FtoFでModernな打ち合わせStyle

久しぶりに青空を見たような気がする日曜日の朝。ここ60日間に、一度しか自転車に乗っておらず、会社研修旅行や海外研修旅行、ワークショップや相談会、雨など、日曜日と重なって、全く運動をしていなかったので、いまいちな体調管理が続いて、それで、平日の夜にスパー銭湯にあるジムに行って、自転車を漕いでみたら、それなりに、とっても爽快! なので、この勢いで、こんなエエ天気の日曜日の朝は、体を動かしたくなって、早朝に目が、パッと覚めるかとおもいきや、なんだか、ぐっすり寝入ってしまった。微妙な疲れが蓄積したままなんだろうな。いや歳なのか。

本日は、住宅相談会があった日曜日。午前中の若いAさんご夫妻は、SUUMOのWebに掲載された、木村工務店の新築事例を見て、土地探しから相談にお見えになった。最近は、不動産屋さんだけが閲覧できるレインズという土地案件のサイトよりも、スーモの不動産ポータルサイトの方が、エエのではないのか….と不動産屋さんの担当者が、笑いながら語るように、スーモのホームページで、様々な条件を設定し、土地情報を検索して、その場所をグーグル上で探し出し、ストリートビューで表示し、大画面のモニターを、フェースtoフェースで一緒に眺めながらコミュニケーションをすると、お客様の望んでいる地域や土地や家やライフスタイルが、少しずつ理解出来て、それに、土地の見方や、その土地でどんな家や、どんな予算がかかるかも、なんとなく、お話し出来るので、次第にお互いの感覚が調整されていくのが面白く、そんなのを1時間30分ほど続けると、お客さん自身で、そういう土地探しの検索ができるようになるので、家で、探してもらいながら、また後日、会社にお越し頂いて、フェースtoフェースでバーチャルな土地探しをする予定。

午後からのBさんは、鉄骨ALC3階建て住宅のリフォーム工事をする予定で、先月のプラン打ち合わせ後の、概算見積を提示する日となっていた。概算といっても、50ページほどある、それなりに詳細な見積書になっているので、その見積内容をもとに、総予算をふまえながら、減額案を検討するために、現況のまま残す部分を考えたり、平面プランの変更を検討したり、仕様を見直したり、外壁や屋根の工事内容を再検討したりと、フェースtoフェースで、予算とプランのバランスを、3Dモデルを液晶大画面で眺めたりしながら検討することが、エエ家造りのためには、とっても大切な作業なんだとおもう。

午後からの若いCさんカップルは、先月の相談会で、今日のAさんと全く同じように、土地探しのレクチャーをし、それから、奥さんが、家で、かなりの時間を費やして、バーチャル上の土地探しを繰り返し、気になる案件を、実際に、現地で、リアルな土地や中古住宅を見たそうで、その結果をふまえて、相談にお越しになった。最初は、大阪の南部方面だったのに、いろいろ検索し、総予算と土地の大きさや周辺環境の雰囲気とのバランスを検討して、気にいった場所が、兵庫県の宝塚近辺になっていたのには、少々驚いたが、確かにその土地を、グーグール上で確認すると、良い土地で、私たちが、エエ土地ですね。っと云うと、Cさんにとっては、比較対象の経験値が少ないために、きょとんとされていたが、その土地を購入し、望むような家を建てるためには、総予算を大きく上げる必要性があって、自分達の身の丈にあったものなのか、そんな予算を費やしても、これからのライフスタイルは大丈夫なのか。そんなのを、フェースtoフェースで、悩みを共有することが、問題解決の糸口になることがあって、こういう過程を経て、この案件を購入するのか、他の案件を検討するのか、家造りの決断力が育まれていくように思う。

夜には、建築家のヤベさんの事務所で、以前、ヤベさんが設計し、木村工務店でリフォーム工事の施工した、Dさんの店舗を、結婚を機に建て替える計画があって、その計画案のプレゼンを兼ねた打ち合わせに、Dさん夫妻と共に、参加した。ちょっと大きい丸いテーブルで、食事をしながらの打ち合わせは、ヤベさん独特のスタイルで、テーブルには、模型も置かれ、食事は、ヤベさんの奥さんも手伝いながら、おもにヤベさんがサーブするわけで、そんなプランの打ち合わせと食事を、フェースtoフェースで、緩やかに時間を共有つつ、お互いの感覚を調整していくスタイルは、とってもユニークで、面白かった。

