YouTube的

 

久しぶりにスキーに行くと、斜面やコブなどを滑った身体的感覚が残像のように残っていて、そんな感覚のまま、何気なく、YouTubeを見ると、スキーを滑るビデオ映像が沢山あるコトに今さらながらに知って、それに、新しく購入したたテレビは、YouTubeをフツウに見ることができるので、もはやソファーにゴロンとなりながら、テレビ感覚で、大画面のスキーを滑る映像を眺め続けていると、コブはこう滑る…..みたいな山ほどあるビデオが次から次へと流れて、それに身体の足首や膝や腹筋や腕が微妙に反応し、今週も行きたいなぁ…..、なんていう身体的感覚として欲してくるわけで、シニアな世代が滑っている映像も沢山流れて、気が付いたら深夜になっていた。

車の走行距離が22万キロを突破し、エンジンもしんどそうで、そろそろ買い換える時がやってきて、そうすると、YouTubeには、車の試乗映像が、メチャクチャいっぱいあるわけで、プロのレポートより、ユーチューバーのレポートの方が圧倒的に面白く、参考になるので、すっかり試乗した気分になって、こうなったら、実際に試乗することなしに、購入してみようかとおもうのだけれど、そんなので、エエのかどうか(笑)そうそう、そういう車の試乗レポートに関連付けられて、車中泊みたいな映像が、次の映像として流れて、それに紐付いて、さまざまなリアルな車中泊の映像が、見れたりするのが面白く、ワタクシタチ家族も、子供達が小さい頃は、何十泊と、いや百泊を超えているかもしれないが、車で寝たりしながら、スキーやキャンプや旅を楽しんだのだけれど、ここ5年以上遠ざかると、あっ、いま、こんな道具あるのか…、こんなやり方があるのか…、みたいなコトに感心させられて、気が付いたらまた深夜になっていた。

気軽にビデオが撮影出来、気軽にSNSでアップ出来、気軽にその映像を視ることが出来る時代なんだと、今頃、あらためて認識して、こんな映像に刺激を受けて、その欲求の満たし方が、今までとは、微妙に違うスタイルに変化していくのだろし、昔は、雑誌や映画に刺激を受けていたのだろうが、YouTubeの映像には、リアリティーというか、生身の人間性があって、より個人的な趣味の分野で、それぞれの共感を得て、道具を買ったり、その場所に出向いたりするのだろう…。

今日は住宅相談会があった日曜日で、午前中のAさんは、奈良で、ちょっと特殊な状況の土地を購入するか検討中で、前回から1ヶ月後の今日、たたき台案としてプレゼンをしたのだけれど、最近は、若いスタッフが、BIMといわれる、建築系のソフト、アーキキャドの3D画像で、ウォークスルーをしながら表現できるようになって、土地と周辺建物との関係性も含めて、ヒトの目線として、中からも外からも、それなりにリアルな感覚で、眺めたりし、部屋に入った気分で、イメージを確認しあっていると、あらためて、シゴトの分野でも、映像で、感覚を共有しながら、打ち合わせをする時代になってきたなぁ…と感じた。

3Dな表現が出来る道具を、気軽に上手く使えるようになるのが、これから求められているスキルなんだろうが、人気のある映像を見ると、技術より「センス」が良いヤツなんだと、いまさらながらにおもうわけで、「センスを磨く」なんていうことが、教育としても求められているのかも…と、沢山の映像を見て、このブログを書きながら気付いた、日曜日の夜だった。

マゴを誘ってスキーに行こう!

スキー場で過ごす連休の日曜日。2年ほどスキーから遠ざかると、あの白銀の世界のなかで、斜面の凹凸に身を任せながら、斜面を降下した時の、あの身体感覚と気分を、思い起こしたい衝動にかられる時があって、さりとて、スキー場まで行くのがとっても面倒だし、なんといってもスキー靴を履くまでが、また面倒な準備で、連休や日曜日のリフト待ちの混雑も面倒だし、食べるところも、ざわざわして落ち着かないし、なんといっても息子達が成人すると、一緒にスキーで遊ぶ友達を失った気分で、お正月の家族スキー旅行以外は、スキー場に行くことから、かなり遠ざかっていた。

長男家族との完全同居から、庭を隔てた同居に移行して半年が過ぎ、マゴとの関係性も、毎日のように遊びにやってくる、ちいさな小さなオトモダチが、二人できた気分になってきて、このお正月に、長男の奥方の実家がある福島県にマゴ達が帰省し、スキー場で、雪と戯れるマゴのビデオを見ると、そうそう、マゴを誘ってスキーに行こう!という衝動が持ち上がってきた。

