Märklin-Maxi 巡礼団

建築家の秋山東一さんと、宮脇檀事務所大番頭の重松ジィの二人合わせて157歳になるお二人が、メルクリンマキシという一番ゲージなる大きな鉄道模型を車に積み込んで、東京から大阪にやってきて、木村工務店の加工場で、その鉄道模型を、23日24日の二日間、ぐるぐる走らせながら、妙な時空間を、皆さんとシェアーした。

その鉄道模型を見るためだけに、秋山さんのお知り合いの方々が、鹿児島や島根や香川や金沢や浜松や東京などなど全国からやってきて、「まちのえんがわ」と縁がある方々も、見学に来てくれて、そんなに沢山の人数じゃぁなかったけれど、とっても迫力のあるスケール感の鉄道模型を見ながら、コミュニケーションが弾けた。

今年のヨーロッパ建築ツアーの間、同室だった、島根のリンケンのタムラさんと再開できたのも、このメルクリンマキシ巡礼団のお陰だったが、大学時代の卒業設計を手伝ってくれたマツザキくんが、このメルクリンマキシ目当てに、ふらっとやってきて、35年ぶりに再開できたのが、とっても嬉しい出来事だった。

鹿児島のシンケンのサコ社長とお会いし、うちの家や会社を案内しながら、工務店について、少々語り合えたのは、メルクリンマキシ巡礼団長の秋山東一さんが仕組んだ仕業であるのだろうが、ワタシにとっては、印象深い出合いだった。京都のツキデ工務店のツキデ会長とも、あれやこれやと、自宅と会社を案内しながら語りあえて、距離感が縮まった感じがし、勇気づけられたおもいだった。沢山の出合いがあって、ここに語りきれないが、お越し頂いた皆さんに、あらためて、感謝の気持ちを、お伝えしたい。

宮脇檀事務所の大番頭だった重松ジィの品の良い笑顔とともに、建築家宮脇檀さんのエピソードを沢山聞けて、あらためて宮脇ファンになってしまった夜だったが、秋山東一さんとは、建築談議だけでなく、四方山話がいっぱい飛び交って、この157歳の東京在住の建築ジィコンビの会話が、関西漫才コンビの「いとしこいし」のような、品の良さと下品さが積層した建築談議の掛け合の様相で、22日の夜、23日の夜、24の夜と、木村家のダイニングテーブルが、その会話を受け止めてくれた。

24日の片付け撤収後の宴は、深夜になってしまったが、いま、あらためて、秋山東一さんに、感謝の気持ちを添えて、眠りにつきたいとおもう。Thanks!

「全ての玩具は教材である」

建築家の秋山東一さんが、11月23日24日の二日間、木村工務店の加工場で、メルクリンという鉄道模型を走らせる。ワークショップで使う24mm合板テーブルを並べて、その上に1番ゲージという、鉄道模型としては、巨大な、線路や鉄橋を組んで、大きなブリキの鉄道模型が走る。ワタシ、この1番ゲージなる大きさのメルクリンを観たことがない。

小学生の頃、阪急三番街という、地下に川の流れる地下街が出来た。その中の店舗で、大きな美容室を木村工務店が施工した。その美容室が完成すると、そこに、ワタシの母が、通うようになった。時に、ワタシも、一緒に連れられて、その美容室に行った。長が~い待ち時間の楽しみは、おもちゃ売り場をウロウロするコトだった。おそらく、そこに、メルクリンという鉄道模型が走っていた。いや、それが、とっても記憶が曖昧。ひょっとすれば、心斎橋の大丸百貨店のおもちゃ売り場だったのか。

祖父は、小学生の間だけ、数ヶ月おきに、ワタシを、心斎橋大丸百貨店のおもちゃ売り場に連れていって、祖父はベンチに座って、タバコを吸って、じっと待ち続け、ワタシに、おもちゃ(玩具)を、自分ひとりで見て、自分ひとりで決定させて、ひとつだけ、買ってくれた。いまからおもえば、それは、秋山東一さんのいう、「全ての玩具は教材である」の教えだったようにおもう。

祖父が、そんな感じだったので、父から、おもちゃ(玩具)を買ってもらうということは、ほとんどなかったが、その当時、おそらく阪急三番街の、おもちゃ屋さんで観た、メルクリンを父が買ってくれた。日本のHOゲージより、メルクリンの方が、カコエエ!とおもった記憶だけはあるのだが、強く希望した訳でもなかったので、きっと、親父にとって、大人の玩具として、とっても魅力的だったのだ。日本製のHOゲージでなく、ドイツのメルクリンが、我が家にやってきて、畳の上のオーバルな線路で、汽車と客車がグルグル回っていた。グリーンの外壁にシルバーの屋根の客車だったようにおもう。