土地探しのスタイル。プラン検討のスタイル。予算検討のスタイル。バーチャルというか、仮想化された土地やプランや3Dや模型や見積書を、大きな液晶テレビで表示し、フェースtoフェースで、珈琲を飲みながら、時には食事でもしながら、感覚を共有しつつ検討を重ねる、そういうちょっと、F to FでModernな打ち合わせStyleが、エエ家造りに繋がる時代なのかもしれない…。

 

空気感

急に蒸し暑くなって、ようやく梅雨らしい日々。6月26日から、除湿型放射冷暖房 PS HR-C の冷房を入れだした。「Forward to 1985 energy life アクションナビ」で、室内温度のデータを取得し始めたのが昨年2018年の6月で、ようやく一年が経過し、居間の一年間の平均室内温度は、

  7月27.5℃・  8月27.7℃・9月25.9℃・10月23.6℃・
11月21.5℃・12月21.5℃・1月21.2℃・  2月21.2℃・
   3月21.3℃・  4月22.8℃・5月23.2℃・   6月26.2℃・

冷暖房は電気のヒートポンプを利用しているので、調べると、夏と冬は標準家庭の1.5倍ぐらい電気を消費しているらしい。冬の暖房は、ガスや灯油でとっている家庭も多いので、全体のエネルギー消費としては、標準家庭の1.1倍ぐらいのようだ。きっと、冬の室内平均温度を18℃ぐらいにすれば、標準家庭以下になるのかもしれないが、冬は20℃を超え21℃ぐらいの平均室内温度が心地良い家のような気がして、省エネと心地良い家のせめぎ合いだなぁ…。

この夏の7月8月は、どんな平均室温で推移するのだろうか。30℃越えの日々が続いても一日の平均室温は28℃台であって欲しいような気がする。「遮熱」をどうするか。なんだろうが、昔の家のように、夏になると窓に「葦簀」を下げるっていうのが、とってもシンプルな方法のひとつで….。なんて、猛暑の夏のコトを考える季節になってきた。

そうそう、本日は、久しぶりに、「まちのえんがわワークショップ」があった日曜日で、左官山本組の若い左官職人達による、「珪藻土マット」の製作だった。前回は、シンプルに、板の上に珪藻土を塗るシンプルなマットを作ったが、今回は、珪藻土のチップをあらかじめ左官屋さんの加工場で製作しておいて、それをタイルのように並べるデザインになって、お陰で、デザインを考える面白さと、珪藻土の上に珪藻土チップを埋め込んでいく、ものづくり的な面白さが加わって、午前と午後の2部制になる盛況だった。

2012年から8年連続の左官ワークショップとなって、当初は、左官のヤマモト社長とワタシの二人で、あれこれ考えて、引っ張ってきたが、最近は、左官山本組の若いひとたちと、まちのえんがわスタッフのアオキさん、木村工務店のトンちゃんとタカノリが、それぞれ下準備をしてくれるようになり、ワタシの役目は、最初の挨拶と終了後のお見送り程度になって、工務店のワークショップが、ものづくりが好きなヒトが集まる場として、ものづくりを伝えるプロモーション活動の場として、ものづくりの空気感を伝えるワークショップとして定着すれば嬉しい。

  

そういえば、80歳になる女性が、同居する息子さんの奥さんと参加されて、お風呂がひとつなのに、二つも珪藻土マットはいらないとおもうのですが、どうするのですか?みたいのことを質問すると、壁に飾るのです。記念に。私が死んでも残しといてくれるのかなぁ。すぐ捨てられるのかなぁ。なんて、和やかで活気と元気に満ちた笑顔で、呟かれた。参加者のほとんどが女性で、お帰りの際に、楽しかったぁ!と伝えていただく方々がいて、そんなのが、ワークショップを続ける原動力になっているのだけれど、そんなことより、女性が快活に生きる姿勢が世の中を引っ張っていく、そんな時代の空気感なんだろうなぁ….。

なんて、考えながら、ムシムシする気候のなか、このブログを書いていると、アルプスの山々が見える清清しい気候のなかで見た、ピーターズントーのベネディクト教会を想いだした。ズントーの本に「空気感」という本があって、あの日、教会を見下ろす小高い丘の上のベンチに座って、谷の精霊に、吸い込まれていく感覚を味わいながら、ベネディクト教会を見下ろした時の、空気感。一緒に旅をしたひとたちが、教会の前で記念写真を撮り、見学を終えて帰ろうと坂道を下る姿。それが、村のひとたちが、教会のミサを終えて、心穏やかに家路に帰る光景を想像させた。なんて、あの研修旅行の余韻が、まだ残っていて、少々の旅の疲れも残存し、時々消化不良を伴いながら想い出す。

