「お餅つき」と「建築人」

冬の穏やかな天候のもと、恒例のお餅つきワークショップを開催したのが土曜日のコトだった。もともと、社員の家族と木村家の庭で始めたのがきっかけで、いやそれが、ワタシが小さい頃は、木村工務店で、年末の28日にお餅つきをやっていた記憶が薄ら残っているのだが…..、それで、道具類はそこそこあって、丁度、お餅つきを復活しようとした2008年が、清見原神社社殿増改築工事の木材加工を、うちの加工場で一年かけてやっていたま最中だったので、神社木工事施工担当の沖大棟梁が、蒸籠(せいろ)の蓋を手加工で製作してくれて、そこに蒸気を抜く5分穴を開けるのに、延々とその穴の大きさについての講釈を語りながら、加工してくれた時のことを、今でも懐かしく想い出す。


↑その時の社員家族の記念写真。写真右端が、次男タカヒロで、その横でマゴと肩を組んでいるのが、2代目社長木村正一。長男タカノリは、東京で大学生だった。

 

時は流れる。左の写真は、前掛けをしている長男タカノリが、4年前に木村工務店に入社し、今年もお餅をつき、木村工務店の前掛けをマントにしたマゴ二人が、うろちょろしている。ワタシもマゴ二人と記念写真を撮ってみた。ちなみに、次男タカヒロは大学の建築学科に進学した。2008年の記念写真2代目社長の左隣のお子さんは、うちのトミマス工事部長の長男さんで、大学の建築学科に入学したらしい。こんなふうに2008年から2020年に至るお餅つきを振り返ってみると、唐突に、芭蕉の句を想い出した。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又『建築人』也」(月日というのは、永遠に建築の旅を続ける建築人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように建築人である。)みたいな心境。芭蕉のように旅人として生涯をおくる人生は、かなわぬ夢だが、家族や知人で「建築人」として一緒に生きるのも、まんざらでもないような気がしてきた…..。

そうそう、この前掛けは、数年前に神戸でリフォーム工事をさせて頂いたお施主さんが、アパレル関係のお仕事をされているそうで、完成のお礼にと、木村工務店のマーク入りの前掛けを数枚製作しプレゼントして頂いた。毎年お餅つきで活躍をしている写真を眺めると、あらためて、この場をかりて、感謝申し上げたい。そういえば、リフォーム工事をさせて頂いた、奥さんと小学生のお子さんが、お餅つきに参加頂いて、その時の会話のなかで、その息子さんが、建築をやりたいと言っているので、どうしたら良いか、アドバイスして欲しいと言われた。そのお子さんを目の前にして、なんだかそれらしいコトを語ったが、いま、おもえば、「建築人として生きる道」なんていうのが、いろいろあるのだな…..。

 


 

かつてない多数の参加者で、ワタシたちが驚いて、慌ただしく急遽座席とテーブルを増やす、てんやわんやな状況だったが、老若男女のエネルギーに取り囲まれながら、お餅をつく、ペッタンペッタンという音と、あの威勢の良い掛け声との響きが、皆さんに活力のようなものを与えていたのかもしれない。カマドの火が燃え続ける活気が、ドラムの音のように、皆さんにエネルギーをたきつけていたのかもしれない。が、そんなコト以上に、多くの参加頂いた皆さまのお陰で、共に、エネルギーを分かち合えたことに、深く感謝申し上げたい。ありがとうございました。