朝の言霊

日曜日のイベント事が、6週連続、続くと、流石に、微妙なストレスが蓄積されていたのだろう。

昨日の土曜日の夜は、木村工務店の忘年会で、毎年恒例の、がんこ平野郷の蔵を貸し切って、社員だけでなく、大工さんや手伝いさんも一緒に、身内30名ほどでおこなった。この大きな蔵は、天井に、大きな棟木が、中心にドーンと通っていて、それを支える太い柱が、部屋の真ん中にドーンとあり、ゴッツい登り梁が、1間半のピッチで、ドーンドーンドーンとその棟木に掛かっている。その登り梁と登り梁に太い角材の母屋が、1間ピッチで渡してあって、その上に、杉板なのだろうか、長尺の一枚ものの板材が、棟から軒に向かって貼ってあり、その板材の目地が、横方向でなく、棟から軒の縦方向にリズムよくあるのが、珍しいとおもう。それに軒桁は、わりと細い材料の頭つなぎ的な感じで組んであって、柱が半間ピッチに立っていて、貫で、柔らかにしっかりと固められていて、登り梁は、その桁ではなく、その柱に仕口されている。

なんていうのを、会話と会話の間、食事と食事の間、お酒とお酒の間に、天井を眺めるのが、毎年のコトで、こういう、大きなお屋敷を、食事ができる場所として、建て替えるのではなく、リユースしていこうという、日本の文化を守り活かそうと考える企業の姿勢のようなものが、大切なんだろうな。と会社経営の立場に立って、眺める時もある。長屋なんていうのも、最近の若い人が、文化として、好んでいる姿に接すると、文化的資源として、リユースする術を、あれやこれやと考える時代なのだろう。2次会は、会社の加工BARで、夜の11時前まで続いて、その後は、布施に繰り出したひと達もいたらしいが、私は、微妙な風邪と疲れが蓄積されていたのだろう、家に帰るとすぐに寝入ってしまった。

それで、朝も遅くまで寝坊を楽しむ気分なのかと思いきや、日曜日のイベント事が、6週続いた、遊んでいないストレスのようなものが、溜まっていたのだろう、朝6時に目が覚めて、自転車に乗って、身体的発散を求める「私」がいて、まだ外が薄暗いので、体を動かすコトに、躊躇する「私」も、一瞬台頭してきたが、気が付けば、自転車に乗る服に着替えて、玄関から外に、サドルにまたがって飛び出していた。

なんとなく、葡萄坂を登る方向に走り出した。途中、巽と久宝寺の公園を通り抜けるのが、好きで、早朝から、ランニングしていたり、散歩していたり、体操していたり、そんな、早朝の人の動きに接すると、なんとなく癒やされる気がする。このコースでは、久宝寺緑地を抜けて八尾の寺内町を抜ける間に、信貴山が見える開けた場所があり、いつも、ご来光を眺める人たちがいて、雲の間からチラッと朝日を垣間見た。周囲の街から、地内町への入り口がある、そんな、秘密の街に入っていくような、集落のありようが好きで、早朝の集落を通り抜けることで、「まち」に癒やされた気分になる。

葡萄坂を登る。34のギヤー比に変えて、早く上がれるようになったとおもいきや、以前より2、3分時間が掛かるようになって、最も早い、若い人達の、倍の時間を掛けて登っている、還暦前の身体からしても、がっかりではあるが、心拍数は10程下がって、楽になったのを喜ぶべきなのだろう。人間の身体能力と自転車のギヤー比の関係って面白いなとおもう。これからどんな状況になっていくのやら。8時頃に、のどか村に着くと、朝練の10人ほどのグループが休憩していた。朝に自転車を乗るときは、モーニングを食べる楽しみがあって、いつもは、十三峠や葡萄坂を超えて、奈良の方に降りて、三郷のカフェファンチャーナに行くが、今日はステンドグラスワークショップの準備があるので、そんな余裕もなく、信貴山の朝護孫子寺にお参りでもして、生駒の方に向かい、十三峠を下って帰ることにした。

自転車に乗る人が、朝護孫子寺にお参りに行くのには、自転車を押して階段を上がりながら、数カ所は、担いで階段を上がることが必要なので、ほとんどの自転車乗りは、お参りに行かないが、私は、たいがい立ち寄る。山から清水寺のような舞台がせり出していて、大和盆地の眺めがよく、なによりも、本堂に書いてある、「オンベイシラマンダヤソヤカ」という言霊のようなコトバが、面白いとおもい、早朝の参拝をする。それに、この場所に、よく、建築できたな。タイヘンやな。という工務店的施工の立ち位置もあり、設計する時には、まだ、山の状態の敷地で、本堂の場所の選定とアプローチを、どうやって考えたのかと、感心しながら階段を上る時もある。高校生風の男子とご両親の3人で、早朝の参拝をする姿に、出会った。

本堂から少し自転車をかつぎ上がると、多宝堂という、1階が方形で2階が円形の建物がある。高野山にあるのと同じ種類の建築だが、いつ見ても不思議な感じがする。五重塔のような建築的な美しさではなく、霊的な感じというのだろうか、空海がこういう形を考えたらしい。記念写真を撮って、紅葉の落ち葉が道の両側で歓迎してくれる山道を走って、裏十三峠を超えて、家に戻った。9時30分頃、帰りつくと、丁度、現場監督のシノダくんが、倉庫の前で、軽トラックの荷物を片付けているところで、シャチョウ、朝からどこ行ってきはったですか。なんていう会話で、日曜日のライドから、シゴトとステンドグラスワークショップモードに、スパッと切り替わった、日曜日の朝だった。

