お伊勢さん

昨日1月6日が、木村工務店の初出で、社員のそれぞれが、お正月休暇の出来事を含めて、年頭所感を述べあうのが毎年のコトで、それぞれのお正月を共有し、年頭の意気込みのようなものを分かち合うことで、一気に休日モードが仕事モードに切り替わっていくわけで、休暇が長引き、出勤日が近づくと、な~となく、ネガティブな感情も湧いてきて、少しずつそんなのが溜まり出したりするものだが、皆と一緒に集まり、それぞれの気持ちを知ることで、ポジティブな気分に変化していくのが、お正月の持つ力と年頭所感の持つ力のひとつなのだろう。その後、地元の清見原神社で、社員と職人さんと協力会社の人達が集まって、木村工務店としての初詣をするのも習わしで、その流れのまま、北巽の木曽路で、60人ほどの新年会を催し、ものづくりの仲間として、新年の挨拶をかわし、食べて飲んで、正月気分を吹き飛ばした。

2020年問題といわれる、オリンピックと消費税増税の反動、人口数の減少、後期高齢者が増え、若い人達のミレニアム世代が減少し、住宅の着工数が減り、空き家率が20%を超し、インバウンドが増え、大工さんの数が大幅に減少し、などなど。そんなことへの準備と対応が2018年から始まる。と書いてあったのが新建ハウジングという雑誌の年末の特集号だが、相撲協会の出来事などを見ていても、世の中の出来事を観察しながら、変えるべきものと変えないものを見極める時がやったきているのだろう。

木村家のお正月は祖父の代から伝わる座敷で、おとそをするのが習わしで、未完の本宅のリフォーム工事は、大工工事が終了し、残すは壁の左官工事とキッチンなどの家具工事だけとなり、あと一歩というところだが、座敷は以前のままの状態なので、壁を塗り替え畳を新しくして、お正月に望んだ。リビングダイニングキッチンにも除湿型放射冷暖房 PS HR-Cを導入したお陰で、断熱の強化と相まって、底冷えで、ぶるぶる震えながら、ストーブをガンガン焚きまくっていた座敷が、まろやかな暖かさに包まれて、これからの居心地の良い家の要素は、動線やデザインや素材や耐震性だけでなく、温熱環境の心地良さが、大切な要素のひとつだと実体験する新年だった。

お正月の三が日といわれる二日。初詣として伊勢神宮にお参りするのは初体験だった。奥方の要望があってのことで、混雑というイメージが強く、はじめは、あまり気が進まなかったが、ネットで調べると、パーク&バスライドといわれる方式を推奨しているらしく、素直にそれに従うことにした。午前6時30分に大阪を出て、西名阪も伊勢自動車道路もスムーズで、8時30分には高速道路から降りてすぐの サンアリーナの駐車場に到着していた。いたってスムーズにバスに乗り替えることができ、専用レーンをバスが走りながら、あっけなく外宮前に到着した。外宮を参拝し内宮を参拝するのが正式らしく、外宮の橋を渡って、木々の中に入ったとたんに、空気感が変わって、お伊勢さんを実感する瞬間だった。流石に、正宮の手前の階段は混雑していたが、それも我慢出来るレベルで、正面からの参拝を望まなければ、左右の空いた場所からスムーズに参拝ができ、心地良いリズムの参拝となって、来てヨカッタナ~という感覚に満たされた。

外宮から内宮へ向かうバスも臨時バスが大量に増便されていて、混んでいたら歩いてみるかっと心配していたが、こちらもいたってスムーズに内宮前に到着し、外宮よりも圧倒的に参拝者の数は多いものの正宮前の階段以外はスムーズな参拝となって、とっても清清しい気分になった。流石におかげ横丁はいっぱい。赤福ぜんざいなど長蛇の列で、並ぶ根性もなく、口の中で、ぜんざいと赤福餅の感覚をイメージしながら、ちょっと羨ましく通り過ごした。

おはらい横丁のような、いまあるものを見直し、既存のものに新しい意味を付加したデザインが、活気を生んでいるのだろうし、パーク&バスライドのように、混雑を解消するために、資源を皆で共有する時代なのだろう。伊勢神宮という、何千年もの古い伝統なのに、20年に一度建物を造り替えて、建物が美しく綺麗であるという「古い伝統があるのに常に新しい」。そのために、なんかちょっと無駄なような、贅沢なような、そんな行為を繰り返しているのは、継続していくには、そんなコトが、どうしても必要なんだろう…..と、今の内宮の姿と古殿地の場所を、横から眺めながら、あれやこれやと感じた、2018年の年頭所感だった。

木村工務店の通常営業は1月9日火曜日からです。
皆さま、2018年の木村工務店をご愛顧賜りますよう、よろしくお願い致します。

ブログと紅白と奥方

会社の大掃除が終わると、ワタクシ的年末が始まり、今日の大晦日で、その年末が終わるわけで、紅白歌合戦が背後で流れ、M1で優勝したトロサーモンが紅白に出ていて、火花の主役を務めていた眼鏡の方の相方の笑顔の姿を画面で見ると、映画の設定とダブり、日の目を見るっていう姿って、なんかエエよなぁという思いとともに、その背後で悔しい思いをしている人達もいて、生きるっていうことの、喜びや悲しみなどを、歌のメロディーと共に、スゥーっとやり過ごしながら、この2017年最後のブログを書く「私」。

工務店にとっては、大掃除はとっても大切な仕事のひとつで、現場での整理整頓や片付けや掃除の習慣は、皆で一緒におこなう年末の会社での大掃除を通じて、そのエネルギーを生み出しているとおもうわけで、この年末の大掃除という日本の習慣は、「ものづくり」にとっては、大切な伝統のひとつだな、とおもえるようになったのは、そこそこの年齢になってからのことだった。28日の朝から午後3時頃まで掃除をして、その後、加工場で、大工や手伝いさんを含めた皆で納会をし、一本締めで、会社の一年を締めくくった。

