「チャレンジ」

住宅相談会があった日曜日。赤ちゃんと3歳のお子さん二人連れで来社された若いご夫婦は、大阪市内のある特定の密集市街地で、中古住宅を購入しリフォームをしたいというご希望だった。ライフスタイルとして車は所有するつもりがないので駐車場は必要なく、2階建ての長屋でよいのだと仰る。再建築不可の一戸建て物件にも興味を持たれて、土地を含めた中古住宅の購入価格帯を1000万円以下に絞り快適なリフォームをする予算感覚だった。

現代的なチャレンジだなぁ…..とおもう。都会での土地を購入してからの新築費はますます高騰する世の中になって、子育て世代がファミリーで住める2LDK以上の賃貸住宅の月額もそこそこの金額で物件数もかなり少ない。密集市街地の「空き家」になっている中古住宅を購入しリフォームして、都会で自分たちなりのライフスタイルを楽しみたい世代の、切り捨てるライフスタイルのひとつが車を所有するというコトで、そんな若い世代でないと、お気に入りの密集市街地の「空き家」は再活用されないだろうな。とあらためて考えさせられた。乳母車を押しながら子供の手を引いて、「オンデマンドバス」を行きと帰りに予約して弊社の相談会に参加されたスタイルからしても、「カッコエエ」とおもう。

堀江謙一さんがヨットで太平洋横断を最高齢で達成されたホームページをしげしげと眺める。「カッコエエ」な。若い時は最年少で太平洋を西宮からサンフランシスコにヨットで行き、最高齢でサンフランシスコから西宮に戻る。ホームページには日々のリアルタイムのヨットの位置が更新され、リアルタイムの航海日記にリアリティとハートがあってついつい読んでしまう。「精神と肉体は完全燃焼しましたが、青春まっただ中でこれからも頑張ります」と先ほどテレビで視聴したインタビューで答えておられた。建築家の安藤さんや秋山さんも同じような80歳前後の世代で「チャレンジ」し続ける姿を皆とシエアーする様子に刺激を受ける。

そうそう、堀江さんが日記のなかでアマチュア無線による交信が楽しみのひとつであると仰っていた。ワタシも中学2年生の時に免許を取得して高校生2年生頃まで楽しんで、長期の中断があり、30歳前後に2年ほど復活したが、いまはまったく休止している。堀江さんの航海中に交信できたら楽しかったかも。

↓ 今は残骸のように残るキットで組み立てたミズホのアマチュア無線機

SNSの世の中になって不特定多数の方々と繋がりを持つのにアマチュア無線は前時代的だが、インターネットが繋がらない洋上と繋がる面白さがあり、文字でなく声「voice」で繋がるのが面白いのだとおもう。それに大気の磁気現象などに交信の影響を受けたりするのが面白かったりして、中高生の頃に楽しんだ50MHz帯では、普段は関西圏ぐらいしか通信できないのに、5月から8月頃の夕刻になると時折Eスポ(スポラディックE層)という現象が派生し、突然、北海道と交信できるようになる時間帯が数時間続き、その現象が面白くて、学校から早々に帰り、北海道と繋がる楽しみを追いかけた時期があった。きまぐれな「未知との交信」という感覚が楽しかったのだとおもう。

↑ そういえば、先週。施工した「コトバノイエ」で、施主の加藤さんが主催する、ポエトリーリーディングのイベント「the night of voice 05」が催され、夫婦で参加する。飲食のあと、8人の朗読者による「voice」を聴く。それぞれが題材にした朗読による「voice」に、それぞれの経験や生き様が聞こえてくるような感覚が面白いし、夕刻になって、それぞれの「voice」によって「静けさ」を体感する感覚は、芭蕉の俳句のような世界でもあり、「無」から生ずる「voice」のようでもあって、老子的や禅的な感覚も楽しんだ。コミュニティー的な雰囲気を含めてカトウさんのチャレンジングな「the night 」だった。

明日香の古墳と二上山

5月なのに夏日の日曜日。こんなタイミングで自転車に乗ってしまったことに昼前頃から後悔の念が浮かんできて、昼過ぎてからは暑さでアップアップする。サイクルコンピューターのガーミンの記録を後で確認すると、最高温度は42℃になっていた。どおりで、しんどいはずだ。