この2月の連休を逃すと、スキーに行けそうなスケジュールを都合できそうにもなく、それで、日帰りを予定してみたが、駐車場が混雑し、ゲレンデまで遠くなるのは、マゴ達のコトを考慮しても、この私の歳を考慮しても、最悪な状況に陥りそうで、当然、マゴ家族4人と夫婦2人の6人が前日夜出発の車中泊など問答無用なわけで、そこで、駐車場がすぐ近くでファミリーが遊べるゲレンデとして、ハチ高原スキー場を想い出し、ゲレンデ前のホテルをインターネットで調べると、残り一個にギリギリ滑り込めたのが10日前の出来事だった。

そうそう、昨日は、木村工務店で、初午祭という、豊作を祈る伝統行事があって、おもに90人ほどの職人さんが集まって、会社にある、お稲荷さんを神事したあと、私が30分ほど話をし、そのあと飲んだり食べたりするのだけれど、良いものづくりができるようになるためには、コミュニケーションを円滑にする必要性に迫られるわけで、言わば、スムーズなコミュニケーションをするために必要な「潤滑油」を作くりだし補充するのが、この職人さんと催す初午祭なんだろう。

土曜日の夜遅く初午祭が終了し、翌朝の日曜日は、流石に、起きる時間が遅くなり、出発は午前8時をすっかり回っていたので、連休のスキー駐車場渋滞もあって、6人と荷物と大騒ぎでギュウギュウ詰めの車が、スキー場に着いたのは、お昼になっていた。リフト待ちも20分近くあり、若い頃なら、ほとんど滑れない一日を、もったいなくおもって、イライラしていたのだろうが、歳を重ねると、そんなに本数も滑れないし、なによりも、いままだ3歳と2歳のマゴと、いつか一緒にスキーが滑れる日がくるための、準備期間のようなものなので、ゆったりと数本滑っただけで満足した。

学生が合宿に使うようなゲレンデ前の宿で、修学旅行のような雰囲気の食堂で鍋を食べ、14畳ほどの畳の部屋で、6人で布団を敷いて寝る雰囲気は、子供の心を興奮させる何かがるのだろう。布団に寝転がりながら、このブログを書く、両横に、マゴ2人に挟み撃ちにされ、想い出したように、興奮して走り回る2人に、ハハとバアバが、静かにしなさい!と、なんだか懐かし~い響きを発し、突然、ゼンマイのねじが切れたように、コトンと寝たかとおもうと、寝息と寝言が奏でられる、いまとここ。

それにしても、職人さんと、マゴに、新鮮なエネルギーをもらった土曜日と日曜日だった。thanks。

 

オニワソトフクハウチ

今日は節分なのだ。息子達が成長すると、豆まきを一緒に楽しんだのは、随分昔のことのようにおもえてきて、子供達と一緒に恵方を向いて、巻き寿司をかぶりついた恵方巻きを、1本まるまる食べるのが、とっても辛くなってきた年齢の私。そういえば、恵方巻きを大量破棄処分する試算が10億円ほどになるそうだ…と、朝のNHKラジオから流れていた。そんなのを聞くと、商売人の策略にまんまと乗っかっているよなぁ。という気分と、加齢と、子供達の成長の相乗効果で、今日の夕食は、普通の大きさの巻き寿司より少しだけ大きく切った恵方巻きを東北東に向いて、ひとくちだけ食べて、あとは、フツウに、巻き寿司とサンマを夫婦二人で楽しんだ。

そうこうしていたら、隣に住む孫の足音が、どんどんどんと近づいてきて、扉を開くと、豆と鬼の面を持った孫二人と長男の奥さんが現れて、誰もがハッピーになるような子供のあの甲高い声を発して、鬼のお面を手渡された。もちろん、素直にお面を被って、鬼になりきって、孫に、襲いかかる私。嬉し怖しの奇声を発しながら逃げ回る3歳の長男孫。2歳の次男孫は、怖くて泣き出した。カワイイ。豆を巻いて、「鬼は外。福は内。」鬼の面をとって、皆で一緒に笑い合った。そうそう、恵方巻きより、「オニワソトフクワウチ」と季節の変わり目に邪気を追い払う言霊と笑いの方が大切なんだ。きっと。

