コロナ的好転換

コロナショックの拡大続く日曜日。だいたい日曜日の朝は、いつもどおりの早朝に目が覚めて、自転車乗ったり、スーパー銭湯に行ったり、すぐに肉体的な負荷をかけるべく動くのだけれど、なんだかコロナな雰囲気に、自重するムードが漂って、布団の中に入ったままテレビを付けてニュース報道を見守る日曜日の朝。これはこれで日曜日の朝的雰囲気でほっこりするが、テレビを見れば見るほど経済的影響が心配になり、株価の大暴落…..とか、こんな状況で会社はうまくいくのだろうか….とか。

昨日の土曜日に予定していた「ものづくりセッション」が、新型コロナウイルスを考慮して中止になった。「懇親会無しマスク手洗い間隔あけて座る」という計画もあったが、参加者への気遣いもあって中止することにした。3月19日の「空き家カフェ」も中止する事にした。3月29日に予定した「珈琲ワークショップ」も中止になった。参加者や自分がウイルスに感染したくないというのもあるが、それぞれ主催するワタシが、100%感染していないという確信を持てないのがいまの状況のような気もするわけで、それゆえ、他のひとに感染させない配慮に気遣うのが、主催者の立ち位置でもあるのだろうし、いまの時期にクラスターを発生する場所になるのも、社会的責任を感じるし…..。なんて、あれやこれや、見えないウイルス、見えない恐怖、社会的配慮と戦うのは確かにやっかいだな。ウイルスの正体って何なんだろうかね。

そうそう、今回のニシミネさんによる珈琲ワークショップは中止になったけれど、次回にちょっと楽しそうな企画もあったので、中止するふんぎりもついたわけで、アウトドアーで、豆をローストできる手造りのロースターを板金ワークショップのメンバーとコラボしながら製作するという企画。

ニシミネさんが製作した「焙煎豆冷却器」が「DIYでコーヒーを楽しむ本(学研ムック)」に掲載されていて、その実物を使ってワークショップもしたのだけれど、その本に…..

 
 

アウトドアーで、豆をローストしてコーヒーを煎れるのが、ちょっと格好良さそうだし、とっても楽しそうで、焚き火しながら、ロースターをぐるぐる廻すとか…..。なので、そんなのを、「東成錻力職人」に手伝ってもらいながら、手造りロースターワークショップを開催しようかと企画中。

そういえば、4月開催予定の「研ぎワークショップ」では、超マニアックな「研ぎ屋むらかみ」のムラカミさんと打ち合わせをし、包丁を研ぐワークショップを開催することになって、コスパのよい砥石も手配頂き、それを各自購入してもらって、包丁の研ぎ方を教わるのだが、女性を中心にあっというまに定員の10人が集まる人気には予想外で少々驚いた。

打ち合わせの時に、ムラカミさんから研ぎ方の手ほどきを受けると、とってもオモシロイ。それで、ワタシ、普段、包丁など使わないので、そうそう、昨年メルクリンのワークショップを開催した建築家の秋山東一さんのブログにOPINELのナイフがでてきたのを想い出して、あれ、柄がカッコエエので、昔、欲しかった時があって、ムラカミさんに、あのナイフ手に入れて、ワークショップで研げますかって聞くと、大丈夫ですよって答えが返ってきた。なので、ワタシ、OPINEL#12を手に入れて、ワークショップに参加する予定。そうそうアウトドアー好きのオトコの子が集まるワークショップを増やしたいものだな…..。

昼過ぎ、「まちのえんがわ」に、京都一乗寺で15年ほど前にリフォームしたサトウ女子が、ふらっとお見えになって、とんちゃんと、アオキさんと、奥方を交えて、持参頂いた手造りケーキを食べながら、ガールズトークに花が咲いた。こんな近い距離感で会話するのが良くない時節なんだと、写真を見て、反省するんですが、ま、ガールズといっても、皆さん、そこそこの年齢なんですけどね。

そういえば、昨日の土曜日はワタシの誕生日だった。この歳になると、誕生日がやってくるのが、少々寂しい気分。本来なら、「ものづくりセッション」があって、その懇親会で食事することになっていたが、コロナの影響で、家に居ることになった。おかげで、マゴ達を交えて、奥方と長男ワイフの手作り料理で、一緒に食事が出来て、ハッピーバースデーケーキの蝋燭の炎をマゴのリズムに合わせてフゥッ吹いて、とそんなコトが案外、嬉しかったりして。