帰り道の竹之内街道沿いで脱水症状ぽくなって水分補給をしようと自販機を探す。なんとなくこの自販機ではなくと通り過ごす。また次もスルーする。4つほどの自販機をスルーして、さしたる意図もなくその自販機の前に自転車を止め、サドルに股がったままジュースを買う。何気に前方をみると5mぐらい先にお地蔵さんとポケットパークの木陰があって、買ったジュースをそこでほんとにガブガブ飲んで暫し休憩した。喉も潤い涼しくて助かった感がし、隣のお地蔵さんの案内版をみると、役行者が旅人のために水場を探り当て、街道を往き来する旅人はここでしばし道中の安全を祈り喉を潤した。と書かれてあった。役行者に助けられた気分になった。

明日香には一年に2回ほど自転車で訪問する。何回訪れてもあの周辺のランドスケープと空気感は独特で好きだな。今回は「牽牛子塚古墳」(けんごしづかこふん)と読むらしいが、その完成したばかりの古墳を見たかった。八角形で凝灰岩(昔は二上山産)の切石だという。遠くから見ても「白い」。漆喰の白でもなく、ペンキの白でもなく、いまの時代でもモダンに感じるつや消しの白だ。宇宙船のようだ。当時のひとも、古くさく感じるようになってきた土で覆われた前方後円墳でなく、その当時のモダンな建造物を作って人々を魅了させたかったのだろう。と考えることにした。

↑石舞台と二上山

明日香の古墳で気になることは二上山との関係で、大阪側からみる朝日が登る二上山の雰囲気と奈良側から見る夕日が沈む二上山の雰囲気はまったく違う。古墳と二上山に沈む夕日はとっても良い取り合わせにおもえて、今回訪れたキトラ古墳もこの牽牛子塚古墳も裏山の木々がなかったら二上山が見えて、二上山からの夕日が、この凝灰岩のつや消しの白に吸い込まれ、独特のオレンジ色を発色をする八角形の建造物の姿を想像してみた。

想像力も朦朧とする暑い日曜日だったな…

「交換」するというコト

天気も良い。気候も良い。5月らしい穏やかな日曜日。「まちのえんがわ」でクローズドな植物交換会というstaffのアオキさんが主催するイベントを催す。知り合いばかりが数人、植物を持って集まって、クリスマスのプレゼント交換のように植物を交換し、飲んだり食べたりしながら穏やかな日曜日をまったりと過ごす。

コロナ禍で、集まるっていうことに違和感があって、自邸で過ごすのがあたりまえな感じだったが、ここ最近、昼間にバーベキュー施設で過ごすっていうスタイルが、若い人のライフスタイルのひとつになってきて、ワタシも長男家族に誘われて、堺の「まとい」というモダンなバーベキュー施設でバーベキューを楽しんだ。太陽があるアウトドアーな空気のなかで、食事とお酒をま昼間っから堂々と楽しめる雰囲気が楽しいのだとあらためて思う。

そんな昼間から飲んだり食べたりするバーベキュー的な遊びに、それぞれが持参した植物を交換することによって、見ず知らずの家庭に私の植物が旅をし、その家庭で育てられることで、新たなコミュニケーションと繋がりが生まれるという、バーベキュー的昼間の飲食とクリスマスプレゼント交換会的植物交換会が合体した「まちのえんがわイベント」として、もっと多様な方々と楽しんでみようかなと思う。

土曜日。クローズドな「ものづくりセッション」を催す。メインの主催者は行政マンのタケダさんで、ワタシはそれをしっかりとサポートする立ち位置。この日は、生野区でサンダルのイノベーションを推し進めている「リゲッタ」のタカモト社長がプレゼンターになり、このコロナ禍の影響による2年間の今のリゲッタをプレゼンして頂いた。コロナ禍による経営的なネカティブな状況を「つぶやく」ように吐露することによって、それがポジティブな方向に転換されて欲しいという願いのような気持ちは、同じ経営者としてのワタシにもあって、タカモトくんの敢えてネガティブなことをプレゼンする姿に経営者的な共感をした。

