6組12人の母と息子

会社の大掃除が終わり、社員や大工さんや手伝いさんと一緒に、加工場で納会をし、食べて飲んで、一年の労を労って、最後は一本締めで、木村工務店の一年を終えるのが、慣わしで、それぞれが、良いお年を!っと、挨拶を交わしながら家路につく姿を見送る事で、シャチョウとしての一年も締めくくる。

木村家の2階建ての母屋を平屋に減築したリフォーム工事が完成し、初めてのお正月休暇を迎えることになって、10人ほどのひとと一緒に食事が出来る大テーブルを作ったことで、奥方が、次男の、高校時代の同級生ママ友6人と、29日の夜に、うちの家で、忘年会をする予定なのぉっと、同意を求めてきて、勿論エエよ!と素直に応えたのだけれど、それが、その息子6人も一緒に集まることになったのぉ!っと嬉しそうに云う。流石に、それには、少々驚いて、母と22歳の息子6組12人が集まって、一緒に鍋を囲む姿を想像し難く、楽しみのような違和感のような微妙な心境の年末の夜の出来事だった。

少し離れたポジションに座りながら、サポート役になるワタシなのだが、想定以上にエエ雰囲気な12人の姿に接しながら、同じ年頃だったワタシは、母と、こんな感じで、一緒に食事が出来る関係性だったのだろうかと、ふりかえさせられて、きっと、なんで、母と一緒に食事せなあかんねぇ!ぐらいの、もっと、斜に構えてた態度だったはずで、母と息子が、お互いに、ぼけたり、突っ込んだり、笑ったりする波動に包まれながら、はにかむように、なんとなく嬉しそうな、母親の姿を見ていると、ワタシの青春時代に反省を迫らせるような50代最後の年末で、なんとなく心洗われるおもいがした忘年会だった。

 

30日に、鶴橋と黒門に、年越しの買い物に行くのが、ルーティンのようなもので、そろそろ、インバウンドの観光客が多い姿や、商店街のなかで食べる場所が増えてきた様子にも、見慣れてきて、それよりも、世の中の変化に素早く対応していく、大阪商人のバイタリティーに感心した方がエエような気がしてきた、そんな年末のクロモンだった。

そんなこんなで、2018年の一年間、このブログとともに、「木村工務店」と「まちのえんがわ」をご愛顧賜りありがとうございました。2019年は、1月6日日曜日が初出で、7日月曜日より通常営業です。

皆さん、良いお年をお迎え下さい。

 

平成最後の天皇誕生日

平成最後の天皇誕生日と重なった日曜日。年末の会社大掃除が28日にあり、現場は27日に仕舞いと片付けを終えるのが、木村工務店のルーティンで、そんな慌ただしい時の、23日が、祭日となるのが、有り難いようで、いや、お正月休暇に向けて、ここは、もうひと踏ん張り、働いておきたい…という気持ちにもなり、それにクリスマスが翌日で、毎年毎年、休むことに、微妙な心境で、天皇誕生日の祝日を迎えるのだが、譲位する前の最後の天皇誕生日としての85歳の記者会見を拝聴すると、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」という印象的なスピーチもあり、ご苦労さま。という気持ちがわいてきて、いままでの、祝日に対する、微妙な気分を反省しながら、休日としてでなく、天皇誕生日を祝福したい、という素直な気持ちになれた日曜日だった。

寒い日が続いたが、今日は、暖かい、穏やかな、祝福するかのような日曜日だったので、朝から、久しぶりに自転車に乗って十三峠を往復する。一ヶ月ぶりに乗ると、坂を上がるのは、とってもキツい。乗らない日曜日が続くと、乗る前は、起きるコトそのものが、面倒くさく、寝ておこうかという気分にもなり、体重とか、血糖値とか、なんだかんだ、考えだして、ようやく、反射神経のように、布団から起き上がり、着替え、その着替えるのが、また、面倒くさく想えてくるときがあって、身支度の準備ができ、自転車の空気を入れて、チェーンに油を注いで、外に出て、漕ぎだしてみると、気分のエエこと、エエこと。

なんで、人間って、こんな、内的な、ブツクサ言う心模様に、アーダコーダと、「考慮」しなければ、さまざまな物事を成し遂げるコトが出来るとおもうのに、人のメンタリティーとは、こんなん感じになるのだろうかね。ハートには従うけど、マインドには従うな。みたいな、ハートとマインドの区別ってねぇ…。あれやこれやの心模様はやり過ごし、無になれ。みたいなコトバってねぇ…。時折、訪れる、そんな思考を、置き去りにしながら、久しぶりに、運動で、汗をかいて、ストレスを解放した。

家で、シャワーを浴びるかわりに、スーパー銭湯にいって、サウナと水風呂で、心身をケアーしたが、休日の午前10時頃のスーパー銭湯は、意外と人が多く、中高年が圧倒的に多いのだが、皆さん、どんな心境で、朝風呂に入りに来るのだろうかね…。帰り道、奥方が、一緒に入浴している、常連のようなおばさんが、隣で会話していて、「ここんところ、週に2回ほどしか、これなくなったら、機嫌悪くなってきたみたいで、ダンナさんが、お風呂屋さんへ行ってきたらどうやぁ!って勧めてくれて、やっぱり、大きなお風呂は、最高やわ!家の狭っまいお風呂には、入ってられへんわ!」って。大きな湯船に入った時の、体に感じる圧力が、小さなお風呂の時の圧力と違って、なんともいえず気持ちエエからかなぁ…て、最近おもう。

