谷口智則ワークショップwithコロナ

久しぶりに谷口智則ワークショップを開催した日曜日。このコロナ下。クラスターが心配。なので、主催者のワタシとしては、開催を「躊躇」する気分も大いにあったが、多くのひとたちの参加申し込みがあったので、その皆さんの気持ちに後押しされて、開催するコトにした。

今回は、「劇団往来」の方々が、谷口さんのピノキオの絵本をもとに、人形劇をすることになって、うちの加工場に舞台を設置し、「生」の人形劇を開催して、その後、ワークショップで、それぞれが、ピノキオの操り人形を作り、その人形を持って、その舞台で記念撮影をする。っていうワークショップだった。

3密のなかで、主催者としても、人数制限や、座席配置など距離の確保も含めて、それなりの注意を払うものの、密集と密接は、最終的にはそれそれの判断に委ねるしかなかったが、「換気」は、建築的にできることでもあって、窓を開けた給気と、換気扇による排気と、何台もの扇風機による空気の流れをうみだすコトで、可能な限りの配慮をおこなった。経済活動の維持も含めて、それぞれがどうすれば良いのか模索する日々だとおもう。

なんだか、このコロナ下、YouTubeやテレビ画像の世界で、それなりの満足感をあじわっていたが、「生」というのか「ライブ」っていうのか、目の前に、「リアルな人間」がいて、そのパフォーマーから放出されるエネルギーのようなものを直接浴びる喜び。そんなのをあらためて実感した。

谷口さんというアーティストから放出されるエネルギー。劇団往来の演者とスタッフが放出するエネルギー。そんなのを「いまここ」で多くのひとたちと共有する喜び。ライブの世界は、映像の世界より、とっても贅沢な「出来事」なんだとおもえてきた。きっと、ライブでは、そういうパフォーマーたちのエネルギーが、より強く五感に「転写」される感じ。バーチャルとリアルを使い分ける21世紀なのだろうか。「体感」する喜びを忘れがちだったなぁ…..。

観る喜び。聴く喜び。造る喜び。共有する喜び。分かち合う喜び。そんなのが今回の谷口智則ワークショップだったのだろう。いままでのように、自ら絵を描くことで、絵を描く喜びを分かちあうのではなく、こういう喜びをプロデュースすることで、子供達に何かを伝えたかったのだとおもう。

 

コロナ下の歓迎会と居心地のよさ

雨が降りそうで降らない。パラパラと雨が降ったり。日差しが差し込んだり。気まぐれな梅雨空の日曜日。相談会の日曜日だったが、なんだか、平日にばらけて、参加者がいなかった。コロナ後の微妙な空気感。再びコロナがぶり返すような感じも漂うが、もはや、経済活動を止めるわけにはいかないだろう。

家を建てるコトもリフォームするコトも「躊躇」してしまう感じなのだろうか。そんななかでも、フツウに家の室内環境のコトを考えて、というより、コロナ後に、もっと家のコトを大切に考えて、家造りにエネルギーを注ぐひとたちも、それなりの数がいてるコトを知って欲しいとおもう。それぞれにとって「居心地の良い家」を考えるのに相応しい空気感が、コロナ後のいまのこの時期なんだとおもう。

さて、4月入社の現場監督の新人、ヒダカくんがこんなコロナな時期に入社したものだから、社員や職人さんや協力業者のひとたちと交わるコトが出来なかった。今までの木村工務店のルーティンでは、4月2日のお花見で、社員と大工さんと手伝いさんと対面し、お互いの関係性の一歩を踏み出す。6月の最初の日曜日と月曜日に、協力業者との一泊旅行があって、そこで、協力会社の社長さんと対面し、現場監督にとっては最も大切な協力会社とのコミュニケーションが始まるのだが、コロナで全てが中止になった。なので、今週の火曜日、勉強会とヒダカくん歓迎会を兼ねた社内イベントを実施した。

withコロナを考慮し、ソーシャルディスタンスを保つ勉強会と飲食をあれやこれやと工夫してみた。食事は近くのあそび菜さん、やすらぎさん、寿し武さんから、それぞれテイクアウトし、それぞれの皿に盛り付けた。缶ビールでの乾杯を基本にし、いわゆる盃を交わすのは止めて、あるひとりが一方的に日本酒を注ぐコトにした。建築にとって大切なテーブルセッティングは、4×8のランバーコアーのテーブル2枚続きを基本にし、5人と4人掛けの互い違いで座るコトにして、3セット用意した。3枚しかなかった4×8の合板が、幸い、昨年のメルクリンのイベントで3枚買い足したので、こんな時に役に立った。このwithコロナの状況下で、どんな飲み会が、どんな歓迎会が出来るのか、皆で試してみたかったのだ。

そうそう、昨年に鹿児島のシンケンさんを訪問し、迫社長さんと秋山東一さんの案内で、そのクオリティーに感心したが、ワタシたち木村工務店はモデルハウスを持ちたくないのだ。では、どうして、そのクオリティーを保つのか、なんだかんだ考えて、木村工務店の「設計スケール」と「設計コード」というものを明確にし、それをお客さんに表現できることを目指そう!というコトになった。半年ほど経過し、そのたたき台が出来たので、それを発表するのが、この社内勉強会でもあって、タカノリを中心に意見交換をおこなった。

