テキスタイルと時間感覚

ミナペルホネンの京都のお店に行く。テキスタイルに興味があるわけではないが、リフォーム中の家のソファーを、うちの家具屋さんのメローウッドワークスのイケダくんに造ってもらう予定で、そのクッションに使う、生地をどうしようかと迷った。家具の設計を白坂悟デザイン事務所に頼んでいて、それで、シラサカくんが、ミナペルホネンの名前を出してきた。

久しぶりに一日丸々仕事の予定がない日曜日だったが、土曜日の夜、LINEに、小学校の同級生からのメッセージが来て、柏原のリビエラホールに午前9時30分に集合し、自転車で富田林までランチを食べに行こうというお誘いだった。先週に引き続き、午前7時過ぎ、十三峠廻で、信貴フラワーロードから、のどか村を通り抜けて、坂を下って、柏原のリビエラホールの前に到着する。あちらこちらで、梅がとっても美しく微笑みを与えてくれた。小学校の同級生のおっさん4人で、石川から富田林の米夢に向かったが、生憎のお休みで、そのままワールド牧場の坂を上がって、キッチンハートという住宅街のお店で、おっさんランチをする。こんなところにある住宅のようなお店が、日曜日に、とっても繁盛しているのに驚いた。安くて美味しく見栄えの良いランチを食べで、皆のテンションが上がったからだろう、持尾展望台を目指して、坂を上がり、南河内グリーンロードを経由し、日本最古の街道、竹之内街道を下って、石川から大和川の出合いで、皆と別れた。大和川経由で家に帰りついたのが午後2時前だった。

  

疲れているはずだったが、お風呂で汗を流し、小学校の放課後の遊びの延長線上のような、同級生のおっさんたちに癒やされたのだろう、なんとなく活力が残っていた。それで、唐突に、奥方と、京都のミナペルホネンまで、生地を見に行くことになった。今日を逃すと、3週間先でないと、二人の予定が合わなかった。ところが、いつぞやの、東京の安藤忠雄展のごとく、服飾好きの長男の奥さんと、孫二人が一緒に付いてくることになった。孫と一緒は、嬉しいと言えば嬉しいが、面倒といえばとっても面倒。でも、いつも、全てが旅的になり、時間感覚に、大きな抑揚を与えてくれる。午後3時過ぎ、車で四条河原町に向かう。車の中で片言の日本語で語りかけてくる孫。道路はガラ空きで、パーキングも空いていて、1時間ちょっとで、店舗の中に立っていた。高速道路の充実で、京都がとっても近くなった印象。

ミナペルホネンの店舗の内装の心地良さに魅了されて、レトロな建物を品良く使い、床の大谷石の目地に木を目地棒として廻しているのが、とっても印象的だった。店員の方に、造り付けのソファーに、生地を使いたいことを告げると、奥から生地のサンプルを出してきてくれて、入り口のすぐ近くにある生地置き場のカウンターで、あれやこれやと丁寧な説明を受けた。お店のインテリアデザインとカウンター越しでの生地選びのシチュエーションが、気分を盛り上げてくれたのだろう。タンバリンという生地を座面に使い、そのベース生地と同じ無地を背もたれに使うという案に落ち着いたが、在庫とか金額とか実現できるレベルになるのかどうか…..。

とっても面白かったことは、表生地が磨り減るコトを想定し、裏生地に黄色や青などさまざまな裏生地が組み合わせられていて、経年変化を楽しむ椅子生地だという。無垢の床材や左官の壁材と同じ感覚なのだろう。家の無垢材の経年変化と同じ時間感覚で経年変化をする椅子やソファーの生地。さて、テキスタイルがどんな時間感覚を与えてくれるのだろうか。

そうそう、お店を出て、夕食でも食べて帰ることになり、孫二人連れでも入れる食事処を探すと、四条の鴨川の北東角にあるレトロなレストラン菊水に入った。何度も前を通っていたが、勿論初めて。というか、こんな切っ掛けでもないと、入るコトはなかっただろう。洋食屋さんの中から眺める四条通りを行き交うひとびと。一緒に食事をする、奥方と長男の奥さんと孫二人。朝から自転車での富田林のランチを想い出しながら、なんとなく不思議なシチュエーションの、いまここの京都。

孫はいつもちょっと妙な時間感覚を私に与えてくれる。

春場所

早朝、司馬遼太郎記念館の前を通ると、道路に面して、黄色く咲く、菜の花の鉢植えがいっぱい。ここ数年、この光景を見て、春の到来を感じている。うちの会社の前にも菜の花の鉢植えを置きたい気分。自転車で、十三峠を越えると、ウグイスの鳴き声を聞いて、また春を感じた。途中のサンシュウの群落が黄色く咲き誇る姿を見て、またまた春を感じる。信貴フラワーロードを走り、信貴山の朝護孫子寺の境内に立って、霞たつ大和を眺めると、「霞たつ春の山辺は遠けれど吹きくる風は花の香ぞする」なんていう気分。山並みに沿って、霞が水平に広がる大和の光景が「日本的」を感じさせるDNAとして、日本人に埋め込まれているのだろうか。

  

今日の日曜日の午後からは、板金ワークショップがあり、銅板のレリーフを製作した。参加者の3名の方がリフォーム工事をさせて頂いた方で、そのうちの2名の方は、まちのえんがわワークショップの講師でもある。一名の方は、造園家で、リフォーム工事と新築工事をさせて頂いたお施主さんの弟さん。そのお兄さんの庭を施工もして頂いた。参加者の一名の方は、うちの保険の営業担当の女性。参加者の一名の女性は、まったくの偶然だが、うちの旅行会社の営業のひとの奥さんのお母さんだったと判明したのが一年前のコト。何度もリピート参加して頂いている。で、参加者の一名の女性は、なんと、私と全く同じ生年月日で、流石に、産まれた時刻は違うが、そんなこんなで、なんだか、とっても不思議なご縁で結ばれたひとが集まったワークショップだった。

