たけだCampな祝日

正式には、「即位正殿の儀の行われる日」というらしいが、10月22日の火曜日は、今年限定の国民の祝日だったので、静かにテレビを観て、その儀式を眺める。なんていう気分が、全くないわけでもなかったが、生野区の「ものづくり」のひとたちと、その家族25人ほどと一緒に、うちの庭で、「たけだCamp」という、バーベキューをして、楽しく過ごした。

そういえば、もうひとつの、今年限定の国民の休日は、5月1日「天皇即位の日」で、たしか、その日は、新潟県長岡市の馬高縄文館で、「火焔土器」たちと遭遇する、旅の途中だった。たくさんのエネルギッシュで、瞑想的な、火焔土器を見学した後に、穏やかな気分になっていたので、そこの駐車場の車の中で、新天皇のテレビ中継を観たという、個人的なシチュエーションが、とっても印象に残る祝日の朝だった。

今週の祝日の火曜日も、前日は雨で、開催が危ぶまれたが、朝になると、秋晴れの青空がのぞく絶好のバーベキュー日和となり、特別な祝日の影響があるのかどうか、そうそう、皇居では、儀式開始前に、急に雨が止み、日差しが差し込み、虹が出るという、ドラマチックな出来事があったらしいが、なんとなく、平和で和気藹々なムードのなかで、小さな子供達が走り回り、こちらがわでは、ものづくり談議や、ラグビー談議で盛り上がり、あちらがわでは女性トークで盛り上がりと、朝11時頃から夜の7時頃まで、ひたすら食べて飲んで喋って過ごす楽しい一日だった。

  

7年ほど前に、「まちのえんがわ」で、生野区の行政の方を含めた数人の方々と、縁側ミーティングという、まちのことに関する雑談をする、定期的な会を催していたが、その縁側談議のなかで、生野区の「ものづくり」の多種多様さについて、あれやこれやと語り合っているうちに、それが、徐々に、「生野区ものづくり百景」という、生野区のものづくりの会社を紹介する冊子として、成果に繋がっていった。そのすべての企業を巡る行政のタケダさんが、繋ぎ役となって、生野区で、ものづくりをする、若い世代のひとたちの集まりがあり、そのメンバーと家族が集合したのが、今回の「たけだCamp」だった。

ワタシを含めた、ほとんどが、親の代からのものづくりを受け継いだひとたちで、それぞれが、それなりの技術力を持ちながらも、七転八倒し、持続可能なものづくりの会社としての存続に悩んでいるところに、共感と共鳴があって、一緒に過ごしていて、とっても居心地が良いメンバーだった。

今日の日曜日、昼前から、富田林、狭山、河内長野を中心に、キタバ薬局という薬局や、やすらぎの村など、介護事業を展開する、「株式会社せいき」さんの50周年記念の祝宴にお招き頂いたが、高校時代の同級生が役員である関係で、ここ数年、薬局や医院建築の改修工事の設計だけを担当させてもらっている。「地域包括ケア」という考え方が、行政で指導される以前から、独自に取り組んでいる、その成長の歴史や売り上げ高を聞いていると、凄いなぁ…とおもうわけで、89歳になる矍鑠(かくしゃく)とした創業者の「星空を眺めてどぶ板を踏む」「過去は過去」なんていうコトバが印象的だったが、これからの50年は、地域包括ケアーを中心とした、まちづくりに取り組んでいくという…。「志の違い」なのだろうか…と反省してみたワタシ。

ラグビーのコト。天皇制のコト。ものづくりのコト。地域包括ケアとまちづくりを志す企業のコト。そんな出来事を通じて、持続可能な企業の在り様を模索してみた、今週のワタシ。

テントサウナとラグビーの日曜日

ラグビー日本代表の南アフリカ戦は、残念な結果だった。完敗だったなぁ。試合終了後、グランドをおじきして回る日本選手の映像をぼーっと眺める。子供達をグランドに入れて、抱きかかえる姿は、いかにもガイジン的な感じで、そんなシーンが登場するのが、このガイジンとニホンジンによるワンチームの面白さなんだろう。それにしても、これで、ラグビー日本代表チームを応援できなくなるのは、ちょっと寂しいね。振り返ってみれば、このブログも、毎週日曜日の話題はラグビーだったし…。