木村工務店では、こんな感じのホームページを製作し、現場監督を募集中で、この土曜日は、リクナビというネットを通じての、中途採用応募者の面接を4名ほど実施する機会に恵まれたが、そのうちの2名は、連絡もなく、会社にお見えにならなかった…。午後7時から中学校の同窓会がミナミであったので、午後5時の面接の約束時間から午後6時までお待ちしたが、仕方なく切り上げて、地下鉄に乗って、会場まで向う。当時の新生野中学校の同窓生は、よその中学校からの生徒は入らず、東小路小学校の同窓生がそのまま中学校に持ち上がったので、転校生以外は、9年間、ほぼ同じ仲間なので、男女共に、ほんとうにリラックスしたファミリー感覚で、それに、ここ数年は、毎年のように同窓会をやっているので、気軽に友達に会いにいくような気分だった。笑い合って、想い出を語り合いながら、想い出をソトに放り出して、なんとなく、フクワウチなスペースをウチに生みだせるのが、同窓会なんだろう。

深夜まで飲んだにも関わらず、同級生3名は、日曜日の朝から、モーニングを食べに自転車で、富田林まで出掛けたようだが、私は目が覚めなかった。朝、スパー銭湯にいくと、もはやランチの時間になっていて、コメダで珈琲とサンドを食べながら各社の新聞を読む。昨年、新聞をやめてみると、ニュースに不便を全く感じないが、広告欄や書評や論評など、そういうところで、世の中の流れのようなものを感じ取っていたようにおもうわけで、それに、回し読みできるのが面白いコトなのかもしれず、ネットで購読している日経新聞は、奥方と回し読みができないし。半年や1年ごとに、いろいろな新聞を取り替えながら、もう一度、新聞を定期購読してみようか…と、奥方もいう。紙媒体は必要なのか必要でないのか。

世の中の、さまざまな、物事の在り様も、節分のような変わり目なのだろう。子供の頃の、内面にある、オニとして例えられる恐怖心などを、豆まきのオニワソトフクワウチのような言霊を通じて、笑いを通じて、乗り越える術を学んできたのだろうか..。それに、子供たちが、いや私たちも、どんな種類のフクを招くのが良いのか…ともおもう。マゴに、気付かされる、節分の夜だった。

「お餅つき」と「住宅相談会」

「お餅つき」と「住宅相談会」が、土曜日、日曜日と連続した週末。土曜日のお昼からは、毎年恒例の「お餅つき」を開催し、沢山の方々に参加頂いて、この場をかりて、感謝の気持ちを伝えておきたいが、そうそう、日曜日の今朝、目が覚めて、お便所に行くための一歩を踏み出すと、足に身が入っていて、フニャフニャとなって、あれぇ、あっ、これぇ、昨日の、二三回、杵を振り上げて、二臼分ほど、お餅をついて、ソレだなぁ…っと気付くと、歳だなぁ…という、どちらかというと、使いたくないコトバが、脳裏から舌に振動してきて、ぐっとこらえて、声に出さずに呟いてみた日曜日の朝だった。

  

「お餅つき」の面白さは、チームで、力をあわせて、お餅を作るコトなんだろうが、特に、昔ながらのやり方で、お米を蒸すための竈と、お湯を沸かすための竈を使って、火を燃やし続けることが、音楽のドラムのリズムのごとく、ツインドラムとなって、エネルギーをたきつける役目をしてくれて、熱気を周囲に漂わせながら、徐々に気分が盛りあがってくるわけで、杵を振り上げて力強くお餅をつく人と、臼の中のお餅を返す役目の手際の良い所作の、二人の協働作業を通じて、ペッタンペッタンという力強い音と掛け声に刺激を受けながら、徐々に「覚醒」していくような気分。そのあと、アツアツのお餅が、台の上に置かれて、お餅を丸める、女性的な作業が、興奮した気分を鎮めてくれて、ちょっと瞑想的でもあるわけで、なんといっても、そんな、所作を通じて作られた、突きたてのお餅の美味しさは格別で、きっと、滋養強壮エナジーが、トッピングされているのだとおもう。

午後5時過ぎに、ワタシの役目として、最後のお餅を突き終わる儀式をし、参加者の皆さんを送り出し、皆で片付けを終えると、一本締めで、年始のお餅つきを終えるのだけれど、その後も数人が、囲炉裏を囲んで、2次会は続いていて、その様子を眺めながら、会社前の母屋に、ちょっと立ち寄ると、ちょうど、全豪オープン女子の決勝戦が行われている真っ最中で、しかも、第二セットのチャンピオンシップポイントを握ったところだったので、こちらも勝利した気分になってきて、囲炉裏で飲んでいる連中に、勝利の報告してあげようと、一瞬、脳裏をかすめたが、あれよあれよと、ポイントを取られて、第二セットを落とした。奥方は、もぉ、見てられへん!っと、別の番組にチャンネルを変更し、ドギマギしていた。それにしても、テニスって、とってもメンタルなスポーツだな…。