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投稿者:木村貴一

忘年会相談会M1

日曜日の夜。M1グランプリを見ている間に時間が過ぎた。人を笑わすっていうのは、凄い事やなぁ…..とおもう。立場的にも、年齢的にも、前に出て、喋る機会が、ちょくちょくあるが、笑いを取れる事なんて、滅多にない。笑いの持つ力って、これ、なんだろうかねぇ…..。人を笑わして、お金をもらう、プロとして、生きるっていうのも、大変な事だと、あらためておもえたのは、あの話題の火花を、Netflixで視聴した時で、ちょっと斜に構えて見ていたのに、それなりに感動して、もらい泣きしそうだった。

それにしても、審査っていうのも、ムツカシイものだな。ミキか和牛かって、おもっていたのに、トロサーモンだったのは予想外だった。かといって異論があるわけでもなく。そういえば、年に一度だけ、関西大学の3回生の木造設計製図で、審査する立場になる時があって、評価するっていう行為には、戸惑いや躊躇や勘違いや個人的趣味と好き嫌いが、私の内面で、入り乱れて、そんな内面的混乱のなかで、点数を付けたり、選んだりすることがあって、これで良かったのかなぁ…..と反省するときがある。オール巨人、松本、上沼さんが、和牛。その他の審査員がトロサーモン。っていうのが、審査とか評価の個人的基準のオモシロさとムツカシさを表していたのだろう。

今週から忘年会シーズンに突入した。今年のひとつ目は、建築家と工務店と材木屋さんが集まった忘年会で、MS設計事務所の亡くなった三澤さん繋がりのひとが集まる忘年会でもあった。ウラ難波のヒルマンでシンガポール料理を食べて、2次会3次会と続いたが、最近気が付けば、年長者になっている事も多く、うちの長男と同じような世代の次世代の工務店を担う若い人と話をしていると、自分が、出来てもしないことを、エラソウに言い過ぎていたのではないのかと、時折、「我が振り」振り返えってみたりする。

金曜日の夜は、今年解散した大手メーカーの協力業者の会で、その時の幹事だった数人が集まって、シェラトン都の四川で中華料理の忘年会となった。建築とは、関係がない、いろいろな職種の社長さんと会長さんによる忘年会で、最近の景気の話や相撲の話題など、世相に対する多様な見方を学んだり出来るのが面白いのだろう。こういう会では、まだ、歳下の位置関係なので、景気や世相に対して、自分の感じていることを、柔らかに述べて、話題を振りながら、意見を聞くのが、礼儀でもある。帰りがけに、生野区の秘密基地ソケットに寄ると、アイラ島シングルモルツ蒸留所巡礼の旅。なんていう話題で盛り上がり、お客さんが、高校の後輩だとわかって、アノコロノ、スミコウハ、ジユウデ、ヨカッタ、タノシカッタ。テヅカヤマモヨカッタ。ノブトカ。と、青春時代の話題が投げかけられて、今度は、ちょっと歳上として、想い出に応える立場になっていた。

土曜日の夜は、木村工務店の協力業者の精親会の忘年会だった。17時から会社の3階会議室で、今年一年間の活動報告と共に、木村工務店と協力会社の関係性を含めた、「企業道徳」なんていうのが話題になった。相撲の倫理委員会などが、世相を賑わしていることが影響していたのかもしれない。さまざまな意見を聞きながら、こんな方向性が良さそうだなぁ…..と、垣間見えたりしたのが収穫だった。その後は、歩いて、布施の料亭若葉に行き、30名ほどで、鍋の忘年会。座敷で鍋を囲みながら、酒を酌み交わし、会議の話題がアテになって、こんな時は、工務店は、ものづくりの仲間が、一緒に協力してくれてこその工務店だと、素直におもえる、一夜でもある。

今日は、住宅相談会がある今年最後の日曜日で、午前中の30代前半のAさんご夫妻は、両親の仕事を継ぐために、実家に戻り、狭山の田園風景の残る両親の敷地に、家を新築する予定で、平屋のたたき台案をプレゼンしながら、Aさんのご意向を汲みつつ、一緒にあれやこれやと考えて、その場で、平面計画を修正した。

午後からのBさんご家族は、息子さん家族が、東大阪のご両親の実家に戻って、隣り合わせの敷地で、ご両親の家のリフォームと、息子さん家族のコンパクトな新築を計画することになったが、既存の平面図や現況写真やグーグルアースを見ながら、家族が集まって、一緒に話し合う場をもって、方向性を合意しあう事が、相談会の大切テーマだった。リフォームは、その場で、ご両親の意見を聞きながら、簡単な、たたき台になるプランを作成した。

午後からのCさんご家族は、西宮の甲陽園で、土地を購入予定で、かなりの高さのある石積みの上に築30年を超す中古住宅が残っていて、擁壁に入り込んでいるコンクリートのボックス式の駐車場も小さく、ここを新築するのには、擁壁の強度を含めた法的な問題や、解体や基礎など、擁壁が工事をするための弊害となり、予算的な問題も大きくのし掛かるので、リフォームであれば、可能性があるが、新築は、ハードルが高い事を、プロジェクターで、一緒に、ストリートマップに写る現地を確認しながら、いろいろお伝えした。リフォームには不安があり、新築が望みだそうで、建築家と工務店の設計と施工の違いを説明しながら、あれやこれやと一緒に考えた相談会になった。

今週は、12月になり、師走という感覚を、徐々に感じさせる、忘年会と相談会とM1の一週間だった。

投稿者:木村貴一

ケンチクイス的。

今日の日曜日の「まちのえんがわ」ワークショップは、建築家のヤベさんによる、「ケンチクイス」のワークショップだった。毎年、恒例のヤベさんによるレクチャーでは、「ケンチクイスは、誰でもが、最高の完成度で造れる椅子」という、アマチュア的椅子づくりに対するコンセプトの説明から始まって、有名な椅子の多くには、曲線が使われていて、それは、椅子を造る技術のなかでも、道具と技術と時間が必要な、まさしくプロ的な技術だとおもうのだけれど、このケンチクイスには、「曲線がない」という解説が続き、というより、曲線を使わない椅子を造るというのが、アマチュアでも製作し易い椅子ということになるのだろう。