ワタシは、小学校高学年になると、鉄道オタクになって、鉄道模型に熱中する。という道を歩むことがなかった。おそらく、メルクリンが、レアな鉄道模型で、特定の場所に出向かないと、売ってなかったからだとおもう。カッコエエという記憶だけは鮮明に残ったが、その代わりに、タミヤの模型を造ることに熱中した。戦車が多かった。ソ連のT34やドイツのタイガー、ロンメル、レオパルド、アメリカのM4とか…..、人形も火で炙って手足を加工したような記憶も蘇る。小学校高学年の時のお正月の楽しみは、お年玉をあてにして、ちょっと大きな模型を布施のプラモデル屋さんで買って、ホンダのF1とか、そんなのを、午前0時とともに造りだす作法だった。おそらく、模型製作を通じて、説明書の読み方を学んだのだ。「全ての玩具は教材である」なんだろう。

きっと皆さんが、よく見ている、日本のNゲージなる鉄道模型は、縮尺は1/150らしいが、メルクリンの1番ゲージは縮尺1/32らしい。鉄道模型としては、巨大なのだ。見た事のない、大きさの、ブリキの玩具が、加工場を、ぐるぐる、回り続けるらしい。ジオラマではなく、合板の上で、ただ回り続けるのが、カッコエエのだとおもう。

建築家の秋山東一さん著の「Be-H@usの本」という本を、ご本人から頂戴した。2004年初版発行で、「セルフビルドする木の家。インターネット時代の自立的住宅」というサブタイトルがあって、建築の話が、ためになる。のだが、「パート2 建築家と道具 秋山東一を理解するために」と「パート3 家造りとデザイン:Be-h@usを理解するために」が、とっても面白い。その [デザイン] 認知工学のページに…

全ての玩具は私にとって教材である。
私にとって、その玩具は原寸のPORSHE356であり、
手のひらにのるSchucoのブリキである。

教育学者ペスタロッチは、あらゆる学習の絶対的基礎は、
「ものごとを自分なりの仕方で、しかし、組織的にみることだ」という。

私にとって学習は、

1 視覚的なものであり、

2 もう一つは手の感覚に依存するものである。
そのものの重量感、温度、触感、

3 そして、そのものを玩具たらしめている諸要因を思考することである。

建築家秋山東一さんによるメルクリンとメカノは、「玩具は教材」「組織的に見る」「学習の絶対的基礎としての3項目」なんていうコトを体験するワークショップなのだとおもう….。ご都合がつくようでしたら、お子さま連れ大歓迎ですので、是非11月23日24日にお越し下さい。23日午後3時からのレクチャー「玩具と建築の間」は、必見だとおもいます。全国から秋山東一さんを師と仰ぐ有名工務店の方々もお越しになるそうです。

整う

庭の桜の木が落ち葉を散りばめる季節。秋なのか冬なのか微妙な季節感。日曜日の早朝、あまりにもエエ天気なので、同級生のLINE上で、自転車乗りに行こっ!と、メッセージが飛び交っていたが、住宅相談会がある日曜日なので、断念のメッセージを送信した….ものの、ちょっと悔しいので、朝風呂朝サウナに行ってから、シゴトに望むコトにした。

最近、サウナブームらしい。サウナ入って、水風呂入って、休憩した時、「整う・ととのう」というコトバで、サウナトランスな気分を表現し、ナチュラルハイな感覚を満喫するらしい。ワタシは、どちらかといえば、水風呂ファンなので、地方の温泉施設に行って、サウナがある時の楽しみは、その水風呂の水質が楽しみで、エエ水に入った時は、それだけで、爽快になる。わりと長い時間、水風呂に浸かっているのが好みなので、北欧で、サウナに入って、湖で泳ぐのに、憧れているのだけれど、先日、テントサウナを体験し、川の水に入って、とっても気持ち良かったので、日本で、テントサウナで、十二分に楽しめそう…..。

さて、住宅相談会の午前中のAさんは、数ヶ月前に、三階建て住宅のリフォーム工事の相談にお見えになられたご夫妻で、本日は、概算見積を提出する日だった。最近のリフォームは、どんどん全体的になってきて、内部だけに留まらず、サッシュや外壁や屋根まで、全てまとめて施工すると、かなりなコストになって、新築の金額に匹敵してくるわけで、例えば、外観は後回しにして、内部のリフォームだけに留めるなど、耐久性と快適性と格好良さのコストバランスを、皆で一緒にコミュニケーションするのが、大切なんだろう。

お昼からのBさんは、お住まいの隣の土地を購入し、小さな、倉庫のようなギャラリーを建てる計画の相談でお越しになられた。どんなご縁で、弊社のコトを知ったのですか?!とお聞きすると、以前ジャーナリストの今井一さん主催で、十三のシアターで、数人の専門家を招いてのトークイベントがあり、ご近所のイマイさんの依頼でもあったので、とある日が、ワタシが出番のトークイベントで、なんでも、その回に参加頂いたらしい。