「空気感」のある、家とか、ワークショップとか、工務店とか、時代とか、ま、そんな、ちょっとしたこじつけ。

なんじゃぁこりゃぁ

朝起きると、iphoneのロックが解除できなくなっていた。なんじゃぁこりゃぁ。なので、朝早くからアップルサポートにアクセスし、サポート予約したら、電話が掛かってきて、iphoneのロック解除する呪文と、林檎ちゃんマークでフリーズしたままを解除する呪文を教えてもらう。ituneに繋いで初期化する方法を丁寧に指導してもらい、icloudのバックアップで元通りになって、ひと安心。でも午前中が潰れてしまった。icloudの容量オーバーの月額追加料金を支払っておいて良かったなぁ….。

そうそう、海外研修旅行の帰り、伊丹空港に到着したら、マゴ達が迎えてくれるサプライズがあって、走り寄ってきたマゴを抱え上げて、ドラマみたい。とおもいながら、喜んだが、到着出口の丸福珈琲店で、ちょっとしたマゴ達の食事と珈琲飲んだら、これぇ、タクシーで帰る金額と同じか、それ以上やな…..と呟いたものの、いやいや、タクシー代金より遙かに価値がある支払いだった。

そんなマゴ達に、小さなおもちゃとか、ミニカーとか、絵本とか、飛び出す紙模型の葉書とか、プレゼントしたが、なんというか、奥方とか、息子とか、息子の奥さんとか、全く、お土産物のアイデアが思いつかなかったし、えっ!こんなん買ってきたん…..なんて云われそうなものしか、買えないワタシなので、マゴ達も、そんなに喜んでいなかったようだが、唯一、自分のために買ってきた、パリの街を案内した、ポップアップする絵本を気にいってくれて、これぇどこぉ?っと凱旋門やエッフェル塔をさして、説明を求められ、ノートルダム寺院の尖塔が無くなったコトを奥方から教えられると、そのページを開けては、どうして無くなったのぉ?と聞かれ、火災で無くなっちゃったのぉ。と応えるくだりを、3、4度繰り返した。

確かに、尖塔の無い、ノートルダムは、権威ももぎ取られたような感じがした。「垂直性」を象徴する建築的な意匠は、大切なんだなぁ…..と、セーヌ川クルーズから眺めたのだ。

そういえば、バスの車窓から、飛び込んできた、丘の上に建つロンシャン教会の、白い巨根のような塔が、真っ青な青空の中で、「爽やかさと、なんじゃぁこりゃぁ」が同居した、ワクワクする姿だったのが印象的だった。きっとコルビジェは、尖端を持った尖った古いタイプの塔を作りたくなく、丸い塔にしたかったのだろうなぁ….。新しいノートルダムはどんなデザインになるのだろう。伝統を革新して欲しい。

そうそう、マゴが指さすのは、ポンピドーセンターで、これぇ、なに?って聞くので、ジィが、パリで一番好きな建物。って応えた。へぇー。ふぅーん。そうなのかぁー。って相槌をうってくれたが、石造りの建築が並ぶなかに、鉄の塊のエッフェル塔が、芝生から見る姿と、反対側の、石の床材の舞台のようなところから眺めるシュッとした姿とが、それぞれに趣があって、美しかったが、なによりもあのシックな色がお洒落なんだろうけど、現代的な鉄の塊のポンピドーセンターは、ポップな色合いの配管とともに、あの街並の中にある「鉄の塊としての、なんじゃぁこりゃぁ」がカッコエエのだろう。入り口に向かって下り坂になっていく広場に、皆が腰掛けて、寛ぐ姿は、イタリアのカンポ広場が、同じように、下っていて、そこに腰掛けて寛ぐひとたちの姿とダブった。

マゴが、ルーブル美術館のピラミッドを指さして、これぇ、どこぉ?と聞くので、ルーブル美術館。って応えると、あまり魅力的ではなさそうな表情だったが、ルーブルの本屋さんで、一緒に旅行をした建築家の秋山東一さんに、良い本を見つけたと、教えていただいて、一緒にその本の場所まで戻って、その本をゲットしたのが、「Building the Louvre」で、ルーブルの成り立ちをひもといた本なのだけれど、1190年の小さなお城が、年代ごと、権力ごとに、さまざまな建築として拡張され、積み重ねられた時間と歴史の建築を、受け継いだり、壊したり、改修したりしながら、現在のガラスのピラミッドがあるルーブル美術館になったようで、「積層された時間の建築」ともいえそうで、そういえば、見学した、モンサンミッシェルも「積層された時間の建築」だった。