↑主催者のタケダさんから写真をお借りしたのだが、大阪商工会議所のハヤシさんから「デザイン経営」のプレゼンがあった。コロナ前に個人的にハヤシさんからこのプレゼンをしてもらい、デザイン経営というのは「企業のブランド価値を高めるために、お客さまから共感を得る、新しい価値を創造することで、一貫性があり共感できるデザインであることが大切だ」と教わる。それを参加の皆さんと共有出来る機会が、ようやく2年越しにやってきたが、「デザイン経営」というある問題定義を一緒にあーだこーだと考え、自分の思いや感覚を「交換」する時間を共有することによって、コミュニティーが育まれていくのかもしれない…..とおもえた土曜日だった。

そうそう日曜日の夜になるとNHK大河ドラマの「鎌倉殿の13人」を視聴するようになった。平安時代から鎌倉時代に移り変わる出来事は歴史で習ったが、源頼朝のことや義経や政子や北条氏や平泉氏のメンタリティ的なコトって、まったく理解していなかったなぁ…..とあらためておもう。読後感のように視聴後感のような言い方があるとするなら、いままでの歴史ものとはちょっと違う視聴後感がやってくる。この感覚って何だろうかなぁ…..とおもう。

こんな「交換」を考えてみる週末だった。

「凧揚げ」

淀川河川敷で凧揚げをする。「まちのえんがわ」木工ワークショップの講師ヤグラさんのお誘いで、淀川河川公園西中島地区で凧揚げとストリートオルガンをやっているので時間があれば…..というお誘いだった。マゴ二人とそのお母さんと奥方と私の5人で出向く。

河川敷の無料駐車場に10時30分に到着すると満車になる一歩手間だった。大規模なバーベキュー広場があってそこを目当てに多くの若い人達がやってくるらしい。コロナ禍による新しいライフスタイルがバーベキューなのだろう。ほんとうにこんなに人が来るのだろうかと疑っていたら、お昼には満杯になって周辺には風にそよいで焼肉の匂いがたちこめていた。そのバーベキュー広場を横切ってテント広場で凧揚げとストリートオルガンを催していた。

ヤグラさんと他二人のストリートオルガン製作者が演奏し、どれも手造りのストリートオルガンで、独特の音色と和音を奏で、とにかく良く出来ているので感心するばかりだった。道ゆく数人が興味深く立ち寄り滑車をぐるぐるまわして演奏を楽しんで、毎回ささやかな拍手につつまれ、ノスタルジックで穏やかな公園風景を醸し出していた。その演奏している背後のシロツメ草が生えている広場で凧揚げをしている「日本の凧の会」の狭川さんを紹介してもらう。なんでも大阪で唯一の手造りこんにゃくを作る83歳になる職人さんだそうだ。

和凧の背面を見せてもらうと、あまりにも骨の作り方が良く出来ている凧なのでいろいろ質問すると丁寧に教えてくれた。手漉きの和紙でてきていて強度があるという。骨になっている竹をみると細くてしなやかそうなので、聞くと、エジソンが使ったのと同じ「真竹」だという。いろいろな竹があるが、真竹がもっともしなやかで強いのだという。凧糸をみるとフツウの凧糸より細くて軽くて強い上質な凧糸だった。全ての部材を軽量化して製作しているという。

今日は生憎、風が吹かない淀川河川敷だったが、時折吹く弱い風を捉えて、快く笑顔でマゴ達に凧糸を持たせてくれる。弱い風でも揚がる和凧なのだそうだ。マゴ達が飽きると、ワタシも30分間ほど凧を揚げる。久しぶりだ。しなやかな竹のお陰で、右人差し指に絡む凧糸を通じて、凧に伝わる風の力が心地良く感じる。微妙に変化する風の力を凧糸を通じて指に感じる、その風の感覚が楽しいし好きだなぁ。

木村工務店の3階建社屋に屋上があり、お正月に、その屋上から何度か凧揚げをした。ゲリラカイトといわれる西洋凧が多かったが時には奴凧といわれる和凧も新聞紙で足を付けて揚げた。親父もお袋も兄弟3人一緒になって楽しんだ記憶が残る。長男が生まれて小学生頃までお正月の楽しみのひとつだった。大阪湾からの安定した西風が吹いて、東の生駒山に向かって凧が天高く揚がるが、時には凧糸が切れて、どこかに飛んでいってしまい、自転車で追いかけて電線にひっかかった凧を何度か回収した。今から振り返れば大胆なことだったが、まだ大らかな時代だったのだろう。もはやそんなリスクのある遊び方ができる時代ではない。そういえば、凧揚げはお正月でなく4月5月6月が良いのだと狭川さんが仰っていた。