アマチュアがプロのテクニックに近づけるように、修練を積んで、まるでプロ並みな椅子を制作する。というアプローチもあるが、アマチュアがアマチュア的技術力の範囲で、完成度の高い椅子を制作する。というアプローチもあるわけで、それには、「設計思想」が必要なのだろうし、「ケンチクイス」というのは、アマチュア的ものづくりに、デザイン性を付加する、ものづくりの、あるひとつのアプローチを模索する試みだともいえる。

「曲線がない」。といっても、直線だけで出来ている、有名な椅子も数多くあって、そんな椅子が、プロが製作する椅子として、そのデザインや仕上げが、どんな技術によって完成されているのか。という解説が続いて、それをケンチクイスの3つのルールとして説明があった。まず、「仕口」という、木と木を組み合わせる高度な技術によって、椅子の強度が保たれている、その技術を使わないというのが、「仕口がない」というルール1だった。なので、ビスと木工用ボンドだけで、強度が保てるデザインと製作方法の椅子が、ケンチクイスだともいえる。

「トメがない」。というルール2があり、これは、木と木の角を直角に繋ぐ時に、両方の木を45度の角度でカットし、直交する2本の木を直角に繋ぐ技術で、もちろん、修練が必要な技術なのだけれど、そのトメという技術を使わなくても、デザイン性がある椅子を設計するのが、ケンチクイスのルール2でもあるのだろう。

「仕上げがない」。というのがルール3で、ペーパーで磨いたり、ニスを塗ったり、角をRで削ったり。という技術を使わずに、エエ感じの素材感になる椅子をデザインするのが、ケンチクイスのルール3だというわけで、今回は、ラワン合板を使って、塗料は全く使わず、ペーパーで磨くこともなく、製作することになった。

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新築やリフォーム工事で、積極的に、DIYをする、アマチュア的なものづくりの手法を取り入れて、コストダウンとともに、独特の雰囲気になる空間を作っていこうというのが、最近のブームでもあるが、このケンチクイスは、アマチュア的な技術だけで、誰もが造れる、デザイン性のある椅子を設計してみよう!という提案でもあるわけで、DIYで、デザイン性のある、空間や家具を設計できる余地と可能性は、まだまだありそうで、ヤベさんのケンチクイスの設計図を見ると、「DIYで造れるデザイン性のある設計」というアプローチに、奥深さを感じるわけで、これからは、単なるDIYだけではない、「ケンチクイス的デザイン性があるDIY」が求められる時代なのかもしれない。

投稿者:木村貴一

セミナーと懇親会

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「まちのえんがわ」で、不定期に催していた「縁側ミーティング」が、19日は「生野の日」という「生野区持続可能なまちづくり支援事業」のひとつの企画に乗っかる形で、毎月19日に「生野区空き家カフェ」として、定期的な空き家ミーティングを繰り返し催すようになって、そうこうしているうちに1年が経過し、様々な職業の参加者が集まるミーティングになってきて、それで、その都度その特徴的な参加者の方々に、ちょっとしたプレゼンやセミナーをやってもらうことにすると、それが、なかなか、ためになる内容で、是非、多くの人にシエアーしたい…..とおもうようになった。

丁度、この11月19日は、日曜日だったので、少し、大きいイベントとして、その代表的な人に講演をしてもらう『空き家管理・活用セミナー 』として、生野区役所主催で開催し、その後は木村工務店主催で、懇親会を開こうという企画になって、今日の冬の訪れを予感させる寒い日曜日に開催された。ちなみに、「まちのえんがわ」が「生野区持続可能なまちづくり支援事業」として認定されていて、補助金などは全くないが、行政と民間の私たちが、まちづくりを一緒に、考え、企画していこうという取り組みで、そのひとつの成果のような形で、『空き家管理・活用セミナー 』になった。

『空き家管理・活用セミナー 』

〜これだけは知って欲しい空き家のこと〜

1.「空き家の利活用事例紹介と解説」
講師:田中 晃代氏
(近畿大学総合社会学部 総合社会学科環境・まちづくり系選考 准教授)

2.「相続・遺言・遺産分割について」
講師:大西 弘喜氏
(NPO法人 FPファーム代表理事)

休憩

3.「空き家活用プロジェクトについて」
講師:空き家活用プロジェクトメンバー

4.「空き家の相談、引き取り支援について」
講師:米田 淳氏
(大阪府不動産コンサルティング協会 会長)

5.「融資制度について」
講師:山田 卓司氏
(日本政策金融公庫 大阪南支店国民生活事業 融資第二課長)

懇親会

「資源」としての空き家が、どのように活用されているのか、1.「空き家の利活用事例紹介と解説」として、近大の田中先生のレクチャーがあり、その事例紹介とともに、「空き家カフェ」の取り組みの紹介もあって、貸し手と借り手をマッチングするために、空き家に関わるさまざまな職種のプロフェッショナルな人たちが、一同に介してミーティングをすることで、「誰かに住んで欲しいのではなく、あなたに住んで欲しい」という関係性を生み出すのが、「空き家カフェ」の取り組みだという、印象的なコトバがあった。

空き家の貸し手と借り手がマッチングし、「住む」という状況に至るまでには、さまざまなハードルがあり、そのひとつに、相続の問題が、空き家を発生させ、貸す事ができない事態に陥っている空き家がよくある事例で、2.「相続・遺言・遺産分割について」として、NPO法人 FPファーム代表理事の大西さんによるレクチャーがあり、相続問題を取り組むためのきっかけを分かりやすく解説して頂いた。「相続に詳しい税理士さんが、意外に少ないのですよ」という話に、「へぇー、そうなのかぁー」という空気感が会場を満たしていたのが印象的だった。