そのトークイベントは、ごく少数の観客だったし、ほとんどが、知り合いが見に来てくれたのだけれど、それが、縁とは不思議で、本日は、田中共子さんによるステンドグラスのワークショップの日だったが、1名参加のマンツーマンの濃密でフレンドリーなワークショップになって、その参加者が、常連のウメモトさんで、いや、それが、タナカトモコさんも、ウメモトさんも、まちのえんがわスタッフのアオキさんも、そのトークイベントに参加してくれた方々で、ま、そういう方々が、偶然集合した、不思議なご縁で繋がった、日曜日のお昼だった。

午後からのCさんは、ご家族でお見えになって、農地を新築工事する計画で、何度かお越しになられて、既に概算見積も提出させて頂いたが、総予算を調整するために、計画案の寸法を調整し、間取りは変えずに、幾分コンパクトにして、床面積を減らし、300万円ほどのコストダウンになった見積書と、BIMによるウオークスルーの立体映像を提案した。若いご夫妻で、東京で観た、前川国男邸のような家になれば嬉しい….なんていう要望を計画案に取り入れたりしたが、先日は、聴竹居を観てきましたよ!なんて仰って、建築ファンな若い方々とのコミュニケーションは楽しい。

木村工務店にお越しになるお客さんは、どちらかといえば、「コダワリ」の持った方々が多いが、しかしながら、強すぎず、また弱すぎずで、特別なコダワリというより、「フツウのコダワリ」なんていう表現が適切かどうか、お昼のBさんとも、そんな感覚で、共感し合ったりして、そういう、特別でなく、ちょっと拘りたい、普通な程度に拘りたい、なんていう方々がいらっしゃれば、是非、日曜日の住宅相談会にお越し下さい。

コミニュケーションで、暖めたり冷やしたり休憩したりしながら、コダワリが整理整頓されて、一緒に、「整う」気分になれたらエエなぁ….とおもえた日曜日。

道頓堀・味園・米子・松江

ひょんなコトから道頓堀の川沿いに佇む。学生の次男が、道頓堀川を調査したいらしく、川沿いでスケッチのようなコトをしていたらしい。そこに合流した奥方から、呼び出されて、たまたま地下鉄に乗車していた時だったので、難波駅で降りることにした。

外国人客が増えたので、戎橋のグリコの看板や道頓堀川沿いの遊歩道は、迂回するか、通過するだけで、ゆっくりその場所に佇むコトなどなかったので、川沿いの手摺にもたれかかりながら、行き交う観光ボートの、外国人客の楽しそうな様子や、きらびやかな電飾の看板と、その光で川面がキラキラしている様子を、なーんとなく眺めると、結構楽しい。となりでは、ガイジンも、同じように手摺にもたれ掛かっていた。

  

この場所が、なんとなく、道頓堀渓谷のようにおもえてきて、渓谷沿いの紅葉のように、「電飾の紅葉」を眺めて気分が高揚するのが、この場所に佇むひとたちの気分なんだろう。地元のワタシたちの居場所がないのが残念で、それは、川沿いのお店が、観光客相手の店構えだからだろうが、ガイジンとニホンジンが混在し、観光客と地元の人が同居する、そんな道頓堀川沿いになれば、もっとエエのにとおもえた夜だった。3人で、はり重の定食を食べて帰る。

橋本健二を偲ぶ会というのが、味園ユニバースであったのが、今週。コップ一個だけが置けるバーかウンターを造って、海に設置したり、スタンダードブックストアーに設置したり、木村家本舗で設置したりと、そういえば、ミラノサローネで展示した結界も木村家本舗で再現したりした。ハッシーのアイデアの実現に、何度かお手伝いさせて頂いたが、もう、その発展形に関われないのが、ちょっと寂しい。それにしても、亡くなってからの、還暦誕生日のお祝いに、こんなに沢山のひとに祝ってもらえるのは、凄い事だな…..。そうそう、先日、木村工務店で、Barエニグマに、橋本健二Barカウンターを設置したので、よろしければ是非。

 

 

さてさて、皆生温泉の菊竹清則が設計した東光園に宿泊している日曜日のいまとここ。ひょんな事から、自転車を通じて、しまなみ海道の生口島の宿Linkで知り合った、米子の歯医者のSさんにアテンドしてもらいながら、同じくその宿で知り合った湘南に住むHさんと、米子と松江をライドするために、遊びに来ている。


