命のリレーのバトン

2022年あけましておめでとうございます。

12月28日は大掃除で、伝統的に続いている年末最後の「仕事」でもあり、事務所や倉庫を整理整頓し、一年の「乱雑さ」が増してしまった状況を意識的に反省する機会でもある。机の棚にそのまま残ってまだ手つかずのシゴト、材料置き場に残ってしまった発注ミスした材料などなど、来年はもう一歩カイゼンしたいよね!という想いと願いが生まれたりするのが年末の大掃除であるとおもう。

午後3時過ぎ、社員と大工さんと手伝いさんが集まって、加工場でささやかな打ち上げで終えるのも伝統行事で、コロナ禍なので、桶の寿司を折の寿司に、大ホールのピザを1人用のピザに、日本酒を酌み交わすコトは止めるとか。それなりに工夫しながら1年をリセットし一本締めで終える。良いお年を!と挨拶を交わして、それぞれが一年の仕事を終えて、家路につくのだった。

12月29日30日31日とあっっという間に過ぎていった。29日長男の同級生のユウトが遊びに来て夜の食事を共にする。35歳を過ぎると「仕事」もノリノリになり出す年齢になってきて、「成果」がでた話を聞くと、ワタシもまだまだ頑張ってチャレンジしなアカンなっという気にさせられた。数年前から恒例になっていた次男の同級生とその母親が集まる妙に心温まる雰囲気の宴会は流石にコロナ禍なので中止になった。

30日ワタシの高校の同級生が家族連れでやってきて鍋を囲んだ。年末行きつけの焼き肉屋さんがコロナ禍後も閉まっていて、なんで閉まっているのか、ワタシに聞いてきた。施工したので知ってるやろっというわけだった。理由はわからなかったが、じゃぁ、そこへ行く替わりに、うちの家で鍋しょ!というコトになって取り寄せの「海老蔵」の鍋を囲んだ。遅い結婚だったので、まだ子育て真っ最中。なので、奥方が子育て失敗経験談を雄弁に語り続け、気が付けば深夜を回っていた。

なので31日の午前中は目が覚めなかった。「鶴橋と黑門」の市場に年末の買い出しに行くという木村家の伝統行事は2年連続取り止めた。人混みに揉まれながら、かなり高い値段になっている食材を大阪人的にまけてもらうコミュニケーションを楽しみながら景気づけとして買うのが楽しいのだけれど、いまはコロナ禍的にノリが悪かった。ただ食材だけなら地方の通販で買う方がコスパも最高で、カニやおせちやなんだかんだ通販の食材を楽しむことになったお正月だった。

50歳ぐらいを過ぎてから紅白をみるようになった。もはや一年に一回しかテレビで音楽番組を見ることはない。ワタシはSpotifyが好みでよく聴いた。Netflixの「エミリーパリに行く」なんていうのも好きだ。建築もんとかドキュメンタリーもんも視聴した一年だった。YouTubeで自転車とかスキーとかキャンプとか、珈琲の入れ方とかピザの造り方とか、前沢さんの宇宙中継とか、なんだかんだそんなのを見た一年でもあった。最低視聴率の紅白だったらしいがそれなりに楽しんだ。福山雅治が、「ここに立たせていただいて歌わせていただけるということは僕の両親・祖父母、ご先祖様から受け継いだ命のリレーのバトンを渡してもらえたからだと思っています」と語った言葉が印象に残った。

2022年1月1日「お屠蘇」をする日本的伝統行事は、木村家でもその伝統を引き継いできたが、今年の「お屠蘇」からストーリーがくっついた。前夜の紅白の影響を受けて「先祖から受け継いだ命のリレーを酌み交わす」ということになって、古いしきたりにのっとって、年少者から注いでいくことにした。もともとそんな意味合いの作法だったのだろう。おせちを食べたあと、清見原神社の拝殿にて家族で初詣参拝するという行事になったのは両親が亡くなってからの事だ。新春の宮司さんからのお言葉は「繋いでいく」という大切さだった。

午後から墓参りをし奥方の実家に集まると、その子供達は身長180センチ以上の男子が6人にうちの男子マゴ2人のオトコばかりの集いになる。お年玉をあげる子供だったのに、順番に社会人になっていく姿に接すると、不思議と命のリレー的意識になり、まだまだ働こうエネルギーをもらう。お正月の集まりは働いた報酬を分かち合うエネルギーをリレーする場でもあるのだろう。

本年も「木村工務店」とともに「現場ブログ」と「Voice of 木村工務店」もご愛顧賜りますようよろしくお願い致します。

一年間の食事に感謝して。

寒い!冷たい!ついに冬到来っていう感じ。これが今年最後のブログになって、木村工務店という組織として成果があがったのかどうか、この一年を振り返ってみる気にさせる寒波でもある。お客さまに喜んで頂いたのだろうか…..いまの社会に必要とされる工務店として行動ができたのだろうか…..一個人として尽力したのだろうか…..等々。ま、それはそれとして、なぜか、ワタシのiphoneに収められた食事の写真で、この2021年を振り返ってみようと、そうおもった。