皆で、一緒に食事が出来る場所、それは、かつてのカマドであり、家の中心におかれ、そこで食材も人生も転換を起こしていた。大地と海がもたらした恵みが、家庭の台所で調理され、皆の健康をささえる恵みに姿を変える。なんて云ったのは、中沢新一の大阪アースダイバーでの語りだが、家庭のキッチンと食卓テーブルが、それぞれの人生の転換をおこす場所になるのもエエよね…..。

こんな春のこんな気候の日曜日は、ソトで食事をする日曜日の夜になるはずなのだが、コロナ気分な影響下にあるからだろう、イエで、夫婦二人で、たこ焼きパーティーをすることにした。久しぶり。いや、子供を交えず、二人でやるのは初めてだな。蛸に2000円も使って、贅沢なたこ焼きやわ!と奥方の嘆きのような喜びのような。

あれやこれや、コロナ的好転換を試みたいものだな。

当たり前でないこと。

一歩もソトに出ず一日中イエに居た日曜日。朝は雨だったので静かに過ごす。こんな時は、イエを楽しむのがエエのだな。それにしてもコロナショックが拡大する日々。経済はどうなるのだろうか。現場からの帰り道、車で長居公園の横を通過すると、子供たちが元気よく遊ぶ姿で活気に溢れていた。喜ばしいような喜ばしくないような複雑怪奇なこの状況。やっぱり子供はいつだって元気に遊ぶのだな。うちのマゴたちも、普段以上に、庭で動き回っている。ソトで遊べない分、イエのニワでストレスを解消しているのだろう。もっともストレスを抱えているのが、ママさんたちかな。いや、ひょっとして、普段以上に愛情に溢れているのかもしれない…..。

そうそう、24日の祝日、長男家族たちと一緒に、日帰りで、岐阜の高須スノーパークへスキーに行ってきた。なんとなく再びスキーにやる気がでて、マゴたちと一緒に滑る日を楽しみにしている。っていうのもあるが、スキー板が進化して、スキーの滑り方も変化し、リラックスして滑れるようになった。少し開きぎみで両足でスキーを操作し、板をフラットにしてセンターに乗って体重移動でターンのきっかけつくって、かかとよりの雪面からの力を感じながら、自然に板がたってゆるやかな弧を描いてターンするイメージなのか。筋力よりバランス。母子球に乗って上下の抜重でテールをズラして滑っていた時より体の負担も少ない感じ。コブを果敢にトライしなければ快適なのだ。コブは横滑りでズラしてズラして安全第一。シニアでもそこそこいけるのは板と靴の道具の進化だな。ま、でも、ワタシ、午前中滑ったらもう充分満足。お昼の休憩でバックルを解放したら、もうバックルを締め付けたくないのだな。それにしても、スキー場の建築は、もっとオトナな感じにならないものかね…..。

昼過ぎにスキーを終えて、近くの温泉に入ろうとしたら、マゴたちが熟睡してしまったので、1時間30分ほどそのまま運転して、寄り道し、湯の山温泉のアクアイグニスまで走ると、ちょうどお目覚めタイムになった。なかなか素敵な建築。そしてエエお風呂。露天風呂が横並びでひとりずつ入れて、水平に伸びる高速道路と垂直性の柱と斜張橋の構造物を眺めながら湯船に浸かるのが、独特な瞑想感があってオモシロイ。そういえば、車に自動運転的な追従装備が進化して、衝突の不安が減少し、岐阜日帰りスキーで、こんな寄り道しても、疲労感はいままでの半分以下。さまざまな道具の進化が、さまざまな楽しみ方に繋いでくれる昨今だな。

 

なんて、先々週のコトを思い返してみたが、あの24日のスキー場の食堂で、ひょっとすれば、大阪のライブハウス感染のような可能性もあったわけで、遊んで楽しむ場所に、こんな感染という、新たな危険性が潜んでいる時代なんだと、家族や自分のコトを心配するだけでなく、学校とか会社とか国家とか経済とか、フツウに通勤通学しフツウに経済活動していた当たり前が、まったく当たり前でない姿に直面し、なので、ちょっと立ち止まって、考えてみる機会なのかね。

