里山と集落

梅雨には紫陽花が似合う。うちのアジサイの花びらもどんどん増えてモリモリになってきた。今週は雨が降り続いたが、晴れ間が覗く日曜日になって、里山を自転車で目指す。5月6月は里山が特に素敵だ。うちの長男の奥方は福島県出身で、5月の田植えの時期はお祭りみたいな雰囲気だという。確かに、最近、ようやくその感覚が理解できるようになってきた。

水田に稲の苗が植っている景色は、工務店のワタシにとっては木造住宅の上棟みたいなものだと感じる。その水田で苗を植えている人々の働く姿が美しい。上棟式で2階や3階の梁の上で作業する大工さんが目茶苦茶カッコエエのと同じ雰囲気を感じる。その後に祝宴をする上棟式では、皆で安全無事な竣工を祈り上棟を祝福するそのエネルギーがその家に宿って欲しいとさえ思う。そんなようにというか、それ以上に、稲作をする人々は、無事に稲の成長を願いながら、田植えの後に祈り祝福しながら食事を共にするのだろう。よくよく考えてみれば、稲作の文化から上棟式が生まれたのかもしれない。

生野区という超密集市街地に住むワタシにとっては里山との繋がりは薄いし田植えとも無縁であるが、このコロナ禍によって、5月6月の日曜日にこんな余暇が生まれ、里山と接するこんな機会が生まれた年は今までになかったとおもう。それで、半分仕方なしに、自転車に乗ってみると、大阪市内から富田林や河内長野に行くと、まだまだ里山的光景がいっぱい残っている事に改めて気付く。都会の住宅の庭を見て京都の庭園を想起するより、里山を想起する庭の方が今流行りのSDGs的でエエのかも。

車や徒歩と違って、ロードバイクのスピードと距離感は、里山や集落を知るには最適だな。車のスピード感とガタイの大きさでは、里山や集落に停車しにくい。徒歩も電車を使いながらそういう里山や集落を散策できるが、ポイント的で、ディティール的で、全体像が掴み辛い。生野区の街を巡るにはママチャリが最高だし、安全で荷物も置けて便利だ。ワタシも生野区では電動ママチャリを愛用しているが、里山や集落や街道や海道や峠を目指すにはロードバイク的機動力がないとしんどい。ただ、道具とか服装とかちょっとしたハードルも高い。

家から金剛ロープウエーを目指す。途中に富田林や河内長野の里山風景に寄り道しながら到着した。ちょっとヒルクライム的要素があった方がロードバイクは楽しい。下り道、河内長野の集落に入る。川と高低差と集落と山の組み合わせがエエのだろう。こんな集落の古民家にオーガニックなパン屋さんがポツンとあったりするのが今風だし、ネット社会がこんなところまでお客さんを呼ぶのだろう。千早口方面に下る。通称トトロ街道という道があって、今まで行ったことがないので、トライする。確かに里山的でちょっと暗い感じの木々に囲まれた雰囲気がトトロの出現を予感させるのか。

今、街なかの3軒が関係性を持つ住宅地の計画があって、オーソドックスな南向きの分譲地みたいな宅地として計画されようとしていたが、それぞれが宅地を購入するにあたって、賃貸住宅でないのに、里山の集落のように、土地をシェアーしたり共有することによって、その土地の付加価値が上昇する。街なかで、そんな宅地の計画って可能なんだろうか。なんていうのが、ここ2週間ほどのテーマだった。そんな意味でも改めて里山や集落を学んでみたいものだ。

greenと大地と土地価格

紫陽花の季節。今年から我が家も桜の幹の横に紫陽花を植えたら、青色の紫陽花が咲いた。赤色の方が良かったかもっと奥方が呟いた。ネットで調べると、土がアルカリ性なら赤色になるらしい。石灰とかを撒いてアルカリ性にすれば良いのかとおもったらアルカリ性になる肥料があるという。いまだ不要不急の外出制限中なので、家のgreen観て、心安らぐのが、「いまここ」的感覚なのか。

なので、家の中にgreenを置きたい。ベランダにgreenが欲しい。小さな庭でエエので木々や下草を育てたい。家の前にgreenを置いて育て、道行人にも楽しんでもらいたい。なんていう要望が増えてきたようにおもう。今日は葉っぱが元気やよねとか、ちょっと枯れてきたわとか、花綺麗に咲いてますねとか言われて、一喜一憂しながらgreenを通じて、この地球という居場所で、太陽や雨や風や自然環境が織りなす気候となんだかんだ関わっているコトが実感できるのが、今のオモシロイコトのような気がしてきた。

住宅相談会の日曜日だったが、前日の土曜日に相談にお見えになったご家族は、建築条件付きの土地を購入予定だが、どうもその家が、納得できないという相談だった。建築条件付きを外すのに、そこそこの対価を要求されるのはフツウのコトになっている。ま、業者側にとっては当たり前といえば当たり前の事なのだろう。土地だけで経費を出すだけでは不足で、家も売った経費を出して、ようやく利益を生んだという感覚なのだろうが、どうも、家が欲しいお客さんからすれば、最近の売り建ての土地の価格と家の価格とのバランスが悪いと感じているようだ。総予算の中で、土地価格が高過ぎて、家が希望する性能やデザインや居心地の良さではないという…。多くの若い人々が、土地がもっと安いコト。土地価格が高騰しないコトを切に望んでいるようだった。家にもっと予算を掛けたいと。