元日の朝、座敷で、当たり前のように「おせち」を食べるが、ここ数年はどこかで買う。いろいろな味を知って、それはそれで楽しみでもある。白味噌のお雑煮とか黒豆とかごまめとかそんなのは、木村家の伝統的な味が引き継がれていて、それだけで充分なような気がする。さて2022年の元日はどんな感じになるのだろうか。

お正月休みの間にスキーをするのは結婚してからルーティンのようなもので、還暦前頃から、もう筋肉がついていけず体がガクガクで辞めようとおもっていたら、カービングスキー板なる道具ができ、それに合わせた滑り方が主流になってきて、力を使わずとも切れたターンが出来るようになって、というよりヘンに力を入れるよりスキーの真ん中に乗り続けて、板任せにした方が筋肉的にも楽だと体感し、ワタシ的に柔らかくゆったり滑るスキーとしてまた復活しそうな感じ。でも午前中滑ればもう十二分。で、午後からはカニでも食べよう!ていうことで、福井の三国港のカニを一匹食べて大満足したお正月休暇だった。

2月の写真は、なぜか「タコパー」だ。そうそう建国記念日の祝日にマゴ達とたこ焼きパーティーをしたのだ。大阪人あるあるだろうが、昔、うちの家には、ガスホースで接続する座卓のたこ焼き器がありました。家族でワイワイ楽しかった記憶が残る。今、イワタニのカセットコンロ タフまるを買って、いつかアウトドアーでたこ焼きパーティーをしようと思っていたところ、ちょっとしたノリで、タコパーになったのだとおもう。

3月、月ヶ瀬で梅を見て、奈良で鉄板焼きを食べた。低温で肉を長時間焼く事で、肉汁と旨味を閉じ込めるらしい。YouTubeにステーキ肉の焼き方がいろいろ掲載されているけど、そのなかに、そんなやり方の人がいて、この奈良の夜を想い出した。

4月、マゴの入園祝いにフレンチを食べた。イタリアンとかモダンスパニッシュとか、パスタがあるのかないのかぐらいでしか料理の区別ができない。舌にまったく自信がないし、料理の記憶が明晰に残らないのだ。写真に撮るけど、今まで振り返った事がほとんどない。なので、あらためてこの一年の食べた料理を振り返ってみることにした。

5月、連休中は緊急事態宣言下だったので、家でバーベキューをした。厚いステーキ肉の焼き方を長男から教わった。カプート社の小麦粉でピザ生地を作ってピザを焼いて食べた。アウトドアーで食べると、なぜか、どんなんでも美味しいと感じるのがエエ。

6月、自転車で金剛ローブウェイまで行った帰り、千早赤阪村の古民家を改修したパン屋さんで無添加のパンと珈琲をひとりで食べた。

7月、しまなみ海道に同級生と自転車を乗りに行って、穴子丼を食べた。小さい頃から鰻丼はよく食べたが、穴子って寿司でしか食べた事がなく、しまなみ海道に行くようになってから、穴子丼を食べるようになった。

8月、お盆に九州に温泉旅行に行くことになって、北九州で途中寄り道し、鰻で有名な田舎庵に行った。美味しかったが、鰻って高級料理になったものの、あんな短時間で食べてしまう高級料理って、なんか、ちょっと寂しい。ワタシ「うな牛」でも満足できるし。なので、ここぞの店では蒲焼きとか白焼きで食べたくなる。

9月、今年2回目のしまなみ海道は宿のLink輪空で知り合った友人と自転車に乗ったが、そのいつも泊まる宿、輪空の魚料理とたこ飯がシンプルで美味しい。満月の夜の海辺のビールも最高。因島のお好み焼き「インオコ」も好きだなぁ…..大阪のお好み焼きより上品で美味しい。が、大阪に帰ってくると、大阪のお好み焼きはお腹いっぱいになってやっぱり美味いな…..なんておもう。

10月、福井にウィリエールのキタムラくんと自転車乗りに行って、三国港でガサ海老丼を食べた。美味しい。でも次は別のん食べるかも。越前の山路というお店で「おろしそば+おろしとろろそば」を食べた。歯ごたえも味も良かったが、香りも良かった。

11月、自転車で大阪から明日香に着いて多武峰をヒルクライムする前に、若い女の子がいっぱい入っているお店にオジサンひとりで入ってローストビーフ丼を食べた。玉子を割った時のあのドロッと垂れる感じと味を今想いだしても涎がでそうになる。

12月、仕事の関係で大阪の本町でイタリアンをご馳走になった。数年間ミラノに勤務していた方のお気に入りのお店だそうだ。美味しい。そこでのミラノのピザとナポリのピザの話が面白かった。ミラノのピザは生地が薄い。ナポリは生地が少しふっくらしている。ナポリのピザを真似したアメリカ人が、あのパンみたいなピザを作ったのだぁ。という話。

と言うわけで、今年最後のブログは、この一年の食事に感謝して締めくくろうとおもう。Thanks!