コロナな日々。

コロナな日曜日。木村工務店でも、今週の水曜日から、会社と現場でのマスク着装を決めて、社内はマスク。打ち合わせはマスク。現場もマスク。昨日土曜日の地鎮祭もマスク。建築関係では、ウォシュレットなど中国生産の住宅部品関連の納材がストップし、お引き渡しが出来るかどうか大問題な日々で。株は大暴落。学校の休校が決まる。予期せぬ本格的なコロナショックとマスクな日々が始まった。土曜日にうちの家でテクトニックカルチャーな懇親会を8名ほどで開催するコトになっていたが、世の中の流れに従って、複数人の密室集会は中止することにした。2週間ほど静かに過ごすのが良さそうなので、そのように同調することにしたが…..。

住宅相談会のあった本日のコロナな日曜日。参加予定の二組の方から、キャンセルのご連絡があるかと思いきや、皆さん、元気よくお見えになって、午後のひと組目のAさんは、男性お二人が、マスクなしで、ご参加頂いて、一応、エチケットとして、こちらはマスクをしてお話したが、お互いの合意ができているのなら、別に気にする事ないような気がして、コロナな対応って、どうあるのがバランス良いのかと考えてみたりした。

阿倍野で長屋を購入された男性ひとり住まいのご相談で、中古マンションを2千万円以上の費用で購入するよりも、中古の長屋を1000万円以下で購入し、1000万円以下でリフォームすると、かなり素敵な暮らしが出来そうで、庶民的な町中駅近の長屋を探してリフォームするライフスタイルをその場で即興的にプランニングしながら一緒に模索したが、確かに、長屋を購入するには勇気がいるコトだが、その不安を乗り越えると、生活感溢れるその町に、快適な室内空間を造って移り住む、コストパフォーマンスの良い住まい、というか高バリューな住まいが、実現出来そうで、借家住まいでない、マンション購入でもない、都市生活者の新しい長屋ライフスタイルがあるようにおもえた。

午後3時からのBさんは、女性3人の親子が、マスク姿でお越しになって、生野区の長屋住まいのリフォームのご相談で、近くの銭湯の休業が、家風呂がなかった長屋をリフォームするきっかけになったそうで、母と娘二人の女性3人のライフスタイルを将来的な家族の在り方も考えながら、即興的なプランニングを設計のタナカくんと一緒にあれやこれやと考えた。ひとりになれる居場所と皆と一緒に過ごす居場所をどのように一体空間的に共存させるのかがテーマなのだろが、最近は、シェアハウスやゲストハウスなどそんな施工例がイロイロあり、そんなのを思い浮かべながら、一緒に女性3人のライフスタイルを考察した。

お客さま3人と木村工務店のワタシたち2人の計5人がマスク姿で打ち合わせ室のテーブルを囲む姿は、まさしくコロナな影響下の特殊な状況だとおもうわけで、一刻も早い、収束をお願いし、祈りたいものだなぁ…..と、そんな想いを強くしたコロナな相談会だった。

モノほしさ

冬の青空。なのに、朝からダラダラしている日曜日の朝。昨年の12月から今年の2月の今日まで、自転車に乗ったのは、先々週の一度だけで、定期的に体を動かさないと、気が付いたら体重は2キロほど増えていた。自転車に乗るテンションが落ちている理由が3つほどあって。乗れる日が、中途半端な天候ばかりが続いて、それをはね除けて服を着替えソトに飛び出すために、心のブツクサに同調しないのがエエのだかれど、なんだか寒いとか雨降りそうとか面倒くさいとか自転車整備せなアカンなとか、あれやこれやの気分を考慮してしまうものだから、まったく、ソトに飛び出せなかった。

 

昨年の秋頃から1年間だけ、奥方とともに、スーパー銭湯のスポーツジムに入会して、室内バイクや室内ランニングをし、そのあとの、温泉、サウナ、水風呂、がとっても気持ち良く、こんなことに3時間ほど費やして、日曜日の午前中を過ごすスタイルが、ここんところのパターンで、なので、寒い冬に、自転車でソトに飛び出さなくても…..なんていう気分がはたらく。体調管理を室内バイクと室内ランニングで補うつもりでいたが、週一程度の室内トレーニングでは、体重管理の成果に結びつかないコトが、ようやく理解できて、それでも、バーチャル的スポーツ快感&サウナでトトノウと、実走的スポーツ快感&モーニングとの狭間で心揺れる日曜日の朝で、室内バイク&サウナに心動かされる日曜日の午前中だった。

