花火。

BSの土曜日夜の番組で、「長岡の花火」のドキュメンタリーを放送していた。大阪人にとっての花火はかつては富田林で打ち上げられるPLの花火だった。野球のいろいろな不祥事があって、どんどんショボくなってきたが、大阪市内に住むワタシにとって、小中高生の頃は、空が真っ赤に染まるのが、大阪市内からも体験できて凄いなぁっとおもっていた。あるPL花火大会の日、親父が、会社の屋上に上がってみ。と言われて屋上に上がると、トランシットが据てあった。もちろん、その時が初めてトランシットというコトバと道具に遭遇した日で、トランシットで見たPLの花火が、ワタシのトランシット初体験となった。

奥方と付き合い結婚するようになると、実家が富田林だったこともあり、8月1日のPL花火大会は、一大イベントになった。その日はお祭り騒ぎで、奥方の実家で皆で食事をするのが恒例になっていた。ちなみにワタシが住む小路の清見原神社のお祭りは、7月31日と8月1日で、それまでは「だんじり」のカネと太鼓の躍動的なリズム感に心躍らされていたが、子供たちが大きくなる暫くまでの8月1日はPL花火のドカーンと響く低音に心躍らされることになった。

大阪から長岡は遠い。未知なる場所といってもいい。確か天皇が即位するゴールデンウィークの年だったようにおもう。新潟長岡にある馬高三十稲場遺跡にある縄文土器を見て、長岡の街に泊まろうということになった。奥方のお父さんの系譜を辿ると長岡出身になるらしい。そのお父さんが亡くなった次の年でもあり、奥方もその系譜に触れたそうだった。それに、義父は、亡くなる前に、孫たちそれぞれににコトバを贈っていた。その中に長岡出身の山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて……」と続くあの名言がはいっていた。

その時の旅のもうひとつの楽しみは、長岡から信濃川を遡上しながら十日町などの縄文文化に立ち寄り長野県を目指すことだった。その長岡駅前のホテルにチェックインすると、奥方がひそひそと私に耳打ちする。あの横でチェックインしている綺麗な女性、モデルのにしやままきさんやでという。ワタシはキョトンとしていたが、その女性が、この長岡花火のドキュメンタリーの解説者のひとりとして出演していた。長岡を訪れるまで、PLの花火が日本一だと聞かされていたが、現地で長岡花火大会の素晴らしさを吹聴されて半信半疑で調べるうちに興味が湧いてきていつか体験したいとおもっていた。

なによりも、丘で打ち上げられる花火よりも川で眺める花火の方がきらめき感があるし、その川があの独特の縄文文化を産んだ信濃川なのだから羨ましい。ということより、今回改めて認識したのは、鎮魂のための花火大会だったということ。空襲。地震。そういう花火大会は、造る方も観る方も思い入れが深くなるのだろう。来年はコロナ禍が鎮魂として加わるのかもしれない。あの縄文土器や土偶だって、鎮魂や祈りの要素を感じてしまう。淀川や大和川とは違う信濃川の雰囲気が独自の文化を生み出しているような気がするなぁ…なんて感じながらテレビを見た。

日本一を目指して浮き足立っているのも悪くはないが、地に足がついている雰囲気はもっとエエよね。花火をフツウに鑑賞できる来年になるのだろうか。

静寂。

先週に引き続き雨が降り続く今週。お盆休暇は雨ばかりで、温泉入って、食べて、飲んで、最高で体重が3kgほど増えた。アカンアカンと意識して2kgまで落ちたが、それから落ちない。もう自転車に乗る以外は体重を落とす方法がないよな。とおもっていたものの雨続きで乗れなかったが、今日の日曜日は久しぶりに晴れそうだった。午前中だけ自転車に乗る。流石に坂はしんどい。十三峠では何度か嗚咽しそうになった。朝護孫子寺に参拝して46km走ったらもう充分だった。そそくさと家路を辿る。

家に帰って、体重計に乗ると2kg体重が落ちていた。この夜に食べて、また1kgは戻りそうだが、久しぶりにそれなりに体を動かした満足感があって、思わずビールをぐっぐっと飲んでしまい、布団の上でゴロゴロっとしながら、余韻を楽しんでいたら、こんな時に限って、突然の孫2人の襲撃に遭う。暇やから遊ぼっ!という。布団に寝っころがりながら、たわいもない話をしても満足するはずもなく、何して遊ぼかなぁ何して遊ぼかなぁと言いながらどこからか風船を持ち込んできて、布団の上の激しい風船バトルで、「ワタシの余韻」は木っ端微塵に砕かれるのだった。