空き家を「建築的」に解決することは、プランやデザインや建築手法を含めて、最も大事な課題のひとつで、この空き家プロジェクトを通じて、借地の空き家を、その家だけを買い取り、リノベーションし、まちのえんがわ橋爪事務所として住んでいる、橋爪邸の事例紹介があった。3.「空き家活用プロジェクトについて」というテーマのもと、空き家活用プロジェクトメンバーの、不動産業のアステルホームの洪さんと、設計のイトウチハル設計工房のイトウさんと、工務店のいたや木材の大塚さんと、私が、解説を担当したが、今回は、建築的な問題解決以上に、その建築に至るまでのプロセスが、大事なテーマだったとおもう。

4.「空き家の相談、引き取り支援について」として、大阪府不動産コンサルティング協会会長の米田さんによるレクチャーでは、空き家相談は、「物」の相談ではなく、「人と物」の相談。空き家とは、活かすも壊すも人次第。なんていうのが、印象的で、空き家相談 三つのkanjyo(かんじょう)として、「感情=心、気持ち、意欲」「勘定=お金、資金力損得」「環状=地縁、血縁、人的環境」というのが面白かったが、この「空き家カフェ」プロジェクトでは、地縁と人的環境を支援しながら、生活し始めてからのコミュニティーの継続を支援するところに、ちょっとした面白さがあるのかもしれない。

5日本政策金融公庫 大阪南支店国民生活事業 融資第二課長.山田さんによる「融資制度について」では、まちづくりの問題に取り組む市町村で、空き家の貸し手側の賃貸業としての融資制度や、空き家に住んで、起業をしようと考えているひとの借り手側の事業資金としての融資制度など。確かに、最終的には、借り手貸し手とも、お金の問題が解決されないと、空き家問題の解決は、現実化されないわけで、あらためて、公共的なまちづくりの取り組みと、それに参加しようとする貸し手と借り手と、金融面での公的な融資サポーターとの繋がりの大切さを実感した。

生野区長や副区長の挨拶などもあって、セミナーが終わり、懇親会では、トークイベントを催す予定だったが、参加者の方々が、飲んだり食べたりしながら、あちらこちらで、さまざまなコミュニケーションが誘発されて、舞台の一カ所から発せられる一方的なトークイベントより、この懇親会の、いまの賑やかなコミュニケーションの状況そのものが、トークイベント的に感じられて、トークイベントは中止し、このコミュニケーションの状況を中断せず継続することにした。

「集い繋がり広がる」という感覚からすると、懇親会と、その懇親会場でのコミュニケーションの活性状況が、「繋がりと広がる」の間に潜む、目に見えない大きなギャップを埋める役目を担ってくれるのではないのか。とおもえたセミナーと懇親会だった。

投稿者:木村貴一

紅葉的。

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ようやく紅葉の季節がやってきたような、そんな気分になれた日曜日。うちの庭の木々も一斉に紅葉し、落ち葉掃除に追われる日々。2週間続けて中止になった、写真家多田ユウコさんによる日光写真ワークショップが、秋晴れの日光の元で、3度目の正直開催となって、参加者も12人にもなり、和気藹々で、ものづくり感に満ちた、素敵なワークショップになった。

液を調合し、用紙に塗って、印画紙を作製する作業から始まって、被写体としての素材づくりに移行すると、まず、うちの庭に行って、落ち葉を集めて、デザインを考え、印画紙の上に置き、日光の紫外線によって感光させることで、独特の青の日光写真が出来上がった。この「青」が、レトロ感があってエエ感じを演出しているのだろう。そうえいば、父でもある先代の社長は、青焼きコピー機で、図面を焼く時の、その青焼きの青が好きで、ある年の年賀状から、その「青焼き風の青」を使った、年賀状にすることになり、私もその青を引き継いで、毎年のデザインを考えている。

自分が撮った写真や、描いた絵を、Jpg化し、パソコン上で白黒反転して、それを印刷したあと、液を調合して塗ったトートバッグに直接感光させると、なかなか雰囲気のあるトートバッグになる。うちの長男の奥さんも、このワークショップに参加したが、子供の写真を青く感光させた親馬鹿的トートバッグが出来て、それを見て、私は、孫馬鹿的に、エエ感じやな。と褒め合う「構図」があった。是非、来年開催の折には、多くのママさんやパパさんたちが、我が子の日光写真入りトートバッグを造って、自分で持ち歩いたり、ジイジイとバァバァにプレゼントし、孫入りトートバッグを持ち歩く、おじいちゃんおばあちゃん…..。なんて姿を想ってみたりした、予想外に楽しい、日光写真ワークショップだった。

今日の日曜日は、住宅相談会とのダブルブッキングになったが、午後1時からの30代Aさんは、くずは方面で土地を探し、新築を計画予定で、うちの設計のタナカくんと日住サービスのナリタさんとのダブル対応での相談会になって、中古住宅のリフォームも提案し、土地探しが始まる事になった。午後3時からの30代Bさんは、Aさんと同じ方面で、男山団地付近での中古住宅探しで、以前にお越し頂いていたので、今回は、具体的な物件に対する、リフォームのたたき台案を提示しながら、予算のコトや、耐震の問題など、あれやこれやと、コミュニケーションが続いた。

土曜日にも、中古住宅の購入に関して、相談に来られた30代のお客さんがいて、ここ最近、ようやく、そういう、不動産的案件が、活性化されてきたのかな?とおもうようになったが、この一年を振り返ると、多くの30代家族が、住宅取得に関して「躊躇」していた一年であったようにおもう。

政治が首相の学校問題等でゴタゴタし、北朝鮮のミサイル発射など、イヤな気分になる昨今。年金が支給されるのかどうかも曖昧。将来的希望が持てない。憲法改正問題もあり、戦争に巻き込まれる世の中に再びなるのかもしれない。という不安感も入り交じっているのだろう。いまのこのご時世、家に、大きなお金を使って、予算をかけて良いだろうか…..。という、将来に対する妙な不安感が、30代家族に、住宅取得を「躊躇」させていたのではないのか。と感じる一年だった。