木村工務店では、12月28日が大掃除で、12月29日から1月5日までお正月休暇を頂戴します。1月6日は初出で、1月7日から通常営業です。皆さま、良いお年をお迎え下さい。

コメンテーター・ファッシリテーター・審査員

「ものづくりセッション」があって、「空き家シンポジウム」があって、「M1選手権」があった週末。

土曜日。生野区のものづくり企業の若手が中心に集まって繰り広げる「ものづくり」を考えるセッションがあって、行政の武田さんが人を集め、私が場所を提供し、二人で司会進行をしながら進めるイベントで、プレゼンターの話題が興味深く面白いというのが最も大切であるものの、テレビを見ててもそうなんだけど、コメンテーターという人の役割が大切だったりし、参加者の共通の想いを代弁したり、新たな視点を提供したり、そういうコメンテーターの役目を、若いものづくりの経営者お二人が担ってくれることで、会場にエエ雰囲気がうまれたりして有り難い。

リサイクルでなく「アップサイクル」なんていうコトバを初めて知ったり、「デザイン経営」という経営手法をアップルなどを題材にして学んだり、The DECKというものづくりの人を受け入れるコワーキングスペースを作っている若い人から学んだり。なんとなく新しい「場」を作りたい若い方が多いのだなと気付いたりするのだった。

日曜日。生野区役所6階大会議室で、「空き家カフェ」の拡大版として、「生野空き家シンポジウム」があって、生野区役所と空き家活用プロジェクトメンバーの合同開催ということで、どんなスタイルで開催するかあれやこれや模索するなか、生野区長と「がもよん」の和田さんによる基調講演とトークセッションの2部構成になり、トークセッションは、若いプレゼンター4人のパワポによるビジュアルを交えた生野区に対する提案を基軸に、コメンテーター3人とファッシリテーター2人で意見を述べ合いながら参加者の方々に問いかけるスタイルで、NHK BSの『COOL JAPAN〜発掘!かっこいいニッポン〜』みたいな番組を真似たスタイルだともいえる。

ファッシリテーターの役目で参加するコトになったが、「ものづくりセッション」でもそうだが、多くの人とのコミュニケーションの場が、どんなスタイルで催せばお客さんが楽しめるのだろうか、会場の椅子の並び方もデザインし、そういう「コミュニケーションの場をランドスケープデザイン的に考えてみる」みたいな楽しみ方を知るようになって、そういうのがちょっとオモシロイ。

「M1選手権」を視聴するっていうのが、年末の行事のようになりだしたのは凄いなぁ。昨年のM1選手権後の漫才かどうか論争などをみていると、ワタシ、隠れジャズファンだったりし、まるで、かつてのフリージャズが…..とか、マイルスのエレトリック化が….とかいうジャズ論争を聞いているかのような気分になって、「評論家」とか「審査員」なんていう存在がある力を持つような状況になり、M1を評価する人を評価してしまう言動がおもわずワタシの口からポロリとこぼれ落ちてしまう瞬間もあって、そんなのがエエのかどうか。昨年は松本人志的感覚で、今年のワタシは上沼恵美子的感覚だった。真空ジェシカなんて初めて知ったし、肉うどんが印象的なフレーズとして残り、一番馬鹿に入れた!っていうコメントも印象的だった。50歳から進化する涙に涙した。

違和感のようなもの

日曜日の朝、起きると、喉が痛くハスキーボイスになっていた。前々日から薄らと喉に違和感があったが、秋から冬への季節の変わり目に起こるアレルギーなのか。平熱だったが、もう一度布団に潜り込んで体を休めることにした。目が覚めてテレビを付けるとワイドナショーの画面から、あの前澤さんが、ロケットからドッキングした宇宙ステーションへ浮遊しながら笑顔で入ってくるシーンだった。

今までは、へぇっ宇宙に行くんやぁ…ぐらいのどーでもエエような感覚だったが、ほんまに宇宙ステーションで浮いている笑顔を見て、ワタシも行ってみたいなぁっという、ちょっとリアリティのある感覚が生まれた。不思議だ。「ほんとに宇宙ステーションがありました」なんていうコメントがその気分を助長したのかもしれない。海外旅行と同じような感覚なのか。いや、エベレスト登山のような体を鍛えて命がけの挑戦的な感覚なのか。宇宙エレベーターも宇宙都市も少々リアルな感覚になってきた。