そうそう、今日の日曜日に自転車に乗って感じるのは、街の不思議な静けさ。長雨とコロナデルタ株の影響なのだろうか。帰り道に立ち寄った八尾空港のオープンスペースは、小型飛行機の離発着がほとんどなく自衛隊のヘリコプターの爆音もなく、静けさに包まれていた。どんよりした雲。虫の鳴き音。静寂。芭蕉的気分になったなぁ。繁華街は人で溢れていたらしい…。

そうそう、お盆休暇の旅館での宿泊で、気になったことがひとつ。スイッチプレートの高さが床から700㎜ほどだった。普通は1200㎜ほどで手をあげてスイッチを操作する所作なのだが、テーブルぐらいの高さなので、手を下げてスイッチの所作をする。子供でも高齢者でも使いやすいのかもしれない。なんだか新鮮だった。

そうそう、今週、大阪の谷町にあるお寺を訪問すると、本堂の外部の垂木と柱と斗栱(ときょう)が、こぶりのコンクリートでできていた。彫刻的な感じで雰囲気良く、内部のその半分は木造でできていて、コンクリートと木造の柱と斗栱がミラー反転されたハイブリット的で不思議なエエ感じのお寺だった。

いま「静寂」を感じるひと時が必要だなぁ……

 

お天道様

雨が降り続いたお盆休暇。木村工務店では16日月曜日から通常営業です。

この一週間、太陽を見ることがなかったような気がする。なので、お天道様なんていうコトバが過った。暑くて暑くてどうしようもない蒸し暑い夏でなく、雨が降る涼しい夏を最初は歓迎していたが、3日も4日も5日も雨が降り続くと、太陽が輝り続ける灼熱の夏が恋しくなって、なによりも「太陽」をありがたくおもう気持ちさえ芽生えてきた。天照大神とか大日如来とか。太陽を信仰する気持ちが理解できるような気がする。「太陽」ってエエよな。なんて。

最近参加している町の工務店ネットで、建築家秋山東一さんが主導する設計道場というのがあって、主に工務店の設計者が参加する設計を学ぶ場なんだけれど、最近そこで、図面の上を北にするのでなく南を上にして図面を描こうという取り組みがあって、それは秋山さんの師匠である建築家の吉村順三さんに端を発するものだそうだ。ちなみにワタシ、24歳で木村工務店に入社して、住宅の設計をさせてもらった時に、図面を南を上にして描いた。それは太陽が上から注ぐので、図面の上が南である方が太陽の光を感覚的に捉えやすく、太陽の運行が東から西に流れていく感覚と図面上で太陽が左から右に流れていく感覚がフイットしていたからだとおもう。そしたら当時専務だった親父に、図面は北を上にして描くもんや!と訂正されたが、気学とかでは南を上に描いているけどな。みたいなコトバが発せられたのが懐かしい記憶として残る。

家と「太陽」の関係性は、日射取得とか日射遮蔽とか太陽光発電や太陽光ソーラーなど科学的要素だけでなく、メンタリティーにも大きな影響を及ぼすと、この雨が降り続くお盆休暇を体感するとそうおもう。家の中で体感する太陽の光と影が案外心地良いものなのだ。それを感じられない連続する雨の日々は少々寂しい。そうそううちの家の仏壇は東に向いている。仏壇は南に向くのが良く東に向いても良いらしい。なんていう建築的敷きたりみたいなものもあるが、曹洞宗であるうちのお寺のお坊さんは、東西南北どちらでも気にすることは全くないと言っていた。家と太陽の素直な関係性をあらためて考えてみたい。