   
   

夕方、未だに完成しない我が家の減築リフォーム工事だが、庭に面したデッキの一部に、アウトドアー薪ストーブを設置した。暖をとるというより、火と薪ストーブ料理を囲んで、さまざまなひとと共に、一期一会を楽しんでみたいという想い。数年前にネットで知った北海道にある新保製作所の薪ストーブだが、一昨年ぐらいに、硝子面積が大きなストーブが発売されて、それをみて、家の中でなく、デッキに設置したいと思った。夏前に注文し、半年ぐらい待って3月に到着、板金屋さんに、煙突工事をやってもらうために、仕事が空くまで2週間ほど待って、ようやく設置が完了した。ワークショップが終わったあと、火を入れて、付属のピザストーンを使って、ピザを試し焼きしてみた。さてさて、どんなライフスタイルとコミュニケーションに展開されていくのだろうか…..。

昨日の土曜日は生野区シティープロモーションという集まりがあり、そこで、生野区持続可能なまちづくり支援事業所としての「まちのえんがわ」をプレゼンする機会を仰せつかった。ところで、シティープロモーションというのは聞き慣れないコトバで、ネット出調べてみると…..。

シティ・プロモーションは地域再生、観光振興、住民協働など様々な概念が含まれています。シティ・プロモーションの捉え方は多々ありますが、その一つは、そこに住む地域住民の愛着度の形成と考えます。その先には、地域の売り込みや自治体名の知名度の向上と捉えることも可能です。

「地域の売り込みや自治体名の知名度の向上」というより、「そこに住む地域住民の愛着度の形成」というのが、キーワードだと捉えれば、なんとか納得できる。

そうそう、月曜日の夕刻。長年のお付き合いの協力会社イナバの営業のアガくんが、武蔵川部屋の食事会に、招待してくれた。間近で接する、武蔵川親方は、意外とカワイイ。沢山の若手相撲取りが周囲を取り囲むなかで、長男夫婦と孫と奥方と一緒に食べるちゃんこ。そういえば、春場所は大阪場所。まちでたまに見かける相撲取りの姿に、春を感じるのが、大阪人なのだろう。

春の兆し

春がやってきたかのような暖かい日曜日。庭のワビスケは、蕾を開花させたあと、土の上に、そのピンクの花を、何個も落とし、その姿がいかにも侘しい。サンシュユの黄色い花の蕾も大きくなってきて、黄色い花の開花が気になると、やっぱり、なんといっても、桜の蕾が、もっとも気になる季節になってきた。

住宅相談会があった日曜日で、午前中のAさんご夫妻は、今お住まいの家の長屋続きの隣の家を以前に取得し、この2軒を一つにするリフォーム工事の予定だったが、銀行の担保価値は、土地だけしか評価されず、リフォーム後の家に資産価値を評価しないのが今の銀行の価値基準で、おもうようなリフォーム資金の融資を得られず、それで、更地にして、新築にすると、銀行ローンが組めそうだということになって、既に、プランと概算見積は出来ている状況で、住宅取得に特化したファイナンシャルプランナーの和田さんに、打ち合わせに参加頂いて「住宅ローン」についてのレクチャーを2時間たっぷりお話を伺った。

フラット35Sで融資を受け、長期優良住宅で税制優遇をはかる住宅が、いかにメリットが高いかの解説や、固定金利による繰り上げ返済のメリットなど、頭金の一部を残しておいて、出来るだけ早い時期に、繰り上げ返済に回した場合、利子返済を含めた返済総額が、少なくなるという試算などなど、パワーポイントによる、じつに判りやすい解説で、できれば、近いうちに、多くの皆さんに提供できるように、和田さんによる「住宅ローン」セミナーを開催したいとおもう。

午後からのBさんご夫妻は、ご主人の実家のある和泉市で、中古住宅を探して、リフォーム工事をする予定で、候補にしている土地を紙の情報とプロジェクターに映し出されるグーグル地図とを一緒に見ながら、あれやこれやと、好みの住宅のスタイルや、土地と周辺環境についての希望をお聞きしながら、お互いに感覚を調整をする打ち合わせだった。

駅より少し離れても、住宅地のど真ん中で、小さな庭で、家だけしか見えない周辺環境より、田園風景の見える土地を購入希望で、里山の古民家というのも候補だが、購入費用は安くても、リフォーム費用に想定以上の金額がかかるので、二の足を踏む状況だった。開発された住宅地でも、その最外周部にある住宅敷地は、周辺の山や川や畑や公園と接している場合も多く、そういう中古住宅をターゲットとしてみるのもひとつの選択肢かもしれない。と四方山話を含めながらの会話となった。

土地探しについての打ち合わせが終わろうとした時に、ご主人の実家の延床面積が33坪の2階建て住宅を二世帯住宅としてリフォームし、一緒に住んでみることは出来ますか。とコピーした図面を見せて頂いて、建築的なことや親子世帯のコミュニケーションの問題点など、あれやこれやと2世帯住宅の可能性を打ち合わせした。

「夫婦共働きと子育てと介護」という社会的問題は、昨今の働き方改革に、間接的に関わる問題でもあるのだろうが、二世帯住居という、「3世代が一緒に暮らす」というスタイルによって、その問題解決へのひとつのアプローチもあるわけで、その時に発生する各世代による好みとプライバシーとコミュニケーションの問題を、建築的な機能と手法によって、解決できる部分もあり、それに「まち」にある公園や広場やカフェやレストランやスーパー銭湯などの充実が、小さな面積の現代的2世帯住居の窮屈さを、「まち」が補う可能性もあるのではないのかとおもう。