それにしても淀川河川敷から梅田方面のビル群を眺める風景もエエなぁとおもう。この光景のなかに梅田スカイビルの存在は際立っていて、もしこの建築がなかったら、もっと味気ない光景だったのかもしれないとおもう。シロツメ草の上でお昼ご飯を食べて、ゴロッと仰向けに寝っ転がりながら「風の力」と「建築の力」というのを考えてみた。

「斜張橋」

2022年のGW後半も終わり木村工務店では5月6日金曜日から通常営業です。

5月4日5日と小学校からの同級生4人でしまなみ海道を自転車で走る。生口島にある輪空という宿に泊まって、輪空の親父さんも交えて、一緒に自転車に乗って島々を巡るのが、数年の恒例になっていたが、コロナ禍で休止せざるおえなかった。今年は久しぶりに世間の雰囲気が旅気分な連休になって、晴天と穏やかな気候に恵まれ、人出も多く、世の中全体が「ゴールデンウィーク」という皆で一緒に休日を楽しむむムードが漂い、ちょっとウキウキした気持ちになった。ただ人出が多すぎて渋滞に巻き込まれ、3時間のところが5時間かかったのはツラかったが、簡易な自動運転の進化のおかげで渋滞の疲労感は半分に減った。

ゆめしま海道を走り、この3月に開通した岩城橋を自転車で渡る。斜張橋だが、ちょっと今までの斜張橋よりシンプルな構造美を感じフワッとしてカッコエエのだ。建築出身なので、土木のことはまったく理解していなかったが、「混合斜張橋」というらしい。なにが混合かというと、橋桁がコンクリート桁と鋼桁が組み合わさっているという。その鋼桁の下部にテーパーが取ってあり細く見え曲線的な勾配もあってコンクリート桁より鋼桁の方が長いのでフワッとした印象を与える。斜材のケーブルの取り付け方がコンクリート部分と鋼材部分ではデザインが違って、鋼桁部分の取り付け方はいかにも鉄っぽいメカニカルな取り付け方でゴツゴツ感があるが、それはそれでエエ感じ。

↓ コンクリート部分を下から見上げると橋桁部分も塔部分も美しい。

ゆめしま海道の島々をつなぐ生名島から佐島に渡る生名橋も佐島から弓削島に渡る弓削橋も斜張橋だ。小ぶりの斜張橋を3連続で渡る。生名橋は日本で最初の混合斜張橋らしいが、岩城橋に比べ鋼桁部分が短いのでフワッというよりガッシリした印象。弓削橋は鋼桁の斜張橋らしい。斜材のケーブルの取り付け部分が民家やお寺の垂木や母屋の小口が露出するデザインに似た納まりで、リズム感がある。そういえば生口島と大三島を結ぶ多々羅大橋も複合斜張橋らしいが、PC桁と鋼桁の取り合いは塔部で分かれているので判別しづらく、一体感があり堂々とした風格があって立派な複合斜張橋だなとあらためておもう。

↓生名橋(PC桁も鋼桁もケーブルの取り付け方が母屋の小口っぽいデザイン岩城橋に比べ鋼桁部分が短い)

↓弓削大橋(遠景で鋼桁橋のケーブルの母屋の小口っぽい取り付け部分はみえない)

↓多々羅大橋(橋のケーブルの取り付け部分は見えないデザインで岩城橋のようなゴツゴツ感がなくシュッとしながらも堂々としている)

なんて、斜張橋のコトをつらつら考えてみたのは、今回、岩城橋を自転車で渡った時にいままでにない印象を感じて、家に帰ってから写真を眺めググっているうちに知ったことで、これからは、さまざまな橋を渡りながら、もっと構造的なデザインに意識的になれたらとおもう。ちなみに、今回自転車で渡った来島大橋は吊り橋で、斜張橋と吊り橋の違いにこんなイラストがあった。

↓ 来島海峡(吊り橋)