今日15日はお盆なので、雨が止んだ昼前を選んで、お墓参りをしてきた。数年前までお盆は夏休み休暇で遊ぶ時だとおもっていたが、祖父母両親を亡くすと流石にそんな不義理もできず、魂が帰ってきているのかどうか実感はないものの、お参りをするようになった。そういえば、数十年前にまだ整備もされていない頃の秋田の大湯環状列石を訪れると、その立石は夏至の日没の方角を指していた。縄文時代、夏至の日にお墓でもあるそのストーンサークルで帰ってきた死霊とともに踊ったのではないかという。それが盆踊りの起源ではないかという。太陽の運行と日中の長短の極端が、見えない世界と現実世界を結ぶ橋わたしの役割をはたしているのが面白い。そうそう、うちの家のある大阪では地蔵盆というのが、この夏休みの終わりごろにあって、各町会のお地蔵さんで盆踊りをしお菓子が配られる。それが終わると夏休みが終わる気分になって独特の寂しさがやってくるのだった。

コロナがあり、オリンピックがあり、長雨の夏休みがあり、ちょっと特異な夏だった。まだその余韻が続きそうでもあるが、ま、とにかく、これからは太陽の力をより意識しながら家づくりをしていきたいとおもう、お盆休暇だった。

閉会式

8月8日日曜日の朝。木村工務店の夏休み休暇初日である。前々日に次男が東京から帰ってきて、帰る日に2回目のコロナ接種をしたらしい。土曜日の朝は39.9度の熱で本人も驚いていた。夜は飲んだり食べたりしながら、オリンピックのサッカー決勝を見て、あーだこーだと話をし、日曜日の朝はぐっすり寝てしまい、目が覚めたら朝8時前だった。

テレビをつけるとマラソン男子が札幌で走っていて、大迫選手も頑張っていたが、猛暑で全ての選手が目一杯の走りをしているなかで、優勝したケニアのエリウド・キプチョゲが力強くもリラックスした軽やかなフォームで走る姿が美しかった。一度でもエエから、こんな体になって、こんなフォームで、42.195kmを走ってみたい。とおもえてきて、おもわずベットから起き上がって、テレビの前で、同じようなフォームを真似しながら走ってみたら、奥方が、全然違う!顔小さい!足長い!そんなぼってっとした体でない!そんな顎も出てない!全く似てない!という。

ワタシもフツウの肉体を持っているが、世界の国々の肉体的な個体差がこんなにあるなんて、あらためて凄いなぁとおもう。さまざまな競技をみて、同じ肉体でも、鍛えると、こんなことができる可能性があるのかとちょっと憧れる。チームで協力することで、あんな可能性もあるのだと、チーム競技の面白さに感動する。ま、組織委員会のありようとか、放映の仕方とか、時期とか、現地での観客が必要かどうかとか、コロナ禍で開催されるのが適当だったのかどうかなど、さまざまなコトを考えさせられたTOKYOオリンピックだった。

このブログを書く背後で閉会式が行われていて、マラソン選手が表彰台に立っている。あの男子の銀と銅メダルの2人はソマリア出身の難民でそれぞれオランダとベルギーに移民したらしい。なので、ゴール前で、銀の選手が手間招きで早く来い来いと銅メダルになるように誘っていたのだな。そういえば、金メダルを二つ分かちあえるなんて知ったし、新種目のサーフインとかスケボーとか雰囲気良かったし、ワタシはクライミングがわりと好きだったなぁ。ロードレースで神社の中を駆け抜けていった映像もよかったが、札幌の街より東京の街を駆け抜けスタジアムに入るマラソンランナーを見たかった気もする。あんなイカツイ顔の柔道家が礼儀正しくインタビューには知的に答えたり。などなど。あれやこれやとアスリートの印象的なシーンがあるが、兎にも角にもこの東京オリンピックの閉会とともに、全世界のコロナが収束するのが一番だな。

インスタ的

セミがうるさいぐらい鳴き続ける今年の夏の朝。昨年はなぜか静かな夏だった。それはコロナの影響だと思っていて、今年は盛大な大合唱なのでコロナが鎮まるはずなのに、また勢いを盛り返し、コロナと蝉は関係なさそうだ。それにしてもまた緊急事態宣言でなかなか収束しそうにないなぁ。そうそう庭の片隅で静かに後尾する蝉を見た。なんとも不思議な気分だ。暫くして気がついたらいつしか静かに飛び去っていた。

海の記念日は、しまなみ海道で自転車で走るのがルーティンになって7年ほど経過する。今年も。自転車で島と島を結ぶ美しい橋を渡るには坂道を登らなければならず、それが最初はタイヘンだったが、数を重ねるうちに慣れてきた。橋を自転車で通過する時、風を感じながら、海の景色を見下ろし、空を見上げると、こんな景色に遭遇した。