先日の八ヶ岳で宿泊した永田晶民さん設計の別荘で、ワタシになにかが転写され、最近出版された、永田晶民さんの「居心地のよさを追い求めて」という本の影響もあって。建築として「居心地のよさ」というものを追求するコトは、人間愛のようなものを追求することに等しく、なんだか、そのコトをないがしろにした、スケールやコードを考えてもダメだなぁ…..なんて。その勉強会の時に脳裏をよぎったコトだった。

日曜日の午後3時を過ぎて、晴れ間も覗いた。先週に続いて、自転車で大阪城を散策する。スタバがいっぱいだったので、向かいのベーカリーに入ったら、生ビールがあった。屋外のソファーに座って、ぐぃっといっぱい。あまりにも快適なので、LINEで奥方を呼んだら電動ママチャリにマゴ二人を乗せてやってきた。ビールをぐぃっと口にして、あぁ幸せ!って奥方が呟いたら、マゴイッケイが、なんで幸せなん?!って聞き返す。ビールと、あんたらマゴと、自転車でここまで走ってきて、この公園のソファーで居心地良いから!と応えた。

マゴたちを公園で遊ばせて、自転車を押しながらゆっくり帰宅。確かに、マゴとの1時間だけは、良いよなぁ…..。

 

withコロナ

フツウの日曜日が戻ってきたような感じ。大阪は、朝からしとしと雨が降る日曜日の朝。なので、朝からスーパー銭湯に行くと、男湯はそこそこいっぱいだった。サウナに入るひとが最近増えたようにおもう。そのあと、コメダ珈琲でモーニング食べたら、案外若いひとが多かった。ひとが、まちに出て、徐々にお店に行くひとが多くなってきたかな。その帰り、コーナンで雑なモノ買ったら、ソーシャルディスタンスを保つためレジで並ぶマスク姿が、とってもコロナ後な感じ、ヒトも多かった。その後、先週の土日と自転車に乗ったので、家でちょと自転車の整備をした。まめな整備を怠ったためカーボンに損傷がいった苦い反省があって、やっぱりモノは丁寧に扱わないと、モノとヒトとの良い関係性が持続しないと、あらためておもった。

「親切丁寧」というコトバを残したのは木村工務店の2代目社長木村正一だが…..

正しい事の原理、原則をみきわめ
何事もキチンとすること。

何事も誠意をこめ、魂をいれて
コトに当たろうとすれば、

親切丁寧に帰着する。

物作り、人付き合いの原点でもある。

               二代目 木村正一

 

書体も含めて、こんな印刷物が一枚だけ残っている。一度も社員の前で、このコトについて語らなかったが、亡くなってから、社員皆で、このコトバを改めてみつめ直し、社風になれるよう、精進しはじめたところだ。モノ作りとヒト付き合いの良き関係性を築くには「親切丁寧」に帰着するというのだ。withコロナの世界だからこそ、必要なのかもしれない。

そうそう、木村工務店ヒストリーも、木村正一が残した、わりと好評なヒストリーで、先日、八ヶ岳で建築家秋山東一さんとご一緒したが、あのヒストリーの続きはないのぉ…..と問われた。ある日、先代社長に、続きを書いて欲しいと依頼したが、そのままになっていた。亡くなった後、どこかに残っていないかと探してみたが、見つからなかったが、さきほど、一太郎というワープロのソフトを愛用していたことを想い出して、前社長のフォルダーの中を見てみると、それらしきファイルを発見した…..

「木造賃貸アパート・マンション」
         戦後も10年にならんとしている。日常の衣食については、何とか目途が付いてきたが、住まいを手に入れるのははまだまだ大変な事であった。数度にわたる空襲で大阪の町も廃墟と化した。そこに復員軍人、海外や田舎の疎開先からの引き揚げ者、職を求めて来阪する労働者、大阪の住人はバラックと呼ばれた仮住居や狭小な住まい、商店も店舗もお粗末その物であった。そんな空地に木造2階建てのアパートと称する4畳半や6畳一間で共同炊事場、共同便所の貸間の新築建物が目立つようになってきた。一ヶ月の家賃がほんの数千円で、完成する前に満室となることが多かった。4畳半は都会に就職した独身者であり、6畳あれば新婚さんのスイートホームでもあった。
         当社はこのアパートをグレードアップして更に幅半間のミニキッチンを付け上六ハウスと称して、今の天王寺区東高津町に土地を求めて新築した。勿論便所は浄化槽を設置して水洗便所(当時の便所は現今のように簡単に水で下水に流せなかったので、所謂くみ取り便所でした)にしたからさあ大変。棟上げがすぎたら(家賃も高く設定したのに)もう満室。浴室がないが、現代のワンルームマンションの元祖であると自舞している。このシリーズは松崎町、細工谷、十三等。昭和33年には鶴橋でRC3階建で浴室もつけた現在の1ルームマンションの原型そのもので、姿、形は随分くたびれたが今も現役で家賃を稼いでくれているし、木賃アパートと称呼も変わりご老体をさらけ出しながら、時には邪魔者扱いをされても独居老人なぞに低家賃で提供して、今もそれなりにお役に立っているが、その大半は解体されて駐車場や建て売り住宅に変身している場所も多くなってきた。
「本格的な木造住宅復活」
 「軽量鉄骨建築」