午前中のAさんは、大阪のビル街のど真ん中に3階建ての間口の狭い住宅をお持ちで、それを売るか、そこをリフォームして住まうかをお悩みのようだった。有名建築に「塔の家」というビルの間に挟まれたモダン建築があって、東京の一等地の9坪ほどの敷地にコンクリートの塔のようなモダンな建築が建っている。そのイメージが湧いてきた。それよりもうちょっと土地は広い。低層の密集市街地の生野区に住むワタシにとっては、こういう高層のど街中にひっそりと住むのも憧れる。本日の担当者のタカノリと一緒に、即興でプランした。入り口に、ほんのちょっとしたオープンスペースがあって、ほんのちょっとしたgreenを育てたいという。そんなのが嬉しいし、エエ感じ。

午後からのBさんご家族は、生野区で土地を探して新築住宅を建てたいという相談だが、土曜日のご家族と同じで、建売住宅の土地価格と家の性能とデザインのバランスが納得いかないそうだ。同じような若い家族がほんと多い。中古住宅を購入してリフォームという方法もあるが、生野区には長屋が多く中古住宅一戸建てが極めて少ない。インターネット上のSUUMOで検索し、好みを共有しながら、ある候補の土地を探し出し、それをグーグルのストリートビューで探し当てて、予算で可能な、ちょっとしたgreenがある新築ができるかどうか、木村工務店で施工した今までの建物を参考にしながら、検討した。案外、こういう時間は楽しい。

午後からのCさんは、マンションリフォームのご相談で、築20年近くなると、ユニットバスや便所や洗面を交換したくなるという。キッチンの家電製品も20年ごとに新しくしたくなるのは、うちの奥方も含めて、多くの女性的願望なのかも。何だか天照大神が住まう伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮みたいではないか。そういえば、前日の土曜日に打ち合わせがあったご夫妻も同じようにマンションリフォームで、そろそろお風呂と洗面と便所を交換したくなってきたのが、コトの始まりだった。無印のインテリアコーディネーターの女性とコラボしながら建築的な「棚」の設計を考案中でもある。

庭は、あのかつての庭らしい庭ではなく、自然な樹形の自然な下草のある里山的で小さくてカワイらしい庭を望んでいるような気がするし、greenもちょっと多肉的でいま風のgreenを望んでいるような感じがするし、コロナ禍的で都会的が過多になってくると、大地との繋がり、自然(じねん)との繋がり、地球との繋がりを想起してくれるgreenを強く求めるようになってくるのだろうか。

温泉とランドセルとサングラス

朝からパラパラ雨が降る日曜日の大阪。で、東大阪の大型銭湯に行くことにした。スーパー銭湯と大型銭湯は違うというのをコロナ禍の制限によって初めて知った。スーパー銭湯はその他公衆浴場で利用制限がかかっているが、銭湯の大型の施設は、一般公衆浴場で、銭湯と同じ料金で、利用制限がかかっていないらしい。それにしても、一般の銭湯でもサウナとか露天風呂とか温泉とかあるので、石鹸とかシャンプーが付いていないとか着替えとか洗い場がゆったりしていないとかが大きな違いなのか…。で、スーパー銭湯が土日休業なので朝風呂からやっている銭湯の大きなやつに行くと男湯はいっぱい。密だな…。サウナもちょっぴり気を使う。

「まちのえんがわ」で住宅風呂巡礼を一緒に企画した「温泉ソムリエぐっち」が提唱する「純温泉」という定義があって…

「純温泉」とは新たな言葉です。

なぜ「純温泉」という新たな言葉を作ったのか?
それは「源泉かけ流し」という言葉が、良くも悪くも明確な定義がないため、
「源泉かけ流し」の温泉では、どのような温泉なのか、
もしくは、どのような湯使いをしているか、わからないからです。
また、「源泉かけ流し」であっても天然のままの温泉とは限らないからです。
※湯使いとは「加水・加温・循環ろ過装置・(塩素等や入浴剤等の)添加」の有無です。
また、昨今「100%源泉かけ流し」等様々なキャッチーなフレーズを見かけますが、
これもしかりです。ということもあり「純温泉」は明確な定義を設けました。

純温泉の定義

純温泉を以下のように定義します。
「源泉をそのまま利用している温泉であること」
但し
・源泉が高温の場合、適温にするための加水はOKです。
(但し、源泉の個性を損なわない程度)
・源泉が低温の場合、適温にするための加温はOKです。
・噴気造成泉はOKです。
・溜湯方式(貸切利用でかつ1組毎に換水)はOKです。
・循環ろ過装置を設置していないこと
・浴用の温泉水への塩素系薬剤等の添加による消毒はしていないこと
・浴用の温泉水への入浴剤等の添加はしていないこと
・適正な清掃及び衛生管理を行っていること

純温泉のタイプ別
純温泉A
完全放流式・加水なし・加温なし・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉B
完全放流式・加水あり(源泉の個性を損なわない程度)・加温なし・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉C
完全放流式・加水なし・加温あり・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉D
完全放流式・噴気造成泉・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし
純温泉E
溜湯方式(貸切利用かつ1組毎に換水)・循環ろ過なし・消毒なし・入浴剤なし