日曜日の今朝、そこそこの天気だったが、寝室で、今晩はラグビーあるしな…みたいな感覚で、ダラダラっと過ごしていたら、長男の奥さんが、「テントサウナ」に行くので、一緒に行きませんか?!と誘ってくれた。河内長野の滝谷ダムの奥にある光源寺キャップ場でデイキャンプをしながらテントサウナをするらしい。小さなテントの中に薪ストーブを入れて、サウナにし、汗を流し、川や湖に入って、体を冷やし、自然の中で、椅子で寛ぎ、ナチュラルハイな気分を満喫するスタイルがテントサウナの面白さらしい。

奥方はきっぱりと参加しないと表明したので、自転車で行こうかどうか思案してみた。約45kmほど、往復しても100kmまでだが、サウナに入ったあと、自転車を漕いで、帰る気分になるのかどうか…30分ほど、躊躇と葛藤しながら、なんとなく、服を着替えて、自転車を漕だして、久宝寺緑地公園の中を抜け、八尾の寺内町を抜け、長瀬川沿いを南下し、大和川から石川沿いの自転車道をひたすら走る。滝谷不動近くのコンビニで休憩し、黄金の稲穂と稲刈りが混在する美しい里山の旧道を走って、河内長野駅を通過する。花の文化園の横を通り抜け、車一台ほどの道を上ったり下ったり上ったりしながら、滝畑ダムに辿り着いて、そこから4kmほど上って、光源寺キャンプ場に到着した。意外に、デイキャンプの人が多いのに驚いたが、ここまで、信号待ちをしたのが、3回だけで、2時間ちょと、遠いような近いような。

マゴたちが、自転車に乗ったジィーの登場に、驚いて喜んでくれたので、疲れも吹き飛んだが、それより、想像以上に「テントサウナ」は快適だった。テントの中でも、汗が流れるぐらいの温度になるのだな。ま、60℃70℃ぐらい、タオル振り回して、ロウリュウ-だってできる。なによりも、サウナのあとが、水風呂でなく、自然な川の水なのが、とっても気持ちが良い。そのあと、椅子でゆっくり寛ぎたいところだが、マゴの遊ぼう!攻撃で、ゆっくりできなかったのが、ま、しかたないが、あらたな、Campの楽しみ方が、あるよな…。



 

想定通りというのか、サウナに入って寛ぐと、自転車に乗る気分でもなくなり、キャンプ場で、キャンプ道具でいっぱいの自動車の荷台に、ぐぅぐぃーと、自転車を車の中に押し込んで、長男家族に連れて帰ってもらった。そんなテントサウナとラグビーの日曜日だった。

大型台風とラグビーの週末

ちょっと特異な週末だった。土曜日は、木村工務店のリクリエーションデーで、ゴルフ組、釣り組、建築観光組、サーフィン組と、それぞれに別れて、楽しむ予定だったが、週末の大型台風接近のため、全てが中止となり、土曜日は台風待機の臨時休業となった…。と言いたいところだが、なんと、宮崎に飛行機でサーフィン旅行に行く予定の、現場監督と大工組は、伊丹発の土曜日早朝の飛行機だけが、飛ぶことになり、どうやら快晴の宮崎でサーフィンを楽しんだらしい。

大阪は、台風待機の静かな土曜日だった。雨が降り続くなか、静かに台風の接近と通過を待ち続けた。マゴたちも、うちのリビングダイニングにやってきて、一緒に食事をしながら、心穏やかに過ごす。昨年のような猛烈な風が吹く事もなく、雨が降りしきる中、全てが静止したかのような、穏やかな土曜日だった。台風直撃でない、台風待ちは、皮肉なもので、休日というコトバどおり、静かに休む日となり、仕事が流れ続けるなかの、ひとつのギャップ、割れ目、隙間のようにさえおもえた。昨年のドキドキした気分とは大違いだな。