「木造賃貸アパート・マンション」が付け加えられ、その後、「本格的な木造住宅復活」と「軽量鉄骨」というヒストーリーを書くつもりだったのだろうが、絶筆だった。できることなら、もう一度話を聞いて、筆記したいものだ…..。

午後からのある予定をうっかり忘れてしまった。歳だなぁ。夕方、晴れてきたので、自転車で大阪城まで散策してみた。ヒトが多い。皆、ソトで深呼吸しているような感じ。ぐるっと一周して、噴水前のスタバで抹茶フラッペでも飲みながらiPhoneのKindleを読んで小一時間ほど過ごしていると、突然、散歩中のトイプードルが飼い主から離れて、ワタシの膝の上に飛び込んできた。膝の上にチョコンと座る子犬。顎を撫で撫でよしよしするワタシ。慌ててサングラスをかけた女性の飼い主とその娘さんがやって来て、大丈夫ですか、服汚れてないですかって。こういうなんでもないライフスタイルとハプニングが戻ってきたのが嬉しい。

土曜日。木造住宅の仏式での上棟式があった。お経を唱えるお坊さんを大工の棟梁をはじめ職人皆で、用意した椅子に腰掛けて拝聴することで儀式が終了した。確か高野山ゲストハウスkokuuを建てた時も仏式だった。それ以来か。御神酒による乾杯の儀式だけは執り行って、木村工務店の関係者と職人皆で、高らかな声で祝福しあった。流石に宴席はwithコロナを考えると中止するのが当然のコトなのだろうが、それぞれに折を用意頂いて、それを持ち帰るコトで上棟式を終えたが、施主の奥さまが、上棟式で皆さんに振る舞うことが夢だったと仰る。

宴席で祝福のエネルギーをこの木造住宅に転写することができなかったのが残念だが、それでも少しウルッとしている感じの施主の奥さまの姿が、とっても心に残った。

さまざまな出来事が重なる日。

政府が、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために自粛を求めてきた、都道府県境をまたぐ移動が、6月19日から全面解除されて、この20日と21日の土日に、小学校の同級生5人と、しまなみ海道の生口島の輪空で宿泊し、自転車で島巡りをしてきた。

今年はじめ、まだ、コロナが騒がれていない頃、ゴールデンウィークに、宿泊予定を申し込んだが、生憎の満室だった。なので、3月中頃、皆と、あーだこーだと折り合い付けて、この梅雨真っ只中の6月20土曜日を宿泊日に設定した。偶然にも、宿泊前日にコロナ移動が解除され、GWであれば、もちろん移動も宿泊もできない状況だったので、なんとなく、ラッキーが転がり込んだ感じなうえ、けっこう激しい雨が降り続いた一週間だったのに、この土日だけは梅雨の晴れ間になって、日頃の行いがエエからだぁ。というお決まりのコトバの掛け合いで鼓舞しあいながら、ちょっとした幸運を喜び合った。

そうそう、このブログにも書いたが、1ヶ月前、自転車がダメージを受け、乗れない状況になってしまったので、古い自転車を持ち出し、参加する予定にしていたところ、ベックオンという自転車屋さんと、ウィリエールのキタムラくんが、自転車の納期と部品選定までサポートしてくれて、20日出発前の19日の午後8時にニューバイクが完成するという、とってもギリギリな状況で、これをラッキー続きと呼ぶのかどうか。そもそも、自転車が損傷しないように丁寧に取り扱い、以前の自転車がそのまま乗れているのが本筋であるものの、世の中の流れとワタシの流れが、19日に同じ転換点を迎えたのが、超個人的なオモロイ現象だった。

宿も、ワタシたちがコロナ自粛後、最初のお客さんで、宿の主人も女将もともに、じわじわとした喜ろこびを、お互いに分かち合いながら、なんでもないフツウの歓談と海の幸が、心に沁みる夜になった。

その偶然性の連続は、もうひとつあって、最近、しまなみ海道の大三島に移住した写真家のノモトヒロヒトさんが、フェースブック上に、その様子を投稿していた。木村家本舗というイベントでお付き合いが始まったので、この機会に訪問できればとも考えていたが、仲間がどこを走るかチョイスする都合もあるので、特別に、お伺いする準備も連絡もしていなかった。ところが、同級生のマツバラくんがチョイスしたコースが、生口島の宿から、大三島を経由して、伯方島の開き山をヒルクライムし、島をぐるっとまわって、美味しいもんでも食べて帰ろうというコースだった。