29日は、朝から、家に居る楽しみがあり、それを察したのか、マゴイッケイに手を引かれて、鉄道模型の線路を構築させられて、初めの、させられ感から、次第にのめり込んで、気が付いたらお昼ご飯も食べず、もはや廻には誰も居ない、ひとりっきりで、線路構築を楽しんでいて、ふと我に返り、その完成した線路を眺める満足感のあとに、朝から何も食べていない空腹感が唐突に襲いかかり、こんな私でエエのかという、笑いとともに、空腹感で怒りに転じる寸前の状態で、それで、急に思いついて、奥方と2人で、今年リニューアル工事をした堺の鰻竹うちに行くことにした。もうお客さん用の鰻のネタは売り切れたけど、松竹梅の竹やったら、なんとかするわ。という暖かいコトバで、今年最後のお客さんとなって、あれやこれやと四方山話をしながら、鰻竹うちの年末の締めくくりを共に過ごした。

30日は、毎年毎年、黑門と鶴橋に買い物に行く日で、祖父の代からの木村家の伝統でもある。この年末の黑門の威勢の良い掛け声と人混みに揉まれながら歩くことで、不思議と癒やされるわけで、一年のあれこれを洗い流し、新しい歳の糧を得て、穏やかな気分になる。ここ数年インバウンドがますます増えて、店頭売りで、食べ物を売る店がまた増えて、様変わりが激しいが、それはそれで国際的でエエとおもう。何時も買う炭火焼きの鯛の魚屋さんが、売り切れで、なんでも、活けの鯛の不漁が原因らしく、今までこんなこと一度もなかった。それに、炭火で焼く親父さんが高齢で、焼ける量も限られているらしく、ここにも職人不足の問題があるようだった。

昼に鶴橋でグルメ寿司食べて、夜はうちで施工した鶴橋の一龍で焼き肉を食べる。移転開業からいろんなことを乗り越えて、年末の繁盛の様子をみると嬉しい。東京から帰省した次男と一緒に、マスターに勧められたワインを奥方が、ほとんど一本空ける勢いでガブ飲みし、その勢いで、親子3人で、生野区の秘密基地ソケットに行く。マスターと年末の挨拶をしながら、隣に座ったお客さんと、次男を交えて、あれこれ談義しているうちに、奥方の酔いが最高潮に達して、大笑いしながら千鳥足で帰宅した。

31日のいま、二日酔いの奥方が横で唸っているという笑うに笑えない状況で、長男家族も次男も大晦日を友達達と過ごすために出かけ、ブログと紅白と奥方という、妙な状況の二人っきりの大晦日を迎える私。そうそう新しく寝室に、除湿型放射冷暖房 PS HR-Cを導入し、そのお陰で、まったり暖かい温熱環境に、ちょっとした幸せ感が生まれるのが、大晦日のちょっとした出来事で、皆さん、どんな大晦日をお過ごしですか!

2017年の一年間、ブログと共に「木村工務店」と「まちのえんがわ」をご愛顧頂いた皆さま、ありがとうございました。2018年の初出は、1月6日です。

2018年良いお年をお迎え下さい

ANDO

月曜日の午前9時。キッチンの前に立つ、うちの奥方に、「今日、最終日やから、安藤展でも行けへん!」と軽やかに声を掛けた。「今から東京まで日帰りやろ。もったいないし、行かへんわ!」という答えが返ってきて、建築家の安藤忠雄展に行けなかった後悔に、踏ん切りを付けるつもりだったのに、奥方の横に、長男のお嫁さんサヤちゃんが、一緒に立っていて、私のコトバの後に、間髪を入れない絶妙のタイミングで、「行きたいですぅ!!!」と笑顔いっぱいのコトバが、リビングキッチンの空間に、ブワーンと広がって、奥方も私も一瞬顔を見合わせた。おそらく、「あっっ?!」という顔をしていたに違いない。

自分の語ったコトバに戸惑った。奥方に断られて、その日の夕方に協力会社精親会の8社と打ち合せ予定のそのスケジュールを別日に変更してもらえるのなら、ひとりで行く決心を固めてみる。ぐらいのつもりだったのに、サヤちゃんの笑顔と声が残像と余韻として残り、そうか、なんとしても行こか!という気分になってきて、いやいや、っということは、孫の2歳イッケイと4ヶ月セイゴも一緒に新幹線に乗って、六本木の美術館まで日帰りで行くのかぁ…..「大人3人孫2人の弾丸日帰り滑り込み安藤展」というのは、あほちゃう!みたいな。この建築家の展覧会を見るために、ナンボのお金使うのぉ!あほちゃう!みたいな。「私」のなかの私たちの、うるさかったこと、うるさかったこと。

通常は8人も関与するスケジュールの予定を変更できる可能性などないし、そんなのは大迷惑な話なのだけれど、打ち合わせ内容と精親会メンバーの様子から、我が儘を言える可能性が、ちょっとだけあって、急遽、3日後の予定変更を打診したところ、連絡の取れた6名ほどのメンバーからOKの返事があった。大阪を10時に出発し、六本木の新国立美術館到着が午後2時。「午前9時の今からすぐ行ける準備をして待っときます」というサヤちゃんと奥方のコトバが、背後霊のように迫ってきて、もう躊躇している場合ではなかった。

午前10時。嫁2人孫2人を強引に車に掘り込んで新大阪駅に向かう。車の中から、社員に、唐突に、安藤展を見に行ってくるわ!と告げて、パワハラなお許しを請い、スケジュール調整をしながら運転を続けた。11時20分発のぞみに乗車したが、意外と社内はいっぱいで、大人3人で、社内ではしゃぐイッケイと時折泣くセイゴに気を使いながらの新幹線の旅になった。都内の地下鉄を子供を抱っこしながら歩く母。孫のベビーカーを押しながらのバァバァ。携帯電話と財布だけをポケットに入れて大阪を飛び出して孫たちの振る舞いに気を使いながら歩くじー。大阪から東京の安藤展を見るためだけの想定外の珍道中で、午後2時すぎ美術館に到着すると10分待ちだった。結局20分ほど並んで入場できたのは、午後2時30分を回っていた。