橋を渡る楽しさ以上に、フェリーに自転車を積んで島々を渡るワクワク感が独特に楽しい。和歌山の海は男っぽい荒々しい力強さを感じ、大海原の向こうにアメリカ大陸を想像し壮大な気分になる。瀬戸内の海は女性的で湖のような穏やかさを感じる。フェリーに乗ると海の向こうに島々があって、橋があって、造船所があって、集落があって、時折ピラミッドのような三角錐の山も見えて、箱庭の情景を見ているようで穏やかなワクワク感。

朝日を観るのはお正月ぐらいだったが、しまなみ海道に行くようになってから、さまざまな朝日を見てきた。上の写真の造船の横にある三角錐の積善山は南から北を見ている景色だが、西からその積善山を眺めると朝日とコラボレーションする。朝日が昇る前にオレンジ色に空と海が染まった。朝日の前に空と海の間で、両手をあげて腹出して穏やかに横たわる人。みたいなイメージ。

瀬戸内は穏やかな海。と言ったが潮の流れが激しい。「潮待ち」なんていうコトバを知ったのも自転車に乗ってからで、潮の流れが落ち着くのを港町で待機することで栄えた町に御手洗(みたらい)という集落があって、もう何度も訪れているが、何度行っても楽しい。ほんの小さな街の中に劇場があったり歓楽施設があったり時計屋さんがあったり。面白いのは、海上交通と海と島と潮の流れと集落が潮待ちによってひとつの独特の文化を生み出したことで。もはや観光地だが立ち寄るたびに不思議な気分になる。いまはインターネットという交通手段とパソコンと携帯がホームページとSNSという滞留によって新しい文化が生み出さる時代なのだろうか。そうそう御手洗の町の中の地元の人が通う食堂があって、そこのラーメンが素朴で美味しい。個性がない普通のラーメンなのだ。昔、家で母親が作てくれた普通のラーメンの味を思い出した。

 
 

暫く、しまなみに通っていると、お洒落なお店がどんどん増えてきている。アウトドーアーにキャンピングカーで芝生とパラソルと海と島。コマーシャルに出てきそうだ。流石に自転車乗っているおじさんにとっては暑すぎてクーラーのないカフェでは休憩できませんでした。

生口島の商店街の海側からの入り口に、以前から大きなエエ古民家があるなぁっと思っていたら、それをアマン創業者がお洒落なホテルと銭湯とカフェにしたらしい。外から見ただけだが、丁寧な漆喰塗りでお金を掛けたきっちりとしたリノベーションのようだった。チープさや素朴さがリノベーションの主流になってきたが、こういうのは外国資本でないとできない時代になってきたのかね。

木村工務店では、8月8日の日曜日から8月15日の日曜日まで、夏休み休暇です。皆さん、コロナ禍ですが、それなりに素敵なインスタ的夏休みを過ごしてみるのも如何でしょうか。

 

TOKYOオリンピックとコロナとPARIS

TOKYOオリンピックが開催されて、それなりの開会式だったとおもう。呪われた。とおもわず表現してしまいたくなるオリンピックメインスタジアムだが、そもそもザハのプランが採択されて、それが中止になったあの経緯から不穏なムードが立ち込めたな。まさかコロナで一年延期になるなんて誰が想像しただろうか。

ワタクシ的に一番良かったのは、人が入らない時でも会場の座席に賑わいがあるように座席の色彩パターンに独特の変化をつけたことで。本当に人が入らないオリンピックスタジアムになって、まさか、あの「座席」が、パフォーマーの背後で賑わいを演出するなんて。「木」を使ったメインスタジアムであることなんて吹っ飛んだよね。そうそう、ピクトグラムのデザインが1964年の東京オリンピックから始まった事をアナログなパフォーマーの演出によって改めて認識する機会を得たのが良かった。

そういえば、先々週のツールドフランスの最終日パリの映像に、コルビジェのサボア邸が、上空からのヘリコプター映像で流れて、フランス人の解説者がこの建物の事を日本語で翻訳して説明すると、それを聞いた日本人の解説者が、行ってみたい気分になりますね。っと言った後、「フツウ」の建物ですよね。白金にあるような建物ですよね。っと言った。知り合いも、後日この映像を一緒に見ながら、「フツウ」の建物ですけど有名⁈っと聞き返した。