帰り道、コメダ珈琲で、たっぷり珈琲と味噌カツサンドを食べる。スタバの「サードプレース」というコンセプトにたいして、コメダは「私たちは”珈琲を大切にする心から”を通してお客様に”くつろぐ、いちばんいいところ”を提供します」という経営理念らしい。スタバの方が、空間的には、お洒落で、エエ感じで好きで、コメダの内装は、微妙な感じがするが、ワタクシ的には、スタバの珈琲の味に馴染めず、コメダの珈琲をチョイスするのだが、ま、それは、スーパー銭湯帰りの時だけの話なんだけど、客層が全く違うのもオモシロイ現象で、なによりも、一年に何度か登校する関西大学の中に、スタバがあり、たしかに、コメダがある姿は想像しがたく、コメダで「くつろぐ」ワタクシたち夫婦は、おっちゃんおばちゃん、なんだろうが、お互いの企業が、持続的に利益をあげていくための、それぞれのポジショニングの違いとか、組織力の違いとか、そんなコトを考えてみた。

夕方、長男家族が誕生日のお祝いで、夫婦二人で出掛けたので、孫二人を預かる。一緒に夕食を共にし、嬉しく、楽しく、カワイイのも、一時間ほどで、徐々に徐々に、長男夫婦の帰りを待ち臨む気持ちが、大きくなってくるわけで、3歳と1歳半の男の子二人が、仲むつまじい姿から、喧嘩でも始まると、お母さんの帰りを待ち望む気持ちは極大化し、いまさらながらに、子育てってタイヘンやなぁっと、既に、経験したコトなど、すっかり忘れて、ようやく、客観的に、子育てを見守れるようになってきた感じ。平成天皇のコトバにあやかると、「子供を預かったこの時が、怪我がない時間として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」なんていう心境。それにしても、天皇のスピーチのように、一言一言を、丁寧に、喋ってみたいものだな。

とってもフツウで、穏やかで、エエ日曜日を過ごせたのも、平成最後の天皇誕生日を祝福する波動が満ちていたお陰なんだろう。

ワークショップ的コミュニティー

建築家のヤベさんによる、ケンチクイスのワークショップがあった日曜日。「仕口がない。曲げがない。仕上げがない。」という、椅子を制作するプロが使う技術を全く使わず、誰が造っても高いレベルで完成できる椅子を、「ケンチクイス」と、ヤベさんが名付けていて、2012年から2018年の今年で、7年連続のワークショップとなって、その間、3種類の椅子がデザインされたが、毎年、新しいデザインを考えてこられるのかと思いきや、BB1と名付けられたデザインの椅子に、クッションを付けたり、脚だけにソックスのような白い色を付けたりと、バージョン違いのワークショップが数回あり、今回は、BB3というタイプの椅子に、グリーン色の型枠用合板を使って、制作する、バージョン違いのワークショップで、これって、漫才のジャルジャルが、同じ笑いを、微妙な変化で、繰り返し繰り返し使うのと、同じ意図なんですよね、ヤベさん。

ワークショップの後は、恒例のバーがあって、参加者の懇親会というよりは、バーテンのヤベさんのもとに、ウダウダ言いに、集まるっていう感じで、ほとんどが、ワークショップに参加していない、顔見知りの人達で、これだけのために集まって、アーダコーダと時間を過ごすのだけれど、ごくたまに、迷いこんだようにふらっと入ってくるひとがいて、今回は、布施のおもちゃ屋さんのご主人が、立ち寄られて、小さい頃から、何度もお店の前を通過し、何度かおもちゃを買ったり、トランプを買ったりした、そのお店のご主人と、こんな「コト」を通じて、出会ったりするのが、オモシロイデキゴトで、ワークショップが、新たなコミュニティーを生んだりするのが、現代的な面白さなんだろう。

ここ最近は、夜遅くなると、ワークショップを開催している加工場の前の、うちの家に移動して、2次会的に、話が繋がっていく流れがあって、四方山話が続いて、気が付けば、残った何人かは、午前0時を回っていて、あたふたと散会しながら、このブログを書く状況のワタクシで、そういやぁ、どんな話で盛りあがったのだっけ。

そうそう、シャチョウ、シゴトに燃えた時期ってありますか。なんて聞かれた、シゴトとライフスタイルな話。そうそう、建築の空間的には、向かいの以前住んでいた家のほうが断然エエけど、こっちの家の方が素材が圧倒的に良くって、それが居心地良く、素材って凄いな…。なんていうケンチク談議。そうそう、家で、皆で一緒に作る、餃子パーティー新年会にしましょうよ。というパーティーな話。そうそう、以前、続けて何度かやったように、また、名店を予約して、皆で一緒に食べに行きましょぅよ…。じゃぁ、1月の新年会として、8名予約してみますわ…。なんていうグルメ探検ツアーな話。

そうそう、座敷の前の中庭に、造園のイエタニさんが、常滑と信楽の陶器をオブジェのように設置してくれて、それが、皆に、微妙な違和感や共感を呼び覚ましながら、コミュニケーションを誘発させて、先日の忘年会のあとの座敷de談議も、このオブジェに誘発されたのだろうし、今日も、製作者のイエタニさんを交えて、座敷に座わってのコミュニケーションが活性化されて、共感だけでなく、ちょっとした違和感も大事で、それって、岡本太郎の太陽の塔も同じニュアンスじゃぁないですか…っていうのが、印象に残るコトバで、そういえば、あのモダニズムのシュッとした丹下健三のお祭り広場は消滅し、怪物のような、太陽の塔は、再び人気を得て、未だに存在しているわけで….。なんていうゲイジュツな話題。