夜になると、テレビの映像は、関東甲信越の、河川の決壊を、刻々と伝える。穏やかな大阪とは対照的な映像の世界。水没する家々。その地域の工務店は、どのように対応するのだろうか…。昨年の大阪を直撃した台風は、猛烈な風で、屋根に甚大な被害があり、未だに対応できない家があるのだが、今年の大型台風は、大雨で、多くの家が、浸水する。屋根以上に、工務店の対応は、タイヘンなのかもしれない…。多くのボランティアの力が必要とされるのだろうか…。

日曜日の朝。大阪は、雨上がりで、青空も見え隠れする曇り空の天気。朝から自転車でも乗って、体を動かせそうな天候だったが、周辺に漂う気分は、テレビを付けて台風被害のテレビ映像を眺め続けるほうがエエよ。って言われているような気がして、堤防決壊の映像を工務店の立ち場で眺める朝だった…。9時すぎ、奥方が、フィットネス付きのスーパー銭湯に行こうというので、一緒に行くことにする。最近、40分ほど、室内自転車を漕いで、その後、お風呂入って、サウナ入って、水風呂入って、が、とってもストレスケアーになると感じて、何度か体験中のマイブーム。そのあと、コメダ珈琲で、味噌カツサンドとたっぷりコーヒー飲んで、日曜日の午前中は、過ぎていった。

台風待ちの土曜日のお昼に対して、日曜日のお昼は、日本対スコットランドの試合開始を待つ、妙な日曜日のお昼だった。大型台風とラグビーという、とっても珍しい、不思議な組み合わせで、待ち時間も含めて、印象に残る週末だった。先週観た映画の影響もあって、「ブルーノート80年のヒット曲」をSpotifyのシャッフル再生で聞いているうちに、夕方になってしまった。それで、観戦前の準備として、奥方と、元祖回転寿司の布施の元禄寿司に、自転車で行って、お腹を満たしてから、試合に臨む。それぞれが、ちょっとドキドキ気分を味わいながら、それぞれの試合前を楽しんだ、日曜日なんだろう…。

それにしても、試合終了前の10分間は、ドキドキして、興奮した。ライブ映像で、この感情的起伏を体験させてくれた、ラグビー日本チームに、祝福のコトバをかけてあげたい気分。そうそう、試合終了後のニュースには、ラグビー勝利の映像とともに、台風被害の映像が流れ、それが、同時に混在している、日本の「いま」に、より深い印象をもつことになった、ちょっと特異な週末だった。

 

木村家パッブリクビューイングとブルーノート・レコード

ラグビーワールドカップに熱中する今週。土曜日の日本対サモア戦は、うちの家のテレビの前に、長男家族がマゴ二人を連れて、4人でやってきて、それに、東京に下宿中の次男が、所用で数日前に大阪に帰っていたので、木村家パブリックビューイングに参戦し、そんなこんなで、始まる前からドキドキ感が高まってきて、それにしても、何はともあれ、ワタシの奥方と長男の奥方が、我が家のキッチンで、一緒に食事を作り、皆でテーブルに座って、一緒に食べ、もちろん、ビールを飲むのが、ラグビー観戦の所作らしいので、その作法に従い、ビールで乾杯し、お腹を満腹にして、皆で試合に臨む。

一喜一憂し、皆で、行けぇ!っと叫び、トライが決まると、ハイタッチをし、ワァァとか、エェェとか、大人達が叫ぶ姿を見ている、2歳と3歳の兄弟のマゴが、その勢いに乗せられて、ハイテンションで、ぐるぐると部屋のあちらこちらを走り回り、サッカーとラグビーの違いが判るはずもなく、サッカーボールを蹴ったり、クッションを持って走ったり、なんだかお祭り騒ぎな夜だった。何よりも、野球ともサッカーとも違う感覚で、女性達が熱中している姿が、エエなぁ…とおもうわけで、ガイジンとニホンジンが一体となって立ち向かう姿がエエのだろうか。奥方も長男奥方も、リーチマイケルが、果敢に立ち向かう姿に、カッコエエよねぇ…なんていう、愛情のこもったトーンが発せられるのが、この日本チームの良さなんだろう。