紅葉のように、冬が近づくと、赤く黄色く熟して、葉を落とし、冬をじっと過ごして、また春に、芽吹いて、新しい葉を付ける。こんな妙な不安感と躊躇も、紅葉のように色付いて落ち、新しい芽吹きに取って代わる、そんな循環の、ある曲面なのだろうか…..。

投稿者:木村貴一

コラボレーションと共有体験

コラボレーションというコトバとか、コラボとか、そんなコトバを使うと、必ずエエモノが出来そうな、そんな妙な錯覚に陥ってしまいそうになる、このご時世だが、そのコラボレーションというコトバの魔力を信じて、生野区に工房を構える、ランドセルの生田工房さんとコラボした「まちのえんがわ」ワークショップが、今日の日曜日に開催された。

生野ものづくり百景」に「まちのえんがわ」が、少々関わっていたこともあって、そこに掲載されている生田工房さんと縁が生まれて、ランドセル製作の工房の設計と施工をさせて頂いたのが、3年前のコト。その縁が引き続いて、今年の夏前から、スタッフの方々とのコミュニケーションのなかで、「ランドセルを置くための台」を造るコトが出来ないですかね…..。なんていう話が持ち上がっていた。小さな箱の上にランドセルを置く。その箱にキャスターでも付ける。そんなのがスタッフの方々のイメージの出発点だった。

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4月に建築家林敬一さんによるスツール製作のワークショップがあり、生田工房さんの要望されたランドセル置きが、ワークショップでの林敬一さんの、そのスツールのデザインに、影響を受けて、こんなランドセル置きのデザインに変化していった…..。ちなみに、6年前に林敬一さん設計で、木村工務店で施工した、「京都しるく」という店舗が、京都デザイン賞を受賞したらしく、こんなメールがハヤシさんからきた。

京都デザイン賞という賞があるのですが、京都しるくが京都商工会議所会頭賞を受賞しました。主催は公益社団法人京都デザイン協会というところで、わりと公的な賞です。賞は建築だけでなくて、ファッションやクラフトなどデザイン全般を対象にしています。

京都デザイン賞 website ↓

http://kyoto-design.net/award.html

表彰式・作品講評会
11/12(日)16:00-17:40
京都府庁旧本館1階旧議場(京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町)

交流会
11/12(日)18:30-21:00(受付 18:00~)
京都平安ホテル(京都市上京区烏丸上長者町上ル)

作品展
11/11(土)-12(日)10:00-17:00 入場無料
京都府庁旧本館2階正庁(京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町)

時として、建築家のデザインが、いろいろな人に刺激を与えて、ものづくりを触発させる時があって、まさしく、今回はそんな例で、もともとのハヤシさんのデザインのクォリティが高いが故に、そんな化学反応が起きたのだろう。

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↑ 林敬一さんのスツール

↓今回のランドセルワークショップは、製作時間と製作し易さを優先して、こんなデザインに落ち着いた。
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↑ 革細工が付けられることになった。

午前中に生田工房さんで、取っ手とポケットの革細工を製作した親子15組の方々が、お昼から木村工務店の加工場にお見えになって、ランドセルスツールを製作することになったのだけれど、今回は、生田工房さんで、ランドセルを予約した人だけに、ワークショップの案内が為されて、なんでも80組近い応募があり、抽選で15組になったそうで、この生田工房さんのランドセル人気に驚いたが、なによりもの驚きは、モノとしてのランドセルスツールのデザインの問題より、小学校入学前のお子さん達が、お母さんやお父さんやバアバアと一緒に、一生懸命ものづくりをする姿があって、それに応えて、ほとんど、経験したことがない、合板にビスを揉む作業を、慣れない手つきで、子供のためにと、頑張るご両親の姿で。

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さまざまなワークショップを経験してきたなかで、確かに、コラボという関係性を持たないと、現実化されないモノがあるのを経験できたのは、貴重な体験だったが、なによりもの体験は、小学校入学というひとつの節目を迎える子供さんのために、一生懸命頑張るご両親の姿を通じて、親子の記憶に残る、共有体験を持てたことが、最大のコトに思えてくるわけで、わざわざ神奈川県から新幹線に乗って、母と息子さんが2人で、大阪でもマイナーな下町の生野区にある、生田工房さんと木村工務店の加工場で、ものづくりを体験し、完成したそのランドセルスツールを、カートに梱包し、ゾロゾロ引きながら、嬉しそうに帰路に向かう、その親子の後ろ姿を見ると、尚一層、共有体験というものの大切さに感慨深くなってくるわけで。ワークショップに参加した親子の皆さんのお陰で、生田工房さんのスタッフの方々や、木村工務店のスタッフまでもが、記憶に残るようなワークショップを体験できたことに、感謝したいとおもう。

投稿者:木村貴一

雨降りだから北斎展

台風が、二週間続けて、日曜日にやってきて、先週の日曜日の開催を延期した写真家多田ユウコさんによる日光写真ワークショップが、今日の日曜日に開催する予定だったのに、またも延期になってしまったという、まるで、神様より、雨女の称号を与えられたのではないのかとおもうほどの、不運な巡り合わせの日曜日だった。リベンジ開催として、11月12日の日曜日を開催日に決定し、木村工務店の住宅相談会の日と重なるのだけれど、なによりも、「日光」あっての「日光写真」ワークショップとして、秋晴れの太陽のもとで開催されることを、心底、祈りたい気分になった、雨の日曜日の夕刻だった。

そんなこんなで、「雨降りだから」シリーズが、この日曜日も続くことになり、リフォームした寝室にあるウォークインクローゼットの衣替えと整理整頓と断捨離を「雨・だ・か・ら」やるように!という、奥方からのマンツーマンによる強制的指導が発令され、流石に二週も雨が連続すると、素直に「はい」というコトバが出てくるカワイらしい「私」も存在し、ズボンを履いたり、シャツを来たり、背広を着たりして、「はい!これは捨てるねぇ!」「まだ、置いててもエエのとちゃう」「なに、男らしないこと言うてんのぉ、捨てるよぉ!」「はい、わかりました」と、台風が私の精神に与える影響は絶大で、どんどん断捨離され、淘汰されていき、奥方の、「あ~っ、スッキリした!」という、締めのコトバを頂戴して、ようやく解放されることに至ったという、台風の日曜日の昼下がりだった。

