掃除と地震とサッカー

月曜日の朝、いつものように掃除をする。マキタのコードレス掃除機を使い、会社の2階事務所の床から、3階会議室の床へと、ひととおり掃除をし、1階の加工場におりて、職人事務所を掃除をする。そのあと会社すぐ近くの倉庫に向かい軽く掃除をして、倉庫の前にある、うちの自宅の玄関扉を開けて、庭へ行く。

母親が認知になり、1年ほど経過してから、庭が荒れ出して、母親が庭の掃除をしてくれていたことにようやく気付き、それから、庭の掃除をするようになった。いつもと同じように、その月曜日の朝も、庭の落ち葉を掃いている時だった。ガタガタときた。床が左右に大きく揺れる。庭に面する、長男家族が住む、古い住宅の木製建具が、ガタガタガタガタガタガタと大きな音をたてている、幸い長男の奥さんと子供たちは、奥さんの実家に帰っていなかったので、少しだけ心の余裕があった。それにしても大きく床が動くのがわかる。揺れる時間が短くて良かった。震源地はどこだろうか。ここで、こんなのだから、震源地はかなり凄いだろうなとおもう。阪神大震災や東北の震災の時の揺れた瞬間がフラッシュバックした。

掃除の時、もう何年も、マキタのコードレス掃除機を使っていて、つい1週間ほど前に、ベッショ大工が、シャチョウこれ使ってみて下さい、とサイクロンタイプになるアタッチメントを渡してくれた。これが、なかなか良い。ゴミ捨てが格段に楽になった。が、アタッチメントの部材分だけ掃除機の長さが長くなって、そうそう、家では、ダイソンを使っていて、普段はほとんど使う事がないが、奥方が旅行に出掛けて、その間、使ってみると、ダイソン掃除機の竿の長さが長いのが、便利といえば、便利だが、マキタの竿が短いのに慣れているので、なんだか掃除しにくい。バッテリーの時間も短い。でも、床板の素材を痛めない感じでよくゴミを拾うヘッドがエエのだなぁ。それに比べて、マキタのヘッドはシンプルすぎて、だからこそ、現場向きなのだろう。

なんて、このブログを書きながら、ワールドカップサッカーの日本対セネガルを見ている。一喜一憂する戦いで、あ~勝てたかも。残念。いや引き分けでも凄い事なんだろう。ワールドカップが始まるまでは、日本戦だけを見るイメージだったが、いざ始まってみると、日本以外の試合もついつい見てしまうのは、修練を積んだ選手たちが必死で戦う姿に魅せられるからだろうか…..。

そうそう、地震に備える気持ちが再び活性化してきた今週だった。

餃子。

とってもエエ天気でエエ気候の日曜日。久しぶりに予定がな~にもない日曜日だった。前日の土曜日に、美味しい餃子屋さんがあるから一緒に食べに行こうと誘われて、大東にある丸正餃子店本店へ行く。初体験。午後3時から予約受付で、午後5時に来て下さいと言われ、その時に、何人分食べるかを「宣言」するらしい。打ち合わせが長引いて、出発が遅れ、ぎりぎり午後5時2分に到着し、お店の扉をガラガラと引いて中に入ると、カウンターだけの店で、席に着くなり、4人前二つと3人前一つの事前に予約した3人分が、用意されていて、ジャストインタイムで、カウンターの上に置かれた。小ぶりの、こんがり焼き色がついた、いかにも美味しそうな餃子を眺め、カウンターに座って、前を見ると、カウンターの前には、丁稚奉公のような感じの若い男の子と女の子が、餃子の皮をとっても丁寧に包んで、木箱の上に丁寧に並べていた。その背面の壁に、餃子とビールとだけ書いたメニューが印象的だった。

店主らしき年配のおっちゃんが、鉄板の上に、丁寧に沢山の餃子を並べ、焼き始めると、フライ返しに油か何かを付けて、餃子の上に垂らしていく、そのうしろ姿が、魔法の棒で、呪文を唱えているように見えて、いかにも職人気質を感じる、身のこなしと体つきで、餃子を並べたり、返したりする時に、踊ってるようにリズムをとるその後姿が、どちらかと言えば呪術的にさえ見えたのは、その体型と身のこなしにもよるのだろうが、餃子専門店の老舗として、何十年もひたすら餃子を丁寧に焼き続ける年季の入った職人さんの姿が、とっても魅力的だった。こういう商売の方法もあるのだなぁ…..。これはこれで凄いなぁ…..。と、お店に漂う、ちょっとした緊張感とともに、薄皮の美味しい餃子を食べた。

  

川西で打ち合わせが終わった帰り道、阪神高速の法円坂で降りて、先日リフォーム工事をし、「まちのえんがわ」で、珈琲ワークショップも開催して頂いた、ルプラ珈琲さんに立ち寄り、自宅用に、ブラジルのフクダトミオさんの豆を焙煎してもらいながら、あれやこれやと四方山話を楽しむ。ルプラのニシミネさんと知り合ってから、うちの会社でも、珈琲豆を、月に何度か郵送してもらって、社内で、社員の数人が、豆を引いて、ドリップ珈琲を楽しむようになって、私もここ1年ほど、休憩時に、毎日のように、会社のミニキッチンで、ドリップ珈琲を楽しむようになった。