先頭を自転車で引いてくれる宿の主人イチムラさんと、走りながら、大三島に移住した友人の話をすると、伯方島からの帰りに、大三島をぐるっと周回する、ちょとしんどいコースを強引に組み込んで、そのノモトさんの移住した家まで、自転車で力強く引いてくれた。そのお陰でノモト親子3人と再会することになった。ほんとに突然な訪問に驚き喜んでくれた姿と、家の真ん前に海と島々が箱庭のようにあって、それを眺めながら、振る舞ってくれた、みかんジュースの味が、皆の心に残った。

で、終わるはずが、その数分後、ワークショップや造園でお世話になっているイエタニさんが、サーブに乗って、大阪から四国経由で、ノモト家にやってきた。お互い驚きの笑顔。移住した家と海と青空と海風とミカンジュースと自転車とサーブとノモト家族とイエタニさんと輪空のオヤジと同級生軍団とワタシが、こんな大三島の外れのこの場所に、いま集まっている、奇跡のような組み合わせが、とっても不思議だった。

今日の21日日曜日は、夏至と大安と新月で部分日食と父の日が重なるラッキーな日なのだとか。家に帰り着くまで知らなかったが、さまざまな出来事が重なる転換点のような日を、こうして振り返ると、不思議だし、出会った人々とその出来事に、感謝の気分さえ込み上げてくる。

↓ ノモトヒロヒト氏撮影

「転写」なのだ。

雨がしとしと降る日曜日。コロナで中止していた、包丁研ぎワークショップを開催することになった。とっても久しぶりの「まちのえんがわ」ワークショップになって、3密を考え、2部制で開催するコトになったが、ま、それゆえに、ゆったりとした気分のワークショップだった。生野区在住の「研ぎ屋むらかみ」という超マニアックな研ぎ師村上さんが居て、「生野ものづくり百景」を担当する行政のタケダさんの紹介で、ムラカミさんと遭遇することになったが、世の中には、いろいろなコダワリをもった職人さんがいるのだと驚いた。

「砥石」という刃物を研ぐ石があって、大工の世界では、「刃物貸しても砥石は貸すな」といわれるぐらい、砥石が大切だと教えられた。砥石には、その大工特有の癖がつくのだ。なので、木村工務店の大工職人の研場(とぎば)では、大工の砥石に触れることはない。というか、触れるときは、とっても気を使う。4時間かけて、研ぎのレクチャーから、初歩的研ぎ方まで、みっちり教わるワークショップなのだが、なによりも、このムラカミさんのワークショップで、とっても気になったフレーズがあった。

「砥石の性能が、研ぐことによって、刃物に転写され、その刃物の性能が、刃物で食材を切ることによって、食材の味に、転写されるのだ」という。カッコエエコトバだ!

ただよくあるコトバの魔術師でなく、それぞれの研いだ刃先を電子顕微鏡を使ってパソコン画面で見て、科学的な解説をしてくれる。ワタシは、建築家の秋山東一さんの影響で、オピネルNO12を持ち込んだ。オピネルはNo7あたりがエエのだろうが、研ぐことを考えると、短いより長い方が易しいので、No12を購入した。もちろん、ムラカミさん超厳選の人造砥石も購入し、研ぎ方を学んだ。刃先の「返り」や、研ぎ足らない刃先の指摘を、ムラカミさんの指先だけでなく、電子顕微鏡の画面映像で指摘されるものだから、素直に頑張るワタシなのだった。

 
  

もうひとつ、オモシロイ実験があって、ムラカミさんの個別指導の元、自分が研いだ刃物で、トマトやキュウリやニンジンやナスを切って、その以前の切れ味との違いを体感し、参加者の誰もが喜ぶのだけれど、ムラカミさんが、食材の味が、刃物によって変化するのだ!という実験をしてくれた。ハガネの和包丁を天然砥石で研いで切ったトマトとニンジン。ステンレス刃物を天然砥石で研いで切ったトマトとニンジン。ステンレス刃物を人造砥石で研いで切ったトマトとニンジン。

それぞれが、微妙に味が違うのだ。ステンレス刃物と人造砥石の組み合わせは、なぜか、味が薄まるような感じがし、天然砥石のハガネとステンレスの差は微妙だが、甘みを感じる。ま、ブラインドですると、あの一流か二流かのテレビ番組のように、エエ加減な味覚の識別になってしまうのだろうが、でも、なんとなく違うのだ。そういえば、コロナステイホームウィークで、ステンレスのダッジオーブンを使って、ローストビーフを作ったが、なんか、微妙な味で、今回の体験を踏まえ、やっぱり鉄のダッジオーブンの方がエエとおもえてきた。なんだかステンレスは味が薄まるのだな…..。

コロナ影響を考慮し、主催者側の私たちは、それなりに気を使うワークショップだったが、そんななか、さまざまな配慮をしながら開催してくれた、研ぎ師ムラカミさんの、超マニアック度に、感謝したい。

 