「私」たちも、進行中の2世帯住居として、私の祖父との生活から私の孫との生活へと、3世代や4世代が一緒に暮らす家として、現在進行形で、自分自身が祖父という立場になって初めて孫という存在と暮らす喜びと問題点も経験し、2世帯住宅のコミュニケーションと建築的問題点を抱えこんだり克服したりしながら、「何世代も長きにわたり一緒に暮らす」という住宅の実験場のような気もしてくるわけで、そんな経験を少しでも皆さんにフィードバックができれば。という気持ちも少々芽生えてきた。

昨日の土曜日の午後3時からは、第二回「生野ものづくりセッション」が、木村工務店の加工場であり、行政のタケダさんのお声がけのお陰で、ものづくりに関わる、さまざまな業種のひとたち30名ほどが集まり、それぞれがさまざま材料と個性的な技術を使った、ものづくりについての、プレゼンとコミュニケーションを、「セッション」と称して楽しむわけで、その後の加工場での懇親会での盛り上がりは、そのセッションの密度に比例することになり、3次会も布施組とBARソケット組に別れたりしながら深夜まで及んだ。5月に第三回を開催予定。

そうそう、水曜日は、「暮らし向上リフォーム研究会」という温熱環境の野池さんをリーダーとする会合が木村工務店の3階会議室であった。

私たちは「部品交換型」ではない「本質改善型」のリフォームをみなさんに知っていただくために集まった工務店や設計事務所の任意団体です。
キッチンやお風呂を入れ替える、壁紙を張り替える、床をフローリングにする、といった「部品交換型」のリフォームにとどまらず、耐震性、明るさ、風通し、暖かさ、涼しさ、暮らしの機能性、劣化への強さなどの”住まいの質”を向上させ、暮らしを豊かで快適にする「本質改善型」のリフォームに取り組んでいます。

かれこれ2010年の3月に設立されて以来、8年も経過しているわけで、なかでもリフォーム工事の見積に関しては、工事内容によって温熱環境の改善を数値として評価できる見積書の可能性を、ここ4年ほどかけて、議論を繰り返しており、大詰めの作業が継続中で、そんな状況もあり、そろそろ、「本質改善型の暮らし向上リフォーム」を社会的に問いかけてみようということになった。

春の兆しとともに、さまざまな活動が、芽吹けば、嬉しい。

そだね。うん。

始まる前は、そんなに興味があるわけでもないのに、いざ始まってみると、それなりにテレビを見てしまうのがオリンピックで、「そだね。うん。」なんていうのは、もはや流行語大賞もんで、あれが、大阪弁の女子の会話だったら、「そやな。わかった。」になって、ちょっと違和感あるような気がするが、ニコニコした笑顔で、あの北海道弁の会話が、白い氷の床の上をカーリングが滑る雰囲気と似合っていて、試合の結果にドキドキしながらも、「そだね」を聴いて、和やかな気分になりながら、ついつい見てしまうのが、日本女子のカーリングだった。そうそう、真剣な表情と目でカーリングを投げる女子の顔を、ぼぉーと眺めているオジサンたち。というのも、あるあるに違いないなく、銅メダルをとった姿にオジサンたちも微笑んだ土曜日の夜だった。

日曜日のお昼のテレビを見ることなどほとんどないが、朝、自転車に乗って、体を動かし、モーニングを食べて帰ってくると、なんとなくオリンピックを見てしまう日曜日の午後だった。自転車競技のスケート版のようなマススタートは、ドキドキ感もないまま見ているうちに、最後のコーナーのインからの抜きに、テレビ解説者の、いけ!というコトバに乗っかりながら、あっ金メダル!という、ちょっとポカーンとしながらも、気分がスカットする喜びをもらった。

男子アイスホッケーのドイツとOARの決勝の試合に見入った。ドイツとカナダの試合で勝ったドイツを応援したい気分で、それに昨年ベルリンに行って、なんとなくドイツに親近感を抱くようになっていることもあり、なんというかOARという名称に釈然としない気分も少々あり、ドイツ応援で見ていたが、勝負の世界というのは厳しいもので、最後の最後にロシアの個人技の凄さを見せつけられて、でも、こういう素晴らしい試合を見ると、オリンピックというのは特別な集中力が発揮される特別な大会なのだ。とオリンピックを楽しんだ日曜日の昼下がりだった。

今週は「イベント的」が4つほどあった週で、月曜日は19日で、お昼から、生野区の区民センターで、「空き家カフェ」を催した。「まちのえんがわ」で、生野区の行政の方々と共に、定期的に縁側ミーティングを開きながら、生野区持続可能なまちづくりを模索していたが、そのなかで、空き家問題に特化した縁側的ミーティングを「空き家カフェ」と名付けて、空き家に住みたい人、空き家を貸したい人、さまざまな専門分野で空き家問題に貢献したい人が、定期的に集いながら、繋がりをもち、資源としての空き家を実際に有効活用する取り組みで、実例が二つ、施工中が二つと、少々の成果も出来てきて、毎回30人ほどの参加者とともに、これからも19日に継続していく予定。

その「生野区持続可能なまちづくり支援事業所」としての活動報告会が、毎年1回、生野区役所であり、審査員2名の方の前で、プレゼンをしながら、批評とアドバイスを頂戴するのだけれど、それなりに少々の緊張感をもちながら発表する。その審査員の方が、別の団体に対して、「結んで開いて」というコトバを使った解説があって、久しぶりに聞いたコトバだが、「そだね。うん」的感覚で聞きながら、「結んで開いて手を打って結んでまた開いて手を打ってその手を上に」なんていう作法が、こういう持続可能なまちづくりには必要なのかもしれないと考えてみた火曜日の午前中だった。