↑  山陰の海岸沿いを走る

↑ 松江の武家屋敷の蕎麦屋で出雲蕎麦を食べる。

↑ 屋根が美しい菊竹清訓設計の島根県立美術館

↑ バリスタのチャンピオンがいる松江のカフェ


↑ ミュシュラン一つ星の日本料理店で食す。

そういえば、土曜日のラグビーワールドカップの決勝戦は、米子の東横インのベットに腰掛けながら湘南のHさんと一緒に観て、決勝戦の白熱した試合とともに、このシチュエーションこそが、記憶に残る想い出になったが、今日は、米子の大根島から山陰の海岸沿いを走り、松江のまちに辿り着いて、武家屋敷の蕎麦屋で出雲蕎麦を食べ、松江城を見学し、その天守閣から望む、島根県立美術館の美しい屋根をみて、おもわずその美術館までライドすることになった。菊竹清訓の晩年の設計らしい。バリスタのチャンピオンがいる松江のカフェで、濃厚なエスプレッソと雑味のないあっさりして甘みすら感じる珈琲を飲んで、最後のライドをし、ほっとしようかとおもったら、最後の5kmほどは、土砂降りの雨に見舞われて、びしょ濡れになってしまった。それにしても、昨晩と今晩の二日間、地元の美味しい刺身で、心洗われる気分の米子の夜。

道頓堀・味園・米子・松江と、それぞれの個性的な、界隈に身を委ね、無意識に抱いていた、ちょっとした執着から解放されたような、そんな気分になれた、今週だった。

たけだCampな祝日

正式には、「即位正殿の儀の行われる日」というらしいが、10月22日の火曜日は、今年限定の国民の祝日だったので、静かにテレビを観て、その儀式を眺める。なんていう気分が、全くないわけでもなかったが、生野区の「ものづくり」のひとたちと、その家族25人ほどと一緒に、うちの庭で、「たけだCamp」という、バーベキューをして、楽しく過ごした。

そういえば、もうひとつの、今年限定の国民の休日は、5月1日「天皇即位の日」で、たしか、その日は、新潟県長岡市の馬高縄文館で、「火焔土器」たちと遭遇する、旅の途中だった。たくさんのエネルギッシュで、瞑想的な、火焔土器を見学した後に、穏やかな気分になっていたので、そこの駐車場の車の中で、新天皇のテレビ中継を観たという、個人的なシチュエーションが、とっても印象に残る祝日の朝だった。

今週の祝日の火曜日も、前日は雨で、開催が危ぶまれたが、朝になると、秋晴れの青空がのぞく絶好のバーベキュー日和となり、特別な祝日の影響があるのかどうか、そうそう、皇居では、儀式開始前に、急に雨が止み、日差しが差し込み、虹が出るという、ドラマチックな出来事があったらしいが、なんとなく、平和で和気藹々なムードのなかで、小さな子供達が走り回り、こちらがわでは、ものづくり談議や、ラグビー談議で盛り上がり、あちらがわでは女性トークで盛り上がりと、朝11時頃から夜の7時頃まで、ひたすら食べて飲んで喋って過ごす楽しい一日だった。

  

7年ほど前に、「まちのえんがわ」で、生野区の行政の方を含めた数人の方々と、縁側ミーティングという、まちのことに関する雑談をする、定期的な会を催していたが、その縁側談議のなかで、生野区の「ものづくり」の多種多様さについて、あれやこれやと語り合っているうちに、それが、徐々に、「生野区ものづくり百景」という、生野区のものづくりの会社を紹介する冊子として、成果に繋がっていった。そのすべての企業を巡る行政のタケダさんが、繋ぎ役となって、生野区で、ものづくりをする、若い世代のひとたちの集まりがあり、そのメンバーと家族が集合したのが、今回の「たけだCamp」だった。

ワタシを含めた、ほとんどが、親の代からのものづくりを受け継いだひとたちで、それぞれが、それなりの技術力を持ちながらも、七転八倒し、持続可能なものづくりの会社としての存続に悩んでいるところに、共感と共鳴があって、一緒に過ごしていて、とっても居心地が良いメンバーだった。

今日の日曜日、昼前から、富田林、狭山、河内長野を中心に、キタバ薬局という薬局や、やすらぎの村など、介護事業を展開する、「株式会社せいき」さんの50周年記念の祝宴にお招き頂いたが、高校時代の同級生が役員である関係で、ここ数年、薬局や医院建築の改修工事の設計だけを担当させてもらっている。「地域包括ケア」という考え方が、行政で指導される以前から、独自に取り組んでいる、その成長の歴史や売り上げ高を聞いていると、凄いなぁ…とおもうわけで、89歳になる矍鑠(かくしゃく)とした創業者の「星空を眺めてどぶ板を踏む」「過去は過去」なんていうコトバが印象的だったが、これからの50年は、地域包括ケアーを中心とした、まちづくりに取り組んでいくという…。「志の違い」なのだろうか…と反省してみたワタシ。