「スポーツ」の後にも、こんな「ノリ」のような波が発生し、コミュニティーが活性化する時もあるが、「モノを造る」っていうワークショップの後にも、やっぱり、「ノリ」のようなものが、波のように、押したり引いたりして、そんななかで、共感や違和感が生まれて、物事が動いていく時があって、そんなワークショップ的コミュニティーが発生した日曜日だった。

時間よ止まれ

とっても寒い日曜日。ついに冬がやってきたなぁ…。土曜日の昨晩は、木村工務店の忘年会があって、ここ何年も、がんこ平野郷の蔵を貸し切ってやるのが恒例で、同じ場所で、何年も同じように忘年会をやり続けて、毎年同じように、それぞれにお酒を注ぎ回り、それぞれの、一年の労を労い、お互いをリセットする所作を繰り返していると、その参加メンバーは、毎年毎年変化していて、それゆえに、こういう繰り返しの所作が、会社の「変化」というものを、実感させられる時間と空間でもあるわけで、今までの参加してくれたメンバーを想い出す瞬間もあって、その懐かしさと感謝とともに、新たなステージを目指そうとおもう忘年会でもあった。

忘年会のあとは、マイクロバスで、会社まで送迎してもらい、加工場のBARで、2次会的に、収束していくのが、ここ最近の恒例で、数年前は、スナックを貸し切って、ドンチャン騒ぎをした時もあったが、このスタイルになってからは、皆が、ゆるやかに三々五々家路につく、落ち着いた雰囲気になって、この方がしっくりくる感じ。そういえば、残った数人の社員や大工や手伝いさんと、会社真向かいのうちの家の座敷で、飲む事になって、それはそれで、楽しい時間だった。

11月3日の文化の日に、大工の息子さんとともに、うちの家を訪問して頂いた、そのお母さんの訃報があった週だった。社員と大工と手伝いさん全員で、車に分乗し、高松まで、お通夜に出掛けたが、そうそう、午後3時過ぎに出発する予定だった、その前に、ソフトバンクの携帯が不通になる障害があって、現場から戻ることが遅れた、現場監督のたっちゃんは、もう少し待って欲しいと、携帯を操作し続けたが、全く通じず、同乗予定の車は、待ちきれずに出発してしまい、5分遅れで到着し、仕方なく、軽トラックで、往復6時間、運転することになって、きっと、携帯が不通による、さまざまな、ドラマがあったのだろうなぁ。

次の日の葬儀にも出席する。50代の母の死と喪主を務める20代の大工の姿は、とっても悲しい葬儀だった。出棺後、葬儀会館の駐車場へ歩く、その向こうに、黒い喪服姿の人々と、紅葉の屋島の真っ平らな姿が、妙に印象的で、あの青空の祭日の日に、家族3人が、母を労い、仲良く歩く、後ろ姿が、フラッシュバックした。その日、うちの食卓のテーブルを前にして、左側に大工、真ん中にお母さん、右に看護師の娘さん。一緒に歓談し、一緒にケーキを食べ、一緒に記念写真を撮った。家の外で、お母さんと、お別れの挨拶をし、思わず握手をした。横にいた、奥方も手を握ると、女性どおしが、涙を流し、抱き合い、励まし合う姿にぐっときた。母の乗る車椅子を押す息子の大工と母の荷物を持つ娘さんの3人の後ろ姿が、とっても印象的だった。生と死。生きるという姿勢を考えさせられ、時間よ止まれ!と願う、瞬間だった。

時間というのは無慈悲なヤツだな。とおもう時があって、それでも、新たなステージを目指そうとさせるのも、時間というヤツのお陰で、ま、それはそれとして、大工さんから、シャチョウ、「向上心」が大事ですよ!と促された、忘年会だった。

鍋を囲む3夜

M1選手権があった日曜日。和牛かとおもったら霜降り明星だった。正解がないものを、審査するとか、評価するとか、点数付けるとか、ムツカシイものだなぁ…。どれもが、それなりに面白かったが、好みの問題なんだろう。関西大学の木造設計製図の授業をお手伝いして、10年近くなるが、生徒がプレゼンする作品に講評と点数を付ける日があって、正直、迷う。躊躇だってするし、これで良かったのかとおもう時もある。数学のような「正解」がないのだから、好みとか、目新しさとか、勢いとか、そんな要素も加味されるし、他の審査員の評価も微妙に影響し、あの人はきっと、このグループを評価しているから、ワタシはこちらに….みたいな気分に襲われる時もあって、評価とは少々残酷なゲームだな。

先日、うちの家で催した檜の宴で、Yさんが建築家ヨーン・ウッツォンの建築ネタをプレゼンしてくれて、そのなかに、同じデザインを繰り返して使う。というくだりがあって、ジャルジャルの漫才を見ながら、そのコトを想い出して、笑いやデザインに「繰り返し」を上手に使うのは大切だなぁ…なんておもいながら笑った。

本日は、住宅相談会があった日曜日でもあった。3組みの予定だったが、キャンセルが二組でて、一組だけの打ち合わせとなり、午前中のAさんは、女性お二人でリフォーム工事のご相談にお見えになり、1階が医院で、2階が住居の、その2階をどのようにリフォームするかをお悩みで、新築するには営業を休まなければならず、それは無理で、終の棲家とするためには、1階を住居としたいところだが、それも無理で、今の2階の住居のままでは、終の棲家としての、予算のかけ具合にも躊躇し、でも、今までの増改築の連続で、使いにくく、雨漏りや、夏の暑さにも耐えられず、インテリアデザインにもコダワリたいが、どんなのが良いか迷いも多く….と。うちの減築リフォーム工事をした家を見学してもらいながら、悩みをお聞きした。「仕事と老後と住まい」の関係性は確かにムツカシイ。