作品の前は、人だかりで近寄りにくい状況のなか、建築関係だけでない一般の大人気に驚くばかりだった。延べ30万人とか。光の教会の前で、珍道中の、歴史的記念撮影をし、ミッドタウンに向かう奥方達を見送った後、安藤さん自らのナレーションが入った解説を聴きながら、最初から見直した。圧倒的な仕事量に嫉妬さえおぼえる。ワタクシハイママデナニヲシテキタノダロウカというようなネガティブな気分。ガンバラナアカンナ、チョウセンシナアカンナ的ポジティブな気分とのパンチの応酬ともいえる。

コンクリートの建築の模型を、木で造る、その反骨精神と、とっても手間がかかる事への挑戦に、凄いなぁ…..。コンクリートでできた模型まであった。光の教会では、後ろの角で、手を合わせて祈る、若い女性の姿を見た。十字に、ガラスがあってもなくても見え方は変わらないかもしれないが、斜めから貫入するする壁に、サッシュがないのが、印象的で、そうか、こんなふうに見えるのか…..と、そこからの青空とコンクリートの壁と光が、十字の光と共に記憶に残った。

午後4時30分。会場をでると、行列がまだまだ続いていた。ミッドタウンでウロウロする珍道中組と東京の建築学科に通う次男と合流し食事をする。新大阪駅着の最終の新幹線に乗るまで、一緒にショッピングをし、なんだかんだ買って、家族皆へのクリスマスプレゼントとした。チョコレート屋さんのカフェでお茶し、地下鉄を乗り継いで、新幹線に乗っても、コウフン気味のマゴたちの勢いに、周囲への気を使いながら、名古屋付近で、ようやく寝込んだ姿を確認した途端、記憶が飛んで、京都駅を出発したアナウンスで目が覚めた。家に帰りついたのは、午前0時を少し廻っていて、ANDOさんのエネルギーが、私たちを動かしたのだろう。サヤちゃんとマゴたちのエネルギーがなければ、印象深い道中にならなかったのかもしれない。それに、この場をかりて、精親会のメンバーさんと、社員の皆さんにも、お礼を言っておきたい。thanks

木村工務店では、12月28日が大掃除で、29日からお正月休暇です。初出は1月6日で、通常営業は1月9日からになります。それでは、皆さん、Merry Christmas and a Happy New Year !

元気

ここ最近、携帯電話の指紋認証が、かなりの確率で、拒否されて、何回押しても、拒否されて、いつも暗証番号を入力するように促される始末で、冬になると、指先が、かさかさになって、こんなシチュエーションで、歳を感じさせるのが、現代的季節感ともいえるわけで、何回も繰り返し発生する指紋認証失敗で、寒い冬の到来と加齢を、私に突きつけてくる携帯電話。顔認証になったら、大丈夫なのか…..。

先週のステンドグラスワークショップに参加された男性に、「初めてですか」と聞くと、「いいえ、今年のお餅つきに参加したのですが、シャチョウさんとは、ipadの画面上で、お会いしました」と微笑み混じりでお答えになられた。そういえば、ワクチンを接種したにもかかわらず、インフルエンザにかかって、お餅つきは、ベットの上から、Skypeで参加し、そのベット上の姿が、お餅つき会場のiPadに映し出された。家族や社員にも伝染し、迷惑をかけまくったので、今年は、社員のワクチン接種を必須としたが、生憎、ワクチンの数が少ないらしく、会社近所のお医者さんで、社員全員一斉接種を実施しようとして、断られた。とりあえず優先的に私だけ、予防接種を済ませたのが、火曜日の事。

水曜日の朝。60代大工のTさんが、奥さんと一緒に会社に来られて、癌の手術が一段落したが、以前のように働ける体力もなく、大工道具を木村工務店で引き取ってもらい、引退しようかと、迷っている。っていう話だった。建築家の安藤さんは、5つも臓器を摘出して、いまだに、元気で、東京の作品展は、もの凄い評判良いらしいで。だから、メンテナンスとか、「まちのえんがわ」ワークショップの手伝いとか、リハビリ的に働きに来てくれたら、どぉ…..。なんて応じると、以前は、お金が大切やとおもってたが、いま、「元気」が、何よりも大切なコトやと、つくづく思いますわ!と、体験からでる言霊が、応接間の空間を漂った。

帰りがけに、会社前の現場で、若い大工が働いているので、それを見てから、帰ったらどぉ…..。と誘うと、嬉しそうに、一歩一歩かみしめるように歩きながら、現場に入ってきて、たまたま、休憩中の、若い大工が、腰袋ベルトを外して、床の上に置いていたので、T大工が、おもむろに、その腰袋ベルトを手に取って、自分の腰に巻き付けて、嬉しそうに、この重さや!この重さがエエねん!と呟いた姿が、目に焼き付くほどの、とっても印象的な光景だった。

金曜日の夜。孫イッケイの2歳の誕生日パーティーを催す。同居故の喜びでもある。自分の息子の時は、どうしていたのか。想い出しにくく、ちょっと、懺悔のような感情が湧いてくるが、それはそれとして、孫が誕生してから、毎日顔を合わす孫と共に、私の祖父や祖母のコトをちょくちょく想い出し、同じように可愛がってくれたのだと、おもうと、反抗期に、素っ気ない態度に急変した「私」を懺悔したい気分に襲われることが、たまにあって、同居故の神の悪戯なのだろうか。