ラグビーのコト。天皇制のコト。ものづくりのコト。地域包括ケアとまちづくりを志す企業のコト。そんな出来事を通じて、持続可能な企業の在り様を模索してみた、今週のワタシ。

テントサウナとラグビーの日曜日

ラグビー日本代表の南アフリカ戦は、残念な結果だった。完敗だったなぁ。試合終了後、グランドをおじきして回る日本選手の映像をぼーっと眺める。子供達をグランドに入れて、抱きかかえる姿は、いかにもガイジン的な感じで、そんなシーンが登場するのが、このガイジンとニホンジンによるワンチームの面白さなんだろう。それにしても、これで、ラグビー日本代表チームを応援できなくなるのは、ちょっと寂しいね。振り返ってみれば、このブログも、毎週日曜日の話題はラグビーだったし…。

日曜日の今朝、そこそこの天気だったが、寝室で、今晩はラグビーあるしな…みたいな感覚で、ダラダラっと過ごしていたら、長男の奥さんが、「テントサウナ」に行くので、一緒に行きませんか?!と誘ってくれた。河内長野の滝谷ダムの奥にある光源寺キャップ場でデイキャンプをしながらテントサウナをするらしい。小さなテントの中に薪ストーブを入れて、サウナにし、汗を流し、川や湖に入って、体を冷やし、自然の中で、椅子で寛ぎ、ナチュラルハイな気分を満喫するスタイルがテントサウナの面白さらしい。

奥方はきっぱりと参加しないと表明したので、自転車で行こうかどうか思案してみた。約45kmほど、往復しても100kmまでだが、サウナに入ったあと、自転車を漕いで、帰る気分になるのかどうか…30分ほど、躊躇と葛藤しながら、なんとなく、服を着替えて、自転車を漕だして、久宝寺緑地公園の中を抜け、八尾の寺内町を抜け、長瀬川沿いを南下し、大和川から石川沿いの自転車道をひたすら走る。滝谷不動近くのコンビニで休憩し、黄金の稲穂と稲刈りが混在する美しい里山の旧道を走って、河内長野駅を通過する。花の文化園の横を通り抜け、車一台ほどの道を上ったり下ったり上ったりしながら、滝畑ダムに辿り着いて、そこから4kmほど上って、光源寺キャンプ場に到着した。意外に、デイキャンプの人が多いのに驚いたが、ここまで、信号待ちをしたのが、3回だけで、2時間ちょと、遠いような近いような。

マゴたちが、自転車に乗ったジィーの登場に、驚いて喜んでくれたので、疲れも吹き飛んだが、それより、想像以上に「テントサウナ」は快適だった。テントの中でも、汗が流れるぐらいの温度になるのだな。ま、60℃70℃ぐらい、タオル振り回して、ロウリュウ-だってできる。なによりも、サウナのあとが、水風呂でなく、自然な川の水なのが、とっても気持ちが良い。そのあと、椅子でゆっくり寛ぎたいところだが、マゴの遊ぼう!攻撃で、ゆっくりできなかったのが、ま、しかたないが、あらたな、Campの楽しみ方が、あるよな…。



 

想定通りというのか、サウナに入って寛ぐと、自転車に乗る気分でもなくなり、キャンプ場で、キャンプ道具でいっぱいの自動車の荷台に、ぐぅぐぃーと、自転車を車の中に押し込んで、長男家族に連れて帰ってもらった。そんなテントサウナとラグビーの日曜日だった。

大型台風とラグビーの週末

ちょっと特異な週末だった。土曜日は、木村工務店のリクリエーションデーで、ゴルフ組、釣り組、建築観光組、サーフィン組と、それぞれに別れて、楽しむ予定だったが、週末の大型台風接近のため、全てが中止となり、土曜日は台風待機の臨時休業となった…。と言いたいところだが、なんと、宮崎に飛行機でサーフィン旅行に行く予定の、現場監督と大工組は、伊丹発の土曜日早朝の飛行機だけが、飛ぶことになり、どうやら快晴の宮崎でサーフィンを楽しんだらしい。

大阪は、台風待機の静かな土曜日だった。雨が降り続くなか、静かに台風の接近と通過を待ち続けた。マゴたちも、うちのリビングダイニングにやってきて、一緒に食事をしながら、心穏やかに過ごす。昨年のような猛烈な風が吹く事もなく、雨が降りしきる中、全てが静止したかのような、穏やかな土曜日だった。台風直撃でない、台風待ちは、皮肉なもので、休日というコトバどおり、静かに休む日となり、仕事が流れ続けるなかの、ひとつのギャップ、割れ目、隙間のようにさえおもえた。昨年のドキドキした気分とは大違いだな。