ユニマットさんが、オフィスに珈琲の機械を導入するビジネスを考えたと聞いた事があるが、合ってるのかどうか?最近のサードウェーブ的な流れからすると、オフィスで、自分で豆を引いて、自分でドリップ珈琲を入れる、落ち着いた時間そのものが、休憩時間の楽しみとなるような、そんなドリップ珈琲コーナーが会社にあっても良さそうに想うようになったのも、ニシミネさんと出会ってからで、珈琲で地域の活性化をいしている人として、最近、テレビにも何度か出演していて、写真の焙煎機は70年前のフジローヤルの焙煎機らしく、老舗の珈琲専門店のあらたのアプローチを垣間見る想い。

  

自宅のリフォームにあわせて、15年ぶりに、液晶テレビを買って、テレビ設置用の家具を作り、壁掛け設置する作業を、うちの協力会社で電気工事を担当してもらっているMK電気のカヤくんにお願いしたが、最近は、LANケーブルや、HDMIケーブルを2本も3本も仕込んでおく必要があり、その配線のための配管スペースがそれなりの大きさが必要で、新しいテレビには、HDMI端子が4つある機種もあって、HDMIケーブルの頭がそこそこ大きく、3つも4つも先行配管するのが、大変な作業だと知る。

偶然にも、サッカーワールドカップが始まった日に設置し、ポルトガルとスペイン戦を大画面で見ながら、職人的なレベルの高いプレーにみとれつつ、ピッチでそれぞれの選手がプレーしている姿を見ているうちに、3、4人がかりで、大型液晶テレビを壁掛け設置するのに格闘している作業がフラッシュバックして、配管スペースとDVD等の置き場や棚の中の配線処理の設計が案外面倒くさい作業なのだと、棚の中を眺めつつ、餃子の職人さんたちも、珈琲の焙煎も、面倒くさいことを、面倒くさがらず、丁寧にするのが、大切なコトなんだと、口の中に、あの餃子の具材の甘みが蘇ってきて、魔法使いのような餃子の職人さんの後ろ姿に刺激をうけた土曜日の夜だった。

仏壇の旅

仏壇を中心に、リフォームのプランを考える。なんていう、そんな発想を持ったことなど、全くなかったが、祖父祖母が亡くなり、親父も亡くなり、母親まで亡くなると、兄弟姉妹が集まって、仏壇に手をあわす機会というのが、それなりに大切なコトだと理解してきて、ところが、その仏壇が、ハレの場としての座敷になく、それは数寄屋の座敷で、床の間はあるが、仏間がない、いわゆる大工と祖父が、そういうちょっと変則的で、カッコエエスタイルが好きだったからだろうが、それで、離れにあった祖父母の寝室だった和室に、仏壇が鎮座していた。

祖父母が亡くなると、寝室だった和室は、仏壇に手をあわすためだけの和室となり、それも離れだったので、廊下を歩いて、敷地の一番奥まったところまでいくのが、ちょっと奥の院的な感覚で、足繁く通うような仏壇とはなっていなかった。そのうえ、父も母も亡くなると、母屋は無人となり、しかもその母屋に仏壇がなく、離れにあり、なんというか、母屋は空き家な状況で、お正月に、ハレの場としての数寄屋の座敷に、家族でお屠蘇をするためだけの母屋になり、ましてや、私の兄弟姉妹が集まり、先祖に感謝するような雰囲気の「家」ではなかった。

このまま母屋は、永遠に空き家のままになってしまうのか…..とおもっていたら、長男が、東京から帰ってきて、木村工務店に入社し、結婚もし、同居して住むという、いままで、全く、考えた事も無いチョイスが、ハプニングのように降って湧いてきて、それなら、同居しつつも、私たち夫婦が、母屋に移り住むという、至極当たり前のような選択肢を模索するようになった。

母屋であるのなら、仏間があり、その仏間が、代々受け継がれていくのが、オーソドックスな日本的で、それなら、この数寄屋の座敷に、なんとかして、仏間を造る必要性を感じ、プランを模索しはじめた。南向きの床の間の一部に、強引に仏壇を置くという手法もあるのだろうが、それは、建築的な美意識からすると、良しとは出来ず、ならば…..と考えると、東向きに片引き襖戸があり、その一部を改修して、仏間を造るのが、この数寄屋の座敷のデザイン活かす、唯一のプランに思えてきて、ところが、その仏壇を置こうとする丁度その位置に、2階に上がる階段があり、仏間を造るのなら、階段を撤去して、新たな位置に階段を付け替える必然性に迫られた。

「減築」というコトバが、「増築」というコトバ以上に、格好良い響きになってきたのは、ここ数年のことだとおもうが、2階建ての住宅の2階を撤去して、平屋にするというコトに、ほんとうにメリットがあるのかどうか。それは、おいおい判別されるのだろうが、我が母屋は、階段を付け替えるプランを考えるより、階段を撤去したついでに、2階も撤去する。という減築をチョイスすることにして、母屋には、保存した座敷に、仏間が配置され、リビングキッチンをリニューアルし、ダイニングは大人数で食事ができる大テーブルが配置されることになって、離れが私たちの寝室になることになった。

離れの仏壇を移動して、母屋と庭続きで、長男夫婦と同居している、私たちの住宅にある和室の客間に、仏壇が仮設置されて、リフォーム工事が開始されたが、うちの大工さんたちが、お客さんの現場と現場の間隙をぬって、施工をするので、まったく職人さんたちが、作業をしない時期が、2ヶ月以上もあったりし、それに、2階を減築する作業が、想定以上に大変な作業で、手間が掛かり、おもうように全く工事が進捗せず、いつしか職人さんたちから、「小路のサクラダファミリア」とあだ名されるようになり、そのリフォームの期間中に、孫が二人も出来て、ひとりめの孫イッケイは、同居の中で、2回の誕生日を迎え、ようやく、3回目の誕生日は、「母屋」でお祝いが出来そうで、そんなこんなで、離れの仏壇は、同居する家の客間に、2年以上も旅をし、そして、ようやく、母屋の座敷に辿り着いたのが、この金曜日の朝の出来事だった。