土曜日。協力会社の精親会のメンバーと恒例の忘年会を、布施の若葉で、鍋の宴で催す。忘年会の前に、会社の会議室で、1年間の活動報告と受注状況を1時間30分ほど、協力会社の皆さんに、報告するのが習わしで、今年は、台風被害の見積と工事状況や、人材不足に伴う現場監督と大工さんの募集状況など、今までと少々違う、「変化」をあらためて確認しあう会合だったが、人材不足や力量不足を問われる昨今、長年のお付き合いの精親会という「ものづくり」の職人集団のお陰で、なんとか維持できているのだと、意見とアドバイスが飛び交う鍋を囲みながら、あらためて確認と感謝をする夜だった。

そういえば、今週は、3回の鍋の宴があって、うちの家の冷暖房として、ピーエスという輻射冷暖房機を導入し、そのピーエスの営業の方と、導入のきっかけを作ってくれた北海道キムラの営業の方の4人とワタシで、輻射暖房機の効き具合を体感しながら、うちの食卓で、ふぐ鍋を囲んだ。それぞれが東京と北海道に本社を置く企業だが、共通の悩みは、人材確保と人材育成で、そんな話題が尽きず、5時間ほど、建築業界にまつわるあれやこれやの鍋の夜を過ごした。

もうひとつの鍋は、「まちのえんがわ」の本をコーディネイトしてくれている、施主でもある、コトバノイエのカトウさん夫妻と、東大阪寿町の海老蔵の具材を買ってきて鍋を囲む。人材不足や技術力不足の建築業界を、どのように粘り強く生き抜くかが印象に残る話題のひとつだったが、何よりも「おもろいこと」をやろう!というのが、遊びのテーマとしての共通の話題でもあった。2010年にカトウさんと始めた木村家本舗は、うちの家にカトウさんの本を持ち込んで本屋をやろう!というのが、他にない遊びとして「おもろいこと」だったが、さて、いまの時代、何が、「おもろいこと」なんだろう…っていうのが、その日の夜の鍋の具材のひとつだった。

そうそう、「笑い」と「おもろいこと」に一生懸命な姿に、癒やされた、日曜日のM1な夜だった。

勤労感謝の3連休

世間では、勤労感謝の日から、3連休だった今週。その今日の日曜日は、台風接近で中止となったタイル貼りトレーを製作するワークショップが開催されて、先週のランドセルワゴン製作のワークショップに引き続いて2週連続のワークショップとなり、しかも、通常は13時30分開催だが、貼ったタイルが乾くまでに時間が掛かるために、午前10時開催の、朝から、ちょっとバタバタする日曜日の朝だった。

今年は、「まちのえんがわ」すぐ近くのマンションに住むデザイナーのサッチーが、スリムなトレイに、デザインをし直してくれたお陰で、随分とスタイリッシュなトレイになり、あらためて、デザインの重要性を実感するのだけれど、それにしても、そんなデザイン的な魅力もあったのだろうが、お子さんを、おんぶしてまで、参加する女性の姿を見ていると、凄いなぁ…。素敵だなぁ…。とおもうわけで、「ものづくり」には、ある種の「瞑想的」な魅力が、潜んでいるからだと、眺めた。

ワークショップ開催中の午前中に、昨年の丁度今頃、木村工務店を退社した、トクちゃんが、彼女を連れだって、結婚の挨拶に来てくれた。新婦となる女性は、うちで、新築工事をさせて頂いた、お施主さんの娘さんで、ご縁というのは、不思議なものだなぁと、つくづく想う。「まちのえんがわ」のワークショップとして開催している、「お餅つき」が、二人の距離感を縮めるきっかけになったようで。なによりも、おめでとう! 在籍中は、木村家のリフォーム工事を手伝ってくれたこともあり、そのお礼も兼ねて、木村家のテーブルで、祝福のコトバを伝えた。この檜の天井を貼っている頃に辞めたんですわ….というトクちゃんのコトバが、吉野檜の天井板に吸い込まれていく感じがした。

勤労感謝の日と日曜日に挟まれた土曜日は、木村工務店では、通常どおりの仕事の日だった。職人不足が続く昨今、職人さんたちは、日祝以外は、一生懸命働く必要性に迫られる状況で、それを会社もサポートするのが大切なコトなのだろうし、それに、土曜日は、施主との、設計案件の打ち合わせや、現場打ち合わせが集中するのが昨今で、土日の連休をスムーズに取得できないのが、工務店の今の現状でもあるのだろう。

土曜日の夕方から、木村家で、「吉野檜の宴」があった。吉野檜の坂本林業のサカモトさんとの出合いによって、木村家のリフォーム工事で、吉野檜を貼るコトになって、床には、150mm幅の檜の板目を貼り、天井には、柾目の檜板を納材してくれて、その縁が、繋がって、サカモトさんが、いろいろな設計者や工務店の方々を連れだって、木村家の天井の檜の柾目板を案内してくれているのだけれど、サカモトさんもワタシも、吉野檜の艶やかで上品な良さを、フツウのLDKに活かしたいという共通の想いで取り組んだ内装で、それが、ひいては、吉野の檜の森の活性化に繋がればという想いでもあった。