さてさて、今週、八ヶ岳で、木製サッシュを製造する、アイランドプロファイルの工場と別荘にお邪魔した。アイランドプロファイルの石原社長と建築家の秋山東一さんと、3日間、八ヶ岳で過ごした。きっとワタシに、アイランドプロファイルの高性能な木製サッシュが、特にその金物の素晴らしさが、「転写」されたのだ。工場の機械も凄かった。


それと、秋山東一さん設計のBeハウスという木造の構造システムと、その構造を使って、永田昌民さんが設計した空間と、その設計図をもとに、もとアイランドプロファイルの社長自らがセルフビルドした、アイランドプロファイルのサッシュのショールームを兼ねた別荘住宅で、飲んだり食べたり会話をして過ごした3日間で、おそらく、ワタシに、その建築的エッセンスの何かが「転写」されたのだとおもう。この場をかりて秋山さんと石原さんにお世話になった3日間のお礼を申し上げたい。

 

研ぎ師ムラカミさん曰く。刃物は、毎週とか、少なくとも月一度とか研いだ方が、エエですよ。だって、今回、それぞれの刃物を直すのに1~2時間掛かったじゃないですか。毎週とか月一なら、ほんの数分研ぐだけで、切れ味もその食材の味も良くなるのですから!っという。なるほど。確かに。

「転写」は表面的な現象で、それが、伝統やDNAにまでなるには、永続的な繰り返しが必要なんだろう。あの八ヶ岳で「転写」された、建築的なサムシングエルスが、ワタシや木村工務店に根付くには、エエ砥石で、そこそこの短い間隔で研磨続ける。そんな鍛錬のようなワークスタイルが必要なんだろうな…..。

ニューノーマルって。

なんとなく、通常の打ち合わせが増えてきた。この2ヶ月ほど、住宅建材メーカーの営業担当のひとたちが、まったく来なくなっていたが、最近、ちらほら、営業にやってくるようになった。皆がマスクと手洗いスタイルなのが、ニューノーマルっていういうやつなのか。そのマスクが、夏が近づくに連れて、蒸れて、ちょっと不快。

毎朝7時に、うちの大工さんや手伝いさんと顔を合わせて、おはよう!と挨拶するんだけど、なにげに手洗いとマスクの励行の話をしたら、これからの時期マスクしていると熱中症になりやすいらしいで。とマッチャンがいいだして、そしたら、ドウニシさんが、ナカちゃんは高~いお金だして、夏用のマスク買ったみたいやで、ほら、それやそれぇ!っと、皆ではやし立てて微笑む朝のひとときだった。

調べてみると、夏用のマスクっていろいろあるらしい。ユニクロも参入するのだそうだ。新しいニーズをみつけて、素早く生産する、柳井さんていう商売人は凄いね。冷感素材をマスクに活用すらしい。無印良品も夏マスクを販売するみたい。そうそう夏にランニングや自転車に乗る時のマスクは辛い。マスク回りのこんな汗のかき方を経験するのって、誰もが初体験だとおもうけど、ちょっと新鮮な感覚でもある。だからこそ、新しいニーズとビジネスがうまれるのだろう。

夏用ネックウオーマー型マスクっていうのがあるっと知った。日焼け止めと熱中症対策と飛沫防止用として活用できるのだとか。これなら職人さんにも良さそう。これからの夏の職人スタイルが、空調服を来て、首と口と鼻に夏用ネックウォーマー型マスクをしている職人さんが働く建築現場が、ニューノーマルになるのか。どうかな。ちょっとアンドロイドが現場で働いている感じ。それより、こうなってくると、いまだ到着しないアベノマスクは、神棚に飾って、政府から送られてきた、コロナ避け安全祈願のお札として、その役割はしっかり担って欲しいね。

そういえば、今週土曜日、八尾で、木造2階建ての上棟式があった。午前中にお施主さんのご主人がひとりだけ参加され、外壁のモイスも、室内の断熱材や気密シートも完成している状況だが、部屋うちに、御幣というお札と洗い米とお塩と御神酒を飾って、二礼二拍手一礼で上棟の無事を祈願し、建物の4角に洗い米とお塩と御神酒を3回ずつ撒いて、無事竣工を祈った。奥さまと子供さんは、奥さんのご実家にコロナ避難しているらしい。いまの時期、当然、祝宴もないが、10分間ほどの儀式。これはこれでケジメになって良い感じ。

かつては、木造の構造材の棟を上げた直後に、棟木に棟札をくくりつけ、1階の土間で、祈願し、乾杯し、祝宴を催したものだが、最近は、上棟直後に、ブルーシートで構造材を建物ごと雨養生をするのが、ニューノーマルになってきた。お施主さんの休みも考慮すると、棟上げ直後に、上棟式を催せる機会がどんどん少なくなってきて、それでも、木村工務店では、儀式としての地鎮祭と上棟式は、簡素でも良いので、必ず実施している。

地鎮祭という儀式で、風土に宿る八百万の神々を意識してみたり、上棟式という儀式で、日本では古来「木」が神々であった。というそんな神話のような気分に浸って、神を迎え入れ、神々のお下がりのお酒を飲みほし、神を送り返す。建築を通じた祈りと感謝の日本的儀式は、コロナ後だからこそ、次の世代に残していきたい、建築的ニューノーマルとなりえるのか…..