その日の午後から、生野区納税協会が主催する「納税教室」というのがあって、生野区の小学校に派遣されて、税金のしくみや機能をビデオを交えながら小学生に教える取り組みで、かれこれ3年目になる。もちろん事前に教えるための講習会を受講し、テキストもあって、それに従って教えるのだけれど、実は、空き家カフェや持続可能なまちづくり支援事業者の発表より、微妙に緊張するというか、ちょっと厭やな的気分に襲われたりする。今回は小学校に行くと、運動場の一部に芝生が貼ってあって、それが素晴らしく、うちのマゴの小学校も芝生だったら喜ぶやろな。というマゴ的視点が芽生えだした私だったが、そうそう、最初に私の自己紹介をするのだけれど、30人ほどの生徒に、大工さんになりたい人いてますかっ!て聞くと、1人が手を挙げて、そんなのが、とっても印象的だった。

「キセラ川西せせらぎ公園管理棟セルフビルドプロジェクト」というのがあり、設計と施工の各段階で、市民ワークショップを実施しながら管理棟を建築する取り組みで、都市計画コンサルティング会社に勤める知り合いの方から、ワークショップいろいろやっているでしょ!的オファーがあって、施工のワークショップとして参加することになっていて、土曜日、その設計ワークショップが川西市役所であり参加した。20人ほどの参加者のパッションを肌で感じながら、市民の要望を聞いて設計をまとめるという作業は、なかなか大変なコトだな。と感じながら、とっても勉強になるワークショップだった。

このブログを書く背後で、オリンピックの閉会式がやっていて、今日でオリンピックの2週間も終わり、それはそれで、国民が喜びを感じるニュースがあった2週間だった。

オリンピック現象

冬期オリンピックの真っ最中で、日本人が、金メダルをとる姿を見たい。という気分が当然のように沸き起こるのが、不思議といやぁ不思議。スケートの羽生くんがでるLIVEは、金メダルに期待するあまり、心配で、「生」を見る勇気がない。なんていう私の心の有り様を情けなく感じたりするのが、オリンピック現象のひとつで、もちろん仕事中なので、LIVEで見られなかったが、見ていなくても、ちょっとどこかにドキドキする気分があるのがオリンピック現象なのだろう。本人の緊張感は相当なものなんだろうな…..。

携帯のニュースアプリから、金メダルの速報を知るのが現代的パターンだが、社員のとんちゃんが、ハニュウくん、金メダルとったでぇ!みたいなオーソドックスな速報もそれはそれで皆がハッピーな気分になって楽しい。その時間帯に、ご夫妻でお越しになったお施主さんと設計の打ち合わせをしている応接室に、打ち合わせ終了数十分前に参加して、あれやこれやとサジェスチョンし、お帰りになる前の雑談の時に、奥さまに、そういえば、羽生くん、勝ったらしいですね。と口を滑らすと、あっっ!、言って欲しくなかったのに!ビデオ録画して、楽しみにみようとおもっていたのに!でもいいですよ!どこからか情報は漏れてくるものですからっ。と残念そうに仰った。ひたすら謝る「私」。申し訳ないです。それにしても、金メダルが絡むテレビ中継の見方には、いろいろなパターンがあることに、あらためて気付かされる…..。

ワークショップがある日曜日の朝。寒さを振り切って、3週間ぶりに自転車に乗って、十三峠を往復してみると、しんどいのなんの。心拍数もすぐに180を超し、人間の肉体というのは、ままならぬものですな…..。それに比べて、オリンピック選手の肉体の凄いこと。

 

建築家石井良平さんのワークショップは、ドミノワゴンを製作するワークショップで、コルビュジエのドミノシステムやフランクロイドライトのルイスコーヒーテーブルにヒントを得たデザインのワゴンで、「建築から家具へ、家具から建築へ」という副題がついた、石井さんのレクチャーは1時間近くに及び、ワゴン製作の作業より値打ちのあるレクチャーだったのかもしれない。

ワークショップとその後のBARが終了し、このブログを書き始めた時に、ちょうどスケートの小平さんの500mのLIVE中継が始まった。目に、なんとなく勝ちそうな雰囲気が漂っていたのが印象的だったが、そういえば、モーグルの堀井選手のスタート前に、目をパチクリして緊張している姿も印象的だった。ハニュウくんの演技前の目もしっかりしていたが、考えてみると、フィギアーのジャンプ失敗へのドキドキ感は選手も観客も格別な緊張感がある競技なんだろうな。

オリンピックでみる、人間の持つ緊張感とその克服の姿が、エエのだろう…..。

 

感覚の調整

協力業者との親睦会が、61年前の2月に発足したと伝えられていて、その職人さんたちと一緒に、初午祭を、昨日の2月の土曜日に、加工場で催した。一年の運気が最も高まる日とされている今年の初午は、2月7日だそうで、弊社には、お稲荷さんがお祭りしてあり、五穀豊穣を祈る稲荷祭りを協力会社の職人さんたちと一緒に、神事と共に祈願するのが、いつしか木村工務店の伝統行事になっていて、工務店的には、沢山のお客さまに恵まれますように。ということになるのだろう。

また、この日は、木村工務店の方針を職人さんたちに伝える機会でもあって、パワーポイントを使って、説明するようになって十年以上たつが、今年は、生野産業会の新年の講演会で、高岸さんという一級建築士でもあるかたが開発した、残像メンタルトレーニングの講演を聞いて、その話のなかにあった「感覚の調整」というコトバが面白く、参加者に紹介した。

人は何かを始める時、例え大事な事でも「こんなものだろう!」と言った感覚で始めるもの。しかし「こんなものだろう」と言った結果、それが現実と大幅に違っていたらどうだろう?