粘り強い勝利に歓喜したが、サタデーステーションでのキャスター石坂浩二が、大坂なおみさんには、沢山の、自分自信を見守るものが、ついたのですよね。みたいなコメントをしていて、そうか、自分自身を見守る沢山の存在を持つ事が、よりよく生きるコツなのか….と、大坂なおみの、場面ごとの仕草がフラッシュバックした。そういえば、今朝日曜日のインタビューでは、第二セットのチャンピオンシップポイントで、勝利する前に勝利した気分になって…。みたいなコメントをしていて、確かに、見ている人まで、そんな気分になったわけで、こういう曲面の、こんなメンタリティーって、小さな物事において、誰にでもある感覚だが、それにしてもこんなに、試合中に、自分のメンタリティーを、観客と共有しながら、気分の切り替えや、我慢強さも含めて、試合を魅せるプレーヤーって、希有だし、黒人の肉体美と日本人のメンタリティーの融合っていうのも、なんだか刺激的だなぁ…。

 

住宅相談会があった日曜日。午前中の、お子さん連れのご夫妻でお越しになったAさんは、生野区在住で、お子さんが幼稚園に通う前に、生駒で、新築を思い描いておられて、駅から近いところにある、ちょっと変則的な土地に興味をもって、持参頂いた資料と、グーグルのストリートビューを見ながらコミュニケーションが弾んだ。「平屋」をご希望で、それならっと、会社向かいの減築リフォームした平屋の母屋を参考にしてもらったが、昨今、平屋への憧れが、ますます増えているような気配。

お昼からのBさんは、男性ひとりでお越しになられて、昨年に、生野区で、建て替えの、狭小間口の3階建てプランと概算見積を提出していたが、その後、ハウスメーカーや工務店を回られたあと、かなりの時間が経過して、再びうちに来られて、弊社のプランが気に行っているので、こんな総予算で、出来ないでしょうか…というご相談で、後日、仕様を見つめ直して、提案し直す事になった。

夕方のCさんは、母と娘さんのお二人で来社されて、生野区の間口2軒の長屋の一階で、店舗を営業し、2階にお住まいで、家族のおひとりが足に負担ができて、店舗を通ってしか、住居にいけない間取りを、店舗を通らずに、道路から直接2階に行ける階段を取り付けることができないでしょうか…というご相談で、構造的変更の問題点が多く、費用対効果の問題点もお伝えし、後日、現地調査をし、一緒にプランを考えることになった。

 

土曜日のお餅つきでは、お引き渡しをした、たくさんのお施主さんにお越し頂いて、つきたてのお餅を食べながら、あれやこれやと、家の話を中心に、四方山話で盛りあがったが、日曜日の住宅相談会では、そのお餅つきでの皆さんのエネルギーのお陰を携えて、打ち合わせに臨めたので、エネルギッシュに対応出来て、「相談」というステップの楽しさを、あらためて共有できたが、実際の「ものをつくる」ステップになると、さまざまな実作業とともに、さまざまな「メンタリティー」が交錯してくるわけで、沢山の見守る存在をもつ事が、よりよいものづくりのコツなのかなぁ….なんて、もろ、テニスの影響。

「空き家カフェ」と「ものづくりセッション」

「空き家カフェ」と「ものづくりセッション」が、土曜日、日曜日と連続した週末。木村工務店的には、土曜日の「空き家カフェ」の準備を、そのまま流用し、日曜日の「ものづくりセッション」に使えたので、社員や職人さんの負担が少なく済んで、それはそれで、良かったが、なんというか、こういうイベント事をやり続けると、な~んとなく、会社としての、本業が、おろそかになるような感じがし、シャチョウとしての立ち位置を鑑みても、躊躇するところもあるのだが…

幸い、「手伝い」という、昔から、大工の手元として、大工仕事以外を手伝う、多能工としての職人さんが、何十年も存在しているのが、木村工務店の伝統で、毎朝7時前には、会社の加工場に出社してくれて、うちの社員よりも先に、「おはよう!」と、手伝いの職人さんや大工さんと挨拶しあうのが、日課というか、ルーティンで、その手伝いさんたちが、日曜日の、ワークショップやイベント事の、遊んだ雰囲気を、月曜日の朝7時頃に、綺麗に片付けて、まるで、何事もなかったように、「シゴト」の雰囲気に、スパッと、切り替えてくれる、そのお陰で、月曜日の朝は、「会社」が、シゴトモードになっているわけで、そうするコトが、会社として当然のコトなんだけれど、それでもやっぱり、この場をかりて、「手伝い」の皆さんに、感謝をしておきたい。