あのお金をばらまく感覚に微妙な違和感があり、ツイッターだったかフェースブックだったかギフトが当選しました。みたいなメッセージが来ても詐欺のような感じがし、応答もしなかったが、この宇宙に行った時にお金をばらまくらしい。「新築の上棟式のお餅撒き」みたいなもんやな。のコメントに、なるほど。確かにそうかも。私が木村工務店に就職してからは、新築住宅で上棟式の餅蒔きの経験は一度もない。かつては何度かあったらしい。それにしてもお餅撒きにも微妙な違和感がある。「給付金10万円のばら撒きより健全に見えるわ」なんていうコメントがあって、確かに税金の使い方てムツカシイ。あれは宇宙からの餅撒きなのか給付金なのか…..。こんなお金の使い方もあるのだ。それはそれで凄いなとおもってしまうワタシもいた。

TV話題ついでに。長崎県にある「軍艦島」が話題になっていた番組を途中から見る。廃墟建築を一度は見てみたいが、軍艦島に対するちょっとした違和感もある。当時最先端のコンクリート建築で屋上庭園があった。というのは聞いていたが、4つのお風呂があり、炭鉱から上がってきて服を着た状態から入って順番に脱いでいき、最後に綺麗なお風呂に入ったという。そういうお風呂を設計するのも面白そうだ。ま、それより、全ての建物に棟番号があってその第一号棟が神社だ。というのが妙に印象的だった。当時日本一の人工密度のなかで生と死が隣り合わせで暮らす特殊な場所だったんだ。誰もがまず炭鉱作業の無事を祈っていたのだ。とあらためて認識した。

もうひとつTV話題ついでに。名品の来歴という番組が「モディリアーニの横たわる裸婦」の絵画についてだった。孫が偶然私の横に座って、その番組を一緒に眺める。裸婦像なので子供にとってエエのかどうか。ちらっと表情をみて気を使いながらだったが最後まで見てしまった。パリから、とってもオモシロイ来歴を経て、いま、大阪にあるらしい。あの大阪に新しくできた「黒い箱」の新中之島美術館に展示されるという。この番組を見たことで、その絵も見たくなったが、その「ブラックボックス」の建築によって街がどんな印象になり人々がどんな印象を受け取るのかに興味ありだなぁ。一度その建物の横の道を車で駆け抜けたが、一瞬?!な違和感を持った。

 

ちょっとした違和感のようなものも大切だなぁ…とおもう。

地球温暖化とか税金とか

庭のサクラはすっかり落葉し、ヤマボウシは只今紅葉中。階段前のモミジはまだ緑。いつも紅葉と落葉は年末になる。会社前のエゴの木は11月中に落葉していたのにここ数年は12月中頃まで落葉しなくなって、イルミネーションを取り付ける時期を逃し続けている。会社の南の道路から東を向いて見える生駒山の紅葉もどんどんズレて遅れているようにおもう。そういえばここ数年クリスマス感がなくなりだした。それもこれも地球温暖化と関連しているのだろうか。

小学生高学年向けの租税教室というのがあって、生野納税協会の関わりで何度かその講師として担当するようになり、今週は卒業した地元の小学校だった。学び舎の教室に入るなんて何十年ぶりなんだろ。教えるにあたってはシナリオがあって、それに従うだけなんだけど。税金って知ってますか!とか。あった方が良いですかなくても良いですか!みたいな質問もあり。15分ほどの税金がある時ない時のアニメのビデオ上映をする。そのシナリオのなかで、教育関係の税金の使い道で、小学校を建てるのに平均15億円がかかるというクイズ形式があり、模造の1億円ジュラルミンケースを開け、その重さと高さを体感する。1千万円の札束がおよそ10cmあるって、ワタシも知らなかったし、映画の強盗犯人が1億円のジュラルミンケースを持ち逃げするシーンがあるけど、早く走れないほど1億円が重いってことを体感して驚く。ワタシが、この1億円の「ほんまもん」を実際に手にする機会って、この先、全く想像できないですわ。

教育費に小学生は1人あたり約88万5千円、中学生は約104万3千円、高校生は約98万8千円かかり小学校入学してから高校を卒業するまで12年間で1人あたり約1,140万3千円、税金でまかなわれているらしい。ワタシも心のなかで、ほぉーっと呟いているのだけど、そういえば「税金」って案外、今まで、学校で学ぶ機会がなかったよね。ここ数日、あの大学の学校関係者が、家の中や学校のなかに1億円以上隠していた。というニュースに接すると、あの時右手に持ったジュラルミンケースの重さを筋肉が記憶していて、ぴくぴくっと筋肉が反応するのだった。税としての1億円の重み。

そうそう本日は住宅相談会があった日曜日で、まだベビーカーに乗るお子さんを抱えた若いご夫妻が中古住宅を探してリフォームをするご相談にお見えになった。設計担当のカワモトくんと一緒に、ある特定地域で検索したSUUMOの中古住宅情報を大きなテレビ画面に映し出しながら、グーグル上で丹念にその場所を探し当てストリートビューで表示させると、ちょっとした現地訪問で、付属の簡単な図面と簡単な内部写真をもとに現況を想像し、こんなリフォームの可能性があることを伝え、そんな一連の作業を一緒に共有するのが楽しかったりする。