ま、そういう、建築を創っていける工務店でありたいものだなぁ…..。

海外研修旅行

ひょんことから、建築の海外研修旅行に行くことになった。
きっかけは、秋山設計道場という工務店の社長さんたちが集まって、設計の研修をする道場のようなものが、弊社で開催されたのが、4月のコトで、その主催者の名古屋のコスモホームさんからお誘いを受けた。6月の10日から17日の一週間、全国の工務店の社長さんたちと一緒に、ピーターズントーとコルビジェの建築見学の旅をする!というのだった。

確かに魅力的だが、お盆とお正月とゴールデンウィーク以外で、長期の休暇を取った事は、入社してから一度もなかった。また、それなりに高いお金を払ってでも、社員や職人さんたちと一緒に、暦どおりの休暇をとるコトを良しとしていたので、世間と一斉に休みを取るなかで、混雑を、計画と予約と移動を工夫して、旅をするのが楽しみでもあった。

なので、魅力的だが全く行くつもりはなかったが、即答のように、後押しをしてくれたのが、奥方だった。秋山設計道場のメンバーの人柄と雰囲気を先日の設計道場で、知ってくれていたからだろうが、ワタシの躊躇する気持ちをプッシュし、ポーンと前に押し出してくれた。それで、スケジュールを調べてみると、少し調整をすれば、参加できる可能性があり、なによりも還暦を過ぎて60代となったコトで、私と会社と社員との関係性をバージョンアップする必要性も感じていたわけで、こんな機会をきっかけにするのも、良さそうに思えた。

そんな気分を察してか、長男タカノリが、行ってきたらぁ…と、後押しをしてくれたのにも少々驚いたが、ま、そんなこんなで、今、フランスで、モンサンミッシェルを見学し、パリへ戻るバスの道中で、このブログを書くワタシ。

初めての団体海外旅行なので、ゆったりした気分でいたが、旅は想定以上にハードで、早朝から起きて、バスやTVGで移動し、個人の旅では簡単に行けそうにない場所へ、積極的な移動を繰り返す。時間厳守は勿論だが、メンバー全員の自覚もあって、スムーズに進むのだが、それよりも、旅行社の方がしっかりしていて、それに建築好き方なので、雰囲気良く行程が進むのには、旅行のプロとして学ぶべきものがあった。そうそう、何よりも、現地のガイドを担当する方々が、どなたも優秀な方々だったので、個人旅行では聞けないようなスイス人やフランス人のメンタリティーのようなものも知れ、途切れることのない名調子な解説と共に、こんなのが、研修旅行としての、団体旅行ならではの魅力なんだろう。

ドイツ、スイス、フランスと旅をし、ピーターズントーのベネディクト教会と、コルビジェのロンシャン教会を見学した。ビトラ社にある超有名建築家の建物とスイスの住宅展示場も視察し、スイスのザンクト・ガレン、シュタイン・アム・ライン、ミュールーズの町を歩き、TVGで、パリに辿り着いた。ルーブル、コルビジェのサボワ邸、ベルサイユ宮殿を解説付きで見学した翌日の今日、パリとモンサンミシェルを往復する長距離バスの道中で、男女二人の運転手が交わすフランス語の会話が、囁くような心地良いメロディーとして聴こえる、いまとここ。

明日パリの街を見学し、帰国予定だが、それにしても、こんなちょっとハードで内容の濃いツアーを企画したコスモホームの社長に感謝したい。

63回精親会研修旅行

精親会という協力業者の懇親会があり、その研修旅行があったのが、この6月2日日曜日と3日月曜日のコトで、63回めともなると、慰安旅行と呼ばれながらも、会社のルーティンとして、大まじめな仕事であって、特に、うちの社員も、協力業者の社長さんや番頭さんも、若いひとたちが、増えてくると、こんな旅行を共有体験しながら、フェースtoフェースの対面を通じて、建築という現場でのものづくりでの、コミュニケーションを円滑にするための、潤滑油のようなものになっているわけで、それゆえに、先代から引き継ぐ伝統は、「バス旅行とお膳の宴会」なんだろう。

今年は、高知で、皿鉢料理を食べたので、お膳ではなく長テーブルだったが、それでも、それぞれの、前に座って、お酒を注ぎ、返杯を受けるスタイルが、必須のスタイルで、このスタイルが、時に楽しい。先代、先々代から教えられたことは、シャチョウが、上座の真ん中で、デーンと座って、お酒を注がれるのを待つのではなく、誰よりも先に、上座から降りて、お酒をひとりずつ、全員に、丁寧に注ぎにいけ! という伝統で、先代先々代に比べて、ワタシの酒量は3分の1ほどなので、そのことを知る皆も、ワタシの返杯には、手加減をしてくれるので、50人ほど全員に、コミュニケーションをしながら、お酒を注ぎ回れるわけで、遊びのような仕事のような修行のような木村工務店の伝統行事としての懇親会でもある。