その「吉野檜の縁」で、タケナカコウムテン関係の若い設計の方々と繋がりが出来て、先月は、お昼にカレーを一緒に食べたのだけれど、一ヶ月後のこの土曜日の夜は、「吉野檜な宴」を鍋で催すことになり、10人ほどで、夜遅くまで、歓談した。ヤマザキさんが、IPADでプレゼンしてくれた、オーストラリアのオペラハウスを設計した建築家ヨーン・ウッツォンの建築ネタを、食卓のテーブルのテレビに投影しながら、建築オタクな若い人達と、あれやこれやと談義するのが楽しい宴だった。それにしても、こういうプレゼンを、遊びとして、コミュニケーションのきっかけとして、楽しめるところに、建築オタクな若い人達の面白さがあるのだとおもう。

勤労感謝の祝日。毎年恒例となっている、関西大学の建築学科の学生を連れ立って、石井修さんの遺作となった、目神山22の見学会を催した。お施主さんが、別荘のように使われていることもあり、学生さんたちの勉強のためにという特別なご厚意で、見学させて頂けるのは、ほんとうに有り難いことで、アプローチの外部階段のデザインとか、石井修さん流の木組みとか、毎年毎年見て、ようやく少しずつ理解が深まる感じがする。

社員のハヤカワくんは、この目神山22の見学会に参加した関大の生徒でもあったが、今年からうちの社員となり、見学会の助っ人として参加してくれて、見学会終了後は、元町のジャズ喫茶jamjamに行くのです!と言う。20代30代の頃は、予定がない日祝に、ミナミや天王寺のジャズ喫茶によく行ったものだが、なんとなく、その感覚が蘇って、オレも一緒に行くわ!と会話しながら、目神山の急な坂を下って、甲陽園から三宮に向かった。

三宮の高架下を歩いて、元町駅からすぐの脇道の地下にあるジャズ喫茶jamjamに入ると、想像以上に大きなスペースで、しっかりした音量と音質で、ジャズがかかっていて、ちょっと嬉しくなった。ここから先の席は、会話出来ませんが、よろしいでしょうか。という女性店員のコトバに、頷きながら、左スピーカ前の横向きの席に二人並んで座って、珈琲を注文したが、左に、より過ぎて、音が聴きづらかったので、真っ正面の最前列の席に二人で横並びに座り直した。

東京のジャズ喫茶の新宿のDIGや木馬を案内してもらった何回かは、その方と二人で並んで、黙って音楽を聴き、その後に、歩いたり電車の中や家で、あれやこれやとジャズ談義を楽しんだものだが、SNSの時代になり、ハヤカワくんとは、LINEで繋がっているという、唐突な思い付きがあって、音楽を聴いて、時折、今掛かっているジャズを、建築や建築家に例えてみる、お遊びのメッセージをLINEで送りながら、二人で音楽を楽しんだ。そんな勤労感謝の元町での夕刻だった。

モノ語り。

久しぶりに「まちのえんがわ」で、ワークショップがあった、心地良い秋の日曜日。台風の影響により、10月のタイルワークショップは中止となり、来週の11月25日に延期で開催する予定なのだが、今日は、ランドセルを製作販売する「ランドセル工房 生田」さんとのコラボ企画で、昨年に引き続き2回目の開催となる、ランドセルスツールを製作するワークショップがあって、生田さんで、ランドセルを注文した親子だけが、参加出来る、スペシャルなワークショップだった。

午前中に生田さんの工房で、革の取っ手とポーチを製作し、昼から木村工務店の加工場で、ランドセルを掛けるスツールを製作するのだけれど、親子で一緒に製作する姿を見ていると、確かに、親子の共有体験が出来る、記念日的な時間のひとつに、小学校に入学する前の、この一生に一度の、ランドセルを購入する時期があるわけで、親子で、ランドセルを掛けるためのスツールを造る体験は、子供達にどんな記憶として残るのだろうか….。これからの将来の夢と希望を持つ子供さんのために、プレゼントするランドセルと、それを掛けるスツールを、一生懸命製作するお父さんやお母さんの姿が、独特の空気感に包まれるワークショップへと昇華させているのだとおもう。

「モノ造り」に対して、「モノ語り」があって、「ブランド」となるそうで、手作りの革のランドセルに、ある、ひとつの、モノ語りが付与される、そんなお手伝いが出来ることが、とっても嬉しいワークショップだった。

そうそう、ここ1ヶ月ほど、土曜日の夜に、遅くまで飲む機会が続いて、日曜日の朝に、自転車に乗る気力を全く失っていて、それに、なんとなく、夜の食事で、食べ過ぎたりしていると、数日前に、体重計に、2ヶ月ぶりに乗ってみると、あっっと2㎏も体重が増えていて、「見守る」っていう行為が、日々必要だなぁ…と、切迫感を伴って感じるわけで、昨日の夜遅く、テレビの、お笑い向上委員会や、テニスや、ラグビーを見入ってしまう土曜日の夜だったが、早朝、突き上げるような気持ちで、起き上がって、自転車に乗った。葡萄坂からのどか村、朝護孫子寺にお参りし、竜田古道里山公園手前のお気に入りの葡萄畑のビューポイントで休憩する。朝の霞立つこの時期の大和盆地は美しい。冬に移り変わろうとする手前の、気持ちの良い秋の朝だった。