「源泉掛け流し」といっても、それって、AタイプBタイプなんて、ぐっちの影響で、木村家の家族間では区別するようになってきたが、「消毒なし」ってほんと少ないらしい。今日も「源泉掛け流し」と書かれたその露天風呂に浸かりながら、「湯使い」をあれこれと想像してみた。

今週、マゴのランドセルを買うために生野区田島にある「生田ランドセル」さんにお伺いする。長男が予約をし、コロナ禍もあって、決められた時間に店舗でランドセルをチョイスした。工房は木村工務店で施工をさせて頂いたが、昨年他界された会長さんとは、生野区のものづくりや商売やホームページに関しての意見交換を交えたご指導ご鞭撻を頂戴し、いつかお返しをしたいと思っていた。

店舗に行くと、若い家族だけでランドセルをチョイスする方もいれば、うちのように祖父母が一緒に付いてチョイスしている家族もあって、小学校入学という子供の成長と将来の希望に満ちた雰囲気が充満していて、こんなハッピーなビジネスもあるのだと感心して眺めていた。偶然居合わせた社長さんにその事を伝えると、以前に別の会社で営業をしていた時は、間近でお客様が喜んでいる姿を実感できなくて、店舗での家族の喜ぶ雰囲気が嬉しくてこの仕事を続けていると仰った。商品を手に取りセレクトし、工房での製作過程を見学し、家に帰ってからその仕様をネットで注文して、年末に手作りのランドセルが送られてくる。ハイブリットで素敵な商売のやり方だな。

帰りがけ、すぐ近くの生野区のものづくり企業で、サングラスのTalexさんのカフェに立ち寄る。何となくランドセル購入の余韻を分かち合いたい気分だったのだろう。飲み終わり併設するサングラスの店舗に入って、オーバーサングラスを手に取って眺めた。目が悪くなってから、学生の頃や40代までは、コンタクトをしていたが、眼鏡に切り替えてからは、サングラスに悩む。ここ最近はカッコ悪さは我慢して、その昔に買ったオーバーサングラスで自転車に乗っていたし、今年のスキーはそのオーバーグラスで滑ると案外快適だった。それにしてもちょっと調子が悪くなってきたので、いつか買い替えようと思ってネットで見ていた。Talexさんのレンズはアウトドアーでは本当に見やすい。

現品をいろいろ手に取って見ていると、店員さんが、ワタシの眼鏡を視て、かなり歪んでいますね。ちょっと時間ありますか。直しますよ。っといって丁寧に直してくれたのだ。確かに、マスクをするようになってから、何度もずり落ちたりし、歪んだままで、修理にいけてなかったのでありがたかったが、ついついその親切な雰囲気に乗っかりたい気分になってしまい、サングラスの購入を決断してしまったワタシ。レンズにあるロゴの文字を消せますかっと伝えると、後日郵送でよかったら消すことできますよっと。対面の実店舗では、あれやこれや相談に乗りながらカスタマイズできるのが魅力だよね。奥方にもどちらが似合うかサジェスチョンもらったり。

ネットでなく実店舗でモノをセレクトして購入するなんて久しぶり。店員さんの対面のエネルギーに触れるのも懐かしい感じ。ほんともうそろそろコロナの終息を願うばかりだな。

水田と橋と街

緊急事態宣言が延長された大阪。なので友人や家族で一緒に出掛けるという予定が消滅し、ワークショップも中止しているので、日曜日の過ごし方のバリエーションが限定されてきた。梅雨に入って、平日に雨が降り、日曜に天気が良くなる、を繰り返すここ2週間。先週日曜日に自転車で走って、気になることが2つあって、確かめるために2週連続自転車に乗ることにした。水田と橋。そうそう、今日はランナーやローディーが少なかったような気がする。奥方はコストコに買い物に行くと、人がいっぱいで入場制限が出ていたとか。緊急事態宣言下の給料日明けの休日で、美味しいものでも買って家で食事する日曜日と違ぅっと奥方が呟いた。

自転車で農道を走ると水田の季節だと気づく。この光景を眺めると、日本的を感じる。何でなのだろう。先週は水が張られていたが、今週は苗が植っていた。ワタシ、農業に関しては、全く無知なので、家に帰ってからネットで調べると、「田んぼに水をはる」「前もって稲の苗を作る」というのが、かつての技術革新だったと、改めて知る。そういうのに近い技術って、建築では何になるのだろうか。前もって苗を作るは、木造で、家を建てる時に、構造材を作業場で前もって手加工しておいて、現場に運んで、家を建てる、いわゆる上棟式がこの水田に苗が植った状態に近いのか。

田んぼに水を張ることで、土の品質が良くなるらしい。建築での似通ったコトは何なのか?「下地」をきっちり丁寧に作るということが、美しい仕上げに繋がる。そんな、ものづくりの心のようなものに受け継がれているのだろうか。木村工務店では、伝統的に、プラスターボードの下地に、「胴縁」というのを使って、下地にひと手間かけてPBを貼る。無駄を省くために、最近は、間柱に直打ちになっている現場がほとんどだが、それによって、クロスの波うちや珪藻土の割れを防ぐことができる。