夜になると、テレビの映像は、関東甲信越の、河川の決壊を、刻々と伝える。穏やかな大阪とは対照的な映像の世界。水没する家々。その地域の工務店は、どのように対応するのだろうか…。昨年の大阪を直撃した台風は、猛烈な風で、屋根に甚大な被害があり、未だに対応できない家があるのだが、今年の大型台風は、大雨で、多くの家が、浸水する。屋根以上に、工務店の対応は、タイヘンなのかもしれない…。多くのボランティアの力が必要とされるのだろうか…。

日曜日の朝。大阪は、雨上がりで、青空も見え隠れする曇り空の天気。朝から自転車でも乗って、体を動かせそうな天候だったが、周辺に漂う気分は、テレビを付けて台風被害のテレビ映像を眺め続けるほうがエエよ。って言われているような気がして、堤防決壊の映像を工務店の立ち場で眺める朝だった…。9時すぎ、奥方が、フィットネス付きのスーパー銭湯に行こうというので、一緒に行くことにする。最近、40分ほど、室内自転車を漕いで、その後、お風呂入って、サウナ入って、水風呂入って、が、とってもストレスケアーになると感じて、何度か体験中のマイブーム。そのあと、コメダ珈琲で、味噌カツサンドとたっぷりコーヒー飲んで、日曜日の午前中は、過ぎていった。

台風待ちの土曜日のお昼に対して、日曜日のお昼は、日本対スコットランドの試合開始を待つ、妙な日曜日のお昼だった。大型台風とラグビーという、とっても珍しい、不思議な組み合わせで、待ち時間も含めて、印象に残る週末だった。先週観た映画の影響もあって、「ブルーノート80年のヒット曲」をSpotifyのシャッフル再生で聞いているうちに、夕方になってしまった。それで、観戦前の準備として、奥方と、元祖回転寿司の布施の元禄寿司に、自転車で行って、お腹を満たしてから、試合に臨む。それぞれが、ちょっとドキドキ気分を味わいながら、それぞれの試合前を楽しんだ、日曜日なんだろう…。

それにしても、試合終了前の10分間は、ドキドキして、興奮した。ライブ映像で、この感情的起伏を体験させてくれた、ラグビー日本チームに、祝福のコトバをかけてあげたい気分。そうそう、試合終了後のニュースには、ラグビー勝利の映像とともに、台風被害の映像が流れ、それが、同時に混在している、日本の「いま」に、より深い印象をもつことになった、ちょっと特異な週末だった。

 

木村家パッブリクビューイングとブルーノート・レコード

ラグビーワールドカップに熱中する今週。土曜日の日本対サモア戦は、うちの家のテレビの前に、長男家族がマゴ二人を連れて、4人でやってきて、それに、東京に下宿中の次男が、所用で数日前に大阪に帰っていたので、木村家パブリックビューイングに参戦し、そんなこんなで、始まる前からドキドキ感が高まってきて、それにしても、何はともあれ、ワタシの奥方と長男の奥方が、我が家のキッチンで、一緒に食事を作り、皆でテーブルに座って、一緒に食べ、もちろん、ビールを飲むのが、ラグビー観戦の所作らしいので、その作法に従い、ビールで乾杯し、お腹を満腹にして、皆で試合に臨む。

一喜一憂し、皆で、行けぇ!っと叫び、トライが決まると、ハイタッチをし、ワァァとか、エェェとか、大人達が叫ぶ姿を見ている、2歳と3歳の兄弟のマゴが、その勢いに乗せられて、ハイテンションで、ぐるぐると部屋のあちらこちらを走り回り、サッカーとラグビーの違いが判るはずもなく、サッカーボールを蹴ったり、クッションを持って走ったり、なんだかお祭り騒ぎな夜だった。何よりも、野球ともサッカーとも違う感覚で、女性達が熱中している姿が、エエなぁ…とおもうわけで、ガイジンとニホンジンが一体となって立ち向かう姿がエエのだろうか。奥方も長男奥方も、リーチマイケルが、果敢に立ち向かう姿に、カッコエエよねぇ…なんていう、愛情のこもったトーンが発せられるのが、この日本チームの良さなんだろう。

ジィー、と、試合の盛りあがっている時に、マゴの長男イッケイが、ワタシを呼び、オシッコでそうやから、便所に付き合って、という。攻める日本チームの映像に、後ろ髪を引かれながら、笑顔で一緒に便所に行き、ちょっと、待っといてぇ! というマゴの指示のもと、扉の外にいてると、ワァ!行けぇ!っという皆の叫び声があり、ヤッターァと拍手が響き渡り、サモア出身のラファエレがトライした瞬間だった。便所のマゴをほって、テレビのもとに走り、リプレイをみて、ワタシも歓声をあげる。サモア戦でサモア出身の選手が、先制トライをする、なんていうドラマのようなストーリーが、おもしろいし、試合後、サモアの選手が、ナイストライ!お前はサモアの誇りだ!と言ったそうな…。これからの日本の社会の在り様の、ひとつのモデルなのか…。