ジィー、と、試合の盛りあがっている時に、マゴの長男イッケイが、ワタシを呼び、オシッコでそうやから、便所に付き合って、という。攻める日本チームの映像に、後ろ髪を引かれながら、笑顔で一緒に便所に行き、ちょっと、待っといてぇ! というマゴの指示のもと、扉の外にいてると、ワァ!行けぇ!っという皆の叫び声があり、ヤッターァと拍手が響き渡り、サモア出身のラファエレがトライした瞬間だった。便所のマゴをほって、テレビのもとに走り、リプレイをみて、ワタシも歓声をあげる。サモア戦でサモア出身の選手が、先制トライをする、なんていうドラマのようなストーリーが、おもしろいし、試合後、サモアの選手が、ナイストライ!お前はサモアの誇りだ!と言ったそうな…。これからの日本の社会の在り様の、ひとつのモデルなのか…。

そうそう、普段は、施主との打ち合わせが、土曜日に集中するのだが、このサモア戦があった土曜日は、うちの社員の多くが、子供の行事ごとがあったりで、休みの社員が多く、打ち合わせが全くない、珍しい土曜日だった。なので、昼前後の時間帯が、ぽかっと空いて、それで、当日予約で、シネリーブル梅田で、「ブルーノート・レコード ジャズを超えて」というドキュメンタリー映画を観る。木村工務店の社員紹介の「写真」は、ブルーノートのレコードアルバムから、それぞれひとつチョイスして、それぞれの顔写真を当てはめている。いかにも大阪人的ワルノリなんだけれど、それでも、ブルノートレコードのアートワークには、かなり敬意を持っているわけで、そのわりには、レコード会社の経緯は全く知らず、木村工務店との、勝手な関わりを考慮すると、観ないわけにはいかない。

映画終了後、若い4人ぐらいのグループの男子が、メッチャクチャエエ映画やったなぁ。観て良かったなぁ。なんていう感想を、その場で口にしたくなる、確かに、抑えきれないようなエエ気分になる、そんな映画だった。2週間ほど前に観た、三谷幸喜の映画終了後の気分とは、全く違う感覚で、どちらかといえば、ラグビーワールドカップでの日本チームの、これまでの3戦の後の気分に近い感覚だとおもう。

建築繋がりなネタとしてひとつ…。録音技師のルディヴァンゲルダーというひとがいて、昔からの、なちゃってファンなんだけど、どんな部屋で録音してたのかと、前々から、興味を抱いていたら、初期は、自分の家の居間で録音していたという、へぇーっとおもったが、後に、フランクロイド・ライトのファンで、その弟子に頼んで、11m(あってるかな)近くある、天井の高いスタジオを建て、方形的な屋根で、木組みの垂木の見える映像がでてきた。教会と間違えられることもあった…みたいな語りがあり、ほぉーっとちょっと唸り声がでそうだった。建築探訪として、そのスタジオに行ってみたい気分。それにしても、女性監督のソフィー・フーバーがエエよなぁ…。

ラグビーワールドカップとブルノートジャズから、エエ気分なギフトを頂戴した、そんな土曜日だった。

秋の夜長を庭で一緒に過ごす。

写真家多田ユウコさんによる、写真ワークショップがあった、日曜日。木村工務店の向かいにある、木村家を撮影場所として、建築写真を撮影するワークショップを開催してみたい!と提案されて、それぇ、ちょっと面白そう、オッケー!と、躊躇せず返答し、奥方にそのコトを伝えるのを忘れていると、数日して、「あんた!、なに、かんがえてんのぉ!」「自宅を撮影現場にしてどぉすんのぉ!」「だれが、かたづけと、そうじ、するのぉ!」と強くアピールされ、間髪を入れず、ゴメン!と謝って、確かに、そうやな! みたいな、間の抜けた返答をすると、寝室と洗面お風呂だけは、絶対アカンで!と、大阪のおばちゃん的突っ込みの、ま、しゃぁないわ!許しといたるわ!的同意を得たものの、9人の参加者があり、流石に、数日前になると、家の見学とは違う、緊張感のようなものが漂って、掃除だけでなく、家族写真とか、本の置き方とか、その他、なんだかんだ。整理整頓するだけで、精一杯なのに、そのうえに、ワークショップ終了後には、木村家のガーデンで、ビヤガーデンをしよう!という提案まで、快く受け入れてしまったものだから、庭の掃除と机と椅子の準備に、夜の照明計画とその設置作業に、追いたくられ、時間が差し迫ってきて、ワークショップ開始時刻の13時に少々遅れてしまう、てんやわんやな日曜日の午前中だった。