信貴山のリベット打ちでカンチレバーの赤い橋が、開運橋と呼ばれていて、それが重要文化財になっている素晴らしい橋であるということを、自転車に乗り出して、何十回もその橋を渡っているのに知らなかった。先週、下から写真を撮って家で検索して知った。そこにバンジー台が持ち出しで設置されていて、どうやっているのか、前から気になっていたので、もう一度下から視てみることにした。

説明は省くとして、橋の幅の端から端まで部材が渡っているので、橋の上のそこに部材の段差があって、それを跨ぐように緩やかな斜路が取り付いている。文化財的オールドな橋の作り方だからこそ、上手く取り付けることが出来たのだろう。それにしても、設計者も施工者も勇気あるチャレンジだな。行政もOK出したのは凄いよね。それより、当時の現場で、このリベットを打っている光景を想像するだけでワクワクする。東京タワーも同じ格好良さだし、細い部材が組み合わさって強度を保っている繊細なプロポーションがエエのだろう。数寄屋の大工だった昨年亡くなった沖棟梁が、ある日ワタシに、木を太い部材でしっかり組み合わせるのは、誰でもできる、細い部材を使って繊細にしっかり木組みするのがカッコエエのや。とワタシに呟いたことを思い出した。

そうそう、今週の夜は、ジロ・デ・イタリアのライブ中継の街並みが面白いので、ついつい視てしまった。その第20ステージが山岳ステージで、イタリアから国境を超えてスイスの山岳に入りイタリアに戻るのだが、イタリアの国境を超えてスイスに入った途端に街並みが劇的に変化するのが面白い。応援する住民の服装も違うしね。これを「文化」の違いっていうのだろうか。国によって趣味嗜好や建築技術や工法や材料が違うからだろう。日本の街並はどうなっていくのだろうか。

↓ イタリアの街並
↓ スイスの街並み

自転車に乗りながら何となく「日本的」光景を探しているのだと気づく。

陽気。

雨が降り続いた週。かなりの量の雨が降った翌朝は、雨漏りの調査依頼の電話がかかってくるのは工務店にとってのあるある的光景なんだろう。もう梅雨入りらしい。鬱陶しい天気が続いた後の梅雨の晴れ間の今日の日曜日は、アウトドアーに出たい気持ちが満々だった。

朝から自転車に乗るとランニングする人やサイクリストが多かった。緊急事態宣言下なので近場にする。十三峠から朝護孫子寺へ。初めて赤い橋を下から眺めるとリベット打ちだった。この橋でバンジージャンプをやっていて、一度やってみたいような。そんな気持ちもあるが、怖いような。歳も歳やしな。みたいな心の中の会話のようなコトバがバンジージャンプの飛び込み台の横を通るたびに行き交う。今朝もしばし準備中のバンジージャンプスタッフを眺めていた。長男がやりたいって言っていたなぁ…なんて心を過った。そしたら、昼過ぎ、午後2時から長男タカノリが、バンジー飛びます。今自転車どこに居てますか。みたいな家族ラインが送られてきたが、すでに家に帰り着いた後だった。みられなくて残念。

竜田古道里山公園横の丘から国分方面に下って竹内峠の道の駅に着くと、2人の人が話しかけてくれた。陽気が良いからだろう。ひとりは同じメーカーの自転車に乗っておられる方で、ワタシの自転車を褒めてくれて、疲れていたが何だか気分が上げ上げになった。もうひと方は70代の方で、ヤマハの電動自転車に乗っておられた。時速24kmでアシストが切れるので、平坦な道はしんどいが、坂道のアシストの魅力には勝てないらしい。持尾展望台まで後を追ったが、坂道なんて全く追い付かない。自力で坂道を越えた満足感もエエが、歳いっても電動でいろいろな峠を気軽に越えられる姿が楽しそうだった。ワタシもきっといつか電動にするだろうな。

帰り道、八尾空港に寄り道していつものベンチに座ると隣のおじさんが声をかけてくれた。何と、飛行機を持っておられて、友人がその飛行機で白浜往復しているので、ここで休憩し、待って、帰ってきたら、その飛行機に乗ってタッチアンドゴーで楽しむらしい。ワタシ、飛行機を持っておられる方と人生初めての接触でした。タッチアンドゴーは飛行機の全ての技術が詰まって楽しいらしい。乳酸菌の健康食品を製造販売されていて、団子のような食べ物をひとつ頂戴し食べた。自転車の携行食として良さそうだな。30分ほどあれやこれや。コロナと梅雨の間の陽気は皆を陽気にするよね。

そうそう、ジロ・デ・イタリアというロードレースが開催されていて、ものすごく興味があるわけでもないのだが、第12ステージがシエナからのスタートだと聞いて、jsportsで視聴した。ダイジェストはレースが主体だが、スタートからフィニッシュまでの動画は、街の紹介が入る。「イタリアの山岳都市」という本を教えてくれたのは、小さなマンションを建てさせて頂いた女性のお施主さんだが、その本に刺激されて、長男とレンタカーでイタリアの山岳都市を巡った。