最近は、「建築見学とスポーツ体験」が大切なテーマのひとつとして加わって、有名建築家の建物を共有体験するコトを通じて、「ものの見立て」のようなものを皆で共有し、設計者の意図や施工者の熱意のようなものを共有するわけで、今年は、坂本龍馬記念館と堀部安嗣さんの竹林寺納骨堂と内藤廣さんの牧野富太郎記念館を見学した。

 
↑ 竹林寺納骨堂では、板金の職人さんと、屋根の納まりについて、あーだこーだと言いあえるのが楽しかった。


↑ 最近できた、会館も見学する。



↑ 牧野富太郎記念館は、生憎の雨だったが、お陰で、雨のなかで軒下で過ごす心地良さ、緑のみずみずしさを味わえたのが、良い体験になった。

今年のスポーツ体験は、吉野川小歩危ラフティングだった。ゴルフ以外のスポーツで、誰もが一緒に共有体験ができるスポーツを探すのだけれど、なかなか見つからないが、以前にも体験した吉野川でのラフティングが今までで一番楽しく、また是非、まだ経験していないひとたちと一緒に、やってみたい!!!という意見が圧倒的に強かった。

それにしても、スポーツの共有体験は、妙に仲間意識が強まるのが、とってもおもしろい。
参加した、皆さん、ご苦労さまでした!そして、ありがとう!

パノラマな想い出

ゴールデンウィークの想い出として、iPhoneのパノラマで、残しておきたい気分の、光景があって、こんな感じ…..


↑ 上野で、コルビジェ展を見た。人混みとコルビジェの看板と国立西洋美術館前。ちょっとワクワクした。


↑ 美術館に入って、斜路を登り、見下ろすと、その時、沢山の人が、それぞれの居場所を楽しんでいるように見えた。建築って凄いなぁ….なんて思ったりして。


↑ 軽井沢で、吉村順三さんのエロイズカフェを訪れると、満員で入れなかったが、音楽ホールは覗けた。ちょっとコルビジェ的なのか….なんてことより、モダンな木組みだな….。

↑ 縄文の遺跡は、海の幸や山の幸や川の幸に恵まれ、風土が豊かなところにある。パノラマな世界で記憶に留めときたい….なんておもってしまう。


↑ 縄文の遺跡を、パノラマで収めても、なんか、ちょっと、上手く撮れないが、この写真を見て、その時の五感の記憶が蘇るのが嬉しい。


↑ 十日町の大地の芸術祭の「まつだい能舞台」と「草間彌生」なんだけど、そんなことより、いまここで、線路の向こうから電車が走ってきて欲しい!と願ったが、来なかった。


↑ こんな学校で学んでみるのもエエなぁ….なんて。


↑  ドラマチックすぎて、ちょっと照れるなぁ…って想いながらも、気持ちはエエのだ。


↑ Instagramな撮影場所としてはインパクトがあったが、こんな景色でエエのかどうか…。

なんて、写真を見ながら、過ごす日曜日の早朝。6月2日日曜日と3日月曜日は、会社の研修旅行です。GWの家族旅行とは、また違うコミュニケーションと繋がりが生まれるのが、社員や協力業者さんとの旅行で、年に一度の木村工務店のルーティンのひとつでもあります。また旅行のパノラマな想い出をシエアーできればと….。

4懇親会

生野区のさまざまな協会の総会と「生野区ものづくりセッション」と「まちのえんがわワークショップ」が、ひしめき合った今週。

そうそう、その総会で、公衆浴場の経営者の方とお話しする機会があって、先週の日曜日の朝風呂が混雑していた印象が残っていたので、日曜日の朝風呂とかいっぱいですよね。なんていう話をすると、その方が、このごろ意外な時間帯にお風呂がいっぱいになることがあって、それが、午後の2時頃から午後5時頃だったりし、仕事をしてない人たちが、そんな時間帯にお風呂に入って、そのあと居酒屋で食事したりして….。へぇ…。それって、温泉宿でのスタイルですよね。と返すと、午前10頃にいっぱいの喫茶店もあって、朝食と昼食兼用で、モーニングを食べて、昼からお風呂に入って、夕方居酒屋に行くっていう、ライフスタイルが、定年をした人たちにあるのですよね….という。高齢化社会のライフスタイルの変化が、ビジネスの在り様も変化させていくのだろうなぁ…。