建築の設計の方が3名、木製建具屋さんが1名、吉野檜の製材所の方が1名と、建築のプロの参加者だけでなく、小学校3年生男子がお母さんと一緒に参加してくれて、シニア-な女性や、家を施工させて頂いた、ご主人、同じく施工させて頂いた別の家の奥さん、と、多様な年齢の男女が一緒にワークショップを体験出来るところに、建築写真撮影の面白さがあるのだろう。撮影後の講評会での、それぞれの個性の違いと、あらためて、プロの建築写真の、上手さを知った、そんな建築写真を撮影するワークショップだった。

「木村家ガーデンでビヤガーデン」なんていうタイトルで、その後の懇親会を開催したのだけれど、2010年から5年ほど続けた木村家本舗というイベントで、昼や夜のガーデンパーティーを何度か開催していたので、気軽に考えているところもあったが、いざ、その日が近づいてくると、雨が降るのか降らないのか、そんなコトが気になるだけでなく、庭を開放してみるコトに微妙な億劫感みたいな気分が増大し、やっぱり4年間のブランクというものが、ヒトに躊躇みたいな気分を増幅させるのだとおもう。

   ま、そんな感情と付き合いながら、ぐたぐた感を、なんとなくやり過ごし、いざ、開催してみると、おもいのほか沢山の方々に参加頂いて、その、赤ちゃんから子供からシニアまでの老若男女が、ゆるやかに動く姿と、それぞれの会話からうまれる話し声の響きが、コートハウスの草木と建築とビールと食事に、絡み合い、発散される、その波動が心地良く、秋の夜長を庭で一緒に過ごした皆さんに、とっても感謝したい気分。Thanks!

シニアな感覚

ラクビーワールドカップが始まって「行けぇ!」と思わず叫んでしまう興奮の夜。

そうそう、マゴの幼稚園の敬老の日の参観があって、夫婦で参加し、もちろん、マゴの振る舞いが気になるわけだが、それにしても、この、おじいちゃん、おばあちゃん、と呼ばれるなかに、ワタシたち夫婦がいて、周囲のおじいちゃんとワタシも同じ立ち位置にあるコトに、なんとなく、ショックをうけ、ワタシの息子達が通った幼稚園にマゴも通い、あの時どうだったのかと、運動会や学芸会の時のコトを想い出しながら、自分の息子たちの時より、マゴたちの時の方が、親の立ち位置の時とは全く違う心境で、マゴのコトが気になっているワタシが居て、同じように、ワタシの両親も祖父母もそんな心境で、ワタシや息子たちを見守っていたのだな…と、今さらに感謝する感情も湧いてきて、ワタシが親の立ち位置の時には、見守るというより、より直接的な心情だったが、マゴの立ち位置になると、見守り感がより強いよな…とおもうわけで、誰もが見守られて成長するのだな。なんて、全く予期せぬ感情と遭遇した敬老の日だった。

連休の日曜日。台風接近で、雨予報だったが、前日には曇り予報に変わっていたので、同級生を誘って、シニアな健康意識を衝動的エナジーにして、午前中だけ、自転車に乗る。八尾の葡萄坂を登って、のどか村で休憩し、朝護孫子寺を参拝する。聖徳太子とか物部守屋とか毘沙門天王とか、そんな名前が連なるところに、不思議さと力強さを感じるが、寅の置物と本堂からの大和盆地の眺めが、気分を爽快にしてくれるのが、「超いいね」でもある。

 

そうそう、何度も通っているうちに気付いたが、廊下に、ケースに入った生け花があり、信貴山真華流というらしいが、それが美しくカッコエエので、それを見るのも最近の楽しみになった。門前町の集落を抜けながら、空き家が売りに出ている話しを聞いて、十三峠に向かう。展望台を下り、水呑み地蔵で、大阪平野を眺めて休憩した。ハルカスが真っ正面に見えて、時として大阪平野も美しい。坂を下り、外環沿いのカフェで、モーニングランチを食べたが、休日の朝なので、子供連れの親子、おじいちゃんおばあちゃんとの子供連れ親子、母と娘カップル、おばあちゃんカップルなどなどで、満員。日曜日の朝に、マゴと親子とでモーニング。なんていうのが、最近のひとつのシニアな文化だな。