「昭和」

ぐずついた天候だったゴールデンウィーク前半。4月29日の祭日は朝から雨だったが、何という名の祭日になったのか、すっかり忘れてしまい、かつての天皇誕生日だったことは想い出せるのだが…..あっそうそう、そういえば、「昭和の日」とよばれているのだと、このブログを書きながら再認識した。

「昭和レトロブーム」とか「昭和歌謡ブーム」というのが若い人の間であるらしい。あらためて「昭和」というコトバに接すると、昭和って何だったのかとおもう。今の若者にレトロな魅力を感じさせている昭和のデザインって何なのだろうか。再認識してみたいとおもった。

昭和歌謡の人気ランキングをググると、1位まちぶせ/石川ひとみ、2位木綿のハンカチーフ/太田裕美、3位喝采/ちあきなおみ、4位岬めぐり/山本コウタロー、5位また逢う日まで/尾崎紀世彦、6位勝手にしやがれ/沢田研二、となっていて。確かにどれもこれもなにげに口ずさめたりして。クレジットにある作詞作曲者の氏名をみると、あっあの人とあの人ねぇ。と名前を覚えているし、ザ・ベストテンなんていうテレビ番組を楽しみで視聴していたなぁと想い出す。

「工務店」に関連するコトになると、「昭和住宅資料館」「昭和スポット巡り」というサイトに遭遇して、あらためて建築デザインとかインテリアデザイン、家具デザイン、家電のデザイン、看板のデザインとかの「昭和」って何なのか意識させられる。「昭和中期の生活をリアルに体感できるような空間づくりを心がけている」とそのサイトに書かれてあって、中古物件を手に入れて、自分で昭和の空間を作って生活しているらしい。

「この時代特有の野暮ったさが際立っています。私にとってこの野暮ったさこそが昭和中期の最大の魅力です。」「建築はもとよりファッションや自動車など様々な方面で海外のデザインが急速に取り込まれていったわけですが、それと同時に日本人の未だあか抜け切れていないセンスが浮き彫りになった時代でもあったのではないでしょうか。そして、そのあか抜け切れていない部分こそが当時を生きた人たちの気持ちそのものだと思うのです。」

なるほど。木村工務店では、そんな昭和レトロな建物を沢山、「モダン」にリフォームしてきたが、確かに昔のままでも良かったのかも。何がモダンなのか、と考えさせられる。そのサイトには「どこかあか抜け切れていない部分に愛おしさ」を感じる。と書いてあって、デザインがちょっと破綻しているところに愛おしさが宿っているのかもしれない。

そういう気持ちはそれなりに理解出来て、モダンデザインとして整ったデザインの模倣や提案が、施主の嗜好や大工をはじめとする職人さんのセンスと思い入れとコストと技術力の問題で、デザイン的破綻になってしまう時があって、その破綻を良しとして施工してしまうところに工務店的な魅力もちょっと存在し、そういう「昭和的工務店」が作った住宅が「昭和住宅」だったのかもしれない….とおもった。

唐突ですが、この写真は、東京、銀座の無印に展示されていたチャールズ&レイ・イームズのテーブルと椅子で、この手前のカフェで珈琲を飲みながら眺めていたら、何人かの若いひとたちが、写真を撮って憧れの風情で眺めていた。こういう1930年代のモダニズムの思想やモダンデザインが日本にも入ってきて、工務店にも模倣されたのが昭和だったのだろうが、その模倣がさまざまな要因でデザイン的破綻をして、でも職人さんが丁寧に一生懸命作ろうとしていたので、どこかに愛おしさが残っていたのかもしれない…..。

そういう愛おしく感じるデザインを受け継げいでいく「昭和的工務店」もエエなぁ…..と「昭和の日」の「昭和」を考えてみた。

雨降りだから美術館

雨降る日曜日。ゴールデンウィークに突入する前の週なのだが、ぐずついた天気の一週間になるらしい。木造住宅の上棟予定があったものの、棟梁が、構造材を雨ざらしにするのがイヤなので、ゴールデンウィーク明けに上棟をズラしたいと申し出た。それで施主に了解を得て上棟をずらすことになった。