そんなコトより、もっと大きな理由があるコトに、気付いてきて、それは、まったくアスリート的でないので、「道具」で気分を盛り上げないと、サステイナブルにならないのが、趣味的な世界なのだとおもうわけで。というか、「モノ」の楽しみがないと、持続可能なスポーツとして、ワタシの傍らをすり抜けていく感じがするのだ。それは、今、乗っているカーボンバイクという道具に、それなりの満足をしながら乗っているのだけれど、ただ「モノ」としての自転車を、アスリート的にタイムアップを狙たりし、細部を軽量化やチューンナップする楽しみ方は、どうも、ワタシには似合わず。

 

そうそう、昨年の秋に、ウィリエールのキタムラくんと、富山ツアーをし、そこで新作のフロントフォークがカーボンのクロモリバイクに乗させてもらうと、とってもエエ感じだった。福井の自転車ショップのオーナーで元競輪選手の方も、その新作バイクのフィレット溶接バージョンを乗っていて、どぉ、乗ってみる!と勧められて、乗ると、やっぱりエエ感じなのだ。その感覚が残っていて、欲しいなぁという「モノほしさ」が募ってきて、それが、背後霊のように取り憑いているコトに、最近ようやく気付いて。いまの自転車に乗らない気分を探しているような気がするのだ。

モノを買う事に躊躇する理由はイロイロあって、マネー量の問題が一番大きいが、手に届きそうな欲しいモノを買うマネーが全くないわけではないのだろうが、予測不能な先行きが、その消費に歯止めをかけているのが昨今で。ワタシの場合も、「快適な室内空間で過ごす」ために、リフォームに老後のお金を費やしたものだから、なんとなく、こういう趣味的なモノに消費するのに、躊躇する気持ちが芽生えるのは、現実的なマネー量の問題があるにしても、それ以上に、いまの世の中の予測不能な経済的気分が、そういう躊躇を助長しているのだともおもう。住宅取得に悩む若い世代の気分も同じなんだろう。

モノを買うのに、瞑想して心落ち着けて、ようやくそのモノを傍らに置ける勇気がでてくるような時代かもしれず、それにしても「モノつながり」で、生活が生き生きとし、愛情にも溢れたりするわけで、「家と空間」に投資するのは確かに勇気がいる時代ですが、素敵なライフスタイルをうみだすために、モノに投資し、快適な室内空間を一緒に創造してみるのは如何でしょうか。なんていうお誘い。

初勧進帳鑑賞

テレビで観る、なんとなくちょっとチャラい感じ。いや、生で、間近に観ると、存在感があり、おっっ、カッコエエ…と呟いてしまいそうな圧倒的な雰囲気がある。「芸事」って凄いよな。っておもわす何かがあって、ワタシもプロとして精進しよぉ。っとそんな気分にさせてくれる。オトコという立ち位置がそうさせるのか。女性はどんな感性で観ているのだろうか。

最後、幕が降り、海老蔵ひとりが花道に残り、静けさの中で、拍子木の音とともに所作をする瞬間、ワタシの背筋も、すうっと伸びた。飛び六歩とともに、花道から袖に引けていくかっこ良さが残像のように残り、観客全員を、あっっっ良かった!っていう気分にさせて、公演が終わる。江戸時代からの名作を、江戸の人、明治の人、大正の人、昭和の人、平成の人、令和の人、それぞれが、同じように感動しているというのが、伝統芸のなかの代表作としての凄さなんだろう。

それはそれとして、生演奏がとっても良い感じなのだ。こんなに音楽として素晴らしいとは全く知らなかった。緊張感のある最上のコンサートのような雰囲気で、そのアンサンブルをバックミュージックとしながら、語りがあり、舞があり、音楽が演技と一体になりながら、絶妙の間の手として、音が演技の中に入り込んで、気分を盛り上げてくれる。そういや、海老蔵と右團次のコトバによる掛け合いは、今風に言えば、ラップの掛け合いのようであり、いやジャズのトランペットとサックスの掛け合いのようでもあって、そこにドラムやピアノやベースが絡まるように、三味線や鼓や長唄や笛が絡んできて、それが絶妙。舞のカッコ良さはなんとなく映像で見ていたので、なるほど。こんな感じなのか。みたいな印象で、その所作の優雅さと力強さに感心するのだが、舞以上に、生音の、音楽面の豊かさに驚いた。それに、演奏するひとたちの、楽器を扱う所作が、とってもカッコエエのだな…..。