その旅の中でも宿泊したフィレンツェからサンジミニアーノへシエナへそしてアッシジで宿泊した行程は深く記憶に残る。後日イタリアからスピードオーバーの罰金が来たのも今となってはエエ想い出だ。そのシエナのカンポ広場の雰囲気の良さとその広場に座った時の感覚が体験として身体に残る。また行ってみたい。シエナに宿泊してみたい。なんて。シエナで「広場」っていうものの良さを知った。こんな広場は日本にはないもんね。そのカンポ広場がレースのスタートだったが、自転車の友人が、ジロ・デ・イタリアを視て、なんで、イタリアの街ってエエのかね。広告ないからかね。なんて言っていた。それもそうなのかも。山岳都市は高低差があって統一された集合住宅的雰囲気と道幅とそのうねる街路の建物の高さがその良さのひとつかもしれない。

先日、町の工務店ネットで、日本は「住宅集合」になってバラバラだ。みたいな話題があったが、確かに日本の街並みにも「集合住宅」がもつ、緑を共有するとか、駐車場を共有するとか、屋根や壁の素材感を共有するとか、そんな要素が少し混在した方が良さそうだと思えてくる。ジロ・デ・イタリアを視聴しながら街並みを眺めるのが楽しい。そうそう山岳道路にキャンピングカー泊めて応援する光景も一度やってみたいな。

コロナ禍の雨の日曜日をどう過すのか。

cloudyな日曜日。曇りそして雨そして曇り。そして外出が制限される緊急事態宣言のコロナ禍。こんな日曜日をどう過ごそうかとおもう。皆同じように悩むのだろう。アウトドアーに出ることができない。街にも繰り出せない。そんな状況下を家で過ごすのに、建築的にどのようにサポートするのかっていうテーマに関して、今週、町の工務店ネットの秋山設計道場で、コロナ禍を反映する課題があった。ま、木村工務店の設計スタッフは、そんなことより、フツウの家を造ることに短時間のエネルギーを注いで、全くコロナ禍的を社内で議論しなかった。

25歳から45歳ぐらいの20年間、家族と共に、ハイエースの小さなキャンピングカーで毎週のように車中泊やキャンプをして過ごしたが、晴れは晴れとして、雨の日の楽しみは、しとしと降る雨と、眼前のどんよりした山や川や海や緑を眺め、タープの下で、珈琲を飲んだり、持参した本を読んだり、静かに瞑想的に過ごしたりするのが、案外楽しいし、印象に残る雨のキャンプシーンが数々ある。

そんなのを家づくりに反映しようとして、かつて住んでいて、今、長男家族が住む家では、木組みにポリカボネードの屋根をかけた半屋外空間を造ったが、数年前に母屋をリフォームした家では、ちゃんとした屋根のある庇の長い半屋外空間を造ってアウトドアー薪ストーブを置いた。縁側的な1mぐらいの庇は、パッシブ的で日差しを調整するには快適だが、雨や日差しの中での「居場所」という感覚とはちょっと違う。2m以上のタープ的な庇がないと、楽しく雨の日を過すスタイルにはなれないとおもう。

以前の家のリビングには薪ストーブが唯一の暖房源で、その快適さに心和んだが、薪を準備する面倒くささとか、あと、大阪では、12月1月2月の3ヶ月がメインで、稼働率がそんなに多くないし、調理に使うのも限られてくる。そんなこんなで、アウトドアーの薪ストーブは、半屋外で、3月4月5月9月10月11月と6ヶ月ぐらい稼働できて、半屋外なので調理にも活用できる。今までの炭火で焼肉と違って、薪で厚鉄板で厚ステーキっていうのがスタイルで、薪ストーブの「火」が心も和ませてくれる。って言ったって、単にワタシ好みのスタイルの居場所だし、そういう個人的嗜好がいま的数寄屋なのかね。奥方は、家の中で、居場所を変えながら家事したりゴロゴロしたりするのが楽しそうだ。

以前の半屋外空間は、高さ700mmのテーブルと椅子だったが、今回の半屋外空間は、今風に、ロースタイルの高さ350mmのテーブルに低い椅子か無印のクッションにラグを敷き詰めて、ゴロゴロしながら過すスタイル。ここ数年のキャンプスタイルの変化が、家の屋外空間にも影響を与えたのだおもう。ま、そんな長く過ごせる半屋外の居場所のスタイルより、「緑」「空」「雲」「雨」「風」「太陽」「月」を眺められる居場所であることの方が大切なのかもしれない。特にコロナ禍で内省的な気分にバランスをとるためには、いつも以上に「緑」を眺めたくなるような気がする。「まちのえんがわ」が「まちのえんげい店」になってから、想定以上に多くのお客さんが、訪れるようになったのも「緑」の力なんだろう。

cloudyで雨降る日曜日の半屋外空間で一日中過ごしゴロゴロしながら本を読んだ。と言いたいが、iPadのKindleとか楽天ブックスとかの雑誌みたり、YouTubeみたり、SNS眺めたり、Amazonで購入考えたり、なんていうのが、今のスタイルなんだろうし、キャンプでも小型のバッテリーを持参するのが、必須のスタイルになってきて…。いやいやそんな話の方向ではなかった、コロナ禍故に必要とされる建築とは何なのだろうか…っていうテーマだった。土間があれば、ワタシは自転車の整備に使いたい。アウトドアーの道具も並べたい。小屋があれば男の秘密基地的に「モノ」に囲まれたい。なんていうのはワタクシ的男性的趣味嗜好のような気もするし、なんだかんだ。コロナによって家を楽しもうという人が増えてきて、家を居心地良くしようという人増えてきて、家に自分のライフスタイルを反映して、ちょっとお金をかけても良いかなっと思う人が増えてきたってことが、一番のコトなのかもしれない。ほんとそうなんかな半信半疑。