法隆寺のカラス

緊急事態宣言が解除されて、いままでの日曜日に、よくやっていて、久しぶりにやってみたいコトのひとつ、スーパー銭湯に行ってみた。お風呂。特に、露天風呂はエエとして、サウナに入っても大丈夫なのかどうか。ちょっと不安。流石に席が入れ子に配列されて、肌が触れ合うコトがなかったが、密閉なので、エエのかどうか。この熱気と湿気がウィルスを死滅させるのか?どうなのぉ?、それより何より、ワタシのメンタルが敏感に反応したのが、サウナの中で、友達と一緒に来て、会話をするひと。ずーっと喋っているヒトがいて、いま、この状況下で、サウナで、大きな声で会話せんでもエエやろぉ!っと、心の中で呟いている現象が、いかにもコロナ影響下での、摩訶不思議な心境。

そうそう、先週、久しぶりに自転車に乗ってみて、今週になっても尾を引いている現象が二つあって。ひとつは、法隆寺で見た、お寺の尖塔にいたカラス。カラスの持つスピリチュアルメッセージ。なんていうのをググってみると「日本では古くからカラスは神聖な生物と信じられ、崇められていました。カラスは正しい道に導いてくれる神の使いと考えられていたのです。予兆や予言をもたらす。プラスのエネルギーを持っている。神の化身である。などなど…..」なんてコトに、メンタルが微動するのが、いかにもコロナ影響下のセンシティブでセンチメンタルな気分の反映なんだろうが、ま、でも、会社も家庭もワタシも、エエ、エネルギーに導かれたいのは確か。

もうひとつは、自転車のディレイラーのアルテグラのクランクが折れたので、自転車屋さんに持っていって、ついでに自転車を総点検してもらうと、なんとトップチューブのカーボンに損傷があるといわれ、このまま自転車に乗るのはお勧め出来ない…..といわれた。この自転車で、転倒したことないのに、カーボンという素材は、繊細で丁寧な扱いが必須なのだ。と、少々、荒っぽい扱いだった、ワタシの、モノとの付き合い方を反省しながら、さてどうしようかと途方にくれてしまった。

いつぞや、「モノほしさ」というブログ書いた時に、なんとなく、このカーボンフレームの自転車に違和感を感じて、それなりの予兆を察知していたのかもしれない。なので、あの時の、ほしいモノとしての、クロモリでフロントホークがカーボンの自転車なら、価格もそんなに高くないし、フレームの購入だけなら、まだ出費は少なくてすむので、この際、それに乗り換えてみようと、自転車屋さんに電話し、とりあえず、このフレームのパーツを新しいフレームに移設してもらうように依頼した。

久しぶりの朝風呂と朝サウナが快適だったので、いや、法隆寺のカラスの影響か、気分がポジティブになっていたのだろう。買い換える発言をしてみて、あのカーボンの自転車に乗れない、モノとお別れする寂しさと、新しいモノに出会える嬉しさに、出費に対するメンタルとのせめぎ合いの、数時間を楽しんでいると、また、自転車屋さんから電話があって、それが、前輪のカーボンホィールにブレーキの熱による変形があるのと、後部ホィールのスポーク1本が折れているのを発見したので、これ、このまま使うのは、問題ありで、スポークは直せても、変形はどうにも直せないし、このまま乗るといつか事故に繋がりますよ。という進言があった。ホィールも買い換える必要があるのかぁ….という、ショックで、暫く考えてみますと、元気ない返事をした。

それが、フルクラムのレーシングゼロナイトというちょと有名なホィールがあって、次の自転車用に狙っていた。このコロナ自粛の間に、ウィグルで、超破格値になっていた。同級生とLINEでその話をしていると、その同級生がこのチャンスに買った!という。1週間後、1万円値上がりし、元の値段に戻っていた。チャンスを逃したワタシ。で、いま、そのサイトを見ると、売り切れになっていた。土地でも家でも、微妙な迷いと躊躇によって、未来のための、チャンスを逃すって、あるあるだなぁ。

法隆寺のカラスの予言なのかどうか。このまま、あの自転車に乗り続けて、大きな事故にならなくて良かった。正しい道に導いてくれた。と感謝申し上げるべきなのだろう。

さまざま印象を食す。

大阪は、緊急事態宣言区域から解除があって、初めての日曜日。早朝から自転車に乗ってみることにした。奥方はスーパー銭湯に行くという。走り出してみると、空気が新鮮だ。いや、「印象が食物」である。という話を読んだコトがあるが、まさしく、五感で感じる印象を食べまくっているような気分。