自分にとって何か大事な事を始める前には、自分の中だけに流れる感覚(ベルグソン感覚)と一般社会の共通認識として流れる感覚(ニュートン感覚)の「差」を出来る限り少なくしてから始める事で、社会での順応性、また協調性や信用性が高くなる

1「モノの大きさ」や「形」の正常な感覚を調整する。
2「時間」の正常な感覚を調整する。
3「長さ」や「距離」の正常な感覚を調整する。
4「力」の入れ具合の正常な感覚を調整する。
5「方向性」の正常な感覚を調整する。
6「重さ」の正常な感覚を調整する。
7「笑顔」の正常な感覚を調整する。

なのだそうで、携帯電話を見ずに紙にその大きさを想像で書くプラクティスをやってみると、実際より小さく書くことが多く、私も1回目はそうだったが、それを2、3回繰り返すと、ほぼ実物の大きさになってきた。時間感覚も同じようで、20秒を時計を見ずに。目をつぶって計測し、20秒後に手をあげてみると、ほんとバラバラで、大多数の人は、実際の時間より数秒遅れる。長さも21cmの長さを感覚で書いてみると、やはり2、3回調整して、ようやく正しい長さに近づいた。

建築の現場でも、例えば、色の問題や素材のばらつきの問題、納まりの精度などなど、「こんなものだろう」という感覚にズレがあって、そういう感覚を、施主と設計者や設計者と現場監督や現場監督と職人など、常に「その感覚の調整」を怠ると、さまざまな問題に発展することが多い。考えてみれば、コミュニケーションやサンプルやモックアップなどによって、あらゆる状況下で、感覚の調整をする作業をしていたのだ。と気付かされるし、そういう作業を根気よく2、3回繰り返さないと、感覚は調整されないのだ。ということにも気付かされたりする。

プレゼンテーションの後の懇親会というのは、人と人が無意識的に感じている距離感のようなものを縮める潤滑油のようなものだろうし、今日のコトバを使えば、お互いの感覚の調整をする機会でもあるのだろう。笑顔を交えて穏やかに会話をしたり、時にはエキサイトしながら、感覚を調整できるのが、懇親会の良さだとおもう。ここ数年は、木村工務店の社員が協力業者の職人さんたちをおもてなしするべく、焼き鳥や焼きそばやフランクフルトやおでんにカレーなどなど、社員が作って、職人さんたちに提供する。そういえば、おでんは、うちの母が、昔から職人さんたちに振る舞っていたレシピがあって、それをうちの奥方が受け継いで、いまにいたる。そうそう、昨年からは、リフォーム工事をした、ほたる食堂のはたるちゃんに来て頂いて、美味しいお総菜を作ってもらうようになって、ちょっとお洒落な食のカウンターになってきた。

大工作業をする加工場で、懇親会を催すようになって、整理整頓や掃除の問題に始まって、カウンターを造って、建築空間としての、作業の便利さや、お客さんの居心地良さなど、照明も含めて、さまざまな空間的工夫をするようになってきたが、当初は、2月の最も寒い時期に開催するために、木造の加工場として造りの問題から、隙間風があちらこちらから侵入し、底冷えする寒さを体感して、隙間風を止める大切さを、身をもって皆で体感したものだが、それも少しずつ手を加えて改善しながら、隙間を止める作業をし、今年は、もう少し進んだ防音工事なども少し大がかりに施工した。そうこうしてくると、今度は、喚起能力の不十分さの問題が発生してきて、今年は、特に炭火焼き鳥の煙対策のため、ベッショ大工が合板で換気扇を製作し実験をしてみたり、それはまるで、最近の住宅で発生する、温熱環境の問題を学ぶ場のようであり、遊びを通じて、さまざまなこと学ぶ場でもあるのが、加工場での初午祭なのだろう。

命を引き継ぐ。

寒い週が続く。近所のおじさんのお通夜があって参列する。読経が終わったあと、お坊さんの長い話があった。こんなに長い話は珍しかった。「息を引き取る」という、もともとの語源は「命を引き継ぐ」ということだ。という解説から始まった。残された者たちが、息を引き継ぐ。命をつないでいくこと、なのだそうだ。亡くなられた方の良いところを引き継いでいくことだ。という。なるほど。亡くなった父や母や祖父や祖母を思い浮かべてみた。

浄土真宗は3回焼香なのだそうだ。その3回は、とん(貪)、じん(贐)、ち(痴)という三毒を焼香によって焼き尽くすというお話が続いた。ひとつまみした香を3回に分けて「とん」という「欲」と「じん」という「怒り」と「ち」という「愚痴」の三つを焼き尽くしてから、御霊前に挨拶をするのだそうだ。なるほど。

帰り際に、一緒に参列していた、近所の散髪屋さんのおっちゃんと挨拶を交わすと、ブルーノートのバッチのネクタイピンを嬉しそうに見せられて、私に、JAZZ聴いてるぅ!と問いかけてきたので、JAZZ聴いてるでぇ!と応える。わしも、いつも聴いてるでぇ!と応じてきた時、一緒に横にいた、その隣に住んでいるおじさんが、そういえば、いつも、音楽聞こえとるな!と間の手を入れてきた。そしたら、散髪屋のおっちゃんが、音、五月蠅い?大丈夫!と心配そうに応じると、大丈夫やで!それより、わしのハーモニカの音ダイジョブか!と聞き返すので、そういうたら、最近ハーモニカの練習する音、聞こえてるなぁ。3年ほど前からハーモニカ習って、慰問に行って、吹いたりしているねん。と会話が続いた。

