロシアがほんとうにウクライナに侵攻するとは。そこまでウクライナを追い込みたかったのか。そこまでロシアは追い込まれていたのか。メリットあるのか。経済どうなるのか。やっぱりオリンピックの後なのか。みたいな感覚で正直微妙にピンとこないワタシだった。

26日土曜日は3回目のワクチン接種の「THE DAY」だった。先週の中頃に接種券が届くと、大規模接種会場の予約はいっぱいで、近くの医院に電話で予約すると3月の前半になるとおもいますが、私ひとりで予約管理してますので確定しましたら電話をしますので暫く待って下さい。といわれた。タイヘンだな。ま、暫く待ってみるかとおもったが、月曜日になっても電話がなく。火曜日になんとなく大規模接種会場の予約サイトを調べるとまだ余裕があった。なぁんだ。とおもい土曜日夕方に予約して、医院の方には丁重にお断りした。夕方Ocatでスムーズなオペレーションのモデルナを接種した。

27日今日の日曜日の朝は、左腕が微妙に重かった。それに微妙に酔いそうになる前の気分にも感じたので、布団に入ったままテレビを付けると、安部元首相と橋下元大阪府知事の対談だった。なるほど。次に関口宏の番組で寺島実朗氏の話を聴いた。なるほど。布団のままワイドナショーを視聴する。松本人志はコロナ陽性になったのか。筑波大学中村逸郎氏の話を聴く。なるほど。ようやく起きて、風呂入って食事して音楽聴いたりで、体は腕の違和感以外は大丈夫そう。昼から、「そこまで言って委員会」を視聴する。録画でたまに視聴するがリアルタイムの放送は久しぶり。コメンテーターの人選が良くて、いつもながら面白い。大阪だからこその番組なんだろう。そのコメンテーターの意見を聴いているうちに、少しずつだが、ロシアとウクライナとEUとNATOと国連とアメリカと中国と日本の関係性がみえてきた。なるほど。

全世界の人々が、日々是好日(にちにちこれこうにち)と日々を過ごせるのは、ムツカシイコトだなとあらためておもう。

 

寅年寅月寅日

寒い日々が続く。この凜とした冬の感じも好きだが、あっというまに2月後半になって3月もすぐそこ。小さな梅の花がちょこっと咲いたりして、春が少しずつ近づいてるような気がする。3月の一週間過ぎれば大阪の「まん防」は解除されるのだろうか。3回目のワクチン接種の封書が来たが、どうも予約がスムーズにいかない。このスムーズにコトが運ばない感じが、いまの空気感そのもののような気がする。

「五黄の寅年」というのがあるらしい。寅の年の寅の月の寅の日というのがこの2月18日で次は36年後だとか。で、うちの奥方は、寅のお寺として有名な奈良の朝護孫子寺に友人と一緒に出向いて金運招福「銭亀御守」とやらを手に入れ、神棚に飾って、笑顔だった。自分の財布を持ってそのお寺の一角にある銭亀堂にかざすと金運が上昇するらしい。なので財布をかざしたという。一枚の千円札がそこにかざされ持ち帰り私の財布の中にそっとしのばされた。それを使わずに入れたままにしといてやっ!そうすると金運上昇するからねぇ!とお達しがあったが、ワタシの財布のなかにもともとあった千円札と交換させられて、早速の銭亀御守の御威光か、そういうところはキッチリしてはりました。半信半疑で戸惑いながらも既に金運が上昇したような気分になって喜んでいるワタシもそこにいて、それにしても銭亀とはちょっとグロテクスな呼び名だな。

調べてみると昨年は自転車で十三峠や葡萄坂をヒルクライムした時にその朝護孫子寺に8回訪問したようで、その銭亀堂の前も何度か通過しているが、まるで改札機にSuicaをかざすようなそんな風習があるとは全く知らず、今年からは毎回財布をかざして通過儀礼として楽しもうとおもう。そうそう今年になってまだ一度も自転車に乗っておらず、今日など乗れそうな日和だったが、大阪は土曜日の夕方から雨がそこそこ降って朝起きると道がまだ濡れていたし、寒いし、自転車に乗るのは躊躇してスーパー銭湯の朝風呂で体を温め、家で「音楽を聴く」日曜日だった。

最近、レコードをかけることがあってもCDを聴くことがほとんどなくなった。iphoneのSpotifyで真空管アンプが接続されているディバイスの小型スピーカーにWi-Fi接続して聴くのがメインで、どうせ大きな音はだせないし、そこそこの音質でしかないので、それならイヤホンで聴くほうが良い時があって。「e イヤホン」が大阪日本橋に出来た当初はよく通ったが、まさかこれだけイヤホンが進化し伸びる業界になるとは。紅白歌合戦では、まず歌手の耳に興味がいって、どんなデザインのイヤホンをしているかをみたりする。その当時はUltimate EarsのTripleFi 10イヤホンを買って今も愛用しているが、完全ワイヤレスになってからはSONYにしたものの、空間オーディオなるものを聴こうとするとAppleMusicとAirPodsProの組み合わせになるのだろうし…..なんてイヤホンの購入を悩む。大きな音でアナログなステレオ音を聴きたくなったら大熊さんがやっている生野区のBarソケットにレコード持参で通うことにしている。ま、家風呂に入るのとスーパー銭湯に通うような感覚の違いなのか。

そうそう「音楽を聴く」はネットで大丈夫だが「本を読む」ことの方が最近問題で、本屋さんへ気軽に通えなくなって、やっぱりネットを通じたKindleだけだと、どーも本を読む継続感が途絶え、選択する本が単調で、ますます貧弱な脳になっていく感じがする。やっぱり本屋さんで本に出会いたいなぁ…..とおもうこのコロナ禍。

トラトラトラの運気にあずかりながら、そろそろフツウに出歩き出会える社会に戻って欲しいとおもう。

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