天候も良かったので、結果100kmほど走ったが、体ガクガク、何度か筋肉がつった。今まではこの距離ぐらいならって感じだったが、筋肉が自転車を走る筋肉になっていないことに気付く、そういや、Netflixのマイケルジョーダンのドキュメンタリーを視聴したが、一時、バスケからプロ野球選手になって、またバスケに戻るときに、野球の筋肉になっていたのをバスケの筋肉に戻すために、猛烈なトレーニングをしたという。全くレベル違うのに、走りながらその映像が浮かんだ。筋肉というヤツは、その時の自分のライフスタイルに適した筋肉になってしまうのだな…..。

十三峠から平群抜けて法隆寺に行く。なんとなく法隆寺を見たかったのだ。ブラタモリの影響があるのだろう。まだ余裕があったので、ぐるぐる自転車で回りながら、さまざまな土塀を見る。木造建築としての魅力以上に土壁が気になる。歴史を積み重ねる土壁の経年変化の魅力は、こういう寺院の方がより相応しのだろう。あらためていろんなバリエーションの土壁に気付く。裏に回ると、新しい木造建築の大宝蔵院の、朝日を浴びて輝く金色のてっぺんにカラスが一羽。なぜか印象的。これが八咫烏(やたがらす)やったら、エエなぁ。

   

安堵町の集落のなかを抜けて飛鳥川沿いから今井町を経て明日香へ。法隆寺から明日香に向かう道筋と集落と田畑とそれを取り囲む山々の光景が、とっても奈良を感じる。というか大和を感じる。かつての大和の集落は豊かだな。瓦屋根と漆喰。白い蔵がにょきっとあって。堀もあったりし。特に今井から明日香に向かう雰囲気は、毎回、独特のテンションになる。今井町で珈琲飲んで休憩。長い年月かけて、ゆっくりと、ちょっとづつ集落が改修されていく持続性がエエのだろう。それにしても随所で写真を撮ろうとおもうが、なんか、うまく自転車を停止できない。きっとiPhoneに頼っているからだな。こんな感じで自転車に乗る時は、一眼レフカメラを持ち歩いた方が良いような気がする。なんとなく。しらんけど。

 

  

明日香で「石」と「棚田」と「古墳」をみる。明日香で気になるいつもの同じパターン。御所を経由し、たまたま空いてたお店でカレーを食べた。万年筆の製造工場をカフェバーに改装したそうだ。なんとなくマスターに、うちの生野区小路の近くにあって、リフォーム工事にも携わっていた、手造り万年筆のカトウ製作所カンパニーの話をしたら、いまや貴重だから大切に置いてくださいねって。そういえば、応接室にあって、契約の時に使ってもらっていたのに、最近見当たらない…..。

御所から竹ノ内峠を越え竹之内街道を下り家に辿り着こうとした、1.5km手前で、アルテグラのクランクが折れた。こんなコトある? 手で押したり片足で漕いだりしながら、無事辿り着いた。どうやら一体成形でなく接着らしい。おそらく、自転車漕ぎ終わって、飛び散る汗を丁寧に拭き取らないのが、原因かもしれない。予兆はあって、昨年あたりから、時どき異音はして、特にこのライド後半はヘンな音が右のクランクから鳴っていた。建築でも一緒だな。微妙な変化は、何かの予兆なのだ。でもなんとなく、そのままにするコトが多い。

想定以上に疲労困憊で、ウチの生活に慣れきった心身だったが、やっぱりソトはソトでエエですね。さまざまな印象と遭遇し、その印象で満腹になった、緊急事態宣言解除の日曜日。なのだ。

日常感覚

徐々に「日常」が戻ってきているような感じ。フツウな感覚が戻ってきた。外出時、ついついマスクを忘れてしまいそうになって、玄関出て、気付いて、戻って、マスクして、外出する。そんな所作を2、3度繰り返した。夕食時、それはそれで、家に居て、良いゴールデンウィークだったね。って奥方が、ぼそっと呟いた。

家庭では、掃除とか、片付けとか、当たり前のようなことが、当たり前に出来ない、これまでの日常だったりしていたが、外出が制限され、家で過ごす時間が増え、ソトからウチへの時間的比重が高まるにつれて、心の比重もソトからウチにシフトし、家への思いやりみたいなものが増してきたのだろう、掃除とか、片付けとか、ちょっとした食事を一緒に手伝うとか、そんな、なんでもないことを、それぞれがそれぞれなりに模索したのだろう。案外、そういう、なんでもないことを、楽しんで出来るときが、ささやかな幸せを再認識する良い機会なのかもしれない。ささやかに、いまとここを、楽しむ感覚。というのだろうか。普段、幼稚園や習い事に追われるマゴたちも、朝、自ら、やらしてぇ!っと訴えて、草木に水をやっていた。こんなことが、こころのどこかに、想い出として残ってくれれば嬉しい。