舞台に向かって右側の袖の席に、舞妓さんたちが沢山座って鑑賞している雰囲気が、いかにも京都らしく、休憩時間には、最前列にいた黒い着物姿の女性に、全員が挨拶にきて、その様子が伝統と格式を感じさせ、舞妓さんと歌舞伎と京都南座といベストマッチな雰囲気を見ていると、ワタシは外国人、みたいな気分で眺めていた。そうそう、演目の前に、舞台挨拶があって、フツウの着物姿で、海老蔵や右團次や合計5人が挨拶をし、質問コーナーなどもあって、笑いと和やかなムードの現代的なフツウの人間としてのトーク番組的演出のあとの、あの緊張感のある古典の勧進帳で、そういう「今」と「古典」を違和感なくタイムトラベルさせられてしまうところに、歌舞伎の現代性を垣間見たおもい。

海老蔵と右團次の挨拶でのトークで、昨晩は遅くまで飲んで、今日は朝からサウナに入ってスッキリして、そこでトキオのマツオカくんにも会って….なんていう会話があって、そーだな、ワタシも朝からサウナに行ってから「初勧進帳鑑賞」をしたら、もっとシンクロ的共感を持てて良かったかも….なんて。また観たい気分。

「ものつながり」と「感謝状」

冬らしい寒さが続く。ようやく今日は寒いねっていうコトバを発する日々。「初午祭」という木村工務店のルーティンがあって、今年の初午は、今日の2月9日日曜日らしいが、だいたいその前後の土曜日の夜に、協力会社の集まりの精親会の職人さん達が集まって、祈願をし、会社の現状や課題をお伝えし、懇親会を催す。1957年に初代木村精一が今里新地の料亭で始めたということで、63年間続くものの、何回か開催しない年もあったらしいが、ここ数年は、木村工務店の加工場で催し、昨日2月8日土曜日がその初午祭だった。

豊作を祈る初午の風習にあやかって、安全祈願と商売繁盛を祈るわけだが、プロジェクターとパワーポイントという現代的な道具のおかげで、ビジュアル的になったので、職人さんたちに、それなりに伝えやすくなったが、「可視化」なんていうコトバがあるように、職人さんと設計者と現場監督が、さまざまな建築的な課題を可視化し、施主と共有するのは、もっとも大事なテーマでありムツカシイコトのひとつで、図面とか工程表とか見積書なんていう昔からある可視化し共有する仕組みがあるものの、現場でのディテールとか素材感とか雰囲気とか価格感などなど、表現しにくいものを、施主の共感を得るために、どのように可視化し、親切丁寧なコミュニケーションとものづくりを続けていくのかが、共通の課題のひとつで、懇親会の話題だった。

「ものづくり」と「ものつながり」なんていうコトバもテーマのひとつで、うちの初代も、建築というものづくりを通じて、お互いに繋がりをもつコトを大切にしたかったのだろう、精親会という「ものつながり」を意識する儀式のようなものが、木村工務店の社員と大工と手伝いと協力会社の職人さん達が集まる初午祭なんだろう。

木村工務店の加工場で催すようになってから、職人さん達も気軽に出席してもらえるようになり、90名ほどの参加者で推移しているが、ここ数年、社員が、職人さんたちを「おもてなし」しようということになって、おでんや焼き鳥やあれやこれやと学園祭的なノリで、ま、キムフェスとでも言うのか、カウンターの中に社員がいて接客するスタイルで懇親している。今年は、食事の「おもてなし」だけでなく、職人さんに「感謝状」をお渡しする場にしようと思い立ち、63年間にわたり木村工務店の精親会に尽力して頂いている材木屋さんの岡房商店の岡本伸一さんと、鉄骨屋さんの横井金物の横井健次さんに、感謝状をお渡しすることになった。

紙の、いわゆる、あのタイプの、感謝状を贈呈し、額のなかに入って飾ってあるのに、ちょっとした違和感があったので、そのデザインをどうするのか、いろいろ考えながら、インターネットをみているうちに、アクリル板に文字を削って書く方法を知って、それで、そのアクリル板をはめ込む台座をどうしようかと思案していたら、そうそう精親会会員で、木製建具を製作してくれている川端建具さんに、建具の吉野檜材と木取りし易い材料寸法で依頼する事を思いついて、こんなデザインの感謝状になった。

