CO2ボンベ

コロナ第3波が拡大しいるようだ。陽性になっても無症状の人が多いらしいが、重傷者も増えてきているとか。病床使用率がどんどん増加し、医療崩壊の心配とか。そういえば、一年前の11月の連休は、「建築家秋山東一さんのメルクリン&メカノ」で楽しんだが、見えないウィルスとの共存を模索する時代になるなんて、一年前のあの時には、全く想像できなかった。コロナが終息すれば、もう一度開催したいものだなぁ…..。

そうそう、陽性者の無症状の人は、10日間ほど隔離されて、復帰でき。濃厚接触者の陰性の人は、2週間自宅待機をさせられるという。へぇ…..。コロナウィルスとは、そういうものなのか。だったら、無症状陽性者になったほうが、良さそうだが、後遺症がいろいろ出るらしい。やっぱりそれも辛い。

時短営業とか。GoToトラベルの継続か中止かとか。経済活動とのバランスを模索するらしい。確かに、工務店にとって、ロックダウンになって、家造りのお客さんと、対面で、打ち合わせが出来ないのは辛い。対面の打ち合わせが数度あれば、オンラインでも打ち合わせできそうだが、まずは対面でお会いし、お互いの空気感のようなものを確認しながら、家造りをはじめるのが、工務店的なのだろう。そうそう第一波の時に比べて、恐怖心が、格段に減っているのが、良いのか良くないのかも判断しにくい、ここ最近の世の中。

「メルクリン&メカノ」と書いて、想い出したが、昨日の夜、NHKBSで、「魔改造の夜」という番組をみて、とっても面白かった。床のロボット掃除機を、3社の社員がそれぞれに改造して、走り幅跳びのようにジャンプさせて、何メートル飛べるかを競争する。そのドキュメンタリー番組なのだが、スポーツ競技とか、お笑いのM1とか、だけでなく、こういう、ものづくりの真剣な姿が表現出来る番組が、子供達や皆の興味をひけばエエのにとおもう。

建築で例えれば劇的ビフォーアフターのリフォームのようで、ルンバを魔改造するという企画が、いま的な感じでオモシロイが、その参加社のホンダ技研が、ジャンプさせるために、自転車の空気を充填するための、小さな「CO2ボンベ」を使用して、ジェット噴射させて、改造ルンバを大ジャンプさせた。きっと自転車好きの、ものづくり社員がいるのだな。ワタシも、自転車に乗るときは、常時1本は携行しているし、何度かパンクの時にお世話になった。そのCO2ボンベの形状もなんとなく好きだが、空気を充填する勢いも凄く、その勢いに驚いて、タイヤの充填を失敗したこともある。なんか面白い道具だな。っとおもっていたら、それを使って、飛行機のジェット噴射の技術で、ルンバを遠くに飛ばした。そのアイデアと、技術と、飛んだ姿のカッコ良さ。それを作ったひとたちの、モノを作るための粘り強い姿と、その喜んだ様子に、グッッときた。コロナ禍だからこそ、こういう企画に載っかれる「時間」があったのかもしれない。

秋晴れだったので、そのCO2ボンベを一本携行して、自転車で散策。秋らしい雲を見た。紅葉は終わろうとしていた。東大寺鐘楼の木組みはオモシロイ。稗田と番条の環濠集落をみた。金魚ストリートで美味しい珈琲とカレーを食べた。そんな日曜日。

 

 

 

あんな番組みたり、こんな木組みや集落みたりすると、ものづくりしたいなぁ…..なんておもう。

勤労感謝の祝日。

秋晴れの勤労感謝の連休。紅葉も深まってきて、今年は色が鮮やかな感じ。

同級生4人が久しぶりに集まって自転車に乗ろうということになり、早朝から葡萄坂をヒルクライムし、のどか村から朝護孫子寺を参拝して、竜田古道里山公園横を通過し、堅上から国分に抜ける。ワタシは孫の七五三があったので、ここで離脱した。皆は富田林に向かったようだ。ま、あちこちで休憩し、あれやこれやと近況を話ながら、ゆったり時間がすぎていく。おっさん4人で紅葉狩りしても、寺社参拝しても、自転車あってのことなので、違和感なし。と4人のなかでは、おもっているが、傍目には、違和感ありなのか…..。

孫の七五三を地元の清見原神社で参拝する。5歳と3歳の男の子なので、ジャストタイミング。自転車で急いで帰って、お風呂に入って、服着替えて、神社に向かったら、ギリギリのタイミングで、ちょうど、宮司さんが記念写真を撮ってくれているグッドタイミングだった。