大阪市内では、夕方前に雨が止んできて、それで、私なりに、衣類の断捨離に頑張ったコトをわざとらしくアピールしながら、アベノハルカスの北斎展でも如何ですか!と丁重にお誘いしてみると、スッキリして機嫌良さげな奥方の姿を目撃し、気分転換も兼ねて、北斎展に行ってみることになったが、この悪天候にも関わらず、予想以上に沢山の人出で、チケットを買うのに20分ほど並んだ。

最近は、美術館で、音声案内がある時は、ちょっとお金がもったいないような気がするのだけれど、なるべく、音声案内を付けて、美術鑑賞をすることにしていて、お盆に訪れたベルリンのバウハウス資料館では、日本語の音声案内があって、その内容がとっても良く出来ていて、バウハウスのコト、デザインのコトを、あらためて学ぶ機会となって、とっても印象に残る美術鑑賞の時間を過ごした。そんなわけで、北斎展での音声案内を聴きながら、ベルリンのバウハウスでの想い出がフラッシュバックした。

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沢山の人が、列をなしながら途切れる事なく、北斎を鑑賞していて、なぜ、これだけ、北斎人気なのか、不思議に思えてきたが、音声案内を聴きながら、その北斎画の前で、対峙して、ゆっくり鑑賞する、ゆったりとした状況では、全くなかったので、多くの鑑賞者越しの人と人との隙間越しに見える北斎の作品を音声案内と共に楽しむコトになって、有名な神奈川沖浪裏では、もっとも人が渋滞していて、人と人の肩越しの隙間に垣間見る、独特の青と襲いかかるような大きな白波の、その波越しの、そのまだ遠くに見える、静かに人を見守るかのような富士山に、多くの鑑賞者と共に、見守られながら、音声案内に、なるほど、そうなのか…..なんて頷いたりしている「私」が、北斎美術を鑑賞をしているという構図だった。

ちなみに、2009年2010年のゴールデンウィークには、富嶽三十六景の描かれた場所に旅をするという家族旅行を楽しんだ経験があり、ちょっとした親しみを北斎に感じるのだけれど、音声案内で、「漫画」は、「気の向くままに描く」という意味の言葉で、北斎漫画の戯画風の描画によって「漫画」というコトバが広まっていった。という説明があり、そんなのが、北斎の人気のバックボーンになっているのだなぁ…..と考えてみたりした。

大阪弁で会話する若いカップルが、「それにしても、え・らい、おじーちゃんやな」と女性が呟く光景があって、この「えらい」は、「凄い」とか「えげつなく凄い」という意味で。絵画の横には、描いたときの年齢が書かれた札があり、60歳代、70歳代、80歳代、90歳代と、歳を重ねてからの描画が凄く。おそらく、多くの鑑賞者が、歳をいってから、極めていくコトや、頑張って生きていけるコトが、いっぱいあるのやなぁ…..私も歳いっても、まだまだ頑張らなあかんなぁ…..。という刺激をうけたのだとおもう。

そうそう、北斎が、孫の放蕩ぶりに、手を焼いていたという、音声案内があり、孫を持つ身になてみると、いったい、どんな孫やたんやろ。見てみたいわ!という、電車の中での奥方のコトバが、北斎おじいちゃんの妙な親しみの残像となって残った、台風の雨降りだからの北斎展だった。

投稿者 木村貴一 23:53分

「雨降りだからミステリーでも勉強しよう」的

雨が降り続く日々。こんな雨の10月って、今まであったのだろうか。昨日の土曜日は、社員リクリエーションの日で、ゴルフ組と釣り組と観光組に別れて、それぞれ楽しむコトになっていたが、生憎の雨。私は、6組のゴルフコンペに参加したが、スタートホールから最終ホールまで、雨合羽を着続けてゴルフをしたのは初体験。それも後半は、かなりの雨だった。グリーンでは、時折、ボールがシュルシュル水飛沫を上げながら転がって、カップのかなり手前でストップする状況で、前の組でスタートしていた別のコンペの人達は、午前中で中止したようだったが、私たちは、そのまま続行し、雨は雨なりのゴルフを楽しんだ。それはそれなりに、土砂降りの雨が、とっても印象に残るゴルフコンペとなった。

そうそう、一緒にラウンドしたメンバーが、防水工事の協立工業の辻家社長瓦工事の瓦虎工業の渡辺常務電気工事のMK電気の加谷社長で、昼食時の会話では、防水工事も瓦工事も雨が降ると出来ない工事なので、この半月間、全く現場で作業が出来ず、こんな年、今までありませんわ!と嘆く。職人さんも、雨が続くので、することないので、この時を利用して、「雨降りだから倉庫の片付けでも」やってもらいましたが、雨が続くので、何日も片付けになって、お陰様で、倉庫が綺麗になりましたわ!と苦笑する。うちの現場の外構工事も、まったく進捗しない現場があって、ここまで雨が連続すると、ケンチク工事はタイヘン困る。