土曜日。長男の幼なじみの女の子の結婚式に、長男と共に夫婦で招待されて出席をする。一緒に何度もキャンプやスキーに行った想い出。教会の結婚式に、バージンロードを歩く娘に、着物を着た母親が付き添う姿を見て、このシチュエーションの、背後にある、これまでの、さまざまな物語と苦労を、垣間見て、涙する。ま、これはこれとして、記念写真を一緒に撮るために、新郎新婦の席に行くと、あの女優ライトが、前と左右にあって、いやぁ、それが、とっても印象深かったなぁ…..。

今日の日曜日。今年最後のワークショップは、ピザワークショップで、会社すぐ近くの居酒屋、あそび菜のマスターイワオさんが、毎年講師をしてくれて、生地やソースなど、毎年、改良が加えられて進化している。うちのピザ釜は、オーソドックスなピザ釜と違って、最近流行のロケットストーブ的に、煙道が長く、効率良く釜の温度が上昇し、煙も出にくく、耐火レンガが蓄熱暖房的に機能して暖かい。「まちのえんがわ」のワークショップをやるようになってから、「道具」というものの、大切さと面白さを、あらためて知るようになった。それにしても、竈の「火」というのは、そばにいる皆の気分を、暖かく元気にしてくれるものだな…..。

朝の言霊

日曜日のイベント事が、6週連続、続くと、流石に、微妙なストレスが蓄積されていたのだろう。

昨日の土曜日の夜は、木村工務店の忘年会で、毎年恒例の、がんこ平野郷の蔵を貸し切って、社員だけでなく、大工さんや手伝いさんも一緒に、身内30名ほどでおこなった。この大きな蔵は、天井に、大きな棟木が、中心にドーンと通っていて、それを支える太い柱が、部屋の真ん中にドーンとあり、ゴッツい登り梁が、1間半のピッチで、ドーンドーンドーンとその棟木に掛かっている。その登り梁と登り梁に太い角材の母屋が、1間ピッチで渡してあって、その上に、杉板なのだろうか、長尺の一枚ものの板材が、棟から軒に向かって貼ってあり、その板材の目地が、横方向でなく、棟から軒の縦方向にリズムよくあるのが、珍しいとおもう。それに軒桁は、わりと細い材料の頭つなぎ的な感じで組んであって、柱が半間ピッチに立っていて、貫で、柔らかにしっかりと固められていて、登り梁は、その桁ではなく、その柱に仕口されている。

なんていうのを、会話と会話の間、食事と食事の間、お酒とお酒の間に、天井を眺めるのが、毎年のコトで、こういう、大きなお屋敷を、食事ができる場所として、建て替えるのではなく、リユースしていこうという、日本の文化を守り活かそうと考える企業の姿勢のようなものが、大切なんだろうな。と会社経営の立場に立って、眺める時もある。長屋なんていうのも、最近の若い人が、文化として、好んでいる姿に接すると、文化的資源として、リユースする術を、あれやこれやと考える時代なのだろう。2次会は、会社の加工BARで、夜の11時前まで続いて、その後は、布施に繰り出したひと達もいたらしいが、私は、微妙な風邪と疲れが蓄積されていたのだろう、家に帰るとすぐに寝入ってしまった。

それで、朝も遅くまで寝坊を楽しむ気分なのかと思いきや、日曜日のイベント事が、6週続いた、遊んでいないストレスのようなものが、溜まっていたのだろう、朝6時に目が覚めて、自転車に乗って、身体的発散を求める「私」がいて、まだ外が薄暗いので、体を動かすコトに、躊躇する「私」も、一瞬台頭してきたが、気が付けば、自転車に乗る服に着替えて、玄関から外に、サドルにまたがって飛び出していた。

なんとなく、葡萄坂を登る方向に走り出した。途中、巽と久宝寺の公園を通り抜けるのが、好きで、早朝から、ランニングしていたり、散歩していたり、体操していたり、そんな、早朝の人の動きに接すると、なんとなく癒やされる気がする。このコースでは、久宝寺緑地を抜けて八尾の寺内町を抜ける間に、信貴山が見える開けた場所があり、いつも、ご来光を眺める人たちがいて、雲の間からチラッと朝日を垣間見た。周囲の街から、地内町への入り口がある、そんな、秘密の街に入っていくような、集落のありようが好きで、早朝の集落を通り抜けることで、「まち」に癒やされた気分になる。

葡萄坂を登る。34のギヤー比に変えて、早く上がれるようになったとおもいきや、以前より2、3分時間が掛かるようになって、最も早い、若い人達の、倍の時間を掛けて登っている、還暦前の身体からしても、がっかりではあるが、心拍数は10程下がって、楽になったのを喜ぶべきなのだろう。人間の身体能力と自転車のギヤー比の関係って面白いなとおもう。これからどんな状況になっていくのやら。8時頃に、のどか村に着くと、朝練の10人ほどのグループが休憩していた。朝に自転車を乗るときは、モーニングを食べる楽しみがあって、いつもは、十三峠や葡萄坂を超えて、奈良の方に降りて、三郷のカフェファンチャーナに行くが、今日はステンドグラスワークショップの準備があるので、そんな余裕もなく、信貴山の朝護孫子寺にお参りでもして、生駒の方に向かい、十三峠を下って帰ることにした。

自転車に乗る人が、朝護孫子寺にお参りに行くのには、自転車を押して階段を上がりながら、数カ所は、担いで階段を上がることが必要なので、ほとんどの自転車乗りは、お参りに行かないが、私は、たいがい立ち寄る。山から清水寺のような舞台がせり出していて、大和盆地の眺めがよく、なによりも、本堂に書いてある、「オンベイシラマンダヤソヤカ」という言霊のようなコトバが、面白いとおもい、早朝の参拝をする。それに、この場所に、よく、建築できたな。タイヘンやな。という工務店的施工の立ち位置もあり、設計する時には、まだ、山の状態の敷地で、本堂の場所の選定とアプローチを、どうやって考えたのかと、感心しながら階段を上る時もある。高校生風の男子とご両親の3人で、早朝の参拝をする姿に、出会った。