地元のこの清見原神社の改修を三代にわたって携わらせて頂いている。今年は、コロナ禍の間に、お稲荷さんを祭っている春高稲荷社を改修させて頂いた。今日の七五三を祝う長男タカノリが担当した。ジャッキアップし、土台や腐った柱を根接ぎし、建物の歪みを修正した。屋根もやり替えた。木造建築の面白さに、時間軸を積み重ねながら、古いものと新しいものが、混じり合っていけるところがあって、それゆえに古めかしさとか伝統のようなものが持続するのだろう。清見原神社では、祖霊殿は新築し本殿は増改築した。神社のなかのそれぞれの建物が時間軸を積み重ねながら共存している。工事中の様子はこちら →

なんて書いてみたら、伊勢神宮は20年ごとに新しく建て替える事が最大の行事で、そのことによって、なにか目に見えない伝統のようなものを継承していくのだから、費用面も含めて、とてつもないシステムだなと、あらためておもえてきた。

そうそう、生野区では廃校になる小中学校が多数あって、伝統が途切れるのだけれど、それは単に住民の高齢化ということだけでなく、子育て世代にとっては、生野区が魅力的でないからだろう。ま、そんな生野区を若い世代にとっても魅力的な町として盛り上げようということで、廃校になった鶴橋中学校で、この土曜日日曜日に、「Creema×いくの みんなの文化祭」という名称で、マルシェというかマーケットが開催された。生野のものづくりのひとたちもブースをだしているので、お邪魔した。

そのなかで、アルマイトの電解研磨の技術を持つ、電研のキリシマくんのブースがあって、アルマイト処理をしたキャンドルを売っていた。ちょうど前日、あるリフォームの打ち合わせで、キッチンの壁に、ステンレスでなく、電解研磨処理をしたアルマイトのパネルを貼れますか…..っていう要望があって、電研のキリシマくんのことが脳裏に浮かんでいたので、グッドタイミングだった。なので、電解研磨処理をしたアルマイトのキャンドルを買って、それを眺めながら、いま、気付いたが、そうか、一度行きたいとおもっていた「すみだ北斎美術館」の外装パネルが電解研磨処理をしたアルマイトパネルなのか…..。ステンレスの光沢とは違う、ちょっと柔らかい光沢が独特なのだろう…..。

そんなこんなで、ひとりで、電解研磨処理したアルマイトのキャンドルナイトを楽しんでいる、勤労感謝の連休の夜。なのだ。

水圧転写というものづくり

「水圧転写」ワークショップがあった日曜日。水圧転写というのは、水槽の上に、デザインを印刷したフイルムを浮かせ、その水槽に「モノ」をつけて、そのフイルムを纏わり付けることで、「モノ」の上に、さまざまなデザインを立体的に施すことができる技術で、もともとは大日本印刷が特許をとったとか。それを生野区にある「ビッグワンズ」という会社が、特殊なフイルムを開発し、汎用的にさまざまなモノの上に、立体的にデザインを転写できるようになったそうだ。

ビックワンズさんの工場にお邪魔すると、建築関係の「モノ」としては、マキタの電動ドライバーが、こんなふうに装飾されていた。現場では、どれがだれの電動ドライバーか迷うことがあるので、こんなのが簡単にできれば、電動ドライバーにも大工の個性が反映し、楽しいだろうが、水槽に浸すので、ドライバーを一度分解してからデザインを施すそうで、タイヘンなのだと…..。

生野区ものづくり百景」の縁で「ビッグワンズ」のマツイくんと知り合ってから、暫くすると、うちの長男タカノリとマツイくんが親しくなって、「木」を使った水圧転写のワークショップを二人で模索しはじめた。水に浸すので、「木」との相性は余り良くないらしいが、兎に角、挑戦してみようということになって、近くに住むデザイナーのサッチーに依頼し、手で持てる大きさで木の小さなテーブルをデザインしてもらった。当日、参加者それぞれが、その2枚のテーブル板に、あらかじめ用意されたデザインのフイルムを使って、それぞれなりの編集作業をし、テーブルを完成させて、いろいろな角度で組み合わせてみると、こんな感じになった。


水圧転写と建築の若い二人の職人が、模索しながら始めた、初体験のたたき台的なワークショップだったので、こーしたらエエかも。あーしたらエエかも。と次回開催に向けて、課題を模索する姿がエエのだろう。これをきっかけに、さまざまな、ものづくりの職人さんとのワークショップを企画してみたいものだな。

そうそう、「まちのえんがわ」から「ビッグワンズ」さんへ、自転車で移動する道中に「リゲッタ」さんの会社の裏を通過すると、タカモト社長が、ひとりで、木型のものづくりを楽しんでいた。普段は社長業でデザインできる時間がないので、日曜日のこの時が、前の夜からワクワクし、朝からお昼ご飯も食べず一心不乱でものづくりをしていたそうだ。その姿、ちょっとカッコエエ。夕方、帰りに立ち寄ると、まだ、やっていた…..。