午後から、ゴロゴロとしていたら、急に、奥方が、映画を見にいこうと誘ってきた。布施のラインシネマで、三谷幸喜の「記憶にございません」を見るという。上映まで、あと20分。夕立の雨の中、リゲッタのサンダル履いて、ママチャリの「さすべえ」に傘をさして、映画館に向かって、5分ほど、席予約して、コーラとポップコーン買って、満員になることのない映画館で、リラックスして、観る。みたいな感覚が、下町映画館の良さで、小さい頃から布施の映画館で育っているので、大阪のおばちゃんやおっちゃんの独特のトーンの笑い声が響く館内が、とっても庶民的で、落ち着いて、好き。

上映時刻まで待合のベンチに座っていると、ひとりで映画を見に来た、そこそこ年配のおばちゃんが、隣に座っている、おなじくひとりで映画を見に来ている、やっぱりそこそこ年配のおばちゃんに、この映画館も来年の2月に閉館するらしいで、これでまたひとつの文化がなくなるわ。っていう話から、政治の話に移って、延々、いまの政治状況を語ってくれて、その情景が、まるで、これから始まる三谷映画の前説のようで、いとおかし…だった。

映画館代金が、シニア割引や、夫婦割が適用になって、嬉しいが、あらためて、いまの置かれている、年齢と立ち位置を意識してしまう、そんなシニアな感覚になってきたワタシ。

ものづくりセッションの土曜日。氷見での日曜日。

「ものづくりセッション」があった土曜日。始まった頃のぎこちなさが、11回も続けると、それなりに、ゆるやかな、まとまり感のようなものが出来てきて、プレゼンと、それに対する意見にも、ちょっとした愛情のようなものがあって、参加して良かったなぁ…ワタシもまた、頑張ってみよぉ。みたいな気分になる、ものづくりセッションだった。

連休の日曜日の今、何の因果か富山の氷見まで自転車に乗りに来ている。ウィリエールのキタムラくんのお誘いで、ワタシたち夫婦とキタムラくんとの3人の自転車旅行という奇妙な組み合わせで自転車旅を始めて4年4回目で、しまなみ、安曇野2回、で、今年は、富山となったのだが、富山の自転車店のウィリエールファンクラブのような集まりに唐突に参加させられた…ような感じ。明日は富山市内から立山駅を目指すらしい。

 

それにしても、ものづくりセッションで、ランドセルの生田さんのプレゼンがあって、同じように、生田のランドセルのファンを増やし、維持する取り組みの話を聴いたところだったので、ウィリエールのファンを増やし、次に、もう少し上等なウィリエールを買ってもらえるのが、お店にとっても、メーカーにとっても大切なコトなんだろうな…なんて、氷見のまちなかのお祭を眺めながら走ったり、氷見のドピーカンな海岸沿いを走ったり、そんなコトを考えながら、氷見の和風料理旅館に宿泊し、新鮮なお魚を食べた後、布団にゴロッとしながら、このブログを書く、連休日曜日の夜なのだった。

 

 

多死社会

突然の雷雨になったり、今週も、やっぱり不順な天候。ウイルス性の風邪で、咳き込む日々で、体調まで不順な今週だった。週末には、親戚の叔母さんの訃報まで飛び込んできて、102歳だという。大往生だな。お通夜、葬儀とも、吉野まで、車で行ったが、今や、1時間ちょっとでいける。昔、小さい頃は、親父の車に乗せられて、山道の峠越えばかりで、3時間ぐらいかかったのか、とぉーいなぁ、って子供心ながらおもっていたが、50年間の道路の整備とナビの発達はすごい。グーグルの案内とカーナビの案内では、20分ほど違う時もあり、今や、グーグル頼りだが、時々、超狭い道を案内する時があって、何度かひやひやさせられた経験があり、京急脱線事故の細い道に迷い混んだトラックの心境を想像してしまう、そんな妙な一週間だった。