1月19日土曜日の「空き家カフェ」は、拡大版と名付けて、生野区の行政の呼びかけによって、参加者を募り、今まで完成した4件の実例に関わった関係者が、プレゼンターとして登壇し、動画を交えて、実例をプレゼンするトークイベントで、ケンチク系のプレゼンとの大きな違いは、空き家をリフォームした家に住む、「住人」4人自らが、プレゼンターとして、マイクを持って語ったコトで、それぞれが、「まち」と関わりを持ちながら生きていく「居場所」として、「空き家」をリノベーションしたことが、特徴的な出来事で、そんな体験を、参加者の方々とシェアーするイベントだった。

2016年の12月19日から毎月19日に継続して、この3年間ほどの間に25回開催し、実例が4件で、多いのか少ないのかは別にして、「空き家」という、「まち」のお荷物のような存在を、何か新しいものを受け入れる可能性がある「オープンスペース」として、まちの「資源」として、その活用方法を模索する取り組みが、空き家カフェという「コミュニティー」となったわけで、空き家のオーナーと、空き家を活用したい人と、様々な分野のプロフェッショナルのひとたちが、ひとつのテーブルを囲んで、コミュニケーションをすることの、その連続性と継続性が、コミュニティーの核となっているのだろうし、なによりも、空き家をリノベーションした住人が、まちと関わり、持続可能なまちづくりとして参加していこうという事例が生まれたコトが、とっても面白い出来事だったとおもう。

日曜日の「ものづくりセッション」は、おもに生野区に拠点を置く、ものづくりの企業が中心となり、学生も交えながら、それぞれの会社のコトをプレゼンするプレゼンターが、その日の主役で、それに対して、参加者皆で、あーだコーダとファッシリテートし、意見を述べ、学びあいながら、ゆるやかな関係性を築いていくわけで、それは、音楽のセッションのように、ものづくりを語るセッションであり、ちょっと遊びのような、ゆるーい雰囲気が特徴的で。こちらも、生野区の行政の方の関わりが、その扇の要になっていて、夜の懇親会も交えて、ものづくりの好きな、職人気質な人達と、一緒に過ごす時間が楽しい。

「空き家カフェ」と「ものづくりセッション」は、どちらも、生野区の行政の方々が、大きく関わっていて、行政と、いわゆる私たち民間が、補助金なしで、どんな関係性で、どんな協力関係を築いていくかを体験しながら、「空き家」や「ものづくり」を通じて、「良いまち」になっていく可能性を模索しているところが、オモシロイコトで、そんな、ちょっと、怒濤のような週末だった。

しんどたのし

今週から、新年としての仕事が、スタートし、1週間近く休んだ後でもあり、それに、年末には、大掃除をし、会社や倉庫や机回りが綺麗になっているので、なんとなく、会社全体に、心のリフレッシュ感が漂っていたりして、ゴールデンウィークやお盆休暇とは、休み前に、整理整頓と大掃除をすることが、大きな違いで、意外とそんなのが、心のリフレッシュに大きく影響しているのだな。と感じさせるような年始の雰囲気だった。

新春の心のリフレッシュ感はあるのだが、心身といわれる、心と体の一体感としての、体は、少々運動不足気味で、唯一の運動としてのロードバイクも、昨年の10月11月12月の3ヶ月間で、4度ほど、しかも短い距離しか乗っておらず、お正月に、何十年もやり続けていたスキーも、昨年と今年はやらずじまいで、いま思うと、新年の初めに、スキーで、体に負荷をかけることで、「心身」としてのリフレッシュを計っていたようにおもうわけで、3日宿泊した伊勢志摩のホテルにジムがあり、4日の早朝に、自転車を漕いでみたが、初体験だったので、運動になったような、なってなかったような。

そんなこんなで、正月前後の食べ過ぎと、運動不足で、なんとなく、体のフラストレーションがあり、かといって、寒いので、ひとりで、外に出て、自転車で走るメンタリティーの強さもなく、そこで、土曜日の夜に、同級生に、お誘いのLINEをしてみると、ワタシを含めた4人が、同じような心境だったようで、あっという間に話がまとまって、日曜日の朝からライドする。

家を出て、久宝寺緑地から八尾の寺内町を通り抜け、葡萄坂下のセブンで待ち合わせをし、葡萄坂から、のどか村を通って、信貴山朝護孫子寺に参拝する。正月明けで、意外と参拝客が多いのには驚いたが、霞立つ大和平野と山々の眺めが心地良い。自転車に乗るようになってから、一年に数度、信貴山朝護孫子寺をお参りするようになったが、虎の大きなオブジェが、印象的で、聖徳太子が物部守屋を討伐するための戦勝祈願をすると、寅の年の寅の日の寅の刻に、天空から毘沙門天があらわれて必勝の秘法を授かった。とあり、そういうのが、ちょっと不思議な気分にさせるお寺で、本堂に、オン・ベイ・シラマンダヤ・ソワカという、コトバを唱える張り紙があって、それも不思議でオモシロイ。