ちなみに、今年初め、地元生野区から世界に向けて「楽しく歩く人をふやす」をコンセプトにする、リゲッタ生野本店の店舗造りを、木村工務店の設計施工で協力させて頂いた。

「日本のものづくり」なんていうコトバのイメージが、これから、どんなふうに変化していくのだろうか…..と、ふとかんがえてみた、日曜日のワークショップだった。そうそう、ワークショップ終了後は、家族と共に「まちのえんがわ」のアオキさんも交えて、慰労会をし、先ほど製作したテーブルが、こんな感じで活躍した。


三輪さん

気が付けば、落ち葉の季節になって、庭の桜も紅葉と落葉の日々。

文化の日があった週。その「文化の日」という意味とその印象が薄い祝日。ほんとうは、この日が、日本国憲法が発行された日らしい。「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日だという。明治天皇の誕生日らしい。なので憲法と天皇を切り離す必要があってこの日を憲法記念日とせず5月3日を憲法記念日にし、この日を文化の日としたらしい。なんてことを深く考えることもなく、休日として過ごす。

それにしても、日本の首相の交代。都構想の住民投票の動向とその結果。アメリカ大統領選挙の動向とその結果。そんなのが、この文化の日の前後に重なって、民主主義とか、議会制民主主義とか、住民投票とか、アメリカの大統領選出方法とか、日本の首相公選制度とか。そんなのを考えてみる機会になったのが、良かった。

文化の日。久しぶりに朝からサウナにいって、「ととのう」。ま、このコトバ、ちょっと気取っているので、よー使わんのですが、そういう心境になるのは確か。昼から中途半端に時間があって、自転車で大阪城にいって、スタバかパン屋のビールで、Kindleで本読みしようとでかけたら、自転車の鍵を忘れて、周辺に駐輪できなくて、困惑してしまう。そうそう、最近うちがリノベーションした、山岡金型製作所の店舗のオープン日だったので、ここから自転車で5分ほど、そこに立ち寄ることにすると、偶然、長男家族が孫達も連れて、お祝いに駆けつけたタイミングで出会した。孫達の戸惑いと喜びの入り交じった表情に和みながら、皆さんと、あーだこーだと会話をする。

 

「大正12年眼鏡用金型の製作に成功して以来、眼鏡金型一筋に研究開発してまいりました。眼鏡フレームは3次元の複雑な自由曲面の集合体である為、変形したパーティングを有する金型の加工技術を長年に渡り蓄積してきました。多くの有名ブランド・メーカーから支持して頂いております。その時代に応じた独自の金型製作の方法により、末永く世界の眼鏡業界に通ずる金型を創造し作って行けることを願っております」

なんていう、眼鏡金型の世界では有名な会社だが、これから先を見据えながら、インテリアショップのような、雑貨屋さんのような、ものづくりのアンテナショップのような、そんな縁側的なお店を運営しながら、眼鏡金型の新しい縁を模索していこうとするらしい。ワタシ、アウトドアーで使える革紐のエプロンを購入しました。

そうそうワタシ、還暦を1年ちょっと過ぎてしまったが、奥方もその仲間入りすることになって、長男家族が、うちの家で、夕食を振る舞ってくれるという。なので、ワタシの出番はどうするのか。サプライズで喜ばすのが苦手で好みでもないし、この歳になると、中途半端な贈り物をすると、逆ギレされるかもしれず。今週は、探るような、好みの同意をもとめるような、そんなコミュニケーションを繰り返すうちに、なぜか、「三輪さん」に行こうということになった。正式には「三輪明神 大神神社」おおみわじんじゃ。というらしい。

「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山にまつられることを望んだとあります。」「大国主は国造りの大業を完成されたうえ、天照大神に争わずして、国ゆずりをなされた方で、 その誠に感謝なされた天照大神が全国の諸神に命ぜられて、壮大なる宮殿を造営なされたのが、出雲大社の鎮座の由来です。」「国ゆずりの後は、政事(まつりごと)は天照大神の子孫があたり、目に見えない世界のことは、大国主が司ることになった」「ご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。」

なんていうエピソードは面白いし、昔からちょっとした好みで、そんな視点で何度か旅をした。こんな企業経営もどこかにありそうだ。っておもうが、ま、そんなこんなで、有名旅館でもなく、豪華プレゼントでもなく、イタリアンもフレンチも寿司もなく、三輪さんと三輪そーめんで、還暦のお昼を祝うことになった。

マゴ達を交えた夜の還暦家庭ディナーに感激する奥方だったが。このコロナ禍。都構想住民投票。首相交代。大統領交代。世界的な政治経済文化の変化によって、ライフスタイルはどうのように変化するのだろうか。家造りのこと。家族のこと。会社のこと。そんなのが三輪さんで、よぎっていった…..。