これからも精親会初午祭を継続しながら、デザインをバージョンアップしつつ「感謝状」を贈呈し、「ものつながり」を、あーだこーだと意識してみたいとおもう。

現場監督と職人さんとクラフトマンシップ

  

もう2月。1月は行く。ふと庭を眺めると、侘助(わびすけ)のピンクの花が開花し、ヤマドリも花目当てにやってきて楽しげなのに、数日のうちに土の上に落下しているピンクの花の姿が、いかにも侘しい。うちの家にとっては、それが、冬から春に移ろうとする兆しのようなもので、そろそろ白い梅が咲いて、3月にサンシュウの黄色い花が咲いて、さぁ桜はまだかいな。みたいな、花の季節感がはじまる。

 

 

「お餅つき」と「建築人」

冬の穏やかな天候のもと、恒例のお餅つきワークショップを開催したのが土曜日のコトだった。もともと、社員の家族と木村家の庭で始めたのがきっかけで、いやそれが、ワタシが小さい頃は、木村工務店で、年末の28日にお餅つきをやっていた記憶が薄ら残っているのだが…..、それで、道具類はそこそこあって、丁度、お餅つきを復活しようとした2008年が、清見原神社社殿増改築工事の木材加工を、うちの加工場で一年かけてやっていたま最中だったので、神社木工事施工担当の沖大棟梁が、蒸籠(せいろ)の蓋を手加工で製作してくれて、そこに蒸気を抜く5分穴を開けるのに、延々とその穴の大きさについての講釈を語りながら、加工してくれた時のことを、今でも懐かしく想い出す。


↑その時の社員家族の記念写真。写真右端が、次男タカヒロで、その横でマゴと肩を組んでいるのが、2代目社長木村正一。長男タカノリは、東京で大学生だった。

 

時は流れる。左の写真は、前掛けをしている長男タカノリが、4年前に木村工務店に入社し、今年もお餅をつき、木村工務店の前掛けをマントにしたマゴ二人が、うろちょろしている。ワタシもマゴ二人と記念写真を撮ってみた。ちなみに、次男タカヒロは大学の建築学科に進学した。2008年の記念写真2代目社長の左隣のお子さんは、うちのトミマス工事部長の長男さんで、大学の建築学科に入学したらしい。こんなふうに2008年から2020年に至るお餅つきを振り返ってみると、唐突に、芭蕉の句を想い出した。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又『建築人』也」(月日というのは、永遠に建築の旅を続ける建築人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように建築人である。)みたいな心境。芭蕉のように旅人として生涯をおくる人生は、かなわぬ夢だが、家族や知人で「建築人」として一緒に生きるのも、まんざらでもないような気がしてきた…..。

そうそう、この前掛けは、数年前に神戸でリフォーム工事をさせて頂いたお施主さんが、アパレル関係のお仕事をされているそうで、完成のお礼にと、木村工務店のマーク入りの前掛けを数枚製作しプレゼントして頂いた。毎年お餅つきで活躍をしている写真を眺めると、あらためて、この場をかりて、感謝申し上げたい。そういえば、リフォーム工事をさせて頂いた、奥さんと小学生のお子さんが、お餅つきに参加頂いて、その時の会話のなかで、その息子さんが、建築をやりたいと言っているので、どうしたら良いか、アドバイスして欲しいと言われた。そのお子さんを目の前にして、なんだかそれらしいコトを語ったが、いま、おもえば、「建築人として生きる道」なんていうのが、いろいろあるのだな…..。

 


 

かつてない多数の参加者で、ワタシたちが驚いて、慌ただしく急遽座席とテーブルを増やす、てんやわんやな状況だったが、老若男女のエネルギーに取り囲まれながら、お餅をつく、ペッタンペッタンという音と、あの威勢の良い掛け声との響きが、皆さんに活力のようなものを与えていたのかもしれない。カマドの火が燃え続ける活気が、ドラムの音のように、皆さんにエネルギーをたきつけていたのかもしれない。が、そんなコト以上に、多くの参加頂いた皆さまのお陰で、共に、エネルギーを分かち合えたことに、深く感謝申し上げたい。ありがとうございました。