そうそう、普段は、施主との打ち合わせが、土曜日に集中するのだが、このサモア戦があった土曜日は、うちの社員の多くが、子供の行事ごとがあったりで、休みの社員が多く、打ち合わせが全くない、珍しい土曜日だった。なので、昼前後の時間帯が、ぽかっと空いて、それで、当日予約で、シネリーブル梅田で、「ブルーノート・レコード ジャズを超えて」というドキュメンタリー映画を観る。木村工務店の社員紹介の「写真」は、ブルーノートのレコードアルバムから、それぞれひとつチョイスして、それぞれの顔写真を当てはめている。いかにも大阪人的ワルノリなんだけれど、それでも、ブルノートレコードのアートワークには、かなり敬意を持っているわけで、そのわりには、レコード会社の経緯は全く知らず、木村工務店との、勝手な関わりを考慮すると、観ないわけにはいかない。

映画終了後、若い4人ぐらいのグループの男子が、メッチャクチャエエ映画やったなぁ。観て良かったなぁ。なんていう感想を、その場で口にしたくなる、確かに、抑えきれないようなエエ気分になる、そんな映画だった。2週間ほど前に観た、三谷幸喜の映画終了後の気分とは、全く違う感覚で、どちらかといえば、ラグビーワールドカップでの日本チームの、これまでの3戦の後の気分に近い感覚だとおもう。

建築繋がりなネタとしてひとつ…。録音技師のルディヴァンゲルダーというひとがいて、昔からの、なちゃってファンなんだけど、どんな部屋で録音してたのかと、前々から、興味を抱いていたら、初期は、自分の家の居間で録音していたという、へぇーっとおもったが、後に、フランクロイド・ライトのファンで、その弟子に頼んで、11m(あってるかな)近くある、天井の高いスタジオを建て、方形的な屋根で、木組みの垂木の見える映像がでてきた。教会と間違えられることもあった…みたいな語りがあり、ほぉーっとちょっと唸り声がでそうだった。建築探訪として、そのスタジオに行ってみたい気分。それにしても、女性監督のソフィー・フーバーがエエよなぁ…。

ラグビーワールドカップとブルノートジャズから、エエ気分なギフトを頂戴した、そんな土曜日だった。

秋の夜長を庭で一緒に過ごす。

写真家多田ユウコさんによる、写真ワークショップがあった、日曜日。木村工務店の向かいにある、木村家を撮影場所として、建築写真を撮影するワークショップを開催してみたい!と提案されて、それぇ、ちょっと面白そう、オッケー!と、躊躇せず返答し、奥方にそのコトを伝えるのを忘れていると、数日して、「あんた!、なに、かんがえてんのぉ!」「自宅を撮影現場にしてどぉすんのぉ!」「だれが、かたづけと、そうじ、するのぉ!」と強くアピールされ、間髪を入れず、ゴメン!と謝って、確かに、そうやな! みたいな、間の抜けた返答をすると、寝室と洗面お風呂だけは、絶対アカンで!と、大阪のおばちゃん的突っ込みの、ま、しゃぁないわ!許しといたるわ!的同意を得たものの、9人の参加者があり、流石に、数日前になると、家の見学とは違う、緊張感のようなものが漂って、掃除だけでなく、家族写真とか、本の置き方とか、その他、なんだかんだ。整理整頓するだけで、精一杯なのに、そのうえに、ワークショップ終了後には、木村家のガーデンで、ビヤガーデンをしよう!という提案まで、快く受け入れてしまったものだから、庭の掃除と机と椅子の準備に、夜の照明計画とその設置作業に、追いたくられ、時間が差し迫ってきて、ワークショップ開始時刻の13時に少々遅れてしまう、てんやわんやな日曜日の午前中だった。

建築の設計の方が3名、木製建具屋さんが1名、吉野檜の製材所の方が1名と、建築のプロの参加者だけでなく、小学校3年生男子がお母さんと一緒に参加してくれて、シニア-な女性や、家を施工させて頂いた、ご主人、同じく施工させて頂いた別の家の奥さん、と、多様な年齢の男女が一緒にワークショップを体験出来るところに、建築写真撮影の面白さがあるのだろう。撮影後の講評会での、それぞれの個性の違いと、あらためて、プロの建築写真の、上手さを知った、そんな建築写真を撮影するワークショップだった。