住民投票の日曜日。

住宅相談会があった日曜日。コロナ禍になって、3月以降、相談会でフェースtoフェースでの参加者がほとんどなくなって、この先、いったいどうなっていくのだろうかとおもっていたら、シルバーウィーク以降、急に、住宅の相談にお越しになる方々が増えた。

それぞれにとって大切な家造りをどうしようかと悩んでおられるのは、単に、新しい土地を取得して新築するとか、新しいマンションを取得するとか、いや、中古の住宅やマンションを取得してリフォームするとか、そんな相談よりも、受け継いだ土地と建物、いま両親が住んでいる建物、これからシニア世代として住んでいく建物、それらを、これからのライフスタイルを考えて、どのようにリフォームし、どのように新築し、どのように活用していけば良いのかと、悩んでおられる方々が増えているようにおもう。

もちろん、いままでだって、同じ事なのだが、でも何か、少し、ムードが違う。ビフォーアフター的な劇的性を求めているというより、地に足ついて、自分達のライフスタイルと趣味嗜好をより良く反映できる家造りを求めている…..といえば良いのだろうか。

土曜日の午前中にお越しになったAさんは、大阪の町のど真ん中で、昭和初期に建てられた両親が住んでいた家を、若い夫婦二人の住まいとして、耐震性や温熱環境も考慮しながら、快適な住まいにしたいという。ま、こう書くと、いたってフツウだが、ここ数年のこういう依頼の多くは、接道が狭く長いとか、一軒家だが隣家と密接していて施工しにくいとか、なんだかんだ、厳しい条件の案件が多いのが特徴。

日曜日の午前中のBさんは、以前にも内装替えのリフォームをさせて頂いたリピーターのお客さんだが、これからシニア世代に突入するにあたって、快適な住まいを模索しておられるが、快適な寝室と収納と洗面所など、収納に対する要望も多いが、成人したお子さんや孫さん達など人が集まって一緒に食事ができる場所を造るというのが、これからのシニアリフォームの特徴のひとつだろう。また、それだけでなく、いま所有している空き家になった文化住宅をどのように活用するかという相談もあった。

シニア世代の方々のなかに、受け継いだ、空き家になった借家を、どのように活用すれば良いのか悩んでおられる方も多く、ワタシも生野区で「空き家カフェ」という、空き家問題をどのようにしていくかという、行政も交えた、ミーティングを毎月19日に開催しているが、簡単にすぅーっと解決できるような特効薬はなく、いろいろな立場のひと、それは不動産屋、建築家、工務店という建築の専門職だけでなく、ファイナンシャルプランナーや行政書士や借家オーナーや大学の先生や生徒、さまざまな特定非営利法人、などなど、チーム的な協働によって、ようやく解決できるような、複雑な要件が、「纏わりついている」のが現状だ。

午後からのCさんは、若い夫婦と幼児を連れだってお越しになられたが、奥さまの実家に移り住んで、母や祖父やお兄さんとの同居を考えておられるとのことだった。同じようなシチュエーションの依頼が他に3件ほどあって、ご主人の実家だったり、さまざまだが、単に住まいとしての2世帯住宅を造るというだけでなく、介護や子育てのためだけでもなく、それぞれのライフスタイルのちょっとした違いを活かすリノベーションを求められているのだろう。

午後からのDさんは、ご夫妻でお越しになられたが、ご主人はヨーロッパ出身の方だった。奥さんのご実家の住宅を耐震リフォームする依頼だったが、敷地の別棟でご両親が住んでおられ、別棟でご商売の工場もある。そういえば、職住をともにした住まいのリノベーション依頼も多い。職のなかには農家のひとも含まれているが、職住一体の住まいに対するアレルギーのようなものが、このコロナ禍のテレワークなどで、薄らいでいるようにおもうし、住む場所と働く場所を移動することによって、オンとオフのような切り替えをする時代ではなくなっていくのだろう…..。

そうそう、大阪都構想の住民投票があった日曜日だった。このブログを書いている現在、結果は判明していないが、はんなりとした柔らかい大阪弁を話した生粋の大阪人の祖母を持つ大阪人のワタシとしては、そういう大阪の文化圏が、大阪商人を生んで、経済的発展があったようにおもい、大阪の文化圏のようなものが分断される寂しさと憤りのようなものも感じる。「まぁやってみなはれ」的な新しいことにチャレンジする精神も大阪の文化にはあり、そういう意味では、ほんまかどうか、よーわからんところあるけど、とりあえずやってみよかぁ。みたいな気分もあって、賛成反対五分五分の気分が投票間際まで拮抗していた。こうなったらサイコロで運命決めて、その決まった方向で頑張ろか。ぐらいエー加減な気持ちもあるわけで、さて、結果がどうなるのか、ちょっと楽しみ。