昔は、ゴールデンウィークの休日でも仕事をしたい大工さんが多かったが、最近は会社の休みに合わせて休日を取る大工が増えてきたし、土曜日も休む大工が増えた。その分、工期は延びるのだが、時代の変化とともに職人さんへの敬意を含めて、施主の了解も得られるようになってきた。木村工務店では4月29日から5月5日まで会社はお休みを頂戴しますが、一部の現場は暦通り稼働予定です。

天気予報の進化によって今日の日曜日の朝から雨が降る予報だったので、前日の土曜日からアウトドアーに出る予定に諦めがついていたが、いざ日曜日の朝に目覚めると、やっぱり雨かぁ…..と再認識し、さて、どうしようかとおもいながらテレビを付けると、ウクライナ情勢の報道が流れ、憤りを通り越した諦めのようなムードになっているワタシがいて、その感情を跳ね除けるようにベットから跳ね起きて、久しぶりに朝風呂朝サウナに行くことにした。スーパー銭湯も値上げするらしい。1年前に比べ建築費もかなり上昇しているし、もはやインフレの世の中なのか?

雨の日の朝風呂が格別に好きだ。あと「雨降りだから」本でも読もう。とか。音楽でも聴こう。とか。大好きだったが、いつの間にかそんな感覚からどんどん遠ざかってしまったワタシを、いま、ちょっとずつたぐり寄せようとしているところ。なのに、庭を隔てて繋がるマゴ達が、雨だから退屈だぁ退屈だぁと朝から押し寄せてきて、本も音楽も吹っ飛んでしまい、一緒に新しくできた「中之島美術館」に行くコトになった。

現物を見るとフツウに良い美術館なのだとおもう。黒の外壁のテクスチャーが単調なのは「コストを調整したのか」「意図なのか」そこは知りたいとおもった。奥方と長男奥方のお目当てはその美術館内にオープンしたデンマークのインテリアショップ「HAY」を見るコト。コペンハーゲンの百貨店で見た記憶が残っているが、想像以上に日本での価格が高かった。そうそう、それとデンマークで訪れたルイジアナ美術館が最も印象深い体験で、食べたり寛いだりもできて一日過ごせる美術館だった。中之島一帯で、そんなふうになっていこうとしているのだろうか。散策できて寛げる文化的な良い街になれば嬉しい。

「モディリアーニ展」が開催中で、偶然マゴとモディリアーニのTVドキュメンタリーを一緒に見たので親近感が湧く。最近この手の展覧会に行くと必ずイヤホンを付けて解説を聞くようにしている。美術史のコトにまったく精通していないので、モディリアーニを中心としながらその当時のパリの美術界の解説が分かり易く、マゴ達もイヤホンを付けるとおとなしく聞いていたので妙な一体感がうまれた。

雨降りで、美術館という共有体験を持てたのが、心地良く感じる日曜日になった。

「摘み菜」

とっても気候の良い4月の休日。「まちのえんがわ」ワークショップを開催した日曜日。昨年は5回ワークショップを開いたが最後は昨年11月。コロナの影響で久しぶりの開催となった。

「摘み菜」というコトバは馴染みのありそうで、初めて聞くコトバだった。平谷(ヒラヤ)けいこさんは摘み菜料理研究家で今回のワークショップを開催した妙齢の女性で、近くにある居酒屋あそび菜さんのご紹介で縁を持つ事になった。ちなみにあそび菜さんは何度か「まちのえんがわ」ワークショップを開催してくれている。雑草とか野草と呼ばれている「草」を摘み取り食す。そんな雑草が食べられるとは思っていなかったので、ワタシにとっては新たな気づきになるワークショップだった。ちなみに「摘み菜」というコトバはヒラヤさんが考えたという。

うちの家の近くに通称「長細公園」というのがあって、かつては運河だったらしいが、そこが埋め立てられ、長細い公園として遊具が置かれていた。そこはこの周辺の子供にとっては刺激的な遊び場だった。「ブランコ」や「うんてい」や「鉄棒」の技術を習得したのも家から歩いて1分のところに長細公園があったからだ。数年前のこと「もしその長細公園の遊具で事故が起こればその責任は町会長が取らなければならないらしい」という責任問題が浮上し、すべての遊具が撤去されることになった。致し方ないが、いかにも現代的な理由だ。ただ遊具がなくなると、ただの土道になって、この道を通る人がほとんどいなくなり雑草が育つ通路と化した。