土曜日。私の兄弟姉妹とその家族が集まって、お坊さんにきて頂き、仏壇の移設を祝う読経が、その数寄屋の座敷に響いて、旅する仏壇に、ようやく居場所が出来た日だった。

クロヨン

クロヨンを見た。先週の社員と協力会社との研修旅行は、立山黒部アルペンルートで、長野県の扇沢駅からトロリーバスに乗って、黒部ダムに到着し、220段の階段を登り、展望台から眺めると、その壮大さに圧倒された。幸い天候にも恵まれて、残雪の残る山々、森、深緑の水面、それらを背景にした、コンクリートの塊。人間の力って凄いなぁ…..と、感動する。

天候のお陰でもあるのだろうが、バスの移動中、プロジェクトX挑戦者たちの黒四ダムを見て、輸送トンネルを造る苦労と破砕帯を突破する諦めない挑戦を見ると、なんとなく目頭が熱くなり、また、コンクリートのダムを造るために、クレーンとバケットでコンクリートを搬送する難しさとその作業量の多さに、凄いなぁ…..とため息をついていたが、そんなビデオを見た後だけに、コンクリートの塊の黒四ダムの背景にある、ものづくりとしてのクロヨンに、心が動かされていたからだろう。

それにしても、コンクリートの造形としても、想像していた以上に、カッコ良かった。ゆるやかなアーチ形のダムの両端に、ウィングが張っているからカッコエエのだろう。ウイングとアーチのダムが接する角が、裾野のように張って広がっていく立体感が、雄大に感じさせるのだろうか。工事が始まってから両端の岩盤でアーチを支える力が足りないからウィングを付けたらしいが、コンピュータで図面を書けない時代に、おもいのほかオーバーハングした3次元的な立体造形のアーチとウィングが造れたのは、設計士や現場監督や職人さんたちの現場力が凄かったからなのだろう。トンネルを掘るひとたちだけでなく、型枠大工や鉄筋工だって、苦労したに違いない…..。

トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェーと、乗り物を乗り継ぎ、雄大な山々の景色とその変化を眺める楽しさ。というか、ただ乗り物を乗るコトそのものが楽しい…..という子供の時の楽しみ方を想い出す旅でもあるのだろう。室堂平で、雪の壁を体験したが、なによりもの驚きは、黒部も室堂平も外国人観光客の多さだった。ここが、こんなに、インバウンド人気なのか!と驚くとともに、「ディスカバージャパン」なんていう古いコトバを想い出した。インバウンドの人気の場所によって、日本人が、日本の良さを見直し、再発見する時代なのだろうか…..。

そういえば、研修旅行の一日目は、黒澤明の夢の最後のシーンのロケ地にもなった、大王わさび農園の美しい湧き水の上をゴムボート進んだが、黒部ダムは、破砕帯の水に苦しめられて、あらこちらで、水が流れる様子を垣間見、「水」とういのが、日本的なキーワードのひとつなのだと、気付かされた旅でもあった。

そうそう、内藤廣設計の岩崎ちひろ美術館も見学したが、美術館に行くと、展示物より、建築が気になり、それが、大事なテーマのひとつであり、この研修旅行の目的なのだが、特別展として、「ヒロシマ」というテーマの展示があり、原爆のコトを書いた当時の作文と、遺留品の芸術的な写真と、絵が、コラボして展示してあった。その展示室を、うちの20代の若い二人の大工が、仲良く一緒に並んで、その原爆についての作文をじっくり読み、なんともいえない表情と立ち居振る舞いをする、その二人の若い大工の姿が、とっても印象的だった。

クロヨンも、クロサワも、若いダイクスも、なんらかのハートに突き動かされて、ものづくりを続けているのだろうな…..。

 

感謝状

ヒョウショウジョウを手渡しで頂戴したのが月曜日のコト。表彰状をもらった記憶を辿ってみると、卒業証書ぐらいしか思い浮かばず、それも高校生の時は手渡しされたのだっけ。とそれぐらいの記憶で、そういえば、小学生の頃は、全校朝礼で、絵が入選し、その表彰状をもらったのが何度かあったような。なんていう程度の記憶で、そうそう、うちで施工した家が、設計者が表彰され、その施工者として、表彰状を頂戴したことが、何度かあったが、肩書きに木村工務店がついていた。

生野税務署の青年部会に、親父からの流れで、なんとなく参加するコトになり、それは、納税協会の事務所を何十年ものかなり前に、木村工務店で施工したという事情もあり、暫くして、専務理事より、租税教室というのがあるので、講習を受けにいって欲しいという打診があって、それも、流れで、な~となく参加すると、その講師の女性が、うちでリフォーム工事をさせて頂いたお施主さんだったりし、そんな偶然も重なりつつ、ある日、生野区の小学校に派遣されて、租税教室という、税の仕組みを小学生に教える授業を1時間持つことになった。

