フツウの日曜日が戻ってきたような感じ。大阪は、朝からしとしと雨が降る日曜日の朝。なので、朝からスーパー銭湯に行くと、男湯はそこそこいっぱいだった。サウナに入るひとが最近増えたようにおもう。そのあと、コメダ珈琲でモーニング食べたら、案外若いひとが多かった。ひとが、まちに出て、徐々にお店に行くひとが多くなってきたかな。その帰り、コーナンで雑なモノ買ったら、ソーシャルディスタンスを保つためレジで並ぶマスク姿が、とってもコロナ後な感じ、ヒトも多かった。その後、先週の土日と自転車に乗ったので、家でちょと自転車の整備をした。まめな整備を怠ったためカーボンに損傷がいった苦い反省があって、やっぱりモノは丁寧に扱わないと、モノとヒトとの良い関係性が持続しないと、あらためておもった。
「親切丁寧」というコトバを残したのは木村工務店の2代目社長木村正一だが…..
正しい事の原理、原則をみきわめ
何事もキチンとすること。
何事も誠意をこめ、魂をいれて
コトに当たろうとすれば、
親切丁寧に帰着する。
物作り、人付き合いの原点でもある。
二代目 木村正一
書体も含めて、こんな印刷物が一枚だけ残っている。一度も社員の前で、このコトについて語らなかったが、亡くなってから、社員皆で、このコトバを改めてみつめ直し、社風になれるよう、精進しはじめたところだ。モノ作りとヒト付き合いの良き関係性を築くには「親切丁寧」に帰着するというのだ。withコロナの世界だからこそ、必要なのかもしれない。
そうそう、木村工務店ヒストリーも、木村正一が残した、わりと好評なヒストリーで、先日、八ヶ岳で建築家秋山東一さんとご一緒したが、あのヒストリーの続きはないのぉ…..と問われた。ある日、先代社長に、続きを書いて欲しいと依頼したが、そのままになっていた。亡くなった後、どこかに残っていないかと探してみたが、見つからなかったが、さきほど、一太郎というワープロのソフトを愛用していたことを想い出して、前社長のフォルダーの中を見てみると、それらしきファイルを発見した…..
「木造賃貸アパート・マンション」
戦後も10年にならんとしている。日常の衣食については、何とか目途が付いてきたが、住まいを手に入れるのははまだまだ大変な事であった。数度にわたる空襲で大阪の町も廃墟と化した。そこに復員軍人、海外や田舎の疎開先からの引き揚げ者、職を求めて来阪する労働者、大阪の住人はバラックと呼ばれた仮住居や狭小な住まい、商店も店舗もお粗末その物であった。そんな空地に木造2階建てのアパートと称する4畳半や6畳一間で共同炊事場、共同便所の貸間の新築建物が目立つようになってきた。一ヶ月の家賃がほんの数千円で、完成する前に満室となることが多かった。4畳半は都会に就職した独身者であり、6畳あれば新婚さんのスイートホームでもあった。
当社はこのアパートをグレードアップして更に幅半間のミニキッチンを付け上六ハウスと称して、今の天王寺区東高津町に土地を求めて新築した。勿論便所は浄化槽を設置して水洗便所(当時の便所は現今のように簡単に水で下水に流せなかったので、所謂くみ取り便所でした)にしたからさあ大変。棟上げがすぎたら(家賃も高く設定したのに)もう満室。浴室がないが、現代のワンルームマンションの元祖であると自舞している。このシリーズは松崎町、細工谷、十三等。昭和33年には鶴橋でRC3階建で浴室もつけた現在の1ルームマンションの原型そのもので、姿、形は随分くたびれたが今も現役で家賃を稼いでくれているし、木賃アパートと称呼も変わりご老体をさらけ出しながら、時には邪魔者扱いをされても独居老人なぞに低家賃で提供して、今もそれなりにお役に立っているが、その大半は解体されて駐車場や建て売り住宅に変身している場所も多くなってきた。
「本格的な木造住宅復活」
「軽量鉄骨建築」
「木造賃貸アパート・マンション」が付け加えられ、その後、「本格的な木造住宅復活」と「軽量鉄骨」というヒストーリーを書くつもりだったのだろうが、絶筆だった。できることなら、もう一度話を聞いて、筆記したいものだ…..。
午後からのある予定をうっかり忘れてしまった。歳だなぁ。夕方、晴れてきたので、自転車で大阪城まで散策してみた。ヒトが多い。皆、ソトで深呼吸しているような感じ。ぐるっと一周して、噴水前のスタバで抹茶フラッペでも飲みながらiPhoneのKindleを読んで小一時間ほど過ごしていると、突然、散歩中のトイプードルが飼い主から離れて、ワタシの膝の上に飛び込んできた。膝の上にチョコンと座る子犬。顎を撫で撫でよしよしするワタシ。慌ててサングラスをかけた女性の飼い主とその娘さんがやって来て、大丈夫ですか、服汚れてないですかって。こういうなんでもないライフスタイルとハプニングが戻ってきたのが嬉しい。
土曜日。木造住宅の仏式での上棟式があった。お経を唱えるお坊さんを大工の棟梁をはじめ職人皆で、用意した椅子に腰掛けて拝聴することで儀式が終了した。確か高野山ゲストハウスkokuuを建てた時も仏式だった。それ以来か。御神酒による乾杯の儀式だけは執り行って、木村工務店の関係者と職人皆で、高らかな声で祝福しあった。流石に宴席はwithコロナを考えると中止するのが当然のコトなのだろうが、それぞれに折を用意頂いて、それを持ち帰るコトで上棟式を終えたが、施主の奥さまが、上棟式で皆さんに振る舞うことが夢だったと仰る。
宴席で祝福のエネルギーをこの木造住宅に転写することができなかったのが残念だが、それでも少しウルッとしている感じの施主の奥さまの姿が、とっても心に残った。