20年もっと前に、その叔母さんが住む、吉野の大滝まで、リフォーム工事に行った時があって、その時の「たかちゃん、とぉーいとこまで、よぉきてくれたな」というコトバが、焼香の時に聞こえてきそうだった。その頃の写真が遺影だったようだ。娘さんが東京オリンピックに水泳選手として出場し、なので、オリンピックに対する想いが大きく、この東京オリンピックを見るまで、生きるで。と云ってたそうで、僅か、それはかなわなかったが、悲しみと共に祝福がある葬式だった。

どんな死を迎えるために、どう生きるのか。車窓を通過する吉野川と吉野の山を見ながら、そんなことが一瞬よぎったが、これまで、沢山の葬儀に出席して、昔の映画やドラマにあるような、家族に見守られながら、自宅の布団の中で、静かに息を引き取る。というのは、今や、全くフツウでない、とってもレアなケースだと、あらためて思う。病院か介護施設で死を迎えるのが多くの状況で、葬儀はセレモニーホールで。と、田舎でも、同じ状況のようだった。

考えてみれば、祖父母両親とも病院で最後を迎えたが、祖父が亡くなった時、父が、社葬として会社の加工場で執り行ったのは、当時としても、珍しいことだったのだろうが、なので、父が亡くなると、加工場で社葬をするっというのは、当然の成り行きだった。祖母が亡くなり、家から送り出すために、家の庭を使って葬儀をすることを考えたのが父なので、母が亡くなると、同じように、家の庭から送り出す家族葬を、兄弟姉妹で決めた。

インターネットで、こんなコトバと遭遇する。

かつて「在宅死」が一般的だった時代、多くの人が親や祖父母などの近しい人の最期を自宅で看取り、その経験から「死」の迎え方を学ぶことができた。今では「死」を病院に委ね、家族や自らの「死」について考える機会が乏しい時代になってしまった。

これからは「多死社会」になるそうだ。どこで死を迎えるか、どんな医療ケアを受けるのか、どんな葬儀にするのか、どこの墓に、どんな仏壇に。そんなことを、ライフスタイルとして、しっかりと考える時代なのだろう。それそれの考え方に応じた、建築的な解決案を考えるのが、私たちの立ち位置だな。

サステイナブルな国と会社と家

不順な天候が続く。天気予報がずーっと雨予報で、先週に木造住宅の上棟予定だったが、延び延びになって、1週間以上も上棟を延ばし、未だに上棟の日程が決定できない。こんな事おそらく初めて。さて今週の天気はどうなんだろう…。

住宅相談会があった日曜日。午前中のAさんは、大阪市内でリフォーム工事を計画中で、今日は、たたき台案をお見せしながら、相談する日だった。ご夫妻とお祖母さんの3人でお越しになって、木造2階建ての築60年以上の母屋に、ご夫妻4人家族が住み、隣接する木造3階建ての2×4住宅にお祖母さんがお一人で住んでいて、ちょっと変則的なライフスタイルだが、お互い裏庭を通じて行き来が出来る。

フツウなら、3階建ての2階に住むお祖母さんが、2階建ての母屋の1階に移り住み、3階建て住宅を、夫婦家族が快適に住めるように、リフォーム工事をする計画になるのだろうが、将来の相続など、いろいろな事を考えて、ゆくゆくは3階建て住宅を売却し、2階建ての入母屋造りの母屋をリフォーム工事して住み続けます!っという決断だった。耐震改修や断熱改修や、隣接する3階建て住宅との繋がり、主寝室の位置など、快適なLDKは当然の事としながら、全面改修と部分改修の2種類のたたき台案を説明し、意見をお聞きして、一緒に考えるうちに、古い建物が残る、良い計画案が生まれた。

お昼からのBさんご夫妻は、大阪市内の生まれ育った実家が空き家になっていて、お父さんの、この家は100年持つ家やから、誰か住み続けて欲しい!という、築50年以上の住宅への強い想いを受け継いで、息子さんご夫妻が、コンクリートのマンション生活から、木造戸建て住宅をリフォーム工事して、住み繋げようという想いでお越しになった。

簡単な手書きの平面図と現況写真とリフォーム工事への要望書を持参されてお越しになったので、初対面ではあったが、そうそう、それに、グーグルのストリートビューで、現地の様子や、屋根の現状など、大型モニターで共有出来ることもあって、現況をそれなりのレベルで把握出来たので、さまざまな意見交換をしながら、お互いの感覚を調整することになった。後日、現地調査にお伺いした後、計画案を提出予定。