心の光りとしての照明器具。ライフスタイルの幅を広げるアウトドアー製品。

秋晴れの日曜日。ほんと雲ひとつない青空で、気分爽快。

昨日は「ものづくりセッション」を開催した土曜日で、コロナ禍になって以来、9ヶ月ぶりの開催だった。何人かのひとから早く開催して欲しいという要望もあったが、この催しを取り仕切っている、タケダさんの仕事上の都合も加味し開催を躊躇していたが、ようやくいまの日本のコロナ禍の雰囲気を考慮して、限定30人ということで開催するコトになった。

「ものづくりセッション」というのは、おもに生野区のものづくり企業の若いひとたちが中心となって、デザイナーや商工会議所のひとや学校の先生など、さまざまな職種のひとが参加するなかで、自分の会社のコトや自分自身のコトを皆さんの前でプレゼンしながら、その内容に、皆で、突っ込んだり、共感したり、憧れたりしながら、ものづくりのエネルギーを共有するリラックスしたセッションで、この雰囲気に馴染めるひとたちにとっては、楽しみな時間でもある。

人と人が繋がることで、出会えなかった技術と技術が繋がっていく、そんなプレゼンに遭遇すると、「ものづくりセッション」をやって良かったなぁ…..とおもう。そうそう、照明器具デザイナーのワシズくんのプレゼンで、ルイスポールセンのアーティチョークの話題があって、うちの奥方が、エルメスの鞄を買うのであれば(それ買うのもタイヘンなんですけど)私はこの照明器具を買うわ!っていう男前な発言があって、実際購入し、うちのキッチンの上に鎮座しているのだけれど、「ものづくりセッション」のあと、その実物を実際に見てみたいと言うことで、案内した。内部から見たあと、皆で外から格子越しに眺めてみた。ワシズくんは、心の光りにもなる照明器具を造りたいそうだ。

夜の気温が低くなってきたので、アウトドア薪ストーブで、ピザを焼いた。最近、アウトドアーの面白い製品が沢山あって、新保製作所のロマンチカ薪ストーブの上に乗っかっているのは、尾上製作所のピザオーブンで、購入して、今晩が初挑戦。こんなので上手くピザが焼けるのか不安もあったが、フツウの冷凍ピザでも美味しい。オーブンなので、手羽先も焼いてみたが、美味。ただ、250℃の温度を保つには、そこそこの薪の量が必要で、オーブン付きの薪ストーブの方が効率良いのだろうなぁ。


 

そうそう、プロ仕様!極厚バーベキュー鉄板厚6mmなるものもネットで購入した。肉だって、お好み焼きだって、格段に味が変わる。こういうのが、道具屋筋などに行かなくても、ネットで吟味して買えるのが、あらためて凄いとおもうし、ライフスタイルの楽しみ方に幅ができる時代だなとおもう。

そうそう、さきほども話題にだしたが、こういう薪とか炭とか意外に手間がかかるし、効率が悪いところもあって、もっと気軽にできるものがないのかと探していたら、最近のひとりキャンプブームで、面白い製品がいろいろあることを知る。で、こんな、ひとりキャンプ用のストーブと一発着火で二人分ぐらいの肉が焼ける炭を購入した。ちびちび焼いてちびちび食べてちびちび飲むにはとっても便利。それと後片付けが簡単なのが嬉しい。

そうそう、最近のアウトドアーで、いちばん、良いなぁっておもうのは、食べたり飲んだりをロースタイルですることで、つい最近の木工家賀来さんのワークショップでも、ロースタイルのテーブルと椅子を製作した。うちの家をリフォームした時も、アウトドアーのデッキスペースは、庇の下で、薪ストーブを置いて、ローススタイルで楽しみたかった。最初はヘリノックスタイプの椅子や、ワークショップで製作したロースタイルのヤベチェアーを置いていたが、最近は無印のビーズクッション小が定番になった。家庭の庇のあるアウトドアーデッキには最適で、いつか、アウトドアー用の無印ビーズクッションがでないかね。

心の灯火になるような照明器具。ライフスタイルの幅を広げるアウトドアーグッズ。「ものづくりセッション」に参加した、それぞれが、それぞれなりに、そんなことを模索しているのを知って、あらためて、これからの時代のありようを考えてみた。

ものをつくるエネルギー源

天気が回復した日曜日。木工家の賀来さんによる、スギの小幅板を使って、家具を製作する、まちのえんがわワークショップを催した日曜日だった。いままでの木工系のワークショップは、デザインを固定し、材料の寸法切りはこちらで済ましておいて、組み立てだけをするワークショップで、昼からの半日で開催していた。