普段は邪魔者扱いする雑草が「摘み菜」の宝庫だとヒラヤさんが語る。その長細公園を散策しながら、雑草を観察し、食べる雑草をヒラヤさんから教授してもらう。参加者の女性が土道に座り込んで、雑草を観察し採取する姿は、異様な姿でもあるが、あるいみ美しい光景でもあった。長男嫁とその子供達が参加し、楽しそうに雑草を引き抜いては、ヒラヤさんに名前を尋ねる姿が微笑ましかった。採取した雑草を持ち帰り、加工場でそれぞれがスクラップブックにする作業のあとに、木村家の庭で、摘み菜によるお茶会を催した。

ヒラヤさんは洒落た女性で「ななな」三発講座というキャッチーなフレーズのもと、【「な」の発見 ~摘み菜の観察~」】・【「なかま」とナイスな発創 ~摘み菜ノート作り~」】・【 ティータイム ~加菜っ平(カナッペ)&摘み菜茶~「なごみ」の発信 ~各自のお気に入りを話し合う~】というワークショップ構成で、最後にうちの庭で摘み菜によるお茶とゼリーを頂き、ビスケットに摘み菜と自家製ソースのトッピングで食したが、おもわず「香りが良い!」「美味しい!」というコトバが出てしまうほど、オーガニックで身体に良さそうなお茶と食物だった。

ここ数ヶ月、月一回「まちの工務店ネット」で、建築家の秋山さんとランドスケープデザイナーの田瀬さんによるレクチャーがあって、建築家の方々と接する機会は幾度もあったが、ランドスケープの方との接触はほとんどなく、ゆえに田瀬さんから発せられるランドスケープに対するコトバ使いと考え方に刺激を受けている。その刺激と同じような刺激を平谷さんからも感じる。「土」と「植物」というのは身近にありながら、深く考える機会がなかった。人の名前と植物の名称を記憶するのが苦手だと再認識するのだが、それにしても街角にある「摘んだ草がたちまちごちそうになる」という発想と探求に敬意を表したいとおもった。

変化の春かな。

夏日の春。桜も散り始めて青葉がでてきた。住宅相談会がある日曜日だったが、気候が良いので、早朝から自転車に乗ることにした。今年初めてなのだ。4ヶ月近くこんなに自転車に乗らなかったのは自転車に乗り出してから初めて。というよりこんなに雪のある冬が久しぶりだったので、日帰りひとりスキーに5回行った。これも初めて。なので自転車がスキーに取って代わった冬のシーズンだった。

十三峠を往復するだけの1時間40分。足がまったく回らなくゆっくり登る。無事到着できて良かった。下り、定点観測的に桜を見ていた場所に駐め、山を眺める。サンシュウの群落の黄色は色あせていたが、ゴジラというか恐竜のような顔に見える山桜はかろうじて残っていた。ぎりぎりの春に間に合った感じ。

金曜日の夜、大学時代のフリスビー同好会のメンバーに誘われて大阪城で食事会。ワタシ、フリスビーのメンバーではないのだが、皆に親しくしてもらって、時折お誘いをうける。大阪城内にあるルーフトップテラスに赴くと、仕事帰りのサラリーマンでいっぱいだった。屋外のこんなスペースの4人席ならコロナ対策的にも安心感がある。大阪城がドーカンと見えて、気持ちの良い夜になった。

木曜日の朝は、庭を隔て同居するマゴの小学校入学式の日だった。6年があっという間に感じる。生まれてから6年間の子供が成長する姿をみていると、「人間」という哺乳類の成長過程の凄さを垣間見る。この6年間、ワタシといえば、日増しに物忘れの退化がはじまり、人の名前なんて、あのぉ…..、そのぉ…..、なんて言いながら皆の助けをかりてしまう状況なのに、子供の脳と感情と体力の進化はめまぐるしいものがある。もう一度ワタシもその6年間をやり直せないものか。とおもう。

日曜日。暖かく気持ちの良い気候での住宅相談会。ひと組目の若いご夫妻は、マンションリフォームのご相談でお見えになったが、ご主人が建築の設計者として勤めておられるという。そういう設計に携わって会社勤めの方のマンションリフォームの案件がそこそこある。先日も一件着工したばかり。うちの設計担当者がフォローしながら見積担当者や現場監督や大工にバトンタッチしていくスタイル。帰りがけ「まちのえんがわ」でお話しを聞くと、矢部さん設計で施工した「ササハウス」の奥さんのインスタフォロワーだそうだ。5万人近くフォロワーがいるとか。凄いね!