本堂から少し自転車をかつぎ上がると、多宝堂という、1階が方形で2階が円形の建物がある。高野山にあるのと同じ種類の建築だが、いつ見ても不思議な感じがする。五重塔のような建築的な美しさではなく、霊的な感じというのだろうか、空海がこういう形を考えたらしい。記念写真を撮って、紅葉の落ち葉が道の両側で歓迎してくれる山道を走って、裏十三峠を超えて、家に戻った。9時30分頃、帰りつくと、丁度、現場監督のシノダくんが、倉庫の前で、軽トラックの荷物を片付けているところで、シャチョウ、朝からどこ行ってきはったですか。なんていう会話で、日曜日のライドから、シゴトとステンドグラスワークショップモードに、スパッと切り替わった、日曜日の朝だった。

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投稿者:木村貴一

忘年会相談会M1

日曜日の夜。M1グランプリを見ている間に時間が過ぎた。人を笑わすっていうのは、凄い事やなぁ…..とおもう。立場的にも、年齢的にも、前に出て、喋る機会が、ちょくちょくあるが、笑いを取れる事なんて、滅多にない。笑いの持つ力って、これ、なんだろうかねぇ…..。人を笑わして、お金をもらう、プロとして、生きるっていうのも、大変な事だと、あらためておもえたのは、あの話題の火花を、Netflixで視聴した時で、ちょっと斜に構えて見ていたのに、それなりに感動して、もらい泣きしそうだった。

それにしても、審査っていうのも、ムツカシイものだな。ミキか和牛かって、おもっていたのに、トロサーモンだったのは予想外だった。かといって異論があるわけでもなく。そういえば、年に一度だけ、関西大学の3回生の木造設計製図で、審査する立場になる時があって、評価するっていう行為には、戸惑いや躊躇や勘違いや個人的趣味と好き嫌いが、私の内面で、入り乱れて、そんな内面的混乱のなかで、点数を付けたり、選んだりすることがあって、これで良かったのかなぁ…..と反省するときがある。オール巨人、松本、上沼さんが、和牛。その他の審査員がトロサーモン。っていうのが、審査とか評価の個人的基準のオモシロさとムツカシさを表していたのだろう。

今週から忘年会シーズンに突入した。今年のひとつ目は、建築家と工務店と材木屋さんが集まった忘年会で、MS設計事務所の亡くなった三澤さん繋がりのひとが集まる忘年会でもあった。ウラ難波のヒルマンでシンガポール料理を食べて、2次会3次会と続いたが、最近気が付けば、年長者になっている事も多く、うちの長男と同じような世代の次世代の工務店を担う若い人と話をしていると、自分が、出来てもしないことを、エラソウに言い過ぎていたのではないのかと、時折、「我が振り」振り返えってみたりする。

金曜日の夜は、今年解散した大手メーカーの協力業者の会で、その時の幹事だった数人が集まって、シェラトン都の四川で中華料理の忘年会となった。建築とは、関係がない、いろいろな職種の社長さんと会長さんによる忘年会で、最近の景気の話や相撲の話題など、世相に対する多様な見方を学んだり出来るのが面白いのだろう。こういう会では、まだ、歳下の位置関係なので、景気や世相に対して、自分の感じていることを、柔らかに述べて、話題を振りながら、意見を聞くのが、礼儀でもある。帰りがけに、生野区の秘密基地ソケットに寄ると、アイラ島シングルモルツ蒸留所巡礼の旅。なんていう話題で盛り上がり、お客さんが、高校の後輩だとわかって、アノコロノ、スミコウハ、ジユウデ、ヨカッタ、タノシカッタ。テヅカヤマモヨカッタ。ノブトカ。と、青春時代の話題が投げかけられて、今度は、ちょっと歳上として、想い出に応える立場になっていた。

土曜日の夜は、木村工務店の協力業者の精親会の忘年会だった。17時から会社の3階会議室で、今年一年間の活動報告と共に、木村工務店と協力会社の関係性を含めた、「企業道徳」なんていうのが話題になった。相撲の倫理委員会などが、世相を賑わしていることが影響していたのかもしれない。さまざまな意見を聞きながら、こんな方向性が良さそうだなぁ…..と、垣間見えたりしたのが収穫だった。その後は、歩いて、布施の料亭若葉に行き、30名ほどで、鍋の忘年会。座敷で鍋を囲みながら、酒を酌み交わし、会議の話題がアテになって、こんな時は、工務店は、ものづくりの仲間が、一緒に協力してくれてこその工務店だと、素直におもえる、一夜でもある。

今日は、住宅相談会がある今年最後の日曜日で、午前中の30代前半のAさんご夫妻は、両親の仕事を継ぐために、実家に戻り、狭山の田園風景の残る両親の敷地に、家を新築する予定で、平屋のたたき台案をプレゼンしながら、Aさんのご意向を汲みつつ、一緒にあれやこれやと考えて、その場で、平面計画を修正した。

午後からのBさんご家族は、息子さん家族が、東大阪のご両親の実家に戻って、隣り合わせの敷地で、ご両親の家のリフォームと、息子さん家族のコンパクトな新築を計画することになったが、既存の平面図や現況写真やグーグルアースを見ながら、家族が集まって、一緒に話し合う場をもって、方向性を合意しあう事が、相談会の大切テーマだった。リフォームは、その場で、ご両親の意見を聞きながら、簡単な、たたき台になるプランを作成した。

午後からのCさんご家族は、西宮の甲陽園で、土地を購入予定で、かなりの高さのある石積みの上に築30年を超す中古住宅が残っていて、擁壁に入り込んでいるコンクリートのボックス式の駐車場も小さく、ここを新築するのには、擁壁の強度を含めた法的な問題や、解体や基礎など、擁壁が工事をするための弊害となり、予算的な問題も大きくのし掛かるので、リフォームであれば、可能性があるが、新築は、ハードルが高い事を、プロジェクターで、一緒に、ストリートマップに写る現地を確認しながら、いろいろお伝えした。リフォームには不安があり、新築が望みだそうで、建築家と工務店の設計と施工の違いを説明しながら、あれやこれやと一緒に考えた相談会になった。