堅上の方へ下って、猪の檻がある葡萄屋さん横のビュースポットで休憩し、遠くに見えるPLの塔を眺めながら、国分の方へ下る。国分から竹之内街道を登る。日本最古の官道といわれるだけあって、独特の雰囲気があり、自転車を漕ぎながら、時折、古代にタイムスリップし、物資や文化を伝えた人達が行き交う姿が、見え隠れするような、そんな気分にさせてくれるのが、なんともいえず好き。道の駅で休憩したあと、太子カントリーの横を通り、南河内郡の河南町の方へ下って、いちご農家が造る米粉パンの米夢で、ようやく食事にありつけた。


この辺りを走ると、PLの塔が、あちらこちらで、出現し、眺められるのが、好きだが、それにしても、PLの塔の作者は凄いよな。太陽の塔も不思議だが、あのPLの塔ほど、不思議なものはなく、あんなのを、あの大きさのランドスケープとして、作れる勇気が凄いよな。石川と大和川を通り瓜破斎場の横を通り抜け平野から家に帰りついたが、それにしても、「しんどいけどたのしい」新春の初ライドだった。

ルーティン

1月6日日曜日の本日が、木村工務店の初出で、会社3階の会議室に集まって、社員と、年末年始の体験を分かち合い、一年の抱負のようなものを語ることが、新年の始まりで、その後、氏神様の清見原神社で、協力会社の人達を交えて、参拝するのも慣わし。それから、近くの木曽路で、新年会をする。そこで、協力会社の集まりである精親会の会長、岡房商店の岡本さんと、木村工務店のシャチョウとしてのワタシが、年頭所感を述べ、乾杯と共に、新年会が始まるのだけれど、食べて飲んで、酒を酌み交わしたあと、万歳三唱で締めることで、一連の木村工務店初出の「ルーティン」を終える。

6組12人の母と息子

会社の大掃除が終わり、社員や大工さんや手伝いさんと一緒に、加工場で納会をし、食べて飲んで、一年の労を労って、最後は一本締めで、木村工務店の一年を終えるのが、慣わしで、それぞれが、良いお年を!っと、挨拶を交わしながら家路につく姿を見送る事で、シャチョウとしての一年も締めくくる。

木村家の2階建ての母屋を平屋に減築したリフォーム工事が完成し、初めてのお正月休暇を迎えることになって、10人ほどのひとと一緒に食事が出来る大テーブルを作ったことで、奥方が、次男の、高校時代の同級生ママ友6人と、29日の夜に、うちの家で、忘年会をする予定なのぉっと、同意を求めてきて、勿論エエよ!と素直に応えたのだけれど、それが、その息子6人も一緒に集まることになったのぉ!っと嬉しそうに云う。流石に、それには、少々驚いて、母と22歳の息子6組12人が集まって、一緒に鍋を囲む姿を想像し難く、楽しみのような違和感のような微妙な心境の年末の夜の出来事だった。

少し離れたポジションに座りながら、サポート役になるワタシなのだが、想定以上にエエ雰囲気な12人の姿に接しながら、同じ年頃だったワタシは、母と、こんな感じで、一緒に食事が出来る関係性だったのだろうかと、ふりかえさせられて、きっと、なんで、母と一緒に食事せなあかんねぇ!ぐらいの、もっと、斜に構えてた態度だったはずで、母と息子が、お互いに、ぼけたり、突っ込んだり、笑ったりする波動に包まれながら、はにかむように、なんとなく嬉しそうな、母親の姿を見ていると、ワタシの青春時代に反省を迫らせるような50代最後の年末で、なんとなく心洗われるおもいがした忘年会だった。

 

30日に、鶴橋と黒門に、年越しの買い物に行くのが、ルーティンのようなもので、そろそろ、インバウンドの観光客が多い姿や、商店街のなかで食べる場所が増えてきた様子にも、見慣れてきて、それよりも、世の中の変化に素早く対応していく、大阪商人のバイタリティーに感心した方がエエような気がしてきた、そんな年末のクロモンだった。

そんなこんなで、2018年の一年間、このブログとともに、「木村工務店」と「まちのえんがわ」をご愛顧賜りありがとうございました。2019年は、1月6日日曜日が初出で、7日月曜日より通常営業です。