今回は木工家のカクさんオリジナルのワークショップで、最小限の製作ルールと製作手法を共有し、杉の小幅板を材料として、手鋸で材料切りし、金槌で釘打ちして、椅子や机などの家具を造るという、オールドな手法ながら、それぞれが自分の欲しい家具を、デザインから考えて製作するので、午前10時から午後5時まで、たっぷりと一日を費やすハードなワークショップだったが、完成してみれば、とっても充実したワークショップになった。

オトナの参加者のなかに、小学校4年生の男の子がお母さんと一緒に参加していたが、将来は建築をやりたいという。ワタシなど、工務店の長男に生まれ、建築学科の大学に通いながらも、建築をやる決心というか、家業である建築を継ぐ、なかば諦めような決心がついたのは22歳頃だったようにおもう。そのお子さんのような夢を持てる子は、なんとなく神からのギフトのような気がするし、そのギフトを楽しんで受けとれて持続できればエエよね。なんてそんなコトを考えさせられたワークショップだった。

自分でデザインを思案し、机に棚がついた家具をスケッチして、それを製作することになったが、お母さんは、娘さんを同伴しながら、側で見守っていた。うちの長男タカノリの息子、ワタシにとってはマゴの同級生のお兄さんだということで、その都度、カクさんもタカノリもワタシも、鋸を持って切ったり、金槌で釘を打ったりしながら、サポートをしたが、飽きることも諦めることもせず、独力でやり遂げようとするその姿勢に、私たちが、プリミティブで、清らかなエネルギーを頂戴したような気分だった。

   

製作見本は、アウトドアーやベランダなどで使える、低いテーブルと低い椅子だったが、参加者11名の誰ひとりも、それと同じような椅子とテーブルを作る人がいなくて、それぞれが、それぞれなりの、オリジナルな家具を製作したコトが、少々の驚きで、完成した家具のデザインや施工のクオリティーを眺めながら、それぞれのちょっとしたライフスタイルの違いを丁寧に建築化できる工務店でありたいものだぁ…..なんておもった。

  

そうそう、昨日は雨が降りしきる土曜日だったが、鉄骨造住宅の上棟式があった。コロナ禍なので、皆で上棟の儀式をし、御神酒で乾杯して、職人さんを紹介する、宴席のないショートバージョンの上棟式だが、感謝と祝福のエネルギーを、新しい家の構造体の中に、「転写」できればエエよね。とおもうのが、上棟式での私たち施工者の立ち位置なんだろう。なんて、ワークショップで、フツウのひとたちが、ものづくりに一生懸命になるエネルギーに接すると、プロとしてどうあるべきなのか、考えさせられるなぁ…..。

自転車と町の関係

台風が接近する土曜日。ある縁で、石川県鯖江市にある、白崎サイクルさんを訪問する。3代100年続く自転車屋さんだそうだ。大阪にもそんな自転車屋さんってあるのかね。たしかに町と自転車屋さんの繋がりって古いよね。って改めて考えてみるきっかけになった。

門前)(門前Ⅱ)の続き…

(門前Ⅲ)

三十三間堂交差点から北東の清水寺の裏山の峠を越えることにした。三条や四条の街のど真ん中を通過するのも街的でエエが、京都市内の外周部を回りヒルクライム的な要素がちょっとある方がなんとなくロードバイク的な気がするからだ。あ〜しんどと思うぐらいで峠に着いて、左の道路を進んで将軍塚から京都のを眺めてみたい気持ちもあったが、ここで30分ほど費やす余裕がなくなっていて、先を急いで、右の道を選択し、南禅寺方面へ下る。

煉瓦造りの隧道を潜ると京都的な景色感がグッと増し、南禅寺の門前で記念撮影。コロナ禍の影響で、着物姿の外人でなく、着物姿の日本人が、日本を楽しむ姿が、世の中の流れの変化の不思議を感じさせる。このあたりを走ると奈良ではない京都感というのをあらためて感じるし、それは一体何がそうさせるのだろうか。

哲学の道をゆっくり散策的に走るには、時間的余裕がなく、鹿が谷通りを北上し、銀閣寺門前に着く。金閣寺にしても龍安寺にしても、「門なき門」感が強いとおもう。奈良のようにデーンとして、さぁ心して入れ!みたいな門ではなく、一見柔らかそうだが、実は、心整えて繊細に入らせる雰囲気。みたいな感じが京都的なのか、なんていう考えがハイスピードで脳をかすめていった。

今出川通りを走り鴨川を北上する。家族連れやカップルが陽気に誘われてエエ感じで寛いでいる。こんな雰囲気って、日本でも京都の鴨川のこのあたりにしかないような気がするが、立ち止まって、写真を撮影するのも面倒くさくなって、もはやソワソワしながら完走を願うだけのワタシ。