今週は、12月になり、師走という感覚を、徐々に感じさせる、忘年会と相談会とM1の一週間だった。

投稿者:木村貴一

ケンチクイス的。

今日の日曜日の「まちのえんがわ」ワークショップは、建築家のヤベさんによる、「ケンチクイス」のワークショップだった。毎年、恒例のヤベさんによるレクチャーでは、「ケンチクイスは、誰でもが、最高の完成度で造れる椅子」という、アマチュア的椅子づくりに対するコンセプトの説明から始まって、有名な椅子の多くには、曲線が使われていて、それは、椅子を造る技術のなかでも、道具と技術と時間が必要な、まさしくプロ的な技術だとおもうのだけれど、このケンチクイスには、「曲線がない」という解説が続き、というより、曲線を使わない椅子を造るというのが、アマチュアでも製作し易い椅子ということになるのだろう。

アマチュアがプロのテクニックに近づけるように、修練を積んで、まるでプロ並みな椅子を制作する。というアプローチもあるが、アマチュアがアマチュア的技術力の範囲で、完成度の高い椅子を制作する。というアプローチもあるわけで、それには、「設計思想」が必要なのだろうし、「ケンチクイス」というのは、アマチュア的ものづくりに、デザイン性を付加する、ものづくりの、あるひとつのアプローチを模索する試みだともいえる。

「曲線がない」。といっても、直線だけで出来ている、有名な椅子も数多くあって、そんな椅子が、プロが製作する椅子として、そのデザインや仕上げが、どんな技術によって完成されているのか。という解説が続いて、それをケンチクイスの3つのルールとして説明があった。まず、「仕口」という、木と木を組み合わせる高度な技術によって、椅子の強度が保たれている、その技術を使わないというのが、「仕口がない」というルール1だった。なので、ビスと木工用ボンドだけで、強度が保てるデザインと製作方法の椅子が、ケンチクイスだともいえる。

「トメがない」。というルール2があり、これは、木と木の角を直角に繋ぐ時に、両方の木を45度の角度でカットし、直交する2本の木を直角に繋ぐ技術で、もちろん、修練が必要な技術なのだけれど、そのトメという技術を使わなくても、デザイン性がある椅子を設計するのが、ケンチクイスのルール2でもあるのだろう。

「仕上げがない」。というのがルール3で、ペーパーで磨いたり、ニスを塗ったり、角をRで削ったり。という技術を使わずに、エエ感じの素材感になる椅子をデザインするのが、ケンチクイスのルール3だというわけで、今回は、ラワン合板を使って、塗料は全く使わず、ペーパーで磨くこともなく、製作することになった。

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新築やリフォーム工事で、積極的に、DIYをする、アマチュア的なものづくりの手法を取り入れて、コストダウンとともに、独特の雰囲気になる空間を作っていこうというのが、最近のブームでもあるが、このケンチクイスは、アマチュア的な技術だけで、誰もが造れる、デザイン性のある椅子を設計してみよう!という提案でもあるわけで、DIYで、デザイン性のある、空間や家具を設計できる余地と可能性は、まだまだありそうで、ヤベさんのケンチクイスの設計図を見ると、「DIYで造れるデザイン性のある設計」というアプローチに、奥深さを感じるわけで、これからは、単なるDIYだけではない、「ケンチクイス的デザイン性があるDIY」が求められる時代なのかもしれない。

投稿者:木村貴一

セミナーと懇親会

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「まちのえんがわ」で、不定期に催していた「縁側ミーティング」が、19日は「生野の日」という「生野区持続可能なまちづくり支援事業」のひとつの企画に乗っかる形で、毎月19日に「生野区空き家カフェ」として、定期的な空き家ミーティングを繰り返し催すようになって、そうこうしているうちに1年が経過し、様々な職業の参加者が集まるミーティングになってきて、それで、その都度その特徴的な参加者の方々に、ちょっとしたプレゼンやセミナーをやってもらうことにすると、それが、なかなか、ためになる内容で、是非、多くの人にシエアーしたい…..とおもうようになった。

丁度、この11月19日は、日曜日だったので、少し、大きいイベントとして、その代表的な人に講演をしてもらう『空き家管理・活用セミナー 』として、生野区役所主催で開催し、その後は木村工務店主催で、懇親会を開こうという企画になって、今日の冬の訪れを予感させる寒い日曜日に開催された。ちなみに、「まちのえんがわ」が「生野区持続可能なまちづくり支援事業」として認定されていて、補助金などは全くないが、行政と民間の私たちが、まちづくりを一緒に、考え、企画していこうという取り組みで、そのひとつの成果のような形で、『空き家管理・活用セミナー 』になった。

『空き家管理・活用セミナー 』

〜これだけは知って欲しい空き家のこと〜

1.「空き家の利活用事例紹介と解説」
講師:田中 晃代氏
(近畿大学総合社会学部 総合社会学科環境・まちづくり系選考 准教授)

2.「相続・遺言・遺産分割について」
講師:大西 弘喜氏
(NPO法人 FPファーム代表理事)

休憩

3.「空き家活用プロジェクトについて」
講師:空き家活用プロジェクトメンバー

4.「空き家の相談、引き取り支援について」
講師:米田 淳氏
(大阪府不動産コンサルティング協会 会長)

5.「融資制度について」
講師:山田 卓司氏
(日本政策金融公庫 大阪南支店国民生活事業 融資第二課長)