 

「ウッドショック」らしい。

コロナ禍のゴールデンウィークが終わり、木村工務店では通常通りの仕事が始まった。問い合わせや新規打ち合わせは通常通りにあるが、何だか、現場のムードが微妙。猛烈な職人不足だった大工さん達も余り気味だ。何より「ウッドショック」と叫ばれている、外国製の木材の供給が滞っているのだ。プレカット工場は稼働をストップしているという。それで、木村工務店では、この状況に応じて、新築木造住宅の構造材加工を大工さんによる手加工で、2棟続けて行うことにした。

ウッドショックが発生した原因は一般に、米国内での新築住宅需要の増加や木材相場の変動、中国の経済回復などに伴う木材需要増、コンテナ不足といった国外の事情で、日本向けの輸入材と原木の供給量が大きく減ったことにあると説明されている。

木造住宅の木材加工を昔のようなやり方で、棟梁が、柱や梁に、墨付けという木材に印を付ける作業をし、その指示に基づいて、大工さんが一本づつ鑿(のみ)鋸(のこぎり)金槌(かなづち)鉋(かんな)を使って手作業で加工することを手加工と呼んで、若い大工さんの中にはその作業に憧れて入社してくる職人さんもいる。プレカット加工という大型機械による加工が主流になったいま、手間と金額が余計にかかる手加工をわざわざすることが、ほとんどなくなった。それに職人不足だったここ数年は、手加工に何週間も時間を取られるより、現場が進む事を優先せざる負えないのが現状だった。

このコロナ禍によるウッドショックによって、徐々に徐々に材料不足の影響が表面化してきているが、それとは裏腹に、米松材にその供給量も価格の安さもその主役を奪われていた国産木材の杉や檜材に再び脚光が浴びるようになってきて、それがなんとなく嬉しい。大工さん達も久しぶりに手加工をして嬉しそうだった。木材を加工する心地良い「音」が加工場に流れているのが、会社に活気も与えてくれた。さて、この「ウッドショック」はどうなっていくのだろうか…。

本日は、住宅相談会があった日曜日だった。土地を購入して新築を考えている若い世代のAさんご家族は、土地の値段が想定以上に高い事にひるみ気味だが、その場で一緒にプランニングをし、それでもなんとか希望を繋ぎながら、新築住宅を計画していこうとなった。中年世代のBさん家族は、親から受け継いだ今住んでいる3階建住宅を全面改修する計画で、冬寒い夏暑い湿気る間取りが古い居心地良くない子供達が大きくなってますます住みづらいなどなど。家を快適にしてライフスタイルを楽しみたいという気持ちが伝わってきた。断熱気密も重視しながら、コスパの良いリフォームができればと即興で計画してみた。大阪都心のシニア世代のCさんご夫妻は、今のビルを壊して、木造2階建の終の住処の計画だった。大手ハウスメーカーの賃貸住宅+最上階に住む。っていうプランも残っているらしい。こんな時期だからこそ、ビルではなく、緑があり縁側があり国産材の木組みがある木造2階建住宅の街角があっても良さそうだ。

そうそう、ワタシたちもこのゴールデンウィークは、家を楽しむコトをいろいろ工夫した。昨年同様、半屋外に設置した薪ストーブにピザオーブンを乗せて、カプート社の生地から練ったピザを焼いた。今年は長男奥方がホームベーカリー機でこねてくれたので楽ちんだった。薪ストーブの上に厚鉄板を乗せて、極厚ステーキ肉も焼いた。ユーチューブを視聴するとさまざまな焼き方があることを知って、試してみたが、ワタシは、頻繁に裏返すパターンが好みだな。4日の晴天の日にテントサウナも試みた。今年は、大きいプールを設置し、快適さが向上し気分爽快になったが、水を入れるのに2時間ほどかかり、5日が雨予報で、夕方にはプールを撤収し、水を抜くにも2時間。テントも撤収し、薪の準備もそれなりにタイヘンだし、とにかく楽しむためには、面倒くさいを乗り越えんとアキマヘンな。

それにしてもあちらこちらで勃発する「面倒くさい」問題をいろいろ乗り越えなアカン世の中ですね。

コロナ禍2度目のゴールデンウィーク

大阪は緊急事態宣言下のゴールデンウィーク休暇に入り、木村工務店では、5月1日土曜日から5月5日水曜日までを休日としたが、この週は、平日や祝日に雨が降り続いたりし、おもうように現場が捗らず、土曜日は現場によっては、大工さんや職人さん達が仕事をし、それに伴う現場監督も出勤したりで、これは建築という現場仕事故の宿命なんだろう。

「まちのえんがわ」では、5月1日と2日をオープンすると、「植物」を買いに来るお客さんが、想定以上に多くいて、上から吊るしていた雰囲気のエエ植物はほとんど売れてしまった。コロナ禍故に「植物」を求める人が多いのかもしれない。ステイホームに「緑」があると、なぜかしら心和むのだろうし。都会的な生活においては、植物が心のバランスをとるために貢献してくれるのだろう。そんな意味では、都会の中の街角にも「緑」がある家がもう少し増えても良さそうに思えてくる。緑の街角、里山的な都会の街角が増えても良さそうだ。