そうなんだなぁ。もはや日本人から見ればフツウの建物にみえるこの建築を、諸先輩がたの建築家が、コルビジェをリスペクトし、日本の街の中にサボア邸を真似たようなフツウの建築を数多く出現させているコトが凄いコトかも。と思えてきた。サボア邸がフツウであるというコトバを聞いて、もう一度フランスの街並みはを観ると、確かにオールドでとっても美しいが、ほとんど時間が止まったかのようなオールドな建物の中に、エッフェル塔やガラスのピラミッドがあるルーブルやポンピドーやサボア邸などなど、ちょこちょこっと、新しい時間軸を積み重ねていく建築が、うまく混在しているのがパリをモダンに感じさせるのだろうか。

今週初め、コロナの第二回接種をする。昼過ぎインテックス大阪の会場では、いたってスムーズなオペレーションで進行し今回もあっという間に注射器が左腕に刺さって接種が終了した。別になんて事ないなぁと思っていたら、夜中に左腕のだるい痛みで一瞬目が覚めた。翌日は一日中左腕がだるかった。普段より熱は3分ほど高めだったが高熱には至らなく、いまは全く違和感はない。

コロナ禍のオリンピックが東京で開催され、次がパリであることが、なんだか特別な因果関係があるように思えてきて。何度も禍に遭い禍を払拭しようとしてカタルシス的に時間軸を積み重ねていくTOKYO。そのカタルシス的なオリンピックの後に、時間軸をうまく積み重ねていこうとするモダンな花の都PARISで開催されるオリンピックは、祝祭ムードのお祭り騒ぎになっているのだろうか。新しいモデルのオリンピックになっているのだろうか。

「地名」

今週水曜日の朝。庭で蝉の初鳴きを聞く。ミーンミーン、ミーンミーンとツーフレーズ鳴いて静かになった。夏がやってくる宣言のファンファーレのようだった。正午。お昼を食べるため会社向かいにある自宅で寛いでいると突然の雷。しかも光って直ぐゴロゴロドーンだった。何度も何度も繰り返し雷が響く。大粒の雨。暫くするとフツウの雨音じゃない。バチバチバチバチと音がする。よーく見ると、「ヒョウ」だ。えっとおもうほどの大粒のヒョウがバチバチ音を立てながら降り注ぐ。屋根は大丈夫なのかとおもうほどの大きさの氷の塊が空から投げつけるような強さで降り注いでいる。初めてみたなぁ。

玄関の扉を開けて外に出ると。道路が冠水していた。40cmほどの深さ。長靴がないと向かいの会社に渡れないほどの深さだ。親父が、かつて長屋だったこの家を建て替える時に、一番大事に考えていたことが、この場所は冠水するので、基壇を造って床下の高さを上げることだったらしい。そのお陰で床下浸水は免れた。

古い「地名」というのは、その場所の「土地」の形態、地形を表していることが多い。会社の住所は「小路東」という地名だが、小道(こみち)がいっぱいある場所として「小路」という名前は相応しいとおもうが。それは近年の事で、大昔からの大地があって、ある時人が住みだし、集落ができ、田畑ができ、人口が増えてくると、田畑を耕地整理して住宅地になって小道に家が立ち並び路地もいっぱいできた。そんな時代は、会社のある場所の地名は「大瀬」だった。きっと大昔、このあたりに「瀬」があったのだ。うちの家は大きな瀬の上に建っているのかもしれない。

すぐ隣町は「腹見」という地名で、天武天皇が飛鳥宮から難波宮まで興行した時に、通過地点のその辺りは、こんもりしたお腹のように盛り上がっていたという。天皇に娘さんがお腹を見せて踊り喜ばしたという逸話もあるが、まそれはそれとして、確かにうちの家から東の生駒さんの方角に100mほど向かうと微妙に土地が高くなっていく。水曜日の雨では、冠水はしていなかったようだ。近くにある地名には「深江」とか「片江」とか「中川」とか「猪飼野」とか「鶴橋」とか、その場所がどんな大地でどんな形態だったのかを次の世代のための記憶として留めておこうとするのが「地名」でもあるようにおもう。