北大路通りを西に進みながら、大徳寺やちょっと好きな高桐院の門前まで行く余裕もなく、気分だけそこに置いて通過する。金閣寺前は多くの人出で驚いたが、只今、足場があって、改装中です。と大きな声のアナウンスを聞きながら通過した。龍安寺前も通過しながら、禅と門なき門を想起してみた。仁和寺の門前で記念写真。いつもなんとなく立ち止まってしまう。南禅寺のドシッとした門とはまったく違う様式美で軒がビヨォーンとした感じ。コンビニで休憩したあと、ちょっとした登りから下り基調の道を走りながら広沢池が見えてくると、とっても気持ちのエエ雰囲気で、毎回笑顔になる、日本的のどかさ….。

大覚寺門跡という門がなくなった門前を通過し、嵐山のメインストリートを人混みを避けながら走る。日本人観光客が日本を楽しんでいる感じ。ストリートに面した天龍寺の門前は、ほんとに門がないのがカッコエエが、大本山天龍寺というデーンとした石碑だけあって、そこにある種の威厳を感じとって、奈良と京都の「門前巡り」が終わった。嵐山から大阪までの淀川沿いを45kmほど辛抱強く走り続けて帰宅すると、左膝がちょと痛い。お尻もちょっと。なんて疲れたが、ちょっとした達成感。

(終わり)

 

コロナ禍になって、ヨーロッパでは自転車が売れているそうだ。補助金もでるらしい。それで、自転車の供給が滞っているとか。そうそう、幕末に自転車が日本に入って、明治から昭和初期にかけて日本人の生活の中に自転車が入ってきたそうだ。大正時代に一般大衆でも手に入るようになったが、自転車を持っていることがステータスであったらしい。そんな時代から100年経過する。10kmほど走る町乗りの電動ママチャリも好きだが、旅するための自転車とか競輪とかスポーツ競技とかの自転車とはまったく縁がないワタシ。ロードバイクをやってみると100kmぐらいそれなりに移動できて、人と町と移動の関係性が変化する。町と自転車屋さんの関係も変化しているようだ。

「十五夜お月さん」と「門前Ⅱ」

久しぶりに、じっくり、「十五夜お月さん」を見たような気がする。お月見団子を食べ、庭に出て、マゴ達と一緒に椅子に座って眺める満月の夜。

 

先週の「門前」の続き…..

東大寺から、正倉院の砂利敷きの門前に佇み、校倉造りに思いを馳せてから、転害門の門前を通過する。この門をみると不思議な気分になる。「てがいもん」という漢字と読みと「しめ縄」と門前の芝生が、独特の呪力を感じさせる。今回は門前の記念写真は撮らなかった。ちょっと先を急いでいる感覚で、ソワソワしていたからだろう。そうそう、カッコエエ二月堂に立ち寄るのも、ソワソワしだしたのでやめた。旧奈良監獄の門前から東大寺を見返したのが、先週「門前」の最後の写真。

 

その旧奈良監獄すぐ近くの植村牧場で、牛乳でも飲んで休憩しようとおもったら、コロナ禍で休んでいた。なので、ひたすら木津川を北上し、「流れ橋」まで走りきることに決める。ようやくロードバイクで快走している気分。流れ橋すぐ近くの「やわた流れ橋交流プラザ四季彩館」で昼食を食べながら、思案する。このまま自宅に戻るか。流れ橋を渡って京都に行くか。120kmか170kmか。天気が快晴だし。明日も休みだし。帰宅が遅くなっても、ま、エエか。なんていう葛藤。

 

流れ橋を渡ると時代劇的気分になれるのが嬉しい。それに流れ橋から宇治川を渡る観月橋までの区間が、突然視界が開けて、常に伏見城から監視されて騎乗している戦国武将の気分になって、ひとりでニヤニヤしたりして。北東方向を見れば伏見城だが、西を向けば、高速道路の久我山ジャンクションがあり、この立体的高速道路の土木工事が好きだ。自転車を駐め、田んぼ越しのジャンクションを眺めて、ほんとはここで、珈琲でも飲みたい気分。

 

宇治川を渡り、そのまま走ればエエものの、寺田屋前を通過する。寄り道するほどの場所でもないが、坂本龍馬を殺害した犯人は誰か。という歴史上の推理はオモシロイ。観光客の何人かが記念写真を撮っていたので、ワタシも、パチリ。商店街をゆっくり抜けようかとおもったら、想像以上の人出。迂回し、伏見城横の住宅街を抜け、一方通行で大渋滞中の伏見稲荷の鳥居の前で、記念写真。外国人観光客がいない日本人観光客だけでいっぱいの雰囲気が珍しく、赤い鳥居と外国人観光客の記念撮影が、懐かしさすら感じさせるこのコロナ禍。