皆さん、良いお年をお迎え下さい。

 

平成最後の天皇誕生日

平成最後の天皇誕生日と重なった日曜日。年末の会社大掃除が28日にあり、現場は27日に仕舞いと片付けを終えるのが、木村工務店のルーティンで、そんな慌ただしい時の、23日が、祭日となるのが、有り難いようで、いや、お正月休暇に向けて、ここは、もうひと踏ん張り、働いておきたい…という気持ちにもなり、それにクリスマスが翌日で、毎年毎年、休むことに、微妙な心境で、天皇誕生日の祝日を迎えるのだが、譲位する前の最後の天皇誕生日としての85歳の記者会見を拝聴すると、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」という印象的なスピーチもあり、ご苦労さま。という気持ちがわいてきて、いままでの、祝日に対する、微妙な気分を反省しながら、休日としてでなく、天皇誕生日を祝福したい、という素直な気持ちになれた日曜日だった。

寒い日が続いたが、今日は、暖かい、穏やかな、祝福するかのような日曜日だったので、朝から、久しぶりに自転車に乗って十三峠を往復する。一ヶ月ぶりに乗ると、坂を上がるのは、とってもキツい。乗らない日曜日が続くと、乗る前は、起きるコトそのものが、面倒くさく、寝ておこうかという気分にもなり、体重とか、血糖値とか、なんだかんだ、考えだして、ようやく、反射神経のように、布団から起き上がり、着替え、その着替えるのが、また、面倒くさく想えてくるときがあって、身支度の準備ができ、自転車の空気を入れて、チェーンに油を注いで、外に出て、漕ぎだしてみると、気分のエエこと、エエこと。

なんで、人間って、こんな、内的な、ブツクサ言う心模様に、アーダコーダと、「考慮」しなければ、さまざまな物事を成し遂げるコトが出来るとおもうのに、人のメンタリティーとは、こんなん感じになるのだろうかね。ハートには従うけど、マインドには従うな。みたいな、ハートとマインドの区別ってねぇ…。あれやこれやの心模様はやり過ごし、無になれ。みたいなコトバってねぇ…。時折、訪れる、そんな思考を、置き去りにしながら、久しぶりに、運動で、汗をかいて、ストレスを解放した。

家で、シャワーを浴びるかわりに、スーパー銭湯にいって、サウナと水風呂で、心身をケアーしたが、休日の午前10時頃のスーパー銭湯は、意外と人が多く、中高年が圧倒的に多いのだが、皆さん、どんな心境で、朝風呂に入りに来るのだろうかね…。帰り道、奥方が、一緒に入浴している、常連のようなおばさんが、隣で会話していて、「ここんところ、週に2回ほどしか、これなくなったら、機嫌悪くなってきたみたいで、ダンナさんが、お風呂屋さんへ行ってきたらどうやぁ!って勧めてくれて、やっぱり、大きなお風呂は、最高やわ!家の狭っまいお風呂には、入ってられへんわ!」って。大きな湯船に入った時の、体に感じる圧力が、小さなお風呂の時の圧力と違って、なんともいえず気持ちエエからかなぁ…て、最近おもう。

帰り道、コメダ珈琲で、たっぷり珈琲と味噌カツサンドを食べる。スタバの「サードプレース」というコンセプトにたいして、コメダは「私たちは”珈琲を大切にする心から”を通してお客様に”くつろぐ、いちばんいいところ”を提供します」という経営理念らしい。スタバの方が、空間的には、お洒落で、エエ感じで好きで、コメダの内装は、微妙な感じがするが、ワタクシ的には、スタバの珈琲の味に馴染めず、コメダの珈琲をチョイスするのだが、ま、それは、スーパー銭湯帰りの時だけの話なんだけど、客層が全く違うのもオモシロイ現象で、なによりも、一年に何度か登校する関西大学の中に、スタバがあり、たしかに、コメダがある姿は想像しがたく、コメダで「くつろぐ」ワタクシたち夫婦は、おっちゃんおばちゃん、なんだろうが、お互いの企業が、持続的に利益をあげていくための、それぞれのポジショニングの違いとか、組織力の違いとか、そんなコトを考えてみた。