昔、東京で銭湯に入ったら、メチャクチャ熱くて、ビックリしました!ってワタシがいうと、その方が、なんで、東京のお風呂が45度近くの、あんな熱いお風呂か、大阪人の私には理解できないけど、大阪のお風呂文化と東京のお風呂文化の違いがあって、大阪は、まずかけ湯して、お風呂に入って、気持ち良くなってから、洗い場で体を洗う、かけ湯の文化やけど、東京は、まず洗い場で、綺麗に体を洗い流してから、湯船に浸かる。大阪の人が東京のお風呂入る時に、かけ湯して、いきなりお風呂入ったら、イヤな目で見られるでぇ!洗い場で体を洗ってから入らないと….。

それで、大阪のお風呂の縁には、腰掛けるところが、あるけど、東京のお風呂は、またいで入って、腰掛けるところが、ないのですわ。と仰る。そういえば、銭湯で、湯船の縁に、股間にタオルをあてがって、腰掛けて、四方山話をするっていうのが、銭湯を楽しむスタイルのひとつだが、東京では、湯船の熱い湯に、ぐっと我慢しながら入るっていうのが、ひとつのスタイルらしい。お風呂で、友達どうしや、初めての人とも、気さくにコミュニケーションするっていうのは、建築的な腰掛ける湯船の「縁」があってのコトなのか…と考えてみた。

土曜日の、ものづくりセッションでは、サンダル製造販売のリゲッタのタカモト社長が、エネルギッシュなので、そのオーラに皆が引っ張られるところがあって、生野区の老舗の企業の代表が、ロート製薬さんだとすれば、そうそう、この生野区の総会で、ロート製薬の会長さんとお話しする機会があって、流石だなぁ…とおもったが、生野区の若手の代表企業がリゲッタさんなのだろうし、そのタカモト社長のエナジーが「ものづくりセッション」を活気づけ、プレゼンテーションと懇親会を楽しいコトにしてくれているのだと、おもう…。

植景研究所という肩書きを持つ家谷さんによるワークショップがあった今日の日曜日で、アルミの板をトントントントンと叩き続けて、植木鉢を作るワークショップなんだけれど、皆が、取り憑かれたようにひたすら叩き続ける姿が印象的で、トントントントンという音の洪水の中で、覚醒してくるような、そんな心地良さに包まれたワークショップだった。その後の懇親会は、夜遅くまで続き、初めての人、顔見知りの人との、まさしく、リラックスした、夜の、懇親のスペースとなった。

 

懇親会が4回あった週で、それぞれが、まったく違うタイプのコミュニケーションの場で、こんな場を通じて、学んだり、生きるエネルギーになったりするのだろう。

 

住宅相談会と空き家カフェな日曜日

「住宅相談会」と「空き家カフェ」が重なった日曜日。朝10時から「住宅相談会」が始まるが、とってもエエ天気の朝だったので、早朝から自転車に乗ってみようかとおもったものの、朝一の、起きて着替えるタイミングを、ダラッとして、逃してしまい、それで、気持ちを切り替えて、奥方と朝風呂に出かけてみたら、男湯はいっぱいだった。

中高年のオトコの楽しみ日曜日の朝風呂。なんていうキャッチフレーズが頭の中で舞っていたが、サウナに入ったあと、水風呂入って、暫くすると、体の周りに、体温と水温の中間温度の膜が出来て、ちょうどエエ感じになってきた時に、誰かがドボ~ンと水風呂に入って、水をかき乱し、そのエエ感じの膜も掻き乱れて、体に冷たい水温が押し寄せてきた時、お願い!静かにそっと入ってぇ!と心の中で訴えている水風呂でのワタシが居て、そういう反応を心のどこかで笑っているワタシも居てる。という構図を、何度か繰り返し体験するのが、オモシロいが、温熱環境における空気の移動による熱の移動。隙間風による熱の散逸と同じやなぁ。なんて心の中で呟いて、この状況を楽しんでみようと、どうでもエエような努力をする朝風呂のワタシ。

午前中のAさん親子は、東成区で長屋住まいで、同じ東成区で新居を考えておられて、日住サービスのホシさんにも参加してもらいながら、グーグル上で、土地探しをやってみたが、予算の中で、小さな土地に小さな新築にするのか、長屋を購入してリフォームするのか、中古の建て売り三階建てを購入してリフォームにするのか、どれかにターゲットを絞るのが、とっても悩ましい状況で、それなら、縁があった案件に依存して、その案件に最適なプランとコストのバランスを提案することが、私たちの任務のようなもので、密集市街地の人気のある地域で、住まいを探すのは、とってもムツカシイが、それなりのオモシロさもある。