西成の崩落したLIVE映像を見ると「崖地」に住むのは注意が必要だなとおもう。熱海の土石流の事故をLIVE映像で見ると「谷筋」に住むのは怖いな。「尾根筋」の方が良いよね。なんておもう。東京の地名を見ると「渋谷」とか「代官山」とか「下北沢」とかかつての土地の姿を想像させる地名が残っているが、数十年前に、大阪のうちの家の周辺は「腹見町」と「大瀬町」が「小路東」に町名変更になった。反対運動もあったらしい。ワタシはその場所の大昔の大地の形態が表現されている地名が好きだなぁ。

そうそう、中沢新一の「アースダイバー」という本のシリーズが面白く、大阪編も良かったが、最近読んだその神社編は圧巻だった。その巻末に「アースダイバーの試みをとおして、私は土地の形態とその上につくられる人間の精神構築物とが、たがいに独立系をなしているのではなく、相互嵌入しあうことによって、複雑な統一体をつくっている様子を、あきらかにしようとしてきた。」と書かれてあった。

大瀬町だった頃のワタシの小さい時の記憶の中に、長屋だった家の玄関が冠水し、靴やスリッパがプカプカ浮いている記憶がある。一度だけでなく数度。その靴が浮いている姿を不思議そうに眺めている後ろで大人たちが騒めきあっている音の記憶が残る。おそらく親父のその時のその騒めきが建物の基礎を上げて基壇を作る設計と施工に繋がったのだな。

「Live」

断続的にたっぷりと雨が降り続いた今週。そして久しぶりの快晴の日曜日。なんだか夏がやってきた気配。こんなエエ天気なのにアウトドアーにでるタイミングを逃し朝寝坊した。なのでサウナ行って、コメダでブランチして、ホームセンターに立ち寄ると、入ってすぐの入り口が、室内に置くグリーンが並べられたコーナーに変わっていた。それだけ緑を買う人が多いのだな。

そんな流れに乗っかってうちの中庭のグリーンもバージョンアップした。以前は土の純和風の中庭で、モミジが植って、つくばいが鎮座していたが、リフォームの時に、防水をして、床と同じ高さのコンクリート版にし、鉢植えの木を置くことにした。既に家の西側にオープンスペースと森を目指した庭があるので、中庭は違う趣向がエエように感じていた。今までの和風ではない植物のある中庭。植景研究所の家谷さんが、基壇と鉢だけを置いて、あとは自分たちで植物を工夫したらどおっという。植物を植えない植木屋さんなのだ。ところが、どんな植物を投げ込むのが良いのか試行錯誤が続いて、いまいちの状態が続いていたが、コロナ禍の中で、まちのえんがわの園芸店化をきっかけに、インスピレーションを得て、こんな感じに進化した。

緑を五感で感じてその生命力をライブ感として楽しむ。っていうライブ感と違って、最近、「LIVE」という映像によるライブ感を楽しむ機会が増えてきたようにおもう。

昼食時。テレビを付ける。お昼のワイドショーが微妙にいまいちだ。なので、BSに切り替えてみると、エンゼルス対レッドソックス戦(間違っているかも)が流れてきて、「LIVE」と表記されている。あっ、大谷がバッターボックスに立っている。えっ!今!と思った瞬間、芸術的な力みのないスイングで豪快なホームランを打った。美しい!カッコエエ!凄い!気持ちエエ! それが今、アメリカの球場で、リアルに起こっているのだ。ダイジェストと違う緊張感のある魅力が「LIVE」にあるよね。

ワタシが「LIVE」という書体を意識したのは、高校生の時。ボブマレー&ウェイラーズのレコード「LIVE!」を買って衝撃を受けたのが最初だとおもう。ジャケットの「LIEV!」というデザインが印象的だった。あの臨場感と一体感。20歳すぎまでは、リアルのライブコンサートに何十回も行ったが、生のコンサートで感動を得られるコンサートは、ごくごく少数だった。記録された様々なライブ音源に感動した事の方が多かった。その記録されたLIVE!といまのLIVEはちょっと違う感覚。インターネットの発達によって、ある場所での「いまとここ」が、離れた場所の「ここ」で、そこの場所の「いま」が「LIVE」映像として多くの人といま同時に共有されているのがいまのLIVE感覚なんだろう。