どんな小学校の地域であるのかが重要なファクターであるとともに、水害ハザードマップを気にされる方も増えてきたし、家に駐車スペースを必要としない車を持たない都会でのライフスタイルを好む若い世代も増えてきた。水害ハザードマップは地球温暖化による影響と関連しているのだろうし、良い小学校区の雰囲気の良い住みたい街をつくるのは誰なのか問題。高齢者にとっての車と若い世代にとっての車をどう考えるかはこれからの都市交通とライフスタイルをどうするか問題でもあるし。それらの問題の背後には、税金の取り方と使い方があるようにも感じ。なんてコトをつらつら考えてみた今週だった。

ちょっと送り火的気分。

冬が急速に迫っていると実感する晩秋。秋晴れなのにちょっと寒さを感じる朝だったので、布団の中に潜り込んでぐっすり寝てしまい、アウトドアーに出るタイミングを逃した。なので朝風呂朝サウナ朝コメダで過ごす。水風呂で体の周りに膜がはるような感覚を楽しむために高温のサウナに入っているようなものだが、塩サウナも好きで肌がスベスベになるのが嬉しい。サウナより低温でじわっと体温があがり肌の上に載っかっている塩が汗と共にじわっと滑り落ちていく感覚が好きだ。それに炭酸泉で体が気泡に包まれる感覚も好きだなぁ。

コメダでたっぷり珈琲と味噌カツサンドを好んで食べる。おっさん好みの喫茶店かとおもっていたら、最近お若いひとも多い。今日は、私たち夫婦の席の四方は若い人達ばかりで、ほとんど全員がipadかパソコンを持って寛いでいる姿がいかにも今風で印象的だった。そのうちのひとりの男子はipadにワイヤレスイヤホンでZOOM会議をしていた。自己紹介のところで、やたらに声が大きく、周りも聞き耳をたてるほどだったが、そのうち落ち着いたトーンになった。新聞を読む高齢者。雑誌を読むおばさん。あらゆる年代層を許容するところってエエよね。

今週、久しぶりに施工した「コトバノイエ」にお邪魔する。木村家本舗や「まちのえんがわ」ワークショップに参加してくれていた女性の訃報があって、その偲ぶ会のようなコトが身内で催されていた。本があるところ。本があるホーム。って少なくなってきたのでコトバノイエは稀少だとおもうし、オープンハウスでなくオープンホームっていうスタイルがカッコエエのだとおもう。そこに定期的に人が集まるのはカトウさん夫妻の持つカルチャーと人徳の由縁なのだろう。コトバノイエを設計した建築家のヤベさんやハヤシさんそれに建築家不動産のクヤマさんともお会いし、あれこれ近況を語り合う。家を出るタイミングを逃し夜な夜な車で訪問したので、帰りはへべれけに酔っ払っているヤベさんを送り、東京でNuiという有名なホステルを共同経営するオーナー女性を送る。そんな車の道中で一緒に交わす何気ない会話が心地良かったりする。

そういえば、知り合いの訃報が相次ぐここ二週間だった。そのお三方とも心筋梗塞のようなかたちであっという間に亡くなったらしい。そのうちのお二人は、建築家のハヤシさん設計で木村工務店で施工したノモトさんが、葬儀屋さんとして、適切な対応と葬儀を執り行ったときいた。こんな訃報な週に遭遇すると、ワタシとして、どんな「死」を迎えるかを考えてしまうが、そのためには「いま目覚めていまをリラックスしながら一生懸命生きる」なんていうどこかで聞いたことのある当たり前のコトバしか浮かばず具体的な行動など全く浮かんでこない週末だった。


そうそう生野区の「みんなの文化祭」が、廃校になった鶴橋中学校で開催されていた日曜日で、多くの知り合いが関わっているので、ちらっと激励に訪れる。高校や大学の文化祭的なノリの素朴なマルシェで、もう少しスタイリッシュなほうがワタシ好みだが、飲み食い買いもの以上に教室で催されている多種多様なワークショップに魅力を感じるイベントだった。生野区のこの地域は鶴橋中学校と御幸森小学校が廃校になり、大阪市内の限界集落的廃村的町内会なのだが、寂れているのかというと「コーリアンタウン」が全国から訪れる人がいて、不思議な活気に満ちあふれていたりする。

ただ、生野区は職住一体的零細企業的町で、次世代の仕事を担う若い子育て世代が住みたくなる住居のある街。になるように目を向けなかったコトで、小中学校が廃校になるイマの現状になってしまった。という分析を「空き家カフェ」の活動を通じて知って、確かにある大手ハウスメーカーの周辺分析には、1Kや2DKの賃貸住宅が多く、子育て世代が住む2LDK以上の賃貸が極端に少ない。という分析があるのにハウスメーカーには2LDKの商品がなく1DKを誘導するという矛盾で。若い子育て世代が住みたくなる街を目指すコトが、限界集落を乗り越える当たり前の共通概念かもしれない。と廃校でおこなわれていた「みんなの文化祭」を眺めながらおもった。