あいまいな紅葉のまま、先週から、庭に、落ち葉が大量に落ち始めている木村家の庭だが、家の引き戸を開け広げで、気持ち良く過ごせる、紅葉前の11月初めに、写真家の多田ユウコさんに、リフォームした家を撮影してもらった。その写真が今週出来てきて、カメラマンの目線で撮影された家を、あらためて眺めてみると、もはや、建築的に修正することが出来ないのが、どうしようもないコトで、ここなぁ…なんていう気持ちも湧いてくるが、せめて、インテリア的なモノは、まだ、なんとかできて、こうしといた方が良かったか…なんて、ちょっと後悔したりして。

そうそう、ロードバイクの置き場所に意外と悩むわけで、玄関に置こうとすると、奥方の猛烈な反対にあい、そこで、ダイニングの南側に、縁側のように残されていた、外部空間があったので、雨が掛からないようにして、目立たないようで、ちょっと気にかかるような置き方にし、奥方の合意を得たが、当たり前のコトながら、モノが、その家の空気感のようなものをつくる一部でもあるわけで、モノ語りになれるようなモノと、モノの置き方。モノへの光の差し込み具合。そんなのを、な~んとなく考えてみた、秋の日曜日だった。

テラスハウス的ものづくりセッション

「ものづくりセッション」があった土曜日。おもに生野区で工場を持ち、ものづくりをする若い世代が、2ヶ月に一度、午後4時頃から、木村工務店の加工場に集まって、その参会者の4人ほどで、自分たちの会社の技術や商品やプロセスをプレゼンし、それを見聞きして、そのテーマに対して、その場の参加者それぞれが、アーダコーダと、共感や違和感や提案をコメントしながら、2時間ほどの時間を共有するワークショップで、その後の懇親会によって、お互いの距離感を縮めつつ、コミュニケーションを保つことで、持続可能なものづくり企業としての存続を、それぞれが模索しているのが、このセッションとしての面白さなのだろう。

Netflixの「テラスハウス」を視聴すると、 毎回、「番組が用意したのは素敵な家と素敵な車だけです。台本は一切ございません」というナレーションが流れて、シェアハウスに住む男女6人のドラマが起こるのだけれど、そのシーンに対して、YOUや徳井や山里など男女6人の芸能人がコメントを入れるシーンがあって、そんなのが、視聴者の共感や違和感や反感を助長させて、もちろん出演者にもエエ緊張感を与えているのだろうし、あんなファシリテーターが、いなければ、継続する番組として、視聴者を獲得できないのだろうな…..とおもうわけで。

「ものづくりセッション」も、なんとなく、「テラスハウス」と似通ったところがあって、ものづくりの雰囲気がある、できるだけ素敵な集まる場所と、設えが必要なのだろうし、素敵な車が、気分を盛り上げながら、人が、空間を移動する手段として、必要なのだとしたら、それぞれの企業の、ものづくりの情報が、その、ものづくりの工場から、いまここにいる参加者に届けられるためには、情報が空間を移動する手段として、プロジェクター上で、分かりやすくパワポや動画や写真でプレゼンしたり、整理整頓されたデータベースや、インターネットが、ものづくり情報の空間移動手段として、必要とされるのだろう。

そんな、素敵な家と車に替わるのような、共有できる空間と情報が用意されたうえで、台本のない、ものづくりの、セッションによって、人と人が出合い、技術と技術が出合い、技術とデザインが出合い、新たな、ものを、生み出す可能性を、参加者のそれぞれが、模索していて。それにしても、ナレーションというのか、コメンテーターというのか、ファシリテーターというのか、そういう立ち位置の役割が、そんな出合いの、触媒となって、その反応を引き起こしたり、促進したり、それに、プレゼンテーターや、視聴者に、エエ緊張感とリラックスを与たりする役目としても、その必要性を感じる昨今で。

テラスハウス的に、複数人で、多様な意見を述べるのが、面白そうで、そういう意味では、参加者のそれぞれが、必要に応じて、そういうファシリテーターの役割を認識し、自らが手を挙げて、その役目を演じることを求められているのが、セッションたる由縁なのかもしれない…..。それに、そのまま、その場所で、懇親会に移行できるのも、案外重要なことかもしれず、セッション後の空気感のまま、飲んだり食べたりすることで、その時、言えなかったコトや、言い過ぎたコトが、消化されていくようなイメージ。

そんなこんなで、今回は、このセッションを通じて、できた、タツミ化成工業の固城さんとシューズミニッシュの高本さんとの製品紹介の話題で盛り上がり、江原製作所の江原さんが、プレゼン用として、レーザーカットした、キャンプ用のネームプレートが共感を呼び、glass tailor 吉田さんが持ち込んだ、見た事も無いオモロイ眼鏡の話題が、これからのプレゼンのための、たたき台になったりし、20歳のデザイナー masisi designの赤松くんが、へら絞りの吉持さんに依頼して造った製品のプレゼンが、その製品に対する、さまざまなコメントやファッシリテートによって、参加者のそれぞれに、これからの、ものづくりのメンタリティーとして、起爆剤のようになりながら、その時のそれぞれの印象が、懇親会で、食物のように、消化されていくさまが、妙に印象的な土曜日の夜だった。

客人

秋らしい、とっても良い天気の連休。木村家へ、遠方より、二組の客人があった休日で、木村工務店のヒラボシ大工のお母さんと娘さんが、息子の造った家を見たいと、四国から大阪に遊びに来られて、芦屋で、堀賢太さん設計による住宅の新築工事のお引き渡しが、2週間ほど前にあったばかりで、その建物の大工担当がヒラボシくんだったので、自らがお母さんを車で案内したという。丁度、施主の奥さんも在宅だったらしく、家の中を案内頂いたそうで、お母さんは、そのコトに、とっても喜んでおられて、この場をお借りして、お施主さんにお礼を申し上げたい。