zoomによるミーティングも「いま」を共有する「LIVE」だな。先週は、協力業者との精親会総会をオンラインで開催した。コロナ禍によって、リアルの顔合わせがなくなって、オンラインで近況を報告しあった。時間は長くなったが、ダラダラが少々許されるのが、オンラインミーティングなのだろう。それはそれなりにやってみて良かったとおもう。そういえば先週と今週は「空き家カフェ」もオンライン。「A2プロジェクト」もオンライン。「コアリノベ研究会」もオンラインで開催された。双方向「Live」もそれはそれなりに楽しい。いっそのこと、オリンピックも家で応援する観客が参加できる双方向のLive配信になれば良いのに。

なぜか今年のツールドフランスが面白い。ダイジェストを見るよりLIVE配信の方が圧倒的にエエ。特に前半部分でのフランスの街の映像が楽しみ。LIVE映像の中で自転車と共に街が流れていく光景が良いのだろうか。走馬灯のようにそれぞれの心の中に囚われている心情風景を流させる効果があるのだろうか。リラックスして必ず寝落ちするムードの前半の雰囲気から、後半部分のスポーツとして緊張感が高まる雰囲気のバランスが魅力なのか。各地を巡礼することも含めて108年続くイベントとしてよく出来ているよなぁ…。

建築的なLIVE映像として、あの西成区で崖から建物が倒壊したテレビ映像があって、一棟だけ残っていたが、それを解体撤去する作業をYouTubeでLive配信をしていた。凄い時代だなぁ。水圧で土を削っていたよな。工務店の立ち位置としておもうのは、現場監督やその作業員になった人たちは、一挙手一投足が配信されるので緊張するだろうな。スポーツの配信だけでなく、大工の上棟も配信される時代になるのだろうか。

「LIVE」な映像の時代なのだ。

映像

ジトジトと雨が降り続く今週。熱海の土石流の被害映像をツイッターでみると自然の脅威を感じるが、その背後に、土地開発という企業と人間が関与する問題が潜んでいるのかもしれず、工務店というものづくりの立ち位置にいると、「身につまされる想い」という感覚がやってくる。

先週は西成区の住宅倒壊現場の映像が流れた。数年前、木津川辺りの名村造船所でイベントがあった時。生野区の自宅から奥方と自転車でブラブラ出かけて、天王寺から飛田新地を抜けあの倒壊現場のすぐ横の道を抜けて天下茶屋から名村造船所までサイクリングしたが、あの天王寺と飛田の間に存在する断層はいつも不思議に感じていた。坂道というより断層的なのだ。そういえばその時、飛田新地に中国人観光客が沢山いてとっても驚いたのが幻のように感じるコロナ禍の今。

うちの庭に、そんなに好きでもなかったアジサイを今年育ててみると、梅雨のジトジト感を解毒してくれるような花の色合いに、心和ませてもらっているが、降水量の多い雨が降り続くと、こんな平地な庭の土でもとっても小規模な「土石流」になって、排水溝が土で埋まって、浸水状態になることがある。それを防ぐために、植木屋さんが、土中に排水パイプを埋め込んで、それなりの対策を講じていても、「排水」という問題はムツカシイ。植木屋さんの海平造園のオヤジさんが、この庭の下には、コークスが埋めてあるんやで、シャチョウのお祖父さんが、排水の事を考えて埋めたとおもう。と教えられた。そういえば、昔、親父から埋め戻しの土の値段が高い時は、この辺りはコークスガラを埋めて田んぼを宅地にしたそうや。と聞いた事がある。「土地」と「雨」と「排水」は侮れない。と、熱海と西成の映像から「工務店」という立ち位置を鑑みる機会でもある。

映像繋がりなんだけど。まちの園芸店を作るワークショップに参加してくれた、ドローン操縦士の土林くんが「まちのえんがわ」にドローンを持って遊びに来てくれて、加工場でドローン飛行を体験させてくれた。そんな縁で、10月にドローンのワークショップを開催することになった。ドローンの機械的知識からドローンの体験飛行と購入サポートまで、勿論ドローンからの映像も体験できる。加工場のあの空間はメルクリンという鉄道模型を走らせるために魅力的だと建築家の秋山東一さんから言われたが、ドローンを飛ばすためにもとっても魅力的らしい。シケインなんか梁から吊るして、ドローンの体験飛行で遊んでみようと思う。