懇親会

「資源」としての空き家が、どのように活用されているのか、1.「空き家の利活用事例紹介と解説」として、近大の田中先生のレクチャーがあり、その事例紹介とともに、「空き家カフェ」の取り組みの紹介もあって、貸し手と借り手をマッチングするために、空き家に関わるさまざまな職種のプロフェッショナルな人たちが、一同に介してミーティングをすることで、「誰かに住んで欲しいのではなく、あなたに住んで欲しい」という関係性を生み出すのが、「空き家カフェ」の取り組みだという、印象的なコトバがあった。

空き家の貸し手と借り手がマッチングし、「住む」という状況に至るまでには、さまざまなハードルがあり、そのひとつに、相続の問題が、空き家を発生させ、貸す事ができない事態に陥っている空き家がよくある事例で、2.「相続・遺言・遺産分割について」として、NPO法人 FPファーム代表理事の大西さんによるレクチャーがあり、相続問題を取り組むためのきっかけを分かりやすく解説して頂いた。「相続に詳しい税理士さんが、意外に少ないのですよ」という話に、「へぇー、そうなのかぁー」という空気感が会場を満たしていたのが印象的だった。

空き家を「建築的」に解決することは、プランやデザインや建築手法を含めて、最も大事な課題のひとつで、この空き家プロジェクトを通じて、借地の空き家を、その家だけを買い取り、リノベーションし、まちのえんがわ橋爪事務所として住んでいる、橋爪邸の事例紹介があった。3.「空き家活用プロジェクトについて」というテーマのもと、空き家活用プロジェクトメンバーの、不動産業のアステルホームの洪さんと、設計のイトウチハル設計工房のイトウさんと、工務店のいたや木材の大塚さんと、私が、解説を担当したが、今回は、建築的な問題解決以上に、その建築に至るまでのプロセスが、大事なテーマだったとおもう。

4.「空き家の相談、引き取り支援について」として、大阪府不動産コンサルティング協会会長の米田さんによるレクチャーでは、空き家相談は、「物」の相談ではなく、「人と物」の相談。空き家とは、活かすも壊すも人次第。なんていうのが、印象的で、空き家相談 三つのkanjyo(かんじょう)として、「感情=心、気持ち、意欲」「勘定=お金、資金力損得」「環状=地縁、血縁、人的環境」というのが面白かったが、この「空き家カフェ」プロジェクトでは、地縁と人的環境を支援しながら、生活し始めてからのコミュニティーの継続を支援するところに、ちょっとした面白さがあるのかもしれない。

5日本政策金融公庫 大阪南支店国民生活事業 融資第二課長.山田さんによる「融資制度について」では、まちづくりの問題に取り組む市町村で、空き家の貸し手側の賃貸業としての融資制度や、空き家に住んで、起業をしようと考えているひとの借り手側の事業資金としての融資制度など。確かに、最終的には、借り手貸し手とも、お金の問題が解決されないと、空き家問題の解決は、現実化されないわけで、あらためて、公共的なまちづくりの取り組みと、それに参加しようとする貸し手と借り手と、金融面での公的な融資サポーターとの繋がりの大切さを実感した。

生野区長や副区長の挨拶などもあって、セミナーが終わり、懇親会では、トークイベントを催す予定だったが、参加者の方々が、飲んだり食べたりしながら、あちらこちらで、さまざまなコミュニケーションが誘発されて、舞台の一カ所から発せられる一方的なトークイベントより、この懇親会の、いまの賑やかなコミュニケーションの状況そのものが、トークイベント的に感じられて、トークイベントは中止し、このコミュニケーションの状況を中断せず継続することにした。

「集い繋がり広がる」という感覚からすると、懇親会と、その懇親会場でのコミュニケーションの活性状況が、「繋がりと広がる」の間に潜む、目に見えない大きなギャップを埋める役目を担ってくれるのではないのか。とおもえたセミナーと懇親会だった。

投稿者:木村貴一

紅葉的。

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ようやく紅葉の季節がやってきたような、そんな気分になれた日曜日。うちの庭の木々も一斉に紅葉し、落ち葉掃除に追われる日々。2週間続けて中止になった、写真家多田ユウコさんによる日光写真ワークショップが、秋晴れの日光の元で、3度目の正直開催となって、参加者も12人にもなり、和気藹々で、ものづくり感に満ちた、素敵なワークショップになった。

液を調合し、用紙に塗って、印画紙を作製する作業から始まって、被写体としての素材づくりに移行すると、まず、うちの庭に行って、落ち葉を集めて、デザインを考え、印画紙の上に置き、日光の紫外線によって感光させることで、独特の青の日光写真が出来上がった。この「青」が、レトロ感があってエエ感じを演出しているのだろう。そうえいば、父でもある先代の社長は、青焼きコピー機で、図面を焼く時の、その青焼きの青が好きで、ある年の年賀状から、その「青焼き風の青」を使った、年賀状にすることになり、私もその青を引き継いで、毎年のデザインを考えている。

自分が撮った写真や、描いた絵を、Jpg化し、パソコン上で白黒反転して、それを印刷したあと、液を調合して塗ったトートバッグに直接感光させると、なかなか雰囲気のあるトートバッグになる。うちの長男の奥さんも、このワークショップに参加したが、子供の写真を青く感光させた親馬鹿的トートバッグが出来て、それを見て、私は、孫馬鹿的に、エエ感じやな。と褒め合う「構図」があった。是非、来年開催の折には、多くのママさんやパパさんたちが、我が子の日光写真入りトートバッグを造って、自分で持ち歩いたり、ジイジイとバァバァにプレゼントし、孫入りトートバッグを持ち歩く、おじいちゃんおばあちゃん…..。なんて姿を想ってみたりした、予想外に楽しい、日光写真ワークショップだった。

今日の日曜日は、住宅相談会とのダブルブッキングになったが、午後1時からの30代Aさんは、くずは方面で土地を探し、新築を計画予定で、うちの設計のタナカくんと日住サービスのナリタさんとのダブル対応での相談会になって、中古住宅のリフォームも提案し、土地探しが始まる事になった。午後3時からの30代Bさんは、Aさんと同じ方面で、男山団地付近での中古住宅探しで、以前にお越し頂いていたので、今回は、具体的な物件に対する、リフォームのたたき台案を提示しながら、予算のコトや、耐震の問題など、あれやこれやと、コミュニケーションが続いた。