今日の日曜日は、建築女性カメラマン多田ユウコさんによる日光写真のワークショップがあり、夜には、ステンドグラスワークショップを開催してくれている、田中共子さんの結婚祝賀も兼ねたBARを開催予定だったが、流石に、大型台風接近という状況で。土曜日の午前中は、雨のゴルフの真っ最中という、ま、どちらかといえば、もう諦めと開き直りをさせる気分のじゃやじゃぶりの雨で、雨を避けるため、カートの中で座る時間が増え、そのお陰で、カートで、何回もスマホを操作し、フェースブックのメッセンジャー上で、タダユウコさんとまちのえんがわのアオキさんと相談とやり取りを繰り返しながら中止を決定した。便利な世の中になったといえば、便利になったし、集中力のない、落ち着きのない世の中になったといえば、確かにそうで。メッセージ送って、ショットし、またメッセージを送り返して、ショットするコトを繰り返していると、集中力の無いショットと、時には力みの抜けたナイスショットが、頻繁に繰り返されて、こんなゴルフでエエのかどうか。木村工務店主催で、雨降りだから、許されているのだろうね。

ワークショップが中止となった雨の日曜日の朝。自転車に乗るには最高の季節だが連続する雨が阻む。「雨降りだから朝のスーパー銭湯にでも行こう」というのが、うちの夫婦の、あるあるで、その気分に、乗っかるように、長男夫婦家族が、一緒に行くことになった。雨で、ガラガラと思いきや、いつもは、日曜日の朝のお風呂にはいない、子供さんが、そこそこいて、「雨降りだから」気分で、スーパー銭湯に訪れたひとが多かったのだろう。

「雨降りだから普段より音量を大きくしてJAZZでも聴こう」という気分も、ワタクシ的あるあるで。1時間ほど聴いているうちに、玄関のインターホーンが鳴った。自転車メーカーのウィリエールのキタムラくんだった。「雨降りだから自転車のメンテナンスでもしよう!」とやって来て、一緒に自転車ショップに出向いたが、ガラガラだと思いきや、同じ気分のひとが、そこそこいたのには、驚いた。晴れなら自転車に乗るが、雨ならメンテナンス。なるほど、確かにそうで、いままで、そんな気分になったことはないが、「雨降り」の新しい選択肢が増えた雨の日曜日になった。

「雨降りだから選挙にでも行こう」という気分があるのかないのか。スーパー銭湯のあとに、そのまま、長男家族と一緒に選挙に出かけた。ワタクシ的には、雨のお陰様で、孫と一緒にお風呂に入り、孫と一緒に選挙に行って。妙に、嬉しい気分で、投票用紙を手に取ったが、さて、誰と、どの党に、投票するのかと、鉛筆を持った時、良いバランスの、良い緊張関係のある、良い国会になって欲しい。という気分になっている私を発見した。いま、このブログを書く、真っ最中に、台風の激しい雨風の音と、選挙の当落速報がバンバン流れていて、いつになく、雨の、印象に残る、衆議院選挙2017の日曜日になった。

投稿者 木村貴一 23:53分

秋雨。

しとしと小雨降る日曜日の朝。ぽたぽた落ちる雨音聴いて。葉っぱの滴眺めて。珈琲飲んで。雨の静かな日曜日の朝も悪くない。同級生が副社長と専務を務める、株式会社せいき、キタバ薬局の60周年の式典に招かれて、朝から難波のスイスホテルに出向く。ここ5年ほど、富田林や狭山にある、サービス付き介護住宅やメディカルセンターや薬局の基本設計と現場監理だけを依頼されていて、工務店なので、本来的には、施工するのががメインなのだけれど、高校時代の同級生の依頼ということもあって、富田林にあるミトハウジングさんが実施設計と施工を担当し、弊社木村工務店が、計画と基本設計と現場監理を担当するという、ちょっと変則的な組み合わせで仕事をしている。

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専務を務める高校時代の同級生のイコマくんが、勤めだした30年前は、社員5人だったドラッグストアーが、今は、調剤や介護までトータルなサービスを提供する社員400人の会社に成長し、60周年を迎えたという。とってもエエ雰囲気の祝賀会だったが、うちは、創業数年後から、社員15人ほどの、ほぼ同じぐらいの規模のまま、今年、80周年を迎えたわけで。「過去は過去、未来に向けて、今頑張ります」と語る、87歳になる元気なキタバ会長のオーラに触れながら、会社規模のコト、社員のコト、経営理念のコト、などなど。木村工務店の、「いまとこれから」を考えさせられた、昼の祝賀会だった。

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先週、まちのえんがわワークショップの打ち合わせに、建築家のイシイリョウヘイさんがお見えになって、あれやこれやとお話をする。先月、建築家仲間で、コルビュジエを見るフランス旅行をしたそうで、その新鮮な印象のあるうちに、ドミノハウスへのオマージュということになるのかどうか、「ドミノワゴン01」という、ランバーコアーによる、ワゴン製作のワークショップを開催するコトになった。

ちなみに、ドミノシステムというのは、コルビジェが提唱した、鉄筋コンクリート造の床(水平スラブ)を支える柱、そして上下階を結ぶ階段という最小限の要素で構成された部材によって、住宅を大量生産するために考案されたシステムのこと。

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串カツを食べながら、リョウヘイさんが、お父さんでもある建築家のイシイオサムさんのコトに関して、「土」というキーワードを話題にだして、それは、左官屋さんの素材として使う「土」という感覚より、「大地」の、「土地」の、「土」という感覚で。「緑」ではなく「土」なのだとい話題だったが、それが、とっても面白く、「土」のコトを、改めて考えさせられる夜となった。
そうそう、その時、なぜか、今月号の新建築に掲載されていた、「空間には外部と内部の差は存在しない」「空間が人間に喜びを与える」という、槇文彦さんのカッコエエ、コトバを想い出し。同じく今月号のモダンリビングに掲載されていた、「外観は精神に、内部は感覚に。建築はそれぞれ人間の別の面に働きかける」という、ほぉー、なるほど…..と、五感を呼び覚まされる、藤森照信さんのコトバを想い出した。