「木村家ガーデンでビヤガーデン」なんていうタイトルで、その後の懇親会を開催したのだけれど、2010年から5年ほど続けた木村家本舗というイベントで、昼や夜のガーデンパーティーを何度か開催していたので、気軽に考えているところもあったが、いざ、その日が近づいてくると、雨が降るのか降らないのか、そんなコトが気になるだけでなく、庭を開放してみるコトに微妙な億劫感みたいな気分が増大し、やっぱり4年間のブランクというものが、ヒトに躊躇みたいな気分を増幅させるのだとおもう。

   ま、そんな感情と付き合いながら、ぐたぐた感を、なんとなくやり過ごし、いざ、開催してみると、おもいのほか沢山の方々に参加頂いて、その、赤ちゃんから子供からシニアまでの老若男女が、ゆるやかに動く姿と、それぞれの会話からうまれる話し声の響きが、コートハウスの草木と建築とビールと食事に、絡み合い、発散される、その波動が心地良く、秋の夜長を庭で一緒に過ごした皆さんに、とっても感謝したい気分。Thanks!

シニアな感覚

ラクビーワールドカップが始まって「行けぇ!」と思わず叫んでしまう興奮の夜。

そうそう、マゴの幼稚園の敬老の日の参観があって、夫婦で参加し、もちろん、マゴの振る舞いが気になるわけだが、それにしても、この、おじいちゃん、おばあちゃん、と呼ばれるなかに、ワタシたち夫婦がいて、周囲のおじいちゃんとワタシも同じ立ち位置にあるコトに、なんとなく、ショックをうけ、ワタシの息子達が通った幼稚園にマゴも通い、あの時どうだったのかと、運動会や学芸会の時のコトを想い出しながら、自分の息子たちの時より、マゴたちの時の方が、親の立ち位置の時とは全く違う心境で、マゴのコトが気になっているワタシが居て、同じように、ワタシの両親も祖父母もそんな心境で、ワタシや息子たちを見守っていたのだな…と、今さらに感謝する感情も湧いてきて、ワタシが親の立ち位置の時には、見守るというより、より直接的な心情だったが、マゴの立ち位置になると、見守り感がより強いよな…とおもうわけで、誰もが見守られて成長するのだな。なんて、全く予期せぬ感情と遭遇した敬老の日だった。

連休の日曜日。台風接近で、雨予報だったが、前日には曇り予報に変わっていたので、同級生を誘って、シニアな健康意識を衝動的エナジーにして、午前中だけ、自転車に乗る。八尾の葡萄坂を登って、のどか村で休憩し、朝護孫子寺を参拝する。聖徳太子とか物部守屋とか毘沙門天王とか、そんな名前が連なるところに、不思議さと力強さを感じるが、寅の置物と本堂からの大和盆地の眺めが、気分を爽快にしてくれるのが、「超いいね」でもある。

 

そうそう、何度も通っているうちに気付いたが、廊下に、ケースに入った生け花があり、信貴山真華流というらしいが、それが美しくカッコエエので、それを見るのも最近の楽しみになった。門前町の集落を抜けながら、空き家が売りに出ている話しを聞いて、十三峠に向かう。展望台を下り、水呑み地蔵で、大阪平野を眺めて休憩した。ハルカスが真っ正面に見えて、時として大阪平野も美しい。坂を下り、外環沿いのカフェで、モーニングランチを食べたが、休日の朝なので、子供連れの親子、おじいちゃんおばあちゃんとの子供連れ親子、母と娘カップル、おばあちゃんカップルなどなどで、満員。日曜日の朝に、マゴと親子とでモーニング。なんていうのが、最近のひとつのシニアな文化だな。

午後から、ゴロゴロとしていたら、急に、奥方が、映画を見にいこうと誘ってきた。布施のラインシネマで、三谷幸喜の「記憶にございません」を見るという。上映まで、あと20分。夕立の雨の中、リゲッタのサンダル履いて、ママチャリの「さすべえ」に傘をさして、映画館に向かって、5分ほど、席予約して、コーラとポップコーン買って、満員になることのない映画館で、リラックスして、観る。みたいな感覚が、下町映画館の良さで、小さい頃から布施の映画館で育っているので、大阪のおばちゃんやおっちゃんの独特のトーンの笑い声が響く館内が、とっても庶民的で、落ち着いて、好き。

上映時刻まで待合のベンチに座っていると、ひとりで映画を見に来た、そこそこ年配のおばちゃんが、隣に座っている、おなじくひとりで映画を見に来ている、やっぱりそこそこ年配のおばちゃんに、この映画館も来年の2月に閉館するらしいで、これでまたひとつの文化がなくなるわ。っていう話から、政治の話に移って、延々、いまの政治状況を語ってくれて、その情景が、まるで、これから始まる三谷映画の前説のようで、いとおかし…だった。

映画館代金が、シニア割引や、夫婦割が適用になって、嬉しいが、あらためて、いまの置かれている、年齢と立ち位置を意識してしまう、そんなシニアな感覚になってきたワタシ。

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