二組目の若いご夫妻は、土地探しからの新築のご相談に起こしになった。SUUMOによる土地の探し方やその土地をグーグルの地図で丹念に見つける方法をレクチャーし、中古住宅を購入してリノベーションという方法もレクチャーしながら、インターネット上で一緒に土地を探す。そういう「方法を共有」しているうちに、お客さんの好みに対しても徐々に理解が深まってくる。できるだけ広い土地を手に入れたいという。家は大きくなくても、庭があってバーベキューとか出来たらコロナ禍なので嬉しいと。コロナの影響による嗜好の変化が顕著になってきたとおもう。

社会情勢も住宅情勢も人間の心のありようが変化している兆しなんだろう。

会社として新たな一歩

4月2日は会社の創立記念日で、1949年昭和24年が法人として創立した日だという。いまおもえば、なぜその日が4月1日でなかったのか、祖父や親父から聞いておけば良かったと思う。敢えてちょっと「外す」というところが木村工務店の伝統的な体質のなかにあって、それがこの4月2日というチョイスに表現されているような気がしてきた。工務店としての創業は1937年昭和12年8月で今年で86年。

で、この4月2日前後に社員とともに職人さんを交えて、前社長の親父が植えた枝垂れ桜の下で、焼肉花見の宴をするのが伝統的な行事だが、今年もコロナ禍の規制に従って焼肉宴は中止した。ただ庭にテーブルとベンチを設置して社員がそれぞれの昼食を桜と共にし、夜は食事は止めて軽くビールを飲んで早々に解散することになった。派手でこぼれ落ちるような桜が4月1日的だとすると、うちの枝垂れ桜は4月2日的なしっとりとした2番手的桜だが、これで良しとして皆で愛しんでいる。

多くの社員が早々に解散したものの、酒好きの数名が残ってアウトドアー薪ストーブを囲んみながら、あーだこーだと話題がつきなかった。こういう素直に終わらない宴も、木村工務店を退職した歴代の社員の皆から引き継いでしまった伝統のようなものだが、感染者数のリバウンドが始まりつつあるなか、換気がある場所でのマスク会食なら良しとされるのかどうかと気遣いながらだった。もはや宴会は時代遅れのイベントになってきたが、オンラインだけでは生まれないちょっと深いつながりが発生するような気がするのだが、それもこれも幻想なのかもしれないと疑って確かめてみる時代でもある。

そうそう先週のブログに登場した東京の神田川沿いの桜を見るコトになったのは、宿泊したホテルの近くに丹下健三さんの東京カテドラル聖マリア大聖堂があって、朝の散歩がてらひとりでその建築を見学した時に通過したのが神田川だった。HPシェル構造を実際に目にするのは初体験。見慣れてきた安藤さんの仕上げの美しいコンクリート打ち放しとは違う、荒々しいコンクリート打ち放しがシェル構造としての独特の曲線美を持つ壁となり、その表情のある壁に天窓から柔らかな光りが降り注ぎ、静謐な気分にさせられた。唯一無二の建築のひとつだなと体験してあらためておもう。

それより意外だったのがアプローチ。広場から直接入る西洋的な教会でなく、まず教会の横のシルエットを視覚してから、その建物に沿って歩き、オベリスクのような鐘塔を通過して、奥にルルドが視覚化され、それを拝んでからぐるっと反転して教会の正面と対峙し、階段を登りながらその正面入り口から入る感じは、日本的のようだし、コルビジェのロンシャンの教会も階段こそないがそんな感じのアプローチだったし、ランドスケープ全体が良く出来ているのだと気付かされた。

唯一無二というのは大げさな表現だが、社員、職人、協力会社による、ものづくりのチームで、エエ建築が造れる小さな工務店として存在できるように、新たな一歩を踏み出したいとおもう。

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