密集市街地というか、長屋街というか、隣接して住むひとたちの、気を使いながら、共生していく、作法のようなものを垣間見て、微笑んだが、そうそう、最近というより、昨年のはじめ頃から、「AWA」という音楽サイトに月額を支払って登録し、iPhoneから、テレビなどにキャスティングしたりしながら、音楽を聴いている。今となっては懐かしい音楽になってしまった曲をアルバム単位で、気軽に聴けるのがとっても便利。それにPlayListをつくって曲を組み合わせられるのも便利だが、いろいろな人が作製したPlayListが公開されていて、それを共有できて、聴けるのが、面白かったりする。

そういえば、iPhone6をiPhoneXに交換したのも今週のこと。ホームボタンを無くすことで、こんな進化をするのかと、小さな衝撃を受けた。画面が、iPhoneの大きさいっぱいになって、側面のステンレスフレームなど、微妙にデザインも進化している。何よりも、うちの奥方が持つ、iPhone plusより大きさはずいぶん小さいが、表示画面の大きさはほとんど同じで、奥方は悔しそうだった。それに、この冬になって、指がカサカサで、ほとんど機能してくれない指紋認証が、顔認証に進化して、とっても便利。携帯電話という、この、手持ちが出来る、限られた大きさのなかで、さまざまなデザイン性や使い勝手の可能性など、進化の余地はまだまだあるのだな。と勉強になる。「家」こそ進化させる余地がいっぱいあるのだろう。

本日は、住宅相談会の日曜日。午前中のAさんは、奈良で中古住宅を購入し、リフォーム予定のご家族で、お子さん連れでお見えになった。第三者による、ホームインスペクションの資料があって、これからの時代は、中古住宅を取引するときは、第三者によるホームインスペクションが必須になってくる時代なのだろう。その資料と弊社のスタッフによる実地調査を踏まえて、リフォームの見積を作製するのが、ミスや勘違いを少なくし、良い家づくりになる大切なプロセスだとおもう。

午後からのBさんは、うちの長男のタカノリが、中学生の時に、一緒にキャンプに行った、ご家族の娘さんで、結婚し、子供が誕生し、神戸で土地を購入して新築予定だという。こういう時に、私のことを想い出してくれたのが、とっても嬉しい。事前にインタビューシートに記載して頂き、購入候補の土地の資料とグーグルストリートビューで現地を確認して、打ち合わせ用のたたき台案を作成し、打ち合わせに望んだ。娘さんのお父さんも一緒にお見えになって、昔話で盛り上がり、打ち合わせの3分の1をそんな時間で費やしたのが、娘さんご夫妻には、申し訳なかったか…..。

午後からのCさんは、吹田で購入予定だった土地を躊躇しておられたが、今年、決断し、購入された。以前に、たたき台のプランを提案していたが、あらためて、購入を決断すると、家づくりに対する本気度が増してくるので、プランに対する迷い度も増してくる訳で、そんな、お客さんの想いと迷いの感覚を調整する打ち合わせだったのだろう。あれやこれやと即興でプランを作成しながら、次回の打ち合わせで、あらためてプランを提案することになった。

それにしても、昨年は、家づくりに対する「躊躇」が、とっても目立った年で、弊社にとっては、ここ20年でも珍しい年だったが、私など、生まれ育った環境も含めて、根っからの、家好きだが、家にお金をかけるライフスタイル、家づくりを愛するライフスタイルは、それはそれで、とっても楽しいスタイルだとおもうのだが…..。

命を引き継ぐように、音楽を引き継ぐ、モノを引き継ぐ、家を引き継ぐ、ライフスタイルを引き継ぐ、土地を引き継ぐ、なんてことを感じた週末だった。

明強敏

冷たい!寒い! ほんとうに寒い日が続く。屋根に霜がおり、庭の土が凍結し、自転車に乗る気もしない冬の冷たい日曜日の朝。

土曜日の午後3時頃から、うちの加工場で「生野ものづくりセッション」という、「まちのえんがわ」オープン当初から考えていたアイデアだが、なかなか実現出来るチャンスがなかったところ、生野区のタケダさんの働きかけのお陰で、タケダさんと一緒に、ちょっとしたプライベートな遊びとして、開催するコトになった。シューズミニッシュの社長さんをはじめとした、生野区で、ものづくりをしているさまざまな人たちや、デザイン関係の方など、ものづくりが好きなひとたちが集まって、自分たちのコトを物語りながら、あれやこれやとアイデアを交換し合いつつ懇親を深めた。

毎月19日に開催している「空き家カフェ」を含めて、人と空き家が出会ったり、モノとデザインが出会ったり、技術と技術が出会うのは、とっても面白い現象だが、なによりも、まず、人と人が出会うことがなければ、そんな「コト」は実現しにくく、確かに、目的意識がはっきりしていれば、インターネット上の出会いとメールのやり取りだけで、実現されるものもあるが、セッションというコトバのごとく、目的意識は希薄だが、何かのアイデアやきっかけを生み出したいというパッションのある人達の集まりは、人と人の感覚や好みなど、フェースtoフェースでの一期一会で、さまざまなアイデアを育む可能性があって、そんなのが、「ものづくりセッション」なのかもしれない。