まちのえんがわワークショップも、今年も残り、2ヶ月半ほどになり、木村工務店の建築写真を撮影してくれている、建築カメラマンの多田ユウコさんによる、日光写真のワークショップが10月22日にある。11月5日は、ランドセルを製作している生田工房さんとのコラボレーションによる、ランドセルを掛けるランドセルスツールを製作するワークショップがあり、11月19日には、生野の日空き家プロジェクトの、ちょっと大きいめのイベント事があって、11月26日は、毎年恒例の建築家のヤベさんによるケンチクイスのワークショップがあり、12月10日も毎年開催している田中共子さんによるステンドグラスワークショップ。12月17日は、これまた恒例のあそび菜さんによるピザのワークショップがあって、今年が終わる。来年になると1月にお餅つきがあるので、建築家イシイリョウヘイさんによるドミノワゴンとレクチャーは、来年の2月開催予定となってしまった。

梅雨のように降り続く秋雨。10月15日16日は、地元、清見原神社のお祭りだが、雨だな。年末に向かっている、微妙な気配が、なんとなく押し寄せてきて、来年の予定も、ちらほら入りだした。会社のコトを考えさせられた祝賀会。建築のコトを考えさせられた縁側噺。そんなこんなで、じょじょに秋が深まっていくのだなぁ…..。

投稿者 木村貴一 23:59分

ベルリン混浴サウナ

連休初日の朝。
土曜日の夜に、自転車のアルテグラのリヤーギヤーを11-34に変えてみた。「子供ギヤー」と呼ばれる14-28を使っていて、だいたい11など使って、早く走ることなど、ほとんどなく、自転車を新調した1年前、ウィリエールのキタムラくんの勧めもあり、14-28を使うことになったが、年齢を考慮すると、それはそれで、満足するギヤーだった。が、人間というものは、「欲」が、勃発してくるわけで、登りでは、やっぱりもうひとつ軽いギヤーの32ぐらいは欲しくなり、それに、下りでは、14は辛く、11や12があればエエのにと、それとなく、欲してくるのだった。

自転車の雑誌で、14-28と11-32を組み合わせて14-32にする記事があり、いかにも、「おっさんギアー」的で、私に合いそうだなぁ。とおもっていたが、先日、安曇野で一緒にライドした、やまめの学校のタカギさんは、スラムの34を使っていて、アウターで34を使って、クルクル回しながら、緩い登りを軽快にライドしていた。何度かコーチングしてもらいながら、回すコツを伝授してくれたが、そうそう、面白かったのは、手の指の使い方で、武道を参考にして、指の握りと、足の回転と呼吸の説明が、とっても面白かった。格好つけずに、大きいギヤーを使ったら良いのですよ。と勧めてくれていた。

34を使いそうな、劇坂をアタックするつもりもないので、11と34は、私には必要なさそうで、14-28と11-32を組み合わせて14-32にする方に魅力を感じていたが、キタムラくんやタカギさんの勧めに引っ張られて、11-34を試してみることになった。それで、今朝、早速、十三峠で、試乗をしてみることにしたが、なぜか、ショップではうまく入っていたギヤーが、入りにくい状態で、カシャカシャカシャカシャ騒がしい状態になっていた。それに登り始めると34には入らず30と27と25で登ることになり、ギヤーを変えたからといって、早く登れるはずがないことを、ひしひしと実感しながら、峠の駐車場に到着した。そんなこんなで、なんとなく、そのまま乗り続ける気分でもなく、ギヤーを調整するために、家に戻ったのは、午前8時すぎだった。

で。連休初日の朝だし、自転車に乗る気分が、そがれたこともあり、久しぶりに、夫婦で、スーパー銭湯の朝風呂に行くことにした。内風呂に入り、天然温泉の露天風呂に入り、サウナに入り、水風呂に入っている時に、ベルリンで入った混浴サウナの事を想い出した。

ベルリン在住のユウトが、ベルリンの vabali spa という混浴サウナが、とっても雰囲気が良く、頻繁に利用しているし、こんなのが、日本にもあれば、エエのに…..。という強い勧めもあって、日本人の50代30代20代男性4人が、ドイツの混浴サウナに紛れ込んでいるという、妙な絵面だったかもしれないが、貴重な体験として、またチャンスがあれば、訪れてみたい気分が、残像を伴いながら、旅の良き想い出として残った、ベルリンの混浴サウナだった。

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アジアンテイストな雰囲気のサウナだったが、日本のスーパー銭湯に、いろいろなタイプの、入浴できる温泉が、内風呂や露天風呂として造ってあるように、ベルリンの vabali spa は、いろいろな雰囲気のサウナが、何カ所もあり、中庭のプールを囲うように配置されていて、小屋風呂的サウナや2階の展望風呂的サウナなどなど、様々な嗜好で、何カ所もあった。リゾート的に寛げるベンチベットがあちらこちらにあり、暖炉のあるリラックスルームもあって、食事の出来るレストランは、プールサイドの屋外も含めて、リゾート感とリラックス感が充満していた。

サウナの中では、男女全員が、フルオープン状態で、なので、プールもフルオープン状態だが、プールサイドやリラックスルーム、食事では、白いガウンを着用して、皆が寛いでた。イヤラシい雰囲気は全く感じられず、ヌーディスト村的ヒッピー感も皆無だった。「私」は、すぐに馴染んだが、20歳の次男タカヒロは、どんな印象をもったのだろうか。最初はドキドキしたらしいが、暫くすると、どーってことなくなった。とは語っていたが…..。

サウナのロウリュウタイムを隣り合わせの男女が、フルオープン状態で、ギュウギュウ詰めになりながら、一大イベント的に、皆で一緒に楽しみ、何も身に付けていない開放感を味わいながらプールで泳ぎ、白いガウンを着て、プールサイドで、寛ぎ、ビールを飲み、オーガニックな食事を食べて、静かで、寛いだ、とっても良い時間を過ごした。男女混浴風呂が、フツウに存在する日本では、こんなベルリン混浴サウナのような、リラックス感のある施設は、受け入れられるのだろうか。建築的にも、日本で造ってみたい気分にさせられた、サウナと混浴の体験だった。

投稿者 木村貴一 23:05分

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