珍しく、古い木造住宅の2軒が残り、再生する計画の日になった。

お昼からのCさんご家族は、マンション住まいで、新しいマンションに買い換えて、その時にLDKのキッチンを中心にリフォーム工事する予定で、その見積書を提出する日だった。マンションのリフォーム工事の年間着工数は毎年2~4件程度だが、それなりに古くからやっているので、床に無垢材を貼る方法や、オープンキッチンに改修する方法など、いろいろと試行錯誤しながら施工してきたが、木造のように、躯体といわれる構造体を、耐震補強する工事が必要でない分、大工さんにとっては、やりやすいところもあって、その反面、施工時間が午前9時から午後5時までと限定されていたり、資材の搬入と養生がタイヘンだったりと、マンションリフォーム故のタイヘンさも多い。

Cさんの奥さんは、5年ほど前に開催した、木村家本舗に参加頂いたようで、うちの家の新たにリフォーム工事をしたキッチンを参照にしたいということで、ご案内しながら、あれやこれやと話が弾んだが、そうそう、うちの奥方が、夏休みのマゴの面倒疲れと、マゴがかかったウイルス性Rなんちゃら?という風邪をもらい、天候不順もあるのだろう、体調不良で、キッチンの案内を出来ない状況だった。ワタシも、そのウイルスを頂戴し、咳き込み鼻水をずるずるする夏風邪な日曜日となった。

天候不順な日々。アジア周辺もなんだか不順な日々。想いを受けて、古い家を受け継いで、今のライフスタイルに適合するように改修し、住み繋いでいく方々も存在し、国も会社も同じなんだろうが、サステイナブルな国や会社や家の在り様が求められている時なんだ…と、ふと考えさせられた、住宅相談会だった。

流しソーメンの土曜日。結婚式の日曜日。

流しソーメンの土曜日。

とんちゃんが、発起人だった、流しソーメンが、すっかり会社の行事のように定着してきて、今年からは、土曜日に開催するようになって、子供連れの方々を中心に、多くの人達に参加頂いた。「冬のお餅つき」と「夏の流しソーメン」というのは、皆さんに喜んで頂けるイベントで、多くの方々の笑顔のエネルギーを浴びて、こちらもテンションが上がってくる。社員にとっては、こういうイベントこそが、学ぶ場でもあるのだろう。道具の準備、食材の準備、セッティング、運営、お客様対応、あと片付け、などなど、ものづくりの基本だったり、お客さま対応の基本だったり、こんな遊びを通じて、学ぶことも大切なんだとおもう。そんな意味でも、参加して頂いた皆さんに感謝です。そうそう、来年は、もっとフェスっぽい雰囲気に飾り付けしたいものだなぁ…。

  
  

結婚式の日曜日。

うちで施工をさせて頂いた、ほたる食堂のほたるちゃんの結婚式があって、なぜか、ワタシが、新婦の主賓の挨拶を承り、以前のブログにも書いたが、披露宴の挨拶は、独特の緊張感があって、ちと辛いが、結婚式前日の、少々面倒な気分が、参加してみると、会場に満ちあふれる喜びと笑いと涙の祝福のエネルギーを浴びて、とっても、気分がハッピーになるのは、毎度の事で、前日と当日の気分のギャップこそが、結婚式の魅力なんだろう。

私たちのテーブルは、建築家のヤベさん夫妻と、建築家のヨシナガさん夫妻と、ワタシたち夫婦という、とっても珍しい夫婦参加の建築テーブルで、なんだかんだと会話が盛りあがり、式終了後は、うちの家に集合して、歓談が続いた。そうそう、建築家のヨシナガさんの奥さんが、女性ひとりで、工務店をしていて、凄いなぁ…とおもうのだけれど、工務店ゆえの共有体験で、なんだかんだと話が盛り上がり、午前0時を回る時刻になってしまった。なので、今日のブログは、このあたりで、終えておこうとおもう。新郎新婦、建築テーブルの皆さん、本日は、ありがとうございました。

 

 

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