勿論、台本があり、それに従って語ればエエのだけれど、あたりまえながら、高額納税者でもなく、税制に詳しいわけでもないので、「私」が語る、租税の仕組みに、そんなに説得力があるともおもえず、なので、小学生の記憶に残るような授業になる自信が全くなく、その授業の朝には、なんとなく、不安がよぎり、ちょっとした憂鬱もやって来て、そんな心情のなかで、いざ授業をやってみると、台本があるので、それなりの授業として終わってしまうのも不思議だが、それでも、もう、これ一回きりで、辞めにしようと、決意しながら、小学校の校門を出て、自転車で会社に戻るのが、毎回のことで、今年で、3年目になり、それなりに慣れてもきたが、もうこれで卒業。と勝手に決めていた。

そんなさなか。今週月曜日の納税協会の総会の時に、税務署署長から感謝状を手渡しで受けとる。有り難く頂戴しつつも、また、続けてね。みたいな、お願いでもあるわけで、こういうのを皆の前で、お渡しする、仕組みそのものが、良く出来ているともおもうわけで、いわゆる、「褒め殺された」わけであり、いずれにしても、「感謝」というのを、なんらかの「形」で表現されると、悪い気はせず、じゃぁ、来年もやってみるかぁ。みたいな心情になってしまうのが、心の有り様なんだろう…..。

さて、本日27日日曜日と28日月曜日は、社員と協力会社による第62回研修旅行です。毎年のように、50人ほどでのバス旅行の予定です。電話連絡等がつかない場合もございますが、ご理解賜りますようよろしくお願い致します。

その日その朝その昼その夜その深夜。

日曜日。早朝に目が覚めて、久しぶりに自転車に乗って、十三峠からフラワーラインを抜けて、信貴山の朝護孫子寺の境内に立つと、大和盆地の屋根屋根が朝日に照らされて、キラキラして、とっても美しく、暫し見とれる朝だった。葡萄畑を通過し、三郷の方に降りて、モーニングが食べられるカフェに立ち寄ると、生憎の休業で、スマホからホームページを調べると、家族との時間をとるために、日曜日を休業にするという。そりゃ仕方ないね。なんておもえたりするのが、最近の働き方改革の影響なのだろう。誰もが、どんなライフタイルで、どんな働き方で、仕事と家族と遊びをバランス良く両立させて生きていくのかを悩む時代で、二兎を追う者は一兎をも得ず、なんていう諺が常識のように機能し、躊躇していたことが、大谷選手のように、二刀流として活躍できる可能性を模索するような時代で、さて、このカフェの家族は、どんなライフスタイルになっていくのだろうかね…..。

昨夜はとっても寒く、布団にくるまるようにして寝たので、今朝も少々肌寒く感じながら自転車に乗ったが、お昼からは、半袖で過ごせる心地良いエエ気候になって、そんな陽気のなかで、造園のイエタニさんによる、プランター台を製作するワークショップがあり、そのデザインを大手のインテリア設計施工会社で、デザイナーをしている、「まちのえんがわ」の隣に住む、通称サッチーが担当した。こぢんまりしたワークショップだったが、出来上がった作品に、参加者の誰もが笑顔になる姿を見て、少人数故のアットホームなワークショップの良さを再発見した心地良いお昼だった。

夕方からは、加工BARで、ワークショップ後の懇親会を開いたが、イエタニさんの呼びかけで、ワークショップとは関係なく、80人ほどの多くの人が集まって、あれやこれやと懇親を深め、リラックスして楽しめる夜となった。それにしても、ほとんどが、ものづくりをしている人達で、また、頑張ろう!っという、そういう集まりになるのには、何が影響するのだろうかね。集まるきっかけ、呼びかける人、手伝う人、楽しむ人、場、気候、天候、それぞれの事情のタイミング。それらが、バランス良く組み合わさった、「いまとここ」だったからだろうな…..。参加頂いた、皆さん、ありがとう!

そうそう、こうして、その後のブログを書き出してみると、ある瞬間に眠っている「私」がいて、そんな、その日その朝その昼その夜その深夜だった…..。

 

セッション

 

生野区のものづくり百景を担当している行政のタケダさんが、生野区で、ものづくりをしている若い人達に呼びかけて、私もパートナーとして、お手伝いしながら、「ものづくりセッション」という「遊び」を、木村工務店の加工場で催すことになって、その3回目のセッションが、昨日の土曜日だった。実際に工場を持って、ものづくりをしている人達だけでなく、デザイナーとか、デザイン学校の先生、建築家、コンサルタント、ファイナンシャルプランナー、写真家、大学教授、生野区のコミュニティーの方々、などなど、ものづくりに関わるいろんなひと30人ほどが、一緒にテーブルを囲む。

毎回3人ほどの、ものづくりをしているひとたちが、自分たちの技術をパワポイントでプレゼンし、皆さんに、どうおもいますか!この技術、この製品、どこかで使えませんか!っていう問いかけに対して、あれやこれやと、意見を言ったり、アイデアを提供したりしながら、縁側的で、曖昧で、雑な、コミュニケーションを繰り広げるのだけれど、その場で、激しく意見を戦わせるわけでもなく、結論のようなものを導き出すわけでもないが、何度か続けてみると、なんとなくのコミュニケーションが潤滑油になって、その後に、ものづくりをする人と人が結びつき、それが、それぞれにとっての、新たな、ものづくりへの挑戦のきっかけになったりし、この人とこの人が結びついて、こんなのが出来ました!なんていう報告も生まれてきて、そんなのが、ちょっと、ワクワクして、楽しい。