そうそう、最近のYジェネレーションやZジェネレーションの家づくりを目指す方々と接すると、「土地」の値段がおもいのほか高く、家造りに費やす費用が抑えられて、それぞれ的に拘る家づくりができそうもない悩みで、家づくりを躊躇している人が多いようにおもう。総予算は変わらずとするなら、土地に費やす価格より家に費やす価格が多い方が、これからの街づくりのためにも、家づくりのためにも良さそうなのは共通の認識なんだろう。土地に対する価値や税制から家に対する価値にパラダイムシフトする方が良いように思えてくる。土地に関わる就業者数より家づくりに関わる就業者数の方が多いようにおもうし、土地の価格が抑えられて、家づくりが倍ほど増える方が、街並みも面白くなるし、経済も潤うような気がしてくるのだが、どうなんだろう…。

29日祝日は一日中雨が降り続いた。家にじっとしていると、コロナ禍的気分の落ち込み度もあって、庭の緑を見てバランスをとったり、音楽でも聴いて心のバランスを保とうとしていたのだと、いま振り返るとそうおもう。晴れた日はロック的だが雨降りはジャズ的になるのがワタシのメンタリティーで、Spotifyのマイライブラリーから何気なくチョイスしたのが、マイルスの「サムディ・マイプリンス・ウィルカム」だった。もはやこの歳になると男性的にマイプリンセスの出現を望む気持ちなど薄らいでしまったが、コロナ禍的にマイプリンスのような出現を求めたい気分だったのかもしれない。

その曲でのサックスを吹くコルトレーンがエエので、クレセントの「ワイズワン」が聴きたくなった。コルトレーンのスピリチュアルな感覚と賢者というコトバにちょっと憧れたりする気分の雨だったのか。しとしと、というより、そこそこ激しく降る雨を見ていたのが、そういう気分を助長したのだろう。連想的に、久しぶりにミンガスが聴きたくなって、レアだけれどミンガスプレイズピアノの「Myself When I Am Real」を聴く。もの寂しいピアノソロが、コロナ禍の降りしきる雨の祭日にフィットして、タイトルの意味深なコトバにも惹かれる昼下がりだった。その後も延々と連鎖反応が続いて、祭日の雨の午後をひたすら音楽を聴いて過ごした。

  

5月1日と2日は微妙な天気だった。風も強く庭の木々がゆさゆさと揺れて落ち葉を沢山落とした。肌寒い両日だったが、冒頭のように、「まちのえんがわ」に「植物」を求めにやってきた人たちと触れ合う事で、お互いに癒されたのだろう。5月1日の夜は、夫婦2人で、アウトドアー薪ストーブの鉄板で牛肉を焼いて過ごす。2日の今日の夜は、長男家族が孫ともどもやってきて、長細い七輪の炭火で焼き鳥を焼いて食事を共にした。できるだけ外食しない夜を過ごす予定。そうそう明日3日は「晴れ」の良い天気だそうだ。自転車に乗って体を動かし太陽と自然を味わって気分爽快になれればとおもう。

2度目のコロナ禍ゴールデンウィークですが、それぞれなりに、それなりの素敵な休暇を!

 

「大地から切り離された植物は旅をする」

3度目の緊急事態宣言が発動された大阪。感染者数が急増しているのに、去年ほどの緊張感が薄れているので、感染力が強いとか重症化率が高いとかいう報道で、意識的に自分自身に注意を喚起しようとしているのが、今の大阪府民のメンタリティーなんだろう。

その初日の日曜日の朝。「屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては対象外です。」なんていう指標を頼りに、朝3時間ほど運動がてら、ひとりで自転車に乗ると、朝からランニングや自転車に乗る人が意外に多い。いつも休憩がてら眺める柏原の立田古道里山公園近くの丘の階段に座っていると、軽自動車に乗った若いカップルが車を止め、外に出て、景色に向かって、大声で、ヤッホーとかお〜ぃとか叫んで大声で笑っていた。目に見えないストレスから解放されるために、ソトに出向いて、密集を避けながら、体を動かし声を張り上げたいのだろう。なんとなくその気持ちわかるわかる。

「まちのえんがわ」が「まちのえんげい店」という植木のある場にリニューアルすると、うちの孫たちが、毎日遊びに寄るようになった。「緑の力」の不思議を感じる。確かに古本にはある種の気取りもあるので、近寄り難さもあるのだろうが、このコロナ禍ゆえに、「緑の存在」がよりストレスを癒すのだろうか。古本も30冊共存して、その本も手に取って眺めたりしている。古本ばかりの時は一度も手に取らなかったのに。まちのえんがわの縁台に切り込みを入れて仮設的にテーブルを設えた。そうするとテーブルを中心に会話や作業が起こるようになった。なんで、こんな事、最初から思いつかなかったのかと嘆いてみる。

この1年「町の工務店ネット」に参加し「里山のある町角」を生もうというプロジェクトに参画することになった。町の中に緑を自分達の手で育て維持管理する取り組みでもあるとおもう。里山的であれば、より大地と繋がる感覚が蘇るのだろう。先日のこの「まちのえんげい店」のワークショップで、皆で、土を触って植木鉢に土を入れる作業をしていると、誰もが笑顔で気持ち良さそうだった。そんなことを語ると、手伝いに来てくれた花屋のカマシタさんが、オールドロックをDJしながら、それは大地と繋がるからちゃうか。と呟いたコトバが印象的だった。なるほど。