土曜日にも、中古住宅の購入に関して、相談に来られた30代のお客さんがいて、ここ最近、ようやく、そういう、不動産的案件が、活性化されてきたのかな?とおもうようになったが、この一年を振り返ると、多くの30代家族が、住宅取得に関して「躊躇」していた一年であったようにおもう。

政治が首相の学校問題等でゴタゴタし、北朝鮮のミサイル発射など、イヤな気分になる昨今。年金が支給されるのかどうかも曖昧。将来的希望が持てない。憲法改正問題もあり、戦争に巻き込まれる世の中に再びなるのかもしれない。という不安感も入り交じっているのだろう。いまのこのご時世、家に、大きなお金を使って、予算をかけて良いだろうか…..。という、将来に対する妙な不安感が、30代家族に、住宅取得を「躊躇」させていたのではないのか。と感じる一年だった。

紅葉のように、冬が近づくと、赤く黄色く熟して、葉を落とし、冬をじっと過ごして、また春に、芽吹いて、新しい葉を付ける。こんな妙な不安感と躊躇も、紅葉のように色付いて落ち、新しい芽吹きに取って代わる、そんな循環の、ある曲面なのだろうか…..。

投稿者:木村貴一

コラボレーションと共有体験

コラボレーションというコトバとか、コラボとか、そんなコトバを使うと、必ずエエモノが出来そうな、そんな妙な錯覚に陥ってしまいそうになる、このご時世だが、そのコラボレーションというコトバの魔力を信じて、生野区に工房を構える、ランドセルの生田工房さんとコラボした「まちのえんがわ」ワークショップが、今日の日曜日に開催された。

生野ものづくり百景」に「まちのえんがわ」が、少々関わっていたこともあって、そこに掲載されている生田工房さんと縁が生まれて、ランドセル製作の工房の設計と施工をさせて頂いたのが、3年前のコト。その縁が引き続いて、今年の夏前から、スタッフの方々とのコミュニケーションのなかで、「ランドセルを置くための台」を造るコトが出来ないですかね…..。なんていう話が持ち上がっていた。小さな箱の上にランドセルを置く。その箱にキャスターでも付ける。そんなのがスタッフの方々のイメージの出発点だった。

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4月に建築家林敬一さんによるスツール製作のワークショップがあり、生田工房さんの要望されたランドセル置きが、ワークショップでの林敬一さんの、そのスツールのデザインに、影響を受けて、こんなランドセル置きのデザインに変化していった…..。ちなみに、6年前に林敬一さん設計で、木村工務店で施工した、「京都しるく」という店舗が、京都デザイン賞を受賞したらしく、こんなメールがハヤシさんからきた。

京都デザイン賞という賞があるのですが、京都しるくが京都商工会議所会頭賞を受賞しました。主催は公益社団法人京都デザイン協会というところで、わりと公的な賞です。賞は建築だけでなくて、ファッションやクラフトなどデザイン全般を対象にしています。

京都デザイン賞 website ↓

http://kyoto-design.net/award.html

表彰式・作品講評会
11/12(日)16:00-17:40
京都府庁旧本館1階旧議場(京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町)

交流会
11/12(日)18:30-21:00(受付 18:00~)
京都平安ホテル(京都市上京区烏丸上長者町上ル)

作品展
11/11(土)-12(日)10:00-17:00 入場無料
京都府庁旧本館2階正庁(京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町)

時として、建築家のデザインが、いろいろな人に刺激を与えて、ものづくりを触発させる時があって、まさしく、今回はそんな例で、もともとのハヤシさんのデザインのクォリティが高いが故に、そんな化学反応が起きたのだろう。

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↑ 林敬一さんのスツール

↓今回のランドセルワークショップは、製作時間と製作し易さを優先して、こんなデザインに落ち着いた。
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↑ 革細工が付けられることになった。

午前中に生田工房さんで、取っ手とポケットの革細工を製作した親子15組の方々が、お昼から木村工務店の加工場にお見えになって、ランドセルスツールを製作することになったのだけれど、今回は、生田工房さんで、ランドセルを予約した人だけに、ワークショップの案内が為されて、なんでも80組近い応募があり、抽選で15組になったそうで、この生田工房さんのランドセル人気に驚いたが、なによりもの驚きは、モノとしてのランドセルスツールのデザインの問題より、小学校入学前のお子さん達が、お母さんやお父さんやバアバアと一緒に、一生懸命ものづくりをする姿があって、それに応えて、ほとんど、経験したことがない、合板にビスを揉む作業を、慣れない手つきで、子供のためにと、頑張るご両親の姿で。

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さまざまなワークショップを経験してきたなかで、確かに、コラボという関係性を持たないと、現実化されないモノがあるのを経験できたのは、貴重な体験だったが、なによりもの体験は、小学校入学というひとつの節目を迎える子供さんのために、一生懸命頑張るご両親の姿を通じて、親子の記憶に残る、共有体験を持てたことが、最大のコトに思えてくるわけで、わざわざ神奈川県から新幹線に乗って、母と息子さんが2人で、大阪でもマイナーな下町の生野区にある、生田工房さんと木村工務店の加工場で、ものづくりを体験し、完成したそのランドセルスツールを、カートに梱包し、ゾロゾロ引きながら、嬉しそうに帰路に向かう、その親子の後ろ姿を見ると、尚一層、共有体験というものの大切さに感慨深くなってくるわけで。ワークショップに参加した親子の皆さんのお陰で、生田工房さんのスタッフの方々や、木村工務店のスタッフまでもが、記憶に残るようなワークショップを体験できたことに、感謝したいとおもう。

投稿者:木村貴一

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