なんとなく、技術と技術が結びつくのだ。と考えていたが、こんなセッションというかワークショップをやってみると、小さなものづくりでは、まず、人と人が好意的な感情で結びつくことで、その人に寄り添っている技術とある人が携えている技術とが、融合しはじめたりするわけで、技術と技術を融合させるエネルギーが人と人との愛なのだ。なんていうのは、ちょっと大げさすぎるのだろうが、なんとなく、人と人とのものづくりに対する愛情関係が必要だな…..と、そんな気分にさせてくれるのが、この、ものづくりセッションの面白さなんだろう。

確かに、建築でも、設計士と、現場監督と、職人さんと、それぞれが、建築というものづくりに対する好意的な愛情関係がないと、エエ建築にはならないのと同じだな。と、それなりに、反省する。

そんなわけで、それぞれの参加者が、その後の懇親会を楽しみにしていて、うちの加工場BARで、総務のとんちゃんが中心となって、お総菜を用意して、セッション終了後、2時間ほどウダウダガヤガヤと話が続き、それが、それぞれが、ものづくりをするための好意的な気持ちを育む「場」となっているのだろう。30代の2代目3代目の若い人達も多く、その後、3次会4次会と続くようで、私も、そんな勢いに引っ張られながら、いつものように、ものづくりの工場を廃業し、BARとしてリノベーションして、営業している秘密基地ソケットで、延々と話が続くのが、いつものことになってしまい、4次会組と再び合流したりしながら、深夜明け方近くまで、話題が続いた。

 

激しい雨が降った今日の日曜日は、相談会の日だったが、久しぶりに、参加者がなく、前日の「ものづくりセッション」の3次会が明け方まであったので、それはそれで、良かったような、寂しいような。ただ、土曜日に、建築予定の二組の方の、ファイナンシャル相談が、集中し、生野区の「空き家カフェ」や「ものづくりセッション」にも参加してくれている、ファイナンシャルプランナーの和田さんが、長期優良住宅やフラット35Sなど、銀行ローンの説明を含めた、個人相談を催した土曜日だった。それで、これからもファイナンシャルプランナーの和田さんによる、住宅資金に関する個人相談を、定期的に実施する予定で、住宅を建てるための資金計画で、躊躇されている方は、よろしければ、ご参加下さい。

住宅のプランニングの打ち合わせや、ファイナンシャルの相談も、いわば「セッション」とも呼べるわけで、ミュージシャンが、セッションを繰り返す中から、技術やアイデアを育むように、そんなさまざまな、「ものづくりセッション」が、いろいろな形態で、続けて行ければとおもう。

「ゴールデンウィーク」と「まち」

ゴー ルデンウィーク前半。しまなみ海道に小学校の同級生と自転車で島々を巡る。29日はとびしま海道へ。信号がほとんどなく、左手に海と島々と橋を眺め、小さな岬を何十回も回り込み、向かい風に抵抗されながら、淡々と走る。島々を8の字を描いて一周ぐるっと回り、御手洗の町で、穴子飯を食べ、珈琲飲んで、ゆっくり過ごす。かつて、潮待ちをする船乗りが、待機しながら遊んだ港町は、伝統建築と洋風建築が入り交じり独特の文化があって魅力的。これで3回目で、洋風な板張りの外壁をブルーに塗った散髪屋さんの前で記念写真を撮るのが定番になってしまったが、それにしても「まち」の文化とういものが、何の影響で生み出され、衰退していくのか、いつも考えさせられる「まち」

   

30日は、日帰り参加の同級生二人と合流し、4人で、生口島からたたら大橋を渡って大三島の多々羅しまなみ公園へ。橋を戻って、生口島を自転車で巡る。耕三寺の拝観料が1400円で驚く。京都のお寺でもそんなにしない。門から見える五重塔が、本堂の前の正面にあって、建物と建物の余白が少なく、凝縮してお寺が建っていて、ちょっと異質な配置計画と、ちょっと派手な色彩。個人で建てたそうな。門だけくぐって暫く休憩し、ドルチェにアイス食べに向かう。相変わらず流行っていて凄いな。生口島から橋を渡って因島へ。大出たばこ店で因島お好み焼き「いんおこ」を食べる。お店に入って、座ったその時、テレビから、向島に逃げていた脱走犯が、広島で捕まりました!という報道が流れる。同級生4人と囲む鉄板の上のお好み焼きと事件報道。こんなシチュエーションが記憶に残るのだろう。それから、フェリーで弓削島に渡って、ゆめしま海道へ。とってもエエ天気で、のんびりした空気感が漂う島。時間の流れが違う感じ。大阪に帰りたくない気分やわ!と同級生が呟く。定年を控えて、それぞれが、それなりに、悩んでいる。自転車に乗りながら、流れていく景色。島々、海、港、集落、橋、人、青空、雲、太陽、景色の流れと共に、時折、人生を考えさせる、思考も一緒に流れる。そうそう、新名神が開通し、宝塚付近で、全く渋滞がなく、それが、なによりもの驚きだった。

   

5月3日の夕方。同居する長男家族と奥方とで一緒に、神戸港からサンフラワーのフェリーに乗って大分へ向かう。長男が、連休中に講習会を受講するらしく、長男の奥さんと孫二人は、ゴールデンウィークをどう過ごすかと迷っていた。私たち夫婦は、リフォーム中の家が、連休までには、完成予定で、引っ越しと片付けの予定だったが、他の現場で作業をする大工さんの予定が終わらず、当然ながら、うちの家は、後回しになり、連休の予定がまったく空白になってしまった。それで、長男抜きの長男家族とうちの夫婦とで、有田の陶器市に、食器を買う弾丸ツアーをしようという事になった。今まで二回、有田陶器市に行ったが、どれも良い想い出だった。5月2日に、インターネットでフェリーの予約サイトを調べると、大人3人と幼児2人が泊まれる4人部屋が一つ偶然空いていた。