夕方、長男家族が誕生日のお祝いで、夫婦二人で出掛けたので、孫二人を預かる。一緒に夕食を共にし、嬉しく、楽しく、カワイイのも、一時間ほどで、徐々に徐々に、長男夫婦の帰りを待ち臨む気持ちが、大きくなってくるわけで、3歳と1歳半の男の子二人が、仲むつまじい姿から、喧嘩でも始まると、お母さんの帰りを待ち望む気持ちは極大化し、いまさらながらに、子育てってタイヘンやなぁっと、既に、経験したコトなど、すっかり忘れて、ようやく、客観的に、子育てを見守れるようになってきた感じ。平成天皇のコトバにあやかると、「子供を預かったこの時が、怪我がない時間として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」なんていう心境。それにしても、天皇のスピーチのように、一言一言を、丁寧に、喋ってみたいものだな。

とってもフツウで、穏やかで、エエ日曜日を過ごせたのも、平成最後の天皇誕生日を祝福する波動が満ちていたお陰なんだろう。

ワークショップ的コミュニティー

建築家のヤベさんによる、ケンチクイスのワークショップがあった日曜日。「仕口がない。曲げがない。仕上げがない。」という、椅子を制作するプロが使う技術を全く使わず、誰が造っても高いレベルで完成できる椅子を、「ケンチクイス」と、ヤベさんが名付けていて、2012年から2018年の今年で、7年連続のワークショップとなって、その間、3種類の椅子がデザインされたが、毎年、新しいデザインを考えてこられるのかと思いきや、BB1と名付けられたデザインの椅子に、クッションを付けたり、脚だけにソックスのような白い色を付けたりと、バージョン違いのワークショップが数回あり、今回は、BB3というタイプの椅子に、グリーン色の型枠用合板を使って、制作する、バージョン違いのワークショップで、これって、漫才のジャルジャルが、同じ笑いを、微妙な変化で、繰り返し繰り返し使うのと、同じ意図なんですよね、ヤベさん。

ワークショップの後は、恒例のバーがあって、参加者の懇親会というよりは、バーテンのヤベさんのもとに、ウダウダ言いに、集まるっていう感じで、ほとんどが、ワークショップに参加していない、顔見知りの人達で、これだけのために集まって、アーダコーダと時間を過ごすのだけれど、ごくたまに、迷いこんだようにふらっと入ってくるひとがいて、今回は、布施のおもちゃ屋さんのご主人が、立ち寄られて、小さい頃から、何度もお店の前を通過し、何度かおもちゃを買ったり、トランプを買ったりした、そのお店のご主人と、こんな「コト」を通じて、出会ったりするのが、オモシロイデキゴトで、ワークショップが、新たなコミュニティーを生んだりするのが、現代的な面白さなんだろう。

ここ最近は、夜遅くなると、ワークショップを開催している加工場の前の、うちの家に移動して、2次会的に、話が繋がっていく流れがあって、四方山話が続いて、気が付けば、残った何人かは、午前0時を回っていて、あたふたと散会しながら、このブログを書く状況のワタクシで、そういやぁ、どんな話で盛りあがったのだっけ。

そうそう、シャチョウ、シゴトに燃えた時期ってありますか。なんて聞かれた、シゴトとライフスタイルな話。そうそう、建築の空間的には、向かいの以前住んでいた家のほうが断然エエけど、こっちの家の方が素材が圧倒的に良くって、それが居心地良く、素材って凄いな…。なんていうケンチク談議。そうそう、家で、皆で一緒に作る、餃子パーティー新年会にしましょうよ。というパーティーな話。そうそう、以前、続けて何度かやったように、また、名店を予約して、皆で一緒に食べに行きましょぅよ…。じゃぁ、1月の新年会として、8名予約してみますわ…。なんていうグルメ探検ツアーな話。

そうそう、座敷の前の中庭に、造園のイエタニさんが、常滑と信楽の陶器をオブジェのように設置してくれて、それが、皆に、微妙な違和感や共感を呼び覚ましながら、コミュニケーションを誘発させて、先日の忘年会のあとの座敷de談議も、このオブジェに誘発されたのだろうし、今日も、製作者のイエタニさんを交えて、座敷に座わってのコミュニケーションが活性化されて、共感だけでなく、ちょっとした違和感も大事で、それって、岡本太郎の太陽の塔も同じニュアンスじゃぁないですか…っていうのが、印象に残るコトバで、そういえば、あのモダニズムのシュッとした丹下健三のお祭り広場は消滅し、怪物のような、太陽の塔は、再び人気を得て、未だに存在しているわけで….。なんていうゲイジュツな話題。

「スポーツ」の後にも、こんな「ノリ」のような波が発生し、コミュニティーが活性化する時もあるが、「モノを造る」っていうワークショップの後にも、やっぱり、「ノリ」のようなものが、波のように、押したり引いたりして、そんななかで、共感や違和感が生まれて、物事が動いていく時があって、そんなワークショップ的コミュニティーが発生した日曜日だった。

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