その後、うちのリフォームをした家に立ち寄って頂いた。減築リフォーム工事をするにあたって、2階を撤去する作業は、想定以上に、タイヘンな作業で、その作業を真面目にコツコツと、他の大工さんたちと一緒に取り組んでくれたのが、ヒラボシ大工で、特に、庇を1500mm持ち出して浮かすために、片持ちの補強梁を取り付ける墨付けとその作業や、庇の軒桁が8190mm柱なしで浮いていて、その軒桁を追っ掛け大栓という継ぎ手で繋ぐ作業を、ベッショ棟梁から任されていた。その時の写真が残っていたので、ダイニングテーブルのテレビ画面に表示して、アレヤコレヤと歓談した。

四国から高校卒業後、大阪の専門学校の大工技能学科で大工の実技を学んで、2級建築士を取得してから、木村工務店をインターネットで調べて入社した、社員となった大工で、ご両親にとっては、息子さんが、大工さんとしてどんなふうに働いて成長してるのか、特に、社員といっても、大工という職人気質な世界で、どんなシゴトをしているのか、想像できにくいゆえに、見てみたいというのは、当たり前の事なのだろう。

大工という職人さんが減少していく昨今。棟梁が弟子を取るという仕組みが、成立しにくくなっていて、それは、棟梁の賃金が、弟子を取りながら、自分の生活が営めるという、賃金体系でなくなってきたコトが、大きな原因なのだろうが、社員として若い大工さんを雇用し、ひとりの大工の棟梁に預けて、技術と職人としての心構えを教えてもらうと共に、会社の社員として、お客さんへの対応や、社会人としての心構えなど、会社組織のなかから学ぶ必要があるのだろうし、さまざまな心のケアーを含めて、会社の社員が、大工さんのための「ファシリテーター」となる必要性に迫られる昨今で、ちなみにweblioによると…..。

ファシリテーションとは、参加者の主体性を促し、多様な人材から、それぞれの経験や専門分野を尊重しながら、各人の多様な意見やアイデア、動機などを最大限に引き出し、話し合いにおける相互作用のプロセスをより有効・有益にするための、働きかけを意味する。その結果、問題の解決、新たな創造、気づきや学び、相互理解や情報共有などを促進する。

ファシリテーションは、「目的達成」、「時間」、「人の力活用」という、トレードオフにある3要素を最適化しながら、議論や学習、交流などの進行を促す「機能」である。
このような機能を果たす人のことを、ファシリテーターと呼ぶ。ファシリテーター以外にも、その機能を部分的にメンバーで分担したり、(例:議論の可視化を別のメンバーが行う。)、設備・ツール類などで機能を補完したりすることもある。

ここ数年、しまなみ海道で、自転車に乗るために、「LINK輪空」という宿に、毎年宿泊をしていて、そこでオトモダチになった、東京と鳥取からの友人4人が、大阪の、それもど下町の、生野区小路の我が家まで、泊まりがけで遊びにやって来て、偶然にも4人が、外科医や歯科医や大手製薬メーカー役員や医療事務など、医療関係者だったのが、オモシロイシチュエーションで、うちの家を案内したあと、チリトリ鍋の「げんや」とバー「ソケット」で、JAZZ談義や四方山話で盛りあがる連休の夜だった。

そうそう、うちの大阪のおばちゃん代表としての奥方が、東京の癌手術の外科医に、ゴーヤで、膵臓の癌が消滅した、友人の例を紹介し、その話題が、漫才のボケとツッコミのごとく、感覚的感情的人生の大阪おばちゃんと、科学的職人気質的人生な外科医との、オモシロ可笑しい議論として展開し、うちの家の食卓のテーブルで、そんなアーダコーダが、深夜3時頃まで繰り広げられて、あー、とっても印象深い夜だった…..。

58歳と59歳の男女5人で、大阪の下町を歩く。全員が、還暦以降の生活に向けて、どことなく、憂いのようなものが、漂っているところに、こんなメンツでのまち歩きの面白さがあるとおもうのだけれど。地下鉄小路から鶴橋で降りて、あの迷路のような商店街を彷徨う。うちの奥方は、富田林の新興住宅地出身で、西宮芦屋の阪急沿線での結婚生活に憧れていたらしいが、30年以上もここに住んでいると、私以上に、鶴橋を知り尽くしていて、この道右、ここ左と、ロコな案内人となっていた。

鶴橋から環状線で天王寺で降り、リニューアルされて屋根形状が面白くなった天王寺の歩道橋から、ハルカスと通天閣を眺め、天芝の向こうに見える大阪城のようなラブホテルをさして、これが大阪城ですわ!という、ベタネタは必須で、建築関係者として、街づくり的に、あのコテコテベタベタな光景を受け入れるかどうかは微妙な問題だろうが、これこそが大阪的ですわ!と多様性として受けとめることはなんとかできそうで、ハルカスや通天閣やラブホテルを眺める天芝の、オープンスペースとしての良さを、多くの人達が享受している、そのエエ感じの姿を眺めつつ、通天閣まで歩いた。

じゃんじゃん横町をおっちゃんおばちゃん5人で歩きながら、串カツ食べたいし、立ち飲み屋に入りたいし、レトロな喫茶店でミックスジュース飲みたいし、将棋も打ってみたいし、コルク玉の鉄砲で的撃ってみたいし、スマートボールもやってみたいし、そんな気分にさせられるのが、通天閣界隈の面白さなのだろうが、それにしても、コテコテベタベタのあの「看板たち」こそが、大阪らしい魅力かと眺めながら歩いたが、この地をチョイスする「決断」をくだした星野リゾートは凄いな。