九州にフェリーで行くのは初体験だったが、乗船してすぐに食堂に行くと、順番待ちの長蛇の行列で驚いた。30分近く並んでようやく着席する。意外と、この年になっても、バイキングになると、食べ過ぎてしまう、その心のありようが、情けなくもある。お風呂もいっぱいで、早々に寝る事にして、2歳の孫イッケイと、2段ベットの上で一緒に寝るが、すぐに女性二人の寝息はしてきたが、コウフンするイッケイは寝付くはずもなく、仕方ないので、探検と称して、フェリーのなかをウロウロする。デッキは風が強く、真っ暗で、鉄扉を開けた途端、お化け屋敷に連れ込まれるかの形相で、手をぐぃーっと引っ張って立ち止まて、怖い!と呟やいた、その姿が印象的だった。4人部屋の二段ベットの高さの寸法とか、ベットとベットの間隔とか、ステンレスの大きなRのついた窓とか、船のディテールはよくできているよな…..。

朝風呂に入り朝食のバイキングを食べて、大分港から車を出発したのが、午前6時30分頃だったので、有田には午前9時前に到着でき、渋滞も少なく、駐車場はまだ空いていた。有田駅近くの商工会議所の駐車場に駐めて、上有田まで、歩くことにしたが、晴天、5月の陽気、歩行者天国、何十万人もの人出、賑わいがあっても、道幅もあり、心斎橋より空いていてプレッシャーが少ないのがエエ感じ。集落の間から山も見え、電車も平行して走り、どちらかといえば、ヨーロッパの街歩きに近い感覚で、なんとなく好きだな。カートとかリュックとか、3度目なので、準備万端で、なんだかんだ買うが、途中、キリムの店をみつけ、アフガニスタンのキリムを3万5千円で手に入れる。というのは、新しく造ったデッキに、キリムを敷いて、ロースタイルで、ゴロッと寛ぐのが、最近のお気に入りのスタイルで、いろいろ物色している最中だった。なので、陶器に費やす予定のお金がキリムになってしまい、何点かの珈琲カップを諦めた。そうそう深川製磁の新作のコーヒーカップなどは、モダンだったりし、先日の歌舞伎のごとく、伝統ある組織の努力を垣間見た感じ。

夫婦二人ならそのまま大阪に帰るかもしれないが、幼児の孫二人がいるので、フェリーの予約後、博多のホテルイルパラッツオを予約した。とりかわ宝屋で、鳥の皮を食べ、屋台で豚骨ラーメンを食べる。ビルと川の狭間の道に屋台という建築が挿入される夜の博多のまちの雰囲気は確かにエエよな…..。そうそう、ホテルは、アルトロッシの設計らしい。レストランの天井の黒い仕上げが格好良かったが、それより、朝食が、おもいのほか美味しかったのに、意外な満足感があった。

        

5日の大阪への帰り道。下関の唐子市場でお昼でも食べて帰ろうかと相談してると、高速道路の降り口からビッシリ渋滞していた。それで、即興的に、広島で、原爆ドームに「参拝」し、お好み焼きでも食べて帰ろうということになり、渋滞の行列から逃れ、山陽道で広島に向う。広島の原爆ドームと平和記念公園周辺の雰囲気は、独特の空気感で素晴らしい。ちょっとベルリンを想い出した。丹下健三の平和記念資料館の本館が改装中で、あの素晴らしいピロティーに工事中のバリケードがあったのが、とっても残念だったので、話題の折り鶴タワーに向かう。カフェでアイスクリームと珈琲を飲み、休憩がてら、屋上展望台が、大人1700円もして、そんなお金出して、展望台上がるん!と、奥方も長男の奥さんも躊躇ったので、いや、もちろん、建築をやってなかったら、登ってないのかもしれないが、そこは、ちょっと、男気だして、俺、出すよぉ!っと、エエ格好してみた。

展望するのに、大人3人分5100円、幼児二人タダ。というのは、ビックリする価格だが、建築的には、体験をしてみる価値は充分にある「広場」だった。皆が、人工芝の上に寝っ転がり、寛いでいた。なんとなく、だれもが、幸せそうな雰囲気だったので、イタリアの広場を想い出した。広島のまち、川、原爆ドーム、平和記念資料館を俯瞰して見下ろす広場。戦争と平和のことを俯瞰する広場でもあるのだろう。デンマークの公園の地下で見た、設計の三分一さんのインスタレーションは、日本人として誇らしく思えるような素敵な空間だったが、この屋上展望台のひろしまの丘も素敵だなぁ…..。

 

大阪に帰る前に、折り鶴タワーのカフェで、しまなみ海道での定宿LINKの女将に連絡をとって、お兄さんが営むお好み焼き屋さん「もみじ」を紹介してもらう。パリパリの焦げがついた麺が香ばしい広島風のお好み焼き。大阪のお好み焼きに慣れ親しんでいるが、これはこれで、とっても美味しい。ひょんなことから福岡と広島のそれぞれのまちの、中州の文化と味を垣間見た一日になった。