お昼からのBさんとCさんとの「住宅相談会」は、設計のタナカくんとタカノリに任せて、「生野区空き家カフェ」に参加する。本日は、生野まち歩きを主催する、同じ名字の木村さん、通称キムラーさんが、午後1時より、JR寺田町駅から生野区の空き家を巡るまち歩きで、最終目的地の生野区中川東にある、荒岡長屋にて、空き家カフェのミーティングをする。という予定だったが、40人もの参加者に恵まれて、ワイワイガヤガヤ、ちょっとした団体が生野のまちを練り歩いた。

日曜日だったこともあり、参加者には、東成区長と生野区長が、プライベート参加してくださり、ミーティングでは、コメントも頂戴して、まちの抱える高齢化問題。子育て世代が参入しにくい長屋という密集市街地のまちのイメージ。耐震という建築的重要性の問題提起による長屋の空き家率の上昇。近隣の音の問題。などなどネガティブな問題も多いが。顔見知りと一緒に住むコミュニティーとしての良さもあるわけで、建築として良いまちだけでなく、住人というヒトがオモシロイまちとして、「人が集まるまち」になる余地もあって、生野区空き家カフェは、そんな可能性を模索しているのだろうし、「空き家」という、ある種の「オープンスペース」が、興味の対象となっている参加者それぞれの意見をシェア-することで、コミュニティーのようなものが発生しているところに、空き家カフェのオモシロさがあるのかもしれない。

朝のお風呂屋さん、会社応接間、生野のまち、空き家、長屋、それぞれの居場所で、それぞれのいまとここを楽しむ、多様でユニークな人達と、一緒に過ごした、とっても気候の良い天気の日曜日だった。

 

5月12日日曜日母の日

とっても長いゴールデンウイークが終わり、いきなりトップスピードで走り出すのが工務店流なのだろう。今日は、社員の現場監督ナンバくんの結婚式があった日曜日で、なんと1985年5月12日日曜日母の日が、ワタクシたち夫婦の結婚記念日で、2019年と1985年の違い、令和と昭和の違いがあるものの、偶然、全く同じ日を、結婚記念日として共有することになった。そうそう、大安と先勝という六曜の違いもあるけどね。とってもフランクで現代的な結婚式と披露宴で良かったが、ワタシにとっては、34年の歳月を振り返ってみる機会にもなった。

昭和な時代は、結婚式を挙げ、新婚旅行に行き、入籍する。なんていう流れだったが、最近は、うちの長男も含めて、まず、入籍し、一緒に暮らし、結婚式や披露宴を挙げ、新婚旅行に行く。なんていうのがオーソドックスになってきたようだ。儀式としての結婚式や披露宴からフランクでエンターテイメントな結婚式になってきたし、それなりにクオリティーが高いビデオ映像を、自分達で製作し、会場に流し、列席者を映像で楽しませてくれるのは、新郎新婦の人となりや、家族や、友達の様子が解かって、楽しい。映像を誰もが簡単に作れる技術が、プレゼンテーションに革命をもたらしたのだろうし、それと、写真撮影タイムが、どんどん増えて、それが、披露宴のなかで、違和感なく、エンターテイメントされているのが、いま。なんだろう。

主賓の挨拶を頼まれるのは、嬉しい気持ちもあるが、ちょっと辛くもあり、会社の社員や協力会社のひとたちの前で喋るのとは、全く違う、結婚式独特の緊張感があって、一週間ぐらい前から、微妙に緊張が始まり、仕事の合間の時々に、どんな挨拶にするのがエエか…と、ふと浮かんできて、式の2,3日前は、今の時代、結婚披露宴は、なかってもエエんとちゃう…。みたいな、至極個人的なプレッシャーで、ネガティブ掛かってくる始末で、当日の、結婚式場でも、なんとなく落ち着かなく、ましてや自分の挨拶までは、お酒を飲んでリラックスする気分になれないわけで、披露宴開始直後の挨拶で、結婚披露宴の雰囲気をだいなしにしてしまうかも…なんていう、今日の日曜日の朝から、挨拶直前までの、ワタシの心模様のオモロイコトオモロイコト。