北上して、三十三間堂に向かう。この南大門を自転車でくぐるのが、なんとなく好きだ。門前で記念撮影。南大門と三十三間堂と京都国立博物館平成知新館と道との関係性がオモシロイ。っておもえるようになったのは、前々回の京都ライドの時、三十三間堂前の交差点で、谷口吉生設計の京都国立博物館のシュッとした端正な門を信号待ちで眺めて、その後のある夏の日に訪問し、この南大門との設計的関係性を知ってからのコト。

 

そうそう、この南大門を正面から潜るために、自転車を降りて陸橋を渡るところがあって、そこから眺める鉄道と山と京都タワーと京都駅と街の関係性もなんとなく好きで、ほんとは新幹線が通過するまで待ちたかったけど、完走できるかどうかソワソワし、取り敢えず雑な写真を撮るだけで精一杯。もはや町を楽しむ余裕がどんどんなくなってきているワタシ。

続く…..。

 

住宅相談会があった日曜日で、二組の方が相談にお越しになり、それぞれなりの、ちょっとしたコダワリのある家造りを、このコロナ自粛期間中に、あれやこれやと考えておられたようだった。そうそう、十五夜お月さんは、秋の収穫に感謝をささげるお祭りで、良いことが起こる前から感謝をして、実際に良いことを引き寄せる、日本的な神事のカタチだとか。コロナ禍も含めて、いろいろなコトが、良い方向に向かいたいものですね。

「門前」

風が吹いて、木々のざわめきの音が、すでに秋だな。

シルバーウィークのど真ん中。快晴だったので、こんトライをしてみた。自転車で、十三峠から奈良と京都へ。2度めの同じコースなんだけど、自転車をカーボンからクロモリに乗り替えて、乗った感じが違うのかどうか。体に伝わる振動が、カーボンよりクロモリのほうが易しく、それが疲れを少なくしてくれる感じ。足への負担はきっと走り方の問題で、後半は、同じように疲れる疲れる。

奈良も京都も想定以上に観光客がいっぱいで、だれもが陽気で笑顔な感じ。コロナ禍になって以来、そんな雰囲気に触れるのが久しぶりだったので、嬉しそうな人のエネルギーに触れるだけで、こちらも走りながら笑顔になった。

このコースの好きなところは、門前の寺院建築の空気感に触れるのが楽しい。大阪から十三峠を越え、榁木峠を越え、追分の分岐点で、大和棟の住宅をみると、奈良に来たって感じが芽生える。308号線を外れ薬師寺を目指すと、ゆるやかな下り坂で、目の前に東塔と西塔の二つの三重塔の尖塔が飛び込んでくるのが独特な感覚で、ちょっとワクワクする。薬師寺の門前で記念写真。

すぐ近くの唐招提寺にも立ち寄る。やっぱり門前で記念写真を撮るが、薬師寺の垂直感とは違う、水平にシュッと伸びる軒が、門の奥の砂利道の向こうに見える姿がエエ。なぜ、この近しい位置関係に、薬師寺と唐招提寺が建っているのかちょと不思議におもう…..。東にどんどん進み、北に方向を変えて、ならまちを通過しながら猿沢の池に到着すると、スタバが出来ていた。休憩しながら、このまま家に帰ってもエエぐらいの感覚だった。

興福寺は、門前の感覚が薄い。どちらかといえば広場な感覚なので、それはそれで独特だけど、いつも通過してしまう。奈良公園を抜ける途中、奈良国立博物館西館の前でおもわず立ち止まった。あらためて今日は「柱のデザイン」がカッコエエとおもい、吉村順三さんの設計にちょっと魅とれる。あの唐招提寺の門のちょっとエンタシスな丸い柱が残像のように焼き付いていたからだろうか。

奈良公園の中を抜けて、東大寺の南大門に向かう。ガラガラだとおもっていたら、家族連れの日本人観光客でいっぱいだった。鹿も餌をもらって嬉しそう。南大門はいつ見ても魅力的でやっぱり門前で記念写真。自転車で周辺を巡りながら、東大寺のあの瓦屋根をあちらこちらの角度から眺めるのが自転車的な面白さなのだろう。(冒頭の写真も)

続く…..。

そうそうシルバーウィーク最終日は、関西大学の木造設計製図の授業があって、大学に向かうと、門の前も中も電車も学生でいっぱいだった。後期は対面授業をやるらしい。連休も授業をやらないと消化出来ないということだ。大きな製図室が、それぞれの机ごとにアクリル板で仕切られていて、それが、コロナ禍であることをあらためて意識させられた。さて、生徒との講評会はどんなスタイルでするのだろうか…..。

ようやく世の中が少し動き出したような感覚。
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