夜。アウトドアー薪ストーブの炎を眺めながら食事をしたが、今思えば、送り火的な気分もあったのだろうか。

化学変化

いまいち寒くならない穏やかな秋晴れの日曜日。「まちのえんがわ」珈琲ワークショップがあった日曜日なのだが、唐突に、堺市立堺高校建築インテリア創造科の生徒さんが、先生と一緒に木村工務店の見学にお越しになった日曜日でもある。

先週、堺高校の女性の先生2名と男子生徒1名が「まちのえんがわ」と「木村工務店」への突然の訪問があって、その日の朝、運動がてら自転車に乗って、早々に「まちのえんがわ」に帰り着いたワタシが、そのお三人と偶然遭遇し、ピチピチのレーパンとピチピチのジャージにヘルメットにサングラス姿で自転車にまたがったままのワタシと立ち話をすることになり、なんとなく気恥ずかしい気分を内面に宿しながらあれやこれやと話しているうちに、今日日曜日のワークショップ前の午前中に生徒さんを引率して工務店見学にお越しになることになった。

お話しを聞くと「生野区ものづくり百景」と「御幸森小学校廃校跡地利用計画」などで、生野区に関わりができ、「まちのえんがわ」活動を通じてご縁を持つ事になった大阪市立デザイン教育研究所、通称デ研の卒業生で、リゲッタに就職したアカマツくんとその先生がオトモダチで、彼のご紹介で木村工務店を知って訪問されたという。「縁」と「繋がり」は摩訶不思議だといつもおもう。ワタシ、堺高校建築インテリア創造科の存在を知ったのはその自転車にまたがっている時が初めてで、高校生の時から建築に興味を抱いてそれを専攻する生徒さんに少々の興味を抱くことになった。

ワタシなぞ、工務店の長男として生まれ、初代創業者の祖父に可愛がられ、家の前の工務店に出入りする大工さんをはじめとするさまざな建築の職人さんと日常的に接し、当時協力会社の材木屋さんの社長さんなどからは木村工務店にお越しになるたびにお小遣いのようなポチ袋を頂戴してしまった身としては、高校生になってから大学生の後半に至るまで、この工務店の長男に生まれたという現実と、その環境下でそれなりに育てられたコトを、ポジティブに受け入れることができるようになるために、かなりの回り道とちょっと馬鹿みたいな犠牲を払ってしまった。ま、それは今にしておもえば数年間、ある種のウィルスに侵され、その後遺症が何年も続くようなものなんだろう…..。

それはそれとして、先生と生徒さんには、珈琲ワークショップのために用意した加工場の席に座ってもらいながら、そうそう秋山設計道場が木村工務店で開催された時に製作した「木村工務店とまちのえんがわと木村家」のパワポを流用して生徒さんに「工務店という存在」を説明し、会社を案内し、木村家を案内して、生徒の皆さんに感想を語ってもらい、工務店を体験するという会社訪問を終えた。大工になりたい男子生徒。設計を志したい女子生徒。現場監督になりたい女子生徒。将来を決めかねる男子女子生徒。それぞれが建築というものづくりを妄想しながら将来に向かって模索している素直な姿が初々しくて良かったが、何よりもリアルな建築を見学をする体験を通じて内面から発せられるそれぞれのリアルな心情にパッションがあって、その言葉を通じてある種のエネルギーを頂いたようなワタシが生徒さんに感謝したいような気分だった。

その説明時にワタシの口から何気なく出たコトバのひとつに、工務店の「工」という漢字にこめられた工事現場でのものづくりの職人的な意味あい。「務」といいう漢字にこめられた、設計業務や見積業務や事務業務など事務所作業的な意味合い。「店」という漢字にこめられた、建築を造るお客さんとして施主に対してのおもてなしを含めたサービス業的な意味合い。そんなのが工務店でもあるのだと、うちの社員と共有しようとしていたここ数日のコトバが生徒さんの前で発露したようなものだった。

午後の珈琲ワークショップを開催した喫茶ルプラのニシミネさんは、リフォーム工事をさせて頂いたお施主さんでもあるが、工事以前からワークショップを一緒に開催し、コロナ禍の間にアウトドアー珈琲焙煎機を製作するワークショップを開催しようと準備していたが、お互いに納得がいくような製品にならず、「ものづくりセッション」のメンバーとによるコラボレーションでの完成に託すコトになった。同じ豆で同じ挽き具合で同じ道具を使って珈琲を入れても、それぞれの個性と入れ方によって味が全く違う体験が面白く、以前より洗練されたワークショップのスタイルになって、参加者の皆さんと和気藹々と珈琲の味比べを楽しめた時間が心地良かった。

コロナ禍が落ち着き、ネット上の繋がりと違う、人と人のリアルな接触があると、お互いの身体に、ある種の化学変化のようなものが起こるような気がした、日曜日だった。

ランドスケープ

庭の桜の木が落ち葉を撒き散らし始め、これから掃除がタイヘンになる我が家の紅葉シーズン。ウエザーニュースの紅葉情報を見ると京都とか奈良とか来週辺りから見頃になるらしい。こんな情報がフツウに手に入るなんて便利な世の中になったが、お客さんが集中してなお一層混むのかね。