このワークショップを企画した植景研究所の家谷さんは「大地から切り離された植物は旅をする」というテーマを掲げた。鉢植えされた緑が、「植木屋」さんから「まちのえんがわ」へ、そしてどこかの家に旅をし、その家でその人とその場と共生しながら、面倒も増えるが喜びも増えるのだとおもう。

木村工務店のこのゴールデンウィークは4月29日休み、30日通常営業、5月1日土曜日から5日水曜日まで休みとしました。「まちのえんがわ」は、「緑」が、生活や健康の維持のため、どうしても必要なものかどうか微妙な判断ですが、「5月1日と2日」はオープンし、オープンエアーの店舗で、コロナ対策しながら、「大地から切り離された植物」を販売する予定です。

火と箱から場と緑

4月15日朝。ルーティンとしての会社の掃除を終え、家の庭の掃除をし始めた時。外でざわめきが。えぇっ。何かヘンなコトが起こってるノォ?!。そそくさと庭の木戸から外に出て、会社の方を見ると。会社のシャッター前の道路隔てた長屋の屋根から煙が…。火事だぁ!。走ってその家の前まで行く。火災建物の隣の人が、バケツから水をかけていた。駆けつけたきた木村工務店の社員に消火器持ってきてっ!と叫ぶワタシ。近くに住むとんちゃんが会社のホースを引っ張って水をかける。コジマさんが消火器を持ってきてくれたが、ワタシ実際に消火器のレバーを引いたことがない。ちょっと躊躇しながらレバーを引くと、ホースから白い消火液が噴出した。ホースを持って火が立ちのぼる2階に向けて消火する。家庭用のホースの水では消火しなかった火が、消火器で一瞬静まる。が、また、火柱が。会社から計5台の消火器を持ち出して社員の何人かで消火するが、消防車が来るまでの時間稼ぎに過ぎなかった。

家の中に人がまだ残っている!という誰かの悲鳴のような叫び声に反応し、ヤマモトくんとタカノリが会社の倉庫から梯子を持って消火するワタシの横を駆けつけて行った。通りかかった職人さん風の2人の男性が火災建物の横の空き地になっている所から平屋部分の屋根に登って高齢の女性を助け出したらしい。その女性を梯子に登ったヤマモトくんが抱えて下ろしたという。ワタシの前をススで真っ黒な顔の女性が抱えられながら通過した。

消防車は通報から10分ほどで到着したらしいが、めちゃくちゃ消防車の到着が遅く感じた。火は恐怖を呼ぶが、アドレナリンも噴出する。延焼して火柱が立つ隣の建物にも高齢の女性が残っているらしい。おばちゃん早く出ておいでぇ!と叫ぶと、2階の燃えているその窓から顔を出す。下に降りや!と叫ぶが、暫く時間が経過する。玄関のアルミサッシュの硝子扉を破るための道具を持ってきてぇと叫んで二呼吸ぐらいした時に玄関からその女性が脱出してきた。消防車が何台も到着し、本格的な消火が始まって、1時間ほどで延焼を食い止める消防隊員。ほんまカッコエエわ!とその様子を見ていた奥方が後で呟いた。火柱が立っていたのに2時間ほどで鎮火した。

午前8時前からの出来事だったが、その日。午前9時30分から、「町の工務店ネット」による「A2プロジェクト」の開会式がオンラインで始まることになっていた。アドレナリンで興奮している状況だったが、なんとかオンライン座談会に間にあった。午前9時30分から午後5時30分に及ぶ超長丁場のオンライン会議で、午前中は小池さんと田瀬さんと秋山さんの3人によるオンラインの講義と、昼からは田瀬さんと秋山さんによる設計道場だった。その間に、生野消防署の署長さんをはじめ消防署の方々や新聞社など出入りが頻繁にあり、昼からは、ワタシも関係するお施主さんの打ち合わせもあって、火事とオンライン会議と来訪者と打ち合わせが、混沌とした状況で展開した。とっても記憶に残る1日となった。そうそう、木村工務店は、この1年「町の工務店ネット」に参加し、「箱から場へ」という「A2プロジェクト」を通じて、会社の成長を目指そうとおもう。

で、4月18日日曜日の今日。濃厚接触者にならないコロナ対策を工夫しながら、「まちのえんがわ」のワークショップとして、植景研究所の家谷さんによる、「古本屋さん的まちのえんがわ」を「まちのえんげい店」に作り変えるワークショップを開催した。10人限定だったので、以前から参加頂いている常連さんがおもで、落ち着ついた雰囲気の中、朝の10時から始め、お昼はサヤちゃんが作る絶品のキューバサンドと川田くんのおいしい珈琲で寛ぎ、花屋のカマシタさんがDJするオールドロックが流れる中、午後4時頃にお店が完成した。お店造りに手伝って頂いた皆さんに感謝です。

10年目の「まちのえんがわ」は、「古本」がコミュニケーションを誘発する場から、「大地から切り離された旅する植物」がコミュニケーションを誘発する場へと、変化していくことになりました。みなさん、遊びにお越しください。

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