そんなことを、なんだかんだ語っても、街コンというより小規模な婚活パーティーみたいな気もしてくるわけで、そういえば、日曜日の今日、「まちのえんがわ」にふらっと立ち寄ってくれた女性は、婚活デートのついでに、大阪にある父の実家の空き家をどうにかしたいという思いを持ちながら、相談にお見えになられて、婚活四方山話を交えながら、縁側的コミュニケーションを楽しんだ。

そうそう、お見えになったその時は、デザイナーのミフネさんの個展が肥後橋で開催中で、三角形だけで怪獣を描くシリーズで、三角形の掟として、①三角形は全てフリーハンドで描く事、②2色までの三角形とする事、③三角形は重ねてはならない、④Ipad miniに直接タッチペンで描く事。という制約を自ら設けながら、その中で工夫することで、デジタルのようでアナログな不思議なイラストが沢山あって、とってもカワイイので、子供達に着せてあげたく、寒いなか、マゴを伴って、イラスト展に訪れている最中だった。

その後、歩いて、マゴと、grafでお茶を飲んでいる時に、スタッフのアオキさんから連絡があって、やりとりをすると、私が帰るまでお待ち頂けるという事で、急いでタクシーで帰ることにしたが、なんと、大阪女子マラソンの真っ最中で、あちらこちらで、道路を横断する事が出来ず、なんだか、まるで、三角形の制約の呪いのごとく、隙間を見つけては、道をぐるぐる迂回するものの、やっぱり、また止められて、とうとうタクシーを断念し、鶴橋で、地下鉄に乗り換えるという、ちょっとした迷路気分を楽むコトになった。きっと、制約があると、かえって燃えて、オモロイ気分になり、サムシングエルスが芽生えたりするのだろうね。

「明強敏」というコトバを聞いたのは、今週の金曜日の生野区の防火協力会懇親会での生野消防署長の話で、大阪市の消防局では、それが局是らしく、「明るけく 共に励みて強からめ いざ立つときは敏く応えて」ということで、「先ず職員は人に接するも事に臨むも常に明るく、凡そ人である限り未完成でない者はなく、その完成への努力こそ強であり、機を見るに敏なるを要する」らしい。うちの社員や職人さんにも適応できるコトバで、建築を造るにおいても「明強敏」が、施主や設計者から求められているのだろう…..と、反省を促された時間だった。

こんな寒い日々の一期一会が、顔にあたる冬の冷たい風のごとく、刺激になった一週間だった。

お餅つきの不思議


土曜日。「お餅つき」を催す。昨年は、お餅つきの数日前にインフルエンザにかかって、それで、当日は、寝室のベットからSkypeで参加するという、社員の皆さんに、大変なご迷惑をお掛けしたお餅つきだったが、今年は、元気に参加できて、最初のお餅の、つき始めと、最後のお餅の、つき終わりを担当し、たったそれだけでも、足腰の筋肉に、疲労感があり、あらためて、お餅つきってエエ運動やな。と感じた年始めのお餅つきだった。

予想以上に、小さなお子様連れのご家族を中心に、沢山の方々に、お越し頂いて、この場をかりて、お礼を申し上げたい。

昔ながらのやり方で、お餅をつくのには、竈に火をくべて、餅米を蒸す担当者と、お湯を沸かす担当者が必要で、その火が延々とくべ続けられることで、まるでドラムの音のように、活力が会場にみなぎって、もちろん老若男女沢山の参加者に、お餅をついてもらうのだけれど、そのお餅をつく、ペッタンペッタンという音が、トランペットのように鳴り響き、そのつく人を応援する掛け声が、バックコーラスとして、会場にこだまして、そんな音も魅力的だが、お餅を返す担当者も大切で、もっとも技術のいる役割だったりする。

   

そのつきたてのお餅を丸めるために、沢山の人達が、テーブルを取り囲んで、お餅を丸めるのも楽しく、案外、お餅をまるめるために、お餅を適当な大きさに切りそろえるのが大変で、お餅をつくという男性的作業と、お餅をまるめるという女性的作業が、相混じるのが、お餅つきというイベントの面白さであり、それに、その場で、そのつきたてのお餅を食べながら、わいわいがやがやコミュニケーションできるのが、面倒な作業を、魅力的な「コト」に変容してくれる、お餅つきの不思議なのだろう。

 
 

お餅つきという協働作業による活気が、皆の元気を産み出し、皆に元気を与え、そういう出来事から生まれるお餅に、活力のエネルギーが満ちているのだろうが、ま、そんなエネルギーに誘われたのか、退社した元社員とその家族の3組みが、遊びに来てくれて、久しぶりに会うと、そんなのが、とっても嬉くおもえた、今年のお餅つきだった。

今朝の日曜日の朝。週に一度は運動をしないと微妙な体調になるので、前日はお餅つき疲れで、早々に寝たこともあって、午前7時過ぎから、モーニングを食べがてら、葡萄坂をヒルクライムする。朝練と称する自転車乗りの若い人達7、8人に、軽やかにペダルを回しながら、おはようございます!という爽やかなコトバを残して追い越こされ、ちょっと羨ましくおもいつつ、おはようございます!というコトバを返すのが、清清しい冬の青空の朝だった。

 

そのあと、昼前に、奥方とスーパー銭湯に行く。それが、先日、NHKスペシャルのタモリと山中教授が出演している、人体神秘の巨大ネットワー第3集「骨」で、骨が若々しさを保つメッセージを発信し伝達しているという話がとっても面白く、特に自転車に乗っていても、心肺能力や筋力は高まっても、椅子に座っているのと同じなので、骨に刺激がいかなくて、老化するらしい。歩行の方が良くって、なんでも、ジャンプで、「踵」に振動が伝わると骨の若返り物質がメッセージを伝えるらしい。それで、そのスーパー銭湯に、歩行浴というのがあって、いままで、一度も利用したことがなく、興味もなかったのに、そそくさと踵に振動を与えながら何周か歩行浴をしてみると、そのとっても単純な「私」の行動に、ちょっと苦笑いが込み上げてきたが、そんな、人体の不思議とか、お餅つきの不思議とか、そんなのを体感した一週間だった。