現場では、このコロナ自粛期間中に木造2階建て住宅の上棟をしたが、上棟式が出来ないままだった。それで、この土曜日、もう既に、外壁下地のモイスもサッシュも取り付けた状況だったが、上棟式を執り行った。御幣を室内に設置し、お施主さんと設計担当者と現場監督と大工さんとで、二礼二拍手一礼で御幣に感謝を申し上げ、建物室内の4角に洗い米とお塩と御神酒を撒いて、御神酒で乾杯をした。流石に、上棟の祝宴はできなかったが、それでも、地鎮祭と上棟式という儀式は、人と建築と環境に感謝する機会として、日本という歴史と伝統をあらためて意識し、いったい、何が、こんな儀式を継続させているのか、あらためて考える機会として、好きだなぁ…..。

社内では、まだ、ONLINE打ち合わせと、Real打ち合わせとが、混在する状況だが、Realな設計打ち合わせが徐々に戻ってきそうな気配が嬉しい。「マスクと手洗いとソーシャルディスタンスと換気」が「新しい生活様式」として定着するのか、このまま、ついつい忘れてしまうのか、微妙な状況下だが、建築においては、「新しい設計打ち合わせ様式」を模索する時代であることは確か。

木村工務店でも、さまざまなスタイルを模索しながら、設計と施工の打ち合わせをすすめていきたいとおもう。

「新しい生活様式」

ステイホーム休暇、後半の4日5日6日と、いま思い返すと、あっという間に過ぎ去った感じがする。7日の出勤日、社員それぞれに休暇中の様子を聞いたが、今までとは違う、それなりに良い休暇だったようだ。なかには、もっと休みが欲しかったというひともいて、確かに、ときには、家でゆったり過ごす長期休暇が必要なのかもしれない。十年に一度ぐらい「外出制限がある長期休暇」も良さそうだ。ワタシを見つめ直して、ワタシの「気づき」のなさに気付く良い機会になるのかもしれない。

      

フェィスブック上の、7DAYS BOOK COVER CHALLANGEという遊びと関わったお陰で、久しぶりに本を読む機会を得た。午前中はデッキで珈琲飲みながら本を読む時間を持つことになったが、今まで読んだ本をもう一度ちらちらと読み返してみると、すっかり忘れてしまっているワタシに驚くばかりだった。平行して新しい本も読んだが、ipadのKindleで読むコトにした。本屋さんにいけないので、丁度良い機会だった。昨年末にiPadproを手に入れてから、とっても本が読みやすくなって、なによりも4種類の色でLINEマーカーを引けるのが嬉しい。ただ本棚に並べられないのが、ちょっと寂しい。本棚の本の装丁(book cover)が、時々ワタシの視覚を刺激して、内容の幾ばくかを、脳内のどこかに定着させ、それをなんとなく想起させてくれる、そんな役目があるとおもうのだ….。

 

家でどんな食事をするのかが、メインイベントのひとつになるのが、今回のステイホーム休暇だったとおもう。うちの社員のトミマスくんは、家族のために全食、自分が作ったそうだ。それは凄い。ワタシは、食事を作るのが、まったく得意でないが、なので、いろいろ、楽しく食べるための道具を買って、皆に提供することにした。そういえば、小学生の頃、カブスカウトやボーイスカウトに入隊していた時のことを思い返して、トランギアーのメスティンを買って、エスビットで加熱し、自分のお昼ご飯だけは自分でつくることにしたら、意外に、マゴ達が気にいててくれて、一緒にそのご飯を分け合って食べたのが、良き想い出。

  

ナポリピザの日本人チャンピオンのひとが、ピザ生地の作り方から教えているYouTube動画をみて、いつか生地から作ろうと、カプート社のピザ生地粉を、昨年に買っていた。こんな高かぁ~い粉買ってどうすんのぉ!と、奥方から大顰蹙(ひんしゅく)をくらったうえに、もはや賞味期限は過ぎていたが、5日、YouTubeを見ながら生地から練ってピザを作ってみた。長男夫婦やマゴ達がそれぞれトッピングして、食べてみると、上手い。料理下手のワタシにしては上出来で、想い出の食事になったが、よくよく考えてみれば、ワークショップで、近くの「あそび菜」のイワオさんと、ピザワークショップを何回か開催した経験のお陰だな。

庭に、長男夫婦が所有するテントサウナを建てて、家の水風呂に飛び込で、庭のデッキで寛ぐ。なんていうスタイルを二日間やってみた。けっこう楽しい。政府が推奨する「新しい生活様式」には組み込まれないよね。

そうそう、住宅相談会がある日曜日だった。ここ2ヶ月ほど、外出制限の影響で、新しいお客さんの、相談会への躊躇が目立ち、自粛的傾向が強い。4月はゼロ。たしかに、初めてのひとどうしが、部屋の中で、顔と顔をつきあわせて一緒に相談できる世の中のムードではなかった。連休が終わり、なんとなく、終息ムード感が漂ってきて、政府から「新しい生活様式」とやらも発表され、マスクと手洗いとソーシャルディスタンスと換気を守れば、顔をあわせた相談会も可能になってきたので、ONLINEでも可能だったが、近くに住むひと組のご夫妻が、お越しになって相談会を実施した。「生」で顔をあわせると、お互いの微妙な空気感を共有できて、やっぱり、久しぶりの、「生」フェースtoフェースはエエですね。

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