挨拶を頼まれると、どの披露宴でも、前日までの、なんとなく、億劫な気分が、披露宴に参加し、挨拶が終わると、新郎新婦やご家族や友人たちの、幸せのエネルギーをいっぱい浴びて、列席して良かったなぁ…という気分になり、それが、結婚披露宴がもつ、独特の緊張と解放の連続性による、ちょっとした「ハイ」なんだろう。

昭和な時代は、男性社会で、妻が夫をたて、妻が一歩引いて夫を支えるのが、夫婦円満な時代だったのだろうが、平成から令和になって、より女性が活躍する社会になっていくだろうし、夫が妻をたて、夫が一歩引いて、ゴメンっと云って生きていくのが、令和な時代の、夫婦円満のための、夫の在り様なのかもしれないと、ワタクシの、34年間の、オクガタとの関係性を翻ってみて、そんなコトを感じ、挨拶に織り込んでみた。

5月12日日曜日母の日の結婚式と披露宴という偶然の共有のお陰で、あの日の、ワタシとオクガタの、祖父母の喜んだ姿や、両親の思いを再体験する機会に恵まれた、そんな社員ナンバくんの結婚式と披露宴だった。おめでとう!

 

平成と令和

とっても特異なゴールデンウィークだった。いや、まだ、今晩の5月5日こどもの日の日曜日の夜と、明日6日月曜日の振替休日を残しているのだけれど、東京、高田馬場の、次男が下宿する部屋に、夫婦二人で転がり込んで、このブログを書くワタシ。昼前に東京に到着し、上野の国立西洋美術館のコルビジェ展を見て、次男と3人で、神楽坂で、食事をし、それがぁ、神楽坂など、勿論、行ったコトないが、平成だった昨年に、しまなみ海道の宿、輪空Linkで、自転車トモダチになり、大阪のうちの家まで遊びに来てくれた神楽坂在住の方に、フレンチのお店を紹介してもらって、次男の様子伺い的な食事会をした。

その、しまなみ海道の宿、輪空Linkへは、4月28日宿泊し、29日と、小学校からの同級生5人で、還暦ライドを楽しんだが、4月30日の夜は、偶然にも、その輪空Linkで、知り合った、湘南在住のご夫妻が、大阪観光がてら、うちの家に遊びに来てくれて、鶴橋の一龍で、焼き肉を食べ、生野区の秘密基地ソケットで、スコッチな夜を共にした。それが、平成最後の夜となったが、なんというか、平成最後とか令和最初とか、そんなコトバ使いが、流行な感じすぎて、気恥ずかしいが、とにかく、大阪の自宅の布団のなかで、「平成」という元号が、終わった夜だった。

5月1日の朝、10時すぎ、新潟県長岡市の馬高縄文館で、「火焔土器」たちと遭遇したのが、「令和」最初の出来事だった。その馬高・三十稲場遺跡で、縄文の恵まれた風土を体感し、その駐車場の車の中で、新天皇のお言葉を拝聴した。おそらく、誰もが、なんとなく、潜在意識のどこかで、象徴天皇とは….と、考えさせられた、特異なGWではなかったのだろうか….。

なんの巡り合わせか、火焔土器に逢いに行く旅だったのに、奥方の父方の祖母の出身地で、ことあるごとに、義父は、長岡を慕い、長岡出身の山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」というコトバを慕い、死ぬ前に、孫達に、そのコトバを送っていた。その父を慕う奥方は、義父の好きな長岡の地で、「令和」の時代を始められたコトを、ひっそりと喜んでいた。縁とは不思議。その長岡駅前のビジネスホテルのベットが令和最初の寝床となった。

5月2日は、十日町の大地の芸術祭を車で巡礼し、松之山温泉の熱い薬湯で湯治した。温泉宿として、フツウの畳の和室に泊まりながら、フレンチのフルコースと、その料理に合う日本酒を提供する。そんな、ありそうでない組み合わせを考えて、頑張る、若き4代目の姿が、とっても印象的だった。

5月3日4日と、長男家族と軽井沢で合流し、孫たちと一緒に過ごした。4日の朝、3時間ほど、ひとりで、自転車に乗って、碓氷峠と軽井沢、追分周辺を巡り、別荘地とベンツの組み合わせ率の高さに感嘆しながらライドした。長男に教えてもらった、吉村順三の別荘建築のカフェ、エロイズカフェに立ち寄ったが、超満員で、入るのを諦めた。そんなことを、フェースブック上の話題にしてみると、建築家の秋山東一さんと、こんなやりとりになった。

そんなこんなで、5月5日東京の夜。木村工務店は、5月7日から「令和」としての通常営業が始まります。社員職人共々、新鮮な気分で、建築という、ものづくりに励んでいければとおもいます!

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