それにしても、ブラタモリのごとく、それぞれの「まち」が持つ魅力と文化の、根源が、面白いのだろうな…..。

歌舞伎。

今週の火曜日。歌舞伎のワンピースを見る。ある日、奥方が、同級生のクンメから連絡があって、歌舞伎の最前列と4列目の席が手に入るらしいので、一緒に見に行くぅ。と聞いてきた。スケジュールが空いてるなら行ってもエエけど…..と、どうしても行きたい訳ではないが、でもチャンスがあるのなら、一度は体験してみたい…..ぐらいのニュアンスで返事をすると、サイボーズで共有されているスケジュールを見て、4列15番の席が取れる日に、券を手に入れたから、その日、打ち合わせを入れたらアカンで。と念をおされた。

午後3時すぎ、家に戻り、着替えをする。どんな服を着ていくのか。男性のドレスコードがあるのか。歌舞伎初体験なので、まったく判らず、ネット調べると、なんでもエエような事が書いてあったが、女性は着物を着たり、ちょっとお洒落をするらしく、それなら無難に、ちょっと遊び着ぽい紺の薄いストライプのスーツにノーネクタイのシャツで行くことにした。相変わらず、女性は、出かける前に、バタバタして、服を着替え、これで似合っているかどうなん?!と聞いてくるので、それでバッチリエエよ!と決まり文句として応えると、ほんとに真剣に見てるん!と怒られながら、別の服に着替えたりして、それやったら、聞くなよぉ!的、ルーティーンを繰り返し、いつもギリギリかちょい遅刻が定番。

午後4時すぎ、雨の松竹座前に着くと、傘越しの人の群れの向こうに「ワンピース」の看板があり、そうか、えっ、今日見るのはワンピースなん?一瞬、初の歌舞伎がワンピースなのかと違和感を感じたが、そんな戸惑いに間髪を入れず、それより、弁当何がエエ?と聞かれたので、お任せするわ。と応える。休憩の合間に弁当を食べるらしく、弁当を注文したあと、最前列の席が取れた日は、サプライズに「ゆず」が来て歌ったらしいで、残念やったね。という。歌舞伎にワンピースだけでも驚きだが、歌舞伎にゆずが、全くピントこず、母親に連れて行かれる子供のような感じで、エスカレータに乗って、会場に入った。髪を結い着物を着た若い女性二人を連れたレオン風のスーツ姿のオジサンがいて、へぇー、そうか、こんな遊び方もあるのか。とちょっと憧れてみたりした。

4列15番の席に着くと、袋に入った雨合羽が、席に置かれてあった。全く意味不明で、歌舞伎鑑賞に合羽がなぜ必要なのか判らなかったが、着席し、奥方から歌舞伎のレクチャーを受けて、だんだん、今日の起こる出来事を少しずつ把握してきた。回りはほとんど女性ばかりで、根っからの歌舞伎ファンな雰囲気がぷんぷん漂い、というよりコンサートぽい雰囲気だった。椅子に静かに座って、開演を待つと、最前列に、先ほど見た若い着物女性とレオン風スーツのオジサンが座った。

4時30分から8時30分の4時間、休憩を3回挟みながら、圧倒的なエンターテイメントな歌舞伎に魅了された。オーソドックスな歌舞伎を見た経験がなく、いきなりキワモノの歌舞伎を見たことになるのだろうが、その歌舞伎の所作と服装に魅了された。

「歌舞伎」という芸能名の由来は、「傾く(かぶく)」という動詞にあります。この動詞には、並外れている、常軌を逸しているという意味があります。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、当時の流行の最先端を行く奇抜な服装や髪型をし、世間の秩序に反して行動する人々は、「かぶき者」とよばれました。歌舞伎の歴史は、出雲の阿国(いずものおくに)の「かぶき踊り」にまでさかのぼることができますが、このよび名は当時を象徴する最先端の「かぶき者」の扮装を舞台上でまねたことによります。ここから、「かぶき」とよばれるようになったのです。

どの服装も斬新で格好良かった。こんなん考えるの楽しいやろうな…..悩むやろうな…..と製作者になりたい気分になる。舞台で見た、歌舞伎の所作の特徴的な表現は、引き抜き、宙乗り、立ち回り、六方、見得、というらしく、いま知ったが、ワンピースというモダンな内容とオーソドックスな歌舞伎の表現の融合が、面白いのだろう。あるシーンでは、宙づりになった役者と一緒に、皆が立ち上がって、タンバリンを叩いて、コンサートのいように踊った。孫のためにタンバリン買ってあげるわ!というのは口実で、奥方も、立って、そのタンバリンを叩いて、踊っていた。その曲が、ゆずなんだ。この時、サプライズで登場したら、確かに、皆、コウフンするだろうな。

2回目の休憩の合間に、合羽を着ることを促された。舞台に滝と池が表れ、役者が踊りながら、水をいっぱい飛び散らせて、会場にばらまかれた。前の席のおばさんは、合羽を着ず、水を浴びるのを欲して、水が掛かるたびに喜びの歓声をあげていた。あるシーンでは、沢山の紙吹雪が天井から舞い散って頭が白くなった。笑いもあり、泣きもあり、伝統的な表現とモダンな表現が合わさって、あらゆるエンターテイメントが含有されていて、こんな伝統的でモダンでエンターテイメントな「建築」を造ってみたいものだとおもった。

私の初歌舞伎は、マイルスディビスを知らないひとが、初めて聴いたアルバムが、クッキンやカインド・オブ・ブルーやフォー&モアーなどのジャズらしいレコードではなく、イン・ア・サイレント・ウェイとかビッチャズブリューも通り越し、オンザコーナーだとか、パンゲアだとか、そんな感じなのか。いや、ウィ・ウォント・マイルスやTUTUなのかもしれない。と途中の休憩の時間にお弁当を食べながら、そんなことをおもった。今度はオーソドックな歌舞伎を見たいものだと、素直にそうおもえた、歌舞伎な夜を過ごした。

さてさて、木村工務店のゴールデンウィークは4月29日30日の連休のあと、5月1日2日は通常営業をし、3日4日5日6日と連休です。皆さん、素敵なゴールデンウィークを!