ペットボトルのデザイン・ケイエイのデザイン・マチのデザイン

暖冬な日々。今日は、ちょっと寒いね。みたいなコトバをたまに言い放つぐらいで、メチャメチャ寒いわ。というコトバは、まだ発してないような気がする。なので、風邪ひきになりにくい冬なのか。っておもっていたら、二日ほど前から鼻がグズグスしてきて、ひょっとして花粉症。まだ、はやいよね。予報では、今年の花粉は少ないらしい。それでも、なんとなく花粉症のような気がする。とにかく中途半端な気候なのだ。昨年に比べ、暖房のための電力消費量は、20~30%少ない気がする。

 

そうそう、風邪対策のひとつで、湿度が40%以上の方が、インフルエンザウィルスの生存率が低いらしい。いや、相対湿度など関係ないよという論文もあって、よーわからんが、とにかく、乾燥していない方が、喉にも唇にも快適なので、昨年末に、サンワサプライのUSB接続で、ペットボトルを利用した卓上のパーソナル加湿器を買ってみた。ウイルス菌の対策としての身体的効果は、いまだに、よーわからん状況だが、それより、ペットボトルのデザインがいろいろあるコトにあらためて気付かされた。

炭酸飲料のペットボトルは底には花びらのようなくぼみがあって、炭酸を入れたとき、底が膨張して、不安定で立てられないので、こんな形にして膨張を防いでいるらしい。逆さまに設置すると、これはこれで、カッコエエし、コーラの胴のくぼみもセクシーでエエのだが…..。

胴の部分に凹凸があるペットボトルは、耐熱用のペットボトルで、高温で殺菌してから中身を充填するらしい。逆さま向けて、ラベルを取ると、構造的な意味合いは理解出来たが、いま、手元にあるペットボトルの構造的デザインは、どうも好みでない。ま、様々なペットボトルを購入して、ラベルを剥がし、丸裸にし、逆さまにして、そのスタイルを眺めてみる…..なんていう、ちょっとヘンな趣味的楽しみを発見したのだけれど、冬になると、ペットボトル飲料をめったに買わないので、そのコレクションが進展していないのがとっても残念。

それより、会社の自販機に、「evian」のペットボトルがあって、これをわざわざ購入して、ラベルを剥がし、逆さまに設置すると、シンプルでとってもカッコエエのだ。口元のほんのちょっとのデザイン的くびれだけで、胴にくびれがないということは、殺菌もしないということで、それで安全なのかどうかペットボトルの記事を読んでいると心配になるが。それより、驚いたのが、口のサイズが、純日本製のペットボトルより、ひとまわり小さいのだ。フツウのペットボトルは、付属のアダプターを取り付けて設置する設計になっているのに、「evian」はアダプターなしで設置できて、接続部分もシンプルで、オシャレ。調べてみると、ポール・スミスやジャンポール・ゴルチェ、イッセイ・ミヤケ、エリー・サーブといった世界的に著名なデザイナーとコラボし、限定ボトルを製作しているらしい。それって、手に入るのかね。と調べてみたら、な~んだ、ラベルのデザインなのね。ま、とりあえず、冬の間、ペットボトルの裸の構造的デザインを眺めながらシゴトしてみようとおもう。

土曜日は、「ものづくりセッション」が、加工場であり、いろいろなものづくりをしている若いひとたちと、一緒にあーだこーだというのが、楽しい。プレゼンターの船舶照明を製造している100年企業の大阪電気工業株式会社のプレゼンでは、まずは商売を続けて、「新しい商品×今までのお客さん、今の商品×新しいお客さん」を模索する。っという話で、ほんまもんの無骨な船舶デザインを少しだけ編集することで、今まで繋がっていなかった一般のお客さんと新たに繋がる可能性ってあるよな。なんて、みんなと一緒に考えながら、それぞれが自分達の会社のそれぞれのデザイン経営を考察していたのだとおもう。

日曜日は、「空き家カフェ拡大版」が、加工場で開催されて、生野区長の参加もあり、今回は、行政の方々の主導のもと、都市整備局の空き家に対する補助金の話や、建築家のヨシナガくんの講演や、近大の田中先生の講演のあと、シンポジウムがあって、ワタシもパネリストとして参加しながら、会場のお客さんとも意見交換をし、空き家を題材にして、魅力的なマチの在り様を、その仕組みも含めて、どうデザインするかを模索するのが、空き家カフェなんだと、あらためておもった。

とっても天気の良い土曜日と日曜日だったので、アウトドアーで、冬の日差しを浴びたい気分も少々あったが、二日連続で加工場で過ごし、ケイエイとマチとコネクトする、有意義な週末となった。参加頂いた皆さん、ありがとうございました。