紅葉前の秋晴れを楽しむために奈良へ。

↑ 藤原京のコスモスが満開で、多くの人が写真撮影をしていた。インスタ的撮影風景もあちらこちらで。モデルの女性を撮影している光景があって「いいよぉ!いいよぉ!」って発するカメラマンの声が、日曜日の家族連れがいっぱいのコスモス畑の中で、妙に浮いていたなぁ…


↑ 法隆寺を通過する時は、さまざまな土壁のテクスチャーを眺めることが多い。法隆寺東大門も何気に何度も見ていたが、その日は、朝日に照らされた肘木(ひじき)の小口がシュッと伸びている姿がカッコエエなぁ…と眺めた。何千年前の当時の造作した大工の「どぉやぁ!カッコエエやろ!」と言う控えめな声が聞こえて来そうだった。国宝で三棟造と呼ばれていると習った気もするがあらためて知った。

↑ 安堵町の集落の間をよく通り抜ける。古民家のこんな窓を見て、家の中から見たらどんな感じの部屋なのかを想像してみた。棟梁と施主が一緒になってデザインを考えたのだろうか…。

↑ その集落の中の農道のような道の隠れた所にこんなカフェがあった。まだ営業時間前だったので、道から写真を撮る。道路と駐車場と緑とアプローチと家と庭のこういう関係性も案外好きだ。個人住宅でこんな風にならないのは、緑に予算がかけられない緑を育てるのがタイヘン。だからかね…。

↑ 自転車に乗るようになってからこの場所から何度も石舞台を眺めるようになった。今までは、古墳に興味はあまりないが巨大な石組には興味が湧くって感覚だったが、この場所を知ってからは、ここから眺める道と緑のマウンドと木々と集落と山とが織りなすランドスケープが独特の気持ち良さを感じさせる。なんでなんだろう…

↑ そういえば、定点観測的に竜田古道のこの場所からもよく景色を眺める。葡萄の収穫も終わりビニールシートが取り払われ葡萄の葉っぱが紅葉していた。ここからのランドスケープも心地良い。霞たつ大和の朝の光景に出会えた時は、悠久の時の流れを感じる。近くの三郷でモーニングをやっていたカフェが日曜日の営業をやめてから、コンビニでおにぎり買ってコーヒーを150mlの保温ボトルに入れて、この場所でモーニングすることもある。

↑ そうそう、葡萄畑の後ろの小高い山に登るとこんな不思議な場所がある。一部には縄が張ってあり、ご神域につき立ち入りをご遠慮くださいと書いてあって、独特のランドスケープで確かになんとなく神々しい気配があるのだ。

「ランドスケープ」ってコトバを使って景色を眺めてみると、ちょっと見え方違って面白いよね。

「ものづくりセッション」

「ものづくりセッション」を催した土曜日。生野区のものづくり企業の若手世代が中心で、デザイナーの方々や大阪市立デザイン研究所の面々も主なメンバー。行政のタケダさんが、個人的趣味として呼びかけて催す「セッション」で、ものづくりの立ち位置のそれぞれが、「まぁ俺の話を聞いてくれ」と、自分の想いをパワポでシェアーすることがキッカケになって、それにレスポンスし、それぞれが、あーだこーだと共感したり違和感を表現したりする「セッション」のような会合なのだ。

場所の提供とファシリテーターの役目を私が少々担うものの、ちょっとユニークな行政マンのタケダさんが扇の要になって、その人間力によって人が集まっている。それに同じ住吉高校の同窓生で、楽しく歩く人をふやす!というキャッチフレーズのリゲッタのタカモトくんと同じ同窓生のアパレル業界では陰で有名なジパングのマエヅカくんが、コメンテーターとして協力してくれるお陰でもある。

今回のプレゼンテーターのひとり、キムチの高麗食品のファンさんのプレゼンに、今後の目標というのがあって、①会社を永続させていくためにブランドを確立させたい。②従業員が安心して働ける会社にしたい。③子供が継ぎたくなるような会社にしたい。という。同じ中小企業の経営者で、まだ40歳台なのに、すごく素直で、まっとうな見解だな…って感心した。若い世代の参加者との交流を通じて、初心にかえってあらためて勉強させてもらっている。みたいな感覚だな…。

久しぶりの開催だったこともあるが、3時間近く誰も帰ることなく、ダレることもなく、終わってからも1時間近く立ち話と交流が続いたのが、嬉しい出来事でもあった。そうそう、その後、コロナ禍から久しぶりにオープンした生野区のバーソケットへ行くと、施主でもあるハセバさんが偶然カウンターに座っていて驚いた。一緒に飲んで音楽を聴く。再オープン1ヶ月ほど前に、スピーカーの置き場所とセッティングのサポートにお伺いしたが、ミュージックバーとしてリニューアルオープンしてからは初めて。「音」を楽しめる居場所があるのは有り難い。気がついたら次の日になっていた。