ゴルフコンペ

先週。空き家カフェがある4月19日に、協力会社とのゴルフコンペをダブルブッキングをしてしまい、空き家カフェのファシリテーター役を代わってもらうという失態で、そういえば、ゴルフコンペの日程調整の時、なんとなく気候の良いエエ日取りだと、OKした記憶があり、19日という生野の日に、毎月開催している、空き家カフェの事をすっかり失念していた。

今回の協力会社との精親会ゴルフコンペは95回目になり、祖父の代から続くこのコンペに、伝統があるというのも、エエのかどうか、微妙な気持ちもあるが、それでも、協力会社のゴルフ好きのメンバーが楽しみにしている会であり、私もここ10年ほどは、年に2回のこのゴルフコンペ以外にプライベートでゴルフすることもない状況なので、平日開催の今回は、開催する前は微妙な気持ちになるのだが、終わった後は、ゴルフの成績は惨憺たる結果にもかかわらず、開催して良かったと、毎回感じるのも不思議と言えば不思議な心情で、そういうのが、協力会社とのゴルフコンペの魅力なのだろう。

今回は、協力会社の会長職に就いている、グランドシニアになる、83歳の方が二人と76歳の方が二人の4人のひと組が、私が回る組の、前の組として、参加してもらった。そういう、30代から80代までの人が、同じスポーツを通して、親睦でき、なかなか会う機会がない方々と、久しぶりに、一緒に会食を共にできるのが、ちょっとした魅力でもあるのだろう。

そういえば、昼からのロングホールで、ドライバーが、そこそこフツウに飛び、2打目をスプーンで、ダフってしまい、3打目はグリーンまで残り230ヤードもあり、前のグランドシニアーの組みは、グリーンでパターを始めるぐらいの状況だった。一緒の組で回っているシングルハンディーの香山土木のカヤマさんが、シャチョウ、右の肩がツッコミすぎていて、右手を使いすぎやから、70パーセントぐらいの力で、軽く打ったらどう!っとアドバイスしてくれた。

ボールはラフにあり、スタンスがカート道に立つ状況だったが、なんとなく、ボールの高さが、ティーアップしたぐらいの良い感じだったので、そのスタンスのままスプーンで打つことにした。キャディーさんも、私も、皆も、今日のいままでの私のゴルフからして、200ヤード飛べばエエ方だろうとお互いに感じていたに違いない。それが、ショットをすると、アドバイスのお陰で、体がスーと回り、クラブが綺麗に降り抜けて、ナイスショットの掛け声とともに、まっしぐらにグリーンに飛んでいった。ちょと心地良い感覚と嬉しい感覚が体に込み上げてきたが、それが、そのままグリーンに直接3オンで乗って、パターをしているグランドシニアー組の間を抜け、グリーンの奥まで、打ち込んでしまった。

危ないぞ!打ち込むな!みたいなジェスチャーで、グリーンでパターを見守っているグランドシニアーが、こちらに向けて手を挙げて、たしなめた。私は、エっ、スプーンで240も飛んだん!、グリーンに乗ったん!というショットの嬉しさより、打ち込んでしまったという、申し訳ない気持ちで、そのまま、駆け足で、グリーンまで駆け寄り、皆に謝罪した。幸いにも、誰かにボールが当たることもなく、同じコンペのメンバーでもあり、私の立ち位置という事に対する配慮もあり、寛容な態度で接して頂いたが、ドキッとする出来事だった。ゴルフ終了後の懇親会では、その事がエピソードとして話題にもなり、グランドシニアーの方々の笑顔に助けられるという出来事とともに、そんなこんなが、ゴルフコンペの持つ魅力でもあるのだろう。

さて、夏日のような、とっても気持ちの良い天候の本日の日曜日は、絵本作家の谷口智則さんによるワークショップがあり、これで6回目になる谷口さんのワークショップだったが、ここ最近は、参加者が描いた絵に、谷口さんが、絵を書き足す。というシリーズが、数回続いており、それが、参加者と谷口さんの、いわゆるコラボレーション的な作品になって、毎回、おもいのほかエエ出来映えになり、参加者と一緒に笑顔でワークショップを終える。

今回も、谷口さんは、22組みのそれぞれの参加者の個性に応じて、即興で、1人ずつに対して、丁寧に絵を描き、4時間ほど、座ったまま、集中して、皆のために絵を描き続けている、その姿は、大喜利で即興で回答を生み出す落語家のようでもあり、音楽のセッショで、参加者とコミュニケーションをとりながら、即興演奏を延々と続けるミュージシャンのようでもあって、ものづくりに対する、その真摯な姿に、毎回、エネルギーをもらう、ワークショップでもある。

 

  

それぞれが、自分の作品を作るために、集まって、一緒に作業をするワークショップの姿は、ゴルフコンペのようでもある。と思えたのは、たまたま同じ週に重なったからなのだろうが、それにしても、同じ体験を共有するというコトに、さまざまなエピソードがうまれ、笑顔がうまれた、そんな週だった。

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