朝食が遅く、天芝のお店は、どこも予約待ち、串カツ屋は長蛇の列、40年ぶりぐらいの通天閣登頂を目指すも40分待ち、ここは歩いて、お腹をすかせてみようと、通天閣からそのまま歩き続けた。あの人通りでいっぱいだった、でんでんタウン日本橋は、ガラガラで、様変わりを寂しくおもい、ナンバ側のストリートだけは、電気屋さんより食べ物屋さんが増えて、若いおたくで、いっぱいなのに、ちょっとした疎外感で通過し、きっと9割がアジアの観光客で、店先で食べられる市場として急速に変貌する黑門市場の微妙な活気を、肩を触れ合いながら、感嘆とともに通過し、結局は、天王寺から地下鉄日本橋まで、そこそこの距離を歩いたことになって、ミドルエージ全員が足の疲れをはっきりと感じつつ、地下鉄で新深江まで戻って、「桃太郎」で、モダンいも豚玉のお好み焼きを食べて、大阪らしい味で疲れを癒やすことで、ようやく小路のうちの家まで辿り着いた。

客人と、大阪の「まち」を、会話を挟みながら、ウォーキングのように、そこそこの距離を歩いて、見て、食べて、飲むのも、エエもんだなぁ…..。

この日の思い出を見る

フェースブックに、「この日の思い出を見る」というメッセージが出る時があって、数日前に、6年前の思い出を振り返るメッセージがあり、それが、2012年の10月13日土曜日に開催した、「木村家本舗」という、うちの家をオープンホームするイベントでの動画だった。ひとつめは、夜の宴の様子→
もうひとつは、昼間の「道路」というバンド演奏によるガーデンカフェの様子→
その日のコトを、こんなブログとして書いていた。

今週の金曜日の夜のコト。デザイナーの美船さんが、味園ビルの1階で、プロダクト展を開催していて、うまく時間が取れたので、夜に、食事を済ませて、地下鉄で出向く。小路駅から日本橋で降りて、堺筋を歩いて南に向かうと、すれ違う人全員が、インバウンドの観光客ではないのかとおもえるほど、アジア人の行き交う人が多いのに、少々驚くが、ま、なんとなく、こういう光景にも、少々見慣れてきた感じ。

黒門市場のゲートを左手に見ながら、右に曲がって、ひとつ目の通りの右側の角に、ユニバースの看板があって、そこに、「まちのえんがわ」でワークショップをしてくれている造園家のイエタニさんによる、オブジェのような木の鉢でできた植木がデーンとあり、そこが味園ビルなんだけれど、その少し手前の雑居ビルに、地下に降りる階段があって、そこに古くからのJAZZのライブハウスがあり、学生から社会人になった頃は、足繁く通っていた。きっと、その当時は、一気に、社会人モードになって、学生の頃に持っていた、ハートのようなものが、失われていくコトに、抵抗していたのだろう…..。

そうそう、当時、そこに、チーボーと呼ばれている女性がいて、時々偶然出会すのだけれど、歌うこともなく、ピアノを弾くこともなく、音楽に悩んでいるらしく、そこの常連の人や、ママや、ミュージシャンたちと、一緒にワイワイいって楽しく過ごす夜だったが、ある日、アヤドチエとして、超有名人になって、テレビに出て、ピアノを弾き、歌っている姿を見るようになって、驚くとともに、紅白歌合戦に出ている姿を見ると、ちょっと嬉しくもあった。

そういえば、そこの何人かで、ライブ・アンダー・ザ・スカイに出るマイルスを見に行こうということになり、昼間で、芝生でゴロンと出来る場所があるので、まだ長男が2歳ぐらいで、ハイハイから歩き出した時期だったが、奥方も伴って、一緒にコンサートを見にいった。赤いトランペットを持ったマイルスが、客席まで降りて来て、ブローしている姿が、とっても印象的なコンサートだった。

その、地下に降りる階段を、右手下に眺めながら、そんな思い出を走馬燈のように想い出しつつ、味園ビルに入ると、美船さんのプロダクト展は、素晴らしく、もはやアートとも呼べるプロダクトで、何気ない金物に、職人気質なコダワリを強く感じたんだけれど、そこで、顔見知りの沢山の人達と会って、アーダコーダと話している中に、なんか見た事あるような、初めてのような、もちろん私よりずっと若い男性がいて、ちょっと気になったので、横にいた、イエタニさんに、紹介して欲しいというと頼むと、その男性が、キムラさんでしょ!何年か前に、お会いしていて、実は、木村家本舗のイベントで、「道路」というバンドとして出演し、ベースを弾いてたのです!という。地下鉄に乗りながら、フェースブックの「その日の思い出を見る」のメッセージにより、「道路」の演奏の、その動画を再生していた直後だったので、えー!っと驚いた。

それにしても、これは、フェースブックが仕組んだ、必然なのか、偶然なのか、カコを振り返るという仕組みは、どんなアルゴリズムというか、AIと呼ぶのか分からないが、どんな「プログラム」として出来ているのだろうか。同じ時期の、6年前という時間と、いま、とは、なんらかの因果関係があるという、ビッグデータのようなものが、あるのだろうか…..。

この日の思い出が、ノスタルジーとなり、センチメンタルになる時もあれば、フレッシュなエネルギーに還元される時もあって、新たな活力の兆しを見出したような夜だった。

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