19歳とレゲエ

今年は、1月9日の火曜日から仕事が本格的に始まった感じで、成人の日が、正月明けすぐの、日曜日と月曜日祭日が続くと、仕事始めのあとに、すぐに休みが来て、現場の職人さんのコトを優先的に考えると、成人の日が、15日だった時の方が、仕事始めから連続して仕事が出来て、エエようにおもうが、地方に帰る成人の若者の事を優先的に考えると、いかし方ないのだろうか…..。

確かに、現場で働く職人さん達中心の世の中ではなくなってきて、地域によっては、土曜日に現場の仕事が出来ないとか、午前9時から午後5時までに工事はしてくださいとか、いろいろな決まり事があって、静かな生活環境のなかで日々の生活を営む家庭の事を考えると、建築現場の音や振動は、迷惑な出来事なのは確かで、働き方改革というコトバが、頻繁に耳にするようになってきた昨今。職人さんたちの世界でも、休みが多くなってきたなかで、どのように効率良く現場で仕事をするのかを、しっかりと考えていく時がやってきたのだろう。

そうそう、生野区の、とある、ものづくりの会社の社長さんが、私は、ものを造っている時の、音や匂いが好きで、あれが、生きてるというか、心臓の鼓動のようというか、血液の流れというか、小さい時から、近くの工場から流れる、音が、好きやったなぁ…..。確かに、夜遅くまで音がするとか、日曜日でもいつも音がするとか、過ぎたるはアカンけどな…..。なんていう人もいて、多文化共生なんていうスローガンのなかには、ものづくりの音や匂いと共生する生活文化地域があっても良さそうにおもう。例えば、生野区とか。

今日は、今年最初の住宅相談会があった日曜日で、午前中のAさんは、隣接する長屋を購入し、リフォームをする予定で、計画と概算見積を提案し、気に入って頂けたが、銀行のローン設定が、リフォームでは、担保価値が低く設定されて、思うような金額を借りることが出来ず、それで、いまのお住まいと購入した隣接する建物を解体して、新築工事にすると、担保価値の設定が大きくなり、ローン設定も上手くいきそうなので、リフォームの時の家よりも、小さいが、コストパフォーマンスの良い新築の家を、たたき台案として提案し、あれやこれやと打ち合わせをした。

今という時代性は、いまある建物を資源として、どのように活用するかを考える時代だが、銀行側の資産価値としては、リフォームに対する評価が低いのが現状で、仕方なく新築にすることになったが、それはそれで、新築の魅力も大きく、最近の傾向は、家の広さは犠牲にして、小さな家で、耐震性や素材やデザインや設備機器と共に、断熱気密性能を大切に考えて、暖かくて涼しい家を造るのが、いまの居心地の良い家の傾向なのだろう。

午後からのBさんは、新築の中古住宅を購入予定だが、Aさんと同じように、リフォームでは、間取りやローンなど、思い描いている家になりにくく、解体撤去して、新築としての、たたき台案を提案する日になっていた。その提案したプランをもとに、奥さまが描いてこられた図面を参照にしながら、その場で、即興的にプランの編集作業を何度も繰り返して、お互いに合意できそうなプランになって、「提案と注文」を、その場で、一緒に、バランス良く「編集作業」するのが、設計としての木村工務店スタイルなのだろう。

午後3時からのCさんは、西宮で土地探しを模索中で、不動産業の日住サービスのナリタさんを交えて、案件を、プロジェクター上のグーグルマップで、一緒に眺めながら、あーだこーだと、コトバとビジュアルを交えながら、お互いの土地と家に対する「感覚を調整」するのが、大切な作業で、そういう、「感覚を調整するコミュニケーション」が、土地探しとしての木村工務店スタイルなのだろう。

午後3時まえ、「まちのえんがわ」に、19歳の若者3人が、遊びに来て、まちのえんがわスタッフのアオキさんに呼ばれて、2階応接室での相談会から1階路面店の「まちのえんがわ」に降りて、腰掛けたスタイルで、若い人達とコミュニケーションを楽しんだ。三人は、同じデザイン系の高校の出身らしく、なんでも、お互いに、ものづくりに興味をもって、YouTubeで、ものづくりの映像を制作公開する予定らしく、そのなかのひとりは、以前、まちのえんがわと木村工務店に見学に来た、大阪市立デザイン研究所の生徒で、映像を造るにあたって、面白そうなところがあるので、3人で遊びに行こう!ということになったらしい。

話の中で、ひとりが、レゲエが好きで、DJをしているということで、そういえば、大阪公演のボブマリーを2回見た記憶が蘇り、そんな話をすると、心の片隅には、今の彼たちと同じ19歳の時に、女性二人との三人で、一緒に2回の講演を見た時の喜びと、その女性のひとりが、数年前に不慮で亡くなり、その偲ぶ会が、友人たちと開けないまま、微妙な爪痕となって残っている、そんなのが、その場で、心の片隅を通り過ぎていくのが、心のありようなのだろう。そんな心模様が、加工場にある、うちの若いモリ大工が19歳の時に、ものづくりの一環として制作した、スワン型のバックロードホーンを思い起こさせて、唐突に、椅子から、むくっと立ち上がって、笑顔を交換しながら、その若者3人と一緒に、音楽を聴くコトになった。

そうそう、1月20日土曜日は、お餅つきを開催します。ご興味のある方は、是非。

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