繋がり始め

1月6日より令和二年の営業が始まって、挨拶回りと4つの新年会で、あっという間に一週間が過ぎていった。木村工務店年始の新年会は、地元の清見原神社で参拝したあと、70名ほどの社員と職人と協力会社の方々が集まって、北巽の木曽路でしゃぶしゃぶを食べるのが、ここ数年の恒例で、この時に、15分ほど、年頭所感のようなものを語るのが、ワタシの役目で、年末年始のお正月休みの間に、そのネタのようなものを探して、考えるのが、少々のプレッシャーなわけで、年末に送られてくる雑誌の新建ハウジングがそのネタ元になったりし、ここ数年の年末読書の一冊だったりする。

CX(顧客体験)視点で考える工務店の再構築。なんていうタイトルだったが、その中に、2018年に経産省と特許庁が提言する「デザイン経営」なる項目があって、デザインが経営に直結すると考える。経営としてもデザインに取り組みましょう。というコトのようで、経営チームにデザイン責任者がいること。事業戦略の最上流からデザインが関与すること。がデザイン経営の必要条件らしい。そういわれれば、なんとなく、頑張って、住宅デザインをやってきた感じだが、単に、オシャレな住宅デザインを造る。というコトでなく、経営思想とデザインが一致する、工務店のデザイン経営を目指しましょう。ということのようだった。

そうそう、年末の忘年会とブログで、Reborn「再誕生」したい気分。と宣ったが、経営思想と一致するデザインコードを持っていることが、デザイン経営であるのだろうが、そんな感じにRebornしたい気分だと、年頭所感を語り、しゃぶしゃぶを食べて、ものづくりの仲間たちと、お酒を酌み交わし、加工BARでささやかな2次会をし、新たな気分で、気を引き締めて、「シゴトの繋がり」が始動した。

二つ目の新年会は、生野区新年交礼会で、父が亡くなってから、引き継ぐような形で参加して4回目になるが、生野区の各地域連合町会の方々を中心とした集まりで、生野区長を初め行政の方々と、生野区選出の市会議員や府会議員、各種団体の方々が出席される、大人数の立食の新年会として、ホテルアウィーナ大阪で開催された。「まちのえんがわ」で「空き家カフェ」など継続してきたからだろうが、町会の方々、行政の方々、議員の方々と親しく挨拶を交わせる関係性が芽生えて、そんなお陰で、この会で、新年の挨拶をすることで、新たな年の、「マチとの繋がり」が始まる、そんな新年の気分を盛り上げるワタシの行事のひとつになってきた。

三つ目の新年会は、永和信用金庫の新年賀詞交換会で、2年ほど前まで、会社から歩いて2分ほどのところに、生野小路支店があったので、先代からのお付き合いがあり、こちらも、父が亡くなってから、出席するようになって、まだ数年ほどだが、シェラトン都のお昼の立食パーティー形式で、気軽に参加出来るのが有り難い。何度か参加しているうちに、何人かの経営者の方々と、挨拶出来る関係性になってきて、その経営と金融のオーラを浴びているうちに、新年のワタシの気分が「キンユウと繋がる」そんな心構えを整える新年会として機能しているのだろう。

四つ目は、生野産業会の新年会で、毎年1時間ほどの新春講演会のあと、新年互礼会が、ホテルニューオータニ大阪であり、多くの生野区の企業の方々、行政の方々、議員の方々が参加されるので、コンパニオンもいて、円卓テーブルを取り囲む、華やかな新年会だが、こちらも父からの引き継ぎで参加して5年目になり、最初は父との思い出話などが、コミュニケーションのきっかけになっていたが、徐々に、ワタシとの関係性も芽生えてきて、さまざまな職種の経営者のオーラを浴びるのがなんとなく楽しい。そういえば、講演会の最後のコトバが、『100年に一度の大変革の時代に「第2創業」「第3創業」を。ちょっとの勇気と凶器を』だった。Rebornな気分と一致するので勇気づけられたが、まだ少々引きずっていた正月気分が「ケイエイと繋がる」そんなきっかけになる新年会だった。

お正月気分で、少しの間、ソトと断絶していた、ワタシのココロのウチの回路が、シゴト・マチ・キンユウ・ケイエイの回路と、再コネクトした一週間だった。

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