「ものづくり」にとっても近い位置で建築を完成させるのが工務店であって、その苦しみや喜びを内包しつつ、お客さまに喜んでもらえる建築を完成させ、持続可能な会社としてブランド力もあり、社員の喜ぶ姿があり、後継者になりたいとおもわせるような会社でもある。なんて、現実はコトバほど簡単ではないよね…。「ものづくり」にとっても近い位置で存続していこうと努力している会社の集まりが「ものづくりセッション」に参加している人たちなんだろう…。

ものづくりの集落

朝から雨がパラパラ降る衆議院議員総選挙の日曜日。たまたま次男24歳が東京から大阪に帰省していたので一緒に選挙に行く。初めての投票だという。地元の小学校に訪れたのも久しぶりらしい。Z世代といわれているこういう若い世代のほとんどが投票すると政治はどのように変化していくのだろうか。とにかく一度皆で試してみようよ!とおもった。

先日、ある縁で福井で自転車に乗ることになった。昨年も、武生で、この建築の裏の道を通過し峠をヒルクライムした時、この建物の後ろ姿を眺めながらなんとなく気になっていた。家に帰ってガーミンで記録された地図を眺めながら、それが「ナイフヴィレッジ」だと知って調べてみると、左の円形の建築は毛綱毅曠(もづなきこう)という建築家だと知った。

ワタシ、20代後半の頃、家族と友人達と北海道のキャンプ旅を数度した時、屈斜路湖畔の弟子屈アイヌ民族資料館の前の芝生広場で2泊ほどキャンプし、湖畔のコタン温泉露天風呂に何度も入浴した楽しい想い出があって、そのテントの目の前でずっと眺めていたアイヌ民族資料館の建築家が毛綱毅曠だった。そんな懐かしさが動機付けのようになって、今年は、朝から、まず、この建物を見てから自転車に乗ろうよっということになった。勿論ナイフにも興味があるあるだった。

右の建物が商品展示と販売になっていて、左の建物が資料館でその奥に工場があって、ほんとうに職人さんが刃物を製作していた。土曜日の朝一番だったが、刃物を打つ音と研ぐ音が工場内に響き心地良いものづくりの波動を発散させていた。ちょっと見学して帰るつもりだったのに1時間以上滞在し、この工場で製作されるナイフの魅力と誘惑に負けて、私はステーキナイフを。同行のキタムラくんは折りたたみのカッコエエナイフを買うことになってしまった。

 

武生のこのナイフビレッジがある刃物の里の近くには、漆の里があり、和紙の里があり、眼鏡の里があって、田畑を隔て、それぞれが集落として点在していた。不思議で魅力的な里山だとおもう。眼鏡ミュージアムには立ち寄れなかったが、もともと農閑期の仕事として大阪から眼鏡フレームの技術を学んだ。と書かれてあって、生野区のうちの会社の裏にあるメガネの3Dの型を製作する山岡製作所のお爺さんがその技術を伝えたひとりだと聞かされていた。ちょっと驚いたのは、その眼鏡フレームの技術を取り入れようとした眼鏡の元祖の人の集落が、生野町というらしい。これは偶然なのか?!

 

地元の白崎サイクルのシラサキさんの予約で「山路」という越前そば屋さんで蕎麦を食べる。今まで食べた蕎麦で一番美味しいのではないかとおもわせる香りと味だった。それを穀物の香りというのだろうか。粘っこい腰があるのに歯応え良く切れる蕎麦という感覚だった。店主は和紙職人で、土曜日と日曜日だけ限定売り切れ御免で蕎麦を打っているという。食事中にマスクを入れるその職人さん手作りの和紙袋が付属していたのがカッコよかった。和紙職人と蕎麦職人という二刀流も今風だな。

漆の里からちょっとしたヒルクライムで峠を越えて一乗谷へ行く。朝倉氏の一乗谷遺跡に憧れを持ったのはNHK BSの「その時歴史は動いた」を視聴したからだろう。集住の場所を、どんな周辺環境下で、どんな規模で、どんなデザインの街並みとして造ったのかを体感してみたかった。原寸大復元模型の町並みを歩きながら、ものづくりの集落との関係性をボランティアの案内の方に聞くと、この一乗谷はたかだか500年前に造られた町で、ものづくりの里は1000年以上前から存在してますよ。ということだった。最盛期は1万人ぐらいだったらしいが、なんとなくコミューン的集落のようなムードが漂っていた。

都道府県幸福度ランキングでは福井県が一位で「教育」と「仕事」が一位を守り続けているらしい。自転車で集落を走っていても建物が豊かな感じがする。両親との同居世帯も多いらしい。都市だけに目を向ける時代じゃないよね。なんていう気分になった自転車旅だった。

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