建築の世界でも、屋根の調査などドローンを使いたいし、土地の現地調査の時に、ドローン映像を撮れたら、2階の窓からの視点なども体感出来てええだろうな…。この熱海の土石流でもこれからの作業にはドローン映像が役に立ってくるのだろう。それはそれとして、超小型のドローンを入れるツールボックスがプロっぽい道具箱でカッコ良かったのだ。操縦だけでなく、機械的と電気的知識も学べそうな空気感が伝わってくる道具箱で、ワタシもこのセットで欲しいなぁ…。

ワクチンとイベントとリスペクト

先週末ワクチン接種券が届く。同時に手元に届いた奥方が、明日近所のかかりつけ医のところに行くので、一緒に予約をしておくわ!という。第一回ワクチン接種日は7月20日頃になるらしい。遅いけど、ファイザーなので、ま、エエか。みたいに何となくモデルナよりファイザーの方が良さそうな印象を受けるのが不思議だ。今週月曜日の夕刻になって、一ヶ月も待つより、もっと早く打った方が良さそうに思えて、予約券のバーコードからスキャンすると、大阪市のインテックス大阪会場では、64歳以下の誰もが接種券さえ持っていれば接種できると知った。予約サイトを検索すると、翌日火曜日は午後7時以降は空きがあってガラガラだった。

家から車で30分。無料駐車場もあるという。でもモデルナやし。みたいな気分に一瞬なったが、ユーチューブやネットを見て、そんなのどちらでもよくなった。携帯からその場で翌日の午後8時10分に予約する。当日、緊張感みたいな気分もちょっとだけあって、早く出かけ30分ほど前にインテックス大阪に到着し会場に入るとガラガラだった。親切丁寧で迅速な職員の方々の対応で各部署を転々と回りながら、あっという間に注射器が左腕に刺さり、はい終わりました。とあっけなく終了した。15分ほど経過観察を待つのが唯一の待ち時間だった。オリンピック開幕前には2回目の接種が終了している予定だが、2日間ほど左腕に筋肉痛が残り、ちょっと船酔いしそうになる前の兆候のような気分。のような気もしたが過敏症的気のせいだろう。その週は、企業接種のお誘いが2団体からかかってきて、社員や職人さんが望むなら、早めに職場接種を実施しようと思う。

26日土曜日の夜。ツール・ド・フランス開幕の第一ステージをJスポーツで鑑賞すると、沿道には多くの観客がいてほとんどがマスクなしで大声援を送っていた。日本のオリンピック騒ぎが馬鹿げた姿に思えるほどの光景に唖然とした。スポーツ競技として、大規模な2度の落車事故やゴール前登りの圧倒的パワーのアタックなど見どころもあったが、街並みと建築を眺める楽しさが半分を占める。ジロ・デ・イタリアでの街並みが「ベージュ」だったとするとスタート地点のフランス西端のブレストの街並みは「白」かった。

そうそう、沿道の観客が掲げるプラカードに選手が接触して大規模な落車事故が発生したが、そのニュースをみると「選手も沿道の観客へ注意を払わなくていけないが、ファンも選手に注意を向けて欲しい。選手へのリスペクトが必要だ」という選手へのリスペクトという表現が欧州的で興味深かった。

本日日曜日は、谷口智則さんの藍染めTシャツを製作するワークショップを催す。緊急事態宣言が明けて、まんえん防止等……だが、コロナ対策を考慮しながらワークショップを開催することにした。Tシャツに谷口さんがクジラの絵を描き、そこに参加者が自分のデザインで絵を書き加え、藍染をし、完成させる。Tシャツを干す姿は「幸せの藍染めTシャツ」的雰囲気だった。そういえば、谷口さんに対するリスペクトを持った方々がお客さんだったように思う。

オンラインが続くと、人との直接的な接触がなくても良さそうに思えてくるが、谷口さんが発散する創造的なエナジーを受けて、参加者それぞれが応答しエネルギーを発散している姿に接すると、人間は対面でエネルギーを交換しながらお互いに生きる活力を得ているのだ。とおもえた。

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